坂本幸雄
日経春秋(H28.7.10 春秋)
・詩人の谷川俊太郎に「十八歳」という作品集がある。収録作の「傲慢ナル略歴」は「トモカクモ満零歳カラ十八歳まで/オモシロクオカシクヤッテキタ」に始まり、幸せで悩みもないと続く。明るい青春を思わせる。(中略)しかしその後教師になった実際の谷川さんはその教師にも馴染めず不登校にもなった。高揚感に包まれる日もあれば無力感に包まれる日もあるその詩集からは18歳の揺れ動く気持ちが伝わる。
・「若ものは未来からの使者だ」といわれる。人生の終幕が見え始めた世代よりも、遠い未来を自然に見据え、その行動が実際に未来の形をきめて行くからだ。投票もまた自分らの望む世界を作る一歩となる。「まだ幼いから」と臆せず、夢や不満を一票に込めたい。
感想:
<自分の18歳と81歳>
・小生只今81歳、18歳とは数字の上では逆数である。小生18歳と言えば、一浪で東京の予備校で早くこんな苦境から脱したいと“もがいていた時代”であったが、今は人生の様々な桎梏からとっくに解放され“極楽トンボ”の如き気楽な日々である。年齢の逆数は気分の逆転でもある。そう思っていた矢先に、先月メル友の友人Kさんから、実に面白いジョークがメールで飛び込んできた。
<ジョーク:18歳と81歳の違い>
① 道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳
② 心が脆いのが18歳,骨が脆いのが81歳
③ 偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳
④ 受験戦争を戦っているのが18歳、アメリカと戦ったのが81歳
⑤ 恋に溺れるのが18歳,風呂に溺れるのが81歳
⑥ まだ何も知らないのが18歳,もう何も覚えていないのが81歳
⑦ 東京オリンピックに出たいのが18歳,東京オリンピックまで生きたいのが81歳
⑧ 自分探しをしているのが18歳,出かけたままわからなくなってみんなが探しているのが81歳
⑨ 「嵐」というと松本潤を思い出すのが18歳,鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81歳
<数字の面白さ>
・あまりにも面白いので他のメル友にも転送したところ次のような返信もあった。『朝から「一服の清涼剤」、楽しいジョーク集を送って頂き有難うございます。81歳を迎えての感慨があふれています。81は掛け算の九九では最大で、最後の数字ですので、何かの節目を感じます。蛇足ながら18は9の「2倍」、81は9の「2乗」。 倍数から乗数への世界の転換も感じます』
<未来からの使者だという若もの>
・ところで上記日経の記事には「若ものは未来からの使者だ」とある。未来は若者に託されているという意味であろう。だが只今の日本の若ものが欧米の若ものに較べて実に不勉強で、かつガッツに欠けるのではないか、と憂える3つの話を最近の新聞・雑誌などで読んで愕然としたのである。
<日本の若ものを憂える3つの記事とは>
・1つ目は、日経 H28.6.15 日の「グローバル時代を開く」という記事である。徳島大学は昨年9月「フューチャーセンター」(自由空間で自由に議論)という施設を開設した。これは産学協働の場として海外で開設の動きが広がっている試みを日本の国立大学として初めて徳島大学が常設したものである。「世界に通用する課題解決型の人材育成を目指したもの」である。明るく開放的な空間に様々な形の椅子や机が並び、そこに無造作に3Dプリンター、畳を敷いた和風のスペース、キッチンを備えたカフェカウンターなどがある。「自由な発想を引き出して実践に移すための空間デザインです」とそれを主導した地域創生センター長の吉田敦也教授は話す。人数やテーマに適した場所でミーテイングを行い良い案が出ればその場で創作に移る。それらの取り組みのスピードが上がりモチベーションの維持にも役立つとの期待である。運営面では「多様性」を重視し、学生だけでなく、教員や他の研究機関や自治体、企業、地元住民など様々な人を巻き込んだ形での利用を進めているという。しかしながら「待っていました、とばかりに学生の利用が殺到するのでは!」との期待とは裏腹に、開設から半年、まだ利用も少なく、「校内からは何をモタモタしているのか」と怒られているとのこと。吉田教授は「社会にどれだけのインパクトを与えたか」がこの施設の価値を決めると考えているので、成功事例を早く作るよう取り組みたい、と話す。以上がその記事である。
・この構想は、先月の話題のコラムで取り上げた米スタンフォード大学「dスクール」の構想と極めて酷似したものである。しかしながらこの両者の大きな違いは、「dスクール」が、今までの素晴らしい実績・成果が今や全米の学生を同校に惹きつけるほどの大きな評価に繋がっているのに対して、徳島大学の構想は、始まったばかりとはいえ未だ成果ゼロである。
・両者の根本的な違いは、日米の学生間に存在する創造への意識・意欲の違いにあるのではなかろうか、と小生は考えたのである。
・二つ目は文芸春秋8月号に掲載された、経済同友会代表幹事の小林喜光氏の「消費税延期は国家の老いだ」という論文のなかでの問題指摘である。
・論文の主題は「今回の消費税延期は、日本の国家財政の危機的状況をますます解決不能の状況に導くものであるにも拘らず、国会の論戦などでその危機を訴える政党もなく、結局誰もその解決への道筋を考えなくなってしまったことを「国家としての老いだ」というまっとうな論旨である。が、その論文の前座の話として、現代の若もの生態を嘆いて次のようなことが縷々書かれているのである。①苦労を美徳とする雰囲気がまるで感じられない②海外留学は面倒くさい③就活がうまくいかななかったら何もしない③自己主張はしない④周りがやらないことは自分もしない④現状維持が一番だ、など。
・そしてこの論文は、これは日本社会が「若さの危機」にあることを示しているのではなかろうかと締め括られている。
・3つ目は、最近読んだ出口治明氏(ライフネット生命保険(株)の会長兼CEO)が書かれた「本物の教養」という本のなかの次のような一節である。「日米の大学生の比較で、在学中にどれくらいの本を読んだかという調査結果では日本の大学生は平均100冊、アメリカの学生は平均約400冊の本を読んでいる」とあり、日米の学生の在学中の勉強量には圧倒的に大きな差があるとのことである。
・また出口氏の本には次のような記述もある。欧米と日本の教育の質やその深さの違いを憂える氏の警鐘ではなかろうか。
① 西洋にはギリシャ・ローマ時代以来、「リベラルアーツ」という概念があった。一人前の人間が備えるべき教養のことで、「算術」「幾何」「天文学」「音楽」「文法学」「修辞学」「論理学」の七つの学問分野である。欧米人がいう「広く、ある程度深く」という教養に必要な条件とはそんな伝統に基づいているのである。
② その教育の背景には、ソクラテスの「無知の知」という教えがあるが、それは「我々はまだまだ知らないことが多いのだという謙虚さがなければ教養は身に付かない。しかも「何か面白そうだ」という好奇心を持つことが教養を豊かにする基本だ。
③ 「広く浅く」ではなく、世界のグローバルリーダーには「広く、ある程度深い」素養を身につけた人が多い。彼らには異なる二分野で学位をとった、ダブルドクターも珍しくなく、彼らの多くは自分の専門分野だけでなく、文学、歴史、自然科学などあらゆる分野で一定レベル以上の深い造詣を持っている。
④ 教養とは、人生のPDCAサイクルを動かすためのツールだ。知識を自らの活力に転換するのが知恵であるが、その知恵を生み出すには「自らが考えること」がそのべースとして不可欠である。教養とは、そのように自ら考える過程に於いて身に付くものであるが、不幸なことに戦後の日本社会は、アメリカへのキャッチアップ型社会として進展したために、自ら考えないままに兎に角模倣一途でやって来たのである。がこれからは個人も社会も「考える行為を重視しなければ立ち行かなくなるのである。
<若ものへの期待>
・上記日経記事には「若ものは未来からの使者だ」とある。しかし上記の如き若ものが拓く日本の未来にどのような展望が期待できるのであろうか。だが日経紙には、「高揚感に包まれる日もあれば無力感に包まれる日もある。谷川俊太郎の詩集からは、そんな18歳の揺れ動く気持ちが伝わる」ともある。いずれ只今の若ものたちもそれぞれに自らの高揚感に包まれて然るべき道(未知)を模索しながら逞しく歩み始めることを望みたい。その意味でも今回の選挙での18,19歳の諸君の投票率に着目したい。(H28.7.10記)
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