「僕の様々な価値観を変えたクローン病」
匿名希望 15 歳
2016 年 7 月 3 日
匿名希望 15 歳
2016 年 7 月 3 日
【はじめに】
これまでに2度、すでに母が母視点の手記を書いておりますが、この手記は本人である僕が僕の視点で書きました。事細かく記録はしていないため、母の書いた手記とは少し異なる部分もあると思いますが、ご了承下さい。また、主観的に書いてあるため長い手記となってしまいましたが、最後まで読んでいただけたら幸いです。
【発症~入院まで】
5月下旬に中学校最後の体育祭が終わり、6月半ばにある期末試験に向けて机に向かっていると、右下腹部の異変に気付いた。痛みとは違い、違和感と表現した方が正しいといった感じだった。押すと軽い痛みがある。身体の異変には過剰に反応する性格だったから、この時も「虫垂炎」や「憩室炎」などといった名前しか知らないけれども大変な病気だと、勝手に自己判断してしまった。その夜、母に相談すると、「とりあえず医者に診てもらえば?」と言われたので、5日後の土曜日の午前中にかかりつけの小児科を不安な気持ちで受診した。診断結果はこうだった。
・最近流行っているウイルス性の腸炎だ。
・整腸剤などを処方するから1週間飲んで様子をみてくれ。
記憶を頼りに書いているので曖昧なところもあるが、大体このようなことを言われた。医者に診てもらいホッとしながらその後の1週間、薬を服用した。1週間すると、右下腹部を押しても痛みは出なくなった。しかし、その代わりに腹痛が出始めた。今までの人生で、腹痛は(形状問わず)便を出したいときとお腹が冷えた時しかなかったので、心配性な僕はまたしても焦った。が、この時は「医者に診てもらった後」だったので、軽くみてしまった。ほっとけば治るだろうと思ってしまったのだ。今思えばこの時にもう一度受診していれば・・・と悔やまれる。ただ、僕はこの時、弱い腹痛よりも6月半ばにある期末試験のことであたまが一杯だったので、腹痛など意識の外にあった。そして期末試験が終わった後も夏休みが楽しみで、腹痛など特に気にせず学校生活を送っていた。そして夏休み。僕は受験生ということもあって、毎日5時間は勉強していた。もともと長時間勉強しないタイプの中学生だったので結構無理をしていたと思う。それも第一志望の「公立」高校に入る、という目標を達成するために。僕は3兄弟の長男なので、金銭的な理由から絶対公立高校に入ると決めていた。絶対に落ちることはできない。そう自分を奮い立たせて毎日机に向かっていた。この時すでに腹痛はだいぶ強くなり、便もゆるくなっていた。夏休みの半分を過ぎた8月上旬、夕飯の後、急に気持ちが悪くなった。ついさっき食べたものが喉の半分くらいまで戻ってきているような感覚だった。吐き気など久しぶりで、焦り、とにかく吐いてはだめだと我慢した。しかしこの日を境に、夕食後には必ずといっていいほど強烈な吐き気がきた。それと同時に、食事中にも、あのいつもの腹痛がくるようになった。腹痛が来たらご飯は食べられない。一度箸を置いて、腹痛がおさまるのを待ち、そしてまた食事を再開する、ということが当たり前になった。これには流石におかしいと思ったのか、父が「市立病院に行ったら?」と言ってくれたのだが、楽観的に考えていた僕は、「平気、平気ー。」と軽く流してしまった。ちょうど模擬試験が終わった8月下旬、ついに腹痛が本気を出してきた。夜寝ているときも襲ってくるようになった。夜に5、6回目が覚めるのも当たり前になった。しかしここまでくると、流石に僕もマズイと思った。この大事な時期に体調を崩すわけにはいかない・・・。(正確にはもう崩していたが。)そう思った僕は夏休み最後の週に、胃腸科を受診した。そこでの診断結果はこうだった。
・夏の暑さからくる消化不良でしょう。
・消化の良い食事をして下さい。
・乳酸菌を積極的に摂って下さい。
・整腸剤を服用して下さい。
とのことだった。言われた通りにしたが、あまり症状は改善しなかった。整腸剤のおかげで下痢だけはおさまった。しかし腹痛は日を増すごとに強くなり、吐き気も夕食後には必ずきていた。なにかがおかしい。そう思いながら、僕は二学期の始業式を迎えた。二学期が始まっても症状は変わらず出続けていた。しかし何故か学校では出なかった。不思議に思いながらも「これはラッキー!」と考え学校生活を送った。9月の中旬、ある日の夜に血便が出た。お腹からの最終警告が来た。これには頭が真っ白になり、一刻も早く病院へ行かなくては、と近所のメディカルクリニックを受診した。すると・・・
・消化不良の症状ではない。
・一度検査を受けるために市立病院に紹介状を書くから受診してくれ。
と言われた。さらに焦った。検査という言葉が聞き慣れないせいもあり、純粋に怖く感じたからだ。そして2日後の月曜日、僕は初めて中学校を休み、市立病院を母と受診した。初めて行く市立病院は怖かった。そしてその広さになによりも驚いた。その日受けた検査は以下の通り。
・血液検査・尿検査・CT 検査(造影剤無し)・エコー検査・心電図検査
これらを半日かけて受けたが、結果がすぐには出ないものもあるので、また2日後に受診してほしいと言われたため、予約をいれて、この日は帰宅した。そして2日後、また学校を休み市立病院を受診した。そこではこのようなことを言われた。
・CRP 値が高いことと、白血球の数値が高いことから、炎症が起きている可能性がある。
・もしかしたら IBD かもしれない。
・精密検査(大腸内視鏡・胃カメラ)をしたいので今日から4日ほど検査入院をしてほしい。
「入院!?」と、この入院という言葉にただただ驚いた。今まで僕も、僕の身近な人も入院をしたことがなかったので勝手がわからなかったからだ。おまけに今日からしろというではないか。しかし、なんとしても原因をはっきりさせたかった僕は、母に入院のための書類を書いてもらい、そのまま小児病棟へ向かった。
【入院~退院まで】
初めて入る病棟は、暗く重い空気だった。特に、僕が入院するのは中学生以下の人のみが入る小児病棟だったので、常に誰かが泣いている声や、親御さんの悲しい顔が、否が応にも耳や目に入ってくる。しかし入院はたったの4日と聞いていたことと、個室を使うことになったことから「まあ4日我慢すればいいか。」とこの時は思っていた。また、個室はパソコンやスマートフォンなどの電子機器が使えるということも大きかった。その日の夕方、父が仕事を早めに切り上げて、入院に必要な荷物を病棟に持ってきてくれた。入院1日目の夜、翌日の大腸内視鏡検査のための下剤を飲み、人生で初めて病室で寝た。翌日の大腸内視鏡検査はすることができなかった。経口腸管洗浄剤を2L 飲むことが出来なかったからである。便が透明にならず、浣腸で腸内洗浄もしたのだが、医師の判断で検査は翌日に繰り下げとなった。入院3日目も昨日と同様、午後3時からの大腸内視鏡検査のために、経口腸管洗浄剤をのみ続けた。昨日から絶食しているということも相まってか、便が透明になり検査が受けられることになった。正直検査は大腸内視鏡検査よりも胃カメラのほうが苦しかった。どちらも初めてする検査だが、胃カメラは検査をしている間、麻酔よりも反射の方が強いせいで常に吐いていた。吐くといっても胃液すら出なかったが。大腸内視鏡は麻酔が効き、寝ている間に終わった。その日の夜、担当の医師が検査結果を伝えに来た。
・胃カメラの検査結果は特に問題なし。
・大腸内視鏡で、大腸にクローン病が原因とみられる潰瘍が見られた。
と言われた。母は真剣に聞いていたが、クローン病の恐ろしさを知らなかった僕は「あ、そうなんだ。」位でしか聞いていなかった。しかし、そんなことよりも僕を驚かしたのは、退院はまだ先にしましょう、という言葉だった。当初の予定と違うではないかと思った僕は、その場で医師に理由を聞いた。すると医師に、小腸やその他合併症のためにさらに検査、診察が必要なので、あと2週間ほど入院してほしいと説明された。そして入院中の食事は、全て経口栄養剤にして、さらにペンタサの服用もしましょう、とも言われた。検査が終わったら退院して、またいつも通り学校生活を送り、美味しいご飯を食べられる、と心を躍らせていた僕にとって、それは地獄に突き落とされたかのような気持ちになる言葉だった。楽しみにしていたシルバーウィークも、病室で過ごすことになった。しかし勝手に退院することもできないので、その決定に従うほかなかった。そして、僕が追加ですることになった検査・診察は以下の通り。
・CT 検査(造影剤有り)・眼科での瞳孔の検査・小腸造影
・肛門科で痔瘻の有無を確認する
シルバーウィーク後の1週間に上記3つの検査・診察の予約を入れてくれた。まずは入院10日目に、造影剤有りの CT 検査。これは、事前に医師から造影剤による副作用の説明があり、その確率は1%と言われていたが、案の定その1%をひいてしまい、検査中に嘔吐してしまったせいで、結果的にとても辛い検査となった。次に入院13日目に眼科の診察。こちらは特に問題なしと言われたので一安心した。最後に入院14日目に小腸造影検査を受けた。この検査は、まさに地獄というにふさわしい程の苦しい検査だった。「この検査を受けなければ死にますよ。」と言われても、検査直後の僕ならば、迷わず死を選んだであろうほどの検査だった。そしてその翌日、上記の検査結果を踏まえての医師からの説明があった。
・小腸造影検査の結果、回盲部に狭窄が見られた。
・同じく小腸造影検査で小腸と回盲部に瘻孔が見られた。
・眼科での診察の結果、目に合併症は見られなかった。
記憶が曖昧なので少し違うかもしれないが、おおよそこのようなことを言われた。この時の僕は、インターネットで調べた知識があったので、狭窄と瘻孔があると言われたことに大変ショックを受けた。どちらも手術が必要と思っていたからだ。さらに医師は、「瘻孔に関しては、まだ不確実なところがあるので大腸造影検査もしたい」と言った。これは予想外だった。やっと全て終わって退院できると思っていた僕は、裏切られたように感じ、このころから医師に対して嫌悪感と疑心を抱くようになった。入院15日目に肛門科で診察をしてもらった。その結果、2か所の痔瘻が認められた。大腸造影検査は入院17日目に受けた。この検査が一番楽だったかもしれない。そしてその2日後、医師からの総合的な説明があった。これを母と二人で聞いた。
・全ての検査結果からしてクローン病に違いない。
・大腸に潰瘍、回盲部に狭窄がある。
・痔瘻が2か所ある。
・ここの病院には IBD の専門の医師がいないので、専門病院に転院するまで絶食(経口栄養剤を飲む)とペンタサの服用を続ける。
・瘻孔は、小腸造影検査では見られたが、大腸造影検査では確認できなかった。
・専門病院に転院するまでここに入院してもらう。
とのことだった。が、明らかにおかしい説明がある。これには母も、母からこの内容を聞いた父も気付いた。瘻孔が確認できなかった?では結局それはあるのかないのか。医師にきいたところ、何やら長々と説明されたが、要約すると「わからない」とのことだった。この時点で何かがおかしいと思った。しかし、僕は気付くのが遅かった。母と比べるとだが。母は僕が CT 造影検査(造影剤有り)を受けていた時に、すでに松本漢方クリニックのホームページに辿り着いていた。そして、後から聞いたが徹夜をしてそこに書いてある松本先生の論文を読み終えていたらしい。しかし、松本漢方クリニックを僕が知るのは退院してからだった。そして入院38日目、ついに待ちに待った退院の日となった。お土産に段ボール箱一杯の経口栄養剤とペンタサを持たされ、帰宅した。10月18日だった。
【某医療研究センター受診】
退院した4日後の10月22日、都内の某医療研究センターの消化器外科を受診した。そこで、医師は「瘻孔の有無が明確ではないので、小腸造影が必要になります。痔瘻もあったようなので、内瘻が無いかの確認のため MRI 検査をします。そのためには一度入院が必要です。」と僕たちに説明した。「小腸造影?ふざけるな。なぜまたやらなくてはならないんだ。」と思った僕は必死に拒否し続けた。その日は「少し考えさせて下さい。」と父が言い、某医療研究センターを後にした。この時、父と母は松本漢方クリニックを受診すると決めていた。そしてその日の夜、僕は今週末に松本漢方クリニックを受診することを父から聞いた。
【松本漢方クリニック受診 1回目】
松本漢方クリニックを受診すると言われたと同時に、しっかりホームページを読んどけよとも言われた。何を言っているのかがわからなかったが、ホームページを閲覧すると、完治の理論や患者の手記が大量にあり、すぐに意味が分かった。松本漢方クリニックを受診するまではあと2日あり、学校も休んでいたので2日間かけてなるべく多くの手記や完治の理論を読んだ。しかし、現在は高校1年生で、生物基礎の教科書に「免疫」の分野があるのでほぼ理解することが出来るが、当時中学3年生で知識が乏しかった僕は、完治の理論を読んでも6割程しか理解することが出来なかった。そんな覚えたての曖昧な知識を持って、松本漢方クリニックを受診した。
松本漢方クリニックの入り口の扉を開けると、靴を脱ぐ前に僕たちはまず手で鼻を覆った。今までに嗅いだことのない独特の臭いに、僕たちは驚かされた。受付を済ませ、尿検査のための採尿を終えると、早速病院に置いてある手記を読んで診察の順番を待った。そこには、クローン病以外にもたくさんの種類の病気の手記があった。1時間ほど待つと名前が呼ばれ、家族5人で松本先生と初対面した。他の患者さんの手記に書いてあった通り、とても強烈なしゃべり方の先生で、僕は少し気圧された。先生とは診察のなかで何回か握手をし、僕は正直うれしかった。ここまで安心させてくれた医師は初めてだった。診察も終盤にさしかかった時、先生に「いま一番つらいことは何や?」と聞かれた。話は少し前後するが、僕は9月16日からお茶と経口栄養剤しか口にしておらず、食べ物を見るたびに行き場のない怒りを感じていた。しかし、その感情もこの時は諦めの感情に変わっていた。なので、「固形物が食べられないことです。」と答えた。すると、「何言うとるねん。何食べてもいい。」と言われ思わず涙が出た。とにかく嬉しかった。今まで我慢したのが、今報われたと思った。斯くして医師の許可をもらった僕は、診察と鍼灸が終わった後、松本漢方クリニックの近くのうどん屋に入り、約40日ぶりに経口栄養剤でもなく、お茶でもない味を舌で感じた。思わず笑みがこぼれた。「食べられる」とはこんなにも素晴らしいことなのかと痛感した。同時に、絶対に免疫抑制剤やステロイドは使わないと心に決めた。
【壮絶なリバウンド】
ペンタサを数週間しか飲んでいなかったからか、漢方を飲み始めて2日でリバウンドが来た。腹痛と下痢、嘔吐が僕の主な症状だった。腹痛は、入院する前の5倍位の痛みで、「のたうち回るほど痛い」と形容できる程の痛み。それが数分おきにくるものだから、「これは死んだほうがましではないのか」と思うほどだった。さらに下痢と嘔吐が追い打ちをかけてくる。1日に2回は吐き、10回はトイレに駆け込んでいた。昼夜問わずこの症状が襲って来るため、夜も眠れず、かといって起きていても痛い。薬や漢方茶を飲んでも即効性は感じられない。おまけにいつこの症状がおさまるかは分からない。リバウンド中は何も考えられなかった。ただひたすらに耐えていた。これにさえ耐えられれば治
ると信じていたからだ。
リバウンドが始まってから3週間程たった11月中旬、38°Cの熱が急に出た。その時は熱のせいで頭痛がひどかった為に気が付かなかったが、今思い出してみると、熱が出ていた時は腹痛と嘔吐が全くなかった。また、その熱を境に、地獄のようなリバウンドがおさまった。腹痛は入院前より弱くなり、嘔吐はしなくなった。下痢も1日4回ほどに減った。しかし、食べ過ぎたりハズレの食べ物を食べてしまうと腹痛が強まったり嘔吐してしまった。食べ物には気を付けながら過ごした。
【松本漢方クリニック受診 2回目】
2回目の受診も、1回目と同様に車で6時間かけて行ったのだが、この日は調子が良かったため、スムーズに大阪に着いた。松本漢方クリニックの入り口の扉を開けると、あの臭いがしたのだが、家でいやというほどその臭いを嗅いでいたので、鼻が慣れてしまっていたようだった。待合室で手記を読みながら待っていると、混んでいたからか先に鍼灸の方から呼ばれた。鍼灸が終わるとすぐに僕の名前が呼ばれ、1か月半ぶりに松本先生と対面した。今回も先生に「今一番困っていることは何か。」を聞かれたので、リバウンドが始まってから一回も学校に行けていなかった僕は、「学校に行けないことです。」と答えた。すると先生は食後の漢方を、炎症を抑える&免疫を上げるらしい漢方に変えてくれた。また、お腹が張って苦しいことを伝えると、フラジール錠も処方してくれた。患者の困っている症状を聞いて、それを解消する薬や漢方を処方しつつ免疫を上げ、最終的に治すのが松本先生の治療だと改めて思った。そして最後には「病気を治すのは誰や~!」と聞かれたので、「僕の免疫です。」と答えると「そうや!」と間髪入れずに先生が強い口調で言った。そして先生と力強く握手をして、診察が終わった。診察後採血をして、松本漢方クリニックを後にした。
【三学期始業式まで】
2回目の松本漢方クリニック受診を終えてから、食後の漢方が変わったので期待しながら飲むと、腹痛が弱くなり、しかも腹痛の頻度も減りとても驚いた。食事も1日3回食べても嘔吐することはなかった。しかし、学校に復帰できるまでは回復していなかった為、三学期から学校に行くと決めた。それまではしっかり休んで少しでも免疫を上げようと努力した。12月24日のクリスマスイブの夜に、家族でパーティーをした。調子が良かった僕は、そこで揚げ物(あの有名なおいしいフライドチキンなど)をたらふく食べてしまった。「大丈夫かな・・・」と不安に思いつつ寝ると、案の定夜中に盛大に嘔吐してしまった。そして、その日からまたプチリバウンドがきた。腹痛で思うように動けない日
が続いた。
大晦日になってもまだ痛かった。その日の夜は、笑ってしまうとお尻を叩かれるテレビ番組を家族で観ていたのだが、僕も笑うとそれに誘発されて腹痛が出てしまっていたので、「この人たちは大変だなあ」と自ら体験して感じた。
年が明け、1日たった1月2日、またしても熱が出た。この時も腹痛は全く出なかった。その代わりに熱が苦しかった。熱は1日で下がった。そして熱が下がると、僕は体の異変に気付いた。何をしても腹痛が来ないのだ。思いっきりジャンプをしても、前回りをしても、大声を出しても。何にも増して得難い喜びだった。残りの冬休みは街中のデパートへ行ったり毎回の食事を楽しんだりした。今まで出来なかったことが出来、僕の中では充実した冬休みだった。
一方中学校卒業後の進路は、既に先生方が僕を私立高校に「推薦」してくれると決まっていた。入院してからほとんど勉強出来ていなかった僕が、必死に勉強していた他の受験生と戦っても負けることは目に見えていので、この推薦入試は非常に有り難かった。推薦入試をすることは、公立高校を諦めなければならなかったことを意味するが、私立高校に進むか高校に行かないかの選択だったので、前者を選ぶしかなかった。15歳ながら、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
【三学期開始から卒業まで】
三学期はしっかり登校するぞ!と意気込んでいた僕だったが、2日目に早速ダウンしてしまった。今まで一日中家でゴロゴロし、好きなことをしていたのだ。ただ普通に学校に行くだけでも相当ストレスを感じてしまったのだろう。しかし3日程で回復することが出来た。徐々に体調が良くなるまでにかかる時間が短くなってきたと思った。それからは、遅刻と早退を組み合わせて授業を受けた。2月もこのようにしていたが、休むことはなかった。ストレスに体が慣れてきたのか、外からの刺激をストレスと感じなくなったのかはわからないが、僕は嬉しかった。
3月に入ると、卒業式の練習が始まった。僕も参加したかったが、卒業合唱の練習や卒業証書授与の練習などで立ちっぱなしだったので、練習すべてに参加するのは不可能だった。しかし、先生方がとても気遣ってくれたおかげで、所々ではあるが練習に参加することが出来た。友人たちもいつも通り接してくれたので、ストレスなど一切感じなかった。クローン病の方も落ち着いてきていた。1週間に2日ほど体調が悪くなる日があったが、病気になる前の様な「明るさ」を僕は取り戻せていた。自分の状態を客観的に見ることが少なかった僕も、この段階まで回復してくると、流石に良くなってきたなと思えるようになった。
3月の中旬に卒業式が挙行された。僕の体調も絶好調で、友人たちと変わらず参加できた。卒業式の最中は、友人たちとの思い出よりこれからのことを考えていた。卒業祝いとして、出前をとり、パーティーを家族で行った。揚げ物や消化の悪そうなものばかりだったが、それらを食べても特に腹痛や下痢になることはなかった。食事の楽しみをしみじみ感じた。春休みは高校に向けて、中学三年生の勉強の復習をした。遅れをとり戻さなければ高校に入ったは良いが勉教についていけなくなってしまうと思ったからだ。春休みは3週間ほどあったので、時間はたっぷりあった。
【高校入学から現在(6月25日)まで】
高校は、どんなに腹が痛かろうが下痢がひどかろうが絶対に休まないと決めていた。僕が通うことになった高校は単位制であり、単位が必要数に達しないと進級・卒業ができない規則があったからだ。当時小学3年生程の体力しかなかったので(今も大して変わっていないが)体育が特に心配だった。しかし、それらは杞憂に終わった。先生方はクローン病や僕が今受けている治療について理解してくれ、様々なサポートをしてくれている。見学する時もあるが、心配していた体育も受けられている。通学は電車・バス・徒歩だが、途中で座り込むこともなく、普通の人と同じように通学出来ている。1週間のうち、大体水曜日に欠席してしまう傾向があるので、火曜日はアシクロビルを少し多めに飲むなどして対策をしながら通学している。また、僕の場合「睡眠不足」が一番影響するので、出来るだけ早い時間に寝るようにもしている。
4月の下旬に2泊3日の宿泊行事があり、千葉へ行ったのだが、特にトラブルもなく参加することが出来た。漢方での治療を選択して本当に良かった、と思った。今までに2回あった定期試験も休むことなく受けることが出来、成績もあまり心配しないで平気な点数だった。
【おわりに】
クローン病の症状が出てから1年以上が経ちました。その中でも「腹痛」は初期から出ている症状です。この1年、腹痛がこない日はありません。そして今日もきました。僕は、「腹痛は友達」と思うようにしています。機嫌がいい日もあれば、睡眠不足やストレスを感じて機嫌が悪い日もある、機嫌が悪くなると怒りやすくなる。と形容すると、クローン病やヘルペスウイルスは、どこかヒトと似ているなと感じます。
この治療を始めた時、松本先生に「考え方を変えなさい。周りは気にするな。」と言われました。それからは、周りがどうだろうと他人は他人、自分は自分と思うようにしています。また、人生や食に対する価値観も、病気になる前よりかなり変わったと思います。高校は絶対公立!と考えていた僕でしたが、私立高校に通ってみると私立高校の良さに気付いたりして、これからの人生に多々ある大切な選択は決めつけて選ばずに、色々な角度からみて決めようと思いました。食に対しても、何気なく毎日3回食べていましたが、1か月を超える絶食をして「食べられることの幸せ」を痛感しました。そして、以前よりも食べ物に貪欲になりました。漢方治療を始めた時は、「漢方なんてものホントに効くの?」と半信半疑でしたが、今では「漢方は効く。漢方での治療はやってみるべき。」と自信を持って言えます。最近では調子が良すぎて、自分がクローン病であることを忘れる時すらあります。ここまで僕の体調が良くなったのも、松本先生をはじめとする家族や友人・学校の先生方の協力や理解があってこそだと思います。この治療があとどのくらい続くかは分かりませんが、松本先生や周囲の方々、これからもよろしくお願いいたします。