「クローン病治療途中経過」
匿名希望 YN 33歳 2017年3月1日
匿名希望 YN 33歳 2017年3月1日
経過
幼少の頃より便秘がちで、2012年春頃、切れ痔になった。ネットで調べてクリニックを受診し、飲み薬と塗り薬(ステロイド入り)をもらい一旦よくなるが相変わらず便秘がちのため痔を繰り返す。
同年暮れ頃には、それまで使っていた薬が効かなくなり、少しお腹に力を入れると腸液が出てくるということが起こっていた。下痢は無し。お尻の痛みも酷く、座っているのが辛かったと記憶している。冬場は仕事の繁忙期でどうにもできず、だましだまし生活していた。
そして2013年6月に胃カメラと大腸カメラの検査を受けた。この時に大腸から採取した細胞からクローン病の陽性反応が出たため、精密検査をするため兵庫医大に検査入院することになった。8月に兵庫医大にて一通りの検査をした結果、直腸とS状結腸の辺りにアフターと潰瘍が少しあるとのこと。ちなみに細胞診は全て陰性だった。この時点でも下痢は無し。全ての検査を終え、主治医に提案されたのがヒュミラ、レミケードでの治療だった。それも強く勧められた・・・。正直私の症状は、クローン病について書いてあるパンフレットのどこを読んでも、自分がクローン病であるということを自覚できるもの(下痢、腹痛、下血等)が無く、「なぜ私がクローン病だと言われるのか?そして、もしも仮に私がクローン病だとしてこの治療は本当に必要なのか???」と頭の中は疑問だらけだった。
後日主治医が若い先生に代わった。不安に押し潰されそうになりながら導き出した答えを伝えたところ、了承が出た。それは、ヒュミラ、レミケードは使いたくないというもの。幸いこの若い先生は、今回の検査結果からはクローン病だと言い切る決定打がないグレーゾーンだという見方をしていた。ただ、炎症があるのでペンタサを服用し、便秘改善のためマグミット、痔の塗り薬(ステロイド入り)で様子を見ることになった。
半年ほど続けたところでCRPが落ち着いてきたのでペンタサは中止になった。ただ相変わらず便秘と切れ痔に悩まされていたためこちらの薬は使用を続行した。
2015年10月頃、お尻が痛くなったので、兵庫医大を受診すると肛門周囲膿瘍だと言われた(記憶があやふや)。そして翌月旅行先で患部がパンパンに腫れ上がり痛みもあり、しばらくするとしぼんで小さくなった。このことを主治医に伝えると、MRI検査し、その結果、「痔瘻だからクローン病と確定しよう。」ということになった。ここでも提示された治療法はヒュミラ、レミケードだった。「痔瘻が出来ただけでなぜ上記の治療法を提示されるのか?私の症状に対して本当に必要なのか?」と再び疑問が生じ、すぐに治療を開始するのではなく考える時間がほしい旨を伝え、帰った。
そんなとき、知り合いのつてでクローン病を克服されたという方(松本先生の免疫寛容とは違う)に出会った。この方に出会ったことで、治療法や完治云々については横に置いておいて、「クローン病は治るんだ!」ということを知った。
またその方から、「自分が納得のできる治療法を選択すること!そしてクローン病は自分で作り出した病気。自分で作った病気は自分で治せる!」とアドバイスを頂き、セカンドオピニオンを受けることになった。細かいことは省略するが、提示された治療法はやはりヒュミラ、レミケードだった。さすが標準治療。
それから、どうしたものかとネットで検索していたところ松本漢方クリニックを発見。でもこの時点では正直受診するかどうか決めかねていた(ごめんなさい)。その後、10代のころアトピー治療で漢方を飲んでいたことを思い出した。体調に合わせていろんな漢方をブレンドしてもらい、よく効いた。それから偶然、松本漢方クリニックにアトピーで通われている方のお母様と知り合い、紹介され受診に至った。
2016年3月、両親と松本漢方クリニックを受診した。事前に松本先生の理論を読んで、「病気は自分の免疫で治せるんだ!」と感動した。力強い先生の握手と共に「絶対治るからな!治すのは俺やないで~。君やからな!!!俺は手伝いするだけや。」と言っていただき心強かった。あと、この病気になるのは真面目な人だと言われた。その場で張りつめていたものが切れたのか泣いてしまった。この時点での主な症状は、便秘、痔瘻、微熱、倦怠感だった。アシクロビルと漢方の服用が始まった。
元々偏頭痛持ちで、この頃仕事の繁忙期ということもありすぐに偏頭痛が出た。しばらく偏頭痛などのリバウンドに苦しんだ。アシクロビルを飲み続けているうちに倦怠感が改善してきていることに気付き、今までの体調がいかに異常であったのかを思い知り怖くなった。そして長年この倦怠感に悩まされ続けていたので、原因がわかり解消された事が嬉しかった。
4月末に仕事を退職し、無職になった。職場が最大のストレスの元だったため、この頃から本格的にクラススイッチが始まった。夏頃、約1ヵ月間ほぼ毎日のように偏頭痛が出て寝込んだが、その後嘘のように元気になり免疫も上がってきた。他の患者さんの手記と同じような経過を辿っていたので、「このまま一気に免疫寛容か?!」と思ったが甘かった。9月からバイトを始め、また少しストレスが溜まり始めた。時々偏頭痛が出て寝込だ。
クローン病の治療自体は11月で終了し、12月からはヘルペスと痔瘻の治療に入ったのだが、寒くなってから手足の指先が痺れるようになった。痺れは日々増し、範囲も広がっていった。普通に歩くのも気を張っていないとよろけたり、ちょっとした段差もうまく上れなかったり、履いていた靴やスリッパが脱げて飛んでいったり・・・。町中にある手すりの有り難さに気付いた。手や足の感覚がおかしくなっていて何かを触っても凹凸がよくわからない、靴やスリッパの脱げる瞬間がわからない、細かい作業がやりにくい等、日常生活に支障が出始めた。89歳の祖母よりもおばあちゃんになったような状態だ。先生にはヘルペス性の神経麻痺だと言われ、ショックで凹みたおし看護師さんにその場で話を聞いてもらい、なんとか気持ちを立て直して帰った。(看護師さん、鍼灸の先生ありがとう。)
この状態から2週間後、この状態に慣れてうまくバランスがとれるようになって以前のように歩けるようになってきた。出来ないことは周りに助けてもらって過ごしている。有難い。そして意外となんとかなるものだ。初めはこの状況を悲しんで凹んでストレスを溜めこんでしまっていたが、最近はもうネタだと思うようになった。このことを先生や看護師さんに話したら、「それでいい。開き直ったらいい。」と言われた。やはり同じ出来事をマイナスのことと受けとるか、プラスにして面白がって生きるかで免疫の上がり方も変わってくる。
それは前職を退職してから特に思い知ることとなった。日頃から先生に「君はまだまだ真面目すぎる。ええ顔するなよー。」と言われ続けていたが、くそ真面目で33年間生きてきたのでなかなか難しい。だが、少しずつ変わってきているように思う。先生には生き方というか考え方も教えていただいている。
性格的にマイナス思考、劣等感の塊でストレスを溜めやすい上に、これまでに頭痛薬、偏頭痛薬、ピル、ステロイドの塗り薬等で散々自分の免疫をいじめぬいてきた結果だから、今の状態は仕方がないと思う。ただ、飲み薬のステロイドやヒュミラ、レミケードを使わなくて本当に良かったと思っている。これらを使っていたら・・・今頃私はどうなっていたのかと想像するだけでゾッとする。
ちなみにアシクロビル28錠服用でこの状態だ。あとは自分の免疫君に頑張ってもらうしかない。痺れや麻痺も、日々症状が指先からだんだん上部に上ってきていて不安だったが、これは免疫が上がってきている証拠とのことで一安心した。頑張っている、私の免疫君。ヘルペス(特にサイトメガロウイルス)負けるな!
最近は松本先生とお話しする時間が長くなり、診察が楽しい。毎回握手している気がする(笑)看護師さんも鍼灸の先生方も、受付の方々も、みなさん優しい。私にとってちょっとした憩いの場になりつつある。これからも免疫寛容を目指し治療していきたい。しかし、正直金銭的に厳しい状況になってきた。なんで正しいことが認められないのか。本当に必要な治療を受けたい人が金銭的理由で治療をやめなければならないのはおかしい。1日も早く、松本先生の治療が標準治療になるよう願ってやまない。