Q坂本幸雄 2017.5.20投稿
「昔の侍の短刀」
―尾崎将司の「武士として死にたい」(文春H29.6月号掲載)を読んで―
・この記事で尾崎は語っている。「昔の侍は、長い刀と短刀をさしていた。その短刀にいい刀をさしているのは自分が切腹するときに、こんないい刀で切腹できたという自分の誇りのためであったのだ」と。
・文芸春秋H29年6月号10pの上記記事を読み、ゴルフ界で一世を風靡したあのジャンボ尾崎の、そのゴルフへの烈々たる情熱に感銘し、凄まじいばかりのその志を記憶に留めるべく、上記記事を要約した。以下は、その記事に読み取れる彼自身が語る尾崎語録である。
➀超鈍感と超敏感
・現役時代、尾崎と青木功は、超敏感と超鈍感と呼ばれていたと言う。これについて尾崎自身は、この評価は当たっていたと思うよ、と次のように話している。青木は、ジャック・ニクラウスとの初対面の時でもポンと相手の肩を叩いて「ハーイ、ジャック」と言ってのけることなど全く平気だったが、俺にはあんなことはとてもできなかった。自分は野球部で先輩・後輩の礼儀作法が染み付いているから、ニクラウスの前に立ったら直立不動の姿勢で深く頭を下げたものだった。
②尾崎の赫赫たるゴルフ界での成果と世界ゴルフ殿堂入りでの戸惑い
・記事には、これまでのゴルフ人生で通算113勝を挙げ、生涯獲得賞金額26億円は断トツのトップである事実を取り上げながら、2010年に、尾崎が日本のゴルフに貢献したとして世界ゴルフ殿堂入りが決まった時に、即座に「自分は世界で結果を残していないのに」と戸惑いの表情を見せた、とある。
・そしてその時の率直な気持ちを彼は次のように語っている。自分にはゴルフで日本一になるという意識は強くあったが、世界で自分が頑張る姿を見せたいという気持ちは全然なかった。それに、「われわれ団塊の世代は、日本が苦しんでいた時に、この国を何とかしたいと言う気持ちを強く持っていたから、日本というものが常に頭にあった。だから俺も“日本で一番になる”との思いは強く持っていた。
・だが、別に世界で自分が頑張る姿を見せたいなどという思いは些かも持っていなかった。それに長い時間飛行機に乗っているのが嫌いだし、外国での食生活も嫌だし、言葉も嫌だった。外人プレイヤーに声をかけられても答えられない。外国に行っても、時差ぼけで、毎晩睡眠薬を飲んでいたのである、と語っている。
・これは、彼が国内では青木や中嶋と比べても無類の強さを発揮しながら、世界では勝てず「内弁慶」と揶揄されていた所以であろうか。
③老いてなお生涯一現役のゴルファーとして生きる姿勢
・プロゴルファーは一定の実績があれば、五十歳からはシニアツアーに参加できる。そのシニアツアーはコースの距離も短く、グリーンの芝も体に優しく柔らか目である。かってライバルであった青木も中嶋もすでに主戦場をシニアに移している。そんな状況について尾崎は語る。「あの男たちは、下山しながら、いろんなことをやれるじゃん。解説したり、講演したり。うまく方向転回して人生をエンジョイしている。でも俺は、そんな新しい人生は歩めない」
・尾崎には、25勝以上優勝しているプレイヤーに与えられる永久シード権がある。しかしシニアには出ないと公言している尾崎は、今もレギュラーツアーにのみ参戦している。そこに「老いてなお、一現役プレイヤーを貫こう」との尾崎の心意気を感じるのである。
④体力の衰えと技術的悩みとの闘い
・そんな尾崎も、当然のことながら体力の衰えに遭遇しているのである。この記事には、尾崎が十年ちょっと前に脊椎狭窄症になって手術も二回行ない、プレー中2,3百mも歩くと、うずくまらなくちゃならない状態にも陥ったとも書かれている。そのため若い時のようにグリーンをスタスタ歩けなくなっただけでなく、その上、長年精神的過酷な環境でゴルフを続けているプレイヤーが必ずかかる病気で、一種の精神障害とも言われるイップス(パターがスムースに動かせない)に何回も悩まされながら今もなおゴルフにうち込んでいる、と語っている。
・そんなことなどについて、彼は次のよう話している。「野球のイチローにしても松井にしても、超一流と呼ばれるプレイヤー、天才と呼ばれる人は、本当は天才ではなく、練習方法を知っており、その手段の構築が天才なのであり、それだけ個性的人間・・・というか、一種の変人なのだ。そう言われるぐらいでないとわからない分野があるんだよ」
⑤この10年間の成績低迷の屈辱
・そんななかで生涯一現役という強い姿勢を維持している尾崎も、この10年間の成績については、「屈辱もいいところだね。醜態をさらけ出してさ。こんなこと今までの人生で味わったことないよ。ゴルフだけは絶対に負けられないという誇りと信念を持っていた人間だから。ここ二、三年、いつもセカンドオーナーだしね。ほんと、つまんねーよ。つまんないのに、なぜやるんだろうね」と話しながら、そのもどかしさを「体も初日ワンラウンドは動くんだよ。でも二日目、三日目とだんだん、だんだんと悪くなるんだよ」と自嘲気味に語っている。
⑥自分にはゴルフしかないという強い信念
・体力も技術も衰え、メンタリティーだけが剥き出しになっているように思われるそんな現在の尾崎に対しは、周りからは「永久シード権の乱用だ」との声も聞こえてくるのであるが、尾崎はそんなことにはお構いなく「俺にはこれしかないからね。簡単な言葉で言えば、ゴルフが好きで好きでしょうがないからな。好きなものを取られたら、奈落の底に落ちてしまう。だから、なんとかゴルフにしがみ付つこうとしているんだろうね。」と語っている。
⑦この対談記事のハイライトともいうべき言葉:「いい短刀を買わないと」
・この記事の対談を通じて、自然の摂理に必死に抗う今の尾崎の姿勢に凄みすら感じ取った記者が投げかけた最後の質問は「ゴルフができなくなったら?」という問である。
・尾崎はそれに次のように答えている。「そうなれば俺はゴルフを捨てる。俺には指導するとか、解説するとか、そんなことはできない。ゴルフができなくなったら、俺の人生は99%終わり。ただのおっさん。徳島の田舎の家にでも帰ろうかな。変な話だが、俺はゴルフができなくなったら、腹を切って死のうかと思う。趣味が刀剣なんだよ。」
・記事にはその刀剣について、自宅には一八振りの名刀があると書いてある。ゴルフの18ホールにあやかっての一八振りであり、今でもいい業物が手に入れば一振は誰かに譲って一八振りを維持しているとも書かれている。
・更に対談の記者は、自宅近くの専用の練習場で今も練習に余念のない尾崎に対し「今の練習には"苦"はないか」との質問をたたみ掛けるのである。すると彼は、本気とも冗談ともつかない様子で、その記者に次のように答えている。「修行できなくなったら、人間、だいたい終わりだ。天台宗の千日回峰って修行は、七年間かけてやる。その時に短刀を差しているのは、完遂できなかったときに、自分で死ぬため。俺も、そろそろ、いい短刀を買わないといけないな。日本刀というと、長い、大きい刀をイメージするけれど、昔の侍はいい短刀を求めていた。それは、自分が切腹するときに、こういういい刀で切腹でき、武士として死ねたっていうのを誇りにしたいからなんだよ」
⑧対談を終えての対談記者の結びの言葉
・引退の際の言葉としては「ボロボロになるまで・・・」という表現がよく使われる。が、尾崎はそれをとっくに超えている。もはやゴルファーとして生きることを欲しているのではない。いかに死ぬかを、探しているのである、とこの対談記者は書いて、最後に尾崎自身の言葉を紹介している。「俺は、最近もここで練習している。自分はやはり本当にゴルフが好きなんだなぁと思う。試合の日以外は、朝八時半にはここ(自宅近くの自分の練習場)に来て、自分の練習をやったり、若い人の練習を横から見ている。芝生を眺めているのも好きだし、やはりここは自分のいちばん好きな場所だね」
感想
・尾崎がゴルフに思い込めるその烈々たる志については、もはや何も追記すべきものはない。ゴルフクラブを刀剣に置き換えれば、尾崎の姿勢は昔の武士が剣を極める際の規範とした“武士道”そのものである。
・江戸時代に佐賀藩で書かれた「葉隠」という本がある。三島由紀夫の著書にその本の一つ一つの名言を解説した「葉隠入門」(新潮文庫:221p)という本がある。その中で「一念、一念と重ねて一生」という名言を、三島はその現代語訳として次のように講釈している。『結局のところ重要なのは、現在の一念、つまりひたすらな思いよりほかにはなにもないということである。一念、一念とつみ重ねていって、つまりはそれが一生となるのである。このことに思いつきさえすれば、ほかに忙しいこともなく、さがし求めることも必要なくなり、ただこの一念、つまり、ひたすらな思いを守って暮らすだけである』(171p)。
・上記➀~⑧に見る尾崎の生き様は、将にこの三島由紀夫の「葉隠入門」に説かれている「武士のあるべき規範そのもの」ではなかろうか。
(坂本幸雄 H29.5.15記)
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