Another J

マスターリスト(GHQ/SCAPによる日本の無線局の周波数管理原簿)が発令される2日前の1946年(昭和21年)8月27日、連合国の占領地域におけるアマチュア無線規則 "Regulation governing amateur radio operation by allied personnel in Japan" が制定され、第八軍司令部(HEA:Headquarters Eighth Army)通達第259号(Circular 259, Aug.27,1946)が発せられました。

連合国最高司令官総司令部GHQ/SCAPは日本を統治するために、放送・通信のみならず運輸・産業・法律・金融政策等々、あらゆる方面のスペシャリストを必要とし、(各部署の課長クラス以上は軍人でしたが)米本国から多くの専門職民間人スタッフが日本に派遣されGHQ/SCAPの実務を支えました。また進駐軍放送AFRSでも終戦で徐々に兵役が解かれ帰国していく技術兵に代わり、民間人技術者が日本に派遣されてきました。それら専門職民間人と連合軍(含む英連邦軍BCOF)に属する軍人によるアマチュア局の運用でした。

電波の占領政策は終戦時の状態を現状固定することに始まり、1946年5月10日に日本帝国政府へ分配される周波数が確定し、1946年8月29日にGHQ/SCAPがマスターリストで日本の無線局を一斉に承認するという流れでした。そういう意味では電波界の戦後は8月29日から始まったといって良いでしょう。連合国による公式なアマチュア運用は、それとほぼ同じ日に始まりました。

  • 敗戦時における周波数の使用状況調査

敗戦時(1945年)の国際的なアマチュアバンド(1938年カイロ会議)は、1.715-2.000MHz(固定業務・移動業務と共用), 3.5-4.0MHz(固定業務・移動業務と共用), 7.0-7.2MHz(専用), 7.2-7.3MHz(放送業務と共用), 14.0-14.4MHz(専用), 28.0-30.0MHz(実験局と共用), 56.0-60.0MHz(実験局と共用)である。1927年のワシントン会議では専用帯だった7.0-7.3MHzの上側100kHzが放送業務と共用になっていた。

さて日本ではこれらをそのまま全てアマチュア用に指定しているわけではなく、陸軍海軍逓信三省協定および昭和14年逓信省告示2176号で、1.775MHz, 3.550MHz, 7.100MHz, 14.200MHz, 28.400MHz, 56.800MHz の6波のみに限定していた。

そのためGHQが占領軍によるアマチュア無線を許可するにあたり、たとえば7.000-7.300MHzでアマチュア局を運用した場合、既設の日本の無線局との混信問題がどうなるかは分からなかった。まず日本の無線局の使用周波数を把握したうえで、日本帝国政府の周波数と、連合国の周波数の取り分を明確にする必要があった。これが占領軍(進駐軍)のアマチュア無線が終戦直後に立ち上がらなかった最大の理由だ。

アメリカ本土では1945年11月15日にFCC Order130-Aでアマチュア無線の戦時制限が解かれ、28MHz, 56MHz, 新144MHz と4つの新マイクロウエーブ帯(2.3GHz, 5.5GHz, 10GHz, 21GHz)で再開された。これを根拠に、旧日本帝国エリアに進駐している部隊から、東京のUS AFPAC司令官へ自分達も運用して良いかを問い合わせたが(AG 311.23, 14 Nov. 1945, Headquarters US Army Forces in Korea)、返答は「まだアマチュア局を運用できる状況にはない。追って指令があるのまで待て。」(30 Nov. 1945, General Headquarters US AFPAC)というものだった。

GHQは1945年9月2日の対日指令で無線局の現状固定を命じ、さらに9月3日の対日指令に基づいて11月になって逓信院BOCに日本の無線局のリストを提出するよう求めた。逓信院BOCが民間通信局CCSへ提出したリストから、(1938年のカイロ会議の)国際的なアマチュアバンドの部分を見てみよう。

◆1715-2,000kHz (他業務との共用帯)

アマチュアの周波数1775kHzは1941年の開戦以来、禁止が継続したままで、また実験局も使っていない空き周波数である。下図のように1750-1955kHzの6波を日本の無線局が使用中だとCCSへ報告された。

◆3500-4000kHz (他業務と共用帯)

逓信院BOCはアマチュアの周波数3550kHzでは実験局(J2FA)が運用中で、下図のとおり3522.5-3817.5kHzまでの合計17波を使っているとCCSへ報告した。これらの局は主に日本の警察無線の局である。

◆7000-7300kHz (7200-7300が放送と共用)

BOCはアマチュアの周波数7100kHzは実験局(J3LD)が運用中で、7045-7300kHzで合計11波を使っているとCCSへ報告した。本来アマチュア専用帯である7000-7200kHz内でも下図のように警察無線などに分配されていた。

◆14000-14400kHz (専用帯)

BOCはアマチュアの周波数14200kHzでXU3Cが使用中と報告しているが、これが如何なる局かは不明である。

◆28000-30000kHz, 56000-60000kHz (専用帯)

28MHz帯の日本の局はゼロ。56MHz帯はわずかにBand上端の60.000MHzを使用していただけである。

第八軍はアマチュア用の周波数を欲していたが、この実態調査により、連合国人のアマチュアが使用できそうなバンドは14, 28MHz、と米国私生児バンド50,144MHzであることがわかった。(1.7と3.5MHzは共用帯なので、先住者の日本の無線局にもある程度は配慮するとしても)アマチュア専用の7.0-7.2MHzを警察無線などが使っていて、専用帯の空き部分は7.15-7.2MHzだけだった。

  • 1946年春、アメリカ占領地で運用が始まる

連合国GHQ占領エリアの日本本土、南朝鮮、琉球エリアでは、以上のように敗戦時点で無線局を現状固定し、その実態を調査した。しかしアメリカによる直接占領エリアである南方諸島(小笠原・硫黄・南鳥島・沖ノ鳥島)や南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)では日本軍関係の無線局を除けばその局数は極端に少なく、米軍によるアマチュア運用は日本本土より一足はやい時期に特例的に許可されたようだ。南方諸島や南洋群島ではアメリカ本土のWコールサインで運用されたが、日本を表す/Jを付加した局もいたようだ。また/J9を付加した局の場合、ただ「日本の旧J9エリア」からのオンエアしているというアマチュア仲間同士間でのアピールであって公的な意味はないと思われる。

  • 琉球エリアのアマチュア局運用

連合国GHQ占領エリアの琉球エリアも日本軍の無線局を除けば、一般の無線局はごく僅かで、ここでも南方諸島・南洋群島に少し遅れて、特例的なアマチュア局の一時運用が許可されたようだ。琉球エリアと南方諸島・南洋群島エリアが日本本土より先に、アマチュア運用が始まった理由としては、既設無線局の過疎地域で混信問題が少なかったことのほかに、もしかすると両地区はアメリカ海軍の管轄だったため、東京のAFPAC(太平洋軍)とはアマチュア許可の判断が違った可能性もあるかもしれない。

琉球エリアでもアメリカ本土のWコールサインで運用され、/Jや/J5を表示する局もいたようだが、やはりこれもアマチュア仲間のアピールであり公的な意味はないと思われる。

  • 日本帝国政府に分配される周波数

1946年5月10日に、GHQ/AFPACは日本帝国政府へ分配する"Allocations of Frequencies to Japanese Imperial Government" を発表した。これをもって日本の周波数の持分が決定した 。国際的なアマチュアバンドの1.7MHz, 3.5MHz, 7MHzの部分だけを抜きだすと下図のように周波数が分配された。

◆1715-2000kHz (他業務と共用帯)

◆3500-4000kHz (他業務と共用)

◆7000-7300kHz (7200-7300が放送と共用)

このように共用帯の1,715-2,000kHzバンドでは日本帝国に分配される周波数は増加したが、7.0-7.2MHz帯で使っていた電波(主に終戦直後に急遽指定した警察無線)はすべて取り上げられてしまった。さらに7257.5kHz と7285kHz にはTemporaryという条件が付いた。これで40m band を連合国のアマチュアが使用を開始する下準備ができた。

このようにアマチュア専用帯として国際的に認められている周波数は日本帝国政府へは分配されなかっただけでなく、伝統的な日本のアマチュア無線の周波数1775/3550/7100/14200/28400/56800kHzはリストには一切加えてもらえなかった。日本のアマチュアは禁止状態から、(周波数が分配されず)消滅状態に変わったといえるだろう。

私は南方諸島・南洋群島エリアや琉球エリアで特例的に許可されたアマチュアが日本本土に広がったのは、この1946年5月10日の日本帝国政府への周波数分配が発表された直後ではないかと考えている。日本の周波数が決まったということは、逆に言えば連合国の周波数が決まったことを意味するので、既設無線局の多い日本本土ではこの決定の後で連合国のアマチュアの運用を認めるのが筋だと思うからである。

しかし19 46年4月9日に本土でも特例で28MHz, 56MHz, 144MHz の許可が始まったという未確認情報もあり、太平洋軍総司令部GHQ/AFPACは日本帝国への分配リストを作成した側なので、これを公に発表(5月10日)するより前に連合国アマチュア局を認めることは可能だ。(まあ今風の言葉でいえば情報を知り得るものだけが可能な"インサイダー"行為? のようなものだろうか)

  • 7MHzと14MHzの暫定運用が始まる

AFPACでは日本占領地域におけるアマチュア無線規則の成案に取り掛かっていたが、アメリカ本土ではFCC Order 130-Hで、1946年7月1日に7.15-7.3MHzと14.1-14.3MHzの戦時制限を解除した。

これに合わせて日本の第八軍エリアでも暫定運用がスタートしたようだ。

SC 26 June 1946

ROUTINE

281137

FROM: CINCFPAC

TO: CG AFWESPAC MANILA

CG AFMIDPAC HONOLULU

CG EIGHT ARMY

Effective one July amateur radio operation authorized following frequency bands in addition frequencies previously authorized: 7150 - 7300 kilocycles inclusive and 14100 - 14300 kilocycles inclusive. Note that this not release of entire amateur band since military operation continues in 7 and 14 megacycle bands outside above stated band. Release of amateur band will be announced at a later date.

OFFICIAL: APPROVED:

JBC EJN CX62525

COPY TO:

CSIGO(RETURN)

NOTE FOR RECORD: This msg releases indicated portions of the 7 and 14 megacycle band to amateur radio service effective 1 July.

Washington's WX88672 of 22 May announced desired target date for release of portion of amateur band ( as indicated ) would be 30 June 1946.

Ourad C6132 of 24 May stated this could be released in AFPAC by target date.

Washington WAR91508 of 18 June stated that 30 June target date still effective.

Ourad C62166 of 19 June rptd AFPAC clear of subj freos for release 30 June.

Washington's WARX92292 of 26 June announced these freos being released amateur service 30 June 1946.

EJH

"Release of amateur band will be announced at a later date." とあるが、 7月5日にAFPAC司令官から第八軍司令官へ、使用しても良い周波数と電波形式について、7.150-7.300MHz と14.100-14.300MHz が電信(A1)、14.200-14.300MHz が電話(A3)であると下達された。

SC 5 July 1946

ROUTINE

FROM: CINCFPAC

TO: CG EIGHT ARMY

Reourad of 28 June on release of 7150 - 7300 kcs and 14100 - 14300 kcs for amateur use note following restrictions: Band 7150 to 7300 kcs is released for A1 emission only. 14100 to 14300 kcs for A1 emission, 14200 to 14300 kcs portion for A3 emmission.

OFFICIAL: APPROVED:

JBC CH

Z06864COPY TO:

CSIGO(RETURN)

NOTE FOR RECORD: Previous radio to 8th Army of 28 June released bands 7150 - 7300 kcs and 14100 - 14300 kcs with no restrictions.

Washington radio 280022Z June replaced above restrictions.

8th Army was informed of these by telephone. This is confirmation of that telephone call.

RCH

  • 日本占領地域におけるアマチュア規則制定される

1946年8月27日、第八軍は連合国占領地域におけるアマチュア無線規則 "Regulation governing amateur radio operation by allied personnel in Japan" を制定し、第八軍司令部(HEA:Headquarters Eighth Army)より通達(Circular 259, Aug.27,1946)した。

アマチュアのコールサインはプリフィクスにJ一文字を使い、District Numは第八軍エリア(日本本土)を左図J2からJ7とした。ほぼ戦前のアマチュアと同じだが、四国の徳島県と高知県が異なっている。徳島県と高知県は大阪逓信局の管轄エリアで、戦前のDistrict Number だと大阪の3番だった。

しかし連合国の一員として日本に進駐してきたイギリスやオーストラリアなどのイギリス連邦占領軍BCOF(British Commonwealth Occupation Force)の担当地域が、(終戦時に西日本を担当していたアメリカ第6軍が撤退したあとの)中国・四国地方だったことから、このイギリス連邦占領軍BCOFによる占領地域をまとめてJ4エリアとしたようである。なおBCOFは横浜のアメリカ第八軍の指揮下に入っているので、BCOF軍にコールサインを発給したのは第八軍だ。

また独立を予定していた南朝鮮エリアは当面の間、戦前のJ8を使い続けることになった。同じく独立を想定していた奄美・琉球エリアは、戦前は九州のJ5に含まれていたが、台湾や旧委任統治領の南洋群島で使っていたJ9を使うことになった。このアマチュア規則はGHQ占領エリアではない南方諸島(小笠原・硫黄)や南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)については一切触れていない。

これらのJコールサインは8月27日にアマチュア無線規則が制定される直前の暫定許可のころから使い始めたという情報もあるが、実態はよく分からない。だが正式な規則としてプリフィクスやDistrict Numberが定められたのはこの8月27日である。

日本帝国の実験局が2文字サフィックスを使っていたので、第八軍は3文字サフィックスを使用した。これは1948年12月31日まで使われた。1949年1月1日より逓信省MOCが定めた呼出符号の指定基準(1948年9月15日承認)に準拠しJAプリフィックスに変わったが、わざわざサフィックスまで2文字のものに変更した。これはJAコールの3文字サフィックスを将来日本人のアマチュアが承認された時のために確保したのではないかと考えられる。

  • 南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)の施政権をアメリカが獲得

1945年10月24日に国際連盟は国際連合に生まれ変わった。アメリカでは占領した南方諸島(小笠原・硫黄・南鳥島・沖ノ鳥島)の扱いで揺れていた。南方諸島の非武装化と硫黄島をアメリカの軍事基地にすることを条件に日本へ施政権を返すべきとする国務省と、(グアム島のように)アメリカの海外領土にすべきと主張して譲らない軍部が対立していた。(とはいうものの軍部にとって重要なのは、不沈空母の硫黄島だけで、南方諸島全体に魅力があるわけではなかったようで)徐々に南方諸島を国際連合の信託統治領としてアメリカが間接支配する方式が有力になっていた。

やがてアメリカは南方諸島の扱いをいったん保留し、旧国際連盟委任統治領の南洋群島(カロリン諸島、マーシャル諸島、グアムを除くマリマナ諸島)の施政権を獲得することを急いだ。1947年4月2日の国連安全保障理事会でこの地域の信託統治協定が採択された。

そして1947年7月17日に南洋群島は、米国を唯一の施政権者とする太平洋信託統治領(Trust Territory of the Pacific Islands)となった。のちのサンフランシスコ講和条約締結で日本の領土が確定するよりも前に、日本の海外領土の喪失が実施された瞬間である。

    • 南方諸島(小笠原・硫黄)と南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)のコールサイン

この時期には以下のようなコールサインの指定の動きがあった。

南方諸島(小笠原・硫黄・南鳥島・沖の鳥島)および南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)を占領した米海軍によるアマチュア局の運用は、日本本土の第八軍のアマチュア局よりやや早く、これらの地域が日本から行政分離された1946年1月の直後から始まったようだ。(連合国GHQ/SCAPの占領エリアではなく)ホノルルの太平洋方面軍(海軍)が占領したこれらの地域では、アメリカ本土のWコールサインで散発的に運用された。

1946年8月27日制定の「占領地域アマチュア無線規則」では、のちにいう琉球軍RYCOM(ライカム:Ryukyus Command)地域のプリフィックスをJ9と決めたが、のちにいうマリアナ・小笠原軍MARBO(マルボ:Marianas-Bonins Command)地域は連合国GHQ/SCAPエリアではないので、そのプリフィックスについては言及していない。

ではMARBO地域にアメリカに国際分配されているKシリーズ系の新プリフィクスが発給されたかというとそれもなかった。原因は国務省と軍部の対立で、南方諸島(小笠原・硫黄・南鳥島・沖の鳥島)の施政権を日本に戻すのか、アメリカの恒久的支配地にするかの方針決定が中に浮いていたからだ。また南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)の施政権国の決定は国連安保理が握っていて、実効支配者のアメリカが最有力といえどもまだ確定したわけではなかったからだ。

【参考】このように南方諸島と南洋群島ではアメリカに属するKシリーズ系の新プリフィクスを決めず、本土Wコールサインのままで運用されたが、後期になると琉球で始まっていたJ9のAから三桁サフィクスの発給にかぶらない、アルファベットが後ろ方の3桁サフィクスのJ9局や、J9の2桁サフィクスの局の運用もあったようだ。しかし1946年8月27日の「占領地域のアマチュア無線規則」でJ9はGHQ/SCAP占領下の奄美・琉球エリアと定めらているので、誰がどんな権限を持ってJ9コールサインをMARBOエリアで発行したかは一切不明である。もし極東軍FECとしては係わっていないとすれば、MARBO独自の判断かも知れない。

  • 1947年4月4日、南方諸島の硫黄島と、南洋群島のサイパン・テニアンのプリフィックス決定

このような混乱(プリフィックス未定)状態の中、1947年1月1日より東京のAFPAC(太平洋陸軍)が、FEC(陸海空統合の極東軍)に再編され、MARBO(マリアナ・小笠原軍)は極東軍FEC最高司令官のマッカーサー元帥の作戦指揮下に入った。

私達日本人に、この地域のコールサインの話を解りにくくしているのは、旧委任統治領の北半分(マリアナ)と南方諸島(小笠原・硫黄・南鳥島・沖の鳥島)が東京の極東軍で、旧委任統治領の南半分(カロリン・マーシャル)がホノルルの太平洋方面軍というように、旧委任統治領の中で線引きされたためだ。

1947年3月21日に東京の極東軍FEC司令部はアメリカ本国の陸軍省へ、MARBO管轄下の硫黄島とマリアナ諸島のサイパン島・テニアン島の三島で運用するアマチュア局のプリフィクスを決めて欲しいと申し出た(msg: WCL31220, date: 21 March 1947)。そして本国よりKG6IA-IZ(硫黄島)、KG6SA-SZ(サイパン島)、KG6TA-TZ(テニアン島)を使うよう回答(msg: ZX41618, date: 4 April 1947)が届いた。ただし既設運用局(Wコール局)に対して、わざわざ新プリフィクス(KG6系)への指定変更をしなかったので、そのままWコールでの運用は続いた。

1948年11月4日、あらためて極東軍司総指令官名でMARBO司令官へ、KG6IA-IZ(硫黄島)、KG6SA-SZ(サイパン島)、KG6TA-TZ(テニアン島)を使うよう下達(msg: C65147, date: 4 November 1948)されている。

以上の経緯でマリアナ諸島と硫黄島は1947年4月4日にKG6系のコールサインに決まったが、カロリン・マーシャル諸島の方は1947年7月17日にアメリカの信託統治領になったのちにKC6,KX6が指定された。【注】硫黄島はKG6IA-IZに決まったが、軍事的感心(価値)の薄い小笠原諸島に対してはコメントされていない。小笠原はプリフィックス未定のままである。

  • MARBOエリアのコールサインのまとめ

南西諸島(奄美・沖縄)、南方諸島(小笠原・硫黄)、南洋群島(カロリン、マーシャル、マリアナ)は海軍が上陸し占領した地域であり、これら太平洋の島々に置かれた軍政府の長官にはすべて太平洋艦隊総司令官ニミッツ元帥が就任した。ただし1946年になって南西諸島(奄美・沖縄)は東京の連合国GHQ/AFPAC(太平洋陸軍)に移された。

1947年1月1日より、MARBO(マリアナ・小笠原軍)の作戦指揮(Operational control)権は極東軍FEC最高司令官(マッカーサー元帥)に移った。しかしMARBO地域の軍政、たとえば小笠原・火山列島軍政府(Bonins-Volcanos Military Government)長官は太平洋艦隊総司令官(ニミッツ元帥)のままで軍政権はホノルル(海軍)にあった。二重統治であって、これも我々日本人には理解しにくい。

アメリカ軍が占領していた南方諸島(小笠原・硫黄)と南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)でのコールサインをまとめておく。なお確認できている公式記録上では、あくまでもJ9は奄美・沖縄エリア用であり、MARBOエリアでのJ9運用がどんな根拠によるものかは不明である。

◆[1946年~] プリフィクス未定のままWコールサインでの運用がはじまる。

◆[1947年4月4日] KG6IA-IZ(硫黄島)、KG6SA-SZ(サイパン島)、KG6TA-TZ(テニアン島)が決まる。実際には指定変更なし。

◆[1947年7月17日] アメリカが南洋群島(カロリン・マーシャル・マリアナ)の施政権を国連信託統治領として獲得。

◆[1947年秋~] 私が公的資料でカロリン諸島・マーシャル諸島のプリフィックスを確認できたのは、JANAP121改訂10版(1948年6月7日)で、KC6AA-ZZ(カロリン諸島)、KX6AA-ZZ(マーシャル諸島)が明記されている(呼出符号指定基準のページの最後を参照)。まだKC6とKX6の決定時期は追い込めてないが、アメリカが国連から施政権を獲得した直後の1947年秋にはKX6の運用事例があるので、1947年7月前後ではないだろうか。

◆[1948年11月4日] あらためてKG6IA-IZ(硫黄島)、KG6SA-SZ(サイパン島)、KG6TA-TZ(テニアン島)を使うよう、FECからMARBOへ指示。

硫黄島のアマチュア局JA0IJやJA0JI(1950-1952)には特別事情があるので、JA0IJ 硫黄島のページにまとめた。