「クローン病・リウマチ性多発筋痛症・痔瘻・ヘルペス手記」
匿名希望 30歳 2015年6月18日
匿名希望 30歳 2015年6月18日
はじめに
この手記では、私が経験したクローン病の治療に伴う免疫の変化と心の変化について書く。ストレスの原因が家庭にありながら、家族で事業を興そうと奮闘したこの数年間。松本先生の理論を実践し、漢方とお灸と鍼で免疫を上げながらも、最大の課題はストレスを減らせるよう心を変化させることであった。
私が松本先生により導いていただき経験した心と体の変化が、松本漢方クリニックに訪れる新しい患者様の治療の参考になれば良いと思う。
初期症状と原因
私が体の異変に初めて気づいたのは、今から9年前の大学3年の冬だった。当時、私は仮面浪人をして医学部を目指しながら、片道1.5時間の長距離通学をしており、理系の大学の実験レポートをこなす忙しい生活をしていた。私は運動が好きで、身体的な健康には食事も睡眠も自分なりに気をつかっていたが、精神的には、自分の人生の理想と現実に葛藤していた。家では家庭環境が荒れていた。一緒に住んでいる兄も葛藤を抱えていたようで、父と意見がぶつかっては感情が爆発することがたびたび繰り返されていた。学時代から続く家庭
内の抗争に私は弟として耐えて過ごしてきたが、大学で自分自身のアイデンティティが揺れていた時期に、家庭環境が私の精神を蝕んだ。家の中でも、大学でも、また自分自身の中でも常に沸き起こるストレスが、ステロイドホルモンを放出させて免疫を抑制し、リバウンドを何度も繰り返していたのだと思う。
私の免疫は、ついに膠原病へと逆クラススイッチをはじめた。
1月のある日、何気なく入ったトイレでお尻を拭いた紙にわずかに血が付いた。血は少量ではじめは裂肛かと思った。私は痔ならば一時的なものでいずれ治ると思い放置していた。しかし、このときの出血は腸管でIgGによる炎症が起こっていたためと思われる。2ヶ月後の3月には、今度は辛い鍋料理を食べたことがきっかけで急性腸炎に倒れた。それまでは辛いもので調子を崩したことなどなかった。炎症で腸内が傷んでいたのだろう。腸炎で熱が1ヶ月間続いた。この時期はストレスで免疫が弱っていた。その証拠に、小さな傷が治りにくく、化膿してしまう体質が昔に増して強く出ていた。当時は免疫のことに無知だったので、私はごくたまに出る肛門からの血と、小さな傷が化膿して治りづらくなったことを不安に思いながらも、学生生活に支障はなかったので普通の日常を過ごしていた。
時は進んで3年後の2009年10月。私は医学部をあきらめ、理系の大学院の修士1年になっていた。当時は化学の研究をしながら本格的に就職活動にも乗り出した時期だった。身体的には寝不足で疲労を押して過ごしており、精神的には高い緊張感をもって研究と就職活動に邁進していた。しかし、就職という進路が本当は自分には合わないという分裂した思考が頭の中にあり、納得していない思いがストレスを感じやすくさせていたと思う。
ある朝、はっきりとした血便の症状が出た。血は便の上に乗っていて、腸内で少し時間がたったような濃い赤色でねっとりした感じだった。3年前よりも量が多く、ときに血が下痢のようにジャッと出るときもあった。すぐに近くの病院で診察を受けると、内痔核と診断され、強力ポステリザン軟膏(ステロイド)が処方された。この薬は効果を感じなかったが、当時無知だった私は1ヶ月程使ってしまった。このときの出血は内痔核ではなく膠原病による腸管の炎症によるものだったと思われる。11月に今度は歯ぐきが腫れて、親不知歯が炎症を起こした。歯ぐきが化膿し、腫れがあごにまで広がり、顔が膨れて見えた。歯科を受診したが化膿があまりにもひどくセフゾン(抗生物質)やロキソニン(消炎剤)を飲んでも数週間発熱が止まらないので、迷いの末に仕方がなく抜いた。
子供のころから化膿しやすかったが、このときは歯だけでなく、怪我もないのに足のスネや耳の中の粘膜が勝手に炎症を起こし化膿してきており、明らかに異常だった。ステロイドホルモンによる免疫抑制作用によりリンパ球が減っていたのだと思われる。血便と化膿の症状に対処しつつもなんとかスケジュールをこなしていたが、12月についに大学院を休む程の大きな症状が出た。今度は肛門周囲膿瘍で肛門の周りが腫れ上がり、痛さで歩けなくなった。すぐに東京の肛門科医院で切開して膿を出してもらった。この切開はとても痛くて、繰り返し腫れるたびに1ヶ月で4回切開したが、どれも苦痛だった。この病気はしばらくすると痔瘻になると言われ、肛門科医院の先生が血便の症状と合わせてクローン病を疑っていた。私は大腸内視鏡検査を受けた。大腸内視鏡のモニターで自分の大腸内を見てみると、炎症はほとんどなく、敷石像や縦走潰瘍もなかったが、数個のアフタ(口内炎の様な炎症の白い点)があった。大腸内視鏡検査の結果、症状は弱いが痔瘻が併発しているのでクローン病の初期だと言われた。インデラニック坐剤(消炎剤)とセラペプターゼ(消炎剤)を処方され、1ヶ月程使った。このとき私の体の中ではストレスにより、逆クラススイッチが進行し体中のいたるところで炎症を発生させつつ、副腎皮質のステロイドホルモンが骨髄にあるリンパ球の元となる幹細胞を減尐させていたのだと思う。強いストレスと様々な症状で、自分が崩壊していくような感覚がしていた。
松本漢方クリニックを発見
難病とされるクローン病について、家族が総出で調べてくれた。クローン病治療で有名な大病院もあるが、完治が難しく、結局治らないまま何十年も過ごされる方が多いことが、インターネットの情報から容易に読み取れた。それから大学病院に通い手術の度にどんどん短くなっていく小腸を心配している患者さんのブログも見つけた。私は震え上がった。私たちは患者さん達の悲惨な状況に違和感を覚え、とにかく手術をしないで治す方法を探していた。情報を集め始めて1ヶ月ほどすると母がクローン病を完治できる医院があるとホームページを私に見せてくれた。松本漢方クリニックだった。ホームページを読むとすぐにステロイドや医学界のことが書かれており、やっとクローン病治療の本当の姿を教えてくれる先生に辿りつけたと思った。
松本先生の理論は明快だ。クローン病の原因は化学物質である。この化学物質を認識する遺伝子を持った人が、化学物質をアレルギーとして排出するための免疫であるIgEで処理すべきものを、ストレスにより逆クラススイッチを起こし、ウイルスや細菌を殺すための免疫であるIgGで処理してしまうことで、炎症が起こり膠原病を発症する。クローン病や潰瘍性大腸炎は、この化学物質との戦いが腸管で起こったものだ。そして嬉しい事に、殺す必要がない化学物質に対しては、免疫を抑えない限り、必ずクラススイッチをしてIgEの処理に戻るようになっていると言うのだ。
父と母と私は、ホームページでこの理論を一所懸命に学習し、緻密な理論と膨大な手記から分かる完治の実績から、必ずクローン病を治してくれる先生だと確信した。2週間後に大阪に行くことに決めた。
松本先生との出会い
2010年4月、大阪の高槻に着き、松本先生に初めて会ったときのことは今でも思い出す。最初の自己紹介で大学院の名を借りてエリート面をしたら、「君はそんな大学の顔つきじゃない」と言われた。今思い出しても恥ずかしさでニヤニヤしてしまう。私は雷に打たれたようなショックと、後からくる納得を心に感じた。松本先生は、私の精神的な無理を最初の自己紹介の段階で見抜いた。
松本先生の心を見通す目は、言葉は強いが明解で的確だ。その日、諦めが心の負荷を軽くし、無理のない出発点を与え治してくれることを先生は教えてくれた。
この日から5年間、私の自分の心を磨く旅が始まったと言える。当時は、先生に反発するつもりなどまるでなかったが、自分が傷つかない為の臆病な虚栄心が、心の底にあったと振り返って思う。「あきらめろ、エゴを捨てろ、落ちることは上がることや。」当時は深い意味が分からなかったが、いまの私には自分の本質に立ち戻らせてくれ、正しい向上心を持つことでストレスから守ってくれている宝物のような言葉である。
松本先生は知的で鋭い先生だ。医学界が製薬メーカーに支配されている仕組みについても私と家族の目を開かせてくれた。松本先生に出会うまで、資本主義における医学界がこれほど自分にとって危険であるとは気が付かなった。松本先生の目を通せば、世の中のあらゆる仕組みの裏にある真実が見えるようだ。
社会システムの不具合に気が付いていても、正しい行動をする人は稀だ。松本先生は既存の社会システムに屈せず、真実に根ざした行動を取っていらっしゃる。その潔さと積み上げられた実績の確かさに私は心から敬服している。
松本先生の必ず治るというお言葉と、力強い握手が心強かった。
免疫の変化と症状の変化
私のクローン病の症状は、下痢、下血、腹痛と、膠原病熱と言われる毎日続く微熱であった。東京に帰り、さっそく免疫を上げるべく漢方とお灸を始めた。
作った漢方はペットボトルに入れておくようにした。初めて飲む漢方は、噂通りのすごい味だった。飲んだ瞬間、内臓がブルっと震える感じがした。漢方は下痢と下血に対して除々に効いてきた。漢方を飲み始めて数日で、下痢と下血の回数が減った。ほぼ毎日下痢や下血をしていたのが軟便となり、運動などで体に負担が掛かったとき以外は下血することが無くなった。1年の間に下血は何度か経験したが、その度に食間の漢方を出してもらうと3日もたたずに治まった。また下痢の悩みは症状の中で特に大きかったので漢方の効き目のよさは本当に助かった。
お灸は、カマヤのお灸(弱)を購入し、松本漢方クリニックにてペンで印を付けていただいた8箇所のつぼに、毎日3回ずつやった。お灸は非常によく効いている感じがした。治療の初期は、腸管の存在が感じられるような弱い腹痛があったが、お腹のへその両側のつぼにお灸をすると、大腸が気持よくピリピリし改善した。
背中のつぼは、お灸をするととても眠くなるので、夜寝る前の時間にするようにしていた。
膠原病熱は37度程度の微熱が毎日出ていた。この微熱とだるさで動きたくても何もできず大変苦労した。発熱が強いときのみフロモックスを飲むようにしていた。微熱は1年ほど続き、長く苦しめられた症状であった。
治療を進めていく中で現れて大変だったのが、ヘルペスの症状だった。免疫が高まるとヘルペスの症状が出ることは先生の論文を読み理解していたが、自分にここまで沢山の症状が出るとは思ってもみなかった。私は、頭痛、耳鳴り、めまい、肩こり、倦怠感、口内炎、歯肉炎、こむら返り、目の結膜の痛み、みぞおちの痛みを経験した。松本先生の論文にヘルペスの症状を書いてくれてあるので、新しい症状が出る度に確認した。目が痛くなったときは心配だったので先生に電話すると、ヘルペスが原因だと即答してもらい、ベルクスロンを飲むよう言われた。先生に電話するとどんな症状でも自信を持って即答してくれるので、とても安心した。めまいなど人生で初めての症状もあり、あまりの症状の多様さに恐怖を感じたこともあったが、「病気とは異物を排除するときに見られる正しい症状である」という松本先生の言葉を思い出し、免疫を上げて命に関わることなどありえないと信じて冷静に対処した。ヘルペスの症状が出たときにはベルクスロンを飲むことで症状はおさまった。
血液検査の結果は、CRP、血沈が共に高く、アルブミン不足があり、ヘルペスも高かった。アルブミン不足は、腸管からリンパ液が漏出することで起こるという。私は、アミノ酸を意識して増やそうと、食事にタンパク質を多くしていた。また食事では、松本先生のアドバイスで炭水化物を減らすようにしていた。
クローン病の下痢、下血、腹痛は最初の3ヶ月ほどで治まり、膠原病熱が残る状態となった。免疫の増加によるヘルペスとの戦いに対処しながら、自然なクラススイッチによるアトピーの出現を待っていた。最初にアトピーを見つけたのは、治療開始から4ヶ月後だった。足に痒みのあるブツブツが出てきた。
その後、顔、脇の下、股、膝の裏にアトピーが出現した。松本先生の理論どおりの展開に、嬉しさと真実の美しさを感じた。
以下に通院8回、期間10ヶ月目までの血液検査の結果を示す。
家庭環境の悪化と治療の中断
私の治療は2010年から2011年までの1年間と2013年から現在に至る2年間の2回に分かれている。なぜかというと、家庭の経済的な問題で治療が継続できなくなったからだ。私はこの2年間、精神的にも覚悟の時期を過ごした。私は大学院を中退し、事業をやるという自分の道を定めた。家族が事業へと向かう実力を磨いた時期でもあったが、変化を迎えた混乱により幾度となく衝突を繰り返し、家庭内の精神的な負担は大きかった。経済的に厳しい状況を抜け出し、ホッとしたところで、ヘルペスによるリウマチ性多発筋痛症を発症し、私は2013年に再び松本漢方クリニックにて治療を再開した。
再び松本漢方クリニックへ
ストレスの掛かる時期が一段落した2013年の3月頃、ヘルペスによるリウマチ性多発筋痛症が出た。この頃、私は心を意識せずストレスに無防備で過ごしていた。ステロイドホルモンがたくさん放出され免疫が抑制されている間にヘルペスが増殖していたのだ。肩とお尻、大腿部に筋肉痛が出たと思ったら1週間ほどでどんどん悪化し、膝の関節が痛みで曲がらなくなってしまった。人生で初めて経験したリウマチ様の痛みは非常に苦痛であった。足が浮腫むどころか象のように腫れあがり、歩くこともできず自分の足ではないように感じた。
松本先生からを送っていただいた漢方とベルクスロンを飲み、お灸を繰り返すとこれらの症状は5日程度ですぐに消えた。ヘルペスが原因ということを知らなければ、一生悩む病気となっていただろう。松本先生の「真実」の力は本当に素晴らしいと心から実感した。
私はその後、血液検査の結果の改善を目指して、治療を再開した。クローン病の症状は、痔瘻を除いて既にほとんどなかったが、血液検査の結果がよくならない。私は自分の心の問題を解決できずにいる事に悩んでいた。なぜなら治療中断の2年間に家族の問題で強いストレスにさらされ、免疫を悪化させてしまったためだ。状況の改善に毎日奮闘していたが、相変わらず家庭内のストレスは変わらなかった。私は松本先生に会いに行くたびに、ストレス対処の知恵をもらっていた。松本先生は何度かの診察を通して、私の心の変化のきっかけになる大事なお話をしてくれた。
「ストレスを感じるのは、嫉妬が原因だ。嫉妬とは、他人が自分よりも優れているということを恨む気持ちであり、相手を自分の下に貶おとしめる発想である。
嫉妬とは自分のエゴと結びついたものだ。エゴがある人間は必ず嫉妬を感じストレスとなる。人に対する接し方には3種類あり、1.無関心、2.嫉妬、3.共感である。もし自分よりも優れた人や幸福な人に共感することができれば、ストレスは感じなくなる。それが、相手の幸福を自分の幸福のように感じることである。そのためには、エゴを捨てる必要がある。その実践は、成功者に敬意を払うことだ。そして真実を語り実力を磨くこと。」
私は先生のお話を大切にメモし、その意味を考え自分なりに理解し実践してきた。先生のお話で、家庭内の確執の仕組みが見え、自分の未熟さに気がついた。私のエゴがストレスを生んでいることを理解した。いまはストレスを受けないように自分のエゴに気をつけて、感謝の気持ちを育てようとしている。
2015年1月に事業を起こし、家庭の状況も改善し、いまはストレスも以前よりは減ってきている。仕事においても松本先生に教えていただいた心の持ち方が役にたった。エゴからの脱却が、私の出発点となり成長の原動力を与えてくれている。
血液検査の結果は2年かけて改善した。2014年夏からのCRPと血沈の低下には、私の心の変化が反映されているように感じている。免疫を上げるために、これからもストレスを闇雲に生み出さないエゴの少ない心を育てていきたい。
以下に2013-2015年までの血液検査の結果を示す。
痔瘻の展望
現在、私は痔瘻の治療を目的に松本漢方クリニックに通っている。5年前に肛門周囲膿瘍で切開し、それから1次口は一箇所、2次口が4箇所に進行した複雑痔瘻である。
私は痔瘻を肛門括約筋をなるべく傷つけない方法で治したいと考えている。
手術も次善策としては検討しているが、最善なのは内科的なアプローチでの完治だ。
痔瘻はなぜ手術でしか治らないと言われるのか?私は関東圏の何人もの肛門科医に話を聞きにいったが、口をそろえて全員が手術しか手段がないという。
痔瘻の原因の細菌についても知らない。内科で治そうとした事例も知らない。
外科の先生は原因について考えないのだろうかと疑問に思ったほどだ。未だ私のこの疑問は解決していない。
松本先生の『クローン病と診断されたら』に書かれている痔瘻に関する理論は、私が何年も探し求めていたものだった。私はとにかく情報が必要で、自分で手に入る限りの医学論文も探してきたが、痔瘻に内科的にアプローチしている情報は見つけられなかった。それゆえに、私は2014年の冬に発表された松本先生の理論を食い入るように読み込んだ。いまは免疫を上げながら、クロストリジウム・パーフリンジェンス対するメトロニダゾールの長期投与をして痔瘻の様子を見ている。
私の身近には30年前に痔瘻になり、どくだみを使った方法で膿を止めて、今も問題なく過ごしている親類がいる。免疫が高い人は肛門周囲膿瘍の段階で、排膿の切開だけで治る人もいる。赤ちゃんの肛門周囲膿瘍も免疫の力だけで完治する。私が読んだ医学論文では、低位で単発の痔瘻であるようだが、痔瘻を長年未処置で過ごした人達の長期予後を追ってみると、一定数の人は痔瘻が進行せずに、瘻管内に肉が盛り上がり、瘻管がふさがっていると述べられている。
私は以上の例より、絶対に手術でしか治らないことはなく、私のような複雑痔瘻でも、原因が分かり免疫の力を正しく使えば、治らない病気ではないと考えている。
内科的に痔瘻の根治の可能性を示唆してくれているのは松本先生だけである。
私は免疫について勉強しリンパ球の増加を待ちながら、松本先生の知恵を貸していただき痔瘻を完治させたいと真に願っている。
おわりに
私の病気は免疫の正しい働きによるものだ。症状はストレスにより生み出され私を苦しめたが、心の変化をきっかけに免疫が改善し症状もなくなった。この手記を書いているいま、私は5年前とは全く違う心の持ち方をしている。エゴに気づかせてくれた松本先生を私は心から尊敬している。松本先生には病気の治療を通して、体と心に関わる真実を教えていただいた。私は病気になってもなお、自信を持ってこの5年間を前向きに肯定できる。それは松本先生に出会えたからだ。私は未熟であるが、これからも勉強を続け真実に根ざした、人の喜びを盗むことのできるエゴの尐ない心を育ててゆこうと思う。
私は松本先生の真実の医学の発展を心より応援している。世の中で唯一の真実の光として、患者さんの希望となる松本先生は、最高に素晴らしい生き方をされている方だと思う。