「何が正しいのか、耳を傾けて考えるべきでした。(クローン病経過報告)」
23歳男性 2016年11月29日
23歳男性 2016年11月29日
クローン病の初期症状が現れたのは2014年の3月でした。私は高卒で工業系の工場に就職し、公私ともにそこそこ順調な日々を送っていましたが、2013年から新しい仕事を覚えることになったり、リーマンショック以降抑えられていた受注が増えてきたりと、忙しい日々が始まりました。私の仕事は確実に増え、余裕は減りました。とはいっても、あくまで労働基準法を守って行われている仕事ですし、今までの諸先輩方はこなしてきたことだから、若いうちの苦労は買ってでもするべきだ、この程度の労働時間で体がダメになることはない、指導役の先輩だって大変なんだ、などと自分に言い聞かせて必死に働きました。しかし他の人がどうなどとは関係なく、自分の感じた精神的なストレスはそのまま副賢を刺激し、ステロイドホルモンを出し続けます。なまじそれまで順調だった上、不器用な私は上手くストレスを吐き出すこともできず、結局私の体はダメになりました。
やがてクローン病の初期症状が現れました。最初は大便をした際にお尻から出血があり、しばらくしてからイボ痔も確認できました。3月半ば、年度末の追い込みも終わりが見え、安心してきたころでした。その後1、2ヵ月は放置しました。治るだろうと思っていましたし、それ以上に初めての痔に対してどう対処すべきか考えあぐねた上、怖いものには触れたくないとも思っていたのです。いつまでたっても治らないので市販の軟膏薬を使いました。しかし1、2ヵ月程使っても治りません。そして本当に嫌でしたが、近くの個人病院で診てもらいました。肛門を診察されるのは本当に嫌ですよね。そこで軟膏をもらいましたがその軟膏も効かず、その病院の医者は「なんでだろうねぇ。」と不思議そうにしていました。ここじゃダメだと、今度は肛門科、胃腸科を専門にしている病院で診てもらいました。が、結局同じでした。軟膏を処方し、治らず、「なぜだ?」という繰り返しに不安が募りました。そしてその医者から「軟膏で治らないなら切除するしかない。」と県内有数の肛門科、胃腸科専門の大病院を紹介されました。
最初の下血が出てからちょうど1年経った頃、2015年の3月でした。この時点で下血はほぼ排便するたび、お尻を拭いたトイレットペーパーにしっとり血が染みる程度でした。イボ痔は少し大きくなり鋭い痛みを伴うようになっていました。下痢は週に数回、という程度で体重の減少はありません。63キロと、身長に対してむしろ太っているくらいでした。
「結局そうなるのか・・・。」と諦めと恐怖を抱えてその大病院へ行きました。私の担当になった医師はその病院の院長らしく、確かな観察眼と経験を持っていたのでしょう。私の肛門を覗き込み10数秒後に「これはクローン病かもね。」と半ば確信するように呟きました。しかし断定はせず、多くは説明しないままに「腸に潰瘍があるかもしれないから」と内視鏡検査を勧められました。後日、内視鏡検査を行い小腸に潰瘍があることを確認し、クローン病と断定されました。そして言われました。「この病気は完治できません。けど食事制限と投薬によって症状は抑えられます。気長に付き合う覚悟をしてください。」と。
クローン病について事前に調べていなかった私は、ショックを受けると同時に冷静に受け止めようと必死でした。その後病院専属の栄養士の方とも話をし、「油脂、不溶性食物繊維、辛味香辛料、アルコール、炭酸飲料、冷たいもの等を避け、さらに食事は程々に、それでいて気負いすぎず、気長に付き合う覚悟をもってください。」と伝えられました。今にして思えばそんな無茶な(笑)という感想が出てきますが、当時の自分は真面目に、なんとか笑顔を作って受け答えをしていました。
私は趣味でバイクツーリングや料理をしており、キャンプにも興味を持ち始めていたのですが、その全てがまともにできなくなることを家に帰ってからようやく気づき、悲しくなりました。冷静にならなくては、前向きにならなくてはと必死に思考を前に向かせながら、色々なことを諦める覚悟をしなくてはと思いました。親にも笑いながら、さも大したことではないようにクローン病のことを伝えました。食事制限と投薬が始まりました。エレンタールという粉末状の栄養剤を水に溶かし、食事代わりに飲みました。といっても私はあくまで1日のうち1食のみであとは普通の、と言っても油脂、不溶性食物繊維、辛味香辛料、アルコール、炭酸飲料、冷たいもの等を避けた食事を摂って過ごしました。投薬は5―ASA製剤のペンタサをメインに、プレドニン等のステロイド薬も処方されました。そして渡されたパンフレットやインターネットでクローン病がどのような病気か知り驚きました。症状が酷い人は腸を切除しなければならない、拒食症のようにガリガリにやせ細る、発見されたのは1932年、以降原因も根治治療法もわからないまま、というものでした。そんな病気に罹ったことにショックを受けつつも、「自分はまだマシなほうなんだ。」という気休めに安心していました。
治療開始から数週間後、父が「大阪の病院で漢方を使って完治できるかも。」と松本漢方クリニックのことを教えてくれました。わざわざ息子のためにネットでいろいろ探しくれたであろう父に感謝しつつも、私は「原因もわからないのに漢方で治るわけないじゃん(笑)」と僅かな希望に縋ることを即座に諦めました。父もあまり強く勧めはせず、お前がそう決めたのなら、というふうに松本漢方クリニックの話はしなくなりました。平静な態度を取る私に対する信頼からか、判断は私自身に任せたのでしょう。しかし父の信頼に反し、私の心ははこれっぽっちも平静ではなく、多くを調べないうちから全てを諦めようと頑ななものになっていました。私はクローン病のことを知るにつれ、詐欺まがいのエセ医学には頼るまいと決めていたのです。世界中の医者が匙を投げるのになんで大阪の個人病院が漢方で完治させられるんだよ。と批判的な意見を持ちました。しっかりしなくては、騙されては駄目だ、自分は全然マシなほうなんだ、この治療法でいいんだ、と自分に必死に言い聞かせていました。
実際その治療法を続けるとあれほど軟膏を使っても悪化する一方だった痔の痛みと腫れは引き、下血は止まり、下痢もほとんど止まりました。症状が和らいだので週に1回だけ脂っこいものを食べたり、プレドニンも少しずつ数を減らしていき、順調に良くなっていることを感じながら私はすっかりその医者と治療法を信用していました。12月頃からやけにこむら返りで夜に起きることが多くなっていましたが、これを治療の副作用によるものだとは微塵も疑っていませんでした。
2016年の2月頃、痔が完全には無くならないことを受け、新しい薬を使ってみないかと担当医から何気ないふうに提案されました。ヒュミラという注射薬です。私は特に疑いもなくその治療を受けようと思っていましたが、その日はとりあえずパンフレットを受け取って帰りました。パンフレットには、ヒュミラは抗TNF-α抗体薬で過剰に出されるサイトカインを殺すものだとあり、クローン病患者の多くが症状を改善させている、寛解状態を維持できる、旅行に行ける、といった美辞麗句が並んでおり、期待が膨らみました。しかし、最後のページに書いてある副作用一覧のページを読み、「えっ?」となりました。その数の多さ、一つ一つの重さに途端に怖くなりました。当時、ステロイドとは何か、クローン病の治療とは体にどういったアプローチをかけているのか、殆ど知りもせず、理解することを怠っていた私はこの意味を知りませんでした。ヒュミラは抗TNF―α抗体薬、過剰に出されるサイトカインを殺すものだと書いてあっても、その文言自体に強い危険性を感じませんでした。私ほど無知な患者がどれほどいるかわかりませんが、大半の患者は医者よりも無知です。そして病に侵された患者に差し伸べる医者の手ほど甘い誘惑はありません。名医だと認識されれば尚更です。私はもう少しでその誘惑に乗り、大したことでもないのにクローン病治療の中でも危険度の高い薬に安易に手を出すところでした。
翌月にヒュミラを使えるかどうか確認するための結核反応等の検査結果をもらい、「特に問題なく使えるようです。」と伝えられましたがこのまま話を進めることが怖くなりとりあえず保留することにしました。結局どうするべきか決まらないまま1ヵ月が過ぎ来院しましたが、担当医が体調を崩したためしばらく代理の医者が付くことになりました。ヒュミラ云々の話は引き継がれていなかったらしく、正直ほっとしました。副作用のある薬なら使わないに越したことはないし、痔も痛みは殆ど無いしまあいいだろ、とこのままペンタサだけを投薬することにしました。今思えばこの担当医の交代は幸運なことでした。そして翌月も、翌々月も代理の医者が診察を担当しました。その代理の医者は随分適当というか、誠意の無さが窺える態度で、私は不信感や苛立ちが募り始めました。これも今思えば、病状の安定しているクローン病患者などルーチンワークで充分なのでしょう。
2016年の7月、恒例の週に1度の自由な食事をした翌日の日曜、久しぶりに友人たちとカラオケに行きましたが声が思うように響かないことに気づきました。久しぶりのカラオケですし、クローン病治療が始まって以来カロリーを無駄に消費するべきではないと全然運動をしなくなったので肺活量が落ちたのだと結論づけました。その後夕飯はどうするかという話になりました。この友人たちは私の病気についてもよく知っていて気を遣わせていましたが、今日はラーメンが食べたいと言うので「じゃあつけ麺なら。」と私は快諾しました。食事の最中に大学院生の友人が、学生最後の夏にキャンプに行きたい、なんて言うので少々不安に思いながらも「じゃあ明日予約するよ。その代り魚料理メインな!」なんて言ってはしゃいでいました。翌日は下痢になりました。明らかに体調は悪く体が重く感じました。なんとか出社しても下痢が続き、頭痛と腹痛は酷くなり、体はふらつき仕事は手に付かず午後は早退しました。今までにない症状だったので最初クローン病ではなく重い風邪なのかとも思いました。クローン病の症状の一覧を読み返し、全部当たっていることにショックを受けました。その日は10回以上の下痢をしてすっかり弱っていましたが、「なんで今回はこんなに酷いんだ?」と疑問に思いました。初期症状が現れてから何度も満腹になる程の食事をしましたし、クローン病治療が始まってからも油脂やアルコールを少しは摂っていました。少し下痢になることはあってもこんなに悪化するのは初めてでした。おそらく投薬が進むにつれ抑え続けていた免疫の遺伝子がここで一気に元に戻ろうとしたのでしょう。再燃、リバウンドです。原因は食事と、久しぶりの友人との他愛ない会話で開放的な気分になったせいもあるでしょう。更に翌日も朝からひどい腹痛と下痢に襲われ、会社は休みました。まだ体はだるく、腹痛もあってベッドの中でうずくまっていました。なんでこんなに酷くなったんだという疑問や苦しみもありましたが、それ以上に友人との約束は決して守れないだろうという確信があり、悔しく思いました。あらゆることを諦めて1年以上を過ごしていたつもりですが、バイクは結局売りませんでしたし、料理も工夫して腸に負担のかからない範囲で作っていました。キャンプ道具も少しずつ集めていて、友人と無茶な約束をして、クローン病を宣告された当日の覚悟に反し、私はあらゆるものを手離せずにいました。誰でもそうでしょうが、可能な限り幸せを手離したくなかったのです。人として当然の感情です。素食を心掛けていたので体重は53キロまで落ちていました。飲み会の席でサラダや刺身ばかり食べて、しらふのまま1次会で独り帰宅したり、仕事が終わった後の夕飯の席で1人だけ肉ではなく魚を食べたり、たまに肉を食べるときもびくびくしました。遠出したいな、と思ってもサービスエリアではどうしようとか、今の時期の自販機は全部キンキンに冷えてて困るとか、そうやって外出し辛くなったことを思い返していました。
この1年程で抑えてきたやり場のない怒りや悲しみが湧いてきてたまらなくなりました。いっそ今から泥酔するほど酒を飲んでしまおうかという考えさえよぎりましたが踏みとどまりました。なんとかしなくちゃ、と考えました。もし友人との約束を守りたいならヒュミラを使えばいいでしょう。しかしそれには抵抗がありました。そして以前父の言っていた松本漢方クリニックのことを思い出し、腹痛をこらえて起き上がりパソコンを立ち上げました。ネットで調べると意外とすぐにヒットしましたが、ホームページを読んでも正直胡散臭さを感じました。ビルの2階にあるのかよ、と1人ツッコミを入れました。
「クローン病の完治の理論と根拠」のページを読もうとし、その文章量に驚きましたが全部読もうと縋る思いでモニターにかじりつきました。必死でした。
胡散臭い屁理屈を並べるならまた諦めよう、もっともらしいことを言っていれば行くだけ行こうと読み始めました。やけに自己主張の激しい文章に苦笑したり、わからない単語ばかりなのでいちいち調べたりしながら読み進めましたが、
自分の体験と照らし合わせてハッとしたり、シンプルで整合性を感じる理論に興味を持ちました。まず農薬などをはじめとする人工化学物質を人体は異物、つまり病原菌だと認識してしまうこと、次に長期のストレスがきっかけでコルチゾールが産生され続けて免疫のフィードバックが出来なくなり、「異物を排除する免疫=IgE」が作られず「異物を殺す免疫=IgG」が異物を殺そうとし続けること、そして異物=化学物質は無機物なので殺しきれず、延々と攻撃が繰り返された末に腸が巻き添えを食らい傷つき、クローン病として現れる、という説明(実際はもっと複雑)には納得がいきました。私は初期症状とストレスがかかった時期が見事に一致していることにこのとき初めて気づきました。自分は医学などさっぱりですし、騙されているのだろうか?という不安がありましたがそれ以上に真実に近づいた感覚がありました。もう一度読み返してみても違和感はなく、今度は手記を読み始めました。そこには多くの患者が完治、症状の改善をした記録が載っていました。さすがに全て自作自演とは思えませんし、期待が膨らみました。
翌日からは体調がある程度回復したので出社するようにしましたが、昼休みも家に帰ってからも手記と論文を読み返しました。翌週、いつもの病院にいくつかの検査と問診、内視鏡検査の予約をするために向かいました。血液検査の結果を見るとCRP(炎症の進行度を示す)数値が上がっていました。この病院での初めての血液検査では0.4程度でしたが、0.87まで上がっていました。論文の中にあった通り、このままではどんどん強い薬を使い始め、最後には腸が無くなってしまう!という恐怖がよぎりました。そして問診の最中、あの代理の医者がこの4ヵ月そうしてきたように、いつものルーチンのように薬を処方するのを見てこのままでは自分の生活が好転することは決してないであろうことを悟り、ここにいちゃだめだ、と強く思いました。私はその場で、病院を変えるので検査結果を同封して紹介状を書いてもらうようお願いしました。それまでどうすべきかまだ迷いがありましたが、決心しました。
7月下旬に内視鏡検査を受け、翌週に検査結果と紹介状をもらいました。検査結果としては「それほど酷くなってはいないが決して良くなってはいない。」というものでした。松本漢方クリニックでの治療を受けるべく準備を始めました。まず医療費助成を活用してエレンタールをまとめ買いし、(内視鏡検査で入院したのですでに2万オーバー)投薬量を自己判断で少しずつ減らしました。(強い薬を長期に服用している方は真似しないでください。)仕事も丁度忙しくなってきましたが、上司に無理を言って9月以降は病院と薬を変えるので副作用で(実際はリバウンドで)病欠が増えるであろうこと、残業もほとんど出来なくなる状況が長期に続くであろうことを説明して、許可を貰えました。目に見えて痩せてしまっていたので心配してくれていたようです。そして9月以降に私が仕事に出られなくなった場合のリカバリーの仕方まで算段をつけました。あの頃から今現在まで協力してくださっている上司や同僚の方々に感謝しています。
親にも相談し、松本漢方クリニックでの診察に同行し、自宅での治療をサポートしてほしい旨を伝えました。友人には約束を守れないことを謝りました。今まで色々と気を遣わせていましたが、この時が一番申し訳なかったです。論文や手記、ブログを読み漁り、治療の流れや理論に理解を深め、少しずつ期待は確信に変わっていきました。今でも理解できていないことが沢山ありますが、Naokiさんの松本理論概論の図解は大いに役立ちました。ありがとうございます。そして8月下旬、ようやく松本漢方クリニックに初来院しました。静岡県在住なので新幹線とJRを乗り継いで行きました。手記の通り漢方の匂いと、そして奥の部屋から大きく豪快な話し声が聞こえてきました。問診票等の書類が多く、あらかじめ自宅でダウンロードしておけばよかったと思うほどに他の病院に比べて書くことが多くありました。
初めて会う松本先生は予想通り、あけっぴろげで豪快で気さくで怒りっぽい方でした。同行していた母は面食らっていました。会話を始めて10秒か20秒かというくらいで突然、「お前鏡見とるんか!?顔面神経麻痺になっとるやないか!!」と言い出しました。私は(一体何を言ってるんだ?)という感じでぽかんとしていましたが横にいた母も私を覗き見て、「確かにそうかも・・・。」と言い出しました。「ヘルペスウィルスのせいや!ステロイドの使いすぎで顔面の神経が侵されとるんや!」と仰っていました。後に調べてわかりましたが、ヘルペスウィルスとはほとんどの人の体に一定数潜在しているもので、ストレスにより免疫が低下すると神経を侵し始めるものだそうです。そしてステロイド薬剤はストレスを感じた際に副賢という内臓から出るホルモンを再現したものであり、ストレスと同様に免疫を抑える作用があるものです。ストレスとステロイド薬剤により免疫が下がった結果、私は腸だけでなく神経も侵されていたのです。2015年の12月から継続的に起きていたこむら返りもこのせいでしょう。そして、カラオケで声が思うように出せなかったのはまさに口や頬、顔面が上手く動いていなかったのでしょう。松本先生との問診は論文等を読んでいることを前提に進められますので、今後来院する方や来院を検討されている方はよく勉強をし、自分の投薬歴と体の変化をまとめておくとよいでしょう。自分の状態を理解できるほど治療に対する不安は無くなりますし、完治に向かっていることが実感できます。
ヘルペスに関する論文も確かにホームページにありましたが、自分には関係ないものだと特に読んでいませんでした。問診の最中に電話が2本入ってきて先生はいちいちそれに対応しており、中には治療に対して不満や不安を抱えている人がいたのでしょうが、「そりゃあんたが決めることや!文句あるなら来なくてええ!!」とガチャ切りしていました。母は更に面食らっていました。ホームページにある通り、患者が医者を選ぶのは自由であり、自己責任だというスタンスのようです。ようやくこちらに向き直り問診が再開されると、「これからは主食を発芽玄米にせえ。それ以外は何食べてもええで!」と言われたので私は驚き、喜びました。てっきりエレンタール等から慣らしていくのだと思っていました。そして「絶対に治る。あんたの免疫こそが名医なんや。」とも言ってくれました。「よろしくお願いします。」と自然に笑いながら握手をして問診は終わりました。次に血液検査をし、鍼灸治療(しんきゅう、鍼治療のこと)とお灸の指導を受けました。
問診と血液検査、お灸等を終え、保険適用外の漢方やお灸一式を一緒に精算しようとしたところ、その金額に驚きました。もちろん患者によって違うでしょうが、今までの治療費に比べてもかなりの高額でした。リバウンドよりも経済的な不安の方が大きくなりました。投げ出す人がいるのも納得です。しかしこれから一生、長生きしたとして60年以上病に苦しみ、お金や食の自由、移動の自由、あらゆる楽しみ、最終的には臓器まで奪われる可能性を考えれば、ずっとマシだと思います。一般治療でも、うまく付き合える人は少量のペンタサで炎症を抑え続けてヘルペスウィルスにも殆ど侵されることなく穏やかに暮らせるかもしれませんが、私にはできそうもありません。そして私はこの治療法で上手くいくという確信を持っていたので不信感から投げ出すことはありません。自宅に帰り、翌日にはお灸のための道具を買い、漢方薬を保存するための容器をネットで買いました。数日後から本格的な治療が始まりました。お灸は背中を母にしてもらい、漢方薬を煎じて作っては飲み、抗ヘルペス錠剤を飲み、主食は無農薬の発芽玄米を粥にして食べるようにしました。(これもネットで買っています。)漢方薬は評判通り不味く、食前に飲む下痢止めの漢方は幼児なら吐き出すでしょう。食後の免疫を高める漢方は慣れればおいしいです。お灸はリンパを刺激し免疫を上げ、その火傷痕はIgEの産生を助けてクラススイッチを早めます。発芽玄米は下血、下痢の緩和に役立つそうです。無農薬なのはもちろん、化学物質を避けて余計なリバウンドをさせないためでしょう。できるなら主食以外も、農薬や保存料、着色料等の化学物質を避けるべきかもしれません。ファストフード、コンビニ弁当、ペットボトルや缶飲料、農薬野菜・・・etc 考え出すと食料品に限ったとしても化学物質が蔓延っていることに気付きました。余っていたペンタサは全て捨て、ようやくスタートラインに立てた気分でした。
治療開始から2、3日後には下痢が出始めました。下痢止めの漢方を飲んで、発芽玄米の粥を食べてもやはりリバウンドはしっかり起きました。とは言っても1日に2、3度で腹痛も殆ど無く、仕事も無理の無い範囲でこなしました。それでも体重は落ちていき53キロから50キロ丁度まで落ちました。免疫抑制剤としては弱い部類のペンタサを主に使っていたからか、この程度で済んだのはよかったです。
治療開始から2週間後、薬が切れたので電話での問診をしました。電話越しでも相変わらずのテンションで、問診というより説教や講義に近いです。翌日には薬が届き、血液検査の結果も同封されていたので確認しましたが、CRP数値が0.05以下でした。リンパ球数も30程度で、どちらも正常値でした。
治療開始直前の血液検査ですし、炎症を抑える要因としては1ヵ月間の厳しい食事制限と、リンパ球数が正常値なのは投薬の減量のおかげかもしれません。
10月に入ってからはそれまで怖くて食べていなかった油脂類の多い普通の食事を摂るようになりました。チョコやスナック菓子も食べるようになりましたが特にリバウンドが酷くなることもなく、体重は増えていきました。下痢だった便は形を保つようになり、軟便気味、というくらいになりました。この頃から漢方風呂に入浴するようになりました。10月末に2ヵ月ぶり2度目の来院をし、また講義のような問診と血液検査をしました。
11月には軟便は少しずつ固くなってきました。こむら返りは一切なく、声の通りも良くなっていました。カラオケでも気持ちよく歌えます。体重は54キロまで戻りCRPは0.05以下を維持しています。少し寒くなってきましたが、久しぶりにバイクのカバーシートを取り外して隙間から入っていた埃を洗い流し、ほんの数十キロほど走りました。手離さなくてよかったと思いました。バイクだけでなく、その他の物も、なによりこの先のあらゆる楽しみを。
11月下旬現在、便は完全に固形便になっています。痔の方は相変わらずまだありますが痛みはありません。クローン病発覚以前から軟膏をかなり使っていましたし、こちらのリバウンドは時間差でやってくるかもしれません。松本漢方クリニックの治療法で確実に完治するのかと言われれば私はまだ断言できません。しかし信頼しています。自分自信が回復に向かっていること、理論を読み返し納得したこと、松本先生の言葉や、多くの手記に支えられていることがそうさせています。一般治療を受けていた1年と数ヵ月、私はそれをまるまるふいにしてしまったような気さえします。父が教えてくれたあの時にちゃんと耳を傾けていれば、とも思いますがもう過ぎたことです。むしろ1年で覚悟が折れる自分の弱さに今回ばかりは感謝しましょう。
しかし松本漢方クリニックの治療を受けるべきか迷っている方には過ぎた話ではないでしょう。そして疑いを持っているかもしれません、詐欺まがいのエセ医学かもしれないと。苦しい思いを重ねるほど耳を塞いでしまい、投げやりになってしまう気持ちもわかります。これが正しいのだと一心に信じたものが間違いだと言われ反発する気持ちもわかります。ですが、僅かな希望も一考の余地も捨てるべきではありません。一体何が正しいのか、誰が真実を語っているのか、広い心を持ってその主張や理屈に耳を傾け、自分で考えるべきなのです。面倒くさい、という気持ちもわかります。論文長いですし、あれを一読しただけで全てを理解できる一般人はそういないでしょう。ですが面倒くさいなんて理由でこれから先、一生のことを諦めるべきではないのです。
始まりはほんの3、4ヵ月、必死に仕事をしたことです。結果的に得たものは仕事の経験とそこそこの残業代で、失ったものは残業代以上のお金と食の自由と食に付随する楽しみです。1年と半年程度の間、随分多くの損をした気がします。現在、一般治療を受けていた時以上に治療のためにお金を投資しています。そして時間もお金も取り戻せませんが、未来だけは損なわずに済みそうです。
今この手記を読み返してみると、「必死」という言葉がよく目に付きます。こんな心持ちで過ごしては健康や幸せが手に入るはずもありません。肩の力を入れすぎず適当さを持つこと、僅かな可能性にも縋る価値があること、視野を広く持つこと、社会の裏側には悪意や我欲が多く隠されていること、他にもいろいろありますが、せめてこれらの教訓を活かしながら日々を過ごせたらと思います。
私は1日でも早くクラススイッチが起き、完治へ向かうことを期待して松本漢方クリニックでの治療を続けます。そして私が親から貰ったこの体の中にこそ、免疫という本当の名医がいることを教えてくださった松本先生に感謝いたします。