JX/JY Callsigns

<印刷にはページ最下段の「Print Page / 印刷用ページ」をご利用ください> 2007.01.20, 移転2012.06

JXコールサインについて紹介します。1946年夏に再開されたJコールサインの日本人の無線局は、1947年2月20日に突然消滅し、JX, JYのプリフィックスになりました。第八軍が1946年8月よりJコールサインを使い出したことと関係がありそうですが、よく分かりません。ともかくJ一文字のコールサインは戦後になっても日本人に発行され、そして1947年2月19日まで使われていたのです。

CCSの先導により30MHz帯の警察無線(基地局とパトカー)通信網の研究が始まりましたが、JX, JYのプリフィクスは、これを研究する製造事業各社へ試作無線機の実験局のコールサインとして発行されるようになります。

  • 三部構成の無線局リスト

1947年2月20日、逓信省MOCは日本の無線局を「周波数」順に並べたリスト "Frequency list of Japanese Radio Stations" と、「コールサイン」順に並べたリスト "Call-Sign list of Japanese Radio Stations" を発行した。

これは1947年1月31日に先行発行した、「都道府県」別のリスト "Geographical List of Japanese Radio Stations" とあわせて、三部構成にした我国の新しい無線局一覧表である。

【参考】この3部作とは別に、逓信省は "List of Japanese Ship Radio Stations" という4文字コールサインの船舶局を収録したリストを1947年5月8日に発行した。

これは上記の3つのリストには船舶局は含まれていない。なぜかというと船舶局用の使用周波数は決まっているので、そこに全船舶局を書き込まないで、別扱いにした。

(たとえばアマチュア局もそうだが、周波数順リストで「7.000MHz」の欄に許可を受けているアマチュア局のコールサインを全て書くと、リストとして使い勝手が悪くなるため。)

島国である日本はもともと船舶局が多く、さらに海難事故時など乗組員の安全確保の点からもより小型船舶の漁船にも無線を拡大させる方向にあった。

  • 突然消えたJコールサイン

この2月20日付け「周波数」順および「コールサイン」順リストから、突然Jコールサインが姿を消した。"Jコール" の各局は、二文字プリフィクッスの "JXコール" に変更されていた。そして同日付けで、1月31日に発行済みの「都道府県」別リストの正誤表も発表され、1月31日に掲載した "Jコール" は誤りで、"JXコール" が正しいということになった。逓信省は初の無線局リスト3部作の編纂だったのに、「都道府県別」リストだけ内容が違ってしまったので、変更ではなく正誤ということにしたのだろうか?

【注】JY9C(検見川, 3550kHz, A2, 50W), JY9D(臼井, 3550kHz, A2, 50W) は免許期限が1947年2月1日で満了したため、2月20日のリストにはない。

もう一度これまでの経緯振り返ろう。1947年1月31日のリストでは、関東信越(9エリア)のJ9ZA-ZMを J2ZA-ZMに変更した。つまりJ9コールサインを廃止した。そのあおりを受けた形で、東海北陸(2エリア)のJ2ZA-J2ZDはJ2ZN-J2ZQになった。注目したいのは9エリアを廃止したのはJコールサインだけ(J9)で、JOコールサインは変更しなかった(JO9)ことから、あくまでも "J9" をターゲットにした措置だった。(J Callsigns のページ参照)

ところがである。

逓信省MOCに何か大きな方針変更がおきて、1947年(昭和22年)2月20日には Jコールサインそのものを全廃し、JXコールサインへすべて切替えたのだ。

日本人の実験局が "JXコール" になり、関東信越エリアの実験局は再び9番を名乗ることになった。J9問題への対応を「J9廃止で済ませるのではなく、Jコールサイン全てを第八軍に譲るべし。」もしや、そんな指令がCCSから出されたのか?・・・などと勝手な想像を膨らませてはみるが、私には真相は分からない。だがこれをもって日本人が運用するJ一文字コールサインは終了した。アトランティクシティー会議でJブロック中のJT-JZが召し上げられ、日本人の"Jコール" が終了したのではなかった。

この事件の真相はともかくとして、日本人の実験局(およびアマチュア局)のDistrict Number は1946年8月29日に決定をみた左図のものが、引き続き使用されることになった。そして1948年9月にCCSの指導の下に我国の "Callsign Allocation Standard" (呼出符号の割当基準)が制定され、1949年1月1日から改定District Number が用いられるまでの間は、関東信越エリアは9番を使用した。

【参考】1947年(昭和22年)5月1日に北陸逓信管理部(富山・石川管轄)が金沢逓信局に格上げされた時に福井県を管理エリアに含めた。そのため1947年5月1日以降は福井県は2エリアに編入されたと考えられるが、結局1948年12月までの間に福井県下で実験局が許可された事例が見当たらないので、私は確認できていない。

  • 無線機メーカーにJX/JYコールサインの実験局が

上表のJX9A-JX9Mに後続するJX9Nからのコールサインは、警察用の30MHz帯, AM無線システムの開発用実験局に指定された。1947年4月1日の対日指令SCAPIN第1592号でマスターリストの第6次改定(6th Amendment to Master List 0f frequencies assigned for use by the Japanese Government, 1st April 1947)が発令された。無線機メーカー各社の実験局が1947年5月1日までの期限で免許されている。

これらの無線局は1947年1月17日に逓信省MOCが"Application concerning establishment of private experimental radio telegraph and telephone equipments"(LS第69号)で申請(J9XA-J9XO)され、1947年2月5日に民間通信局CCSは"Application to Establish Experimental Installation for Development of Fixed and Portable FM Radio Equipment" で承認されしだい次回のマスターリストの改定で発令するとしていたものだ(いわゆる「内示」)。

ところが2月20日に日本人のJコールサインが使用停止になったため、4月1日のマスターリストの改定時にはJX9N-JY9Bで承認された。J9コールで申請され、JX9(JY9)コールで免許されたという大変珍しい事例である。

JX9Zまで使い切ったあと、(JX9AAではなく)JY9Aへ進んだことが分かる。これら試作機は納品されたあとJB9のコールサインでフィールドテストが行われた。警察無線については JZ Callsigns のページでまとめたのでそちらを参照願いたい。

  • BCJのVHF帯 FM中継実験(JX9M, JY9E, JX7C)

7月14日付け対日指令SCAPIN第1733号でマスターリストの第7次改訂(7th Amendment to Master List 0f frequencies assigned for use by the Japanese Government, 14 July 1947)が発令されたが、BCJ(日本放送協会)に120.0/150.0MHz, 400W, 最大周波数偏移150kHz FMの実験局がJY9E(茨城県筑波山, JX9J ex J9ZJ/J98J)とJX7C(福島県塩屋岬, JX7B ex J7ZB/J78B)の2局が新たに許可されている。

これらについてはラジオ年鑑(昭和23年, p255, 日本放送協会)が詳しいので引用する。

『また超短波を利用する時は一電波路で多重通信ができるし広帯域伝送にも好適である。そこで二一年度来超短波による中継を目標として基礎的の調査研究を経て実験用施設の試作を行い二二年夏から東京―筑波山―塩谷岬間の試験ルートの設定準備を進め同年末には右区間の往復回線の第一次的実地試験に成功した。』

三地点間の中継試験なので、東京局のコールサインはどうだったかというと、マスターリスト第7次改訂ではJX9M(45.0MHz, 400W)の電波形式がA1から最大周波数偏移150kHzのFMに変更になっており、このJX9M(日本放送協会BCJの技術研究所)が東京局である。

また筑波山のJY9Eにも50.0MHz, 400Wで最大周波数偏移150kHz FMが認められた。50.0MHzは戦後の新しい6mアマチュアバンドにあたる周波数で、BCJの筑波山の実験局JX9J(A1)とJY9E(FM)が日本人の局としては最初に使い始めた。以上のJX9M(東京砧), JY9E(筑波山), JX7C(塩屋岬)は揃って1947年11月1日までの許可だった。

1947年10月30日、MOCは"Extension of the Period for VHF Radio Telephone Experiment by FM System by BCJ"(逓信省LS第202号)で、JX9M(東京砧, FM, 45MHz, 400W), JY9E(筑波山, FM, 50/120/150MHz, 400W), JX7C(塩谷岬, FM, 120/150MHz, 400W)の期限延長をCCSに願い出て、1947年11月14日に"Extension of the FM Radio Telephone Experimental Period"(CCS/DR第42号)で1948年2月1日までの延長が承認された。

1950年春に2.6GHzの実験(JG2AAまたはJG2AB)のため筑波山に登った電気通信省電気通信研究所の職員が、このBCJ放送研究所の筑波山FM実験局JY9Eについて触れた記事があるので引用する(この記事は脚注に『通研新聞』4月21日号より転載とあるので、1950年3月頃の出来事ではないだろうか。)。

『筑波線に土浦で乗り換えて50分、筑波駅に着く。中腹の筑波神社まで2km。今はバスもなく車庫だけがガランとある。バス道路からそれて、山路を静かに登る。山門、拝殿、神社の左手からケーブルカーが山道頂へ登っている。急坂は、最短距離には違いないが筑波特有の火山岩のガレ道、なかばを過ぎると、霞ヶ浦-大利根と大きく展開する。時間にすれば1時間だが前身汗だく。靴はやすりをかけた様だ。最後の直登を終ってケーブルカーの終点に着く。ちょっとした台地、茶屋が2軒と、放研(放送研究所)の実験小屋(45MC, FMテスト実験)が荒れた姿を残している。』 (電気通信省電気通信研究所編, 筑波山探訪:μ波伝播実験たけなわ, 『通研月報』1950年6月号, p327)

ところでBCJにはJO9のコールサインでも短波や30MHz帯で免許されてきたのに、今回はJYコールサインで免許されている点に注目したい。より実験的な用途あるいは短期的な実験にはJX/JYコールサインを指定する方針のように見える。

  • 青函航路のVHF-FM海岸局(鉄道無線)JX7D/E, JX8C/D

1947年秋に逓信省MOCは"Application of Examination of Geographical Nature by Radio Equipment"で青函航路でのFM鉄道無線の実験をCCSへ申請し、1947年9月9日にCCS/DR第13号で承認された。海峡を挟む青森側(7エリア)のJX7D(三厩), JX7E(竜飛)と、北海道側(8エリア)のJX8C(福島), JX8D(白川)の海岸局と、連絡船利尻丸(JFFI)との通信実験で30.7MHz 20WのFM変調(最大占有帯域幅30kHz)を用いた。なおJFFIには30.7MHzのFMとは別に、2000kHz(A1, 10W)の使用も承認されている。

その後1948年2月29日には"Application for the Extension of the Experimental Period for Examination of Geographical Nature by Radio Equipment" で期間延長を願い出て、1948年3月23日にCCS/DR第91号で承認された。新たな承認期間は1949年1月1日までで、1948年7月21日に警察無線の実験局(JZ9I, 氷川丸)がこの海峡を通過する際には通信実験に協力した。

  • BCJ札幌放送局(JOIK)の周波数570kHzの電界強度測定実験局 JX8E

日本放送協会BCJの札幌放送局(第一)は周波数820kHzの移転先を決めるフィールドテストをJXシリーズのコールサインで実施した。1948年7月28日、逓信省MOCは"Application Concerning Temporary Transmission for Test at Sapporo Station"(逓信省LS第381号)で、BCJ札幌放送局による周波数570kHzによる送信と、その電界強度の測定を目的とする実験を申請したのである。

そして1948年8月5日、CCSは"Temporary Authorization for the Broadcasting Corporation of Japan to Conduct Tests on 570 Kilocycles"(CCS/DR第143号)でこれを承認した。空中線電力1kWで8月5日から8月25日までの期間の、23時30分から01時30分の2時間の発射が許されたが、この実験はコールサインをJOIKではなく、JX8Eを送出するよう命じられた。

  • JYコールサインの無線局

"JYコール" としてはその後、マルチチャンネルFM装置(最大占有帯域幅150kHz)の実験局JY9G(42912/61210kHz, 神奈川県高座郡六会), JY9H(48050/61210kHz, 神奈川県高座郡相模原町)が1948年3月1日までを期限とし、1947年9月22日(CCS/DR第18号)に承認されたり、またJY9F(1775/2900/3920kHz, 千葉県八積), JY9I(3550/9175kHz, 埼玉県平方)が承認されている。

なおJY9Fはもともと3580kHzを使っていたがアマチュア無線Bandを作るために、1947年11月28日付けCCS/DR第54号で3920kHzへ移動させられている。

1947年11月12日にはApplication concerning "The Experiments of the radiotelegraph by frequency shift method and the multi-channels radiotelegraph by the time division method"(逓信省LS第213号)でラジオテレタイプと時分割マルチチャンネルの実験局を申請した。そして1947年11月29日、"Aoolication for the Experiment of Radiotelegraph by Frequency Shift and Time Division Method"(29 Nov. 1947, CCS/DR 56)で、検見川のJY9J(3350kHz)/JY9K(6395kHz)、高座郡の神奈川研究所のJY9L(3350kHz)/JY9M(6395kHz)、札幌(列烈婦)のJY9N(3350kHz)/JY9O(6395kHz)が1948年5月31日を期限として、1947年11月29日(CCS/DR第56号)で承認された。ラジオテレタイプには最大占有帯域幅2KHzという条件がついた。当時、逓信省電気試験所の相模原分室が高座郡座間にあったので、JY9G, H, L, M のいずれかがこれに該当するか、あるいはなんらかの関係があったと想像するが、私にはこれ以上の情報は入手できなかった。

私は特にこれらの話題をこまめに調査していたわけではなく、簡易無線のコールサイン(JKX)決定の由来や、11m Amateur Band(第一次Band:27.185-27.455MHz, 第二次Band:27.160-27.430MHz)が日本の占領軍に使用されたか否かが学生時代からの大きな興味で、それを何十年も追っているうちに自然と集まった(集まってしまった)諸資料を、もしや興味ある方々もいらっしゃるかも知れないと整理し発表させて頂いた次第である。したがって歴史に埋もれた出来事の多くをまだまだ拾い漏らしていると思っている。

特にCCSからTemporarily Authorized Radio Station として承認された一時的な実験局は、当時の無線局の管理原簿である"List of Japanese Radio Station" (1月/7月発行、5月/11月には追加・変更リスト発行)にも掲載されないことが多い。一方MOCは"List of Japanese Temporary Radio Stations" を奇数月に発行していたが、これは奇数月の1日の断面を示すもので、発行間隔の間で承認されてすぐ廃止された場合はこれにすら掲載されない。それに私の手元にある最古の"List of Japanese Temporary Radio Stations" は1948年11月1日版で、それ以前に発行されていたのかさえ分からない。従ってこれらの実験局の実態を把握するのは非常に困難である。

1948年7月2o日、MOCは"Application for the Establishment of Radio Station for Radio Wave Investigation"(逓信省LS第373号)で、電波研究用に400.0MHz と3.0GHz の使用を申請した。

1948年7月31日、CCSは"Establishment of Radio Station for Radio Wave Investigation"(CCS/DR第141号)で承認したが、3.0GHzの実験局は1948年12月31日までのテンポラリーな実験局として承認された。この400.0MHz(20W, A3, 神奈川県茅ケ崎)の実験局のコールサインがJY9P で、現在のところ(私が)承認された事実を確認できた「最後のJYコール」である。なお3.0GHz(200W, special, 神奈川県茅ケ崎)の方にはCallsignはNoneだった。

1948年6月1日、MOCは"Application for the Establishment of Radio Installation at the Science and Technoligy laboratory, Tokyo University"(逓信省LS第332号)で東京大学の気象観測用実験局JY9Q を申請している。周波数135MHzと320MHzのパルスで平均電力20W(尖頭値電力10kW)の固定局で駒場に開設したいとするものだった(申請の順番からいえば前記JY9Pよりもこちらの方が先に申請されている)。

しかしJY9Qの申請は1948年8月6日にCCSより却下されたため、前述のとおりJY9Pが最後のJYコールである。

1947年のAC会議の決定を受け、1949年1月1日よりJX/JYプリフィクスは我国のものではなくなる。1948年9月2日(LS第410号)に申請され、9月15日(CCS/DR第160号)承認された呼出符号の割当基準にしたがって、JX/JYシリーズの実験局はJA-JR内に収容された。