「クローン病手記」
匿名希望 12 歳 2013 年 10 月 14 日
匿名希望 12 歳 2013 年 10 月 14 日
10 歳 クローン病 完治へ
一年半前、得体の知れない発熱と下痢に怯え真っ暗闇を彷徨っていました。
選んだ病院で子供の人生が大きく変わります。子供が「難病です、一生治りません。悪くなっても良くなることはありません。」と残酷な宣告を受けた時、病院を選ぶのは誰でしょうか。その選択を間違った時、子供の一生はどうなるのでしょう。天国と地獄の選択です。
この手記は、今すぐ松本漢方クリニックに行きたい父親と大学病院で権威ある医師の最先端治療を受けさせたい母親の心の葛藤を綴った手記です。
少し長くなりますが最後まで読んでい頂けると幸いです。
1.発 病
2012 年4月、10 歳の息子がクローン病と診断されました。当時主人は単身赴任で他県におり、私と息子はほとんど母子家庭のような生活でした。
以前から息子の体に異変はありました。夏休み頃から顔色が悪く小柄で華奢な体が一段と細くなったように感じていました。2011 年秋頃、お通じの時間が夜型から朝型に変わり毎日下痢をするようになりました。ただ腹痛や下血はなく、それ程気にしてはいませんでした。
風邪で掛り付けの小児科を受診した時にも、最近毎朝下痢をすることを相談したところ、「成長期によく見られる下痢でアレルギー体質でもあるし、最近、子供に過敏性胃腸炎も増えているから、気になるなら整腸剤と下痢止めを出します。」と言われただけでした。
ただ、その後「クローン病や潰瘍性大腸炎という病気もあるけど、お子さんはまだ 10 歳だし、腹痛も下血もないのだからそれは考え難い。よくある成長に伴う下痢だよ。」と言われたのが気になりました。
私は初めて聞く病名に不安を覚え、帰宅するとすぐにインターネットで調べてはみましたが、その時はまだ息子がクローン病だとは真剣に考えてはいませんでした。
その後も毎朝の下痢が続き、同じ病院を受診し症状の改善が見られないと相談しましたがやはり成長に伴う下痢と言われ血液検査さえすることはありませんでした。この医師は診察を受けるために朝早くから並んで順番待ちをする程の有名な小児科の先生で、私も並んでいる母親の一人でした。
冬が来る頃には、風邪の症状がないのに熱が頻繁に出るようになり、やはりこれは普通ではない、と別の病院に行くことにしました。その病院で今までの経過を話すとすぐに血液検査が実施されました。その結果、CRP と血沈も高くクローン病の可能性が高いので、入院し大腸ファイバーと小腸の X 線検査が必要と言われ、直ぐに主人に連絡を取りました。
この時主人は、その日のうちにインターネットで松本漢方クリニックにヒットし、ホームページを読み松本漢方クリニックに行けば治る、治った、と思ったそうです。
検査の結果は、大腸に少しだけアフターが見られ、小腸は狭窄や糜爛等の症状はなく、「初期のクローン病だろう、しかし、この病院では小児の治療の症例がないので東京の有名な病院を紹介しましょう」と言われました。家に帰ってその病院のホームページを見ると小児の炎症性腸疾患は急激に悪くなるので初期の段階から生物学的製剤の治療で完解に持ち込むこと、また長期に亘り入院する可能性が高いこと、等が書かれてあり、頭の中が真っ白になりました。
当時の私は、出来るだけ名医のいる病院で最先端の治療を受けられるところを必死で探していたのです。単身先の主人からは、松本漢方クリニックのホームページを一度でいいから読むように再三言われていました。しかし私は聞く耳を持たず、家から近い大学病院で炎症性腸疾患協会に名を連ねる名医のいる病院を探し当て、必死で情報を収集していました。
その頃には急激に息子の体調は悪くなり、急に熱が高く出たり、夜中にトイレに駆け込んだりして、いつも下着を汚すようになりました。成長の記録を調べると、1 年前から体重は一キロも増えておらず、身長も全く伸びていなかったのです。もう 1 日も早くなんとかしなくては、と焦る私は、その大学病院に検査の資料を持っていきました。4 月の初め、新学期が始まったばかりの頃でした。
2.入 院
入院した日、担当の医師から、こらからの検査計画を聞きました。
胃カメラ小腸大腸の X 線検査ダブルバルーンによる小腸検査。
その間、下痢を止めるため一か月の絶食、エレンタールの経口摂取、量が増えると鼻注に切り替え、息子は毎日泣いてばかりで、私ももう泣いて過ごすしかありませんでした。
担当の医師が、炎症性腸疾患の総合情報誌 CC JAPAN(CCJ)を持って来て下さいました。特に小児の特集は何度も読みましたが、全てが絶望する内容でした。
小児の発症は再発を繰り返し急激に悪化、手術が必要となる例が多い。また入院が長期に亘るため学校生活が送れない可能性が高く、院内学級に通う子供が多い 等々・・・。もう、目の前が真っ暗で将来に何も希望を持てず、どう生きて行けばいいのかと茫然としました。私は病院中の CCJ を全て読み潰し、ますます頭の中は、大病院の最先端治療へと洗脳されていったのです。
週末、付添いの交代のため、単身赴任先から主人が新幹線で毎週通ってくれていました。松本漢方クリニックのホームページのコピーに黄色やピンクのラインを引き付箋を貼り、まるで一冊の分厚い本のようにして持って来てくれました。コピーの厚さだけでも三センチはありました。主人から「線を引いているところでだけでいいから一度読んでくれ」と言われましたが、解った、と返事をしただけで私は CCJ を読むのに時間を費やして、なかなか読もうとしませんでした。
主人は子供に松本漢方クリニックの患者さんの手記を読み聞かせし、「漢方薬はとっても苦そうだけど、飲んだ後、砂糖を舐めると、飲み易くなるみたいだよ、松本漢方クリニックに行こうね、絶対に治るよ。」と話していたそうです。
3.葛 藤
担当医から、これからの治療法についての説明を受けました。息子は初期の段階なので今のうちに生物学的製剤で完解に持っていく治療が再燃を防ぐ一番の方法であること。自分の子供が同じ病気になったら迷わずこのヒュミラを使う、と自信を持って言われました。私が最も心配する副作用についての説明も受けました。また先生の患者さんで、この治療をし、その後経過はどうなのか、また、悪性リンパ腫になった人は全国にどれくらいいるのか調べて下さいとお願いしました。その結果、先生の患者は 13 歳の女の子でヒュミラの治療を受けているがあまり経過がよくないこと、悪性リンパ腫はみんな 13歳以下の男の子、とあまりにも正直過ぎる説明を受けました。
私の心は大きく揺れ、この選択で子供の一生が大きく変わる、と恐ろしくなりました。その日から寝る間を惜しみ、松本先生の論文や、患者さんの手記を読み、消灯過ぎてはナースステーションの明かりを頼りに読んでいました。私の固い頭にはとても難しい内容でしたが、自分が名医や、最先端の治療法に拘っていた愚かな一般大衆であること、頭の中を一度真っ白にして真実を見極めることが重要であることに気付き始めていました。
クローン病とまだ診断がつく前から探し当て、論文を理解し松本漢方クリニックに行けば治ると確信した主人。私との魂の美しさの違いでしょうか。頑固で疑い深く我の強い私に辛抱強く説得してくれたことに感謝するしありません。
退院が近くなった頃、「どれくらい落ち着いているかを診るために、バルーン法で検査をします。」と言われましたが、松本先生の論文を読んだ後だったので必要な検査とは思えず断りました。そして最後まで、薬物による治療を受けず、絶食とエレンタールのみで退院の日を迎えました。入院から 40 日が経っていました。
担当医から今後の自宅治療の説明と子供が自分の病気を自覚して、これから生活する上での注意事項を説明されました。薬物治療をしなかったので、再燃の可能性が高いこと、一日最低 900kcal の夜間 ED とクローン食によるカロリー制限をし、「次に再燃した場合はヒュミラの治療を行います。」と言われ、「最後はおへそから腸が出てくる可能性もあります。酷くなったら人工肛門になります。」と、子供の息子には過酷過ぎる説明をされました。
息子は後で私に言いました。
「僕は、入院して頑張ったから治って退院出来ると思っていたけど、違うん・・・」。
私は何と言って言いか判らず、「明日、三人で大阪に行こうね」と言いました。
4.松本先生との出会い
次の日、早速大阪に向かいました。午前中、松本漢方クリニックに着くと、まず看護師さんから図式でクローン病の説明を受け血液検査をして頂きました。私が小児のクローン病は劇症化するといわれているので・・・・と口にすると、「はあーそうなんですかあー、ふんっ」と鼻で笑われたのがとても嬉しかったことを覚えています。
松本先生の診察を受け、私たち夫婦が無知ゆえに必要のない薬で子供の病気を作ったこと等、沢山のお叱りを受け、食前食後の漢方煎じ薬、漢方風呂、お灸等、教えて頂き帰りました。実は、小さい頃から息子は特定の食べ物でショック症状を起こし、その度にステロイドの吸引、点滴と飲み薬を使っていたのです。これが原因だったと理解し後悔した瞬間でした。
それでもまだ疑い深い私は、猜疑心を持ったままで夏休みが始まるのを待ち、漢方薬での治療を不安一杯の気持ちのまま始めたのでした。しかし松本先生は神経質で疑い深くそれでいて無知な私をしっかりと見抜いておられました。
時折、電話でのやり取りの中で私の至らなさに罵声を浴びせられました。しかし先生の論文に垣間見える優しさや哲学は、何度も読み返す度に、松本先生との出会いは私達にとって人生が大きく変わる出会いであることに間違いはありませんでした。
現在も経過観察のため大学病院に通っていますが、漢方の治療をするので生物学的製剤は使わない意思表示し、自己負担で抗核抗体、肺サーファクタント、IgA の数値を経過観察しています。「毎回これは何のためにするのかわかりません」と担当医に言われます。私は医学書やクローン病に関する本はどれを見ても合併症としてリウマチ、間質性肺炎、ブドウ膜炎、その他諸々全ての膠原病が書き連ねてあったことから、息子の診断当時、クローン病は膠原病ではないかと考えるようになっていました。それが松本先生との出会いで、私の中で明確になり大学病院では治らない、医原病を新たに作り出し、一生取り返しがつかなくなる、と確信したのです。前述の通り、息子は特定の食べ物でショック症状を起こし、その度にステロイドの吸引、点滴と飲み薬を使っていました。
その結果、知らず知らずに体を蝕み、幼い息子は間質性肺炎の数値が高くなっていたのです。
また、小学校の低学年のときに尿検査が潜血プラスで再検査になったことがあり、幸い再検査ではマイナスで経過観察となったのですが、松本先生に相談した時、「生検をしなくて良かった」と言われました。先生の腎炎についての詳しい論文があります。余計な検査を受けて病名をつけられステロイド治療をせずに済んでいることに安堵しました。大学病院で基準治療や検査を受けていたら、子供の体にこんなことが起こっている等知る術もなく、また薬物療法を選んでいたら、子供は次から次に起こる医原病で取り返しの付かないことになっていたのは間違いありません。「大学病院の担当の先生は、クローン病が膠原病って知っていて黙っているのか、本当に知らないのかしら。」と主人に尋ねると「興味が無いから、知ろうとも想わないのだよ。」と言いました。
5.完 治へ
松本漢方クリニックでの治療の経過ですが、息子は免疫を抑える治療をしていなかったことで、特に激しいリバウンドはなく、熱も腹痛もないまま漢方を始めて二か月位経った頃から体中にアトピーが現れました。その時は、本当に言われる通りになったと驚きました。
手記を書かれた方の中には、薬物による治療をされたにも拘わらず、あっという間に完治された方もおられます。息子は先生から他の病気も見つけて頂いていたのでクローン病の症状はないけれど血沈が最後まで残っていたために治療が長引いてしまいました。あと最も重要なことは、私が治療を始めてからも不安感を拭い切れないまま子供に接していたことです。親がそのような心の持ちようでは子供が良くなる訳がありません。
手記も半年も前に書き溜めておきながら今になってしまいました。
最近、松本先生が
「息子さんのクローン病が治って嬉しいやろ。」
「でも自分の子供だけが治っても全然嬉しいないやろ。」
「苦しんでる人のために手記書いてや。」
「俺に感謝するんやないよ、あんたが読んだ沢山の手記を書いた人に感謝してね。」「ありがとう。」と言われました。
この手記を読まれたお父さんお母さんが、子供のために正しい選択をし、家族が幸せな人生を歩むきっかけになれば幸いです。
最後まで読んで頂いて有難うございました。
~息子より~
初めて病院に行った時、松本先生が、父と母の頭をげんこつで(軽くだったけど)コツンとされた時、僕は悲しくて、泣いてしまいました。でも先生のお蔭で、クローン病が完治し、笑顔で学校に通えています。また修学旅行にも無事に行くことができました。本当にありがとうございました。