1942-1943

CBトランシーバーのルーツはCIAの前身である戦略情報局OSS(Office of Strategic Services)が、第二次世界大戦で使用した諜報活動用Walkie-Talkieです。そしてこれがFCCのE. K. Jettのハートを射止めて、CB制度を創設することを決断させました。つまりCB制度誕生に直接的に影響を与えたのが、260MHz OSS Walkie-Talkie Model SSTC-502 だったのです。

1976年、米国でこのOSSのスパイ無線活動に関する機密情報が開示されました。ちょうど米国のCBブームが頂点に達していた時期で、社会的にもCB無線への関心が高く、おおきな反響を呼びました。

このニュースが日本でも報道されたかは、正直なところ私にはよく判りません。記録が残っているのは、ラジオ韓国が1983年2月27日の日本語番組でとりあげたものです。

その内容は雑誌のBCLコーナー「読者のレポート」にも報告されたのですが、まったく話題になりませんでした。いきなり「英軍スパイ無線=CB無線」だといわれても、にわかに信じ難いのは当然でしょう。でも日本ではここでCB誕生の歴史が見落とされてしまったといえるのかも知れません。

(ラジオの製作,June 1983, 電波新聞社, p202)

  • 戦略情報局OSS(Office of Strategic Service)の創設

第二次世界大戦が勃発し、ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)大統領は、それまで国務省、海軍省、陸軍省で個別に行われていた諜報活動を整理・収集し、自分に報告させるために、ホワイトハウスにCOI(Coordinator of Information)を設置した。そのトップには民間の弁護士William J. Donovanを起用した。

1942年になってCOIは改組され、Donovanを長官とする戦略情報局OSS(Office of Strategic Services)として再スタートした。そもそもこの「スパイ無線作戦」を思いついたのは、OSSに派遣されていた海軍少佐(Navy Reserve Lieutenant Commander)のStephen H. Simpson Jr.である。Simpson は敵地で活動する諜報員が、上空に飛来した連合国軍の飛行機と連絡を取るために、超短波帯のWalkie-Talkieが使えると考えた。当時ようやく実用化した陸軍のWalkie-Talkieは短波帯なので、ナチスに傍受や逆探知される恐れがあったからだ。こうして1942年の後半からOSSによる超短波を使った「地対空」携帯無線の研究が始まった。

【参考】Simpson はRCAの無線技術者である。1928年、ビッグベン(ロンドン)のクリスマスの鐘の音を、RCAが経営するニューヨークのラジオ局WJZへ、短波帯で無線中継する先進的プロジェクトに携わったこともある。戦争が勃発し海軍で働いていたが、終戦後はRCAへ復職した。

  • Simpson とGoddard の携帯用スパイ無線"J/E System"

Simpsonのアイデアを実現へ押しすすめたのが、ニューヨーク州のRiverheadにあるRCA研究所に勤務していた、DeWitt Goddard(1904年11月30日生)だった。SimpsonはRCAのGoddard(写真)を海軍に引き抜き、自分の開発チームに加えることに成功した。

Goddard(写真)は試行錯誤の末、超短波の試作機を作った。携帯用Walkie-TalkieにはSimpsonの知人の女性からとった "Joan" というニックネームが、また航空機に搭載されるトランシーバーには "Eleanor" というニックネームが付けられた。実はGoddardの妻の名前が "Eleanor" だったらしい。"Joan"と"Eleanor" が交信する事とから、二人が試作したこの地対空通信システムは"Joan-Eleanor System"、または"J/E System"と呼ばれた。

しかしその動作はまだ不安定で、実用化にはさらにもうひとりの技術者が大きく貢献するのである。

  • J/E System を完成させた Al Gross

Al Grossは1918年2月22日、カナダのトロントに生まれた。幼少の頃にアメリカに移り住んだ。12才の頃、Al Grossはすでにラジオ受信機の虜になっていた。16才のときモールスコードと学科試験に合格してアマチュア無線局W8PALを開局した(1934年)。

1935年3月、RCAがエーコン管を商品化した。ドングリ型の超小型真空管で、内蔵パーツの小型化で低インダクタンス化し、低キャパシタンスの太い放射状リード線を使い、500MHzあたりまで動作する画期的なデバイスだった。この真空管の登場で、Al Grossは超短波に強い関心を持つようになったのである。

1937年、Al Gross はバッテリー駆動の2台の300MHz Walkie-Talkieを試作した。その後も改良を続け、通信距離は45マイルに達していた。彼は実験結果を雑誌で発表し、それがOSSのエージェントの目にとまったのだ。ラジオストアで働いていたAl Grossのもとに何度かOSSエージェントが訪れるようになった。

ある日、彼はOSSのエージェントからワシントンのOSS本部で彼のWalkie-Talkieのデモンストレーションをするよう求められ、それに応じた。このデモンストレーションは大成功で、Al Gross はJ/E Systemの開発プロジェクトのCaptainとしてOSSに迎えられた。SSTC-502の完成は 1944-1945 のページを参照。