「クローン病が治るのは当たりまえである」
40 歳男性 2016年5月27日
40 歳男性 2016年5月27日
◆はじめに
私がクローン病になった経緯と、松本仁幸博士のご指導のもと正しい原因を知った上で正しい治療を行った6年間を、書き記しました。ライターという仕事柄、小説のようになってしまいましたが、変わった手記を書く奴がいるもんだとご笑覧いただければ幸いです。
◆発症から松本医学を知るまで
小用をすませると、どうも、キレがわるい。肛門に、しこりのような違和感がある。それがジャマをして括約筋が締まらない感じなのだ。おかしいと思いつつ、放っておくこと、3ヵ月。椅子に腰かけた、そのとき、「イテッ!」思わず腰を浮かした。肛門に激痛が走ったのだ。おかしいと思いつつ、放っておくこと、2週間。針を100本くらい刺されているような痛みに、熱も出てきて、ついに一晩眠れず、合わせ鏡で肛門を見てみた。「なんだこりゃ!」肛門の左側が腫れあがっている。直径5センチはあろうか。その赤い腫れが、どうやら肛門の中まで続いているようなのだ。寸刻もおさまらない激痛に涙ぐみながら、地元で有名な肛門科を受診した。「あ~、これは痛いですね。」ただちに切開され、膿が出されました。「この病気は、肛門周囲膿瘍というんです。」説明のあと、続けて、「念の為検査を受けていただきます。この病気になる人は、100人に1人の割合で、腸に何らかの異常があるんです。1000人に1人は、大腸がんがありますので。」その「100人に1人」のほうにビンゴであった。
おしりにカメラを入れられながら、「松井さん、ここ、見てください。白いものがプツッとあるの、わかりますか?」モニターを指し示し、「この状態というのは、ふつうではないんです。おそらく、クローン病の初期だと思われます」診察室に移り、「詳しいことはこのパンフレットを読んでおいてください。あと、薬を出しておきます」診察を終え、私はパンフレットを開いた。こう書いてある。――
◇
クローン病は、若年者に多く発症し、小腸と大腸を中心とした消化管がおかされる炎症性疾患です。医学が進歩した今日においても、その原因は不明で根本治療は開発されていません。(中略)しかし、クローン病は基本的に良性の疾患です。近年わが国や欧米諸国においても、クローン病の病態を解明する研究が活発に行われ、実際に多くの新しい治療法が開発されつつあります。さらに、遺伝子解析などにより、病因に迫る研究も始まり、原因が解明されれば、根本治療の開発も期待されます。(中略)現時点でも、多くの患者さんは薬物療法と経腸栄養療法で炎症は改善し、寛解導入が可能です。また、再燃を予防するために薬物による寛解維持療法と食事療法を行うことによって、普通の日常生活が送れるようになっています。(中略)クローン病は、主として若い成人にみられ、口腔に始まり肛門に至るまでの消化管のいかなる部位にも潰瘍ができ、それに伴い腹痛や下痢、血便が生じる病気です。(中略)先進国に多く、北米やヨーロッパで高い発症率を示します。環境因子、食生活が大きく影響し、動物性タンパク質や脂肪を多く摂取し、生活水準が高いほどクローン病にかかりやすいと考えられています。(中略)症状は、患者さんによって多彩で、潰瘍などが存在する病変部位によっても異なります。その中でも特徴的な症状は、腹痛と下痢で、約半数以上の患者さんでみられます。さらに、発熱、下血、腹部腫瘤、吸収障害に伴う体重減少、全身倦怠、貧血などの症状もよくみられます。また瘻孔、狭窄、膿瘍などの腸管の合併症や、関節炎、虹彩炎、結節性紅斑、肛門部病変などの腸管外合併症も多く……(中略)原因として、遺伝的な要因が関与するという説、結核菌類似の細菌やウイルスによる感染で発症するという説、食事の中の何らかの成分が腸管粘膜に異常な反応を引き起こしているという説、腸管の微小な血管の血流障害によるという説などが挙げられていますが、いずれもはっきりと証明されたものはありません。(中略)最近の研究では、異物を処理する細胞やある種のリンパ球などの免疫を担当する細胞の反応異常が明らかになっており、これらの免疫異常と遺伝的因子、環境因子が複雑にからみあって発症すると考えられています。(中略)いまだ原因が不明であるために根本的な治療法がないのが現状です。(中略)
食事をとるうえでの注意点
1.脂肪の多い食品は避けましょう。
2.食物繊維を制限しましょう。
3.タンパク質は植物性の食品や魚介類からとりましょう。
4.刺激のあるもの(香辛料、アルコール、炭酸飲料、カフェインなど)は避けましょう。
5.甘いもの、冷たいもののとり過ぎを避けましょう。
6.味つけは薄味に……。
7.1日の食べる量を守りましょう。(中略)
避けたい食品
主食……玄米ごはん 赤飯 ぶどうパン クロワッサン デニッシュ類 そば 中華麺 インスタントラーメン
他の穀類……とうもろこし
芋類(こんにゃく他)……こんにゃく しらたき
和菓子……あん菓子(つぶあん) 豆菓子 かりんとう 揚げせんべい 南部せんべい
洋菓子……アップルパイ ショートケーキ 他のケーキ類 ドーナツ ババロア チョコレート あんパン 揚げパン
他の菓子……月餅 中華クッキー スナック菓子
油脂……サラダ油 ごま油 バター マーガリン
種実類……ピーナッツ アーモンド ピーナッツバター ごま等ほとんどの食品
豆類……大豆 おから ぶどう豆 きな粉 納豆 あずき ささげ いんげん豆 そら豆
魚……塩辛 缶詰(油漬け)
甲殻類……いか たこ 小えび するめ 干しえび 干し貝 缶詰類
肉類……牛肉(ばら肉 サーロイン 和牛ロース) 豚肉(ばら肉 ベーコン) 鶏肉(骨付き皮付き肉 ひき肉)
乳類……生クリーム
野菜……たけのこ ごぼう れんこん セロリ ふき 漬物
果物……パイナップル 柿 なし
きのこ……しいたけ えのき しめじ など
海藻……わかめ 昆布 ひじき など
嗜好飲料……アルコール 炭酸飲料 コーヒー ココア
調味料・香辛料……香辛料 マヨネーズ ドレッシング カレールー
(日比紀文監修『第2版 クローン病の正しい知識と理解』より引用)
◇
――これが一生涯つづく?やったところで、治るわけではない?
なんと無慈悲なことを書くのだろう。書いた人は、これをやれと言われて、実行できるのだろうか?薬も、毎回、山のように渡される。看護師からうけた説明は、「これがペンタサといって、クローン病の基本的なお薬になります。1日3回、食後に2錠ずつ飲んでください。これは、プレドニン。痛みをおさえます。1日1回、2錠です。あと胃薬です。このプレドニンというのが、強いお薬なので、胃を荒らさないようにするために、プレドニンを飲む前に飲んでください」飲むたびに、私は、何か取り返しのつかないことを始めているような気がした。まだ症状もろくにないうちから、こんなに薬を飲んでだいじょうぶなのか。それも胃薬を飲まなければいけないような「強い薬」を。さらに、一定期間で飲み終わるならまだしも、これから死ぬまでこれを飲め、と?
もう一度パンフレットを手にとる。タイトルは『クローン病の正しい知識と理解』とある。このタイトル、どうもおかしい。原因がわからない、と言っておきながら、どうして、そのあとに「正しい」治療法が書いてあるのだ?正しいことも書いてあるのだろう。だが、間違いも混じっているはず。疑わねばならない。問題は、その正誤の比率である。全体のどこまでが「正しい知識」で、どこまでが「誤った知識」か? 最悪、「ぜんぶ間違いでした」という可能性も考えておかねばならない。いや、ぜんぶ疑っておいたほうが、まだしも、「取りかえしのつかないこと」を防げるのではないか?特に「原因不明」「根本治療はない」、この2つの大前提は、おおいに疑ったほうがよい。
◇
私はクローン病について調査をはじめた。主にネットで情報を集めた。しかし、やはりというか、どのサイトを見ても、原因不明、治療法なし、の一点張りなのだ。いまでは松本漢方クリニックに優れた手記が山のようにアップされているが、このとき2002年、まだクローン病の手記がなく、ネット検索をしても松本漢方クリニックにたどりつくことができなかったのである。疑問をいだいたままペンタサとプレドニンを2~3週間ほど、言われたとおりに飲んでいたが、うむと決意し、残りをゴミ箱に突っこんだ。そして、通院をやめた。その後はいっさい薬を飲まず、クローン病を放置した。放置もまた治療の選択肢である。原因も知らずにこねくり回すより、よほどマシに思われた。2~3年はそれでよかった。ときどき腹痛と下痢はあるが何ら生活に支障はなかった。
◇
しかし、3年、4年たつと、じわじわ、ひどくなった。「ときどき」だった下痢が、「いつも」になった。するとトイレの回数が1日20回に、30回にと増えていった。ひどい日は40回に達した。「ときどき」の腹痛も「いつも」になった。それもナイフで中から刺されるようである。もともと体重50キロとやせていたが、40キロになった。1日を布団の上で過ごすようになった。立ち上がるのも重労働となった。トイレに行く30回、いちいち全身全霊をかたむけねばならなかった。「これでいいのだろうか。やはりパンフレットにあるように腸管が破裂するのだろうか。いや、これでいいはずだ……」不安と恐怖のまま、さらに1年ほど放置した。するとここまでひどくはなくなってきたのだ。放置といっても、薬を飲まないことならよいだろうと、断食、自然食品、乳酸菌、整体などを試していた。
そんな折、お世話になっている整体師さんから、松本漢方クリニックホームページを教えてもらうことができた。小西竜二さんの手記が誕生していたのである。
病気とは異物にたいする正しい免疫の反応である。
異物は3つしかない。細菌とウイルスと化学物質である。
細菌とウイルスはすでに人類は克服した。残るは化学物質である。
化学物質にたいしてIgE抗体で戦うのがアレルギー、IgG抗体で戦うのが膠原病(クローン病など)である。
免疫を抑えなければ、IgGの戦い(膠原病)はIgEの戦い(アレルギー)に変わる。これを抗体のクラススイッチという。
さらに免疫を抑えなければ、IgEは作り尽くされ、化学物質との戦いに負け、自然後天的免疫寛容をおこす。「負けるが勝ち」で、これがクローン病の完治である。
――と、ホームページで理解した。もっと早く、これを知っていれば! ただちに大阪・高槻の松本漢方クリニックに向かった。2010年、発症から8年後のことである。
◆松本理論による治療(1年目)
「ホームページは読んでくれた?」松本仁幸博士は、開口一番、そう言われた。(以下、セリフは記憶で書いているので、まちがっていたらすみません)
「はい」
「書いてあること、わかった?」
「はい、よくわかりました」いま思うと、まだ“わかったつもり”だったのだが。とくにヘルペスの理解が足りなかった。
「なんでここに来らはった?」
「治る、と断言されていたからです」
「うん、そうか」
「あ……そうじゃありません。治る理論が完璧に書いてあったらからです」
「そやろ! それが聞きたかった」
それから私がこれまでどんな治療をしてきたかを聞かれた。薬を飲んでいなかったことを、褒めてくださった。食事療法をしていたことを告げると「食事は何を食べてもええ」とのこと。問診が終わると「必ず治してあげるで!」と力強く握手してくださった。松本博士はこう付け加えられた。「まあ、治すといっても、ぼくが治すんじゃありません。あなたの免疫が治してくれるんです」そのあとは別室で鍼灸をうけ、漢方薬をどっさりもらって帰途についた。この漢方薬を、これから毎食前・食後に飲むこと。お灸も毎日、自分ですること。鍼は、地元でいいので鍼灸院に通うこと。基本的に治療は以上で、あとは状況に応じて抗ヘルペス剤と抗生物質を飲むこと。いまのところこれが治療のすべてである。
◇
1週間後。松本漢方クリニックに電話した。血液検査の結果を知らせるから電話するように、と言われていたのだ。松本博士は血液の値をみればその人の体になにが起きているかすべて分かるとおっしゃる。じゃあ……いままで病院で苦しい思いをして受けていた検査はいったい……。電話越しに博士は、血液成分の気になるところを指摘し、それがいま体に起きている異変とどんな関係があるのかを説明していかれた。そして、
「松井さん、間質性肺炎があるよ」
(え? 肺炎?)
「ほんとにペンタサ飲んでなかった?」
「2週間くらいですが、飲みました」
「そやろ! それを言わなアカン。免疫はな、抑えられたこと全部覚えとるんやで!」背筋が凍った。
「ま、すぐ死ぬ病気やありまへん。だいじょうぶや。この世に治らん病気はないで!」
電話のあと、私は「死ぬ病気」という言葉が気になってきて、調べてみた。ウィキペディアによると――
◇
【間質性肺炎】
間質性肺炎は肺の間質組織を主座とした炎症を来す疾患の総称で、非常に致命的であると同時に治療も困難な難病である。(中略)1989年6月には、歌手の美空ひばりがこの病因により、52歳の若さで亡くなった事でも知られる病名である。
病態概念
肺は血液中のガスを大気中のものと交換する器官であり、大気を取り込む肺胞と毛細血管とが接近して絡み合っている。それらを取り囲んで支持している組織が間質である。通常、肺炎といった場合には気管支もしくは肺胞腔内に起こる炎症を指し、通常は細菌感染によるものを指す。間質性肺炎の場合は支持組織、特に肺胞隔壁に起こった炎症であり、肺胞性の肺炎とは異なった症状・経過を示す。大きな特徴は2つである。
・肺コンプライアンスの低下
いわば「肺が硬くなる」。肺の支持組織が炎症を起こして肥厚することで、肺の膨張・収縮が妨げられる。肺活量が低下し、空気の交換速度も遅くなる。
・ガス交換能の低下
間質組織の肥厚により毛細血管と肺胞が引き離される。その結果、血管と肺胞の間でのガス交換(拡散)効率が低下し、特に酸素の拡散が強く妨げられることになる。
症状その病態から、呼吸困難や呼吸不全が主体となる(息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しい)。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である(痰は気管支や肺胞の炎症で分泌されるため)。肺線維症に進行すると咳などによって肺が破れて呼吸困難や呼吸不全となり、それを引きがねとして心不全を起こし、やがて死に至ることも多い。(中略)タイプにもよるが、進行性で治療に抵抗性のものでは数週間で死に至るものもある。慢性的に進行した場合は10年以上生存することも多い。(中略)関節リウマチ、全身性強皮症、皮膚筋炎、多発性筋炎、MCTDなど線維化を来す膠原病の一症候として間質性肺炎が出現する頻度が高い。これらの疾患では間質性肺炎が致命的となることも多い。
◇
――なんだって!? 死ぬ病気!?「呼吸困難や呼吸不全が主体となる(息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しい)。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である」そういえばこれ、その通りだ。いつも息苦しいような、胸に何かつかえているような気がして、咳ばらいをするのだが、てっきりクセだと思っていた。「数週間で死に至るものもある。慢性的に進行した場合は10年以上生存することも多い」なんということだ。私は死にかけていたんじゃないか!
1ヵ月後、再び松本漢方クリニックをたずねた。「これは、医者ならみんな持っとる、薬の副作用が書いてある本や」松本博士はブ厚い本をとりだされ、開いて見せてくださった。「ペンタサ、ペンタサ……あった。ここ見てみい」博士が指さすところをのぞきこんだ。【ペンタサ】副作用……間質性肺炎。はっきり書いてある。ほかにも十指に余る病名が連なっていた。クローン病は死ぬ病気ではないが、クローン病の薬で私は死にかけていたのだ……。
◇
8ヵ月が過ぎた。松本漢方クリニックに電話し、血液検査の結果をお聞きすると、「間質性肺炎は、もうだいじょうぶや」ほんとですか!言われてみれば、最近、かわいた咳をしていない。妙な息苦しさも感じない。治療開始2ヵ月目あたりからしきりに痰が出る日々が続いて、それも最近は止まっていたのだ。あのときに肺が修復されていたのだろうか。こうして松本博士に、わたしは命を救われた。
◇
つぎは本命のクローン病だ。経過をメモしたものがあるので、そのまま掲載してみよう。――
<2010年4月22日>(治療開始1日目)
初めて、漢方薬を煎じて飲み、自分でお灸(市販の温灸)を据える。漢方薬は案じていたほど苦くなかったが、お灸は耐えがたい熱さだ。オナラが出やすくなったのを感じる。いつもパンパンだった腹が、かつてなくヘコんだ。それと、いつも冷えている手足がポカポカだ。なお、体重は50・4キロ。薬の処方は以下のとおり。もらった紙をそのまま書き写す。
【食前】
葛根黄連黄ごん湯……胃や腸管の炎症や潰瘍を改善し出血を止める。
(内容)
・花扇カッコン……マメ科、筋弛緩剤、項背部の凝りをとる作用。
・花扇オウレン……炎症をとる。
・高砂オウゴン……コガネバナの根、抗炎症。
・花扇シャクヤク……芍薬の根。
【食後】
排膿散及湯……蜂窩識炎、フルンケルに効果的。
(内容)
・高砂キジツ……ダイダイの未熟果実、苦味健胃、腹部の緊張弛緩。
・花扇キキョウ……キキョウの根、きょ痰、排膿。
・花扇シャクヤク……芍薬の根。
・花扇タイソウ……ナツメの実、強壮、緩和。
・花扇ショウキョウ……ショウガの根茎、胃腸を整える。
・花扇カンゾウ……マメ科、バッファー作用、平滑筋弛緩作用。
【頭痛・肩こりがするとき】
ベルクスロン錠……抗ヘルペス剤。
【腹痛・発熱時】
フロモックス錠……細菌による感染症の治療に用いる薬。
<4月23日>(2日目)
起床後のおなかの張りぐあいが、いつもの半分ほどになっている。
<4月24日>(3日目)
下痢をもよおして目が覚めるのが通例だったが、自然に目覚めて便意もなし。もよおしてトイレに行っても、いままでのように座ったと同時にバーッと出るのではなく、時間がかかり、量も少なかった。ひさびさに固形の便がのろのろ出てくるような感覚がした。が、出てきた便の形状は変わらず。
夜中に両ヒザ、明け方に両ヒジの関節が少し痛んだ。さっそくヘルペスとの戦いも始まったようだ。
<4月25日>(4日目)
夜トイレに立ったとき、両ヒザが痛んだ。明け方、目が覚めるとヒザの痛みはなくなっていて、こんどは右手の親指と人差し指の間および右腕のヒジの内側が痛んだ。これも起床後まもなく消えた。
便がなかなか出ない。またしても腸のなかを固形の便が進んでいるようなひさびさの感覚があったが、まだ軟便だ。それでも粘度がアップしているかんじ。とにかく、便意と同時にトイレにかけこみ座ると同時にバーッとやる以外なかったのと比べ、劇的向上といえよう。回数もこれまでの5分の4か3分の2くらいになった。
<4月26日>(5日目)
顔にブツブツが出ている。昼15分ほど仮眠をとって目覚めた直後、右の耳の奥が痛んだ。ここが痛むのは初めてのことだ。
<4月27日>(6日目)
かつてないほどぐっすり眠れた。便は、形状は変わらないが出にくくなっている。と思っていたら、午後から悪化。悪化というか、漢方をやる前に出ていた水様便が漢方後初めて出た。
<4月28日>(7日目)
起床後、頭痛がして、すぐ消えた。寝起きにヘルペスウイルスによる神経痛がおきるのがパターンになってきた。
初診から1週間がたったので、言われていたとおり、松本博士にお電話。血液検査の結果をきく。すると、
「松井さん、間質性肺炎があるよ」
(中略)
「おしりから膿が出てるの、わかりますか」
「はい、わかります」
先生こそ、なんでわかられるのですか!?
CRPは4・4と高め。アルブミンも下がっていることがわかったので、しばらくアミノ酸の顆粒を飲むことに。
<4月29日>(8日目)
最近、寝起きが非常にだるい。免疫がヘルペスウイルスを攻撃しているのだろう。だが頭痛は起きず。抗ヘルペス剤が効いているおかげか。
と思っていたら、夜にひどい頭痛がおきた。それも抗ヘルペス剤をのむと和らぐ。
こういう有用な薬があることを、私はついぞ知らなかった。松本博士に出会うまで、東洋医学は善、西洋医学は悪、と単純な二元論におちいっていた。しかし博士は両方を駆使される。本来あるべき医学のすがたがこれなのであろう。
<4月30日>(9日目)
ヘルペスがひどい。体じゅうギシギシする。
<5月1日>(10日目)
このごろ目覚めは大変よい、が、異様にダルい。寝るまえに抗ヘルペス剤を飲むようにしたためか起床後の神経痛はない。
漢方薬のおかげだろう、便の調子がよい。
漢方薬は世間の下痢止めとまったくちがう。いわゆる下痢止めは、これもクローン病に対して出されたものだが、まさに下痢がピタリと止まった。しかし、出るべき便が体内にとどまっているだけというかんじで、体調が悪化した。それで2日で服用をやめたことがあったのだ。かたや漢方薬は、便自体が変化する。これまでよりもやや硬くなり出るのに時間もかかることが多くなった。下痢に特化した処方ではないのだが、それでもこの効果である。
<5月3日>(12日目)
就寝前、両ヒジにブツブツがいっぱいできているのを発見。痛くも痒くもないが。さらに夜中、目が覚めたとき、背中が異様に痒かった。クラススイッチが起き始めているのだろうか?
<5月7日>(16日目)
おなかは、ガスで張って苦しいことはあるが、痛むことがなくなってきた。
<5月8日>(17日目)
額の髪の生えぎわから上のほうにかけて湿疹ができているのを発見。クラススイッチだといいな~。
<5月16日>(25日目)
顔全体に赤いプツプツがあるのを発見。まだ、よく見ないとわからないほどで、痒みもないのだが。
<5月19日>(28日目)
2度目の松本漢方クリニック。
博士は「これ見てみい」と、医師用の、薬の副作用が列挙されている本をみせてくださった。ペンタサの副作用として“間質性肺炎”としっかり書いてある。なんということだ。
「これを医者はみんな知っとるんやでえ」
と博士。松本漢方クリニック以外では、間質性肺炎の「か」の字もきいたことなし。
「おしりの膿も出し切ろう」
と言ってくださった。こんなことも、ついぞ聞いたことなし。
<5月25日>(治療開始1ヵ月目)
とにかくだるい。
<5月26日>
お電話にて、先日の血液検査の結果をきく。
CRPは2・4で、よくなっている、だるいのはヘルペスだから、だるいときは抗ヘルペス剤を飲むようにとのこと。
前回21・7%あったリンパ球は13・7%で、これは「死にぞこない」の値だと冗談ふうにおっしゃった。「死に際の老人の値や」。それほど私は免疫をおさえてしまっていたのだ。
<6月7日>
腹の痛みはほぼなくなっている。腹部膨満も軽減。便の中に膿がまじることもぼぼない。手足が冷たくなくなった。
<6月13日>
痰がとまらない。肺が修復されているのだろうか?
<6月28日>(2ヵ月目)
食後の漢方薬が変更された。“断痢湯”というらしい。もらった「お薬の説明」によると――。
(内容)
・高砂ハンゲ……カラスビシャクの根茎、鎮吐、きょ痰、平喘作用
・花扇カンキョウ……ショウガの根、鎮痛。
・高砂ニンジン……オタネニンジンの根、強壮、健胃、強精作用
・花扇オウレン……炎症をとる。
・花扇タイソウ……ナツメの実、強壮、緩和。
・高砂ブクリョウ……マツホドの菌核。利尿、強心作用、
筋肉のけいれんを緩める
・花扇カンゾウ……マメ科、バッファー作用、平滑筋弛緩作用。
いままでの漢方はそれほど飲みにくさを感じなかったが、これはすさまじくニガい。まあ、このニガいのが良いのだ。
<7月2日>
そういえば、最近ヘルペスによる神経痛がめったに出ない。
それと入れかわるように、24時間キーンと耳鳴りがするようになった。
思い出したが、幼いころから耳鳴りはあった(たぶん5歳くらいから。といっても物ごころついたころが5歳くらいであるから、もっと前からかもしれない)。てっきり人間の耳というのは静かなところではこういう音がきこえるものなのだと思い込んでいた。
あの音が、24時間ハッキリ聞こえるようになった。よもや耳鳴りの原因もヘルペスであろうとは。
ということは子供のころから免疫がおさえられていたのだろうか?
<7月22日>(3ヵ月目)
毎朝、寝起きに痰が出ている。
加えて、肛門から出る膿が最近やや増えた。
おなかにたまるオナラは以前の8割といったところ。オナラの出やすさは倍増。
下痢の回数も8割ほどに。だいぶ硬くなってきている。
腹痛はめったにない。まれに腸の特定部位を便が通過するとき鈍い痛みがする。しかし以前のような鋭い刺すような痛みはなくなっている。
ヘルペスによる24時間のだるさ・耳鳴りが続く。
<7月25日>
いましんどいのはヘルペスによるだるさだけ。
クローン病の症状としては、下痢と肛門から出る膿と腹部膨満だけで、生活の不便はあるが痛みは消えている。下血もなくなった。下痢の回数、膨満は以前の8割だが、下痢は硬くなってきているため体感としては半減、オナラも出やすくなっているためこれも半減したかんじ。逆に、おしりの膿は増えてきている。
間質性肺炎と思われる咳も減り、呼吸が以前よりもラクなかんじ。痰は出続けている。
<7月28日>(4ヵ月目)
体重がわずかに減り、49・2キロ。
<8月4日>
しばらくよかった下痢が少し増えたかんじ。
ヘルペスによるだるさがさらに激しくなった。
体重がまた減って、48・0キロ。
<8月7日>
松本博士にお電話。おなかが痛くなったことを告げると、ストレスがいけないとのことだった。
このごろ、とにかく激烈なだるさで、焦っている。仕事ができないのだ。毎日の締め切りがあるというのに、朝起きるとだるくて動けない。体が「休め」と言っている。休めば、治りは早まるだろう。だが、その体の声を無視して、全力で体に鞭打って起き、机にどっかりと倒れるように座りこみ、パソコンの電源をいれるのだ。だるさが激化したあたりから仕事が遅れはじめた。いま、その遅れを取り戻そうと、そのときよりもひどいだるさを押して仕事している。
そして最近、腹痛が戻ってきてしまった。せっかく現れていた顔面の赤いプツプツも、引っこんだ。
だるさとの戦いで、自分で免疫を抑えてしまっているのだろう。
とはいえ、仕事はしなければならない。しかし体が動かず、追いつかない。寝ているときも、ふと気がつくと仕事のことを考えている。いけない。これでは、24時間、免疫を抑えてしまう。
ここまでヘルペスとの戦いが強烈になるとは思っていなかった。
そこで今は、あえて体に鞭を打ちまくって、仕事の時間を増やそうと思う。1ヵ月くらいブッ倒れていても仕事も生活も回る状態をつくりだせば、ストレス源も除かれるだろうという作戦である。
<8月17日>
パンツにおしりからの膿がつかなくなっている。
顔のプツプツもまた出てきた。
おなかは、やはり便の通過時に決まった箇所が痛む(横行結腸中央と下行結腸)。
終日だるい。
<8月18日>
湿疹が多く出る。しかもこれまでと違って痒みを伴っている。
<8月30日>(5ヵ月目)
きのう久しぶりに38・6℃の熱がでた。2年ぶりくらいか。ひさびさに下血もあった。
けさ起きると36・9℃に戻っていて、夕方になると37・2℃に上昇、夜にまた上がり37・8℃。
熱っぽさは最近ずっとあったのだが、おかしいなと思って計ってみたら、この熱だ。この治療をはじめる以前にも、こんな状況が毎日続いた時期があった。しばらくおさまっていたのだが。
<9月1日>
血液検査の結果をきくため、松本博士にお電話。
IgG抗体が減ってきており、間質性肺炎もよくなっているとのこと! 熱がでて血が出ていることを報告すると、抗生物質を飲むようにと。
なお、体重47・6キロ。じりじり減っていますなあ。
<9月18日>
このごろ夜中に下痢で目覚める回数が1回だけになっており、それだけでも喜んでいたが、昨夜、ついに一度も目覚めず朝まで熟睡できた。なんと目覚めのよいことか。こんなに疲労感の少ない朝は、いつ以来か!
<10月12日>(6ヵ月目)
おなかの痛みはいつもの箇所を便が通過するときだけだ。発熱もない。ヘルペスの執拗なだるさもいくらか軽減したような気がする。神経痛はめったにない。
<11月1日>(7ヵ月目)
最近、すこし悪化させてしまった。ヘルペスのだるさで遅れた仕事を、焦りながら取り戻したせいだろう。しかし休むわけにもいかない。仕事をうまくやらねば。
腹は、下行結腸が便を通過時のみ痛む。
下痢は1日10回未満になっている。たいていはやや硬い便がちぎれちぎれに出る。まれに泥状になる。出血はない。
心配していた熱であるが、ときどき夕方に37・1℃まで上がるていど。
体重47・1キロ。
<12月8日>(8ヵ月目)
4度目の松本漢方クリニック。
私の心の持ちかたを、何とかしないと、絶対に治らないとのこと。温かいお叱りと励ましをいただいた。
私は今の自分を現状どおりに受け入れないといけない。
これについてはまた書こう。
CRP8・3と高い(正常限界値の約28倍。前回の2・4からハネ上がった)、リバウンドしている、栄養状態はそんなに悪くない、貧血もたいしたことないとのこと。
体重46・0キロ。
<12月13日>
腹痛が、とくに夜中にひどく、1時間に1回ほど目が覚めてトイレに行っている。こんなふうだから肛門の痛みもひどい。
頬がこけてきたのに気づき、体重を計ってみたら44・6キロ。
松本漢方クリニックホームページに掲載されている手記にも書いていた人がいるが、座っているだけで息切れすることがある。
これは松本漢方クリニックで治療を始める前の状態に近い。
ただし、ヘルペスで一日中だるく、体温も高めと、確実に免疫力は上がっている。その点が違う。
心を正しく持ち、免疫力を下げないようにしていけばよい。とは、わかっているのだが。
<12月15日>
地元の病院で、あまりにもエレンタールをすすめられるので、松本博士にも「エレンタールは飲んでもよい」と言われていることだし、ありがたく頂戴することにした。これで体重を元に戻しなさいということである。
<12月17日>
血液検査の結果、その2。ひきつづきIgGの世界にとどまってしまっている、減るべきコルチゾール(ステロイドホルモン)が増えてしまっている、栄養状態はそんなに悪くない、肺サーファクタント(肺炎の度合い)は下がって間質性肺炎については怖くなくなった、とのこと。
私は何かと戦っているのでそれをやめるようにとのこと。いいかっこをやめること。
<2011年1月10日>(9ヵ月目)
昨晩、猛烈に腹が痛かったとおもったら、午前中に潰瘍ばかりの排泄物が4~5回たて続けに出た。明らかに便とは違う、まっ白い、固まった痰のような便で、腸壁の潰瘍がはがれ落ちたものと思われる。松本漢方クリニックでの治療の前からなのだが、ひどい時期が続くとこんなことがある。
よくなっているからなのか、悪くなっているからなのか?
<1月27日>(10ヵ月目)
体重43・2キロ。BMIが15を切った。
<2月8日>
体重42・5キロ。BMIが14を切った。
夜、熱37・7℃。
下痢1日30回(うち就寝時10回)……。
◆痔瘻のはじまり
――日誌はここまで。手記に戻ろう。
2011年1月(治療開始から10ヵ月)ごろから、毎日、高熱が出るようになった。
昼すぎから上がってきて37℃台になり、夕方になるにつれて38℃前後まで上昇、夜には38℃後半になることもあったが、だいたい38℃止まりだった。
3月。毎日、38℃後半の熱が出るようになった。それも昼からである。
これと同時に、おしりに違和感をおぼえるようになった。
「まさか、また肛門周囲膿瘍になったのでは?」
はたして、7年前のあの状況になった。針で刺すような痛みがつねに肛門を襲うようになった。針は何本か、あるいは何十本か刺されているかのようだ。
夜も眠れなくなった。激痛に悲鳴をあげながら、そうっと仰向けになることはできても、ちょっとでも股をこすらせたり寝返りなんか打とうものなら、刺されていた何十本かの針を動かされたような痛みが尻から脳天まで走って目が覚め、しばらくは気も狂わんばかりに悶え苦しむ。30分か1時間もすると、少しは痛みがマシになり、眠りにつけるのだ。
しかしウトウトすると、つい動いてしまって、もとの木阿弥になり、気がつくと朝になっている。熱は、運がよければ37℃まで下がっていた。
やつれた。体重は42キロになった。
膿瘍はミカンのL玉くらいの大きさに広がっている。履いているパンツがちょっと動いてかすっただけでも気を失いそうになるほど痛い。
松本博士にお電話した。
「抗生物質まだある? じゃ、まずそれを飲むこと。それから、おしりにシートン法はやってもええのや。やったことある?」単語自体、はじめてきいた。「ゴム管を入れて、膿が出てくるようにするのや。いま痛くて座れない? シートン法でふつうの生活できるようになってる人いるよ。そっちの病院でやってもらったらええ」
「えっ!? 地元の病院はレミケードされそうになったので、担当医にもう行きませんって言っちゃいました」
「なに~。こういうことがあるからなあ、病院は切らんでほしかったのや」
がーん。
「言うべきことは言ってもケンカしないで、やる価値のある治療は、やってもらったらええのや」
お電話のあと、考えた。尻にゴム管を埋めこむのかあ……。いまの地獄に比べたら、全然OKだが、闘病7年、いよいよ病人らしくなってきた。
「シートン法、やろう」
覚悟をきめた。
とはいえ一人では身動きがとれないので家内の都合のよい日に病院を予約し、その日を一日千秋の思いで待った(が、いま考えたら救急車を呼べる身分だった)。
激痛は上記のとおり。
熱もひどい。ある1日の体温変化は以下のとおり。
<2011年3月29日>
朝8時 37・0℃
14時 38・2℃
17時 38・9℃
抗生物質を服用
19時 38・0℃
夜1時 38・4℃
抗生物質を服用
3時 37・9℃
寝汗をびっしょりかく
朝5時 37・2℃
寝汗をびっしょりかく
6時 37・0℃
ほぼ毎日、松本博士に状況を報告した。あるとき、息もたえだえにお尋ねした。
「これもリバウンドなんでしょうか」
「そうや。いままで医者にいいように悪さされてきたのや。ひどい体になっとるんやで」
ついに受診前夜。
この夜さえ耐えれば……!
「ああ、またトイレだ」
ふだんからただでさえひどい下痢だが、肛門がこうなってからは直腸付近の下痢をまったく支えられず、さらにトイレに行く頻度が増えていた。1日20回から30回駆けこんだ。いや、激痛に身動きひとつとるのも難儀で、ほうほうの体でトイレまで旅をした。
このとき、夜10時くらいだったろうか。便座にまたがり、いつもどおりにいきんだら、
「パツン」
小さな破裂音がした。便器の中に血がポタポタ落ちた。
あれ? 下血?
でも、なにか様子がちがう。肛門から落ちたふうではない。おしりにトイレットペーパーをあててみる。膿のたまった箇所に血がついた。とたんに、赤黒い液体がどろどろ出てきた。
膿だ!
止まらない。すごい量だ。こんなに、タンクのようにためていたのか。と、感心している場合ではない。どうしよう。
困った。
困った。
「困ったときには電話してな」
松本博士の言葉を思い出した。
まことに申し訳のないことであったが、ご指示いただいた。もちろんこんな非常識な時間にお電話するのは今回限りにしたい。
今すぐ病院の夜間外来を利用すること。抗生剤を打ってもらうこと。必要ならば消毒をすること。
病院に勤務する家内の友人が車を出してくれた(いま考えたら、今度こそ救急車を利用していい身分であった)。
現場の医師の判断で、抗生剤の点滴のみで消毒はしなかった。
「ひとまず明日は朝のうちに外科にきてください」
そう言われ、再び友人と家内の世話になって帰宅した。午前サマになっていた。久しぶりに、安眠した。
◇
翌朝、家内に連れられて病院へ。
まずは外科。
「抗生剤の点滴をするので、しばらくは毎朝きてください。それと、このあとの治療ですが」
外科医はかんたんなイラストを描きながら説明した。
「肛門周囲膿瘍のあとは痔瘻といって、直腸と、おしりの皮膚が、こう、穴でつながった状態になります。ふつうは手術して治すんですが、クローン病の痔瘻はなんども再発するので手術はしません。レミケードという薬をつかいます」
なんと!? 外科でもレミケードをつかう時代になっていたか。
「レミケードはやりたくありません」
またこの病院のお世話になるけれど、これだけは絶対にゆずれない、退いてはならないデッドラインである。
医師は当惑そうな顔になった。
「いいですか、松井さん。それでは治らないんですよ。膿がおしりから内臓全体にひろがります。フルニエ症候群といいますが、レミケードの副作用を心配するまえに、痔瘻で死んでしまいますよ」
「それでもレミケードはお断りします」
「死んでも?」
「はい」
医師の表情はそうとう強張ってきた。申しわけないけれど、仕方がない。
「それではおしりの穴がふさがるかどうかはわかりませんよ」
レミケードをつかうよりはそっちのほうがいいです、と言いたかったが、私のほうもこのへんでいっぱいいっぱい、あとは黙った。
つぎに、消化器内科。
「松井さん、入院されてみてはどうですか。レミケードはせずに、つかうのは栄養剤だけということでいいですから。闘病するにも、体力が必要です。腸の炎症をとって下痢の回数を減らさないと体重も増えてきませんからね。入院の期間は、経過をみながらですが、まあ2週間から4週間。下痢が1日10回を切るところを目標としましょう」
このあとすぐ松本博士に電話でご相談したところ、それは価値のあることだからやったらいいよ、とのことであった。ちなみに、シートン法はもうやらなくていいでしょうとも。ホッ。
こうして私は入院することになった。
エレンタールが1日1200キロカロリーぶん与えられた。段階的にこれを1500、1800としていく予定。
しかし1200キロカロリーは、ほぼ基礎代謝量である。入院初日に42・2キロあった体重は、5日間でさらに減り、40・2キロとなった。そこで下げ止まり、じょじょに回復していった。
「おしりにできた穴をふさぐために、ちょっとやってみたい治療があるんです。白血球除去療法というのですが」
ある日、担当医から言われた。
「イメージとしては腎臓病のひとの透析みたいなかんじで、血液を器具に通して、増えすぎているよけいな白血球をとってから、体にもどす、というものです。これは副作用がほとんどありません。ない、といってもいいくらい。ほんとはレミケードがいちばんいいんですが、イヤということなので。ノートパソコン、もってきてらっしゃいましたね。ネットでアダカラムで調べれば出てきますから、考えておいてくれませんか」
うーん。やはり、入院というのは、ひとすじなわではいかないものだ。このような不測の事態が生じる。さて、どうしたものか。
とにかく、まずは調べてみた。
“アダカラム”は医療器具の名前なのであった。筒のなかに樹脂でできたツブツブがびっしり入っていて、そこに血液を通すと、白血球が減るというしかけである。顆粒球と単球だけを取りのぞき、リンパ球は残す、という。残すといっても6%減になる。うまいこと顆粒球と単球だけを取るというわけにはいかないのだろう。さらに拙いことには、器具を通過していくらか体に戻される顆粒球と単球は性質が変わってしまうという。正常なものと同じはたらきはできなくなるというのだ。おそらく樹脂のツブツブで濾過されるときに傷ついたり壊れたりするからだろう。この影響としてとりわけ致命的とおもわれるのは、マクロファージがサイトカインをつくれなくなってしまう点である。そして極めつけ、この白血球除去療法、一発なんと12万円であった。
なんだか目新しい療法に聞こえたけれど、けっきょく、西洋医学の発想は、もう結論がきまっているようだ。
とにかく「免疫が敵」の一点張りである。
やることは免疫の駆除。どんなに目先が新しくなっても、すべてこの変形にほかならない。
なぜだ? なぜ、この発想から抜け出ることができない? 日々、膨大な医療費、研究費がそそぎこまれているというのに、この思考停止はどうしたことか。
考えることを放棄したら、学問にならない。医学、と「学」の字がついているからには、思考停止におちいった医学は医学といえないであろう。
担当医には申し訳ないけれど、この療法も断った。
なお、これは退院してからの後日談だが、松本博士にこのことをお知らせしたのだ。
「レミケードがいやなら白血球除去療法をしないか、とすすめられたんですが」
博士、ひと言。
「ああ、そりゃレミケードより悪い」
◇
同室では、学生さんらしい患者が、看護師からレミケードの説明をうけていた。すると翌日にはレミケードの点滴がつながれていた。私は、何もしてやれない自分の無力が悲しかった。せめて知り得た情報を発信しなければならぬ。
担当医は、私にレミケードを施すこともあきらめていなかった。別室に呼ばれて、
「説得じゃありませんよ。じゃあもういいです、と言われても困りますからね。松井さんはいま松井さんの信念というのがおありですが、正しい判断をするためには情報が必要です。それを提供しようというだけ」
私も「正しい判断をするための情報」をお伝えしてあるのだが、しょせん患者のたわごと、通じていない。ますます無力な自分が悲しい。
「レミケードは、薬ですからもちろん副作用があります。でもいま製薬会社は副作用にすごく敏感になっていて、慎重がうえにも慎重に効果をたしかめて出しています。レミケードの副作用に結核がありますが、これはもともと結核菌を持っていたのに使ってしまった場合です。持っていなかった人がレミケード使ってから結核になるなんてことはありません。だから、使う前には結核菌があるかないかを必ず調べます」
担当医と私の歯車がかみ合わないのは、論点がずれているからなのだ。副作用も、たしかに怖いが、重要な問題ではない。私が免疫を抑える治療を拒む理由は、治るクローン病がそれで治らなくなるからである。担当医には、この「クローン病が治る」という前提がない。
話は平行線に終わり、私は病室にもどった。
誤解を恐れずにいうと、医者が患者の話に聞く耳をもたない姿勢は正しい。99%の患者が自分の主張を開陳するときは怪しいサプリメントか呪術の類であるからだ。聞くだけ時間の無駄である。
◇
退院がちかいころ。
夜、眠ろうとすると、体のあちこちが痒い。毎夜、この痒みが寝ようとすると襲ってくる。
トイレに入ったとき、鏡をみると、「あ!」顔じゅう、目立たないが赤いプツプツが現れている。アトピーだ。アトピーになったんだ!
いっぽう、レミケードがつながれた学生さんは、日に日に元気がなくなっていくように見えた。
退院した。
下痢は1日10回前後に減り、体重は44キロまで増えた。病院側はそれが今回の入院の成果と思っているだろう。ふふ、ちがいますよ……。
◆松本理論による治療(2年目)
<2011年7月>
退院して3ヵ月がたった。
体重は順調にふえ、48キロにまで回復した。
アトピーは、進まなかった。ブツブツの量に変化がない。アトピーが出ている箇所も、顔だけである。
退院時にはおさまっていたおなかの痛みもじわじわ復活してきていた。
おしりの傷が、治らない。傷口からいつまでも膿が出ている。かなり痛い。
この膿のせいであろうか、午後になると熱がでてくる。たいていは37度後半、ときに38度台まで上がる。眠って朝になると平熱にもどっている。ここしばらくこれのくり返しだ。
困ったのは、座るという動作ができないことだ。このころから「ほぼ」寝たきりとなった。座れないことがこんなに不便とは知らなかった。
さらに1ヵ月後のこと。
「あれ? なんだこれ……まさか」
肛門のすぐそばに、身におぼえのある違和感を感じた。さわると、
「痛い!」
また肛門周囲膿瘍だ。
このころから不定期に肛門周囲膿瘍になっては外科のお世話になることとなる。
それにしてもおしりが痛く、立つのも苦痛で、――つい、漢方薬を飲むことをサボった。
飲まねばならないことはわかっているし、飲みたいのだが、健常者ならなんのことはない動作が重労働どころでない重労働である。
サボっているという意識はなかった。それどころか、「こんなにつらいのに、できることはしているんだ」と自惚れていた。
これが、いけなかった。
久しぶりに漢方薬をいただくためにお電話すると、
「きみ、5月に漢方薬を出してから、そこで止まっているやないか。オレんとこ来たら、オレの言う通りにやらんかい!」
松本博士からお叱りをいただいた。
目がさめた。
言い訳するな。私は、サボっていたのだ。これはお灸も同様だった。
つまり私は「中だるみ」にはまっていたのだ。
自分の情けなさに呆れた。
いそいそ漢方薬を煎じはじめた。なんだ。やりゃできるじゃないか。
お灸も、ふたたび日課となった。
痛い、だるいといいながら、仕事する時間ならば、1日2時間でも3時間でもつくっていたのだ。少しその手を休めれば、できないことなどなかったのである。
「きみはいま仕事とか言っとる身分やないんや!」
と、これも松本博士の、愛のご叱咤。
病苦というのは、おそろしいものだ。初心も、志もわすれる。気をつけねばならぬ。
<2011年9月>
狭いアパートの自室で天井を見上げていることが多くなった。
肛門の右と左に、仲良く痔瘻が並んだからである。
新しくできた肛門周囲膿瘍は、こんどはがまんせず、外科で切開してもらった。この、新しい右の痔瘻は比較的おとなしくしてくれている。腫れはひいているし痛みもそれほどではない。
問題は、古い、左の痔瘻だ。
お恥ずかしい話であるが、腫れが陰嚢にまでひろがった。腫れは山脈のように隆起して、さわるとブヨブヨしており、皮膚の下にどじょうかなにかがうごめいているかんじで、気持ち悪いことこの上ない。
この陰嚢付近も切ってもらい、痔瘻は3つになった。
ところで腹痛と下痢はどうかというと――。
まず、おなかはいま、ぜんぜん痛くない。
下痢も、いったん1日30回、それも水様便になったが、だいぶ固形にちかくなり、1日10回くらいに。
体重も増え、48・3キロにまでなった。
CRPは2・17。
このように、クローン病の症状は、ずいぶん良くなっているのである。
かわりにひどくなってきたのが、アトピー。
あいかわらず出ているのは首から上だけであるが、それも、いままでは「よく見るとブツブツがあるな」というかんじで、痒みも「痒いといえば、まぁ、痒いか」くらいの程度だったのが、いまは誰がどうみてもブツブツで、痒みも、けっこうつらいときがあり、気がつけばポリポリ掻いていることも。
そして顔の新陳代謝が異様に早くなった。掻くと、角質がボロッと落ちる。鼻のまわりと口のまわりには白いものが噴きだしている。脂肪である。
<2011年10月>
痔瘻が少しばかり良くなっていたのだが、またひどく痛みはじめた。
とくに排便をきっかけに痛みが激烈になることがある。あとでわかったことだが、便がゆるいと肛門だけでなく瘻管からも出てしまい、糞便が瘻管にとどまったままになるのだ。
こんなときは、排便後1時間くらい、ギャアギャア、布団の上でもんどり打ち、いや、もんどり打つとよけい痛いので、がまんしてジッと動かず、ひたすら悲鳴をあげている。
膿は、出口はあっても一定量がたまらないと出てこず、たまっているあいだが泣けてくるほど痛い。
さらに困ったことに、この穴は、傷であるから、自然と塞がってくるのである。そうなるとまた切開しないといけない。
<2011年12月>
「いま、腹は痛くなくて、下痢も1日10回ありますが、つらくはありません。とにかく痔瘻が一進一退です」
松本博士に電話で告げた。すると、
「週に1回、漢方風呂に入るとずいぶんよくなるで~」
と、そのための煎じ薬を送ってくださった。
入ると、たまった膿が出てきやすくなった。膿じたいも少なくなってきた。おしりが痛くて眠れないことはずいぶん減った。
ほんとうは漢方風呂、毎日入ればいいのであるが、この漢方は保険がきかない。週1くらいがせいぜいだ。
<2012年2月>
腹痛が再発した。
痛みは、けっこう、ひどい。「ぎゃー!」と、声を出せるときはいいほうで、呼吸もできずに耐えているしかないときもある。
「どう? おなかは痛い?」
「はい、痛いです」
松本博士と電話で話す。
「熱は出てる?」
「はい、38度くらいです」
またしてもほぼ毎日、夕方ごろからじりじり上がってくる。
「けっきょく、日和見感染が起きとるのや。抗生物質が効くからね、だしておくから、飲みなさい」
抗生物質の錠剤を飲むと、腹痛は少しラクになった。
それと、これは思わぬ収穫だったが、ついでに痔瘻もよくなったのだ。むしろこっちのほうが大幅な改善がみられた。
抗生物質、ありがとう。
松本博士に出会うまで、私は、西洋医学といったらミソもクソもいっしょくた、十把一絡げにまとめてぜんぶ嫌っていたが、無知だった。
使う価値のある薬とそうでないものを知って使いわけることが大事なのだ。
◇
「ほぼ寝たきり生活」をはじめて、1年近くになる。
私は、クローン病を、あまりにも甘くみていたようである。
それにしても、免疫のリバウンドがあまりに激しい。
免疫が高まるのがあまりに遅い。
なぜだ。なぜだ。
ずっとわからずにいた、その理由は、じつに意外なところにあったのである。
◆私が免疫を抑えてきた履歴(クローン病の根本原因)
難病との戦いは免疫のリバウンドとの戦いであり、免疫のリバウンドの激しさがそのまま闘病の激しさとなる。
そして、どれほど免疫のリバウンドが出るかは、治療をはじめてみなければわからない。いつ終わるのかもわからない。松本博士にもわからないし、私にもわからない。免疫のみぞ知るところである。
生まれてから、今日まで、どれほど免疫をおさえてきたか。それで決まる。
私は、ずいぶん、免疫をおさえてきてしまったようである。
まえに母親から、
「じろくんはね、」私のことである。「生まれてすぐ点滴を打ったのよ」
そう言われたことがある。思いだして、急に気になってきた。
実家の母に電話をかけた。
「まえに、ぼくが生まれてすぐ、点滴したって言ったよね。生まれてすぐって、いつのこと?」
「生後10ヵ月のときだよ」
「なんでそうなったの」
「熱が出て、1週間下がらないもんだから、医者に連れていったのよ。そしたら、髄膜炎かもしれないから病院を紹介する、っていわれてねえ。そこ行ったの。そしたら、髄膜炎ではありませんでしたが熱は下げておきましょう、っていわれて。足に針を刺して、じろくんは泣いたけど、足に重りをつけて動けないようにされてね、24時間、10日間点滴したのよ」
「10日! それ何の薬だったかわかる?」
「さあねえ」
なんてこった……。
状況からして、解熱剤か抗生剤だろう。解熱剤なら免疫は壊滅だ。抗生剤にしても腸内フローラが変わり免疫に影響を与えていよう。
生まれたばかりの私は、4100グラムの、まるまる太った健康優良児であった。
しかし、私の記憶がスタートするのは5歳くらいのときからであるが、顔は青白く、いつも下痢がちで、おなかが痛いといっていた。外に出て走り回る、などということはなく、家の中で、字を書いたり、絵を描いて遊んでばかりいた。いつもおとなしい、母親の言葉をかりれば「手のかからない」子供であった。まったく、子供らしい生き生きとしたところがなかった。
27歳のとき発症したクローン病は、このときすでに、その素地ができあがっていたものと思われる。
◇
しかしこれは、クローン病のきっかけができたにすぎない。より、私の免疫を抑えたものがある。
ストレスである。
5歳まで、私には外出した記憶がない。
わいてくる記憶はいつも、家の中で紙と鉛筆を友達にして、なにやらくしゃくしゃ字を書いたり絵を描いたりして一人で遊んでいるところである。しかしそれを私はしあわせに感じていた。
しあわせは、5歳のとき終わった。
「じろくん、学校へ行く練習をしておこうね」
母が突然、そう言いだし、保育所へ通うことになったのだ。
この、母のいう“練習”は、時すでに遅かった。
はじめて見る、自分と同じ年頃の人間がひしめく空間に、私はうろたえた。じろじろ、周囲を見まわしてばかりいた。
「じろじろ見るから、じろうっていうのかなぁ?」
“まついじろう”という名札を見て、一人がからかってきた。
このとき、
「ちがうよ、バカじゃねーの」
とでも言ってやればよかったのだが、私は、黙って下を向いてしまった。
このとき明暗が決した。
なにを言っても反応しない、おとなしい私に対し、彼らは身体的接触という手段をもってコミュニケーションをはかろうとした。
この行為を、いじめ、ともいうようだ。
とにかく常に、ひっぱたかれた。
「やめてよ……」
と小声で、精いっぱいの勇気をふるって言うのであるが、そうするとよけいに手やら足やらが飛んでくるのだ。もちろん、複数である。
保育所とはなんと恐ろしいところであろうかと私は思った。朝、家を出たときから、早く一日が終わることばかりを念じていた。
もっと恐ろしいところがあった。
小学校である。
小学校は、これは田舎の特徴であるが、保育所のメンバーがそのままクラスメートとなる。
これで6年間の明暗が決した。
私は青白い顔をして、体つきはひょろひょろしていた。しょっちゅう風邪をひき、熱を出していた。
いちばん困ったのは、腹痛だった。
毎日のようにおなかが痛くなった。そして、腹痛に襲われたあとは、決まって下痢。
トイレへ行くと、クラスメートがついてくるのだ。私が個室に入ると、何人も上から覗きこんで笑った。
最も嫌いな科目は、体育だった。かけっこをすると必ずビリになり、ドッジボールでは真っ先に狙われた。
休み時間は、れいによって字を書いたり絵を描いたりして過ごしていた。
あるとき朝のホームルームで担任が言った。
「テレビでやってたけど、いま、体育ができない子供とか外で遊ばない子が増えていて、そういう子を、もやしっ子、っていうんだって」
みんないっせいに私の顔を見た。
ホームルームが終わり、担任が出ていくと、いつも私をいじめている男子が立ちあがって、席に歩み寄り、
「おい。もやし」
と言った。
教室は爆笑につつまれた。
私は、いじめられっ子として、板についた。叩かれることには、悪い意味で慣れてしまい、当たりまえのように受けいれていた。
とりわけイヤだったのが、“カンチョー”である。油断していると、いきなり、
「カンチョー!」
の掛け声とともに、両手を組んだ人差し指2本が肛門に入ってくるのだ(油断していなくてもやられるのだが)。このころ大いに視聴率をとっていた「オレたちひょうきん族」の影響なのである。
毎日、いじめられるために学校へ行った。
小学2年のとき、近所の橋で、欄干に立ち、下を流れる川を見下ろしている夢をみた。靴はそろえ、その横に遺書が置いてあるのだ。橋から川までは3メートルほどで、水位も膝くらいしかないのだが、そんなところにも飛びこもうとするほど、小学2年の私は、すでに生きることを限界に感じていた。
いじめは高学年になるとかわいげもなくなってくる。
授業中、うしろの男子が、私の頭を叩く。
私は、うしろを振り返る。
いじめっ子は、すまして下を向いてノートをとっている。
私は、前へ向きなおる。
また、うしろから叩かれる。
振り向くと、彼はノートをとり続けている。
「松井くん!」
先生が怒鳴った。私は、罰として教室の前方に立たされた。
このころ、「カチンコ」といって、ライターの点火装置をとりはずして攻撃用にしたおもちゃがはやりだした。「カチンコ」を体にあてて、カチン、とやると、電気が流れて皮膚表面に激痛が走るのである。
授業中、私にもちいられる武器は、ゲンコツからこのカチンコに切り替えられた。先生の死角から、カチン、カチン、とやられるたび、私は歯を食いしばって耐えた。
休み時間は、クラスメートがカチンコを持って私を追い回した。私は逃げるのであるが、10人くらいで私をつかまえて、手足をおさえこんでしまうのだった。クラスメートたちは、カチン、カチンとやって、そのたびに私が叫び声をあげるのをきいて楽しんだ。
いじめられっ子というのは、一度それと決まってしまうと、抜けだすことは難しい。
体の痛みよりも、女子からの視線が痛かった。とくに、好きな女の子から見られているとき、私は心の底から死にたいと願った。
「ああ、ぼくの存在意義は、こうして、人から笑われることなのかもしれない」
クローン病の真の原因、ストレスが、幼い私に着々と蓄積されていた。
帰宅して、学校でいじめられたとでも言おうものなら、父親は怒り狂った。
「なんべん言ったら分かんだ! やられたらやり返せっつってんだろが! キンタマついてんのか! おめぇは女の腐ったような奴だ!」
父は立ちあがり、
「根性いれてやる! 頭もってこい」
だまって、頭を差しだす。
くるぞ。くるぞ。
脳天に衝撃が走る。直後、痛みが鋭く襲う。指の背ではなく骨のところで殴るのだ。
「今度は、やり返せよ!」
母親が口を挟む。
「そんなこといったって。できないものは、しょうがないじゃないの。ねえ、じろくん。お父さんは、ほっといて、お菓子を食べましょうね」
「おめぇも百年の不作だ! 実家でとうちゃんが待ってるぞ。帰ったらどうだ!」
父が去った居間で、母はコーヒーとお菓子を、2人ぶん、テーブルに並べる。
「ねえ、じろくん。お母さんと、お父さんが、離婚したら、じろくんはどっちについてくる?」
「……」
「ほんとうに出ていきたいわ。でもね、じろくん、じろくんがいるから、お母さんは離婚しないで、がまんするからね」
「……」
「じろくん! じろくんだけは、お母さんの味方でいてね。お母さんを捨てないでね」
「……うん」
私は、お菓子を食べつづけた。
お菓子を食べているときだけが、このころの私は、幸せだった。
しかし、そんな幸福も、つかのまに破れるのだ。
「ただいま!」
ああ。お兄ちゃんが、帰ってきてしまった。
「おい! ばかじろ、いるか」
「お兄ちゃん、お帰りなさい」
「おっ、いたか、ばかじろ。ちょっとガム買ってこいよ」
私は、兄の「パシリ」であった。兄は私を駄菓子屋に行かせるのだ。
「行けっ! ばかじろ。10分以内。ヨーイ、スタート!」
私は、死にもの狂いで走った。
「買ってきたよ」
ガムを差しだすと、
「おせぇよ!」
頭を殴られる。父のマネなのだ。というより、兄も父に殴られるから、ばかじろを殴ることで、うまくストレスを解消していたのである。
私は泣き叫んだ。兄は笑ってガムを口に入れた。
「なに泣いてんだよ。ばかじろアホじろコケじろ。ばかじろアホじろコケじろ、ばかじろアホじろコケじろ、ばかじろアホじろコケじろ」
「なにケンカしてんだ!」
父に発見された。こんなときは、なお災難である。ふたりとも殴られるのだ。
「ケンカ両成敗だ!」
あの指の骨でのゲンコツである。兄と私は、あまりの痛みにしばらくうずくまった。
父がいなくなると、兄は私を殴った。
◇
――キリがないので、このへんにしておくが、私の子供時代はここからもっと凄惨なことになる。
クローン病になるまえに私は、小学2年で花粉症、高校1年で慢性疲労になっている。このころから免疫を抑えていた証拠である。
くれぐれも念を押したいが、家族を糾弾することがこの稿の目的ではない。老いた父はいま、なけなしの年金から仕送りをし、私の治療を助けてくれている。
それでも、クローン病の根っこの原因を書くには、ここはどうしても避けて通れなかった。
父も母も健在で、あめつゆを凌ぐ家があったのであるから、「子供のころはつらかった」なんていったら、何様のつもりだろうと思う。
ただ私は、助けを求める声を誰にもあげることができずにいた。
学校も地獄なら、家も、私が守られる場所ではなかった。
このとき自分で強烈に免疫を抑えたことが、私がクローン病になった原因、かつ、私のクローン病が治りにくい理由であろうと思われる。
25歳のときカウンセリングを受けたが、アダルト・チルドレンであるとの診断であった。
このことを松本博士に話したのは、治療を始めて4ヵ月のころだ。
そのころの私はまだまだ元気で、大阪まで何度も通院していた。
「私は、家から逃げ出せばよかったんですが、ずっと、いい子を演じてしまいました。カウンセリングをして、だいぶ治ったつもりなんですが、今でも、無意識に、人前でいい子ちゃんをしてしまうんです」
それを聞かれて博士は、そんなこととは気が付かなかった、てっきり、いいところのお坊ちゃんだと思っていた、とおっしゃった。
「バカにされたくないので……あと、もういじめられるのはイヤなので、背伸びして、自分を自分以上に見せようとしてきたんです。それが病気によくないとわかったので、やめようと努力しているところなんですが、すっかり板についてしまって」
ひと通り話し終わると、松本博士は、わかった、よく話してくれた、病気は必ず治るから、いっしょにがんばっていこう、と励ましてくださった。
松本漢方クリニックホームページを読めば読むほどわかるのは、ストレスでばらまかれるステロイドホルモンが難病の原因といっても過言でないことだ。
ストレスをなんとかしないかぎり、免疫力を上げる治療をしても、難病になる力(ストレス)と難病を治す力(免疫)とが綱引きばかりして、リバウンドはすれど治療は進まず、となる。
だから松本博士にこの話をしなければいけないと思ったのである。いまでも私のなかにあるこのストレスの存在を知っていただかないと、博士は治療のうえで困られると思ったのだ。
じっさい松本博士は、薬を飲んでこなかったわりにはリンパ球が減りすぎているのでおかしいと思っていたがこれでわかった、という意味のことを言っておられた。
クローン病は、私がつくった。
私の責任で治す。
◆松本理論による治療(3年目)
このころから、体を良くすることはもちろん、心を良くすることに意識をむけて治療をした。
しばらく心のことを書いてきたが、体の変化は、どうか。
<2012年4月>
顔がボロボロになってきている。
毎朝、目がさめると顔じゅうから角質やら脂肪やらが噴き出ていて、さわると、それがボロッと落ちる。洗っても、夜にはまたそうなっている。
フケもすごい。頭皮も同じことになっているらしい。
クラススイッチは遅いながらも進んでいるのだろう。
だが、腹痛もある。
漢方薬を飲みはじめて以来おさまっていた腹痛が、再発しているのだ。それがいっこうにおさまらない。
これはなぜ?
松本博士にお電話した。
「アトピーがどんどん出てきてるんですが、腹痛もひどくなっているんです」
すると博士、
「ああ、そりゃリバウンドとクラススイッチが同時進行で起こっとるのや」
またまた私の理解不足が露呈した。
「腹痛はヘルペスが原因のこともあるんや。ベルクスロン※ 飲んだら軽くならない?」(※現在はアシクロビル)
なんと。ヘルペスとは、考えたこともなかった。そう言われれば、いつも抗ヘルペス薬を飲んだあとに軽くなっているような気がしないでもない。これから意識してみよう。
いままでは状況に応じて飲んでいたが、食後必ず飲むようにしたところ、腹痛はだいぶ和らいだ。
◇
ある日、便器のなかが真っ赤になった。
「下血か! 久しぶりだな」
こんなことが数ヵ月に1回あるのだ。それでも、ここしばらくはなかったものだから、もう下血はおさまったのかな、と安心していた。そしたら、これだ。
それもこの日は1度ではなく、2度、3度とあるので、心配になり、松本博士にお電話した。
「その血は、どんな色?」
「絵の具でそめたように真っ赤です」
「それならばおしりからだと思うよ。腸で出血しているときは真っ黒になるのや」
知らなかった!
「痔瘻はどう? 痛い?」
「はい、かなり痛いです」
「うん、そこから出ているんだ。血を止める漢方、出しておくから」
え! そんなものが! なんでもアリですね、漢方……。
ともあれ、よかった。腸からの出血でないなら心配ない。
この漢方はすごい味であったが、おかげさまで4度目の出血はなかった。
<2012年7月>
いま最もつらいのは痔瘻。瘻管が成長しようとしているのか、痛みが激烈かつ広範囲になって、太もものつけねあたりまで痛い。膿の量も増えている。
つぎにつらいのがヘルペス。全身倦怠感、歯肉炎、口角炎、嗜眠病(いくら眠っても眠い)、腹痛、吐き気。とくに倦怠感と歯肉炎がひどい。ときどきおきる足先の神経痛、24時間の耳鳴りも健在。
毎日でる38度台の熱もつづく。
これらが複合して食欲が落ちた。
いま痔瘻が痛くて座ることができず、24時間もっぱら布団の上で生活している。食事するときは、うつ伏せで、胸の下に枕をいれ、肘をついて食べるのだが、この姿勢を維持するだけでもつらく、食べはじめて4~5分もすると疲労の極に達してしまう。
こんな格好で4、5分くらい食事をしてもたいした量は食べられないうえ、満腹になるのも早くなっており、子供がちょっと食べ散らかしたくらいの量で満腹になったように感じてしまう。もしかしたらこれもヘルペスで、満腹中枢に異常な信号が出ているのではないか。
体重がとうとう41キロに。
<2012年8月>
リバウンド症状は引いたかと思うとまた激しくなり、一進一退だ。
痔瘻の成長(?)は、どうやら止まってくれた様子。あいかわらず痛いが。
ヘルペスも引き続きひどいが、歯肉炎と口角炎がなくなった。これだけでもありがたい。
発熱も毎日ではなくなった。
<2012年10月>
エレンタールを1日600キロカロリーぶんとっている。これは午前中に飲み、その間は絶食。昼と夜に軽めの食事をするという生活を続けている。
体重が44・5キロまで戻った。
松本博士のお話とホームページで、症状のほとんどが(というよりほぼすべて。下痢と腹痛までも!)ヘルペスによるものと知り、抗ヘルペス剤を1日1錠だったのを4錠にしたところ、症状のすべてが軽減した。お金があれば1日10錠飲みたいところだ。おそらくクローン病の症状はなくなってしまうだろう。もはや炎症性腸疾患というよりもヘルペス性腸疾患というべき状態になっているものと思われる。
これは当初、想定もしないことであった。てっきり、化学物質と共存(免疫寛容)するまでが大変なのであって、その「オマケ」に、ヘルペスによる症状ともちょっとだけ戦わなければならない、くらいに思っていた。
まったく、ちがった。逆だった。
ここに至り、私のクローン病治療は、化学物質との戦いよりも、ヘルペスとのそれのほうが激しくなってきたのである。
◇
痔瘻は漢方風呂でよくなる。だが、保険がきかない。
「漢方風呂よりも、ベルクスロン※ が優先やなあ~」
松本博士からそう言われた(※現在はアクシロビル)。これも、保険がきかない。
本当に有用な治療には保険がきかないようにしてあるのだ。
漢方風呂、抗ヘルペス剤、どちらもというわけにいかない。潤沢な軍資金があればいいのだが、クローン病は、長く患うと金欠病も併発するのである。
ほとんどの症状はヘルペスが原因とわかったいま、なけなしの資金は抗ヘルペス剤に投下し、もって最大の投資効果を得ようとの作戦に。
痔瘻は……根性で乗り切ります。根性、ないですけど。
なお、膿はたまった圧で自然に出てくるのを待つのでなく、たまるたび自分の手でしごき出すほうがずっと痛みがマシであることを発見。これでなんとか耐えられるようになった。これを始めたら、膿の出口がいつのまにか閉じてしまうこともなくなった。
<2012年11月>
体重がさらに増え、46キロになった。
そういえば白い便(というより痰のような排泄物)がほとんど出なくなった。潰瘍がよくなっているのだろう。ということはIgGの世界は終わりかけているのだろう。
証拠として、アトピーがすごいことになってきている。顔じゅうに赤いブツブツが出ている。頭皮にも。掻くと、角質やら皮脂やらがボロボロ落ちる。頭はフケがすごい。
<2013年3月>
下痢が1日30回。
もちろん24時間おかまいなしなので、夜、眠ったかと思うと目がさめる。30分~1時間に1回、目がさめるのだが、1時間ももつことはまれで、ひどいときは10分~15分に1回となり、それどころかいまトイレから帰ってきて寝床に横たわった、とたんに、便意を催すことがある。トイレへの往復は重労働なので、このときはさすがに気分が萎える。
昼間とあわせると1日合計3時間はトイレにまたがっている。
けれども、このごろ、思うようになった。
自分は幸せだ。こうやってうんちができるんだもの。寝床もある。まえは、治ったら幸せになれる、と思っていたが、いまは、これはこれで、幸せだ。もちろん治すし、治るのだけど、治ったら治ったで幸せ、トイレと友達のいまも、幸せだ。
そう思えるようになれた。ようやく、なれた。
らくに、なった。
朝食抜きのおかげで午前は仕事ができるが、昼食をとったあとは一日じゅう、激烈に怠い。テレビをつけようという気さえ起きない。そんな凄まじい怠さがここのところずっと続いている。
以前の私は、仕事するなり本を読むなり、一瞬も休まずに何かをしていないといられなかった。だが、こんな生活が2年続いて、ようやく、「ただ寝ている」ことに焦りを感じなくなった。
病気は病気で幸せな日々を噛みしめながら、治る日をこうして寝て待つとしよう。
◆松本理論による治療(4年目)
<2013年5月>
腹痛は息ができないほどで、下痢は1日30回以上、しばらくおさまっていた夕方からの高熱も復活した。これまで午前中は仕事ができていたが、朝から何もできない。
<2013年6月>
「松井さん、ガスは出ない? それもすごい悪臭のガスがいっぱい出ない?」
漢方薬をいただくため松本博士にお電話すると、そうおっしゃった。
「それほど悪臭ではないですが、ガスはものすごく出ます」
「うん、そしたらね、フラジールっていう抗生物質があるんやけど、これを飲んでみてほしいのや。で、1週間したらどうなったか電話してや~」
「あ、はい、わかりました」
体重44キロの私は棒切れのように痩せてガリガリだが、おなかだけは中年オヤジのように立派に膨れている。原因はガスである。
いつもパンパンに張っている。このオナラがたまるのも、クローン病の合併症とされているのである。
それでもたまったガスがオナラとして出てきてくれればいいのだが、そこがまたクローン病ならではの問題があって、そうはならない。つねに下痢便が直腸付近に存在するため、「あっ、オナラかな」と思っても、ふつうの人のように放屁するのは危険きわまる。肛門をゆるめるにはトイレに行かねばならない。
いま1日に30回もトイレに行っているが、半分はこのオナラのせいなのだ。猛烈な便意を催し、大急ぎでトイレに行ったらオナラだった、ということがしょっちゅうである。便であるときも、オナラとともに排泄されるときがほとんど。だから、下痢に耐えられずにトイレに行くというより、オナラで直腸の圧力が高まってがまんできなくなり、それでトイレに行くことがほとんどなのだ。
ガスさえたまらなければトイレの回数が減るかもしれない。
そのフラジールが届いた。さっそく飲んでみると……。
オナラが減った。腹もへこんだように見える。
オナラだけでなく下痢も減った。夜中にトイレに立つのが5回になった。これまでは10回のときもあったのだから、半減だ。1日を通しても20回を切るまでに激減した。
さらにおなかの痛みまでが減ってしまった。
1週間がたち、松本博士にお電話した。
「すごいです。この薬は何なんでしょうか?」
「クロストリジウム・パーフリンジェンスを殺すのや。化学物質と、ヘルペス、それとクロストリジウム・パーフリンジェンス、この3つと免疫が腸管で戦っているのがクローン病や! それがわかったのや! 長いこと、悪かったなあ~。この薬があることはまえから知ってたんやが」
そんな。じゅうぶんすぎるほどありがたいです。(れいによってセリフは記憶で書いているため、まちがっていたらすみません)
◇
1~2ヵ月おきに地元の病院にも通っているのだが、いつも血液検査がある。その値に変化がでた。
(前回)
CRP 6・8
リンパ球 10%
(今回)
CRP 2・8
リンパ球 19%
これはすごい! これもフラジールの効果だろうか?
<2013年7月>
「熱も出なくなりました」
「やっぱりな。もう、ウェルシュ菌や! 腸管には善玉のビフィズス菌とか、乳酸菌あるやろ、それに対して、悪さをするウェルシュ菌、別名クロストリジウム・パーフリンジェンスってのが、ウェルシュ菌いうねん。これがとにかく悪さしてるいうのがわかったんや。結局ウェルシュ菌との戦いが、発熱や。で、いま残ってる症状は何?」
「腹痛がけっこうきついです。それと下痢が1日15回以上あります」
「結局ウェルシュ菌との戦いで熱が出てると。だけれども、それで(フラジールで)抑えこむことができない部分は腹痛と下痢15回や。その部分はやっぱりヘルペスだと思わない?」
「はい。そう思います」
「下痢はウェルシュ菌を排除するためではない。その下痢は何を出しているかということやなあ。フラジールは、もう飲まないでいこう。よけいな菌はもう殺したはずやから」
フラジールをやめても、しばらくは、飲んでいたときと同じ状態がつづいた。ところが――。
「松井さん、その後、フラジールの効き目はどこで止まったあ?」
「10日間くらいは効いてたんですが、14~5日でだんだん悪くなってきて、いまはもう元に戻っています」
あとで知ったが、この薬はいちどに2週間ぶんしか出せないものなのだった。(いまは変わっているかもしれません)
「腸管の悪玉菌の代表がウェルシュ菌や。フラジールはそれを殺しやすいんですよ。免疫をずっと抑えてると腸管の細菌叢が変わってね、悪玉菌が増えるわけですよ。じゃフラジールもういっぺん出すからね」
こうして、手元にフラジールがあるときはずいぶんラクになることができた。
何よりうれしいのは、とうとうクローン病の全貌がわかったことである。
<2013年8月>
怠さがすごい。仕事をしようと、腹這いでノートパソコンをひらくのだが、そのまま布団に突っ伏してしまう。そのまま体が布団の中にずぶずぶ沈んでいくようだ。治療をはじめてからいちばんひどいかもしれない。
鏡をみると、顔はいままでよりもいっそう赤く、脂肪も噴き出すようになっている。頭皮もすごい。髪をかきわけてさわってみるとブツブツだし、朝に洗っても、午後にはもうフケが出ている。たぶん顔と同じことになっているのだろう。
漢方薬が変更され、食前がアトピー用、食後が痔瘻用となった。
また血液の値に変化があった。
CRP 1・0
リンパ球 16%
リンパ球の伸びが止まったのは残念だが、CRPがついにここまできた!
<2013年12月>
「ヘルペスの漢方をみつけたんや~。出しておくからね~」
と食後の漢方が変更になる。
すると腹痛と下痢以外の症状がことごとくおさまってきた。とくに、異常な怠さが尋常な怠さになった。
<2014年3月>
「いまいちばんつらいのは何?」
「痔瘻です。針で刺すように痛いです」
「最後まで残るのが痔瘻やで~。わしゃ痔瘻もヘルペスや思うとるのや」
「え!」
「せやろ。だって、針で刺すような痛みなんて、まさにヘルペスやと思わんか」
そういわれれば。
クローン病の症状がこれほどまでにヘルペスウイルスによるところが大だったとは。
抗ヘルペス剤1日4錠。フラジール2錠。これでだいぶ体調が安定することがわかった(抗ヘルペス剤はもっと欲しいが、例によって金欠……)。
下痢が減ったおかげで夜は確実に3時間は途中で起きずに眠れている。まる1日仕事ができる日も増えてきた。仕事といっても、自宅で布団に突っ伏してノートパソコンであるが。
ここ半年の血液の値は以下のとおり。リンパ球が元に戻ってしまったのが残念。
(2013年9月)
CRP 1・35
リンパ球 11・6%
(2013年11月)
CRP 2・1
リンパ球 12・0%
(2014年1月)
CRP 2・7
リンパ球 12・5%
(2014年3月)
CRP 1・6
リンパ球 12・4%
◆松本理論による治療(5年目)
<2014年7月>
またしても、体が布団にめりこんでいるように怠い。熱がひどい。昼から夕方にかけてじわじわ上がってきて、夜に38度台後半となる。これもしばらくおさまっていたのに。スーッと鼻水もたれてくる。のどは痛くないので風邪ではなかろうが、まるで風邪を引いたみたいだ。
この状態が1週間ほど続いた。松本博士にご報告すべきか、と思っていたら、
「なんだこれ?」
両腕にびっしりアトピーが出ている! 首から下に出るのは初めてのことだ。
数日すると、腕のアトピーは引っこんでしまった。すると風邪のような症状も消えた。
そのまた数日後。
「うわっ」
体がいきなり宙返りした、ような感覚があった。目眩だ。それも強烈なやつだ。
起き上がろうとしても、天井が1回転してしまう。だめだ。危ないのでトイレは這い這いで行こう。
口内炎もひさびさにできた。それも、かつて経験したことのない、いちどに複数の口内炎だ。のどの奥がとくにひどい。水を飲んでも痛い。唾を飲んでも痛い。しゃべっても痛い。
これらも1週間ほどでおさまった。
「なぁんだ。免疫のリバウンドだ」
松本博士のお手をわずらわせるまでもない。様子をみよう。
しかしこれが判断ミスであった。
◇
つぎはオナラがすごいことになってきた。
ぶっ続けで5時間も6時間も出る。しかもそれは、疲れたからそこで休憩をいれるだけのことで、しようと思えばもっと続けることができる。
疲れる、というのは──腸が弱っているためか、座った姿勢ではプスッともいわない。四つん這いになり、頭を床につけ、膝を立て、尻をなるべく高く上げると、ようやく出てくる。この格好を5時間とか6時間とか続けるのである。
おなかは、ぽっこり、どころでなく、まるで妊婦、それも双子でも入っているようだ。こんなときは腹痛もすさまじい。気がおかしくなりそうなほどである。
一刻も早くこの張りをなくさねばならないのだが……2時間、3時間オナラをして、腹をみてみる。まったくへこんでいない。5時間、6時間やって、こんどはようやく、ちょっとへこむ。1日合計7、8時間くらいこの格好でトイレにいる。
食後にこうなる傾向があるため、消化物が腐敗していると思われるが、臭いはないのでウェルシュ菌ともまた違うようだ。
そこで食事を減らそうと、エレンタールばかりで過ごすようにしたのだが……。
<2014年9月>
頬があまりにこけているので体重を計ると、40キロまで落ちていた。
「エレンタール、もっと飲まねば」
1日2包(600キロカロリー)から3包(900キロカロリー)へ増量し、固形の食事は夕食のみ、それもダイエット中の女性くらいの量にした。
しかしますますガスがひどく、腹はぱんぱんに膨れ、食欲が出ない。
そこでついに食事を全廃し、エレンタールだけとした。
それでもオナラは減らない。
いや、ますますひどい。腹がかつてない激痛だ。腸が風船のように膨らんでいるのを感じる。夕方から出ていた熱が、朝から出るようになった。頭のなかにモヤがかかっているようで、考えがまとまらない。仕事ができない。仕事どころか、トイレに行く気力もない。だが行くしかないので、家具にすがり、壁を伝って、全身全霊で用をたす。何も食べていないのに朝から腹が張っている。破裂しそうに苦しいのに、座っても出てこない。れいの四つん這いをやるとようやく出るが、ほとんどがガスである。トイレにいる時間が15時間になった。気がつくと食事と睡眠以外はまる1日トイレにいた。
これは一体どうしたことだ?
◇
ついに体重39・5キロ。クローン病になってからの最低記録である。120日で4・5キロ痩せていた。
それでもまだ私はこれを、免疫のリバウンドだから、ご報告するほどのことでないと思っていた。
42キロのころはまだ体に力があるのを感じたが、いまはない。何をするにも、起き上がるのも、トイレに行くのも、洗顔するのも、ヒゲを剃るのも、漢方薬を飲むのも、エレンタールを飲むのも、歯磨きも、風呂も、布団に横になるのも、いちいち全力をふり絞って、ようやくひとつずつをこなすのである。
とうとう杖を買った。
しかし、エレンタールしか飲んでいないのに、なぜだろう?
……まてよ!
「エレンタールしか飲んでいない」からではないか?
試しに、エレンタールをやめて固形の食事だけにしてみた。
その日からである。
発熱がピタリと止んだ。腹痛が激減した。1日30回だった下痢が10回になった。腹がへこんだ。2、3日で、オナラがほとんど出なくなった。痔瘻までもがおさまってきた。
エレンタールは、アメリカ・カナダの大豆が原料であり、農薬を含んでいると考えられ、しかも遺伝子組み換え大豆であるため未知の物質が生成されていることもありえ、さらに食品添加物(ソルビン酸カリウム、ポリソルベート80、アスパルテーム、香料、大豆レシチン、クエン酸水和物、乳糖水和物、カルメロースナトリウム)を入れてある。
いつからか免疫はエレンタールに対して抗体をつくるようになっていたのではないか?
ここに及んでようやく松本博士にご相談した。
「そうだね。エレンタールにも化学物質は入っているからね、そういう人もいる。それは、わかっていたんですよ。エレンタールは、狭窄がある人にいいんでね、それですすめたんだけど、きみは手術はやったのかな」
「いえ、していません」
「うん、それだったら、エレンタール飲まなくても栄養とれるんだったら、飲まなくていいですよ」
やめて数日。すこぶる体調が良い。ここ数ヵ月の地獄はいったい何だったのかと呆れるほどだ。
何でも免疫のリバウンドとは限らない。
経験したことのない変化は必ずご報告すべきだ。
<2014年12月>
血液検査のため、近所の病院へ。
エレンタールをやめた効果は絶大で、毎日39度ちかく出ていた熱がピタリとおさまり、40キロまで減ってしまった体重もじわじわ増えてきて42・5キロまで回復していた。
担当医さんはパソコンのモニターを見ながら、
「CRPは4・3です。前回よりも悪いですね」
2ヵ月前は1・8だった。
だがこれは、たぶん、これでよいのだ。いままでエレンタールの処理におわれていた免疫が、ようやく本来の異物排除に手が回るようになったのだろう。
「アルブミンは3・1です。これはよくなっていますね」
前回は2・7だった。
栄養剤をやめたら栄養状態がよくなった。
「おしりのほうはどうですか」
「膿はたまりますが、瘻孔から出ています」
「これもねえ。そのままにしておくと、」モニターからこちらに目をうつし、「がんになるんですよ。おととい学会で仕入れてきたばかりの知識ですけどね」
それは、薬漬けになっている人しか調査対象でないのなら、全員ががんになってもおかしくはなかろう。
「どうでしょう、年明けには、レミケードしますか。ほんとうによくなりますよ。レミケードがいやなら、ヒュミラというものがあります」
西洋医学の知識だけで、なんとかしてあげようという気持ちは、ひしひしと伝わってくる。がん、という言葉をだしたのも、脅してでもラクにしてやりたいとの親心だろう。
悪を悪と知っているのは一握りの黒幕で、悪を悪と知らずまじめに仕事をしている末端の医師がほとんどではないのだろうか。
<2015年3月>
体重43・5キロ。
アルブミン3・6。ほぼ正常値に戻った。
CRPも1・7まで下がる。
◆松本理論による治療(6年目)
<2015年6月>
じつに4年ぶりに松本漢方クリニックへ行くことができた。
血液検査の結果は、
「血沈が31、CRPが1・8、リンパ球が11やからね、リンパ球で治すというのが、免疫で治すという意味やね、まえの2010年のときCRP8・3だったのが1・8になったというのは炎症はなくなっとるんやね、リンパ球は15・6やったから、それよりも下がっているということは、きみが日々ステロイドホルモン出してるということやね。あとそれ以外は、水痘帯状ヘルペスは11・5、これくらいはだいたいあるんですよ」
これだけ少ないリンパ球でも、炎症はなくなっているのだから、ノロノロ、確実に進んでいるのだ。
リンパ球を増やさねば。もっと免疫力が上げるような生活、心のもち方を、しなきゃ。
<2015年11月>
トイレの回数が10回になった。
このため途中で目をさまさず3時間、5時間と眠れるようになった。これはほんとうにうれしい。人間らしい生活が戻ったかんじである。
トイレも「駆けこむ」ことがなくなってきた。便の状態も、水様便はめったになく、つねに軟便。
こうなると腹痛もめったにおきない。おきても軽い。
痔瘻だけは依然としてつらいが、ピーク時に比べたら楽だ。腫れて山脈のようになっていたのがだいぶ平地にちかくなっている。布団の上にいる時間のほうが多いが、クッションをうまくつかえば座って食事や仕事もできる。
体力的には、大阪まで行けるようになった、が……こんどは金銭的に行けない。申し訳ないとおもいながらも電話で漢方薬をいただいている。
<2015年12月>
漢方薬をもらうためお電話すると、
「松井さ~ん、いままできみ、交通費免除してきましたけど、これからはこっち来てもらわないとだめやあ」
がーん!
こんな日が来るとは思っていたが、とうとう、来てしまった。
諸事情あってのことである。松本博士にご迷惑をおかけすることはできない。行きたい。しかし――
お金がない。
ほんとうに、ない。
この日から交通費を貯めはじめた。漢方薬は、いただいてあるものをチビチビ、チビチビ飲んだ。
そしてとにかくお灸を、毎日、毎日やった。貧乏人は、お灸である。
<2016年2月>
体重が48キロまで回復した。
どうやらリバウンドは峠をこえたのではないか。そろそろ私も手記を書いてよいだろうか?
<2016年3月>
と思っていたら……。
硬くなりつつあった便が、ゆるゆるに。回数も、7、8回まで減っていたのが、17、8回に。就寝してからトイレに起きるのも1回になっていたのが、3回、4回、5回に。おしりの膿も、めっきり減っていたが、ドッと増え、刺すような痛みも復活。仕事もできていたのが、だるくて終日なにもできないように。
なぜだ?
と思っていたら……。
足が、なんだかムズがゆい。見ると、虫刺されのようなものがいくつもできている。
それが日に日に増える。そして、ムズがゆかったのが、はっきりとかゆくなった。
さらに日を追うごとにかゆくなる。虫刺されのようなものは見たところ数10個。しかしさわってみると数10どころでなく、数100くらいのブツブツがある。
アトピーだ!
いままでは、首から上ばかり、それもめったにかゆくなかった。体に、それもこんなに広範囲に出て、しかも激しいかゆみがあるのは初めてのことだ。
ついに本格的なアトピーになったのだ! ……足だけだが。
耐えがたいかゆみが、さらに日に日に激しくなる。いつも気がつくとどこかを掻きむしっていて、とくに夜は免疫が高まるためか激烈にかゆく、もんどり打ってなかなか寝つけない。
湿疹の範囲であるが、足からじょじょに体の上に広がってきて、腕にも現れた。
<2016年4月>
ブツブツがどんどん増える。足から上へ上へとひろがり、腰、腕、背中と、ついに体じゅうが蚊に食われたように。
あと出ていないのは、おなかだけである。おなかに出ないといけないはずだが、あいかわらずしぶとい私のクローン病である。
が、クローン病の症状は、また軽くなってきた。
◇
「久しぶりに大腸の検査をしましょう」
地元の病院でそう言われた。やりたくないが、病院とは仲良くしておきたいので、応じた。
結果は、
「潰瘍が少なくなっています」
モニターを見ると、5年まえのそれと比べて明らかに少ない。
血液検査は、
CRP 5・7
リンパ球 16・9%
ここ4年間ずっと10とか12だったリンパ球が、また上がりだした!
CRPも跳ね上がっているが、これこそリバウンド(おそらくアトピーの炎症)だろう。
「あと好酸球が増えています。アレルギーが起きていますね」と担当医。
好酸球 8・3%
(前回は0・4)
「アレルギーがあると、この好酸球が増えるんですよ」
この方は、クローン病が治るときにはアレルギー(アトピー)になることをご存知ない。それなのに。
クラススイッチがおきているのを西洋医学の医師も認めたことになる。
◆松本理論による治療(7年目)
<2016年5月>
アトピーが引っこんだ。
目で見てわかる湿疹は100個くらいに。
その湿疹も、日に日に消えていき、ほとんどキレイになってしまった。
かゆいことはかゆいが、気も狂わんばかりのかゆさではなく、ときどきポリポリかけばすむていどに。
これは、いいことなのか? 悪いことなのか?
いま、トイレは1日10回強。
夜中そのために起きるのは2回くらい。
腹は1箇所だけたまに痛い(横行結腸の中央やや左寄り)。
おしりはけっこう痛い。
◇
アトピーになったということは治療の半分を終えたのだろう。
半分といっても、工程表の半分ということであって、工期の半分ではない。
アトピーが引っこんだのが気がかりだが、いままでも三歩進んで二歩下がってきた。いちいち一喜一憂しないこと。粛々と免疫力を上げ続けるのみだ。クローン病が治るのは当たりまえであるから。
お金も、めでたく、1回大阪に行けるぶんが貯まった。
最後にお話ししたときから半年もたってしまい、松本博士にご心配をおかけしてしまったが……。
高槻のビジネスホテルを、来月に予約した。
こんどは、ずいぶん、旅行気分で行けるだろう。
◆おわりに
もっと良くなってから書くべきかと躊躇していましたが、松本博士に励まされ、とうとうこの落第生も、みなさんと同じ土俵に並べていただけることとなりました。
松本仁幸博士は、有史以来初めて、すべての病気の原因と治療法を解明なされた、ノーベル賞を2つ3つ貰わねばならない方ですが、そんな方と、私のような市井の人間が、医師と患者という関係を通してお話しさせていただけることを光栄に思っています。
松本博士、私を地獄から救っていただき、ありがとうございます。このような出来の悪い患者を温かくご指導くださり、ありがとうございます。
次は、ありがとうござい「ました」と結びますので、その手記が書ける日まで、どうぞご教導よろしくお願い申し上げます。