「漢方、鍼灸によるクローン病治療6年の歩み」
Y.S 53歳 2016年1月15日
Y.S 53歳 2016年1月15日
1.はじめに
これまでにもクローン病の患者さんの手記を多数読ませていただきました。
それらは中高生など若い方のもの(親御さんの手記を含む)が比較的多く、症状が順調に改善されている方が多いという印象を受けます。また、クローン病と診断を受けてからの年数も短い方が多いようです。その点、私が書かせていただく手記は必ずしも順調な経過ではなく、時間がかかっているという意味では異質なものなのかもしれません。しかし、私がたどった経過をありのままに書くことによって、くじけそうになっている方や、今後治療に取り組まれる方の参考になればと思います。
経過
病気に関係があると思われるできごとを記します。
2.知らぬが仏
今の医療水準からすれば、なぜもっと早くクローン病と診断されなかったのかと思います。21~22歳での痔、見張りイボ、小腸からの出血は典型的な所見です。なぜ切るまでクローン病とわからなかったのでしょうか。2回の手術で小腸の多くの部分を切除してしまったことは大きな代償となりましたが、宣告を受けるまでの間は普通に食事をし、仲間とお酒を飲むこともできました。エレンタールしか口にできないと萎縮した生活をしなくて済んだだけ良かったのではないかと考えることにしています。
2001年にクローン病の診断を受けてから、ペンタサとエレンタールが処方されましたが、入院中に知った安保先生の理論が正しいと思ったので、ペンタサを断りました。その後の診察中、カルテに“安保先生の本を見てペンタサをやめてしまった。”と書かれているのが目に入りました。困った患者だというニュアンスを感じるとともに、安保先生が主張される免疫を回復させる治療を異端視し、否定する医師共通の考えを知ることとなりました。
3.ストレスとの因果関係
パニック障害のような症状とクローン病。症状が重くなってきた1997年頃、きっと両者は関係があるのだろうくらいには思っていました。しかし、松本先生のコラムをいろいろ読み、その関連性は極めて密接であると、今や確信に変わりました。ストレスを受け続けることによって交感神経優位の状態が続き、リンパ球の比率も低い状態が続きました。自分自身でステロイドを作り続けていたことになります。
経過の冒頭に子供のころ、耳鼻咽喉科に通ったことを記しました。これは無関係ではありません。鼻水の治療に用いられる吸引はステロイドです。それを毎週数回にわたって数年間吸い続けていたことを後年になって知りました。
4.主義とは真逆なのに
2007年3月の再手術では、安保先生の本を読んで以来信じてきた免疫を抑えない治療に自信がなくなり、イムラン(0.5錠×2回/日)を承諾しました。しかし、考えてみれば、免疫抑制の治療を拒んでも、免疫を回復させることはなにもして来なかったのでした。
2年後、潰瘍が再発し、症状も悪化している状況の中、医師から勧められたのはイムランの増量でした。
5.やっぱり免疫を抑えてはいけなかった
どんなキーワードであったかは覚えていませんが、ネット上の検索でRyujiさんの手記を偶然見つけました。そのとき、松本漢方クリニックのことを初めて知りました。Ryujiさんの手記をご覧になって松本漢方クリニックの門を叩かれた方は数多いことと思います。Ryujiさんは当時ネットの掲示板で知った方で、私と同じIBDでは有名な医療機関を受診していることがわかりました。一度だけでしたが直接会話をしたこともありました。松本漢方クリニックでの治療を開始してからは漢方薬を飲み続けてアトピーを発症しました。それはRyujiさんのブログで写真入りで紹介されていました。あのRyujiさんが行かれたところなら信頼できる。松本漢方クリニックのホームページを夜が更けるのも気づかずに読み進めたことを改めて書くまでもありません。
IgEとIgG、クラススイッチのこと、免疫寛容のこと。安保先生の本には答がなかったことばかりで、天を覆い尽くしていた雲が一気に晴れたような心境でした。
日をそれほど空けることなく、松本漢方クリニックに電話をしました。症状を聞かれ、「先
生から鍼の指示が出ると思いますから先に予約を入れてください」と言われ、2009年10月2日の初診となりました。
6.転機の訪れ
松本漢方クリニックを知るのと同じ頃、勤めていた事業所の業績悪化(悪化と言っても収益が悪いだけで、社員の高負担は変わらない状況)により、技術系スタッフの集約化が図られることになり、転勤を求められました。しかし、このままでは体をつぶしてしまう。この機会に退職しよう。無理なくできる範囲で仕事をしよう。それを一度考えてからは決意が鈍ることはありませんでした。
イムランなどで免疫を抑える治療に行き詰まりを感じていたときに松本漢方クリニックの治療と出会い、時を同じくして退職、独立の決意。風向きの変化、転機が訪れたと感じました。やっと苦しみから脱出できるときが来たのだろうか・・・。
ここでみるみるうちに症状が改善して・・・となれば、手記としてドラマのような面白いものになったのかも知れません。しかし、現実はそれほど甘いものではありませんでした。
7.変化がないことのつらさ
他の患者さんの手記を読むと、人によってはごく短期間で断痢湯の効果が現れ、普通便になったという方が何人もいらっしゃいます。しかし、私自身については、短期の観察ではなかなか変化が現れませんでした。断痢湯を飲んでも、飲んでも下痢は治まりませんでした。
お灸については、県内の治療院へ週1回通うようになりました。院長ご自身がクローン病で、中国へ留学して中医学を学ばれました。ご自身で治されて軽快するという実績をお持ちです。それ以外にも自宅でほぼ毎日据えていました。
病歴が長いことや、2回の手術で免疫にかかわる細胞を多く切除してしまっていること、さらにはリンパ球の比率が10%前後とかなり低い私は不利で、人よりも時間がかかるとわかっているつもりでした。しかし、なかなか効果が現れないのはつらいものがありました。検査結果は横ばい。症状もなかなか改善しない状態が続き、ついつい薬を指示どおり飲まなくなってしまいました。
考えてみれば、以前はエレンタールを減らせばみるみる症状が悪化していったものが、エレンタールもイムランもペンタサもなしで横ばいを維持できているのは、治療のおかげであったに違いありません。
8.心のあり方のこと
松本先生はこの治療は心の持ち方が悪いと効果が上がらないとたびたび書かれています。自分自身にも問いかけてみました。欲深く利益を追求していないか。他人の幸福を喜ぶことができるか。妬みはないか。後から治療を始められた方々にどんどん追い抜かれている私ですが、妬みの気持ちはありません。つらい思いをした本人でないとわからないことがあります。わかるからこそ、そのつらさを脱出した方を祝福することができるのだと思います。よかったですね。ほんとうによかったですねと。
9.経過を数字で見る
2010年10月に初めて松本漢方クリニックを受診して以来、血液検査の結果は残してあります。6年分のデータを使ってグラフを作成してみました。私なりに気付いたこと、ポイントとなることを記します。
10.少ないリンパ球
初診から半年ほどたったころ、CRPは0.1台まで下がります。(MMP3は相対的にやや高い値を示したのは、なぜだかわかりません。)独立後、間もないころです。新規の事業主にすぐ仕事をもらえるはずもなく、反対に仕事に追われることもなく過ごしていた時期です。しかし、下痢は相変わらず続いていました。
その後、2012年に入ると、CRPはおおよそ0.5台で推移しました。この頃はといえば新規のお客さんから仕事をいただけるようになり、複数の仕事を同時並行で進めるなど、多忙な日が続いていました。そのことと関係があるのか、リンパ球は15%を超えることがなく、1桁のこともありました。ちょうどその時期の6月には友人たちとビールを飲み(止めていたのでめったに飲まないのですが)、路面電車に乗ると気分が悪くなり、下車したらそのまま気を失って卒倒しました。気づくと通りがかりの若いご夫妻が介抱して下さり、運転士さんがけがの処置をして下さっていました。調べてみると、一時的に脳への血流が不足したためようでした。文献には交感神経が優位になっているときになりやすいとあり、自分なりに納得しました。
11.3年目の秋、しつこかった下痢が
そのあと、2012年の秋から2013年3月頃にかけて、変化が現れました。あれほどしつこかった下痢が毎日ではなくなったのです。軟便から普通便に近い状態になりました。CRPは依然として及第点ではありませんでしたが、血沈はおおよそ一桁の水準でした。体重は徐々に増え、2013年3月には61.2kgに達しました。2010年3月から比べると+4kgです。私は小腸を広範囲に切除しているため、炎症がひどくなって栄養が吸収できなくなるとすぐに痩せていきます。体重の増加は栄養状態の改善とともに、炎症も軽くなっていることを意味していました。
12.やっとリバウンド?
2013年の春、体重が最大値を示すと、今度は減少に転じました。CRPや血沈も上昇しています。さらに、ヘモグロビンを見ると、この時期は明らかに連続した低下がみられます。潰瘍からの出血がひどくなっていたのではないかと思います。
同年の年末になると、右わき腹の痛み、通過障害を感じるようになりました。ひどいときには夜中におう吐することもありました。線維化による狭窄は元に戻らないのですが、経験的にそうではないと感じていました。炎症によるむくみが取れてくると、何も支障がなくなるのです。食べ物を控えていたため、体重はみるみるうちに減っていきました。
2014年2月には体重が53.6kgまで減少しました。最大時からは8kgの減少です。時を同じくして、血沈が30と、今までにない数値を示しました。松本漢方クリニックへ通うようになってからはエレンタールを全く使っていませんでしたが、この頃はエレンタールなしでは生活できませんでした。松本治療を始めてもっともつらい時期でした。今にして思えば、リバウンドだったのでしょうか。しかし、そう思う余裕もありませんでした。
13.初めてのじんましん
症状がひどい時期を脱した
2014年5月、腕がかゆくなり、掻きむしりました。どう見てもじんましんでした。次に行ったときに先生にお見せしようと、携帯で写真を撮っておきました。ちなみにじんましんとアトピーは起こっている皮膚の深さが違うだけで、現象としては同じだそうです。漢方、鍼灸による治療を始めて4年半にして、やっとアトピー(じんましん)が出ました。6月の診察は副院長先生でしたが、報告を聞いた院長先生が隣の診察室からおいでになり、握手をしていただきました。「Sさん、やったな。」
14.油断
自分にはこの治療が効かないのかと思ったこともありました。ずいぶん時間はかかりましたが、先生から言われたとおり、アトピー(じんましん)が出たのです。これでRyujiさんと同じように私もクローン病から脱出できる。そう思いました。
しかし、ここでも病気の厳しさを思い知らされることになります。はっきりとした自覚はありませんが、ほどほどに薬を飲んでいればよくなっていくだろう。そういう安易な考え、甘えがありました。通院回数が減り、2週間分の薬を飲むのに2~3ヵ月もかかってしまうことがありました。冷蔵庫にお茶と薬が入っていれば、ついついお茶のほうに手が伸びてしまいました。その結果は・・・。
CRP、血沈とも高い数値を示すようになりました。ヘモグロビンも連続して低下しています。通っている地元の鍼灸院で顔が青白いと言われたこともありました。せっかく改善してきたものを逆戻りさせてしまったようです。
15.薬のこと
2015年12月のある日、薬局の薬剤師さんから夜遅くに電話をいただきました。
薬:「あまり薬が飲めていませんね。」
私:「はい。先生からも病気をなめるなとお叱りを受けました。1日に500ccを2種類ではどうしても飲みきるのに時間がかかってしまいまして。」
薬:「1リットルではきついですよ。もっと煎じる時間を延ばしても結構ですから、量を少なくしてみてください。」
助言をいただいたとおり、小さいペットボトル1本に1口余るくらいの量まで煮詰めることにしました。苦い薬がより苦くなりましたが、苦痛は感じませんでした。まだ「きっちり」とはいえませんが、5~6倍もの時間をかけてというひどい状態は大幅に改善するようになりました。
16.免疫の数値
薬を十分に飲まなければ症状は目に見えて悪化します。ただし、それは数週間、数カ月というスパンで進むため、気づきにくいのです。ちょうど「ゆで蛙」のたとえ話が当てはまるでしょうか。そんな状況ではありますが、ここ最近は目に見える変化が起こっています。
・リンパ球
比率、個数とも少なかった2012年と比べると、最近は明らかに比率が上がりました。少ないときは700(個/μL)台だった個数は、直近のデータでは2000に迫る数です。クローン病の宣告を受けて以来、経験がないほどです。
・IgE、シングルアレルゲン
検査結果には免疫に関わるいろいろな数値が出ていますが、傾向をつかみやすかった2項目を挙げました。6年分のデータを見ると、一時的な上昇や、直近の数字は揺り戻しがみられるものの、傾向としてはごく緩やかに下がってきています。IgEはじんましんが出始めたころの2014年6月に最低値を記録しています。
なお、IgGがIgEにクラススイッチすれば、IgEの数値は上がるという誤解を招きそうですが、両方の数値が下がっていくことが認められます。正直なところ、薬の飲み方が十分であったとはいえませんが、着実に効果は出ていると言えるでしょう。これらの数値は急な変化が起こることはなく、治療を長く続けることで改善はしていくと言えるのではないかと思います。
17.なぜやめずに続けてきたか
正直なところ、くじけそうになったことは何度もありました。しかし、2回のオペで小腸が短くなっている私にはあとがありません。いくらきつい症状に苦しめられても、いわゆる「標準治療」に戻ろうとは思いませんでした。一時は症状がひどくなり、入院しなくてはならなくなるかと思ったこともありました。それでもやめずにこの治療を続けているのは、たとえ時間がかかっても、着実に前進していると思えるからです。反対に、多くの方が受けている「標準治療」では決して治らないと思うからです。
「断痢湯」なのに下痢が止まらない。薬の名前ずばりの効果は期待せず、苦さが免疫に刺激を与え続けるためだと考えました。
薬を飲んで熱が出たり、炎症がひどくなって嘔吐したり・・・、そういうことがあると、世間一般では薬を飲んだから悪くなった。だからその医者はヤブだ、飲んでいた薬は即刻中止だという方向に向いてしまうのでしょう。しかし、これも治る過程で通らなくてはならない道であることを自ら体験しました。ほかにも免疫抑制を行わず、回復させる方針の医療機関があるようですが、納得できる理論、実績を上げているところは他に知りません。
飲んでいないのとあまり変わらない飲み方を改めたのは、2015年10月の診察後です。それから3ヵ月になろうとしています。この間、血液検査を受けていないのでデータはありませんが、体重は58kg台まで回復しました。
中途半端を続けることに慣れてしまったことは大いに反省しなければなりませんが、早く松本漢方クリニックを卒業することを目指していきたいと思います。