「マイペースで世間知らずな画家志望の男が、クローン病を完治するまで」
匿名希望
匿名希望
この手記は、「クローン病」と診断されてから、 松本先生に「完治」との診断を頂くまでの2年間のいきさつを綴ったものです。
母一人子一人で育ったぼくは、マイペースで夢見がちな、絵を描くのが好きな子供でした。 ぼくは日々を送る中で感じる様々な感情や疑問を表現する手段を知りませんでした。目の前の友達と 居ても、どこか自分の居場所がないような、「生きている」という充足感が持てないまま、ぼんやり とした日々を送っていました。思えば子供の頃から「生きづらい」という潜在的なストレスをずっと 感じていたのでしょう。
ただ、絵を描いている時間だけは「楽しい」という感覚が得られました。 漠然と、絵を描く行為から離れたくないという思いで美術大学へ進みましたが、まだ自分の進路を はっきりとは決めかねていました。
画業だけでは暮らしていけないため、2008年に現在の職場に契約社員として入社しました。ある 程度仕事を覚えたぼくは、社員が居ない日のリーダーとして、その日の仕事を取り持つポジション を任され始めていました。放任主義の店長のもとで、のびのびと仕事をしていました。
体調に異変が出始めたのは、2011年頃からです。 この年、職場の上長が鬼のように厳しい人物に変わりました。それまで自信を持っていた仕事の やり方をことごとく否定されました。一人っ子で、人から叱られる機会も少なくマイペースに生きて きたぼくは、人生で初めて「職場でのストレス」というものに出会いました。自分の存在そのものを 否定されているような体験。それは「自治領」から「帝国」への変貌ともいえるものでした。
その頃から夜になると、突然お腹が激しく痛くなる症状が出始めました。口に手を入れ、食べたものを 吐き出すことで腹痛が収まりました。3日間ほどはうどん等の消化の良い物を食べ、その後は自己判断で 普通の食事に戻していました。 最初は3ヶ月に一度程度のもので、特に気にも留めていませんでしたが、徐々に腹痛が起こる頻度が増え ました。腹痛と前後して、この頃から下痢気味の便が目立つようになり、お腹が心もとない状態が 日常的になりました。
そしてある日、出勤できないほどの腹痛に襲われ、会社を休んで近くの胃腸科で診てもらった結果、 「腸閉塞を起こしてますよ、あなたすぐに入院しなさい。なんでこんなになるまで放っておいたの」 と言われました。腸の内部が炎症を起こして腫れ上がり、食べ物も通らない状態でした。病院で 診断された病名が「クローン病」でした。一生治ることはない難病であると聞かされ、呆然としました。
手術で、炎症部分を10cmほど切ることになり、ひとまずお腹の痛みからは解放され、ベッドの上で 入院生活を送っていたある日、ふと「本当にクローン病は治らない病気なのか?」という素朴な疑問 が湧きました。直感的に手元のスマートフォンで「クローン病 完治」と検索したところ、当時の 松本医院のサイトが上がってきたのです。
現代は、環境や食生活の変化、またストレスによって、体が本来持っている免疫機能が歪められており、 それを漢方によって目覚めさせるという方法を知り、何か大きな扉が開いたような気がしました。 鬱蒼とした森の中にいるような漢方の香りの中で、松本先生から言われた「病気を治すのは君自身や」と いう言葉に、目から鱗が落ちる思いでした。 初めて煎じた漢方湯を飲んだ時のことは今でも忘れられません。
苦味あふれるその味が体の中を通り始めた瞬間、眠っていた全ての細胞がいっせいに起きだしたような、 何か野蛮で、原始的な生命の力を自分の身体の内側から感じました。「これは信用できる」と思いました。
それからは鍼灸治療を併用しながら、混乱していた免疫抗体の働きを徐々に元に戻していく日々が続きました。幸い、ぼくはステロイド系の免疫抑制剤をほとんど使ってこなかったため、目立ったリバウンド 症状も感じることもありませんでした。
飲み始めて半年か一年が過ぎた頃、ふと、あれほど感じていたお腹の心もとなさがなくなっていること、 ペースト状が当たり前だった便が、立派なバナナ状に変わっていることに気づきました。
2013年に改めて 松本先生に診て頂き、「完治」とのお墨付きを頂きました。 今は結婚して、一切の食事制限もせず好きなものを食べ、自分の好きな絵を描き、その絵で家族を養うべく、 描いた絵を海外のコンペティションに応募したり、美術教室を開くための準備をしたりしています。
自分を追い込んだ職場の店長でさえ、人生での学びを与えてくれた存在として、感謝の念さえ抱いています。 改めて、このような充実した日々を送れるよう、きっかけを与えて頂いた松本先生に感謝いたします。 本当にありがとうございました。