「間質性肺炎・橋本病・クローン病・ヘルペス手記」(経過状況)
匿名希望68歳 2015年6月9日
匿名希望68歳 2015年6月9日
「間質性肺炎の経過状況」
(1) 病歴及び初診から10週間経過
3月25日、松本漢方クリニックへ初めて訪問。事前の電話での説明では8:30受付開始なので初診では書類に記入する時間の為8:00に来院する様に言われた。前夜新大阪泊で7:50頃には高槻着。松本漢方クリニックの所在地は直ぐに解かり2Fの玄関からは全く人の気配無し。暫く周囲を歩き廻り、医院1Fのミスタードーナツでコーヒーを飲みながら待っていると、8:30の数分後に従業員であろう女性が2Fに上がるのを見て医院へ。
病歴・薬の服用歴等を用紙に30分程を要して記入。記入の間、あっという間に20数名程の患者さん達で待合室は一杯になる。体温・血圧等を測定後、殆ど待つ間もなく診察室に呼び出される。診察では病歴と薬の服用歴の質疑が行われ、下記の診断と処方がなされた。
診断
1.橋本病、クローン病、間質性肺炎2.ヘルペス罹患
処方
1.甲状腺ホルモン補充のチラージンの服用は継続
2.降圧剤は松本漢方クリニック処方の薬に変更
3.抗ヘルペス剤アシクロビル処方
4.免疫向上。関節の滑液の新陳代謝促進の漢方薬、ヘルペスウイルスに効く、脳血流を良くし耳鳴り眩暈改善、胃腸虚弱、下肢の冷え、眩暈・頭痛の漢方薬
5.鍼灸を適宜行う(自己免疫力向上)
松本医師はブログ等で言われている如くのモノイイ・振る舞いであるが、事前に読んでいた為かそれほどとは思えませんでした。言っている内容は、「常識的」ないしは一般に流布されている情報に埋没した観方からは奇異なのでしょうが、ある程度物事を突き詰めて考えておられる方々にとっては至極当然と言えるでしょう。刺激的、過激、独断的、場合によっては物議を醸しかねない表現でしょうが、それは変革者、革命家にとって免れ得ないものなのでしょう。情報コントロール、教育、社会的、心理的、物理的ストレスによるマインドコントロールを受けている、或いはお金の為に魂を売り渡している人々からみれば松本先生は異端者なのしょう。ドグマ的な観念から解放されてみれば松本先生の言わんとする事は尤も至極ではないでしょうか?
診察を受けている間、患者さん達からの電話を受けるのも驚きはしましたが、自分も遠距離(東京町田市)から来ていますので、逆の立場からすればそれもありなのかと思いました。また遠方の患者さんが多いのにも驚きました。病歴・薬服用歴の問診票に現地で記入をしましたが、問診票がWEB上に公開されており、事前に記入しておくべきことをウッカリ忘れてしまった為、記述が乱雑、明瞭さを欠いて仕舞いました(下記の如く整理してみました)。また松本先生がそれをジックリ読む時間的余裕もない状態で診察を受け、かなり断定的な診断がなされました。まぁ翻って思えば結論は最初から既に出ていると言えますのでソレモソウダナという感じでした。
主訴である間質性肺炎については、事前に松本医師のHP上の記述からして橋本病との関連を疑っていましたので説明も納得でした。しかし自分が認識していなかった事は、クローン病とヘルペスの指摘でした。HPの関連項目は読んで来たつもりでしたが、ヘルペスについては記載されているのは知っていましたが、取り敢えずは関係ないとして読んでいなかったのです。これは大いなるヌカリでありました。
病歴(初診後に改めて見直して)
1.下痢
高校生頃から始まりましたが程度はそれほどでもなく散発的でしたが、後に社会人になってからは慢性的な下痢であり、それは前夜(毎日)の飲酒が原因だと思っていた。
2.腰痛から脊柱管狭窄症?しかし間欠性跛行
中学高校時代の部活での非合理的な基礎体力向上という名目のシゴキにより腰痛になり以後継続。50代になり100mを継続して歩けない間欠性跛行となり整形外科を受診。脊柱管狭窄症と診断され、手術を奨められたが疑問もあり様子をみる事とした。その後ストレッチに励み、またMBTという靴による歩行訓練を行い、間欠性跛行はほぼ克服。しかし草むしりの様な屈んだ作業を行うと腰痛はひどい。
3.ヘルペス
二十歳過ぎ頃に口唇ヘルペスに罹患。以降過労或いは紫外線を多く浴びた後に発症。発症時は抗ヘルペス剤(軟膏)で対処していた。
4.痔瘻
43歳の時(25年前)、冬の寒い時に冷たい床に座る作業した後、身動きが取れない程の激しい痛みが肛門部に発生した。近隣の肛門科のある医院を探し診察を受けた結果痔瘻と診断され即入院手術となった。当時はレーザーメスが普及しておらず旧来の手術であり術後も辛いものであった。翻って思えばその3年ほど前からパンツの肛門部付近が汚れていたのはこれが原因であった。また最初の術後2年後に再発し手術を行った。
5.大腸ポリープ
44歳(25年前)、定期検診の注腸検査でポリープと診断され、内視鏡検査と摘出を行った。15mm程度の陥没型ポリープであり、その半年前頃からかなり痩せ始めていたので癌を疑ったが、生研の結果は陰性であった。しかし写真を見る限りギリギリではなかったのかと今でも疑っている。1年後再度同程度のポリープ摘出を行った。下痢の頻度、程度は2度に渡る手術後減ったが依然継続。
6.前立腺肥大
50歳頃から頻尿。勢いよく出ない。残尿感の症状にいつの間にかなっており、これは前立腺肥大ではないかと思い診察を受けた。診断はまさにそのとおりであったが処方は無く現在に至っている。症状の程度は徐々に進行してきていた。(某大手洋酒メーカーのサプリメントのノコギリヤシを服用したが効果は無いとは言えないがあるとも言い難い。他の同種の含有量の高いものを1ヶ月服用したところ、排尿時の辛い鈍痛はほぼ無くなったと言える)
7.高血圧、高脂血症
57歳当時、血圧150-95でアムロジンの服用を勧められ、10mgを10年間服用。また、中性脂肪、コレステロール(LDL)いずれも高いと50代後半から指摘されていた。65歳時に降圧剤を処方している近医から、高脂血症への対策としてベザトールの服用を勧められた。処方時には特に注意はなかったが、薬局ではカルシウム拮抗薬との呑み併せには問題がある旨の注意があり、医者に確認したところ「大丈夫でしょう」ということで服用を開始した。翌日から服用後に胸部に激しい痛みがあり、服用を中止した。その旨医者に報告したが「そうなのかなぁ」という程度の反忚であった。しかしこの痛みは明確に呑み併せの副作用の横紋筋融解であると思い服用を中断した。[薬の副作用に対して考慮し得ない医者がいるとは!しかしこの医者の人柄は無類に良く極めて親身になって治療に取組み、特に高齢者からの評価は良い。ではあるが循環器系内科の医者としてはアムロジンの信奉者である。私としては長年のアムロジンの服用が私の間質性肺炎の直接的原因と証明は出来ないが、某国立大学で間質性肺炎(の疑い=患者を鑑みて)の診断を受け、副作用にそれが列挙されているアムロジンの服用を止めるべきと判断し、その旨伝え他の降圧剤を探す依頼に対して首を傾げながら一忚は提案をしてくれてはいます。]
8.肩痛
50歳頃運動時に右肩甲骨と背骨の間の部位に激痛が走りそれ以降1年間ほど痛みは取れず右腕を三角巾で吊る状態で過ごした。通常痛みは和らいだが動作時には痛みあり、また、いつしか気が付くと右肩が落ちている姿勢となった。整形外科ほどお気楽な医者はいません。何処が痛いか患者の部位を動かしたりもせず病気を造るレントゲンを気楽に撮って、(極めてイイ加減に)「あぁ骨には異常ありません、湿布出しときます」と言えばハイ、チャリーンてな具合なのです。(小生が近くで受けている鍼灸医は呼吸器と背中は通じているので呼吸器への施術が背中・肩の痛みにも効果ある筈との見解があったが、実際そのお蔭か最近痛みは軽減している)
9.逆流性食道炎
60歳頃から、脂っこいものと酒の飲食により、翌日ゲップ、鳩尾みぞおち部の痛みがあった。また定期検診の内視鏡検査で食道裂孔ヘルニアによる逆流性胃炎と診断された。(最近胃の上部の痛みが無くなり、ゲップもしなくなった)
10.甲状腺機能低下症(橋本病)
62歳、退職により健診を某私立大学付属病院に変更した。健診の結果、橋本病の診断を受けた(変更前の築地の某病院での定期検診でのデータには出ていたにもかかわらず指摘はありませんでした)。言われて初めて橋本病の症状に気が付いた次第。チラージンSの服用を2010年1月から開始した。25μから徐々に62.5μに増量。甲状腺ホルモンの体内への補充によって中性脂肪、LDLが下がる効果が期待されたがそれらはなかった。(「自己免疫疾患」という説明に深く考えずに6年を過ごしてきてしまったが、松本先生の記述を読んだ今となっては、他の医者は、そして自分は何故突き詰めて理解していないのか?理解しようとしないのか?)この橋本病になるのは圧倒的に女性であり少ない男性の例となります。翻って思うに幼少の頃(どちらかと言えば虚弱であった)ことある毎にツベルクリン反忚で偽陽性と診断され、その都度レントゲン撮影をさせられた(当時は暴露度合の考慮は殆どなかった)からかなぁと思うのです。まぁその他原因誘因は考えられるでしょう。
11.慢性副鼻腔炎
以前より慢性的に後鼻流があり交互に片側が鼻詰りしていた。62歳、右上額部副鼻腔に鈍痛と鼻垂流があり、近くの耳鼻科医院の処方でクラリスの微量継続服用であるマクロライド療法と漢方薬服用開始。半年経過しても良くならずかえって悪化し、しまいには右及び後頭部の激しい頭痛、微熱症状、意識障害の症状を呈し神田の評判の高い専門病院に転院した。そこでの診断は異物(インプラントの人工歯根)が副鼻腔に脱出し副鼻腔に炎症を起こしている為、歯学部と連携できる耳鼻科での対忚が必要として近くの大学病院へ転院となった。(当初の耳鼻科医院でもレントゲン撮影をしており何故異物の指摘がなかったのか大いに疑問である。)紹介された大学病院耳鼻咽喉科で人工歯根と粘膜の摘出手術を行った。(この診断で思い当たったのは、その3年ほど前に右上最奥歯のインプラントの人工歯根を挿入後転勤となり超多忙と怠慢により半年以上が経過後義歯装着をしようとしたところ人工歯根のネジに不具合があり装着が出来なくなった。人工歯根摘出手術を行ったが成功せず放置することとなった事であった。この間の状態と結果の十分な説明を受けてなかったのが禍根を残すことになった。提訴も検討したが上記の体調でもあり断念した。副鼻腔炎発症の数か月前食事中に右上顎部に異常な衝撃があったが無痛であった為そのままにした事があった。それは人工歯根が上顎から外れ上顎洞へ脱出したからと思われる。その後も左右副鼻腔の其々別途再手術を行っている。)
12.耳鳴り
副鼻腔炎の術後に気が付くと左耳に耳鳴りが生じていた。従来から両耳に耳鳴りはしていたがそれほど気にするレベルではなかったが、以降かなり気になる耳鳴りに変化した。(しかし耳鳴りで鬱になった友人がいたので気に掛けない様にしている。脳及び周辺の神経節に潜り込んだヘルペスを駆逐するのは至難であろうが気を長く持ち取り組まねばと思っている。)
13.無呼吸症候群
普段、特に過労及び飲酒後(ほぼ毎日)に無呼吸症候群症状であり、昼間に極度に眠くなる状態で、耳鼻科の医師より呼吸器内科と歯学部との連携による治療を紹介され2014年9月に受診し、各種検査を経てマウスピースを作成しその装着による結果は良好で現在継続使用中。
14.有機溶剤による皮膚障害
DIYが趣味なのですが、ペンキ塗りで素手にペンキがついても洗い落とせばこれという問題は無かったのですが、昨年(2014年)の春、ペンキ剥離溶剤を使った際それに触れた指先が白化しこわばるような妙な感覚あり、更に昨年漆喰塗料を使用した時にも同様の症状をもった。そのうち元に戻るであろうと思っていたが改善しない事に気が付いた。現在指先の皮膚は赤味を帯びており接触・冷熱の感覚が無くなっている。また、一般的な皮膚筋炎の症状が全て当て嵌まらないにしても、この3・4月頃には体幹の筋力が極端に衰えている為恐怖に感じている。しかしこの1~2週間で体幹の衰えの進行が止まり少し力が蘇ってきている感じがしている。更に摘めなかった親指先端の腹部分が幾分かは摘める様にはなっている。更に入浴・飲酒後、冒された指先部分がジィ~ンとするのは悪くないのではないかと思っている。
15.間質性肺炎
前記、無呼吸症候群で行った胸部レントゲン検査(2014年9月)で肺の異常が指摘されHRCTの診断で間質性肺炎の疑いあり要観察の診断を同年10月に受けた。間質性肺炎をネットで調べましたが、不治の病であり生存率が低い病気であると知り、酷く滅入り死への恐怖で夜中に目覚め眠れぬ日々を過ごしていました。そんななか松本漢方クリニックのHPに辿り着いたのです。それを読んでいるうちに色々思い至ったのです。橋本病を膠原病としない医者もいる様ですが結合組織を対象にするのが膠原病であり、細胞を対象とするのが橋本病でありカラクリは同じと言えるのではないでしょうか?某国立大学呼吸器内科の医師が間質性肺炎(の疑い)と最初に診断してくれたのですが、更に肺の底部に線維化が見られる特徴からして膠原病からの併発を疑い膠原病の抗体検査を行ったのですが、それらは見つからず、橋本病に罹患しているというのを申告しているにも関わらず何故か特発性(原因不明)間質性肺炎にしたがっているとしか思えません。
病歴を総合的にみると
前記の如く各症状に対し各担当医師がした処方薬であるアムロジン、チラージンS、クラリス、荊芥連翹湯、時としてロキソニン、アレグラ等々、更にはベザトールを服用したのです。もともと薬は毒であるという認識があり、風邪薬等はあまり飲まない様にしてはいたが、病状に対する処方薬は飲まざるを得ないと思い副作用に関して殆ど気にしていなかった。降圧剤と対高脂血症薬の呑み併せによる横紋筋融解は典型的な副作用でありかつ例外的だとさえ思っていた。しかし今から思えば全く疑っていなかったのですが、下痢、痔瘻、高血圧、高脂血症、橋本病、慢性鼻炎、副鼻腔炎、耳鳴り、無呼吸症候群、間質性肺炎等の15個の病歴の病状を、それらに関わる全ての各個別の担当医師等はれそれぞれの専門領域における個別の病気として理解しそれらの各症状を抑える対症治療を行っている訳で、一つの体に起きている現象として各症状を関連付けて捉えて診てはいなかったのです。(例外もあって、例えば呼吸器内科の医師は間質性肺炎を膠原病・橋本病と関連するものと認識をしてはいます。しかしこれは不治の難病であり、治療はステロイドしかないとの認識しかない様です)。間質性肺炎の診断を受けた後あれこれ調べたが、基本的には治療法は確立されてはいない難病であり、治療を行うとしても西洋医学ではステロイド療法しかなく、かつそれでも治せない病気であり、予後も良くないと知り、体調と共に精神的にも深刻に落ち込んでしまった。
松本先生の論述を何度読んでも殆ど理解出来ない己を嘆く有様なのです。松本先生が言われる知的レベルの高い徳弘さんとか若く優秀な方々とは異なり全く異質な世界に取りつくのがどうも困難なのです。其々の専門領域での高等教育を受けた方々は理解できるのでしょうが、1960年当時の高校で習う物理・化学・生物は1930年代に発展した量子力学の基礎とその成果を反映したものではなかった。そのレベルの知識では現代の物理・化学・生物・医学は殆ど理解出来ないのが現実です。(一般的には国公立はともかくとして理系科目が受験科目に無い私学志望者ではましてです。)広く産業界では量子力学以降の成果が、例えば材料分野での技術革新に結びつき現在のエレクトロニクス産業発展の一要素となったのですよね。医学領域においては殊更体質的に「知の独占」による富の蒐集が行われているのですね。更にこれは最終的には日本国内どころではなく海外の巨大製薬・化学会社が仕掛けた呪縛構造なのではないでしょうかね?
正しいかどうか解りませんが、松本先生の言われている事を私なりに要約して理解するとすれば、間質性肺炎は肺の間質に溜まった異物と蛋白の結合体をIgG抗体が処理するのだが、この戦いは宿主が生きている限り永続的に継続され間質の硬化となり最終的には呼吸困難に陥り死に至る。IgE抗体へ、クラススィッチしてアレルギー化し異物に対し免疫寛容を起こし共存を図る。その為には7免疫力を高める、それが治療。幸いなのか不幸なのか知りませんが、恐らくストレスによって副腎皮質からステロイドを出してはいたでしょうが、ステロイドは服用していません。また抗ヒスタミン剤、抗アレルギー剤も知る限りでは服用していません。しかし降圧剤を10年、甲状腺ホルモン剤を5年服用を続け、その他クラリス、ロキソニン等を服用しています。間質性肺炎の指摘を受けた時は4種の薬を飲んでいたのです。毎日毎日こんなに薬を飲んでいて良いのだろうか?と思い至り、2014年12月末から一切の薬の服用を中止してみたのです。その効果はテキメン?で血圧は160-95程度に上がり、甲状腺ホルモンの不足からか不調状態に陥り、更には間質性肺炎による息切れも現れ、かつ体幹が弱まり、フラフラの状態でした。(2月中旬から降圧剤を従来の半分の5mg服用を再開)
この2・3月の体調は極めて悪く、せめて生きている間を楽しもうと思い旅行等をしたのですが、急坂や階段を上ると息が苦しくなり、体力が落ちていくのを実感する日々でもありました。ワイフに間質性肺炎とその病状を説明し協力を依頼したのですが表面的には動揺もせず聞いて貰えた。体力気力共に消耗・憔悴した状態で、間質性肺炎を西洋医学では治せない難病であり西洋医学を頼りにしても意味がない、藁をも掴む思いで松本医師の診察を受けたのです。その診断にはそれなりの説得性があり自分なりに納得し、「病気は医者が治すのではなく、自分が治すものだ」と言われ、「よしやってみよう」と思った次第です。
初診前にHPにある松本医師の記述を読みましたが、免疫の仕組みについての基礎知識が欠如しており良く解らなかったのです。ただ自己免疫力を高めて、細菌やウィルスの感染に対しては薬剤をはじめとする種々の化学物質・細菌・ウィルスを排除或いは(平和的?)共生(免疫寛容)に至るべくして病気を治すということではなかろうかと思い至ったのです。
初診後の経過
①初診(2015.3.25)直後
松本医師の奨めで鍼灸の治療を受けたのですが、その所為なのでしょうか。翌日は何故か(当然)体調がすこぶる宜しかった。夕刻一緒にタイへ旅行した友人達と逢い「タイでは顔色が酷く良くなかったが今日は良い」と指摘されました。しかしその時に自分は怪しいと思いそれまで飲まないようにしていたタイ製のブランディー(???)をウッカリ呑んでしまった結果なのか?その翌日から下腹部の痛みと下痢が始まりました。(しかしこのタイの偽ブランディーをはじめ、計6年間駐在した中国で出回っている偽シーバスウィスキーや、ホルモン剤まみれの上海蟹をはじめとした農薬まみれの農水産物にはかなりの化学物質で汚染されていたのです。それらを随分たっぷりと飲み食いしてきてしまっているのですが・・・・)奨められた鍼灸院を取り敢えず近隣で探し通い始めた(2~3回/週のペース)。
②2週間経過
この「しぶり腹状態」での下痢は日に5・6回。液状であり、下痢状態にある。下腹部の腹痛は依然継続した。血圧は145-85脈拍66。体幹の筋肉の衰えが目立ち、ふらつく。
③4週間経過
依然下痢と腹痛は継続しているが、幾分良くなっているのではないかという希望的な見方をして過ごした。下痢は依然液状ではあるがかなり改善され粘度が高くなった状態。3週間目の4月17日松本漢方クリニックで再診。この下痢と腹痛は漢方薬服用開始による反忚であるとの説明を受け、おそらくそうであろうと思っていましたのでヤハリという感じでした。血圧は140-85脈拍64で幾分低下傾向。夜更けに目が覚めると心臓の鼓動が大きくなっている。肺動脈高血圧かと疑ったが症状はどうやら違うのかも知れない。
④6週間経過
下痢と腹痛は依然継続しているがこの2週間でかなり改善した。腹痛は相当軽度と言える。下痢も有形とは言えないまでも粘度がかなり高くなった。血圧は前週と変わらず140-85脈拍64。深夜の心臓鼓動は治まっているようでもある。
⑤8週間経過
耳鳴りは一貫して依然継続中。呼吸は、平常の呼吸では殆ど変化を感じられません。かえって平常時の呼吸は楽になった様な気がします。しかし階段を昇ると息切れは確かにキツクなっています。下痢腹痛は残っているが、ほぼ有形軟便。腹痛も殆ど気にならなくなっている。血圧135-80脈拍66。深夜の心臓鼓動で目覚める。
⑥10週間経過
便は有形軟便状態で、快便の感じになりつつある。腹痛は殆ど感じなくなりつつある。血圧は変わらず135-80脈拍65。階段・坂道を上がると息切れはするが幾分か楽になっている(楽観的か?)体調も初診時と比べると好転しているのではないかと思える。体幹の衰えは一応治まったか?