「息子のクローン病手記(途中経過) 」
匿名希望(お母様記述)13歳2017年1月17日
匿名希望(お母様記述)13歳2017年1月17日
<はじめに>
在英23年の為、手記を書くにあたり、言葉遣いや言い回し等でうまく表現できず、意味がよく伝わらない部分があるかもしれませんが、何卒ご理解いただけますようお願いいたします。松本先生の下で治療を開始してから4年半が経ちました。完治まではまだもう少しかかりそうですが、途中経過を報告させていただきます。
<ホームページに辿り着くまで>
13歳になる息子は、生まれた時から下痢続きで、離乳食を始めても便が固まったのは生後7ヵ月の時の1度だけで、日に何度となく下痢をしました。数えきれない程毎週のようにベビークリニックや総合医を訪れても、きちんとしたアドバイスをもらえぬまま月日は過ぎて行きました。
地域のかかりつけ医から小児科医への紹介がようやく取れたのは、息子が1歳1ヵ月の時でした。1人目の小児科医は、「乳糖不耐症の疑い」、2人目の小児科医は、「アレルギー性腸炎の疑い」、そして3人目の小児科医は、「クローン病の疑い」と診断し、大腸内視鏡検査と内視鏡検査の結果、クローン病と診断されました。3歳7ヵ月の時でした。
検査直後に検査医と話した際は、「典型的なクローン病の症状は見られなかった。おそらくアレルギーの可能性が高いと思う。」と言われましたが、検査の結果が出ると、「クローン病の疑い」に一変しました。ビックリしましたが、この時はとにかく死ぬ病気ではないことが分かり心底ほっとしたことと、3年と7ヵ月間不明だった下痢の原因が分かりこれでちゃんと治療できると思いました。
標準治療は、サルファサラジン250mg(5ml)を1日3回服用することから始まりました。しかし、下痢は全く治まらず、小児科医の強い勧めで、プレドニゾロンを服用することに泣く泣く合意しました。薬ではなく、何とか栄養療法で治療を行えないものかと希望しましたが、小さい子供には栄養分を補給できるだけ飲むのは無理と、取り合ってはくれませんでした。
2007年7月5日から2007年9月22日までプレドニゾロンを服用しました。1日20mgの服用を2週間続けた後、1週間毎に2mgずつ減らしていきました。服用後1日で下痢はピタリと止まりました。副作用で食欲は旺盛になり、ムーンフェイスは、本人も自分の顔じゃないと嫌がるほどでした。プレドニゾロン服用後は、再びサルファサラジンを服用しました。ステロイド剤の免疫抑制効果が消えた2007年2月26日から、再び下痢が始まりました。
2007年3月28日より、下痢は1日1回から2回に増え、排便時にいつも少量の下血が生じるようになりました。そして、サルファサラジンも250mg(5ml)→300mg(6ml)→400mg(8ml)と、どんどん服用する量が増えていきました。
2008年11月13日、長い話し合いの結果アザジオプリンを30mg1日1回服用することに合意しました。代わりにサルファサラジンは300mg(6ml)を1日3回服用することになりました。2009年7月16日にアザジオプリンを40mgに増量しましたが、血液検査の結果に特に変化はみられず下痢のままでした。
2011年3月2日、再びアザジオプリンを増量するよう打診されました。症状が悪化すれば薬の増量、またはステロイド剤を処方することしか勧めてくれない上、毎回息子の治療状況を把握して診察に臨んだことが殆どないこの小児科医に不信感を抱き、4人目の小児科医へ変更しました。
4人目の小児科医のもとで栄養補給ダイエットを初めて受け入れてもらえ、開始しました。事前に確認したにもかかわらず、栄養士の手違いで乳製品入りのものを支給され、嘔吐・下痢の為1週間で中止。その後、今後体調が悪化するようであれば、MRI、内視鏡検査、そしてインフリキシマブ(レミケード)を服用するよう勧められました。「まだ小さな子供に、こんなに強い薬を処方するなんて、これから先の長い人生、増量しても薬が効かなくなったらどうするの?ステロイドでも効かなくなったらどうするんだろう。こんなこと続けていて良い訳がない。」と、別の治療法を模索し始めました。
そんな中、「クローン病」と診断されたことによって、インターネットで「クローン病 完治」と検索し松本漢方クリニックを見つけることができました。今まで、「慢性下痢」や「小児性下痢」などでは見つからなかった、松本漢方クリニックのホームページへ辿り着けたのです。ただ残念なことに、「これで息子は治る!」と思った矢先に東日本大震災が起きました。色々なことが正常に機能していない中、小さな子供を連れて知らない土地へ行くのは危ないと日本へ行くのを断念した為、1年間長くアザジオプリンを服用することになりました。
<標準治療における薬の服用量>
•サルファサラジン 2007年6月~2012年7月まで
合計量 11.622L/581.1g
•プレドニゾロン 2007年7月5日~9月22日まで
合計量 916mg
•アザジオプリン 2008年11月~2012年7月まで
合計量 2.776L/55.52g
毎日少量ずつ飲んでいるとあまり意識しませんが、この5年間で14リットル以上もの薬を服用させていたのです。数字ではっきり見ると恐ろしい量です。
<松本漢方クリニック受診>
2012年7月27日、ようやく松本漢方クリニックを訪ねることができました。皆さんの手記に書かれている通り、院内は漢方薬の匂いが漂っていました。8時40分に到着すると、既に4~5人の方が待合室にいらっしゃいました。採尿の後、看護師さんから図式でクローン病の説明を受け、採血。その後お灸をしてもらい、いよいよ松本先生との診察となりました。診察室に入ってから、先生は10人近くの患者さん達からの電話応対に追われていました。色々と質問を受けると思っていたら、殆ど大した話もしないまま、「帰国する前にもう1回来て。ありがとう。ありがとう。」と、私と息子に握手してくださいました。12時半に診察を終えた後、薬局へ薬を取りに行き、全てを終えたのは2時過ぎでした。
<初診に処方された薬>
断痢湯、補中益気湯、小青竜湯エキス顆粒、荊芥連翹湯エキス混合薬
セフカペンピボキシル塩酸塩細粒小児用10%「トーワ」100mg1週間分
紫雲膏(赤色)、中黄膏(黄色)塗り薬
<治療経過>
2012年7月30日から漢方薬を飲み始めました。翌日、太ももの後ろ側に発疹ができましたが、赤い塗り薬を塗るとすぐに治りました。初日は、漢方薬が苦くて半分も飲めませんでしたが、少しずつ慣れて今では一気に飲み干しています。夏風邪を引いた為、普通便になるまで1週間くらいかかりましたが、この時の喜びは今でも忘れられません。
1週間後、薬の依頼と血液検査の結果を聞くために電話診察。「血沈は8 (基準値は5以下)、抗核抗体が陽性(40倍)、コレステロールが低い(112)。ヘモグロビンの値が低く(11.6)、軽い貧血。」と、言われました。MAST33というアレルギー検査では、「鶏肉以外の全てにアレルギーがあるのでIgGからIgEにクラススイッチしてアトピーが出た後、アトピーが治るまでに時間がかかるかもしれないけど、最終的にはアトピーも自然後天的免疫寛容を起こして治るから、何も心配しなくていい。」と言われました。この日から今まで標準治療で投与されていた薬は止めてもよいこととなり、漢方のみでの治療が始まりました。毎日のお灸と週2回の漢方風呂。湿疹が出てきたら、赤色の軟膏を、血が出たら黄色い軟膏を塗るよう指示されました。
・2回目の受診
2012年8月22日、同じような時間に到着。患者さんは少なくて、私達は4番目くらいだったけれど、かなり待ちました。血液検査の結果を再度話し、「手紙ではかなり酷い感じがしたけど、大したことない。」と言われ、薬は1ヵ月分処方してもらいました。
・リバウンド
2012年9月18日、水下痢になりました。リバウンドの始まりです。お腹全体が痛く、おへその左右の皮膚とお腹の中も痒くなりました。それからは、排便時お腹全体が痛くなったり(ヘルペス)、唇が赤くなってかさついたり、夜中もトイレに起きるようになったり水下痢の回数はどんどん増えていきました。
・3回目の受診
2015年7月29日に3度目の受診。6週間に1度の電話診察にて少しずつ色々な情報をいただきながら治療を続けてきたこの約3年間は、潮の満ち引きのように色々な症状が少しずつ出ては治り、治っては出てを繰り返す日々でした。5年間も標準治療を続けてしまったので下痢が治るまで時間がかかるのは仕方のないことですが、下痢の治療に集中するために、アトピーのお薬(補中益気湯)はお休みして、断痢湯のみ服用することになりました。
この3年間で1番本人にとって辛かったのは、学校でトイレに間に合わないことだと思います。治療を開始した1年目は、多い時には週に2回、少なくても2週間に1回はおもらししていました。2年目は担任の先生が好きで学校が楽しかったらしく、トイレに間に合わない回数もかなり減って1学期に1回くらいになり、2泊3日の遠足も1度もおもらしせずに帰って来られました。でも、3年目は担任の先生と気が合わず、小学校卒業時の試験と重なり、おもらしの回数は1年目と同じくらいになってしまいました。この病気の回復は、ストレスによって大きく左右されることを痛感しました。
水下痢が長く続く為、排便の際肛門が痛くなったり、口の横が切れたり(ヘルペス)、毎日お灸を続けても、足が氷のように冷たかったりと症状が出る中、腹痛はトイレの時だけになったり、痒くなる箇所も増えていきました。春休みや夏休みなどの長期休暇中は、ストレスが減るせいか、よく食べてのんびりしているので、体重も増えました。
免疫が上がるせいか、口角炎になったり、右手の手首から肘まで物凄い発疹が出たり、1日中お腹が痒かったり、肘の内側が痒くなったこともありました。だんだん夜中に起きてトイレに行くこともなくなり、花粉症も1年ごとに症状が軽減されていきました。
中学校に入学すると、新しい環境に慣れるまで、玄関先やあとちょっとという時に何度かトイレに間に合わないことがありましたが、それ以降は1学期に1回もらす程度になっていきました。幸い息子の場合は、下痢以外の症状が軽い為、学校を殆ど休むことなく普通の生活ができています。
・乳製品抜きの食事開始
今までも脂質の多い食べ物はなるべく避けてきましたが、治療も4年目に入り何とか下痢を軽減させることはできないかと、2015年9月14日に乳製品を抜いた食事を始めました。そして、2016年4月11日にとぐろのような普通便が出てから軟便と普通便を繰り返し、その後普通便が2ヵ月ほど続きました。排便の際、力むくらい硬い時もあり、先生から「食前の薬は止めて、様子をみて。」と言われ、漢方薬も断痢湯から治頭瘡一方に変わりました。「このままアトピーの治療を続けていけば、息子は完治する。」と、喜んだのも束の間、しばらくすると、学期末の試験のストレスからかまた下痢になってしまい、再び漢方薬を治頭瘡一方から断痢湯へ変更することになりました。
・4回目の受診
2016年7月29日に受診しました。夏休みに入りリラックスできたせいか、便も普通便に戻った時にお会いし、先生から「今1番困ってることは何?」と訊かれ、「特にない。」と息子は答えていました。
その後、夏休みの暴飲暴食がたたり、また下痢に逆戻りしてしまいました。今年に入ってようやく普通便に戻りましたが、まだまだ気が抜けない状況です。
他のお母様方もおっしゃっていましたが、親が選択を誤ると子供が苦しみます。健康体に生まれ、病院や薬とあまり関係のない生活を続けてきた私は、医者の言うことを盲目的に信頼してしまったのです。「生後間もないうちに、漢方風呂で治してあげられていれば、こんなに成長が遅れることはなかったのに。」と思います。(息子は、身長137.7cm、体重31kgで、まだ10歳用の服を着ています。)悔やんでも悔やみきれませんが、今は一人でどこへでも行けて、何でも食べられる体に変えてあげることが私の責任だと思っています。
一進一退の息子の治療ですが、4年前と比べればかなりアトピー治療へ近づいていると思います。これからも先生のホームページはもとより、患者さん達の手記やブログを読みながら治療に邁進していきたいと思います。松本先生とスタッフの皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
<投薬履歴>
2012年7月から11月まで
断痢湯 1日3回食前
補中益気湯 1日3回食後
2012年11月から
ビオフェルミン 1日3回食前1錠剤 上記に追加
2015年8月から 断痢湯のみに変更 1日3回食前
2016年6月から 治頭瘡一方 1日3回食後
2016年9月から 断痢湯 1日3回食前