CB Callsigns

CB無線のコールサインや簡易無線のコールサインを取り上げます。まず1948年3月に460MHz帯で発給が始まったCitizens Radio Station 用のコールサインの説明から始めて、27MHzで違法ハイパワーによる疑似アマチュアを楽しむ国際的なDXグループへの発展の歴史を紐解きます。

  • March 22, 1948 (District Number + W + 数字のコールサインが発給される)

「数字+アルファベット+数字」形式のコールサインは現代でも、27MHz帯で遠距離通信を趣味とする不法無線局グループに継承されているが、まずこのFCCが発給した元祖Citizens Radio Station のコールサインについて説明する。

当時はCRSの開局申請はワシントンのFCC本部と全米23カ所にあるFCC出張所で受理しコールサインが発行されていた。コールサインの先頭の数字は各FCC出張所に定められた数字(Radio District Nimber)である。州境界線とはあまり一致していない点に注意して欲しい。

【注】 このRadio District Number はシチズンス・ラジオのコールサインのために作られたのではなく、昔から使われてきた番号である。

なおこの数字(District Numbers)から始まるCitizens Radio Station のコールサインは、1952年に生まれた27MHz Class C局や、1958年に生まれた27MHz Class D局にも初期のころには発行されていた点は心に留めて置いて欲しい。

さて数字は北東部を1番として、南部、西部、北部へと時計回りに割り付けたあと、21:ハワイ、22:プエリトルコ、23:アラスカ、24:ワシントンDC と続くので、慣れると数字を聞くだけで大体の位置が想像付くようになる。アマチュア無線スタイルの遠距離交信を好むグループには好都合だった。

当時のFCC出張所(Field Engineering Office)の地域番号(Radio District Number) と管轄エリア(Territory)を以下に示す。

このDistrict Number に続く文字は当初はWが用いられた。上図よりGenaral Base による、Citizens Radio Service で最初のコールサイン19W0001の「19」はAl Grossの会社があるオハイオ州であることが分かる。

  • 日本の無線局のコールサインの割当基準が検討される

日本のCBコールサインの話の前に、まず日本の無線局のコールサインがどういう基準で指定されるようになったかを振返っておこう。1949年(昭和24年)までの日本では、明確な「呼出符号の割当基準」を定めていなかった。たとえば放送局にはJOシリーズが指定されていたが、それとて放送専用ではなく3文字は漁業陸上局に、4文字は船舶局も使っていた。

それが1947年に開催されたアトランティックシティ会議で、日本国の国際符字列がJA-JSに大幅削減された。日本はEK, EM-EO, EU-EY, HG, HL-HM を召し上げられ、さらにJブロック後半のJT-JZ も失った。 そのうえGHQ/SCAP はJSシリーズを、日本から行政分離された奄美・沖縄エリアに使うと決めたため、JA-JRに日本の全無線局を収容しなければならなくなった。(AC conference 参照)

そこで秩序だったルールより全無線局の呼出符号の再編する最初の案 "Possible Call Sign Allocation Plan"が、1947年(昭和22年)12月24日に逓信省MOCより民間通信局に提出された。この案では私設無線局はJJシリーズだったが、CCSの指導で私設無線にはJKシリーズを指定することになり、1948年(昭和23年)1月30日に修正案が作られた。私設無線にJKを選んだCCSの真意は分からないが、少なくとも簡易無線(Kan-i Musen)の頭文字のKだという俗説は正しくない。まだ簡易無線制度の創設が検討される前の時代だからだ。(Allocation Plan 参照)

  • Sep. 15, 1948 ・・・日本初の呼出符号割当基準が承認される

その後も逓信省MOCはCCSの指導のもと、いくつかの変更を加えて1948年9月2日、最終案 "Application for Altaration Plan of Call Signs Assigned to Japanese Radio Stations"(逓信省LS第410号)を民間通信局CCSに提出した。アマチュア無線業務にJAコールサインが、放送業務には(JOの他に、)JKシリーズの2桁数字コールサインなどが追加された。(Allcation Std 参照

ではなぜ放送業務にJKが選ばれたのだろうか。1948年1月時点で免許されていたJKコールサインとしては、戦前から日本海側の重要海岸局として活躍してきた新潟海岸局JKPと、福岡漁業局JKQの他に、放送局の短波中継を請け負っていた名崎送信所(JKA, 7285kHz/ JKF, 9655kHz/ JKF2, 4910kHz)、八俣送信所(JKB, 7257.5kHz/ JKD, 6015kHz/ JKE, 9605kHz/ JKE2, 4860kHz )、河内送信所(JKG, 9695kHz/ JKG2, 4930kHz)があり、JKには放送中継用コールサインとしての実績があったからだろう。今回追加されるのは数字二桁(20番台~)のJKコールサインで、これまで「JO+1数字+1文字」という実験局のコールサインを借用してきた日本放送協会BCJの中継無線局に割当てられることになった。

1948年(昭和23年)9月15日、民間通信局CCSは"Alteration of Call Sign Assigned to Japanese Radio Stations"(CCS/DR第160号)でこれを承認し、我国初の「呼出符号割当基準」が誕生した。そして1948年(昭和23年)11月15日、逓信省MOCは波全第949号通達で新コールサインへの移行手続きをとった。

1949年(昭和24年)1月1日、アトランティックシティ会議の諸規則の発効に合わせて、日本の全ての無線局のコールサインがJA-JRシリーズ内に収容された。JKシリーズはJKA-JKWを放送中継用に、JKX-JKZを私設無線(いわゆる私企業無線)用とした。

1949年1月1日にスタートした新JKコールサインを紹介する。まず日本放送協会BCJの中央放送局である東京JKH20/21/22/23, JKJ20/21/22)・大阪JKF20/21, JKM20/21/22/23)・名古屋JKD20/21/22/23, JKE20/21)・広島JKG20/21/22/23, JKN20,21)・熊本JKQ20/21/22/23, JKR20/21)・仙台JKS20/21/22/23, JKT20/21)・札幌JKU20/21/22/23, JKV20/21, JKW20,21)・松山JKO20/21/22)と、地方放送局の新潟JKA20/21)・金沢JKB20/21/22, JKC20/21)・福岡JKP20/21)に20番台コールサインが、また逓信省の八俣送信所(茨城県、BCJ第一放送中継局:JKH、進駐軍向けAFRS中継局:JKL, JKL2、名崎送信所(茨城県、BCJ第一放送中継局:JKI, JKI2、BCJ第二放送中継局:JKJ、進駐軍向けAFRS中継局:JKK 、河内送信所(大阪府、BCJ第二放送中継局:JKM, JKM2の50kw短波中継局には数字なし又は数字一桁コールサインが指定された。BCJ中継局の詳細は JO Callsigns を参照されたい。

  • コールサインの数字について

次にコールサインの数字について説明しておく。コールサインの組立てに使う数字(国際符字の直後の数字)はアマチュア局を除いて0と1が国際的に禁止されていたため、必然的に欠番が生じる。

すなわちJKXシリーズを例とすれば、数字なしのJKXの次は(0,1を飛ばして)JKX2になり、JKX9の次は(10番台を飛ばして)JKX20になり、JKX99の次は(100番台を飛ばして)JKX200だ。

アマチュア無線の経験者の方には、「国籍+数字+文字」という特殊なサンドイッチ構成が馴染み深く、JKXとJKX2のように数字なしと、数字ありが混在する事には違和感を覚えられるかもしれないが、JKX, JKX2-9, JKX20-99, JKX200-999 の方が一般的といえるだろう。

それと数字なし又は数字一桁(2-9)のコールサインは重要な役割をもつ主として固定局などにあてられ、数字二桁(20-99)や三桁(200-999)のコールサインとは区別されている。遭難通信等の際に、モールス信号にしろ、電話にしろ、より短いコールサインの方が聞き間違いが少なく、かつ手短かに通信できることによる。

たとえば逓信省の大電力(50kw)中継局には数字無し又は数字一桁のコ-ルサインが、日本放送協会BCJの小電力(50-300w)中継局には数字二桁コールというように使い分けられた。

  • 簡易無線局のコールサインの構成方法が決定

1950年(昭和25年)6月27日午前、第4回電波監理委員会会議にてSimple Radio Service(簡易無線業務)を含むRRC Regulations No.3-8(電波監理委員会規則第3-8号)が可決された。そして6月30日に告示・施行した。

私設無線にはJKX, JKY, JKZ が用意されていたが、この中からJKXを簡易無線業務に指定することになり左図のような構成に決まったようだ。なぜ関東信越エリアでは20番台から始まったかというと、前述した通り、数字なし(JKX)又は数字一桁(JKX2-9)のコールサインは重要固定局・基幹局に指定されるもので、一般申請者への指定は保留された。数字二桁コールは(10番台が欠番なので)JKX20が先頭コールサインだった。【参考】官報告示によれば、1954年(昭和29年)1月13日付けで、郵政省に簡易無線局 JKZ8, JKZ9 が免許された事例が見受けられる。

しかし簡易無線業務のコールサインの構成がいつ決まったかは解らなかった。もし1950年11月頃に旧規則の中で朝日新聞社にJKX20, JKX21が予備免許されたのなら、1950年中にJKXコールサインの構成が決まっただろうし、そうでないなら1951年早々に決まったのだろうとしか言えない。

ご注意頂きたいのは、この図の四国地方のJKX500番台は私の想像の域を出ておらず、今後の研究の成果を待ちたい。関東信越エリアのJKX20-99では首都圏なのにわずか80局分しかなく、1951年秋にはさっそく枯渇し、JKZ20番台による予備免許がはじまった(JKZが簡易無線局に分配された)

だが1951年末ごろに電波監理委員会RRCでなんらかの方針変更があり、(まだ1局も誕生していない)四国のJKX500番台を関東が使うことを決めたようだ。四国エリアの簡易無線局の第一号は1952年(昭和27年)1月12日付けで厚生省にJKX451-452(常置場所:香川県木田軍庵治村, 現在の高松市)が免許されている。この直前にJKX400番台を半分に割り、JKX400-449を中国に、JKX450-499を四国にしたと私は想像している。何故そう思うかというと、もし当初から中国・四国が400番台だったならば、九州が500番、東北が600番、北海道が700番なので、余っている800番を関東信越に追加すれば済むからだ。

ところで900番台が空いているじゃないかと思われるかもしれない。確かに1957年(昭和32年)になって郵政省から「呼出符号割当基準」が公開されて、JKX900-949は信越に、JKX950-999は北陸に割り当てられていることがはっきりしたが、それが(1950-51年)当初からなのか、後に(関東や東海から)分家したのかは正直なところ私には良く分からない。

ただ当時のSCAP登録番号の都道府県番号では、信越は関東に、北陸は東海に含まれているし、また実験局や1952年に再開されたアマチュア無線のDistrict Number でも、信越は関東に、北陸は東海に含まれることから、簡易無線の900番台コールサインが信越や北陸に分家したのは、日本の独立でGHQ/SCAPが去るや否や電波監理委員会RRCが廃止され、国(郵政省)が電波行政を再び掌握した1952年春以降ではないかという思いに至り、この図ではそうさせて頂いた。あくまでこれは私見による想像図であることにご注意願いたい。

  • 1957 ・・・初めて公開された簡易無線局のコールサインの割当基準

1957年に郵政省は周波数の割当原則の中で、「別表 第XI 呼出符号及び呼出名称の割当基準」(別表A)呼出符号割当と(別表B)簡易無線局呼出符号の地域別割当表を公開した。

これにははっきりと信越にJKX900-949, JKZ900-949が、北陸にJKX950-999, JKZ950-999が指定されている。

ちなみに北陸エリアで最初に簡易無線局を免許されたのは北陸電力で、1953年(昭和28年)3月4日にJKX957-958 が、同4月22日にJKX951-956 が本免許されており(信越はまだ0局)、少なくともこの時期には信越と北陸が、関東と東海より分家していたのは確かである。

ひとつの仮説に過ぎないが、1952年(昭和27年)12月に沖電気と国際電気の簡易無線のウォーキートーキーが相次いで検定合格した。今後の簡易無線局の大幅な増加が見込まれ、この時期に急遽分家させることが決まった可能性も考えられる。もちろん私の勝手な想像だが。