AC会議に向けて
アトランティックシティ(AC)会議で日本に割当てられていた国際符字がJA-JSに減じられ、コールサインをこの範囲に収めなければならなくなりました(というのは表向きの話で、JSが奄美・沖縄用だったので実際にはJA-JRです)。コールサインの変更としては史上最大規模の再編作業かも知れません。
GHQ/SCAPの民間通信局CCSは逓信省MOCに対して、再編にあたりコールサインを国際通信用と国内通信用にわけ、さらに無線局の業務別に分けた、日本政府の Call Sign Allocation Standard(呼出符号の割当基準)を定めるように指示しました。
Far East Command(極東軍)の通信長をCCS局長が兼務
1947年(昭和22年)1月1日、極東アジアの共産勢力が勢いを付けていることもあり、GHQ/SCAPの進駐が長期化しそうな状況にあったことから、応急的に極東・西太平洋エリアのアメリカの陸軍・海軍・空軍のすべてを統合した極東軍FECOM(Far East Command)が編成された。1946年12月11日の統合参謀本部指令JCS1259/27に基づく措置である。しかし結果的には1957年6月30日に廃止されるまで存続した組織だった。
極東軍の前身母体は東京に本部を置いていたGHQ/SCAPの太平洋陸軍(AFPAC)で、日本の第八軍、南朝鮮のUS Army Forces in Korea、琉球軍(Ryukyu Command)に加えて、フィリピン軍(Philippines Command)とマリアナ・小笠原軍(Marians-Bonins Command)が極東軍(総司令官:マッカーサー元帥)の指揮下に入った。
また民間通信局CCSの局長であるバック(Back)准将が、極東軍の通信長(C sig O)を兼務したため、CCSは極東アジア・西太平洋の非常に広範な地域の電波行政に影響力を持つようになった。この時期より本来GHQ/SCAP配下に過ぎないCCSが、(GHQ/SCAPの占領地ではなく)アメリカの占領地だった小笠原地域での無線運用にも配慮した電波行政をとり始めたのはこのためであろう。
それにしてもGHQ/SCAP(連合国総司令官)としてのマッカーサー元帥の琉球統治と、FECOM(極東軍)の総司令官としてのマッカーサー元帥の小笠原統治の意味合いの違いなど、我々日本人にはとても認識しずらい。どちらの地域でも一番偉い人は泣く子も黙るマッカーサー元帥なのだから、この時代を生きた一般の人々には小笠原諸島や硫黄島もGHQ/SCAPの占領地だったのではないだろうか。
電波行政も似たようなもので、GHQ/SCAPのCCS局長のバック准将が、FECOMの通信長のバック准将でもある。琉球と小笠原はある時は同列で語られ、またある時は別物として扱われる。そういう混沌とした時期を経て、1949年11月26日になって、"Amateur Radio Operation" (Far East Command, 26 December 1949, Circular No.49)により、琉球軍(Ryukyus Command)のアマチュア局のコールサインと周波数は極東軍総司令部(General Headquarters Far East Command)が与え、マリアナ・小笠原軍(Marianas-Bonins Command)のアマチュア局のコールサインと周波数はアメリカ本土の連邦通信委員会(FCC:Federal Communications Commission)が与えることが明文化され、ようやく両地域の違いが鮮明になった。
バック准将は日本及び極東・西太平洋地域の電波行政の最高権力者であり、1949年6月18日に小沢電気通信大臣と増田官房長官を呼び付け、日本政府から独立したRRC(電波監理委員会)を設置するよう強く求めた人物でもある。これは「バック勧告」として我国の電波史にも刻まれている。
南朝鮮のコールサインをHG, HL, HMへ
独立が予定された朝鮮に国際符字を獲得するもっとも確実な方法は、日本に割当てられているものから選ぶことだった。そこでアトランティックシティ会議が始まるまでに朝鮮の無線局を全てHG, HL, JMシリーズに切替えて既成事実を作ろうとしたようだ。
会議直前の1947年5月10日に、United States Army Military Government in Korea のDepartment of Communications はGHQ/CCSの国内無線課、Technical BranchのChief Whitehouse氏へSubject: "Request for reassignment of Radio callsigns to South Korea" を申請している。
◆Coastal Radio Station (Department of Communications )
◆Fixed Radio Station (Department of Communications )
◆ Fixed Radio Station (Department of Police )
◆Korean Coastal Guard
◆Korean Constabulary
◆Fixed Radio Station (Department of Transportation )
◆Flight Radio Station (Department of Transportation )
◆ Light house (Department of Transportation )
◆Korean Broadcasting Station
【注1】 最終的にはAC会議で、朝鮮にHGシリーズは分配されなかったので、例えば放送局にはHLKA-HLKZが与えられた。
【注2】 私にはなぜTechnical Branch に申請されたかはよくわからない。この承認と実施時期は不明。アアチュア局はそもそもGHQ/SCAP, CCSの管理外なのでこの申請には含まれないが、1948年2月15日になって極東軍GHQ/FECがJ8からHLへの変更を実施した。参考までに1947年8月22日時点でのJ8局の承認リストを示しておく。
("Authorized Amateur Radio Stations in Korea, TFSIG 311.23", HQ US Army Forces in Korea, Aug. 22, 1947)
南朝鮮エリアではJ8AAAからアルファベット順に発給されている(例外:J8ACS, J8ASC, J8ABC)。2月15日のHL1へ指定変更は(例外もあるようだが)基本的にはJ8AABがHL1ABのようにスライドさせただけである。
Grade欄は軍における階級だが、CivとはCivilian(いわゆる民間人)である。
国際符字の最終要求案が決まる
第二次世界大戦後はじめての世界無線主管庁会議が、アメリカのアトランティックシティで1947年5月16日より10月2日まで開催された。日本の参加は認められず、アメリカが代弁することになっていた。この会議に先だってCCSでは、日本国および(GHQ/SCAPにより独立が計画された)朝鮮国と琉球国の計3地域の国際符字の分配要求案について検討していた。
1947年5月17日、東京のCCSからワシントンへ最終案 "Radio Frequency Requirements, Japan and Korea" AG 676.3(17 May 47)CCS の電報が打電された。呼出符号については以下の様な獲得作戦を展開することになった。
◆日本本土の呼出符号には、E系(EK, EM-EO, ER, EU-EY)及びH系(HG, HL, HM)を放棄し、Jブロック(全Jシリーズ)を要求する(下記の赤部分)。
◆独立予定の朝鮮国の呼出符号には、日本が放棄したH系(HG, HL, HM)のリザーブを要求する(下記の緑部分)。
◆奄美・沖縄および、アメリカ占領地である小笠原・硫黄など、日本から行政分離された島々の呼出符号には下記(青部分)第6項およびNFRの8-c にあるとおり、Jシリーズの使用を放棄して、日本が放棄した国際符字(H系は朝鮮なので、E系のいづれか)を別途要求する。
当初アメリカは "琉球は日本に征服された王朝" だから独立解放させるべきだと考えていたが、アメリカの予想に反して住民の日本復帰の意向が強く、先行きが不透明になっていたため琉球国としてのリザーブは要求せず、小笠原等も含めた行政権が切り離された島々として、日本が放棄したE系列の再分配を要求することにした。日本本土がJシリーズなので、これらの島々のコールサインを明確に分離する意向だった。
GENERAL HEADQUARTERS
SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWES
APO 500
17 May 1947
AG 676.3 (17 May 47) CCS
SUBJECT: Radio Frequency Requirements, Japan and Korea
TO: Chief, Civil Affairs Division, War Department, Washington 25, D.C. Attention: SIGOL
1. Forwarded herewith are Japanese and Korean radio frequency requirements as of 1 January 1948, submitted in accordance with radiogram WAR 97336, for presentation to Plenary Assembly of the International Telecommunications Conference, Atlantic City, New Jersey.
2. The list of radio frequency requirements are sub-divided as follows:
Japan
a. List of fixed circuits which are now active and are expected to be continued on permanent basis.
b. Frequency requirements for fixed circuits under consideration for re-activation.
c. Existing frequencies of coastal and fishery stations.
d. Frequencies proposed for coast stations by 1 Jan 48.
e. Existing frequencies of aeronautical stations.
f. Existing frequencies of meteorological stations.
Korea
a. Korean frequency requirements as of 1 Jan 48.
3. It will be noted that additional frequency requirements exist only for Japanese international and coastal services as of 1 Jan 48.
4. Reference International Radiotelegraph Conference, Cairo 1933 annexed to International Call Signs were allocated to Japan.
EUA - EYZ
HGA - HGZ
HLA - HMZ
EKA - EKZ
EMA - EOZ
ERA - ERZ
J - series
It is requested that the "J" series of call signs be retained for the Imperial Japanese Government and the remainder of call sign blocks indicated above be relinquished.
5. Based on Japanese Imperial Government relinquishing the International Call Sign block other than the "J" Series, it is requested that the HGA - HGZ and HLA - HMZ blocks be reserved for Korea.
6. International call sign requirements also exist for former mandated islands of Japan, now outside the present boundary of Japan proper. It is considered advisable to withdraw all the "J" series call signs currently in use on these islands.
FOR THE SUPREME COMMANDER:
NFR:
(1~7略)
8. International Call Sign reallocation requested was as follows:
a. Japan: Retain "J" series call signs and relinquish all others.
b. Korea: Relinquish "J" series call signs currently use and adopt the HGA -HGZ and HLA -HMZ relinquished by Japan.
c. Other Islands: Recommendation to reserve blocks of call signs relinquished by Japan for re-allocation to subject island and relinquish "J" call signs currently in use.
(以下略)
もしこの要求どおり承認されれば、沖縄ではEK, EM-EO, ER, EU-EY の中のいずれかが使われるはずだった。
日本(JA-JO)、朝鮮(HL, HM)、琉球等(JS)に
第二次世界大戦の終結後、多くの植民地で独立運動が活発化したことや、無線技術の進歩で無線局の大幅増が世界的に予想されたため、国際符字の分配は紛糾した。独立予定の朝鮮への日本が放棄するH系(HG, HL, HM)再分配や、日本から行政分離された島々へのE系(EK, EM-EO, ER, EU-EY)中から再分配する作戦すら雲行きが怪しく、とても日本本土にJブロック(全てのJシリーズ)を確保するなど望めるような状況ではなくなっていた。
H系の3シリーズのうちHGは逃したが、HL, HMは朝鮮に確保された。しかしE系の10シリーズは全滅。すべて持って行かれたため、行政分離された島々(沖縄や小笠原)には与えられなかった。枢軸国であり敗戦国である日本はJAA-JOZの15シリーズでよかろうとされ、取り上げられたJPA-JZZの11シリーズの中から、辛うじてJSシリーズを琉球に確保するのが精一杯だった。琉球(Ryukyu)ならJRがもっともらしいが、どこかの国が先にJRを持っていったのだろうか?あるいはまた小笠原も含めて南方(Southern)の島々でJSだったのか?私にはそのいきさつは解らない。
最終的にはアメリカの踏ん張りで、日本国としてJAA-JSZ の連続した19シリーズの分配で決着した。だが従来の26(Jブロック)+10(E系)+3(H系)=39シリーズと比較すると、48.7% になり半数すら与えられなかった計算だ。しかもCCSはJSシリーズは琉球用に確保されたものだとの解釈を崩さず、実質的に日本の行政権がおよぶエリアの国際符字はJAA-JRZの18シリーズ(46.2%)になってしまった。 【参考】しかしAC会議ではJブロックのうち、JY, JZ の2シリーズはどこの国・地域にも分配されなかったので、日本への"おしおき" だったのだろうか?
CCSが呼出符号の割当基準を作るよう指示
電波彙報1948年7月号で電波局企画課がAC会議でのコールサイン分配の様子を伝えているので引用する。
『我が国に対しては、この表に見る通り、JAA乃至JSZの十九シリーズが割当てられることとなった。終戦後我が国は従来の植民地南洋委任統治地並びに大部分の島嶼(とうしょ)を失い、その統治権の及ぶ範囲が著しく縮小せられたので、勢い呼出符号の割当においても、相当に削減されることが予想せられたので、E及びH符号は予めこれを放棄して、Jブロックはこれを確保するよう関係の向に要請したのであった。しかし、そのJブロックも、会議の途中では、半分位に削減されるかも知れない情勢にあったのであるが、幸い連合国最高司令部の努力によって辛うじて前記十九シリーズが確保されることになったのである。』
こうして日本はJTA-JZZ, EKA-EKZ, EMA-EOZ, ERA-ERZ, EUA-EYZ, HGA-HGZ, HLA-HMZ の国際符字列を失った。そしてこれが発効する1949年1月1日までに、日本の全ての無線局のコールサインをJAA-JSZの中に収容しなけらばならないという困難な課題が急浮上したのだった。また民間通信局CCSは電波局企画課に対して、これを機に以下の原則に従い、日本のCall Sign Allocation Standard(呼出符号割当基準)を定めるよう指示した。
1) 国際通信を目的とする局と国内通信を目的とする局を明確に分けること
2) コールサインの2文字目(Jの後ろの文字)で無線局種が区別できること
後述するが、このCCSの指示を受けて国際用通信にはJA-JBシリーズが選ばれるのだが、のちにAmateurのコールサインを定めるにあたり、Amateur も国際通信を行う無線局であることが "JA" を選択する根拠になった。
また業務別分配だが、これまでも日本本土の法2条第6号無線施設(いわゆるラジオ放送局)にはJOシリーズが指定されていたが、船舶局にも同じくJOの4文字コールサインが出されたり、長崎海岸局のコールサインがJOSだったりで絶対的な基準とはいえなかった。
だからこそCCS は逓信省にコールサインの指定基準をしっかりと決めるように指示したのである。またコールサインを指定していない無線局も多くあった。アマチュア無線では7MHzで運用するときも、14MHzで運用するときも、同じコールサインを使用する。同様に日本放送協会の大阪中央放送局JOBKは第一放送でも、第二放送でも同じコールサインだったが、それぞれ個別のコールサインを与えることになった。
<参考>1908年(明治41年)5月に官設銚子海岸局(コールサインJCS:JapanChoSi)と、民間の東洋汽船の天洋丸(コールサインTTY:Touyoukisen TenYo maru)内に官設局を置いたの日本の無線局の始まり。7月には大瀬崎(JOS:Japan OuSezaki)、潮岬(JSM:Japan Siono Misaki)、角島(JTS:Japan Tuno Sima)、12月に落石(JOI:Japan OtchIsi)の各海岸局も開局。また民間船舶にも下表の様に官設局が次々と設置された。このように日本ではコールサインは施設名に関連付けて指定することから始まった。詳細は私設実験局のページ参照。
CCS要求その1 国際通信を行う局とは?
CCSのひとつ目の要求はコールサインを国際通信用と国内通信用に分けろというものだった。
ではこの時代に、どのような国際通信が行われていたかというと、まず第一に無線電信または無線電話による国際公衆無線通信業務である。具体的にいえば東京の商社が、パリの取引先企業に電報を打ったり(国際公衆無線電信)、電話を掛ける(国際公衆無線電話)ケースである。
第二には海外短波放送の送信と受信である。海外向け短波放送はGHQ/SCAPの指令により禁止されたが、満州、中国、南方方面に残留する部隊や邦人向けに、放送協会の第一放送プログラムのサイマル送信することだけはかろうじて認められていた。
海外放送の受信は進駐軍放送の中継用で、東アジア各地とサンフランシスコから放送されるものを、小室受信所(埼玉県)で受け、有線で東京へ送りFBISおよびAFRASへ提供するものだ。
第三には東京の通信社が日本で起きたニュースを無線電信で海外へ送るものや、気象台が東アジアや太平洋沿岸地域へ無線電信で気象情報を送るものがある。共同通信社の場合、東京放送無線電報局(日比谷)から有線電信で東京国際電報局へ送られ、そこから有線電信で小山送信所(栃木県)へ送り、東アジア各地へ短波無線電信で送信される。
さらに小山送信所ではUP通信社(サンフランシスコ、ホノルル、マニラ、香港、上海、シンガポール向け送信)、AP通信社(サンフランシスコ、上海、香港、マニラ向け送信)、中国通信社(上海、香港、南京、瀋陽、北京、北京、重慶向け送信)、ロイター通信社(シンガポール、香港、上海、マニラ、オーストラリア向け送信)の送信も扱っていた。
逆に海外ニュースを受信する場合は福岡受信所(埼玉県)で短波電信を受け、そこから有線電信で東京国際電報局へ送られ、最終的に各通信社へ届けられた。今でこそ日本のメディア各社が海外に支局を置き直接送稿してくるようになったが、1980年頃までは、新聞やラジオ・テレビの海外発ニュースには「AP伝」とか「ロイター通信によると・・・」と通信社から提供を受けての報道がほとんどだった。
この他にはシンガポールとジュネーブからの短波無線電信を福岡受信所(埼玉県)で受信され、有線電信で厚生省に提供される世界各国の伝染病情報無線の受信業務があった。
これらの国際通信業務は各社が個別に送受信の施設を建設するのではなく、専業の国策企業である国際電気通信株式会社が一手に担っていた。たとえば日本放送協会が短波放送を国際電気通信社に委託する形態だった。しかしこの会社はGHQ/SCAPの命令で解散させられ、逓信省に組み入れられたため、国際通信は100%国営事業になった。
以上のように国際通信業務の種類はそう多くなく、各送信所の周波数ごとに別のコールサインを付与したとしてもごく僅かで済むのは明らかだった。したがってJA-JRの18シリーズのうちJA, JB の2シリーズを国際通信用に確保すれば充分に事足りると判断された。
CCS要求その2 業務別分配とJOシリーズを使っていた船舶局
CCSの2つ目の要求はコールサインの2文字目(Jの次の文字)を見れば無線局種が判別できるようにしなさいというものだ。
我々一般人にはJOコールサイン(4文字)は放送局に与えられて来たような錯覚があるが、それは放送局が身近な存在だからそう思うのであって、一般人には身近ではない船舶局にもJOシリーズの4文字コールサインが発行されて数多く発給されていたのが事実だ。
戦前(1928/1936年)における、船舶局と放送局の4文字JOコールサインの発行数をご覧いただきたい。まず1925年3月22日に放送を開始したJOAK(東京)を皮切りにJOBK(大阪)、JOCK(名古屋)の計3つの放送局が誕生し、1928年にJOFK(広島)、JOGK(熊本)、JOHK(仙台)、JOIK(札幌)という、後年になって中央局に昇格した老舗地方局が放送開始した。この1928年を最初の船舶局との比較の年としてみた。
ここでひと段落のあと、1930年から1933年に掛けてJOJK(金沢), JOKK(岡山), JOLK(福岡), JONK(長野), JOOK(京都), JOPK(静岡), JOQK(新潟), JORK(高知), JOSK(小倉), JOTK(松江), JOUK(秋田), JOVK(函館), JOXK(徳島)の「4文字目がKの地方局」が誕生し、1933年から1938年に掛けては、JOAG(長崎), JOBG(前橋), JOCG(旭川), JODG(浜松), JOFG(福井), JOHG(鹿児島), JOIG(富山), JOJG(山形), JOKG(甲府), JOLG(鳥取), JOMG(宮崎), JOOG(帯広), JOPG(釧路), JOQG(盛岡), JORG(広前), JOSG(松本)の「4文字目がGの地方局」が誕生して全国整備はひと段落がついた。この1938年を2番目の船舶局との比較の年とした。
(JOAA-JOMZ)
【注】 ↑ このほかソウルの京城放送局が1927年に開局し、1935年には京城中央放送局になっている。
(JONA-JOZZ)
このように戦前のJOシリーズはけして放送局が代表的ユーザーではないのである。またこの表以外にもJOの3文字コールで有名な長崎海岸局JOSや落石海岸局JOCもあるし、各地の漁業陸上局がJOの3文字コールを使っていた。【参考】長崎海岸局は逓信省に移管される前は、日露戦争で有名な「敵艦見ゆ」の信号を受信した海軍の大瀬崎海岸局JOS(Japan OuSezaki)である。北海道の落石海岸局JOC(Japan OChiishi)と並ぶ日本最古の海岸局のひとつだ。
では戦後のJOの4文字コールサインの船舶局はどうだっただろうか。1947年7月1日のJOを使う船舶局を "List of Japanese Ship Stations" (July 1th 1947, 逓信省電波局発行)より拾ったのが左表である。4文字目がKやGの船舶局はないが、広範に"JOコール" の船舶局59局が許可されていた。
このように既得コールサインの無線局をどうするかという問題が大きく立ちはだかり、CCSの要求する業務別分配は容易ではなかった。
たとえば船舶には無線局の有無に関わらず信号符字(Identity Signal)という船舶識別表示の4文字が与えられており、日本では運輸省海運総局船舶局が指定していた。この信号符字は国籍識別文字"J"から始まるアルファベット4文字で構成されるものである。
そして国際電気通信条約付属無線規則に「船舶無線局の呼出符号は信号符字と一致させなければならない」という規定があり、逓信省の一存で無線の呼出符号だけを勝手に変更することができなかったのである。【参考】一致が求められる前は、日本の船舶はK, L, M, N, P, Q, R, S, T, V から始まる4文字の信号符字を使用。
1948年7月1日に放送局のコールサインを再編成したあと、例外事項や、移行期間の暫定処置を含んだ "Call Sign Allocation Standard"(呼出符号割当基準)が1948年9月2日にCCSに承認された。
そして1949年1月1日に残りの無線局の呼出符号の再編成を実施した。運輸省海運総局の全面的な協力により、長年JOの4文字コールサインを使用してきた全ての船舶局は1949年1月1日にJO以外のシリーズへ指定変更が完了した。JOの4文字コールは放送局専用となったのである。