Q坂本 幸雄 2017.7.13
「江戸時代の文化財保護と綱吉の善政」(H29.6.30日経「明日への話題」法隆寺館長 大野 弦妙氏の「法隆寺の大規模補修」を読んでの感想)
「氏の提言の要旨」
・日本最初の木造建築物として世界遺産に登録されている法隆寺。泣きどころはおよそ100年に一回の大規模補修が必要なことである。強力な庇護者、もしくは経済基盤となる荘園があるうちはなんとか耐えることができた。
・ところが江戸時代に寺の知行が千石だけとなると、寺の経常費用でそれらの収入はあらかた消えてしまい、修理には別途に莫大な費用が必要になった。そこで考えられたのが「出開帳」。寺の宝物を人口の多い大都市周辺に運び、特別展で浄財を募り、改修費用に充てるのだ。元禄の1694年、法隆寺は初の出開帳を江戸・本所の回向院で行った。当時のこと、搬送はそれらの寺宝はさおをさして前後を人が担ぐ長持ちに入れて運んだらしい。
・いざ出開帳が始まると、5代将軍綱吉とその母・桂昌院を始め、水戸光圀ら諸大名の寄進があり、約2200両が集まり、一般からも2000両集まった。翌年京・大阪でも出開帳を実施している。
・出開帳の現代版とも言えるのが、しばしば美術館・博物館で見かける仏像や荘厳具の展示会だ。かくいう法隆寺も、4年後聖徳太子の1400回忌を迎える。法隆寺の総力を持って、太子の遺徳を広く発信したいと心から願うものである。
感想:
・文化財保護法では、国宝、重要文化財の所有者は、貴重な国民的財産である文化財を大切に保存管理するとともに、できるだけそれを公開するなどその文化的活用に努めることが求められている。また、同法では、適正な管理のため、所有者が変更になった場合や,国宝や重要文化財の所在場所を変更する場合などに関し、様々な手続が定められており、更に所有者には、法の定める手引きを活用の上、文化財保護法の趣旨を理解し文化財の適切な保護に努めることが規定されている。
・しかし、このような近代国家に見られる一般的な文化財保護の法律が無かった江戸時代に、法隆寺のような重要文化財が、出開帳という方法で、その補修・保護に必要な資金が捻出されていたというのは面白い事実である。しかもそのような出開帳に於いては、時の権力者またはそれに近い貴種の人々が率先してその資金に協力していたことと併せて、一般の人々も同額程度の資金の拠出に応じていた事実も面白い。江戸時代が、荒廃たる戦国時代から一転して平和の打ち続く時代であったからこそ、このような形での文化財保護が可能であったのであろうと思う。
・またこの記事にとりあげられている時代が、江戸時代でも、元禄時代の将軍綱吉の時代であることも興味深い。
・綱吉の功績についてググッテ見ると、彼は、戦国の殺伐とした気風を排除して徳を重んずる文治政治を推進した、とある。しかもこれは父・家光が綱吉に儒学を叩き込んだことに影響しているとある。また、綱吉は儒学の影響で歴代将軍の中でも最も尊皇心が厚かった将軍としても知られ、彼は、御料(皇室領)を1万石から3万石に増額して献上し、また大和国と河内国一帯の御陵を調査の上、修復が必要なものに巨額な資金をかけて計66陵を修復させ、公家たちの所領についてもおおむね綱吉時代に倍増しているとある。このような綱吉の政治姿勢を考えると、法隆寺のような日本最古の貴重な文化財への寄進にも当然なこととして積極的であったのであろうと想像できるのである。
・尚、このグーグルの記事には、綱吉の時代に起きた赤穂藩主浅野長矩を大名としては異例の即日切腹に処したことに関し、あの事件が、朝廷との儀式を台無しにされたことへの綱吉の激怒が大きな原因であった、と書かれている。この事件の背景に綱吉の尊皇精神があったとみる見方も面白いと思った。
・阿川弘之氏の著書「大人の見識」には、人間の行為は、多くの場合、その評価は、事後的に他人の評価によって定まるものである、と書かれている。上記江戸時代の綱吉公の文化財保護の事例は、事後的に考えてみても「綱吉公であればこそ、そんな善政もむべなるかな」との評価がベースにあるように思われる。だからこそ、それを評価する後世にわれわれも成程と納得できるのである。
・しかし最近のTVの報道などでは、その当事者の日ごろの言動に照らしてみても、あの人が何であんなことをするのだろうと思われるほど、その人のある言動がストーンと腑に落ちない事例も多く見られる。そういう場合、周りの人々は「わけのわからんこっちゃ」と考え、その人の見識や教養を疑うのである。(坂本幸雄 H29.7.5記)
ーーー参考 管理人ーQ森 正之ーーーーーーーーーーーーーーーーー
坂本兄の本稿に将軍綱吉が登場します。
綱吉小説に朝井まかて著の「最悪の将軍」があり、図書館で借りて読みました。
参考までにamazonのカスタマーレビューをご紹介します。
昔、高輪泉岳寺の隣に住んでいたので、忠臣蔵に興味あります。
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