2016.6.10(金)
2016.5.20 セッコク(石斛)
20日に藤田君と高尾山に石斛の写真を撮りに行きました。状況は下記。
セッコク石斛は、岩や桜や杉の樹木に根を張り付かせて自生する着生ランです。
写真の背景は高尾山のケーブル駅ホームの桜に植えられているものです。天然のものは
1号路と6号路の登り始めて2,30分の杉の高い所に咲いています。拡大写真は
6号路のもの。花言葉:豊かな笑顔
このとき珍しくアカショウビン(赤翡翠〕の鳴き声も暫く聞こえて、嬉しいことでした。
何年も昔、新潟の山で初めて聞いたのです。背景にチイチイトうるさい鳥の声の名
は分かりません。
おばさんの声も邪魔だが入ってしまいました。 2016.05.20撮影
堀江秀昭Hideaki Horie <hihorie@yb3.so-net.ne.jp>
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2016.5.19投稿
昭和33年卒業Qクラス会の皆様
2016年5月18日 15名が集合したクラス会は、幹事大津奇、森のお二人の設営よろしく、新有楽町ビルB1のニュートーキョウ「さがみ」にて開催。物故者に黙祷を捧げて、スタート。ビールを主体とした美酒に少数精鋭の佳肴との取り合わせも好評で、あっという間の2時間半でした。恒例のスピーチでは多角的な蘊蓄に富んだスピーチがなされ、メモを取った方もおられたようです。来年の元気な再会を誓い合って解散。2次会へは数名が地下の「はまのやパーラー」でビール、コーヒーでした。当日の写真は森さんと堀江が撮ったので、二人のショットをまぜこぜにして画像一覧を造りました。
ただし撮影画像を選別せず入れたので、同じ画像の重複、同一人物の複数回登場があります。
チェックしていませんが撮影に漏れた方が居られましたら、申し訳ないことです。
お詫びします。
これらの画像は、Wクリックで画面に出して、マウス中央のホイールを動かせば拡大されます。ただし、元の画像一枚あたりの画像が大きな拡大に耐える水準の画素数ではないので、途中からJaggyジャギー、つまりビットマップ画像の輪郭に見られる、階段状のギザギザが出るので適当になさって下さい。堀江秀昭 2016.05.19
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2016.3.31 六義園の枝垂桜
皆様
JR駒込駅から徒歩7分の六義(りくぎ)園の枝垂れ櫻を眺めに行きました。
櫻の時期には名所と言う場所は人混みで苦労しますが、六義園もたいへんな雑踏
で、写真に否応なく人の頭がや高く掲げたカメラが映ってしまうため、皆それぞ
れが苦労しています。三脚の据え付けは禁止。でもカメラを取り付けて、三脚を開かず高く掲げることは問題なし。
明るいうちから場所取りしていて、18時過ぎにライトアップされるのを待ち、90分立ち続けました。
六義園のしだれ桜は高さ15メートル、幅約20メートルで樹齢70年。
ライトアップは4月3日まで。
六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷とて造営した大名庭園である。 「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。
六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、その設計は柳沢本人によるものと伝えらる 1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が完成。
以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われ その回数は実に58回。六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。
明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、1938年(昭和13年)に東京市に寄贈され、以後一般公開された。
関東大震災、東京大空襲にも被害受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に至る。
「六義」は漢音では「りくぎ」と読まれていた。詩経』の六義(りくぎ)から園名が名付けられた。
堀江秀昭Hideaki Horie <hihorie@yb3.so-net.ne.jp>2016.04.01
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2016.2.5 丹沢塔ノ岳大倉尾根
7年ぶりの塔ノ岳2016年02月05日、親しい山仲間のSさんと二人、丹沢・塔ノ岳1,491mに登る。大倉から塔ノ岳山頂を一直線に目指すコースで、通称「バカ尾根」と呼ばれる大倉尾根をひたすら登る。途中要所に山荘がある。標高1,370mの花立山荘から雪が積もっていて、山頂は積雪20センチだった。山頂直下になると木製の階段が設置されていて、歩きやすくなる。前日の雨が樹木に凍り付き、これは雨氷(うひょう)と言われ、夕陽に照らされて浮かび上がり、美しい。
登る途中から、調教不足の私は両脚に痛みを感じ、遅れるようになり、健脚の
Sさんに4号瓶(獺祭)と水500 ml を持って貰うなど、ずいぶん助けて戴いた。
塔ノ岳は過去何回も登っていて常連の一人だったが、S さんと二人してでは7回目だ。
7年ものブランクで罰が当たったのだろう。
日没近い時間に尊仏山荘に到着するていたらくだったが、山頂直下で眼前に雨氷と、遙かに富士山のシルエットを眺めることができ、これはご褒美だったが、疲労困憊だった。
山荘主人の花立さんとしっかり握手する。
花立さんは、もぅ塔ノ岳には登っては来ないのかと心配していたメンバーを迎えて大喜びされ、その夜、積もる話は尽きなかった。