梅雨空のもと菖蒲や杜若咲き競う季節。我らが「33Qネットの薔薇の園」の更なる百花繚乱を願って、ささやかな薔薇の一輪を植えたいと思います。
今月の小生の「話題のコラム」からの拙論の一輪です。クラスの賢兄諸氏のご笑覧を頂ければ幸甚です。 坂本幸雄
1.こども孫子の兵法(H28.6.2 日経新聞広告)を見て
・まずは相手よりも自分にこと。負けないための準備をしっかりしよう。
・100回戦って100回勝つより、戦わないで勝つほうが本当はすごいこと。
・相手を追い込もすぎてはいけないよ。
・あえて自分を追い込んで、自分でも予想していなかった大きな力を発揮しよう!
・怒りにふりまわされてはいけないよ。どんな時でもクールに判断!
・自分が「好きか嫌いか」だけでなく「有利か不利か」でも考えよう。
・常識と非常識を上手に使いこなそう。
・意味ある逃げだってあるのだよ。叶わないならさっさと逃げてしまおう。
・優れた人は一つのことをプラスとマイナスの両方から考えているよ。
・ピンチから生まれたチャンスは、驚くほど価値があるんだよ。
・能力はむやみに自慢してはいけないよ。
・正々堂々はとても大切。でも、時には駆け引きも必要だよ。
感想(坂本):
・上記の記事はご存じ「孫氏の兵法」の一部をこども向けに分り易く、かつ、今の時代の中でこどもでも関心が持てそうな内容に凝縮して、広告文面としてその本の内容一部を紹介したものであるようだ。
・孫子の兵法とは、ご存じのように古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。グーグルの解説によると「“孫子の兵法”以前の時代では、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。しかし孫武はそれまでの様々な戦史研究の結果から、それぞれに、戦争には勝った理由、負けた理由があり得ることを分析した。“孫子の兵法”の意義はここにある」といったことが記されている。
・この本の広告を見て、そんな歴史を持つ孫氏の兵法が、その教えの一部分とはいえ、何故にこどもの教育分野にも登場しているのであろうかと、小生は些かの驚きとともに時代の変化を感じるのである。
・明治政府は、欧米列強との競争力の強化を国是とし、その政策として、超越的統治者としての天皇の地位の強化と併せて、国民向けには伝統的な儒教的な徳目を中心といた“修身の教え”を強化してきたが、その修身の内容は、日本人が個人としての生きるべき道徳律を中心としたものであり、例えば、対人的な、あるいは、対外的な闘争心や策略などを教えるが如き内容のものではなかったように思う。
・然るに、上記の「こども孫氏兵法」の内容は、ほとんど全てが、対人関係の競争場裏において、如何なる心掛けが必要であるかを教える内容になっているように思う。ここにこども教育の場での時代的変化を感じるのである。このことが、上記「こども孫子の兵法」という本の出版広告を見ての小生の驚きの感想である。
・だからこそ、その背景にある日本の教育理念の変化とは、いかなる根拠によるものであろうか、との拙考を試みた次第である。
・そんな自問自答でまず思いつくのは、最近のグローバリゼーションの進展の中で、普通のビジネスや会社経営に於いても、外国人及ぶ外国社会との協力・協調・共存・競争・抗争という関わりが激増している中で、日本人としても、国際人としての感覚・感性を涵養することが重要になっているとの教育的認識ではなかろうかと感じたのである。そのように考えると、今までの日本における教育の伝統であった修身的徳目に加えて、言葉は悪いが「ちょい悪の大人」的な、対人関係でも相手の言動を常に身構えしながらウオッチし、相手に隙を見せないような思慮深い人間を育成することの重要性が思い浮かぶのである。
・特に最近の中国政府の、国際的な取り決めを平然と無視するが如き対外強硬路線などを見るに、そのような教育理念の変化も理解できなくはないようにも思うのである。しかもこの中国は、それこそこの“孫氏の兵法”を生み出した国そのものなのである。あの三国志の世界以降の中国の歴史を概括して見ても、その歴代皇帝はことごとくに、それぞれの時代に常に敵の裏をかくが如き権謀術策の限りを尽くす戦術・戦略をその青史に刻んできているのである。
・その上に、現下の日本が直面している国際関係の緊張の中で最も憂慮されているのが、そんな中国の対外強硬政策そのものなのである。そもそも現代の国家間の関係維持に関して、各国が相互に守るべきルールとして機能しているのは、基本的には1648年に三十年戦争の講和条約としてヨーロッパ諸国間で締結された「ウェストファリア条約」であるとされているのであるが、現下の中国政府は、そんな長年にわたって国際的な紛争解決のルールとして守られてきた、例えば、航海の自由すらも守ろうとせず、あまつさえ、自らの都合で勝手にここは中国古来の領土であるというような主張を平然と繰り返す如き“異形の国”なのである。しかもその中国は、群雄割拠の三国志時代の兵法として“この孫氏の兵法”を生み出した国そのものであることを考えると、わが国もいついかなる時にいかなる権謀術策を弄した難問を突き付けられるかも分らない状況下にある。
・不幸なことに今や、こどもに対する教育の基本理念そのものにも、己の身を修めるに必要な修身的な、人間としての基本的教育論だけでは不十分だとの認識からか、国の教育指針にも新たな視点が必要であると考えられているのであろうか(?)。
・中国の古い言葉に「同声異俗」という言葉がある。幼児の鳴き声は同じであるが、大きくなると、人は教育や環境の違いによって風俗、習慣、礼儀などまで変わってくるとの譬えである。いづれこのような新たな教育理念が実施された結果の果てに、小生がふとその副作用として懸念するのは、将来あまりもの自分勝手な独善性が周りから顰蹙を受けるような人物が多くなるのでは、との思いである。そんな好ましからざる予想に、最近どこかのかっての知事で経験した如きデジャビュ(既視感)を見る思いがするのである。(坂本幸雄 H28.6.10記す)
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