「クローン病手記」
匿名希望 39歳 2014年4月2日
匿名希望 39歳 2014年4月2日
(クローン病治療中間報告)
◇はじめに・・・
今、松本漢方クリニックのHPには医院長の論文やコラムを始め沢山の患者様方のすばらしい手記がありクローン病に関しても、潰瘍性大腸炎やリウマチに関する論文や手記を繰り返し何度も読めば病気の原因と治っていくまでの理論と過程がよく理解出来ると思います。
病気とは人体に入った異物と免疫との戦いであります。私自身も免疫の理論を全て理解出来ている訳ではなく、イメージをもってその仕組みや働きを理解しているつもりです。
私は、この手記を書くにあたって「病気をつくるのも治すのも最後は自分の心なのだ」という事を自分の経験から皆様に少しでもご理解して頂ければよいかと思い手記を綴っていますので、病気になり治るまでのプロセスに関わる遺伝子、細胞、抗体等々の様々な素晴らしい働きに関する記載はあえて割愛させてもらいます。
又この病気に至った過去を振り返る事は自分にとっては非常に辛い為、思い出したくもないのが正直な気持ちですが、今辛い思いをされている方がこの手記を読み私のような患者もいるのだと思い少しでも勇気や希望をもってくださればと思っております。
拙い内容ですがよろしくお願いします。
◇ストレスが蓄積されていった過去
私がクローン病と診断されたのは2011年11月でした。
最初に、私が病気になるまでの仕事とプライベートの内容を綴りどれだけ身体と心を酷使しストレスで副腎皮質ホルモンからステロイドホルモンを出しつづけ自分の免疫を自分自身で押さえ込んでしまっていたかをお話しします。
私は中小企業の商社で営業の仕事をしており入社当時ら、絶対誰にも負けない、負けたくない、自分の実力を認めさせたい、という気持ちで日々遅くまで仕事をし必死に突っ走っておりました。営業先での得意先(顧客)のバイヤーやその上司は皆もちろん年齢や性別や個性の違う相手ですので、それぞれの人によって神経を使い接し方や対応を変え自分を売り込み成績を積み上げていきました。
もちろん営業という仕事ですので競合他社との競争の中、色々な交渉のやり取りは必然で時には相手都合での理不尽な要求に対しての折衝などもありこれに対しては我慢を強いられイライラする事も多かったです。
また得意先のバイヤーによっては休日(土・日)でもお構いなく携帯電話に仕事の連絡が入り休みの日でも完全に仕事から離れられる事が無く、心底休めていなかった状態だったと思います。必然的に休日出勤もよくしておりました。
そうしながら成績を残していき、だんだんと任されていく仕事のレベルも上がりボリュームも増えていきました。20代の頃はがむしゃらに邁進し、仕事も遊びもめいっぱいの勢いでやっていましたが自分ではストレスを強く意識はしていませんでした。仕事での成果を残し社内でも若くしてある程度の地位を確立することが出来ました。
管理職になれば部下を持つ事になり、これまでのように自分の仕事だけをしていればよいという訳にはいかず自分よりも年上の部下(今までの先輩や上司)も居て、また別の部分で頭と神経を使う日々になりました。それにプラスして自分とは考え方や意見の合わない上司(部長)ともよくぶつかり、そこに対してもイライラし段々とストレスが溜まっていきました。どの世界もそうだと思いますがサラリーマンの世界も力関係で成り立っています。権限のある人間の意見を変えることはなかなか出来るものではありません。まさに医療業界と同じですね・・・
会社から自分への責任や期待が増える事により、一層神経を研ぎ澄ませ成果にこだわるようになりました。そうしながら仕事への自信が過信にもなっていました。忙しさゆえに周囲に対しピリピリと近寄り難い空気感を漂わせ、徐々にアグレッシブな性格や態度へと自分が変わっていっていました。そんな折「出る杭は打たれる」ではありませんが社内で自分に対する嫉妬心からの陰口を叩かれたりもしました。また逆もしかりで他人が評価される事がとても悔しくて歯がゆくて、それに対し自分も強い嫉妬心を抱きさらに競争心が増していきました。この時、仕事への慢心的な思いから自己中心的な考えが自分の心を支配しており自分の意と反することに対してはとても苛立ちを抱きそれを自分の中にため込むようになりました。30歳を過ぎた頃からは慢性的な心の疲労感を感じるようになっていました。
このように仕事では周囲からの評価に縛られ他人主義一辺倒の日々で、だんだんとコンプレックスも大きくなり自分のエゴや理想が膨らみ、思うようにならないとイライラするといった自己中心的な考えと現実とのギャップに葛藤しておりました。
次に、プライベートでは草野球・地域でのバレーボール・釣りなど、とにかく体を動かすことが好きで休日は家にじっと居ることがなかったです。草野球とバレーボールの両方でキャプテンも務めていましたのでチームの代表故に裏方での色々な仕事や試合の段取りなどの他、チーム内でのいざこざもあったりと楽しい反面それなりに気苦労も多かったです。
週末の夜になれば仕事でのお酒の付き合いもよくありましたが、友人達と飲みにいって朝まで遊んだりと不規則な生活をして肉体に対してのストレスを掛けていたと思います。
プライベートは自分のやりたい欲を満たそうと自分の体に負担を掛け続けてしまっていました。体の状態は仕事を始めた頃からしばしば胃のあたりがキリキリと痛くなることがあったり下痢をしたりすることがありましたが、大して気にはしていませんでした。たまに病院へ行って胃腸薬や整腸剤をもらったりもしていました。そうやってたまにお腹が痛むことや、便が緩く下痢気味な状態が当たり前のようになっていきました。
◇身体の異変
私は小さい頃から春になると鼻炎の症状が出ていましたが、特に気にする事もなく薬なども一切服用はしていませんでした。2009年の春、毎年起こる鼻炎の症状とは違い目や喉が痛くなったり頭痛がしたり風邪をひいた時のような症状になったりしたので、ついに花粉症になってしまったと思い耳鼻科へ行きました。この年から毎年春には耳鼻科へ行き、鼻からの吸入をし、抗アレルギー薬を飲むようになりました。
花粉症は花粉に乗って体内に入ってくる化学汚染物質に対してIgE抗体がそれを排除しようとする戦いが本格的に始まっただけのことなのですが、もちろん当時は無知でアホな一般大衆ですので、そんな事は全く知らずにただ医者に言われるがまま薬で症状を、いや正しい免疫の働きを押さえ込んでいました。
またこの頃から下痢をする頻度も増えていきました。下痢のため栄養の吸収が悪くなったせいなのか少しずつ体重が減りはじめたりもし、筋トレをしても筋肉がつきにくくなったり、スポーツをした時の汗をかく量がとても多くなったり、夏場などはぐっしょりと寝汗をかくようになったりもしました。また体のだるさが頻繁に起こるようにもなり、今までとは違う体調の変化を感じていました。下痢はアレルギー性の場合もあり、その他の症状はヘルペスウィルスによる症状だと今なら思えるのですが、もちろん当時はそれを知る予知はありませんでした。
2010年の秋頃、腹痛を伴う発熱(38℃を超える)が2~3回ありました。この時は病院へ行っても胃腸風邪と言われただけでした。近所の町医者だったので血液検査などはしていませんでした。今振り返ればこの時既にクローン病が始まり腸管での炎症があったのだと思います。体調が徐々に悪くなっていく中でこれは何かおかしいなぁと思いながらそれを認めようとせずに、だましだましの日々を過ごしていました。
2011年の夏の日、朝から気分が悪く微熱があり風邪でもひいたかと思っていたら段々と気分が悪くなり嘔吐を繰り返しました。気分の悪さで眠れない夜が明け徐々にお腹の痛みが強くなりついには我慢が出来ない痛みになり救急車で病院へ運ばれました。腸閉塞になってしまい2週間の入院でした。この時でも自分の心は、入院をしてしまった事に対して自分自身への歯がゆさのような感情と、こんな姿を見られたくないという周囲に対してのコンプレックスを強く抱いていました。ちっぽけな地位や意地やプライドが自分を塗り固めてしまっていました。それでも病院のベットの上でパソコンを開き仕事をしていました。
入院した時に先生がレントゲン(CT)の結果を診て「なぜか小腸付近で腸閉塞が起こっているんだよな~」って言っていたのを覚えています。きっと腸閉塞が起こっていた場所は後に切除することになる回腸の部分だったと思います。回腸はリンパ組織が多く炎症が起こりやすい箇所でもあります。この時既にクローン病による狭窄で腸閉塞になってしまったのだと思うのですが、当時はとにかく早く退院したい一心だったのでその原因を追及する事はしませんでした。
退院してからも夏の暑さで貧血になり倒れそうなぐらいしんどい時もありました。さらにこの年の9月、排便をした時に肛門の激痛が起こり座っているのも辛い状態になりました。肛門科のある病院へ行ったところ痔瘻との診断で、肛門付近に出来ている膿の溜まった出来物をその場で切り取り膿を出す切除排膿をしました。その後しばらくの間は痛みもありましたが、我慢できないほどの痛みではなくなりました。
(痔瘻やシートン法の手技については、THさんのクローン病手記の中で医院長が詳しくコメントされていますので参考になると思います)
肛門の痛みは軽減できましたが下痢や腹痛、倦怠感など体調の悪い状態は続いており特に夕方になれば決まって腹痛がでておりました。熱は出ませんでした。
腹痛や倦怠感が夕方にでる理由は、人間は活動のために朝から夕方にかけて交感神経が優位な状態になり逆に夕方から夜は副交感神経が優位な状態になるので、その副交感神経が優位になる時に免疫の活動が高まるためヘルペスとの戦いが生じ決まって夕方に腹痛が起こっていたのだと思います。その後だんだんと食事をすれば必ず水溶便という状態になり腹痛もかなり強くなっていきました。これは本当にマズイと思い11月に総合病院を受診しました。血液検査でCRPの数値が高く詳しい検査をすることになりました。大腸内視鏡をしている最中に何人かの医者が集まってきて内視鏡で映っている映像の画面を見て何やら話していました。私はその様子をみてこれは何か病気になっているのだと察知しました。検査が終わってから先生に「小腸の出口付近に潰瘍があり普通なら出来るはずのない場所にある」と言われました。詳しくは他の検査結果を全て診てからですがクローン病の可能性があると告げられました。家に帰ってインターネットでクローン病を調べました。その内容を見て愕然としとても大きなショックを受け激しく落ち込みました。後日クローン病の確定診断を受け薬はペンタサとビオフェルミンとエレンタールが処方されました。私の主治医となった先生はIBDの専門医ではなかったせいなのか、治療に関して最初の段階ではレミケードやステロイドなどは一切聞かされませんでした。また「一生治らない」という事も言われず薬でコントロールするように言われただけでした。勿論「治る」とも言われていませんが。
そうやって薬を飲んで2週間ぐらいたつと一旦腹痛はマシになりましたが、胸のあたりに蕁麻疹が出たこともありました。病気についてインターネットで調べていましたので食事制限は自分なりに行うようにしていました。年末頃には初めて血便が出て貧血もひどく体調は最悪な状態でした。
2012年、年が開け病気を治す方法はないかとネットで色々と調べ、自然療法や健康食品、爪もみや鍼などを試みたりしながら自分で薬の量を減らしたりもしていましたがなかなか実感できるような効果を得ることは出来ず、相変わらず腹痛や倦怠感が強く出ていました。その原因は何より自分に掛かっているストレスが何一つ軽減されていなかったからです。それどころか仕事では新たに覚えなければならない業務も増え神経を使いさらにイライラする日々が続いており、より一層ストレスを感じていました。毎日毎日ずっと自分自身のステロイドホルモンをだし続け免疫を押さえ込んでいました。
そしてこの年1012年の6月、朝おきて洗面を済ませた後に今までには経験した事の無い腹痛に襲われました。自分でもこれはかなりやばいと直感的に感じました。救急車で病院へ運ばれながら、腸閉塞で済んでくれと思っていましたがそうではありませんでした。
救急での検査を待っている間も激痛で気が狂いそうでした。検査の結果は腸が穿孔し腹膜炎を起こしていました。きっと1年前の腸閉塞から狭窄が進みそこが詰まり破れてしまったのだと思います。緊急手術となりそこから約1ヶ月半の入院となりました。手術でお腹を開いてから分かった事なのですが腸の瘻孔も起こっていたようです。手術も終わり目が覚めると人工肛門になっていました。病気になり一番恐れていた手術という事になり、しかもストーマ(人口肛門)にまでなってしまい、自分の心は完全に崩壊し本気で死にたいと思いました。
手術から3日間は病室のカーテンも開けずに誰に何を言われてもただただ放心状態でこの先の希望など全く持てませんでした。この時初めて病気の恐ろしさを知らされました。日を追うごとに体に刺さっているドレーンが1本ずつ減っていき、少しずつ本当に少しずつですが現状を受け入れる心にもなっていきました。経過を診ていく過程で外科の先生から自分のストーマは戻すことが出来る事を聞きました。一生この状態だと思っていたのでそれを聞いた時は一気に視界が開けた気分になり、自分の中でこれから先への希望が生まれた瞬間でもありました。それでもまだ完全に病気を受け入れる事が出来てはおらず、心のどこかで自暴自棄になっているところはありました。
(ストーマはこの翌年の3月に閉じました)
◇松本漢方クリニックとの出会い
入院中は病室へパソコンを持ち込みクローン病での手術やストーマの事、本当に治る方法はないのか等、日々インターネットで検索をしていました。そしてある方のブログたどり着きました。そのブログはお母様が娘様のクローン病の闘病記を綴った内容で後に松本漢方クリニックで完治の手記を書くことになる方なのですが、自分と同じような手術の経験をしておられた後に松本漢方クリニックでの治療をされていました。すぐさま松本漢方クリニックのHPを検索し医院長の論文や小西さんの手記等を読みましたが、その内容はほとんど理解が出来ませんでした。それでも早く松本漢方クリニックでの治療を始めたい衝動にかられ2012年7月25日に病院へ外出許可をもらい妻と一緒に松本漢方クリニックを受診しました。最初の診察では今までの仕事の内容や身体の症状と手術の経緯などを医院長にお話ししました。病気に対する理論などほとんど理解出来ずに診察を受けましたので、今考えれば医院長に「アホかもっと勉強してから来い」と言われてもおかしくはなかったと思うのですが、医院長からは真面目にやり過ぎるな、もっとやんちゃになれ、病気は自分で作ったんや、とのお言葉を頂きました。それから鍼灸の治療をして頂き、食前・食後の煎じ薬と漢方風呂、赤と黄色の塗り薬、ベルクスロン錠を頂いて初めての診察を終えました。この頃入院先の主治医からは何度もレミケードを進められましたがもちろん自分の答えはノーでした。その後、血液検査で炎症の数値も標準値に落ち着き退院をしました。退院後は会社の社長と話しをして松本漢方クリニックでの治療を始める事や今後ストーマを閉じる手術の為に再度入院期間が必要な事なども含め療養での長期休職を承諾してもらいました。社長へは松本医院長の論文と小西様の手記を読んでもらい病気の原因と治療方を理解してもらいました。そうして松本漢方クリニックでの治療に専念する日々が始まりました。
◇治療と経過
療養での休職中は松本漢方クリニックへ2週間に1度のペースで通いました。医院長からは病気の理論に対する教えや心のあり方、物事には必ず原因があり原因のない病気など一切ない事等々沢山の事を教えて頂きました。医院では鍼灸で体を癒し家では漢方を飲みお灸をしながら患者様方の手記を毎日読みました。漢方風呂にも入りました。
診察での医院長との会話で心の免疫を上げ、鍼灸とお灸の刺激で免疫を上げ、漢方の苦みで免疫を上げ、漢方風呂でも免疫を上げる。松本漢方クリニックでの治療は免疫を上げることばかりです。治療を始めての体感的な症状としては倦怠感がとても強く吐き気、下痢、腹痛や鈍痛、貧血気味などでしたが、熱が出ることはありませんでした。とくに最初の頃は体がとてもしんどい日が多く、漢方風呂に入った次の日などは一日ぐったりしているという日もよくありました。医院長から「しんどい時はゆっくり寝とけばいい」と言われたので免疫が上がりヘルペスとの戦いによる症状なんだと認識し、とにかく焦らず体を休めました。
診察時に医院長からは常々「自分を見つめ直せ」と言われました。
またある時は「もっと苦しめ、心の修行じゃ」と厳しいお言葉をもらうこともありました。
まだまだ心が変わってない自分のことを医院長は見抜いての指導だったと思います。ただそれを言われた時は寂しく辛い気持ちになり逆に心の免疫が落ちる
感じでした(汗)。「自分を見つめ直す」という言葉の意味が分かるようでなかなか分からずにいました。長い間仕事で染み付いてしまった自分の内なる部分にあるアグレッシブな感情やエゴ、他人への嫉妬心、コンプレックス、自己中心的な考え方、それと病気を心から受け入れるということ、これらをなかなか改める事が出来ませんでした。またストーマであった時期やその後も体調がすぐれず万全ではないが故にそんな体の状態に対しても嫌悪感や苛立ちをもってしまいその感情を家族にもぶつけてしまったりもしていました。それがいけないのだと重々分かっていても根底から心と考え方を改めることが出来ずにいました。自分でも病気を治すためには心のありかたが一番大事だという事は分かっていたので、カッと怒りの感情が出た時も心を落ち着かせるように意識し、間違った悪い心のあり方を改める事に努めました。そして心と考え方を変えるために全てを捨てる努力をしました。
「欲」「エゴ」「理想」「コンプレックス」「完璧主義」「嫉妬心」「怒り」「ネガティブな考え」これらの心と思考を全て捨てる。自分の免疫を信じ、いつも笑顔で心穏やかに過ごし、損得勘定をせずに心の葛藤をなくし、自分の気持ちに素直に正直に、真実のために生きる・・・これを毎日毎日、呪文のように言葉に出して自分自身に言い聞かせるようにしました。
また医院長から究極は「他人の幸せを喜び自分の幸せに変えることや」と言われましたがこれはなかなか出来るものではなかったです。
私はこの病気のため手術をした時から、心のどこかで死んでしまいたいという思いがずっと消えずにいました。そんな思いを抱いている私に医院長はご自身の過去の経験を織り交ぜながら、心のあり方をどうもてばよいのかを教えて頂きとても救われました。
そんな思いが消えなかった根本は、自分が病気を完全に受け入れる事が出来ず、そうなった最大の原因は自分の心のあり方なんだという事を本当に理解できていなかったからだと思います。長い時間が掛かりましたが徐々に徐々にその事に気づき、病気を心から受け入れることと間違った心のありかたを捨て、怒りの感情をなくし穏やかな気持ちを保てるようになりました。厳密に言えば全てを捨てることが出来たというよりも、諦める決意がもてたといったほうが正解かも知れません。それによって心が楽になりました。
病気をつくった自分の心を認め受け入れ今ある状態を当たり前と思えることが出来るようになったという事のように思います。
もちろん今もそれが完全に出来ている訳でもなく、全てを完璧に捨てて諦めきれている訳でもありませんし、欲やエゴや嫉妬心などまだまだあります。社会に出て生きている限り特に仕事面などでは他人との接点を避けては通れません。
その中で時にはアグレッシブな感情が出る事だってあります。ただそんな時にも冷静に心をコントロール出来るようになったと感じています。全てを捨て諦めるといっても自分の見合う範囲で分相応に出来る事をやればいいと思えるようになっただけの事です。そして自分の心との戦い他人との戦いや競争を止める事が出来るようになりました。
◇今の状態
長い休職を経て今年から仕事に復帰しました。会社からも病気への理解を得て出来るだけ無理のないペースで仕事をし、今のところは穏やかな気持ちを保つよう心がけ規則正しく生活が送れています。もちろん漢方とお灸は毎日続けております。週末には漢方風呂にも入っています。体の症状は倦怠感や腹痛(鈍痛)や下痢などで、波もありますが以前と比べると格段にマシになっています。
治療を始めてから途中、足の脛に若干の発疹がでた時期もありましたがしばらくすると無くなってしまいました。また昨年の秋頃から頭皮湿疹がでている状態です。私の場合は何年もの長い間ストレスによりステロイドホルモンを出し続け自分で免疫を抑え続けてきたので全ての症状がなくなるまでには、まだまだ時間がかかるだろうと覚悟はしております。
この病気になった事でとても辛い経験や思いもしましたが、真っ直ぐで情熱的な松本先生と出会うことが出来、そこで学んだ事は人生の大きな財産であり宝物になりました。
そして本当の真実を学び人間性を叩き直して頂きました。
また仕事に復帰し日々限られた時間の中で、毎日漢方やお灸を続けられるのも妻や子供の家族の理解と協力があってこそだと思い感謝しています。
今後も医院長をはじめ副医院長その他スタッフの皆様にはお世話になりますが何卒宜しくお願い致します。
◇最後に
この手記を読んで頂いた方が「病気をつくるのも治すのも最後は自分の心なのだ」という心のあり方の大切さを感じ、ひとつの気づきにして頂ければよいのではないかと思っております。また中間報告や完治の手記を書く意義についてですが、今回私も手記を書き上げるのが遅くなり医院長から厳しくお叱りを受けました。それは自分が今こうして松本漢方クリニックでの治療に至っているのも、他の患者様の手記を読み参考にして勇気づけられたからこそであるにも関わらず、この手記という松本漢方クリニックでのバトンを自分が繋がないのはとても身勝手だという事に気づき、自分はまだまだ心を入れ替えきれてはいなかったんだと深く反省しました。皆様も手記を書く時期がくれば必ず書いて下さい。それはきっと同じ病気の方への勇気や希望の力になるはずだと思いますので。