Q坂本幸雄2017.8.25
<はじめに>
・中丸明著の「海の世界史」の中に、表記のおどろおどろしい名前の戦争の話が出て来ます。18世紀前半、イギリスが当時欧州の大国であったスペインと、大西洋上で「海の覇権」をかけて闘っていたころの話です。小生は先日映画「パイレーツ・オブ・カリビアン:最後の海賊」を見て、その時代に英国とスペインの軍艦が、カリブ海の魔の三角水域で、 当海域の財宝のありかをめぐる死闘を演じていた時代に新たな興味を覚えました。そこで、数年前に読んだ「世界史をつくった海賊」という本(脚注)を読み直してみました。そこで再発見したことは、イギリスの国家的ビジネスが、なんと“海賊ビジネス”ともいうべき、海上での略奪行為であったという史実であります。以下「ジェンキンズの耳の戦争」という奇異な戦争名にも興味をそそられその話を纏めました。前回の拙稿:「ペストとデカメロン」で話題に取り上げた「海の世界史」という本と、産業革命以前のイギリスについて記述されたこの「世界史をつくった海賊」という2冊の本の要約・紹介です。(脚注:武田いさみ著のちくま新書。購入書は発行時2011年11月第4刷で、その時代のイギリスの海賊行為が詳しく書かれている)。
<「ジェンキンズの耳の戦争」とは>
・1738年3月17日のこと、イギリス下院議会に、ロバート・ジェンキンズという男が、ブランデー漬けされた方耳を持って現れた。そして「この耳はキューバ沖でスペインの艦隊に捕まって切り落とされたものである」と証言した。この証言に議会の議員たちも大いに憤慨した。因みにスペイン語では「耳を裂く」といい言葉は今でも“喧嘩を売る”という意味に使われているのだそうであるが、これはこの故事によるものであるそうだ。イギリスは直ちに翌日1739年11月3日にスペインとの戦争に突入するのであるが、これが世にいう「ジェンキンズの耳の戦争」である。なぜイギリスがこの話にそんなに激怒して即戦争へと突き進んだのであろうか。その理由は、このジェンキンズ事件までの7年間に、33隻ものイギリス所属のカリブ海貿易船がスペインの沿岸警備船に拿捕されていたからである。ジェンキンズの話が、イギリスの7年間の“うっ憤晴らしのきっかけ”となって、カリブ海のスペインの独占体制を切り崩そうとしたのである。17世紀中葉には、 カリブ海ではスペインだけでなく、イギリス、フランス、オランダの艦隊が蠢動しつつあり、イギリスもジャマイカ島、プロビデンス島などを植民地にしていたのである。
・そんな折にスペイン継承戦争が起き、フランスの太陽王ルイ14世は孫をスペインのフエリーぺ五世としてスペインに送り込むのである。イギリスはスペインとフランスが合同して強大になることを恐れてオランダ、オーストリアと同盟を結び、1701年にスペイン=フランス軍に宣戦した。以降イギリスとスペインが世界の海で覇を競う時代の幕開けとなる。
感想:
<産業革命以前のイギリスの実像>
・「世界史をつくった海賊」という本の前書きには、この本の全貌を要約して大凡次のような記述がある。
・いかにして国家を豊かにし、繁栄させるか。産業の振興、外国資本の導入、資源やエネルギーの開発、武力による領土の拡大。世界史に見られる国々の豊かさの追求は様々である。日本は明治の国家戦略として「富国強兵」を掲げて列強と闘ってきた。そのような中で、他に類を見ない、かつ、"教科書には見られないやり方“で、豊かになろうとした国があった。16世紀から17世紀のイギリスである。以下その本で学んだイギリスの国家的海賊行為について要約した。
<海賊行為の合法化・正当化>
・イギリスは、海賊行為という手法で豊かさを追求し、200年以上にわたる歳月をかけて大英帝国(British Empire)を築いた。確かにイギリスは産業革命によって大英帝国の威光を確立してきたが、その手元資金の一部は紛れもなく海賊がもたらした略奪品、つまり"海賊マネー"であった、というのである。
・「海賊(pirates)は、「海」を舞台に強盗を行う犯罪者であるが、イギリス人の間では広く「海の犬(Sea Dogs)と呼ばれていた。しかも、イギリスでは、国家権力とタイアップして略奪を行えば、「海賊」を犯罪者としてではなく近代国家の礎を築いた「英雄」として再定義することで、海賊行為を見事に合法化し、正当化してきたのである。そのために「海賊」という言葉を「探検家」(Explorers),航海者(Mariners)、「冒険商人」(Merchant Adventurers)いう言葉に替えて使用したのである。
<フランシス・ドレークなる超大物海賊>
・ロンドン中心部にある「国立海事博物館」には、16世紀にイギリス人として初の世界一周航海を行なった人物としてフランシス・ドレークを「エリザベス女王時代の探検家」として紹介されているそうである。が、このドレークこそは、イギリスを代表する超大物の海賊であり、スペインやポルトガルを相手に略奪の限りを尽くした"略奪王"に他ならないのである。彼は後に、女王エリザベス一世からナイト(Knight=騎士)の称号を与えられているが、それは彼が略奪した財宝によって、イギリスに多大な富をもたらしたからである。イギリスはやがて大国スペインの「無敵艦隊(Armada)を打ち破り、ヨーロッパの中でもひときわ異彩を放つ海洋国家となり、インド洋から太平洋を大きく包み込む地理的概念を「東インド」と呼び、そこを舞台とて活躍する「東インド会社」を設立。スパイス、コーヒー、紅茶、緑茶を輸入するなどを通じて目覚ましい発展を遂げたのである。またその時代、カリブ海諸島へ大量のアフリカ系住民の奴隷貿易を主導したのもイギリスの貿易商人たちであった(注:今日、この地域の、例えばジャマイカのウサイン・セント・ボルトなどが、アフリカ諸国の選手と同様、いつも世界の陸上競技会で赫々たる記録を打ち立てているのも、この歴史的故事によるものであろうか)。また今日保険会社としての世界に君臨するロイズ、高級紅茶として知られるトワイニング社もかっての海賊やその末裔たちが深くかかわっていた会社なのである。
<同署の構成>
・同書「世界史をつくった海賊」は、第一章「英雄としての海賊(ドレークの世界周航),第二章「海洋国家のゆくえ」(イギリス、スペイン、オランダ、フランスの戦い)、第三章「スパイス争奪戦」(世界貿易と商社の誕生)、第四章「コーヒーから紅茶へ」(資本の発想と近代社会の成熟),第五章「強奪される奴隷」(カリブ海の砂糖貿易)の五章から構成されている。各章のこれらのタイトルを読むだけでも、イギリスが国家として如何にその海賊、略奪行為を発展させてきたかの歴史がわかるような章立てになっている。興味あればご一読されたし。(坂本幸雄 H29.7.22記)
追記:
・上記拙文を先月末に送信したメル友で、かつ、S社で数年間職場を共にした仲間で最近インドへ旅行したIさんからも、イギリスのかってのインド植民地政策がインド古来のカースト制度に如何に大きな悪影響を及ぼしたかという、これまた小生には“目から鱗の情報”が寄せられました。是非この情報も併せて読んでください。
<Iさんからの“目から鱗の返信”>
・今月も「いい言葉ためになる言葉」拝読させていただきました。以下その感想です。
・イギリスの海賊の記述で思い出したのは、イギリスがインドのカースト制度を悪くしたとの話であります。
・イギリスは海賊と植民地搾取で富を築いたようですが、インドのカースト制度は、インドがイギリスの植民地になる前は社会を安定的に維持する制度として十分に機能していたのです。その制度のもとで最下層の「シュードラ」でも大きな不満を持たずに生活できたのだそうであり、階層ごとの適当な施しのようなものがあったようです。しかし植民地になってからはイギリスの搾取がきつく最上級の「バラモン」ですら生活に余裕がなく階層ごとの搾取で制度が崩壊したとのことです。その話も、イギリスのインドでの植民地搾取のすさまじさの一端を示す史実であろう、と理解しました。
<ココロの交流:メールでも充分可能な“繋ぐから繋げるへの意思疎通”>
・先月送信した拙稿「繋ぐから繋げるへ:小林麻央さんとマーク・ザッカーバーグの共通点」のなかで、小生は下記のように書きました。『「繋ぐ」という言葉は単なる動作を表すものであるが、「繋げる」という言葉にはその動作を行う主体の意思が込められている言葉である。われわれが日常的行っている「メールによる相互の意思疎通」に於いても、お互いの“ココロの交流”を深化されるためには、自分の意思を相手に繋げる気持ちを込めた発信や返信を心がけることによりその切磋琢磨の交流の密度が更に高められるのでは、と痛感する』。
・数日前に紹介したTさんの返信「京都平安京への遷都の話」も、今回のIさんの返信「インドの話」も、“メール”という、21世紀の時代的恩恵とも言うべき相互交信の手段を活用することで、居ながらにして、お互いの切磋琢磨の交流を深め、その上に、相手の顔を思い浮べながらココロを充分に交流・感応させることができるものだ、と感じた次第です。(坂本幸雄 H29.7.20記)
***感想 森 正之 2017.8.25***
先日、国立の次女が、小平の長女の子(小4男)を連れて二人で、パイレーツ・オブ・カリビアン:最後の海賊を観てきたので、子供向けのディズニー映画かと思っていたら、大学者も鑑賞に耐える映画だったのですね。その後孫はディズニーシーで本物のジャックと握手したと興奮して絵日記を送ってきました。妻もバンダナをつけて海賊の仲間入りをしたそうです。