「クローン病手記」(野球少年)
匿名希望 14歳 2013年1月19日
匿名希望 14歳 2013年1月19日
野球少年 14歳
はじめに
息子は現在14歳中学3年生です。小学校3年生の時から野球を習い始め、それまでは全くと言っていいほど野球をしたこともキャッチボールをした事もありませんでした。真っ白なゼロからのスタートでしたのでみんなとの差がとても凄く、一日でも早くみんなに追いつきたい一心で無我夢中でした。朝も5時から一人で起きて壁当てをしたり、靴に穴が空くまで素振りをしたり、その姿は見ていて心配になるほどでした。もう程々にしたら?あんまり練習のしすぎも良くないのじゃない?主人と私の口癖でした。頑張れば必ず結果はついてきます。週末グランドに行くたびに、誰が見てもわかるくらい日々上達している様子が一目瞭然でした。そして息子はしみじみ「努力は裏切らない!て言葉は本当だったのだなあ~。」と呟くほどになりました。主人も私もこのような経験が無い為、野球というスポーツの奥深さに感心すると共に、ここには小さな社会が存在している事にも気づきました。息子が野球をやりはじめて私が一番感動したことは、グランドに向かって一礼をする事です。普段家の横の小さなグランドで練習する時にも必ず忘れずやっています。その姿をみる度に野球をやらせて良かったなと思います。息子が野球を始めてくれたお蔭で色々な事を勉強させて貰っています。そして中学に入ると学校の部活ではなく、更に厳しい環境・更に上を目指した野球がやりたい!と言い出し、地域のクラブチーム(硬式野球)へ所属することとなりました。
①突然のお尻の痛み
H23年10月(当時13歳中学2年生)お尻にしこりがあることに違和感を感じ始めました。そして38度の発熱とお尻の激痛を訴えるのですぐに近所の肛門科へ行きました。すると先生は「痔ろうですね。痔ろうはお尻に膿が溜まり、 手術で膿を取り除かなければいけません。この後○○病院を紹介しますので、すぐにそちらへ行って膿を取る手術を受けて下さい」と言われ紹介先の病院ですぐに手術をしてもらいました。「原因は何なのでしょうか?」私がそう訪ねると先生は「赤ちゃんのころに下痢がひどくてよくオムツかぶれをしていませんでしたか?」と聞かれましたが、便秘気味で悩んでいましたのでそのような事は無かった事を伝えると、「あとは運の問題です。普通なら入らない菌が入り込んでしまった為です。拭き方が悪かったとか、外からの問題ではないのでたまたま運が悪かったと言うことです。」と言われてしまいました。
②2回目の手術
その後も定期的に病院へ通い痔ろうの説明をうけました。膿を取ってもらってからは特に痛みもなく傷口も徐々によくなって来ました。しかし色々なタイプの痔がある中で痔ろうだけは薬で治すことが出来ず膿を取る為の手術が必要になる事、そして菌の入り口を塞ぐ為に根治手術が必要である事を聞かされました。それともう一つ気になるのがクローン病の疑いがあると言われたことです。この時初めてこの病名を聞きました。クローン病とは口から肛門まで消化器のどの部分にも炎症が生じる可能性があり、主な症状は腹痛・頻回の下痢・血便・肛門周囲に膿が溜まる痔ろうがあるそうです。そして原因不明の「難病」として指定されています。息子の場合痔ろう以外の症状は特にありませんが年齢がクローン病発症年齢に当てはまっており、大腸内視鏡検査・細胞の顕微鏡検査を受けました。結果異常は見つかりませんでした。なので冬休みを利用して根治手術をする事となりました。しかし手術前日の検査入院の時に又少し膿が溜まっており、血液検査の結果炎症の数値CRPが高かった(2,20)事により、根治手術は見送りになってしまいました。万が一クローン病であった場合に手術を行ってしまうとかえってひどい状態に陥ってしまうそうです。その為、今回は菌が溜まらないようにお尻に穴を開けヒモを通すという処置へと変更になりました。(シートン法)これでしばらく様子を見て、クローン病の疑いが無くなれば次は夏休みを利用して根治手術をする事に決めました。
③大好きな野球
お尻に穴が開いていてヒモが通っている為に、膿や分泌物が出てしまいパンツがどうしても濡れてしまいます。ヒモの結び目も動くと傷口にあたり痛みを感じます。その状態になってまだ10日足らずで野球の冬合宿がありました。 お医者さんは「痛くなければ行ってもてもいいよ」と言ってくれましたがやはり心配です。息子は「大丈夫だから、痛かったらちゃんと休むから!」と言っていうことを聞きません。穴から出る汚れは酷いときでは3枚のパンツとユニフォームまで付いてしまいます。 不便な状態でも誰に当たるわけでも無く文句一つ言いません。野球が大好きであることと、レギュラー目指して試合に出る目標があるからこその頑張りです。正直シミがたくさん付いたパンツを見る度涙が溢れました。そしてその後は特に膿が溜まることもなく、何度か試合にも出れるようになりました。ある試合で息子は高校の監督さんから推薦のお話を頂く事ができました。息子は大喜びでしたが、私としては根治手術が無事に終わるまでは心から喜ぶ事が出来ませんでした。
④3回目の入院
H24年7月(14歳中学3年生)またあの時の痛みが襲いかかりました。 ヒモを通している所とは違うところで痔ろう発生。膿を取る手術がこれで3回目になりました。穴ももう一つあいてしまいヒモは全部で3本になってしまいました。顕微鏡検査の結果はやはり白でしたが、お尻の傷の状態から見るともう典型的なクローン病だと診断をされてしまいました。 2日後には大事な最後の大会、エース番号を背負った最後の晴れ舞台が待っていました。しかしいつもは野球に対して理解を示して下さり応援してくださっていた先生が今回ばかりは試合に出ることも、応援へ行くことも諦めるようにと言います。息子は大会の場所がとても遠いことと、本当に痛みに耐えることが出来ない状態である為、素直に先生の指示に従うことにしました。
⑤みんなごめん!
家に帰り試合に出られなくなった事を監督に連絡を取りました。監督は「大丈夫、大丈夫、もう十分頑張ったから!これからはもう治療に専念したほうがいいな。ずっと痛いのを我慢して頑張って来ていたから神様が少し休むように言っているんだよ。後は高校に焦点を合わせてしっかり治療しないと。母ちゃんがしっかりしないとな!!下向くな!下向くな!」と言ってもらい「下向くな!」の言葉に少し元気と強さを持てました。次の日チームのみんなの所へ行って試合に出られないことを謝りました。前日にこんな事になってしまい本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
⑥クローン病の薬
クローン病の治療の為、肛門科の関連クリニックに行くことになりました。 処方された薬はメサラジン・シプロキサン・リンデロン坐薬です。飲んだその日にすぐに下痢になりました。薬の副作用と思われます。(これらの薬は処方された2週間分しか飲んでいません)正直主人も私も本当に息子がクローン病なのか信用していませんでした。そしてインターネットでクローン病について調べ出したのです。調べれば調べるほど、薬の怖さ、副作用の怖さ、薬を一生飲み続けても決して完治はしない事。出来ることなら薬を飲むのをやめたいと思っている人が居る事も知りました。そこで検索内容を「クローン病・完治」のキーワードで検索したところ、松本医院のホームページに繋がりました。主人は松本先生の病気が治るという理論・体験者の方の手記・先生を批判する人たちの意見、色んな情報を探し出し熟読しました。主人は私にも全部読んで理解をするよう求め、「一日でも早く松本先生の所に行こう!!絶対試してみる価値はあるから!」というのです。読んでいくうちに驚いたのは、「クローン病になる人は真面目で努力家優しい人に多いと言われている。もっとやんちゃになるべきです。」という文章は、まさに息子の性格そのものでした。私も先生の理論に納得し松本医院での治療を受けることに決めました。
⑦松本医院へ
松本医院へ行くことは主人の両親も理解をして下さり、義父も一緒に来てくれる事になりました。私は大阪へは行かず娘と一緒に埼玉の実家へ行き、自分の両親にも松本医院での治療に理解をして貰えるよう説明をし、賛成をしてもらう事が出来ました。 今までの血液検査の結果と、痔ろうの様子、そして野球をやっている事を話すと松本先生は「この血液の値を見ればわかるけど間違えなく悪い事は確かやな~。お前さんは真面目なんやろ~、一生懸命野球をやり過ぎて色々ストレスになったんちゃうか~?!頑張り過ぎはあかんがな~。ストレスホルモンを出し続ける心の持ち方や生活の仕方は変えな治らんで~。オーバーワーク・オーバースタディ・睡眠不足・不規則な生活を続ける限り治らんよ~。病気を治すのは医者でも漢方でもない、自分の免疫力と心で治すんやからよう覚えといてや~。」と言い、確かに主人も私も勉強に対して煩く言ったりはしませんが野球の事になると色々と口出しするのが多くなってしまうことを伝えると先生は「そうやろ~だから野球はやめなあかん!野球を続ける限りストレスが取れんのや~」「この世に治らん病気はないからね~。絶対治してあげるよ!」と言って、主人と息子に力強く握手をして下さったそうです。 そしてやっと私のところへ連絡をくれました。「間違いなくクローン病だって、野球もやめなきゃだめだって。」私は言葉を失いました。「違ったよ」の言葉を期待していたのに、しかも野球をやめなきゃいけないなんて・・・息子の気持ちを思うと涙が溢れ出てきて止まらなくなりました。
⑧「俺なら絶対治せる!」
松本先生の治療は、漢方薬を30分煮出したもの(お茶)を食前・食後の2種類(1日3回)・お灸8箇所(3セット)・傷口の消毒、これを全て毎日、そして週に2・3回薬草を煮出した漢方風呂に1時間以上入る事です。お茶はとにかく苦くて大人の私でも飲みずらいです。 息子は鼻をつまんでその後すぐに100%ジュースを飲んで味を誤魔化して頑張っています。「俺なら絶対治せる!!」と言って毎日のお灸にも耐えています。 息子には目標があります。3ヶ月で治して野球推薦で高校に行くことです。 その目標があるおかげであまり悲観的になることなく、とにかく治す事へ意欲的です。しかし息子はどこまで自分の病気を理解しているのでしょうか!? クローン病というのは10万人に一人の難病であること。今は下痢・腹痛の症状がなくてもいずれ現れるかもしれないこと。痔ろうをこじらせると癌化・人工肛門の恐れもあること。クローン病患者は普通に生活を送ることがどれだけ大変か、普通でいられる事がどれだけ幸せな事か・・・野球をやめなければ治らない事。何度もその事を話してはいますが希望の高校へ行って野球をやることを諦めようとはしません。
⑨○○高校へ絶対に行く!野球をやる!
高校の監督さんは、息子の痔ろうの事は夏休み中に根治手術をして治るという認識をしておりました。しかしそうでは無くなってしまった事をお伝えしなければなりません。果たして「難病」と聞いて、断られたりはしないのだろうか?私も主人も野球を諦めさせなくてはいけないことは十分理解をしておりますが、息子の希望を叶えてあげたい気持ちもどうしても諦めきれません。私は難病でも高校野球をやっている人がいるのか気になり「高校野球・難病」で検索をしてみました。すると柴田章吾さんを知ることが出来ました。彼も野球を小さいときからやっていて守備はピッチャーです。中学3年生でベーチェット病を発症、10校から推薦の話があったそうですが「難病」と聞いて9校が即取消をしたそうです。そしてイチローの母校、愛工大明電高校の倉野監督さんだけは病気を理解して受け入れをしてくれました。そして柴田章吾さんは色々な苦難を乗り越え甲子園出場の夢を果たしました。その時のドキュメントはテレビでも放送されましたしYouTubeで見ることも出来ます。(柴田章吾・密着900日)甲子園に出ることによって同じ病気の人達に夢や希望を与えたかった。と言います。彼は使命を果たしてくれました。私はこのビデオを見て息子と重なる部分が多くとても感動しました。息子に声を掛けてくれた監督さんも倉野監督さんみたいな方だといいのにな、と思いました。
私は息子に「難しい病気だから、もしかしたら断られちゃうかもしれないけど・・・そしたら他の公立高校とかを考えなきゃいけないよね・・・けどさー、○○監督さんから声を掛けて貰えただけでも凄いことじゃん!」というと、息子は「行かなきゃ意味が無いんだよ!行ってちゃんと活躍しないと意味がないでしょー!行かないで終わったらただの自慢じゃん!俺は自慢なんていらないっ!」「俺は絶対病気を治して○○高校に行く!○○高校に行けないのだったら、もう野球はやらない!なんで俺だけ諦めなくちゃいけないの!病気が理由で諦めなくちゃいけないなんて絶対にやだ!小学生の時からどんな気持ちで野球をやって来たかなんてお母さんにもお父さんにもわからないのだよ!!小さいときから夢を持ってそれに向かって努力したことある?!俺の冬合宿の時の頑張りを見ればわかるでしょ!どんな思いで俺が頑張って来ているかわかってよ!!俺は野球をやらない事の方がもの凄いストレスになるよ!!」私は言葉が出ませんでした。出るのは涙と溜息だけです。
⑩その後の体調
松本先生の治療を初めてから約3週間後にまた大阪へ行きました。今度は私と娘も一緒に家族全員で行きました。病院は漢方薬の独特な匂いがしていました。患者さんの手記もたくさんありました。松本先生は「病気は自分で作り、治すのも自分」「自分の免疫力で治すもの!」と言う真実を、病気で苦しんでいる人達に伝えること。それが先生の目指す医者であること。そう言う印象をとても強く受けました。その証拠に私達が大阪に行ったのはまだ2回だけです。その後の対応は全て電話で病状を報告してお薬を送ってもらっています。最近では小さい時からの掛かり付けの小児科の先生に頼んで松本医院の血液検査と成るべく近い内容で検査を御願いして、その結果を送って診断をしてもらっています。私達の住まいが横浜で遠いことからのご配慮です。普通の大きな病院でしたら先生と直接電話で話すと言うようなことはまず不可能です。この事からも先生の患者さんへの愛情、お金儲けの為に病院を宣伝している訳では無いことがわかります。なので息子の病気が良くなって来たら私も必ず先生への恩返しをするために手記を書こうと決めました。
その後の体調ですが、CRP3.65(H23・10月痔ろう発生時)→2.30(H24・8月初めての松本医院)→1.11(H24・9月松本医院2回目)→0.82(H24・10月)と、どんどん数値が下がって行きました。(基準値0.30以下) それと傷口、お腹の様子ですが下痢は相変わらずほとんどありません。食べ物は毎日何を食べたか記録をして体に合わない物を調べていきました。(今のところ特にありません)体重も少しずつ増えて行きます。(現在、身長176センチ・体重66キロ)傷口の方は、治療後1ヶ月弱の時に一度膿の量が増えてきて匂いも周囲の人に気付く位不快な匂いがありました。 私は学校でいじめられないかとても心配でした。制服のズボンも毎日洗ってあげていましたし、担任の先生にも常に色々な事を相談にのってもらい情報共有をしていました。そのお蔭で学校での生活も色々と気に掛けて頂き、心配するような事は特に何も無く毎日元気に過ごしてくれました。 そして気づくと匂いがあまり気にならなくなり、パンツの汚れも随分変わってきました。今では制服のズボンは週末に一回洗ってあげている程度です。
治療を始めて約1ヶ月経った時に松本先生はお尻の糸をもう取って貰うようおっしゃるので、今まで通っていた大腸肛門科の先生へそのことを相談しました。先生は「漢方も否定ではないがよく注意しないとダメだよ。血液の数値だけが全てでは無いからね。糸が入っていても妨げにならないはずだから、本当はもっと痛みが無くなってからのほうがいいのだよ。抜いてしまって入り口があるのに出口の穴が塞がってしまうと又膿が溜まるリスクが高まり最初からやり直しになるから、闇雲になってはいけないよ。」と言われこの日は1本だけ糸を抜いてもらいました。そして先生に「また痛くなったりしたらいつでもすぐに来なさい。お尻の様子はこっちでちゃんと見てあげるからね。」と言って頂けました。肛門科の先生がクローン病の治療を関連クリニックで行わないで、漢方でやっている事に理解をして下さり、その後の対応も変わらず診断して下さる事はありがたかったです。なのでクローン病の治療は松本医院で受けていて、 痔ろうの様子については横浜の大腸肛門科で受診をしています。
その後糸を取ってからちょうど1ヶ月後に37.4度の熱を出しましたが別に風邪と言うわけでも無く元気でしたので松本先生も様子を見るように言われました。息子には特にまだクラススイッチのようなリバウンド的な症状が出ていませんが、少しだけ足の所にカサカサした感じがあり痒みも多少あったそうです。それとこの頃頭からフケが良く出てしょっちゅう頭をかいていました。 一時期おならの匂いがとても臭い時もありましたが、これらは全て一時的なもので今はどれも気にならない程度に変化しています。そして約2ヶ月ちょっとで2本目の糸も取ってもらいました。
⑪またやり直し
その後も特に問題は無く息子はどんどん良くなって来ました。しかし約3ヶ月目(H24・11月)の血液検査の結果がCRP2.20にまた少し戻ってしまいました。糸を全部取ってもらってから20日ほど経ちましたので、また肛門科の診察を受けに行きました。すると少し膿が溜まっていて今すぐ手術をして膿を取り除くと言う程ではないけれど、本当なら又糸を入れた方がよいと言われてしまいました。入り口が残っていて出口が塞がる事の説明を聞き不安になり、 この時に色んな手記をまた読み直して見ましたが糸を取ってもらってからの様子について書いてくれている人が見つかりませんでした。皆さんがその後も再発が無く順調なのか、完治してどのくらいが経っているのか、もっとその後の手記があってもいいのになと思いました。
実際に膿が少し溜まっていて触ると痛みもあると言うので、又糸を入れる事にしました。そして今現在糸が2本入ってしまった状態なのですが、処置の後に先生からの説明がありました。「これは根治手術とは違いますが、クローン病が良くなって来た人への次のスッテップとしての提案です。今は穴が3つ空いていますが、その3箇所の部分の皮膚(約10×5cm)を切除します。そうすると約一週間から三週間で傷が治る原理と一緒で新しい皮膚が再生されてきます。その事によって今よりも糸を随分短くする事が出来るかもしれないし本人の負担も楽になるはずです。(切開開放術)ただクローン病の治療はこちらでは無く大阪でされているのでどこまで良くなって来ているかがわからないのですが様子はいかがですか?」と言われました。私はクローン病の様子は明らかに変化があることを説明して、主人と相談することにしました。主人にその事を伝えると、「ダメだよ絶対切るのは良くないよ!!ちゃんと松本先生の屈理を理解すればわかるよね。今までに手術して切った人がみんなうまくいってなくて悩んでる手記もちゃんと読んだでしょ!」といい、一瞬その提案に納得してしまいそうな私は凄く怒られてしまいました。しかしその説明の前提には、「クローン病が良くなって来たとみられる人への提案」と言っていたので、私はその事を踏まえて松本先生に相談の電話をしてみました。すると先生は「ダメだよ切ったらあかんよー!手術をせーへんでも余計な糸を取ってしまえばちゃんと穴は塞がるから大丈夫やでー。ちゃんと入り口と出口の両方とも塞がるからねー」と言ってくれて安心できました。
⑫好転・完治へ向けての第一歩!
H24・12月血液検査の結果はCRP0.58今までで一番下がっていました。その結果を持って手術を断る為にまた診察に行きました。すると先生は診察をした後に「凄く良くなって来ているね。心配していた空洞もどんどん狭まってきていて良い状態になってきています。今の漢方の治療があっているみたいですね。なのでこの前の話は取りやめです。手術はしないでこのまま様子をみて更に良くなってくれば糸を1本外しましょう。2本目を取るまでには少し時間がかかる人が多いですが、無理せず段階を追って行く方がいいと思います。だからもう一度2・3週間後に来て下さい」と言われました。糸を入れた事によって中の様子が分かったのだと思いました。血液の数値だけで無く痔ろうの様子も本当に改善されてきている事が分かりとても嬉しくなりました。そして肛門科の医院長先生も松本医院での治療の効果を驚かれていた事に嬉しくなりました。この事で松本先生の理論が正しいことが証明されました。なのでこの時点で中間報告を書ける事が出来たのですが、実は松本先生には本当に申し訳無いのですが、この手記を使って先生にご報告しなければならない事があります。電話ではどうしても真剣に考えた結果をお伝えできないと思いましたので・・・もう一つお伝えしたい事実があります。それは息子の野球の事です。そのことをどうしても先生に分かって欲しくて手記を書きました。
⑬心と体は一体
高校の野球推薦の話の続きですが、その後監督さんに病気の事を話し、松本医院で治療をしている事も話しました。すると理解をしてくださり推薦を取り消されるような事にはなりませんでした。校長先生も受け入れを否定するのでは無いのだけれど本当に予定通りうちの学校に来ることが本人の為になるのかどうか、無理して続ける事によってかえって辛い思いをさせてしまうのでは無いか、良く考えるよう時間を与えてくれました。 「難病」と聞いても、道を閉ざさず希望の扉を開いて頂けた事にとても感動と感謝の気持ちでいっぱいになりました。 そして家族で何度も話し合いをしました。主人は息子に「せっかく良くなって来ているけど、ここで野球を続けたらたぶん又再発すると思うよ。痛くてどうしようも無いあの痛みが又襲って来るんだよ、高校生になったら毎日練習があるから治す暇だってないし、痛くても練習に参加しないとダメだし今度はみんなに病気の事も隠してはおけないよ。ちゃんとカミングアウトしないとやっていけないよ。そしたら中にはからかったりする子も居るかもよ。」可哀想だけれども起こりうる最悪な状況を色々想像して話し合いをしました。それでも息子は「大丈夫!ちゃんと高校に行っても松本先生のお茶もお灸も続けるし、最悪はみんなに言うのだって平気だし、いじめられても気にしないし野球が思うように出来なくなっても、スコア付けたり、トス上げしたり、ピッチングマシーンに玉を入れたり、グランド整備したり、その時に出来る事を何でもやるから大丈夫!でもそうならないように頑張るし、それに○○高校の○○監督の野球を見られるだけでも、もの凄く価値の有る事だと思えるし!」相変わらず少しも不安な様子は見せません。最初から行く気満々な気持ちに1ミリのブレも有りません。現に息子は○○高校に入る為だけに本当に強い意志を持って『病気を治す!』と頑張って来ました。その気持ちがあったからこそここまで順調に治って来たのだと思います。
そしてその時ちょうどテレビで野球のドラフト会議の特番をやっていました。息子と一緒に見ていましたが、中には難病を乗り越えてきた選手もいました。親子で壮絶な苦労を乗り越え夢に向かって諦めず頑張っている姿を見て息子は、「俺もどんなに大変でも乗り越えて、こんな風になりたいなー。ドラフトに出てプロを目指して頑張りたい!俺にも病気の事があるからドラフトに出たら松本先生の事も教えられるし!同じ病気の人に勇気も与えられる。だから絶対○○高校に行って野球をやるのだ!!」と言っていました。私もこのテレビを見て心が動かされました。心と体は一体である事、強い思いがあれば体も答えてくれる事、息子と一緒に証明できたらいいな・・・と思いました。
⑭ストレスの原因
クローン病の発症原因の一つに「ストレス」があります。その原因を突き止めてそれを取り除かなければなりません。何が一番のストレスになったかの話し合いをしました。色々ありますが出てくる答えは野球の事しかありません。その中の一つに「なんで練習しないの?」「もっと走りなよ!」「そんなんじゃ知らないよ」「昔はあんなにやっていたのに」主人と私でかけた言葉です。野球を始めた頃のあの印象が強い為に、テレビを見たりゲームをしたりダラダラした様子を見ると黙ってはいられなくなります。もっと努力をするよう追い詰めていました。きっとその事が、かなりのストレスになったに違いありません。
⑮揺れ動く葛藤の日々
高校の推薦入学の事があったので血液検査は一ヶ月ごとまめに取っていました。そしてあまりにも基準値よりも高い場合は「諦めないといけないよ。」と息子に言い聞かせていました。スポーツ推薦の第一条件は、「健康な体で思い切り野球がやれること!」これは無条件で常識な事だと思いましたので、理解をさせて来ました。 そして順調に数値は下がりCRP0.8まで下がりましたが、その後の結果が2.2にまた上がってしまった時には息子もかなりショックを受けていました。 「なんで俺だけ、なんで俺だけこんな目にあわなきゃいけないのだよ・・・」とお風呂の中ですすり泣く声が聞こえてきました。けれど私の前では絶対に弱みを見せません。「絶対に諦めない!」その姿は徹底して崩しません。私も正直息子がこの病気になってからは毎日のようにお風呂で泣いていました。そしてその度に以前監督が言ってくれた「下向くな!下向くな!」の言葉に励まされ前に進むよう自分に言い聞かせて来ました。そして辛くてもいつも通りの母でいるよう笑顔でいる事にも心掛けていました。
⑯「迷ったらやってみればいいじゃん!」
数値が上がってしまった事を高校の監督さんに伝えるのと、そろそろどうするのか返事を出さなければいけない時期になってしまいました。本当にどうしたら良いのか困ってしまいやはり諦めさせる方向で進めるべきなのか、と悩んでいた時に高校の監督さんから電話が掛かって来ました。数値が上がってしまった事を説明し色々と不安に思っていることも聞いて頂きました。すると監督さんは「心配に思うお気持ちは凄く良くわかります。けど自分は子供達にいつも『迷ったらやってみればいいじゃん!』と言っているんですよ。それと妄想で後悔するのが大嫌いで、そうなると必ず岐路の時点に戻ってあの時もしこうしていたら、って思うじゃないですか。僕はそれが大嫌いなのです。だから息子さんももし他の高校へ行ったら色んな事を妄想して岐路に戻って振り返る事になると思うのですよ。だけどご両親が万が一の覚悟を持っていれば出来るところまでやらせてあげる事が出来るのではないでしょうか?勿論3年間続ける事が大切ですが、そうならない為にも色々サポートをしていくつもりですし、 その準備も持っているつもりです。」と、まだまだ色々な話をして下さいました。そして「もしみんなで話し合った結果がダメだとしたらどうやって彼を説得するつもりでいるのですか?」と言われ、それが今一番の悩みです。諦める事に納得が出来る訳がありません。すると監督さんが「もしその時には僕が話をします。僕から○○君に話しをさせて下さい。僕から印籠を出しますので・・・」とそんな事まで言って下さった事に凄く驚きました。色々な事を本当に親身に考えてくださる対応に、もう息子の行く高校はここでしかないと私も強く望む気持ちが込み上げてきました。 監督さんと話した内容を義母の所へも連絡をしました。すると義母は「良かったー。実は初めはやっぱり反対だったけど、やっぱり野球は続けた方がいいのじゃないかと思って、○○○○から野球を取っちゃったら何もかもやる気をなくして腐っちゃうんじゃないかしらと思って電話しようと思ってたのよ。そんなに良い監督さんなら良かったじゃない。これも何かの縁なのだからこのご縁を大切にした方がいいわよー。」と言って貰えました。勿論主人も納得です。
⑰「努力は裏切らない!」
と言うわけで、松本先生にご相談出来ないまま野球を続ける道を選んでしまいました。そして手記の場を借りてのご報告になりました事、お詫び致します。先生の言う「野球を諦めなければ良くならない」の意見に反してしまいましたが「諦めないと病気は治らない」を当てはめるのなら、私達両親が「諦めます!」息子に対してもっともっと上を目指して頑張るよう求めるのではなく、野球を始めた頃の『素直な気持ち』に戻ってくれるよう願う事に心を変えて、「頑張らなきゃ!知らないよ!」の言葉を封印します! それと手記に載っていた先生のコメントにこんな言葉も見つけました。「自分で物事を選択し責任を持つことが出来れば膠原病の全ては治ってしまいます。」という文章があります。息子はまだ14歳、小学校3年生で「努力は裏切らない!」を身を持って体験しました。それからもずっと夢を大切に真剣に取り組んできています。夢を持った14歳の少年が健康と夢どちらを選ぶと聞けば、おそらく夢を取る人も多いのではないでしょうか?自分がもし息子と同じ立場で同じ年齢だったら、やはり息子と同じ選択をします。主人も私も息子と同じ立場・同じ年齢に入れ替わって初めて色々な事が見えて来ました。とても悩み大変な決断でしたが最初から最後まで変わらぬ決断を持っていたのは息子本人です。 自分で決めた道です。自分で選んだと言う自覚と、誇りと、責任を持ってくれるよう。私達は暖かく見守る事に決めました。この決断はきっと本人にとってもいずれ大きな人生の糧になることと信じています。だから松本先生お願いです。どうか息子の事を見捨てずこれからも先生の治療を続けさせて下さい。そしてこの先も息子がどうなって行くかの手記を書き続けます。なのでこの手記は第一章とさせて頂きます。
さいごに
息子の様に心で感じた嫌な思いがストレスとなり、病気となって体が素直に反応してしまいました。ならば心で感じた「絶対こうなりたい!」と願う強い気持ちがあれば、それも素直に体が反応してくれるのではないでしょうか? 松本先生の言う通り「病気をつくるのも、治すのも自分の心次第!」だと思います。息子はあえて厳しい道のりを選びました。健康な生活を送るための近道を行くのではなく、困難を覚悟の上で夢へ向かう道を選びました。長い道のりになるかもしれませんが、息子が初めて野球を教わった時の気持ち、グランドに一礼する心、目には見えない感謝の気持ちを持っていれば、困難にぶち当たっても病気のせいにするのでは無く、心の持ち方、考え方を変えて乗り越えて行けると思います。息子がその事に気づいてくれるよう、私達は更に大きな心で見守る事が重要なのだと思います。息子がこの病気になって松本先生との出会いがあり、先生の理論を理解したからこそ、このような思いで現実と向き合って行こうと思うことが出来ました。厳しくするのも愛情ですし、黙って見守る事も愛情です。どちらも簡単な事ではありません。私達にも努力が必要です。だからこそ松本先生の治療は家族も勿論のこと、息子を支える全ての人に理解が必要だと思いました。主人と私の両親も先生の事を理解して貰えて本当に良かったです。そして私達がこのように思えるようになれたのは、自分の両親がしてきてくれた事を今となって気付く事が出来たからです。
とても長い手記になってしまいましたが最後まで読んで下った方が居ましたらお願いがあります。どうか息子の事を応援して下さい。そして同じ病気で苦しんでいる方、松本医院での治療を悩んでいる方がおりましたら、まずは先生の理論、色々な方の手記を読み尽くしてみて下さい。そして納得が出来ましたら是非大阪へ行ってみて下さい。松本先生の治療は漢方の力を借りてその手助けをして下さっています。私の息子のように『自分を信じて自分に負けないで下さい。』 松本先生どうぞこれからも宜しくお願い致します。