第二次世界大戦後はじめての世界無線主管庁会議が、アメリカのアトランティックシティで1947年5月16日より10月2日まで開催されました。 アトランティックシティ(AC)会議で日本に割当てられていた国際符字がJA-JSに減じられ、コールサインをこの範囲に収めなければならなくなりました(というのは表向きの話で、JSが奄美・沖縄用だったので実際にはJA-JRです)。コールサインの変更としては史上最大規模の再編作業かも知れません。
GHQ/SCAPの民間通信局CCSは逓信省MOCに対して、再編にあたりコールサインを国際通信用と国内通信用にわけ、さらに無線局の業務別に分けた、日本政府の Call Sign Allocation Standard(呼出符号の割当基準)を定めるように指示しました。
1947年(昭和22年)1月1日、極東アジアの共産勢力が勢いを付けていることもあり、またGHQ/SCAPの日本進駐が長期化しそうな状況にあったことから、応急的に極東・西太平洋エリアのアメリカの陸軍・海軍・空軍のすべてを統合した極東軍FECOM(Far East Command)が編成されました。極東軍FECOMの創設は統合参謀本部指令 "JCS1259/27"(1946年12月11日) に基づく応急措置でしたが、結局1957年(昭和32年)6月30日に廃止されるまで存続しました。
極東軍FECOMの前身母体は東京のGHQ/SCAP内に置かれていた米太平洋陸軍(US AFPAC)です。日本本土に進駐する第八軍(Eighth Army)、南朝鮮に進駐するUS Army Forces in Korea、琉球軍(Ryukyu Command)、フィリピン軍(Philippines Command)、マリアナ・小笠原軍(Marians-Bonins Command)が極東軍(総司令官:マッカーサー元帥)の指揮下に入りました。
またGHQ/SCAPの民間通信局CCSの局長であるバック(Back)准将が、極東軍の通信長(C sig O)を兼務したため、バック准将が極東アジア・西太平洋の非常に広範な地域の電波行政に影響力を持ちました。この時期より本来GHQ/SCAP配下に過ぎない民間通信局CCSが、(GHQ/SCAPの占領地ではなく)アメリカの占領地だった小笠原地域での無線運用にも配慮した電波行政をとり始めたのはこのためだったのでしょう。
マッカーサー元帥にはGHQ/SCAP(連合国総司令官)とFECOM(極東軍)総司令官という2つの立場がありました。マッカーサー元帥による、琉球統治はGHQ/SCAPとして、小笠原統治はFECOM総司令官として行われましたが、どちらにしろ一番偉い人は同じですから、この時代を生きた一般の日本人にはそんなことは無関心だったでしょう。。
電波行政も似たようなもので、GHQ/SCAPのCCS局長のバック准将が、FECOMの通信長のバック准将でした。琉球と小笠原はある時は同列で語られ、またある時は別物として扱われる、そういう混沌とした時期を経て、1949年12月26日になって、極東軍司令49号 "Amateur Radio Operation" (Far East Command, 26 December 1949, Circular No.49)が出されました。
これにより琉球軍(Ryukyus Command)のアマチュア局のコールサインと周波数は極東軍総司令部(General Headquarters Far East Command)が与え、マリアナ・小笠原軍(Marianas-Bonins Command)のアマチュア局のコールサインと周波数はアメリカ本土の連邦通信委員会(FCC:Federal Communications Commission)が与えることが明文化され、ようやく両地域の違いが鮮明になりました。
バック准将は日本及び極東・西太平洋地域の電波行政の最高権力者で、1949年(昭和24年)6月18日に小沢電気通信大臣と増田官房長官を呼び付け、日本政府から独立したRRC(電波監理委員会)を設置し、そこに電波行政を任せよと強く求めた人物でもあります。これは「バック勧告」として我国の電波史にも刻まれています。
戦争に敗れ植民地が独立した際の国際呼出符字(コールサインの文字)の決め方は、独立前の占領国に指定されていた国際呼出符字列の一部を、独立国へ分割するのがこれまでの国際的な慣例でした。
独立が予定された朝鮮の国際呼出符字は日本に割当てられているHG, HL, JMシリーズを分割し、AC(アトランティックシティ)会議が始まるまでにその既成事実を作ろうとしたようです。
AC会議直前の1947年(昭和22年)5月10日に、United States Army Military Government in Korea のDepartment of Communications は、GHQ/SCAPの民間通信局CCSの国内無線課、Technical BranchのWhitehouse氏へSubject: "Request for reassignment of Radio callsigns to South Korea" を申請している。
以下がその申請された南朝鮮エリアの無線局のPresent(現コールサイン)とNew(新コールサイン)です。必ずしも現コールサインのすべてがJから始まるものではなく、最初からHで始まる無線局もありました。
◆Coastal Radio Station (Department of Communications )
◆Fixed Radio Station (Department of Communications )
◆ Fixed Radio Station (Department of Police )
◆Korean Coastal Guard
◆Korean Constabulary
◆Fixed Radio Station (Department of Transportation )
◆Flight Radio Station (Department of Transportation )
◆ Light house (Department of Transportation )
◆Korean Broadcasting Station
【注1】 最終的にはAC会議で、朝鮮にHGシリーズは分配されなかったので、例えば放送局にはHLKA-HLKZが与えられました。
【注2】 私にはなぜTechnical Branch に申請されたかはよくわからない。この承認と実施時期は不明。アアチュア局はそもそもGHQ/SCAP, CCSの管理外なのでこの申請には含まれないが、1948年2月15日になって極東軍GHQ/FECがJ8からHLへの変更を実施した。参考までに1947年8月22日時点でのJ8局の承認リストを示します("Authorized Amateur Radio Stations in Korea, TFSIG 311.23", HQ US Army Forces in Korea, Aug. 22, 1947)。
南朝鮮エリアではJ8AAAからアルファベット順に発給されています(例外:J8ACS, J8ASC, J8ABC)。2月15日のHL1へ指定変更は(例外もあるようだが)基本的にはJ8AABがHL1ABのようにスライドさせただけです。
Grade欄は軍における階級で、CivとはCivilian(いわゆる民間人)です。
第二次世界大戦後はじめての世界無線主管庁会議が、アメリカのアトランティックシティで1947年5月16日より10月2日まで開催されました。占領下の日本の参加は認められず、アメリカが代弁することになっていました。この会議に先だち民間通信局CCSでは、日本国および(GHQ/SCAPにより独立が計画された)朝鮮国と琉球国の計3地域の国際符字の分配要求案について検討していました。
1947年5月17日、東京のCCSからワシントンへ最終案 "Radio Frequency Requirements, Japan and Korea" AG 676.3(17 May 47)CCS の電報が打電され、呼出符号については以下の様な獲得作戦を展開することになりました。
◆日本本土の呼出符号には、E系(EK, EM-EO, ER, EU-EY)及びH系(HG, HL, HM)を放棄し、Jブロック(全Jシリーズ)を要求する(下記の赤部分)。
◆独立予定の朝鮮国の呼出符号には、日本が放棄したH系(HG, HL, HM)のリザーブを要求する(下記の緑部分)。
◆奄美・沖縄および、アメリカ占領地である小笠原・硫黄など、日本から行政分離された島々の呼出符号には下記(青部分)第6項およびNFRの8-c にあるとおり、Jシリーズの使用を放棄して、日本が放棄した国際呼出符字(H系は朝鮮なので、E系のいづれか)を別途要求する。
当初アメリカは "琉球は日本に征服された王朝" だから独立解放させるべきだと考えていたが、アメリカの予想に反して住民の日本復帰の意向が強く、先行きが不透明になっていたため琉球国としてのリザーブは要求せず、小笠原等も含めた行政権が切り離された島々として、日本が放棄したE系列の再分配を要求することにした。日本本土がJシリーズなので、これらの島々のコールサインを明確に分離する意向だった。
GENERAL HEADQUARTERS
SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWES
APO 500
17 May 1947
AG 676.3 (17 May 47) CCS
SUBJECT: Radio Frequency Requirements, Japan and Korea
TO: Chief, Civil Affairs Division, War Department, Washington 25, D.C.
Attention: SIGOL
1. Forwarded herewith are Japanese and Korean radio frequency requirements as of 1 January 1948, submitted in accordance with radiogram WAR 97336, for presentation to Plenary Assembly of the International Telecommunications Conference, Atlantic City, New Jersey.
2. The list of radio frequency requirements are sub-divided as follows:
Japan
a. List of fixed circuits which are now active and are expected to be continued on permanent basis.
b. Frequency requirements for fixed circuits under consideration for re-activation.
c. Existing frequencies of coastal and fishery stations.
d. Frequencies proposed for coast stations by 1 Jan 48.
e. Existing frequencies of aeronautical stations.
f. Existing frequencies of meteorological stations.
Korea
a. Korean frequency requirements as of 1 Jan 48.
3. It will be noted that additional frequency requirements exist only for Japanese international and coastal services as of 1 Jan 48.
4. Reference International Radiotelegraph Conference, Cairo 1933 annexed to International Call Signs were allocated to Japan.
EUA - EYZ
HGA - HGZ
HLA - HMZ
EKA - EKZ
EMA - EOZ
ERA - ERZ
J - series
It is requested that the "J" series of call signs be retained for the Imperial Japanese Government and the remainder of call sign blocks indicated above be relinquished.
5. Based on Japanese Imperial Government relinquishing the International Call Sign block other than the "J" Series, it is requested that the HGA - HGZ and HLA - HMZ blocks be reserved for Korea.
6. International call sign requirements also exist for former mandated islands of Japan, now outside the present boundary of Japan proper. It is considered advisable to withdraw all the "J" series call signs currently in use on these islands.
FOR THE SUPREME COMMANDER:
NFR:
(1~7略)
8. International Call Sign reallocation requested was as follows:
a. Japan: Retain "J" series call signs and relinquish all others.
b. Korea: Relinquish "J" series call signs currently use and adopt the HGA -HGZ and HLA -HMZ relinquished by Japan.
c. Other Islands: Recommendation to reserve blocks of call signs relinquished by Japan for re-allocation to subject island and relinquish "J" call signs currently in use.
(以下略)
もしこの要求どおり承認されれば、沖縄ではEK, EM-EO, ER, EU-EY の中のいずれかが使われるはずだった。
第二次世界大戦の終結後、多くの植民地で独立運動が活発化したことや、無線技術の進歩で無線局の大幅増が世界的に予想されたため、国際呼出符字の分配は紛糾しました。独立予定の朝鮮への日本が放棄するH系(HG, HL, HM)再分配や、日本から行政分離された島々へのE系(EK, EM-EO, ER, EU-EY)中から再分配する作戦すら雲行きが怪しく、とても日本本土にJブロック(全てのJシリーズ)を確保するなど望めるような状況ではなくなっていました。
そのような状況下で、H系の3シリーズのうちHGは逃したが、HL, HMは朝鮮に確保されました。しかしE系の10シリーズはすべて没収されたため、行政分離された島々(沖縄や小笠原)でE系を使う計画は実りませんでした。敗戦国である日本はJAA-JOZの15シリーズでよかろうとされ、取り上げられたJPA-JZZの11シリーズの中から、辛うじてJSシリーズを琉球に確保するのが精一杯でした。琉球(Ryukyu)なら「JR」がもっともらしいが、どこかの国が先にJRを持っていったのでしょうか?あるいはまた小笠原も含めて南方(Southern)の島々で「JS」でしょうか?私にはそのいきさつは解りません。こうして日本本土はJAからJOまでで、少し飛んだJSが琉球、HL, HMが朝鮮になりました。
しかし最終的にはアメリカの踏ん張りで、日本国としてJAA-JSZ の連続した19シリーズの分配で決着しまた。従来の26(Jブロック)+10(E系)+3(H系)=39シリーズと比較すると、48.7% になり半数すら与えられなかった計算です。しかも民間通信局CCSは「JSシリーズ」は琉球用に確保されたものだとの解釈を崩さず、実質的に日本の行政権がおよぶエリアの国際符字はJAA-JRZの18シリーズ(46.2%)になってしまった。
【参考】実はAC会議ではJブロックのうち、JY, JZ の2シリーズはどこの国・地域にも分配されなかったので、「お前にはあげないよ」と、日本への"おしおき" だったのでしょう。
『電波彙報』(1948年7月号)に逓信省電波局企画課がAC会議でのコールサイン分配の様子を伝えているので引用します。
『我が国に対しては、この表に見る通り、JAA乃至JSZの十九シリーズが割当てられることとなった。終戦後我が国は従来の植民地南洋委任統治地並びに大部分の島嶼(とうしょ)を失い、その統治権の及ぶ範囲が著しく縮小せられたので、勢い呼出符号の割当においても、相当に削減されることが予想せられたので、E及びH符号は予めこれを放棄して、Jブロックはこれを確保するよう関係の向に要請したのであった。しかし、そのJブロックも、会議の途中では、半分位に削減されるかも知れない情勢にあったのであるが、幸い連合国最高司令部の努力によって辛うじて前記十九シリーズが確保されることになったのである。』(逓信省電波局企画課業務係, "呼出符号の新構成について", 『電波彙報』, 1948年7月号, 逓信省電波局, p60)
こうして日本はJTA-JZZ, EKA-EKZ, EMA-EOZ, ERA-ERZ, EUA-EYZ, HGA-HGZ, HLA-HMZ の国際呼出符字列を失いました。そしてこれが発効する1949年(昭和24年)1月1日までに、日本の全ての無線局のコールサインをJAA-JSZの中に収容しなけらばならないという困難な課題が急浮上したのでした。また民間通信局CCSは逓信省電波局企画課に対して、これを機に以下の原則に従い、日本のCall Sign Allocation Standard(呼出符号割当基準)を定めるよう指示した。
国際通信を目的とする局と国内通信を目的とする局を明確に分けること
コールサインの2文字目(Jの後ろの文字)で無線局種が区別できること
後述しますが、このCCSの指示を受けて国際用通信にはJA-JBシリーズのコールサインが選ばれるのですが、のちにAmateur局のコールサインを定めるにあたり、Amateur局も国際通信を行う無線局であることが "JA" とする根拠になりました。
また業務別分配ですが、これまでも日本本土の法2条第6号無線施設(いわゆるラジオ放送局)にはJOシリーズが指定されていましたが、船舶局にも同じくJOの4文字コールサインが出されたり、長崎海岸局のコールサインがJOSだったりで、JOは必ずしも放送用ではありませんでした。だからこそCCS は逓信省にコールサインの指定基準をしっかりと決めるように指示したのです。
またコールサインを指定していない無線局も多くあった。アマチュア無線では7MHzで運用するときも、14MHzで運用するときも、同じコールサインを使用します。同様に日本放送協会の中央放送局は第一放送も、第二放送も同じコールサインでした。番組中継用の短波送信機に至っては、あくまで放送用送信機の中の付属設備という位置付けでコールサインそのものがありませんでした。これらにすべてにコールサインを定めることになりました。
【参考】1908年(明治41年)5月に官設銚子海岸局(コールサインJCS:JapanChoSi)と、民間の東洋汽船の天洋丸(コールサインTTY:Touyoukisen TenYo maru)内に官設局を置いたの日本の無線局の始まりです。7月には大瀬崎(JOS:Japan OuSezaki)、潮岬(JSM:Japan Siono Misaki)、角島(JTS:Japan Tuno Sima)、12月に落石(JOI:Japan OtchIsi)の各海岸局も開局。また民間船舶にも下表の様に官設局が次々と設置され、施設名に関連付けてコールサインの指定が始まりました。詳細は私設実験局のページ参照。
CCSのひとつ目の要求は「コールサインを国際通信用と国内通信用に分けろ」というものでした。
ではこの時代に、どのような国際通信が行われていたかというと、まず第一に無線電信または無線電話による国際公衆無線通信業務があります。具体的にいえば東京の商社が、パリの取引先企業に電報を打ったり(国際公衆無線電信)、電話を掛ける(国際公衆無線電話)ケースです。
第二には海外短波放送の「送信」と「受信」です。海外向け短波放送はGHQ/SCAPの指令により禁止されましたが、満州、中国、南方方面に残留する部隊や邦人向けに、放送協会(第一放送プログラム)のサイマル送信だけはかろうじて許されていました。
また海外放送の受信とは進駐軍放送AFRSの番組中継用で、東アジア各地とサンフランシスコから放送されるものを、小室受信所(埼玉県)で受け、有線で東京へ送りFBISおよびAFRSへ提供するものです。
第三には東京の通信社が日本で起きたニュースを無線電信で海外へ送るものや、気象台が東アジアや太平洋沿岸地域へ無線電信で気象情報を送るものがあります。共同通信社の場合、東京放送無線電報局(日比谷)から有線電信で東京国際電報局へ送られ、そこから有線電信で小山送信所(栃木県)へ送り、東アジア各地へ短波無線電信で送信されます。
さらに小山送信所ではUP通信社(サンフランシスコ、ホノルル、マニラ、香港、上海、シンガポール向け送信)、AP通信社(サンフランシスコ、上海、香港、マニラ向け送信)、中国通信社(上海、香港、南京、瀋陽、北京、北京、重慶向け送信)、ロイター通信社(シンガポール、香港、上海、マニラ、オーストラリア向け送信)の送信も扱っていました。
逆に海外ニュースを受信する場合は、福岡受信所(埼玉県)で短波電信を受け、そこから有線電信で東京国際電報局へ送られ、最終的に各通信社へ届けられました。今でこそ日本のメディア各社が海外に支局を置き直接送稿してくるようになりましたが、1980年頃までは、新聞やラジオ・テレビの海外発ニュースには「AP伝」とか「ロイター通信によると・・・」と通信社から提供を受けての報道がほとんどでした。
この他にはシンガポールとジュネーブからの短波無線電信を福岡受信所(埼玉県)で受信し、有線電信で厚生省に提供される世界各国の伝染病情報無線の受信業務がありました。
これらの国際通信業務は各社が個別に送受信の施設を建設するのではなく、専業の国策企業である国際電気通信株式会社が一手に担っていました。たとえば日本放送協会が短波による海外放送を国際電気通信社に委託する形態でした。しかしこの会社はGHQ/SCAPの命令で解散させられ、逓信省に組み入れられたため、国際通信は100%国営事業になっていました。
以上のように国際通信業務の種類はそう多くなく、各送信所の周波数ごとに別のコールサインを付与したとしてもごく僅かで済むのは明らかでした。したがってJA-JRの18シリーズのうちJA, JB の2シリーズを国際通信用に確保すれば充分に事足りると判断されたようです。
CCSの2つ目の要求は「コールサインの2文字目(Jの次の文字)を見れば無線局種が判別できるようにしなさい」というものです。これにこたえてJOコールサインは放送用に
我々一般人にはJOコールサイン(4文字)は放送局に与えられて来たような錯覚がありますが、それは放送局が身近な存在だからそう思うのであって、実は船舶局にもJOシリーズの4文字コールサインが発行されて数多く発給されてきました。
まず1925年3月22日に放送を開始したJOAK(東京)を皮切りにJOBK(大阪)、JOCK(名古屋)の計3つの放送局が誕生しました。
そして1928年にJOFK(広島)、JOGK(熊本)、JOHK(仙台)、JOIK(札幌)という、後年になって中央局に昇格した老舗地方局が放送開始し、1930年から1933年に掛けてJOJK(金沢), JOKK(岡山), JOLK(福岡), JONK(長野), JOOK(京都), JOPK(静岡), JOQK(新潟), JORK(高知), JOSK(小倉), JOTK(松江), JOUK(秋田), JOVK(函館), JOXK(徳島)の「4文字目がKの地方局」が誕生しました。
1933年から1938年に掛けては、JOAG(長崎), JOBG(前橋), JOCG(旭川), JODG(浜松), JOFG(福井), JOHG(鹿児島), JOIG(富山), JOJG(山形), JOKG(甲府), JOLG(鳥取), JOMG(宮崎), JOOG(帯広), JOPG(釧路), JOQG(盛岡), JORG(広前), JOSG(松本)の「4文字目がGの地方局」の開局で全国整備はひと段落つきました。
この1928年と1938年におけるJOコールサインを指定されている船舶(青色地)と放送局(黄色地)を下表に示します。
【注】 このほかソウルの京城放送局JODKが1927年に開局し、1935年には京城中央放送局になっている。
上表の青色(船舶局)と黄色(放送局)の面積に注目すると、断然青色の方が目立っていますよね。つまり戦前のJOシリーズはけして放送局が代表ユーザーではないのです。またこの表以外にもJOの3文字コールで有名な、長崎海岸局JOSや落石海岸局JOCもありますし、各地の漁業陸上局がJOの3文字コールを使っていましたた。
【参考】長崎海岸局は逓信省に移管される前は、日露戦争で有名な「敵艦見ゆ」の信号を受信した海軍の大瀬崎海岸局JOS(Japan OuSezaki)で、北海道の落石海岸局JOC(Japan OChiishi)と並ぶ日本最古の海岸局のひとつです。
ではJOの4文字コールサインの船舶局は、終戦でどうなったのでしょうか?1947年(昭和22年)7月1日、逓信省がGHQ/SCAP向けに発行したコールブック "List of Japanese Ship Stations" (July 1th 1947, 逓信省電波局発行)より、JOを使う船舶局を拾ったのが下表です。
コールサインの4文字目がKやGの船舶局はありませんが、広範に"JOコール" の船舶局59局が許可されていました。
【参考】のちに4文字目がBの船舶局の呼出符号が問題になります。
このように既得コールサインの無線局をどうするかという問題が大きく立ちはだかり、GHQ/SCAP民間通信局CCSが要求する業務別分配は容易ではありませんでした。
たとえば船舶には無線施設の有無に関わらず信号符字(Identity Signal)という船舶識別表示の4文字が与えられており、終戦直後の日本では運輸省海運総局船舶局が指定していました。この信号符字は国籍識別文字"J"から始まるアルファベット4文字で構成されるものです。
1938年(昭和13年)にカイロで開かれた国際無線電信会議において、「国際電気通信条約付属一般無線規則」の第14條第5項(2)として「船舶の信号符字は船舶局の呼出符号と一致させなければならない」と追加改正(1939年1月1日施行)されて以来、逓信省の都合で船舶無線局の呼出符号だけを勝手に変更することができなかったことも手間取った一因でした。
◎国際電気通信条約付属一般無線規則(1938年カイロ改正)
第十四條 呼出符号
(一から四 省略)
五 (一) 各国は自国に割当てられたる国際識別符字に基き其の局の呼出符号を選定し其の局に附したる呼出符号を連合事務局に通告す 此の通告は素人局、私設実験局及私設無線通信局に附したる呼出符号には関係なし
(ニ) 自国の船名録に登録の際 可視及可聴信号の為 船舶に附せられたる識別符号は通則として 船舶局の呼出符号と一致することを要す
(三) 連合事務局は同一呼出符号が二回以上附せられざる様又遭難信号若は同種の他の信号と混同せられ易き呼出符号が附せられざる様注意す
【参考】符号の一致が無線規則で求められる前は、日本の船舶はK, L, M, N, P, Q, R, S, T, V から始まる4文字の信号符字を使用していました(明治時代はG, J, Kなど)。
1948年(昭和23年)7月1日に放送局のコールサインを再編成したあと、例外事項や、移行期間の暫定処置を含んだ "Call Sign Allocation Standard"(呼出符号割当基準)が1948年9月2日にCCSに承認されました。
そして1949年1月1日に残りの無線局の呼出符号の再編成を実施しました。特に船舶局については運輸省海運総局の全面的な協力により、JOコールサインを使用してきた全ての船舶局をJO以外のシリーズへ指定変更しました。ここにJOの4文字コールは放送局専用となったのです。
そもそも船舶に与えられる信号符字は、無線の呼出符号とはその生い立ちが全く異なるものです。信号符字は信号旗をもって陸上信号場(灯台)又は他の船舶と相互に信号を交換する時、相手に対して自己の船名を伝えるものとして始まりました。信号符字の沿革について郵政省電波監理局法規課長補佐の久保勅著氏の記事を引用します。
『(1) 現在の国際通信書の前身である船舶信号書は、19世紀のはじめから、英国、デンマーク、米国、フランス等の各国で多くの人によって編集発行されたが、これらの中でもっとも有名なものは、英国海軍大佐マリヤットが1817年に著したもので、多数の国で使用せられた。
(2) 1857年(嘉永年間)、英国商務院は、上記マリヤットの信号書の不備を補った新たな万国船舶信号書を発行し、これを各国に配布した。わが国においても、1875年(明治8年)、太政官布告により公布した。
(3) 上記の信号書は、約30年間にわたって使用せられたが、1887年(明治20年)、英国商務院は、その改訂に着手し、1897年(明治30年)にこれを完成して、各海運国に配布した。わが国でも、これによって、前記太政官布告を廃止し、1902年(明治35年)1月1日から新たな新たな万国船舶信号書を発行した。』(久保勅著, "国際無線電話略語を中心とした国際通信書の改定に関する動向", 『電波時報』, 1963, 電波振興会, p51)
1875年(明治8年)9月24日、太政官布告第144号にて日本にも導入されました。これは海軍省がお膳立てした事によります。
第百四拾四号
今般御国内西洋形蒸気帆前船共普通信号貫用可致に付ては船名信号符字付点の儀幷万国船舶信号書及信号旗共海軍省に可領布候條 右船舶官有私有共 別冊 万国船舶信号法告諭第三條に照準し其船証書相副同省へ可申出此旨布告候事
明治八年九月二十四日 太政大臣 三條實美
その別冊「万国船舶信号法告論」が以下です。
万国船舶信号法告諭
第一條
一 海上に於て用いる普通信号の方法を設定するの緊要たるは欧米の諸海国之れを論じ 既に英国政府に於て「インテルナショナル、コード、シグナル」を選定し以て刊行したり 是に於て仏蘭西(フランス)米利堅(アメリカ)嗹国(デンマーク)和蘭(オランダ)瑞典(スウェーデン)魯西亜(ロシア)希臘(ギリシャ)以太利(イタリア)澳(オーストラリア)智利(チリ)日耳曼(ドイツ)西班牙(スペイン)葡萄牙(ポルトガル)巴西(ブラジル)の如き諸海国の政府に於ても或は之を翻訳刊行し以て其軍艦商船及び陸上信号場に於て専ら之れ用いしむ因て 今 我国海軍省に於ても之れを翻訳せしめ万国船舶信号書と題し刊行し以て軍艦及び西洋形の官船商船及び灯台の如き信号場に於て互に通信応答を為す一般の法とす 故に此信号書を備えるに於ては以後「マリエツト」氏著述の信号書を備えるを要せず
第二條
一 此信号法は素より艦船の保護及び互の通信便利の為めに設定せる者たるを以て右諸海国一般に之れを用いるが故に西洋形の船舶を有する諸省使府県及び船主は篤く其意を体し 其船舶に此信号書及び信号旗を備え 其船長及び士官をして此用方を習熟せしめ 又以後船長及び士官を選挙する時は此者之れを了解したるや否を詳細に検査すべし 抑此信号書の欠く可からざる事は既に外国の或る信号場に於て海上航行の船暗礁に触れんとするを看出したるに因り 直に其場の士官万国船舶信号旗を掲げ以て其危険の事を通知したれども 其船此信号を了解す可き書を有せざりしを以て之れに注意せず遂に危難に罹り破船沈没したるの例往々許多有り豈に鑑戒と為さざる可からずや
第三條
船名信号符字願書の法
一 今般海軍省に於て船名を指示する爲めに必要なる信号符字を授興せしむ故に其信号符字を請求する者は官船に於ては其所轄庁より左に掲載せる甲の書式に其船証書を附して海軍省に出す可く 商船に於ては其船主より乙の書式に其船証書を附し所轄庁を経て海軍省へ願出可し 然る時は海軍省に於て其信号符字を其船証書の表に記入し授興す可し
(以下、第六條~第十條 略)
そもそも日本船全般の信号符字の発行・管理を始めたのは海軍省でした。そして手始めに海軍省が保有する艦船14隻にGQBC等のGからの4文字信号符字を定めました(下表)。まだ他省官船や民間商船からの申請受付の開始前のもので、それらの登録はありません。翌年に発行された改訂二版ではHBCD [船名:玄武, 官籍番号:217, 札幌, 船主:開拓使、901t, 100馬力] から始まるHBC◇、HBD◇、HBF◇、HBG◇、HBJ◇、HBK◇シリーズのHBKN [船名:旭光, 官籍番号:331, 和歌山県, 船主:猪股彌吉, 20t, 35馬力] までの83隻が一気に掲載されています。
この時代の万国信号旗は母音A, E, I, O, Uの5字と、X, Y, Zの3字を除く18字だけでした。信号符字もこの18文字で構成します。
さらに信号符字の4つの文字の重複を避けるため、例えば「HBC◇」の◇には(重複が起きるHBCB, HBCC, HBCHの3つを除く)15文字しか使えません。同様に「GQB◇」だとGQBB, GQBG, GQBQ は使えません。
幕府が行ってきた諸国水陸運輸の事務は、明治政府の内国事務総督、更に内国事務局を経て大蔵省の所管となりました(一時期、民部省に属した)。西洋形船舶免状授興の事務なども統合し1875年(明治8年)6月には大蔵省船舶課、同年10月には管船課と改称しています。
1877年(明治10年)2月27日、太政官布告第24号にて信号符字は内務省へ申請することになりました。
第弐拾四号
明治八年九月第百四拾四号を以て御国内西洋形船舶普通信号等の儀及布告置候所 今般右事務内務省へ令管理候條右関係の儀は総て同省へ可申出此旨布告候事
明治十年二月廿七日 右大臣 岩倉具視
1881年(明治14年)4月、新設された農商務省の所管となり、申請先も内務省から農商務省へ移りました(同年9月13日 太政官布告第43号)。
さらに今度は1885年(明治18年)12月22日、我国は西欧先進国にならって太政官制を廃し、総理大臣以下9省大臣による内閣制を導入しました。このとき通信、海運、郵便事業を所管する逓信省が創設され、農商務省の管船局は逓信省へ移管されたため、信号符字の申請先は自動的に逓信省管船局になりました。逓信省管船局は1885年12月31日現在のデータを基に、1887年(明治20年)1月に「船名録」を発行しました。以後同省管船局より毎年発行されています。
逓信省管船局が担当するようになって、信号符字は1886年(明治19年)より『官報』で告示されましたので、Hで始まる信号符字を使切った時期を調査してみました。
【参考】外地では台湾KB◆◇、朝鮮PB◆◇、関東都(のちの関東州)QB◆◇の信号符字が使われました。各地の船籍証書第一号はKBCD [飛龍安丸, 台北県大稻埕, 李蔦飛](明治31年9月7日 台湾総督府告示第68号)、PBCD [龍頭丸, 釜山, 釜山税関](明治43年12月20日 朝鮮総督府告示第7号)、QBCD [済通丸, 大連, 南満州鉄道(株)](明治45年2月6日 関東都督府告第6号)です。
1899年(明治32年)10月7日、逓信省告示第277号で285隻の信号符字が告示されています。
Hブロック最後の信号符字は、文字X,Y,Zが使えないので、2文字目Wが最後です(HW◆◇)。次ぐ3文字目がWだと2文字目と重複するのでVが最後です(HWV◇)。4文字目がVは重複で使えず、母音のUも使えないので、Hブロック最後の信号符字は「HWVT」になります。
逓信省はその後続にはJブロックを選びました。2文字目Aは使えす、Bからです(JB◆◇)。次のJBA◇, JBB◇も使えないので、JBC◇からになります。そしてJBCA, JBCB, JBCCが不可で、Jブロック先頭の信号符字は「JBCD」です。
信号符字がHブロックからJブロックへ進んだのは1899年秋で、そのあと、次のように(海軍省以外の)信号符字は移り変わりました。
1906年(明治39年)初夏:Lブロック使用開始
1912年(明治45年)初夏:Mブロック使用開始
1916年(大正5年)春:Nブロック使用開始
1918年(大正7年)夏:Rブロック使用開始
1920年(大正9年)春:Sブロック使用開始
1925年(大正14年)初夏:Tブロック使用開始
1929年(昭和4年)秋:Vブロック使用開始
1932年(昭和7年)8月11日の逓信省告示第1503号までは、これまで通り、Vブロックの信号符字を点附していました。Vブロックで点附された最尾の信号符字は第二若松丸VMWDでした。
同年8月29日、逓信省告示第1601号で以下9隻の信号符字を下記のように変更すると告示しました。
7月20日付、第十鶴島丸TQCV → 「JGAF」
7月20日付、第一長徳丸NJGF→「JWAF」
7月20日付、住徳丸RFKN→「JAAF」
7月25日付、栄徳丸RMWB→「JABF」
8月6日付、順栄丸VBNT→「JNTE」
7月14日付、第二勢寶丸VJFP→「JNQE」
7月18日付、第一住吉丸VBFS→「JNRE」
7月18日付、第二住吉丸VLFT→「JNSE」
6月28日付、神武丸LRNW→「JIPC」
管船局はついにアルファベット26文字すべてを解禁すると同時に、4文字内での文字重複も許したようです。
このあとの逓信省告示第1777号(同年9月26日)には第二神海丸JFAE, 寶丸JJAE, 名古屋丸JJDE, 福丸JJEE, 東海丸JDIE, 岩城丸JAAG, 第二山田丸JTAF, 八幡丸JGAE, 勢寶丸JJBEが見られますので、この夏に解禁されたのは間違いないでしょう。
実は1901年(明治34年)1月1日から、A, E, I, O, U, X, Y, Z を含めたアルファベット26文字の万国船舶信号旗の運用が開始されていましたが、日本の信号符字は古い18文字による非重複4文字式のままでした。
それが1932年夏になってすべての文字を解禁にし、これまでに点附してきたJ以外で始まる信号符字(すなわちH, L, M, N, R, S, T, Vで始まる信号符字)をJブロック内に収めるように変更する作業が始まりました。
【参考】この時に外地用信号符字(台湾KB◆◇、朝鮮PB◆◇、関東州QB◆◇)を廃止して、内地船舶と同じ Jブロックにしました。
また海軍の艦船はGブロック内の「GQ◆◇」を使っていましたがこれを JG◆◇, JJ◆◇, JL◆◇, JQ◆◇, JR◆◇, JU◆◇, JV◆◇, JX◆◇, JZ◆◇ へ変更しました。
逓信省管船局が発行する『日本船名録 昭和9年度』(1933年[昭和8年]12月31日現在)では、Jブロックへの移行が終わっていない船は、第二隠岐HKMC、因幡HLFV、第二浦門HLWDの三隻だけでした。1933年末までに、軍艦も商船も外地の船も、ほぼすべてがJブロック内に収容されました。
逓信省が「銚子無線電信局」「天洋丸無線電信局」を開設し、公衆無線電報ビジネスを創業したのは、ずいぶん遅くて1908年(明治41年)5月16日です(逓信省告示第536号, 『官報』, M41.5.15)。これまで有線電信(いわゆる公衆電報ビジネス)を所管としてきた逓信省通信局が無線電報をも受持つのは当然の流れでしょう。逓信省通信局は銚子無線と天洋丸の呼出符号(当時の言葉では局名符号)をそれぞれJCS、TTYと指定しました(逓信省公達第430号, 『逓信広報』, M41.5.16, 逓信省)。
当時の逓信省管船局は海軍以外の船舶には(Hブロック、Jブロックを使切り)LBCDから始まるLブロック4文字の信号符字を指定していました。それにも関わらず、なぜ逓信省通信局はJCSとTTYという(ぜんぜん信号符字と関連しない)3文字を指定したのでしょうか。それは1906年(明治39年)、ベルリンで開かれた第一回国際無線電信会議で定めた「国際無線電信条約附属業務規則」第四條第一項(2)で『呼出符号(符号は互に異なることを要し かつ各三字の連集よりなることを要す)』とあるからです(1908年7月1日発効)。
しかし前述のとおり1938年(昭和13年)、カイロで開かれた第五回国際無線電信会議において、「国際電気通信条約付属一般無線規則」第14條第5項(2)で「船舶の信号符字は船舶局の呼出符号と一致させなければならない」と改正されて以来、信号符字を呼出符号に寄せました(1939年1月1日施行)。呼出符号は国際呼出符字列分配表に縛られるため、呼出符号を信号符字に寄せることはできないからです。
無線を扱う電務局と海事を扱う管船局がともに逓信本省の局だったことは幸いだったのではないでしょうか。
『かくて、大東亜戦争の歴史的大詔が渙發されて間もなく、昭和16年12月18日、管船局は發展的解消を遂げ、他省他局の海事行政をも統合して、逓信省の外局としての海務院が設立された。然るに、戦局の推移に伴い、昭和18年11月1日、軍需省の設立等行政機構の大改正が行われた際、海運及び陸運の総合効果を躍進せしめるため、逓信省と鉄道省とを統合して運輸通信省が設立せられ、海運行政は同省海運総局及び各地の海運局、海運局支局、海運局出張所、海運局支局出張所に於て行われることとなった。』(小室鉅, "第四章 海事行政機関", 『海事概要』, 1944.4, 丸善, p234)
こうして戦中の信号符字に関する業務は運輸通信省が行うようになりましたが、組織が大きくなり過ぎたこともあり、1945年(昭和20年)5月19日に海運・鉄道は運輸省として分離独立しました。
◎運輸省告示第二百四十七号
国際呼出符号の割当削減に伴い、JSAAからJZZZまでの船舶信号符字(第二字目がS・T・U・V・W・X・Y 又は Zであるもの)は、使用できないことになるから、これに該当する船舶信号符字を受有する船舶の所有者は、その船舶の船籍港を管轄する管海官庁において、左の手続きをされたい。
昭和二十三年九月三日
運輸大臣 岡田 勢一
一 船舶無線呼出符号をも受有する船舶については、船舶信号符字を昭和二十四年一月一日をもって一せいに変更するから、昭和二十三年十月二十日までに、船舶信号符字変更の内定を受け、昭和二十四年一月一日以後二週間以内に、船舶国籍証明書等関係書類の書換を申請すること。
二 船舶無線呼出符号を受有しない船舶については、昭和二十三年十月二十日までに、随時船舶信号符字の変更及び船舶国籍証明書等関係書類の書換を申請すること。