「クローン病が治るのは当たりまえである(短縮版)」
40歳男性 2016年5月27日
40歳男性 2016年5月27日
◆発症から松本医学を知るまで
おしりの激痛に涙ぐみながら肛門科を受診すると肛門周囲膿瘍だという。
「この病気になる人は腸に異常がある場合がありますから検査を受けてください」
言われるまま内視鏡検査をうけると、さらに「クローン病の初期です」とのこと。くろーんびょう?
「詳しいことはこのパンフレットを読んでおいてください。あと、薬を出しておきます」
パンフレットにはこう書いてあった。――
◇
クローン病は、若年者に多く発症し、小腸と大腸を中心とした消化管がおかされる炎症性疾患です。医学が進歩した今日においても、その原因は不明で根本治療は開発されていません。(中略)
原因として、遺伝的な要因が関与するという説、結核菌類似の細菌やウイルスによる感染で発症するという説、食事の中の何らかの成分が腸管粘膜に異常な反応を引き起こしているという説、腸管の微小な血管の血流障害によるという説などが挙げられていますが、いずれもはっきりと証明されたものはありません。(中略)
最近の研究では、異物を処理する細胞やある種のリンパ球などの免疫を担当する細胞の反応異常が明らかになっており、これらの免疫異常と遺伝的因子、環境因子が複雑にからみあって発症すると考えられています。(中略)
いまだ原因が不明であるために根本的な治療法がないのが現状です。(中略)
食事をとるうえでの注意点
1.脂肪の多い食品は避けましょう。
2.食物繊維を制限しましょう。
3.タンパク質は植物性の食品や魚介類からとりましょう。
4.刺激のあるもの(香辛料、アルコール、炭酸飲料、カフェインなど)は避けましょう。
5.甘いもの、冷たいもののとり過ぎを避けましょう。
6.味つけは薄味に……。
7.1日の食べる量を守りましょう。(中略)
避けたい食品
主食……玄米ごはん 赤飯 ぶどうパン クロワッサン デニッシュ類 そば 中華麺 インスタントラーメン
他の穀類……とうもろこし
芋類(こんにゃく他)……こんにゃく しらたき
和菓子……あん菓子(つぶあん) 豆菓子 かりんとう 揚げせんべい 南部せんべい
洋菓子……アップルパイ ショートケーキ 他のケーキ類 ドーナツ ババロア チョコレート あんパン 揚げパン
他の菓子……月餅 中華クッキー スナック菓子
油脂……サラダ油 ごま油 バター マーガリン
種実類……ピーナッツ アーモンド ピーナッツバター ごまなどほとんどの食品
豆類……大豆 おから ぶどう豆 きな粉 納豆 あずき ささげ いんげん豆 そら豆
魚……塩辛 缶詰(油漬け)
甲殻類……いか たこ 小えび するめ 干しえび 干し貝 缶詰類
肉類……牛肉(ばら肉 サーロイン 和牛ロース) 豚肉(ばら肉 ベーコン) 鶏肉(骨付き皮付き肉 ひき肉)
乳類……生クリーム
野菜……たけのこ ごぼう れんこん セロリ ふき 漬物
果物……パイナップル 柿 なし
きのこ……しいたけ えのき しめじ など
海藻……わかめ 昆布 ひじき など
嗜好飲料……アルコール 炭酸飲料 コーヒー ココア
調味料・香辛料……香辛料 マヨネーズ ドレッシング カレールー
(日比紀文監修『第2版 クローン病の正しい知識と理解』より引用)
◇
通院するたび薬をどっさり渡された。看護師からうけた説明は、
「これがペンタサといって、クローン病の基本的なお薬になります。1日3回、食後に2錠ずつ飲んでください。これは、プレドニン。痛みをおさえます。1日1回、2錠です。あと胃薬です。このプレドニンというのが、強いお薬なので、胃を荒らさないようにするために、プレドニンを飲む前に飲んでください」
飲むたびに、私は、何か取り返しのつかないことを始めているような気がした。
まだ症状もろくにないうちから、こんなに薬を飲んでだいじょうぶなのか。それも胃薬を飲まなければいけないような「強い薬」を。
一定期間で飲み終わるならまだしも、これから死ぬまで飲むのか。
パンフレットのタイトルには『クローン病の正しい知識と理解』とある。
このタイトル、どうもおかしい。
原因がわからない、と言っておきながら、どうして、そのあとに「正しい」治療法が書いてあるのだ?
正しいことも書いてあるのだろう。だが、間違いも混じっているはず。疑わねばならない。
問題は、その正誤の比率である。全体のどこまでが「正しい知識」で、どこまでが「誤った知識」か? 最悪、「ぜんぶ間違いでした」という可能性も考えておかねばならない。いや、ぜんぶ疑っておいたほうが、まだしも、「取りかえしのつかないこと」を防げるのではないか?
特に「原因不明」「根本治療はない」、この2つの大前提は、おおいに疑ったほうがよい。
私はクローン病について調査をはじめた。主にネットで情報を集めた。
しかし、やはりというか、どのサイトを見ても、原因不明、治療法なし、の一点張りなのだ。
いまでは松本漢方クリニックに優れた手記が山のようにアップされているが、このとき2002年、まだクローン病の手記がなく、ネット検索をしても松本漢方クリニックにたどりつくことができなかったのである。
疑問をいだいたままペンタサとプレドニンを2~3週間ほど、言われたとおりに飲んでいたが、うむと決意し、残りをゴミ箱に突っこんだ。そして、通院をやめた。
その後はいっさい薬を飲まず、クローン病を放置した。放置もまた治療の選択肢である。原因もしらずにこねくり回すより、よほどマシに思われた。
2~3年はそれでよかった。ときどき腹痛と下痢はあるが何ら生活に支障はなかった。
しかし、3年、4年たつと、じわじわ、ひどくなった。
「ときどき」だった下痢が、「いつも」になった。するとトイレの回数が1日20回に、30回にと増えていった。ひどい日は40回に達した。「ときどき」の腹痛も「いつも」になった。それもナイフで中から刺されるようである。もともと体重50キロとやせていたが、40キロになった。1日を布団のうえで過ごすようになった。立ち上がるのも重労働となった。トイレに行く30回、いちいち全身全霊をかたむけねばならなかった。
ほんとうに薬を飲まなくていいのか、パンフレットに書いてあるように腸に穴があいてしまわないか、不安と恐怖のまま、さらに1年ほど放置した。
するとここまでひどくはなくなってきたのだ。
放置といっても、薬を飲まないことならよいだろうと、断食、自然食品、乳酸菌、整体などを試していた。
そんな折、お世話になっている整体師さんから、松本漢方クリニックホームページを教えてもらうことができた。小西竜二さんの手記が誕生していたのである。――
病気とは異物にたいする正しい免疫の反応である。
異物は3つしかない。細菌とウイルスと化学物質である。
細菌とウイルスはすでに人類は克服した。残るは化学物質である。
化学物質にたいしてIgE抗体で戦うのがアレルギー、IgG抗体で戦うのが膠原病(クローン病など)である。
免疫を抑えなければ、IgGの戦い(膠原病)はIgEの戦い(アレルギー)に変わる。これを抗体のクラススイッチという。
さらに免疫を抑えなければ、IgEは作り尽くされ、化学物質との戦いに負け、自然後天的免疫寛容をおこす。「負けるが勝ち」で、これがクローン病の完治である。
――と、ホームページで理解した。
もっと早く、これを知っていれば! ただちに大阪・高槻の松本漢方クリニックにむかった。2010年、発症から8年後のことである。
◆松本理論による治療(1年目)
「ホームページは読んでくれた?」
松本仁幸博士は、開口一番、そう言われた。(以下、セリフは記憶で書いているので、まちがっていたらすみません)
「はい」
「書いてあること、わかった?」
「はい、よくわかりました」いま思うと、まだ“わかったつもり”だったのだが。とくにヘルペスの理解が足りなかった。
「なんでここに来らはった?」
「治る、と断言されていたからです」
「うん、そうか」
「あ……そうじゃありません。治る理論が完璧に書いてあったらからです」
「そやろ! それが聞きたかった」
それから私がこれまでどんな治療をしてきたかをきかれた。薬を飲んでいなかったことを、褒めてくださった。食事療法をしていたことを告げると「食事は何を食べてもええ」とのこと。
問診が終わると「必ず治してあげるで!」と力強く握手してくださった。
松本博士はこう付け加えられた。
「まあ、治すといっても、ぼくが治すんじゃありません。あなたの免疫が治してくれるんです」
そのあとは別室で鍼灸をうけ、漢方薬をどっさりもらって帰途についた。
この漢方薬を、これから毎食前・食後に飲むこと。
お灸も毎日、自分ですること。
鍼は、地元でいいので鍼灸院にかようこと。
基本的に治療は以上で、あとは状況におうじて抗ヘルペス剤と抗生物質を飲むこと。いまのところこれが治療のすべてである。
1週間後。
松本漢方クリニックに電話した。血液検査の結果を知らせるから電話するように、と言われていたのだ。
松本博士は血液の値をみればその人の体になにが起きているかすべて分かるとおっしゃる。
電話ごしに博士は、血液成分の気になるところを指摘し、それがいま体に起きている異変とどんな関係があるのかを説明していかれた。そして、
「松井さん、間質性肺炎があるよ。ほんとにペンタサ飲んでなかった?」
「2週間くらいですが、飲みました」
「そやろ! それを言わなアカン。免疫はな、抑えられたこと全部おぼえとるんやで! ま、すぐ死ぬ病気やありまへん。だいじょうぶや。この世に治らん病気はないで!」
電話のあと、私は「死ぬ病気」という言葉が気になってネットで調べた。きて、調べてみた。ウィキペディアによると――
◇
【間質性肺炎】
間質性肺炎は肺の間質組織を主座とした炎症を来す疾患の総称で、非常に致命的であると同時に治療も困難な難病である。(中略)1989年6月には、歌手の美空ひばりがこの病因により、52歳の若さで亡くなった事でも知られる病名である。(中略)
症状その病態から、呼吸困難や呼吸不全が主体となる(息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しい)。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である(痰は気管支や肺胞の炎症で分泌されるため)。肺線維症に進行すると咳などによって肺が破れて呼吸困難や呼吸不全となり、それを引きがねとして心不全を起こし、やがて死に至ることも多い。
◇
――たしかに、いつも息苦しいような、胸に何かつかえているような気がして、咳ばらいをするクセがある。クセではなく病気だったのだ。
1ヵ月後、ふたたび松本漢方クリニックをたずねた。
「これは、医者ならみんな持っとる、薬の副作用が書いてある本や」
松本博士はブ厚い本をとりだされ、ひらいて見せてくださった。
【ペンタサ】副作用……間質性肺炎
ほかにも十指に余る病名が連なっていた。
クローン病では死なないが、クローン病の薬で私は死にかけていたのだ。
漢方薬を飲み始めて2~3ヵ月ごろ、痰がしきりに出る時期があった。
8ヵ月が過ぎたころ。松本漢方クリニックに電話し、血液検査の結果をおききすると、
「間質性肺炎は、もうだいじょうぶや」
いわれてみれば、かわいた咳が出ない。妙な息苦しさも感じない。
こうして松本博士に、わたしは命を救われた。
さて、本命のクローン病は、どうか。
<2010年5月>(治療開始1ヵ月目)
漢方薬を飲み始めてすぐ、ヘルペスと免疫との戦いによるものと思われる激しい倦怠感、軽い手足の神経痛がおきるようになった。
腹痛が消えた。便がやや硬くなりトイレの回数が8割ほどになった。顔にアトピーも出始めた。
リンパ球 21・7
CRP 4・4
<2010年6月>(2ヵ月目)
倦怠感がどんどんひどくなる。
リンパ球 13・7
CRP 2・4
<2010年7月>(3ヵ月目)
24時間つづく耳鳴りがあらわれる。
倦怠感がさらに激烈になり、仕事に支障が出始める。それを押して仕事をするのがたいへんにしんどい。
<2010年8月>(4ヵ月目)。
しばらくよかった下痢が少し増え、おさまっていた腹痛が元に戻った。アトピーも引っこんでしまった。
松本博士にお電話すると、ストレスがいけないとのことだった。
<2010年9月>(5ヵ月目)
この治療を始めて以来はじめての発熱と下血。以後、発熱はほぼ毎日、下血は数ヵ月に1回おきるように。
<2010年12月>(8ヵ月目)
腹痛がひどい。下痢は1日10回未満。下痢というよりも軟便になっている。
体重が44・6キロになったため(治療開始時から5キロ減)エレンタールを飲みはじめる。
このころ松本博士から言われたのが、私は心で何かと戦っているのでそれをやめなければいけないということだった。
リンパ球 15・6
CRP8・3
<2012年3月>(11ヵ月目)
下痢が1日30回(うち就寝時10回)になり、体重42・5キロに。
肛門のまわりが腫れ始め、毎日38度台の熱がつづく。また肛門周囲膿瘍になった。
病院へ行くと、体重が減りすぎていることから入院をすすめられる。薬がいやなら使わないので、エレンタールだけでしばらく過ごしてはどうかと。
松本博士に電話でご相談すると、それは価値のあることだからやったらいいとのことなので、3週間入院。下痢は1日10回前後に減り、体重は44キロまで増えた。引っこんでいたアトピーがまた出てきた。
肛門周囲膿瘍は「痔瘻」となり、これが今後のクローン病の最もつらい症状となっていく。
◆松本理論による治療(2年目)
<2011年7月>
体重は48キロに回復。
痔瘻からは膿が出続けており、かなり痛い。この膿のせいか、ほぼ毎日38度台の発熱がある。
困ったのは、座るという動作ができなくなったことだ。このころから「ほぼ」寝たきりとなった。食事も仕事も腹這いだ。
そして、また新たな肛門周囲膿瘍ができた。このころから不定期に肛門周囲膿瘍になっては外科のお世話になることとなる。
激烈にだるく、「ほぼ寝たきり」状態から起き上がるのが重労働である。おしりが痛く、立っているのも苦痛で、つい、漢方薬を飲むことをサボりだした。お灸もだ。
サボっているという自覚はなく、それどころか「こんなにつらいのに、できることはしているんだ」と自惚れていた。これが、いけなかった。
久しぶりに漢方薬をいただくためにお電話すると、
「きみ、5月に漢方薬を出してから、そこで止まっているやないか。オレんとこ来たら、オレの言う通りにやらんかい!」
松本博士からお叱りをいただいた。
目がさめた。私は、サボっていたのだ。猛省し、また漢方薬とお灸を日課とした。
病苦というのは、おそろしいものだ。初心も、志もわすれる。気をつけねばならぬ。
<2011年9月>
痔瘻はつらいが、腹痛と下痢はだいぶ良い。おなかぜんぜん痛くなく、下痢も1日10回くらい。
アトピーもかなり出てきた。あいかわらず首から上だけであるが、まえはなかった痒みが伴うようになった。顔の新陳代謝が異様に早くなり、掻くと角質がボロッと落ちる。鼻のまわりと口のまわりには脂肪が噴きだしている。
<2012年2月>
痔瘻の痛みが耐えがたい。
腹痛が再発した。それも、息もできないほどひどいことがある。
松本博士と電話でお話しすると、
「熱は出てる?」
「はい、38度くらいです」
「けっきょく、日和見感染が起きとるのや。抗生物質が効くからね、だしておくから、飲みなさい」
抗生物質の錠剤を飲むと、腹痛はなくならないまでもラクになった。
それと、これは思わぬ収穫だったが、ついでに痔瘻もよくなったのだ。むしろこっちのほうが大幅な改善がみられた。
松本博士に出会うまで、私は、西洋医学といったらミソもクソもいっしょくた、十把一絡げにまとめてぜんぶ嫌っていたが、無知だった。
使う価値のある薬とそうでないものを知って使いわけることが大事なのだ。
◆私が免疫を抑えてきた履歴(クローン病の根本原因)
どれほど免疫のリバウンドが出るかは、治療をはじめてみなければわからない。いつ終わるのかもわからない。松本博士にもわからないし、私にもわからない。免疫のみぞ知るところである。
それにしても、リバウンドがあまりに激しい。免疫が高まるのがあまりに遅い。
なぜなのか?
ずっとわからずにいたが、その理由は意外なところにあった。
幼少から私は、ずいぶん、免疫をおさえてきてしまったようだ。手記を書くにあたって、これは重要なことであるので、少し長くなるがご容赦いただきたい。
<薬で免疫を抑えた履歴>
まえに母親から、
「じろくんはね、」私のことである。「生まれてすぐ点滴を打ったのよ」
そう言われたことがある。思いだして、急に気になってきた。
実家の母に電話をかけた。
「まえに、ぼくが生まれてすぐ、点滴したって言ったよね。生まれてすぐって、いつのこと?」
「生後10ヵ月のときだよ」
「なんでそうなったの」
「熱が出て、1週間下がらないもんだから、医者に連れていったのよ。そしたら、髄膜炎かもしれないから病院を紹介する、っていわれてねえ。そこ行ったの。そしたら、髄膜炎ではありませんでしたが熱は下げておきましょう、っていわれて。足に針を刺して、じろくんは泣いたけど、足に重りをつけて動けないようにされてね、24時間、10日間点滴したのよ」
「10日! それ何の薬だったかわかる?」
「さあねえ」
状況からして、解熱剤か抗生剤だろう。解熱剤なら免疫は壊滅だ。抗生剤にしても腸内フローラが変わり免疫に影響を与えていよう。
生まれたばかりの私は、4100グラムの、まるまる太った健康優良児であった。
しかし、私の記憶がスタートするのは5歳くらいのときからであるが、顔は青白く、いつも下痢がちで、おなかが痛いといっていた。外に出て走り回る、などということはなく、家の中で、字を書いたり、絵を描いて遊んでばかりいた。いつもおとなしい、母親の言葉をかりれば「手のかからない」子供であった。まったく、子供らしい生き生きとしたところがなかった。
27歳のとき発症したクローン病は、このときすでに、その素地ができあがっていたものと思われる。
しかしこれは、クローン病のきっかけができたにすぎない。より、私の免疫を抑えたものがある。
ストレスである。
<ストレスで免疫を抑えた履歴>
5歳まで、私には外出した記憶がない。
わいてくる記憶はいつも、家の中で紙と鉛筆を友達にして、なにやらくしゃくしゃ字を書いたり絵を描いたりして一人で遊んでいるところである。しかしそれを私はしあわせに感じていた。
しあわせは、5歳のとき終わった。
「じろくん、学校へ行く練習をしておこうね」
母が突然、そう言いだし、保育所へ通うことになったのだ。
この、母のいう“練習”は、時すでに遅かった。
はじめて見る、自分と同じ年頃の人間がひしめく空間に、私はうろたえた。じろじろ、周囲を見まわしてばかりいた。
「じろじろ見るから、じろうっていうのかなぁ?」
“まついじろう”という名札を見て、一人がからかってきた。
このとき、
「ちがうよ、バカじゃねーの」
とでも言ってやればよかったのだが、私は、黙って下を向いてしまった。
このとき明暗が決した。
なにを言っても反応しない、おとなしい私に対し、彼らは身体的接触という手段をもってコミュニケーションをはかろうとした。
この行為を、いじめ、ともいうようだ。
とにかく常に、ひっぱたかれた。
「やめてよ……」
と小声で、精いっぱいの勇気をふるって言うのであるが、そうするとよけいに手やら足やらが飛んでくるのだ。もちろん、複数である。
保育所とはなんと恐ろしいところであろうかと私は思った。朝、家を出たときから、早く一日が終わることばかりを念じていた。
もっと恐ろしいところがあった。
小学校である。
小学校は、これは田舎の特徴であるが、保育所のメンバーがそのままクラスメートとなる。
これで6年間の明暗が決した。
私は青白い顔をして、体つきはひょろひょろしていた。しょっちゅう風邪をひき、熱を出していた。
いちばん困ったのは、腹痛だった。
毎日のようにおなかが痛くなった。そして、腹痛に襲われたあとは、決まって下痢。
トイレへ行くと、クラスメートがついてくるのだ。私が個室に入ると、何人も上から覗きこんで笑った。
最も嫌いな科目は、体育だった。かけっこをすると必ずビリになり、ドッジボールでは真っ先に狙われた。
休み時間は、れいによって字を書いたり絵を描いたりして過ごしていた。
あるとき朝のホームルームで担任が言った。
「テレビでやってたけど、いま、体育ができない子供とか外で遊ばない子が増えていて、そういう子を、もやしっ子、っていうんだって」
みんないっせいに私の顔を見た。
ホームルームが終わり、担任が出ていくと、いつも私をいじめている男子が立ちあがって、席に歩み寄り、
「おい。もやし」
と言った。
教室は爆笑につつまれた。
私は、いじめられっ子として、板についた。叩かれることには、悪い意味で慣れてしまい、当たりまえのように受けいれていた。
とりわけイヤだったのが、“カンチョー”である。油断していると、いきなり、
「カンチョー!」
の掛け声とともに、両手を組んだ人差し指2本が肛門に入ってくるのだ(油断していなくてもやられるのだが)。このころ大いに視聴率をとっていた「オレたちひょうきん族」の影響なのである。
毎日、いじめられるために学校へ行った。
小学2年のとき、近所の橋で、欄干に立ち、下を流れる川を見下ろしている夢をみた。靴はそろえ、その横に遺書が置いてあるのだ。橋から川までは3メートルほどで、水位も膝くらいしかないのだが、そんなところにも飛びこもうとするほど、小学2年の私は、すでに生きることを限界に感じていた。
いじめは高学年になるとかわいげもなくなってくる。
授業中、うしろの男子が、私の頭を叩く。
私は、うしろを振り返る。
いじめっ子は、すまして下を向いてノートをとっている。
私は、前へ向きなおる。
また、うしろから叩かれる。
振り向くと、彼はノートをとり続けている。
「松井くん!」
先生が怒鳴った。私は、罰として教室の前方に立たされた。
このころ、「カチンコ」といって、ライターの点火装置をとりはずして攻撃用にしたおもちゃがはやりだした。「カチンコ」を体にあてて、カチン、とやると、電気が流れて皮膚表面に激痛が走るのである。
授業中、私にもちいられる武器は、ゲンコツからこのカチンコに切り替えられた。先生の死角から、カチン、カチン、とやられるたび、私は歯を食いしばって耐えた。
休み時間は、クラスメートがカチンコを持って私を追い回した。私は逃げるのであるが、10人くらいで私をつかまえて、手足をおさえこんでしまうのだった。クラスメートたちは、カチン、カチンとやって、そのたびに私が叫び声をあげるのをきいて楽しんだ。
いじめられっ子というのは、一度それと決まってしまうと、抜けだすことは難しい。
体の痛みよりも、女子からの視線が痛かった。とくに、好きな女の子から見られているとき、私は心の底から死にたいと願った。
「ああ、ぼくの存在意義は、こうして、人から笑われることなのかもしれない」
クローン病の真の原因、ストレスが、幼い私に着々と蓄積されていた。
帰宅して、学校でいじめられたとでも言おうものなら、父親は怒り狂った。
「なんべん言ったら分かんだ! やられたらやり返せっつってんだろが! キンタマついてんのか! おめぇは女の腐ったような奴だ!」
父は立ちあがり、
「根性いれてやる! 頭もってこい」
だまって、頭を差しだす。
くるぞ。くるぞ。
脳天に衝撃が走る。直後、痛みが鋭く襲う。指の背ではなく骨のところで殴るのだ。
「今度は、やり返せよ!」
母親が口を挟む。
「そんなこといったって。できないものは、しょうがないじゃないの。ねえ、じろくん。お父さんは、ほっといて、お菓子を食べましょうね」
「おめぇも百年の不作だ! 実家でとうちゃんが待ってるぞ。帰ったらどうだ!」
父が去った居間で、母はコーヒーとお菓子を、2人ぶん、テーブルに並べる。
「ねえ、じろくん。お母さんと、お父さんが、離婚したら、じろくんはどっちについてくる?」
「……」
「ほんとうに出ていきたいわ。でもね、じろくん、じろくんがいるから、お母さんは離婚しないで、がまんするからね」
「……」
「じろくん! じろくんだけは、お母さんの味方でいてね。お母さんを捨てないでね」
「……うん」
私は、お菓子を食べつづけた。
お菓子を食べているときだけが、このころの私は、幸せだった。
しかし、そんな幸福も、つかのまに破れるのだ。
「ただいま!」
ああ。お兄ちゃんが、帰ってきてしまった。
「おい! ばかじろ、いるか」
「お兄ちゃん、お帰りなさい」
「おっ、いたか、ばかじろ。ちょっとガム買ってこいよ」
私は、兄の「パシリ」であった。兄は私を駄菓子屋に行かせるのだ。
「行けっ! ばかじろ。10分以内。ヨーイ、スタート!」
私は、死にもの狂いで走った。
「買ってきたよ」
ガムを差しだすと、
「おせぇよ!」
頭を殴られる。父のマネなのだ。というより、兄も父に殴られるから、ばかじろを殴ることで、うまくストレスを解消していたのである。
私は泣き叫んだ。兄は笑ってガムを口に入れた。
「なに泣いてんだよ。ばかじろアホじろコケじろ。ばかじろアホじろコケじろ、ばかじろアホじろコケじろ、ばかじろアホじろコケじろ」
「なにケンカしてんだ!」
父に発見された。こんなときは、なお災難である。ふたりとも殴られるのだ。
「ケンカ両成敗だ!」
あの指の骨でのゲンコツである。兄と私は、あまりの痛みにしばらくうずくまった。
父がいなくなると、兄は私を殴った。
――キリがないので、このへんにしておくが、私の子供時代はここからもっと凄惨なことになる。
クローン病になるまえに私は、小学2年で花粉症、高校1年で慢性疲労になっている。このころから免疫を抑えていた証拠である。
くれぐれも念を押したいが、家族を糾弾することがこの稿の目的ではない。老いた父はいま、なけなしの年金から仕送りをし、私の治療を助けてくれている。
それでも、クローン病の根っこの原因を書くには、ここはどうしても避けて通れなかった。
父も母も健在で、あめつゆを凌ぐ家があったのであるから、「子供のころはつらかった」なんていったら、何様のつもりだろうと思う。
ただ私は、助けを求める声を誰にもあげることができずにいた。
学校も地獄なら、家も、私が守られる場所ではなかった。
このとき自分で強烈に免疫を抑えたことが、私がクローン病になった原因、かつ、私のクローン病が治りにくい理由であろうと思われる。
25歳のときカウンセリングを受けたが、アダルト・チルドレンであるとの診断であった。
このことを松本博士に話したのは、治療を始めて4ヵ月のころだ。
そのころの私はまだまだ元気で、大阪まで何度も通院していた。
「私は、家から逃げ出せばよかったんですが、ずっと、いい子を演じてしまいました。カウンセリングをして、だいぶ治ったつもりなんですが、今でも、無意識に、人前でいい子ちゃんをしてしまうんです」
それを聞かれて博士は、そんなこととは気が付かなかった、てっきり、いいところのお坊ちゃんだと思っていた、とおっしゃった。
「バカにされたくないので……あと、もういじめられるのはイヤなので、背伸びして、自分を自分以上に見せようとしてきたんです。それが病気によくないとわかったので、やめようと努力しているところなんですが、すっかり板についてしまって」
ひと通り話し終わると、松本博士は、わかった、よく話してくれた、病気は必ず治るから、いっしょにがんばっていこう、と励ましてくださった。
松本漢方クリニックホームページを読めば読むほどわかるのは、ストレスでばらまかれるステロイドホルモンが難病の原因といっても過言でないことだ。
ストレスをなんとかしないかぎり、免疫力を上げる治療をしても、難病になる力(ストレス)と難病を治す力(免疫)とが綱引きばかりして、リバウンドはすれど治療は進まず、となる。
だから松本博士にこの話をしなければいけないと思ったのである。いまでも私のなかにあるこのストレスの存在を知っていただかないと、博士は治療のうえで困られると思ったのだ。
じっさい松本博士は、薬を飲んでこなかったわりにはリンパ球が減りすぎているのでおかしいと思っていたがこれでわかった、という意味のことを言っておられた。
クローン病は、私がつくった。
私の責任で治す。
◆松本理論による治療(3年目)
このころから、体を良くすることはもちろん、心を良くすることに意識をむけて治療をした。
しばらく心のことを書いたが、体の変化は、どうか。
<2012年4月>
「アトピーがどんどん出てきてるんですが、腹痛もひどくなっているんです」
松本博士にお電話すると、
「ああ、そりゃリバウンドとクラススイッチが同時進行で起こっとるのや」
私は、治療を始めたら右肩上がりに良くなる一方とばかり思い込んでいた。理解不足だった。さらに、
「腹痛はヘルペスが原因のこともあるんや。ベルクスロン※ 飲んだら軽くならない?」(※現在はアシクロビル)
これも、考えたこともなかった。食後必ず飲むようにしたところ、腹痛はだいぶ和らいだ。
<2012年7月>
最もつらいのは痔瘻で、瘻管が成長しようとしているのか、痛みが激烈かつ広範囲になって、太もものつけねあたりまで痛い。膿の量も増えている。
つぎにつらいのがヘルペスで、全身倦怠感、歯肉炎、口角炎、嗜眠病(いくら眠っても眠い)、腹痛、吐き気。とくに倦怠感と歯肉炎がひどい。ときどきおきる足先の神経痛、24時間の耳鳴りも健在。
毎日でる38度台の熱もつづく。食欲も落ちた。体重が41キロに。
<2012年8月>
痔瘻の成長(?)は、どうやら止まってくれた様子。あいかわらず痛いが。
ヘルペスも引き続きひどいが、歯肉炎と口角炎がなくなった。これだけでもありがたい。
<2012年10月>
エレンタールを1日600キロカロリーぶんとっている。これは午前中に飲み、その間は絶食。昼と夜に軽めの食事をするという生活を続けている。
体重が44・5キロまで戻った。
松本博士のお話とホームページで、症状のほとんどが(というよりほぼすべて。下痢と腹痛までも!)ヘルペスによるものと知り、抗ヘルペス剤を1日1錠だったのを4錠にしたところ、症状のすべてが軽減した。お金があれば1日10錠飲みたいところだ。おそらくクローン病の症状はなくなってしまうだろう。もはや炎症性腸疾患というよりもヘルペス性腸疾患というべき状態になっているものと思われる。
これは当初、想定もしないことであった。てっきり、化学物質と共存(免疫寛容)するまでが大変なのであって、その「オマケ」に、ヘルペスによる症状ともちょっとだけ戦わなければならない、くらいに思っていた。
まったく、ちがった。逆だった。
ここに至り、私のクローン病治療は、化学物質との戦いよりも、ヘルペスとのそれのほうが激しくなってきたのである。
<2013年3月>
下痢が1日30回。もちろん24時間おかまいなしなので、夜、眠ったかと思うと目がさめる。30分~1時間に1回、目がさめるのだが、1時間ももつことはまれで、ひどいときは10分~15分に1回となり、それどころかいまトイレから帰ってきて寝床に横たわった、とたんに、便意を催すことがある。トイレへの往復は重労働なので、このときはさすがに気分が萎える。昼間とあわせると1日合計3時間はトイレにまたがっている。
けれども、このごろ、思うようになった。
自分は幸せだ。こうやってうんちができるんだもの。寝床もある。まえは、治ったら幸せになれる、と思っていたが、いまは、これはこれで、幸せだ。もちろん治すし、治るのだけど、治ったら治ったで幸せ、トイレと友達のいまも、幸せだ。
そう思えるようになれた。ようやく、なれた。
らくに、なった。
朝食抜きのおかげで午前は仕事ができるが、昼食をとったあとは一日じゅう、激烈に怠い。テレビをつけようという気さえ起きない。そんな凄まじい怠さがここのところずっと続いている。
以前の私は、仕事するなり本を読むなり、一瞬も休まずに何かをしていないといられなかった。だが、こんな生活が2年続いて、ようやく、「ただ寝ている」ことに焦りを感じなくなった。
病気は病気で幸せな日々を噛みしめながら、治る日をこうして寝て待つとしよう。
◆松本理論による治療(4年目)
<2013年6月>
このころからフラジールという抗生物質を出してもらえるようになった。免疫を抑えているあいだに腸管に増えすぎたウェルシュ菌を特異的に殺すことができるとのこと。
飲み始めるとクローン病のあらゆる症状が軽減した。特に顕著だったのがガスで、つねにパンパンに張っていたおなかがへこみはじめた。
何よりうれしいのは、とうとうクローン病の全貌がわかったことである。免疫が腸管で化学物質とヘルペスウイルスとウェルシュ菌の3者と戦っているのがクローン病だったのだ。
<2013年8月>
怠さがすごい。この治療をはじめてからいちばんひどいかもしれない。
CRPがかつてない低い数値を見せた。
リンパ球 16
CRP 1・0
<2014年3月>
抗ヘルペス剤1日4錠。フラジール2錠。これでだいぶ体調が安定することがわかった。
抗ヘルペス剤はもっと欲しいが、生きていけるギリギリまで仕事を減らしているため、ケチらざるをえない。
リンパ球 12・4
CRP 1・6
◆松本理論による治療(5年目)
<2014年9月>
フラジールを飲んでいるにもかかわらず下痢が1日30回~40回、熱もオナラもひどい。とうとう体重40キロに。
どうもエレンタールを飲んだあとに悪化するようなので、1日900キロカロリーとっていたエレンタールを、試しにやめてみた。
下痢が20回に。熱もオナラもおさまった。ほかの症状まで良くなってきた。
「わたし、エレンタールよくなかったようです」
松本博士にお伝えすると、
「それはなんでだと思う?」
「エレンタールに抗体をつくるようになったからだと思うんですが」
「そうだね。エレンタールにも化学物質は入っているからね、そういう人もいる。それは、わかっていたんですよ。エレンタールは、狭窄がある人にいいんでね、それですすめたんだけど、きみは手術はやったのかな」
「いえ、していません」
「うん、それだったら、エレンタール飲まなくても栄養とれるんだったら、飲まなくていいですよ」
以来、エレンタールは全廃。体重が減るのを危惧したが、43・5キロに増えた。
◆松本理論による治療(6年目)
<2015年6月>
「ほぼ寝たきり」になって以来、じつに4年ぶりに松本漢方クリニックへ行くことができた。
血液検査の結果は、
「血沈が31、CRPが1・8、リンパ球が11やからね、リンパ球で治すというのが、免疫で治すという意味やね、まえの2010年のときCRP8・3だったのが1・8になったというのは炎症はなくなっとるんやね、リンパ球は15・6やったから、それよりも下がっているということは、きみが日々ステロイドホルモン出してるということやね。あとそれ以外は、水痘帯状ヘルペスは11・5、これくらいはだいたいあるんですよ」
これだけ少ないリンパ球でも、炎症はなくなっているのだから、ノロノロ、確実に進んでいるのだ。
リンパ球を増やさねば。もっと免疫力が上げるような生活、心のもち方をせねば。
<2015年11月>
トイレの回数が10回になった。
このため途中で目をさまさず3時間、5時間と眠れるようになった。これはほんとうにうれしい。人間らしい生活が戻ったかんじである。
トイレも「駆けこむ」ことがなくなってきた。便の状態も、水様便はめったになく、つねに軟便。
こうなると腹痛もめったにおきない。おきても軽い。
痔瘻だけは依然としてつらいが、ピーク時に比べたら楽だ。腫れて山脈のようになっていた皮膚がだいぶ平地にちかくなっている。布団の上にいる時間のほうが多いが、クッションをうまくつかえば座って食事や仕事もできる。
体力的には、大阪まで行けるようになった、が……こんどは金銭的に行けない。申し訳ないとおもいながらも電話で漢方薬をいただいている。
<2015年12月>
漢方薬をもらうためお電話すると、
「松井さ~ん、いままできみ、交通費免除してきましたけど、これからはこっち来てもらわないとだめやあ」
がーん!
こんな日が来るとは思っていたが、とうとう、来てしまった。
諸事情あってのことである。松本博士にご迷惑をおかけすることはできない。行きたい。しかし――
お金がない。ほんとうに、ない。
この日から交通費を貯めはじめた。漢方薬は、いただいてあるものをチビチビ、チビチビ飲んだ。
そしてとにかくお灸を、毎日、毎日やった。貧乏人は、お灸である。
<2016年2月>
体重が48キロまで回復した。
どうやらリバウンドは峠をこえたのではないか。そろそろ私も手記を書いてよいだろうか?
<2016年3月>
と思っていたら……。
硬くなりつつあった便が、ゆるゆるに。回数も、7~8回まで減っていたのが、17~8回に。おしりの膿も、めっきり減っていたが、ドッと増え、刺すような痛みも復活。仕事もできていたのが、だるくて終日なにもできないように。
なぜだ?
と思っていたら……。
足が、なんだかムズがゆい。見ると、虫刺されのようなものがいくつもできている。
それが日に日に増える。そして、ムズがゆかったのが、はっきりとかゆくなった。
さらに日を追うごとにかゆくなる。虫刺されのようなものは見たところ数10個。しかしさわってみると数10どころでなく、数100くらいのブツブツがある。
アトピーだ!
いままでは、首から上ばかり、それもめったにかゆくなかった。体に、それもこんなに広範囲に出て、しかも激しいかゆみがあるのは初めてのことだ。
ついに本格的なアトピーになったのだ! ……足だけだが。
耐えがたいかゆみが、さらに日に日に激しくなる。いつも気がつくとどこかを掻きむしっていて、とくに夜は免疫が高まるためか激烈にかゆく、もんどり打ってなかなか寝つけない。
湿疹の範囲であるが、足からじょじょに体の上に広がってきて、腕にも現れた。
<2016年4月>
ブツブツがどんどん増える。足から上へ上へとひろがり、腰、腕、背中と、ついに体じゅうが蚊に食われたように。
あと出ていないのは、おなかだけである。おなかに出ないといけないはずだが、あいかわらずしぶとい私のクローン病である。
が、
「久しぶりに大腸の検査をしましょう」
地元の病院で言われ、受けた結果は、
「潰瘍が少なくなっています」
モニターを見ると、5年まえのそれと比べて明らかに減っている。
血液は、
リンパ球 16・9
CRP 5・7
ここ4年間ずっと10~12をウロウロしていたリンパ球が、また上がりだした。
CRPも跳ね上がっているが、リバウンド(おそらくアトピーの炎症?)だろう。
◆松本理論による治療(7年目)
<2016年5月>
アトピーが引っこんだ。
目で見てわかる湿疹は100個くらいに。
その湿疹も、日に日に消えていき、ほとんどキレイになってしまった。
かゆいことはかゆいが、気も狂わんばかりのかゆさではなく、ときどきポリポリかけばすむていどに。
これは、いいことなのか? 悪いことなのか?
いまクローン病の症状は、トイレが1日10回強。
夜中そのために起きるのは2回くらい。
腹は1箇所だけたまに痛い(横行結腸の中央やや左寄り)。
おしりはけっこう痛い。
アトピーになったということは治療の半分を終えたのだろう。半分といっても、工程表の半分ということであって、工期の半分ではないが。
アトピーが引っこんだのが気がかりだが、いままでも三歩進んで二歩下がってきた。いちいち一喜一憂しないこと。粛々と免疫力を上げ続けるのみだ。クローン病が治るのは当たりまえであるから。
お金も、めでたく、1回大阪に行けるぶんが貯まった。
最後にお話ししたときから半年もたってしまい、松本博士にご心配をおかけしてしまったが……。
高槻のビジネスホテルを、来月に予約した。
こんどは、ずいぶん、旅行気分で行けるだろう。
◆おわりに
もっと良くなってから書くべきかと躊躇していましたが、松本博士に励まされ、とうとうこの落第生も、みなさんと同じ土俵に並べていただけることとなりました。
松本仁幸博士は、有史以来初めて、すべての病気の原因と治療法を解明なされた、ノーベル賞を2つ3つ貰わねばならない方ですが、そんな方と、私のような市井の人間が、医師と患者という関係を通してお話しさせていただけることを光栄に思っています。
松本博士、私を地獄から救っていただき、ありがとうございます。このような出来の悪い患者を温かくご指導くださり、ありがとうございます。
次は、ありがとうござい「ました」と結びますので、その手記が書ける日まで、どうぞご教導よろしくお願い申し上げます。