「クローン病手記」
匿名希望 20歳 2011年6月7日
匿名希望 20歳 2011年6月7日
1.クローン病の発見と症状
クローン病の症状が出始めたのは大学に入学したばかりのころだった。長時間の電車通学のためだと当時考えていた痔はみるみる成長していき、親にカミングアウトして痔の薬を使うようになってからも悪化していった、電車の椅子は針の筵である、座ろうものなら、あの電車特有の揺れにより、脂汗は止まることを知らないといった状態となる。大学の講義を受ける事すらきつくなるまで悪化した末、ついに耐えきれなくなり名古屋にある肛門科に赴くことになった、そこで痔ろうという衝撃的な宣告を受けることとなる。
さらにその翌日には手術と入院という2重の衝撃を受ける。なおクローン病の名前を知ったのはこの時である。痔ろうがその典型的状態だったそうだ。とにかく早期発見できたのは幸運だった。その後内視鏡やバリウム(小腸を調べるため)の検査により正式にクローン病患者となる。
先にも書いたように自分の場合かなり初期に見つかった痔ろうもまだ軽いほうで、現在では風邪などに罹ったとき少しばかり排便時に出血するだけであり、普段は意識することもほとんどない。下痢や腹痛もなく当時の検査で発見できたのは大腸には虫さされのほどの腫れ数か所と小腸と大腸の継ぎ目にあったほんの小さな潰瘍のみであった。
2.名古屋の病院にて
「一生付き合っていかなければなりません」
その“なりません”はゆっくりと咀嚼するにはあまりにも重い響きであり、私はそのままそれを受け入れることにした。この病気は難病とされ、治す手立てはないが、症状を抑える良い薬があると医者に言われ、レミケードの存在を知った、その時の自分にとってレミケードとは希望であった。薬を飲みレミケードを打って免疫を抑えれば心配はひとまずしなくて良いように思えた、このように単純な思考であった理由はある種の防衛である。
病気のことを考えるということは、それによってもたらされる恐怖とも相対するということである、ねっとりとまとわりついて離れないような死の恐怖の大きさをじっくりと感じ取るということである。私はそれを拒絶した、そしてレミケードとは希望といえる代物ではないことも松本医院でようやく知るのだった。
始めはペンタサを処方された。たいした副作用はないと言われていたのに、38度の熱が出た。風邪やインフルエンザとは全く違った感覚で、動悸や息切れの他に、肩の強い痛みと張りに苛んだそれを見た両親が松本医院を勧めてくれた。副作用が少ないと言われたペンタサでさえこの様子なのだから、レミケードを打つ前に東洋医学に賭けてみてはどうかということであった。
3.松本医院での治療
正直に言えば,初めは信用していなかった。難病を治せるなら,その治療法が既にスタンダードとなっているべきで、クローン病は難病などとは呼ばれることはなくなっているはずだと考えていたためであった。また先述したように、病気について考えることそれ自体を拒否していたためであったかもしれない。このような状態なので、初診時には随分と叱られてしまった。私の場合はどちらかといえば叱られ慣れているので傷ついたということはなかったものの、かなり驚いた。
とにもかくにもこのようにして治療は始まった。もちろんこんな青二才にも先生はちゃんと謝って下さったため、関係が悪いなどということは一切無い。むしろ自分の状態を鑑みる良い機会になったかもしれないと、何となく思うこともある。
毎日飲むのは2種類の煎じ薬であった。1種は膿を外に出すもので、食前と寝る前の1日計4回飲む。もうひとつはクローン病に対しての食後に飲む薬で、1日計3回飲む。後者は苦かったが,苦味は襲来する前に5~10秒ほどのタイムラグがある。その間に口を軽くゆすぎ、砂糖を少し舐めれば何の問題も無い、安心だ。あとは頭痛などがでた時に飲むヘルペスの錠剤に加え、腕と足にできていたアトピー(全く痒くないのでそれまでアトピーだと思っていなかった)と 痔ろうの塗り薬を処方された。
薬以外にはお灸がある。指定されたツボを毎日刺激するのだけれども、これが以外に気持ち良かったりする、興味がある方は様々なツボがあるので、1度試してみてはどうだろうか。
実は最近自分は本当にクローン病なのだろうかと思うことがある。もともと下痢や腹痛はなかったが、痔のほうも痛みを感じることは少ない。血液検査もリンパ球が若干少ないだけで全て正常値である。思えば私は幸運だったクローン病の早期発見、頑なな息子を説得して連れてきてくれた両親の存在、松本医院での適切な治療どれかが欠けていたら今の自分は無かったかもしれない。そして,そのことに関して直接感謝するのは恥ずかしいので、ここに書いておこうと思う、本当にありがとう。
4.最後に
自分にとってこの病は何なのだろう、人を憎み、組織に不満を持っていたことに対するしっぺ返しだろうか。あるいは自分自身の不甲斐なさを痛感したことに起因するのか。もちろん受験も無関係ではないだろう、ストレスと言われれば、20年の人生でも(発症したのは18歳だが)心当たりは山ほどある。 しかし一番の問題は私の未熟さであった、今にして思えば高校を辞めるなり、とことん対話するなり、解決する方法は幾らでもあった。対話したならば、互いに和解できた可能性もあった。しかし、そういったことを自覚できた点を考えれば,クローン病によって私は成長したということも言えるわけで、なんだか不思議な気持ちである. 私はクローン病患者といっても、痔で苦しんだだけである。この事実は早期に適切な治療することの重要性を物語っていると思う。多少疑ってしまうのは人間の性だからどうしようもないけれど、悩んでいるなら一度高槻市まで来てお話だけでも聞いてはいかがだろうか、なぜかと言えば、それはもちろん対話は大切だから。