◎論説:「AIが働く社会と最低生活保障」の要旨( 駒澤大学講師 井上智洋:日経7/1 「私見卓見」)
・AIが我々の仕事を奪うかどうか、多くの人が関心を持っている。今までの資本主義の発展の中でも技術の進歩と共に多くの労働者が仕事を失ってきたが、これらの問題は、それら失業者を新しい仕事へ労働移転することで乗り切ってきた。だがAIはこれまでとは質・量ともに全く異なる規模で人の仕事を代替していくであろう。最近注目されているAI「アルフア碁」やAI「自動運転」など「特化型AI」はそれほど多くの人の仕事を奪うことではないが、本当の脅威は2030年ごろに実現する「汎用AI」である。
・これが普及するともはや労働移転で吸収できなくなる。クリエイティビティ、マネジメント、ホスピタリティを伴わない仕事は汎用AIに置き換わり、働けるのは人口の1割という未来が予想される。そのような「汎用AI」が普及したときにもはや労働移転でそれを吸収することはできなくなる。そんな事態を経済学的視点でどう捉えるべきか。(中略)
・ひとつは生産手段を国有化し、国民に平等に商品を配分する方法であるが、これは社会主義の失敗の歴史を振り返ると現実的ではない。となると税を通じて再配分する方法が浮かび上がる。今の制度では生活保護だが、国民の9割を被保護者にするとなると、それは最低生活の保障として毎月一定額を国民に配るベイシック・インカム(BI)の考え方に近くなる。
・このBIはこの6月上旬スイスでの国民投票で否決されたがオランダやフインランドでも議論が進んでいる。今は生存権を巡る議論だが、かってないほどのスピードで雇用が失われる中で、経済循環を維持する観点からBIの導入は避けて通れないだろう。
感想:
<古代ローマのリーダーたちが考えた「自尊心と仕事の関係」>
・以前読んだ塩野七生女史の「日本人へ :リーダー編」には大凡次のよう記述がある。(注:本書208p「自尊心と職業の関係」)
・紀元前200年、ローマはカルタゴに勝利した結果、地中海西半分の覇者になったのはよいとして、ローマ社会は、その結果富者と貧者に二分化され、後者はプロレタリアの語源となるプロレターリと呼ばれる大量の失業者を出すことになった。当時のリーダーたちはこの問題の解決にいろいろと腐心するのである。それらの歴史を紐解いて私(塩野女史)自身解ったことは、「人は誰でも、自分自身への誇りを、自分に課された仕事を果していくことで着実なものにしていく。だから職を奪うことは、その人から自尊心を育くむ手段さえをも奪うことになるのだ」ということがあった。そしてそのことは、私自身にとっても、古代ローマ史を読み解く上で将に「目からウロコ」の“ひらめき”となったと述懐されている。その上で、女史は、その一つの事例として、紀元前一世紀に実施されたローマ軍団の「徴兵制から志願制への移行」を取り上げ、当時のリーダーたちが考えたことは、「プロレターリには、徴兵制すらも、政府の一種の手厚い失業対策と受け止められ、彼らに自尊心を持たせることには役立っていないと反省した上で、そんな自尊心を彼らに植え付けるには、軍団に関しても、志願制などを通じて「兵役も自ら選ぶ誇りある職業」であることを理解させるほかない」と考えたのではなかろうかと、書かれている。更に女史は「古代ローマのリーダーたちが目指したのは、社会の安定を齎す健全な中間層の確立であったのであろう」とも記述されている。
<ベーシック・インカムの対策だけでは偏狭過ぎるのでは?>
・上記の日経記事では、AI社会で大量に発生する失業対策としては、最低生活の保障として毎月一定額を国民に配る“ベイシック・インカム”の考え方が紹介されているが、この考え方は、この問題を経済的側面からの救済のみに限定したものである。塩野女史の上記の「自尊心と仕事の関係」などの主張をも考へ併せると、ベイシック・インカムだけをその対策とする考え方は、大量の失業問題の救済策としては、その取り組みの視点が、あまりにも偏狭なものであると考えざるを得ない。
<ワークライフバランスや「規範性判断基準」など>
・今世界では、貧富の差が拡大するなかで健全な中間層が崩れつつあり、それが進むと人々が極端な考え方に走る可能性があるとの危機感も存在する。その対策の一つにもなるのではなかろうかと考えられることに「ワークライフバランス」という考え方がある。これは労働時間を減らし、人々に考える時間を与えることによって、誰もが仕事と生活のなかで充実感ややり甲斐を感じながら暮らすこと(注)によって健全な民主主義社会を持続可能なものにしようという考え方である。(注:当然に塩野氏のいう“自尊心の高揚”にも繋がる)。しかしこれとても、仕事にありつける人についての話しである。
・「AI社会の到来が大量の失業者を生み出すかも知れないという蓋然性は、人類社会にとってはかって経験したことのないほどの危機的状況であるとするならば、この問題のあるべき対応策としては、例えば、小生が昨年、蓼沼宏一一橋大学学長から同窓会の賀詞交歓会講演で伺った「規範性判断基準」(注)なども含め、もっともっと幅広い立場からの議論が必要なのではなかろうか。(注:将来の望ましい社会を展望するに当たっては、人々が個人的な願望や期待を離れて、全体としてどのような社会が望ましいかという視点から議論しようというスタンス)
・AIが齎すかも知れないこの深刻な問題を、来るべき近未来に於いて、もしも、ベイシック・インカムの処方箋だけで乗り切ろうとするのであれば、紀元前のローマ時代に於いて、つとに、これら失業問題を幅広く「自尊心と仕事の関係」などをも視野に入れながら解決しようとした、あのグラックス兄弟やユリウス・カエザルなどからは、「21世紀の思考力はなんともお粗末だね!」と嘲弄されるのではなかろうか。「本当の脅威は2030年ごろに実現する“汎用AI”である」という、当記事を読んで、高齢者たる我らには無縁のものだと思わずに、その激変へ至る兆しの如きさざ波の動きぐらいには日々関心を持ち続けたいものである。
(H28.7.21記)