1957年(昭和32年)4月、FCCは460MHzのCRS(Citizens radio Service)Class Aを大幅縮小する提案を行ないました(Docket No.11959, 11991, No.11994)。この提案は11mアマチュアバンド(26.960-27.230MHz)を廃止して、ここにクラスA(460-470MHz)を引越しさせようとするもので、同時にラジコン業界からクラスC(27.255MHz)保護の要望もあることから、それもこの周波数帯で賄おうとするものでした。
また前年に周波数26.970-27.270MHzを入力200mW以下であればライセンスフリーで自由に使って良いとする提案がFCCよりなされたが、予想に反して反対意見が強かった。そこで入力100mW以下でアンテナ長5フィート以下のFCC認定機に限るという条件で、FCCライセンス不要で利用できる制度が誕生したのもこの年です。そして日本の郵政省もFCCに歩調を合わせ、13MHz, 27MHz, 40MHz帯のISMバンド内では免許不要でやや強めの電波が発射できる制度を作りました。
SUMMARY この年の出来事
Jan. 23 1957 - ラジコン専用波(ClassC)が要望される。
Apr. 3 1957 - FCCが460MHz帯のClass A CRS の一部を27MHzに移す提案。
May. 21, 1957 - 米国にならい郵政省もライセンスフリー無線を創設。
June 8-9 1957 - CQ Magazine主催の "Save 11m Contest" に日本からKA2EEとKA2NYが参加。
July 18 1957 - 米国 26.970-27.270MHzのライセンスフリー無線を入力100mW、アンテナ5フィート以下へ修正のうえ可決。
Aug. 3, 1957 - 日本 27.120±0.6%(26.957-27.282MHz)や13MHz, 40MHz帯のライセンスフリー無線をスタート。
Aug. 19 1957 - 米国 26.970-27.270MHzのライセンスフリー無線をスタート。これは「パート15のCB無線」と呼ばれる。
Jan. 23 1957 AMAがラジコン専用波の創設を要望
AMA(Academy of Model Aeronautics)はClass C CRS(27.255MHz)で他の無線局からの混信で模型飛行機が制御不能に陥る事故が頻繁に起きていることから、FCCへ以下の請願書を提出した。
1. 現在の27.23-27.28MHz Band の各無線局の周波数を再配置して、27.255MHzから18kHz離すこと。
2. Class C の周波数を460MHz帯に増やすこと。
3. ラジオコントロールを全てのISM帯で2次業務(共用波)として指定すること。
4. Class C の専用周波数を300MHz以上のUHF帯に新設すること。
当時のラジオコントロールはClass B(465MHz)とClass C(27.255MHz)の2波しかなく、電話との共用波だったからだ。
Apr. 03 1957 (Docket No. 11994) Proposed
Apr. 16 1957 (連邦官報告示 22FR2606)
FCCは1953年の暮れより、製造事業者団体から CRS(Citizens Radio Service)460-470MHzを電波利用の実態に見合った公平な再分配を行うように求められていた。もちろん460MHz Bandの利用率が極めて低い状態にあるのは事実で、FCCとしては再分配に応じる腹積もりはあったが、現行CRSを460MHz帯から移転させる周波数帯の選定に苦慮していた。
さらにAMA(Academy of Model Aeronautics)からは27.23-27.28MHzにおけるClass C 27.255MHzの保護が求められたが、27.23-27.28MHzは既に多くの無線局が使用していたため27.23-27.28MHzバンドの再編は困難で、27MHzのISM帯下部(26.96-27.23MHz、すなわち11mアマチュアバンド)をClass Cに2次業務として分配する検討が始まっていた。
1957年(昭和32年)4月3日、Class A の移転とClass Cの拡張に関するFCC提案(Docket No.11994)が決定し、4月16日に官報で告示された。これは現在27MHz ISMバンドの2次業務である11m Amateur Band(26.96-27.23MHz)を廃止し、ここへCRSのClass A を移すことと、ここにClass C の専用チャンネルをいくつか確保するものだった。
● 帯域指定から個別チャンネル指定へ方針変更
もうひとつ注目したいのはCRSはこれまで帯域免許で、チャンネルプランは運用者のルールに委ねるというのがFCCの基本方針だったが、今回27MHz帯にClass A(22 channels)とClass C(5 channels)の個別周波数を定めた点である。これはAMA からラジオコントロールの混信からの保護を求められているため、Class C と D をきっちり分離した個別周波数を明示することになった。
● 460MHz帯 CRS の縮小プラン
また460MHz帯の跡地利用に関してだが、既設のClass A 運用者のために、550MHz帯域(464.725-465.275MHz)が残された。 ここに50kHzセパレーションで11チャンネル(464.750から465.250MHzまで)を作ることとし、残りの帯域はDocket No.11959(Domestic Public Radio Serviceへ1MHz帯域を割譲)や、Docket No.11991(Industrial Radio Serviceへ分割)で指定変更することを提案した。
さて460MHz帯により多くのチャンネルを確保するためには、チャンネルセパレーションを狭く(50kHz)配置しなければならない。そのため周波数の最大許容偏差を従来の0.02%から0.001%へ厳格化した(入力3W以下の移動局は0.005%)。また同時に最大入力を50Wから60Wに引き上げ実用性を強化した。
● Class B(465MHz自励発振)をどうすべきか
しかし問題があった。Class Aの残留居留区として464.750-465.250MHzバンドに50kHzセパレーションで11チャンネル作っても、465MHzで運用するClass Bの周波数がふらふらと不安定ではClass A局が混信妨害を受けることになる。いやClass A の周波数の外側に新設する産業用無線局にまで影響を与えるだろう。
これまでClass B(465MHz)は自励発振型のWalkie-Talkieを想定していた。これはE.K.JettとAl Grossの二人が夢みたCRSそのものであったが、産業界やAMAからの強い要請で、FCCはClass Bの幕を引くことを決断した。そしてClass Bの周波数許容偏差を従来の自励発振の0.5%から水晶発振の0.005%に引き上げ、さらに最大入力10Wを3Wへ減力した。現行のClass B局(電話およびラジオコントロール)には一定期間の自励発振での継続使用を認めたうえで、早々に27MHz帯のClass A(電話)とClass C(ラジオコントロール)へ移行するように促された。
(Docket No.11994, Apr.1957, Proposed Frequency and Power)
(Docket No.11994, Apr.1957, Proposed Frequency Tolerance)
1. ワイアレス・レコード・プレアー(λ/2πの距離においてその電界強度が15μV/m以下のものに限る。)標準電界発生器、ヘテロダイン周波数計その他の小型発振器
2. 誘導式無線電信電話設備であって、別に公開する分配範囲の周波数帯に属する周波数を使用し、且つ当該設備から500m離れた線路からλ/2πの距離における電界強度が15μV/mをこえないもの
● 引越し先を27MHzへ(27MHzの分配プラン)
Class Bは自励発振方式が認められなくなるので、ラジオコントロールは今後11mが中心になる。 AMAからの混信排除の要求もあり、ISM装置(27.120MHz)からの混信妨害を最小にするために、27.120MHzを中心に上下50kHzセパレーションでチャンネルをアサインして、この領域に5波(26.995, 27.045, 27.095, 27.145, 27.195MHz)を選んだ。つまり27.095MHzと27.145MHzの中心に27.120MHzが来るように配置した。27.245MHzはAmateur Band の外なので(また27.255MHzが既にあるので)指定されなかった。ちなみに昔からあるClass C(27.255MHz) は個人呼出し(ポケットベルサービス)への拡張にも考慮して最大パワーを入力5Wから30Wへ引き上げた。そしてClass AにはClass Cの隙間を埋めるように10kHzセパレーションで26.965-27.255MHzの22chを分配することとした。
特に注意して欲しいのは、この当初案では27MHzの無線電話はClass Dではない。460MHzのClass Aが27MHz帯Amateur バンドの跡地へ引っ越してくる計画だった。とりあえず既存Class A 局に配慮して464.7-465.3MHz帯(464.725-465.275MHz の11channels)が残されたが、将来的には460MHz帯 Class A の自然消滅を狙っていたようだ。
1957年(昭和32年)頃の27MHzアマチュアバンドの実態
Class A が460MHz 帯から追い出される理由は「ほとんど使われていない」からで実に明快だ。そしてClass C の27.255MHzの1波が需要増で、下側の帯域(11mアマチュアバンド)へ向かって増波されるのは、27.255MHzがISM Band のほぼ上端側に位置することから、これも解りやすい。しかしClass A の移転先に27MHz を選んだ理由は明らかではない。このProposal ではFCCはその理由を何も語っていない。より安価な機器で普及を図るためというのは、1959年(昭和34年)になって27MHzの普及を見届けてからFCCが公式文書で言いだした「後出しジャンケン」のような言葉だ。
その答えは産業界が提言したFM放送 Band への移転よりも、11m Amateur Band へ移す方が障害が低かったということに尽きるのではないだろうか。すなわち11mのアマチュアのバンド利用率がかなり低かったのだろう。
CQ Magazineが主催する1957年度のCQ World-Wide DX Contestの実施要項がCQ Magazine誌 1957年8月号pp64-67に発表された(Phone:10/26-10/28、CW:11/30-12/2)。
左図はサマリーシートへの記入例だが各バンドの交信数が興味深い。ちょうどサイクル19の太陽黒点数の最盛期で、28MHzのようなハイバンドが交信局数/ゾーン数(カントリー数)のいずれでも最多なのはともかく、お隣りさんの27MHzは交信局数5/ゾーン数3(カントリー数3)とひどく落込んでいるのが分かる。あくまで記入サンプルだが、1957年(昭和32年)におけるバンド・アクティビティーの実態を反映していると想像される。
また上図はCQ Magazineが発行するWPX(Worked All Prefixes)アワードの1957年度ルールから抜粋したモノバンド規則だが、27MHzバンドが3.5MHバンド並みに基準が甘め(200プリフィックス交信)なことから、やはりその実態が伺い知れる。
アメリカではFCCが15m Band をノービス級(入門級)にも開放したことで、元ノービスバンドである11mの需要が急減してしまった。11mが最初にアマチュアに与えられた1946年(昭和21年)はサイクル18の太陽黒点ピークへ向かう上昇期だし、戦時制限が解除されたHF帯で最も低いアマチュアバンドとして注目を集めたこともあったが、15m Band(21MHz)の登場で今や11mは枯れた Amateur Band になっていた。
唯一、FMやRTTYという電波型式がハイバンドの中でも11mという"低め"の周波数ポジションで許されていたため、27.200MHzがRTTYチャンネルとして活用される程度だった。
それとFCCが1956年(昭和31年)11月に26.970-27.270MHzを(入力200mW以下のFCC認定機ならば)ライセンス・フリー・バンドとしたい旨、提案したにもかかわらず、意に反し反対意見が少なからずFCCに寄せられたことも影響したようだ。
FCCとしてはライセンスフリー(Part 15)で、ある程度の実用的な通信を11mで(アマチュアと共用で)認める方針を推し進める考えだったが、終段入力を5Wまで引き上げた(ライセンスが必要なPart 19の)Citizens Radio Service の範疇で27MHzの自由化を(アマチュアに御退場願った上で)本格的に目指すことを決断したと思われる。
May. 21 1957 FCCのPart 15(ライセンスフリー無線)を日本の郵政省も導入
平井太郎郵政大臣は5月21日付けで「電波法施行規則の一部を改正する省令」(郵政省令第8号)を公布施行した。連合国統治下時代に定めた電波法施行規則第6条は以下のようなものだった。
(1950年5月30日, 電波監理委員会規則第三号(電波法施行規則) 第6條 )
(1950年11月30日 全部改正, 電波監理委員会規則第十四号(電波法施行規則) 第6條 )
1. ワイアレス・レコード・プレアー(λ/2πの距離においてその電界強度が15μV/m以下のものに限る。)
2. 標準電界発生器、ヘテロダイン周波数計その他の小型発振器
大部分がアメリカ局でそれにカナダ局が続いたが、それ以外の参加局も紹介しておこう。
CQ Magazine 1957年9月号(p45)の参加局リストによると、メキシコ(XE1E)、プエルトリコ(KP4AAM, KP4AEB, KP4CA, KP4CAX, KP4QA, KP4ZD)、バージンアイランド(KV4BU)、ドミニカ共和国(HI7JMQ)、バーミューダ(VP9CV)、パナマ(HP1HJ, HP3FL)、カナルゾーン(KZ5GH, KZ5UC)、グアンタナモ・ベイ(KG4AI)、ホンジュラス(HR2MC)、ブラジル(PY1XZ)、エクアドル(HC1HJ)、ペルー(OA5G, OA5H, OA5M)、ウルグアイ(CX2AY)、ハワイ(KH6AFS, KH6BVU)、オーストラリア(VK2QL)、ニュージーランド(ZL1MT, ZL1WB, ZL4IB)、南アフリカ(ZS5VJ)が掲載されている。なぜか11mが許可されていないと考えられるモロッコ(CN8JW)のコールサインもあった。
いずれの局も、消えるかもしれないアメリカの11mハムバンドの防衛に協力した戦士たちで、このコンテストに参加した人達は、自らを「Save Eleven Member」と呼び合った。
● 日本からもKA局が27MHzアマチュアバンドにオンエアしていた!
さらにこの参加局リストには在日米軍(いわゆるKA局)のKA2EE, KA2NYのコールサインが見える。 つまり日本からもこの2局が1957年(昭和32年)に11mアマチュアバンドを防衛するためのコンテストに参加していたのである。私は日本で11mバンドがアマチュアバンドとして(こっそりも含め)運用された事実があるか否かに興味を持っていたので、この発見はとても嬉しかった。
Jul. 18 1957 (Docket No.9288) 可決成立
Jul. 25 1957 (連邦官報告示 22FR5895)
11m にライセンス不要で用途も自由な「真のCitizens Band」を作ろうという、昨年なされたFCC提案は意外なことに支持されなかった。そこでFCCはSec.15.205(Operation within the frequency band 26.97-27.27 Mc)のパラグラフ(c)で最大入力を100mWに半減させ、さらに追加したパラグラフ(d)でアンテナを長さ5フィート(152.4cm)を超えない単一型(single element)に制限することにした。基準距離点での電界強度の強さは定義されなかったものの、アンテナ条項パラグラフ(d)を守った認定機を作るには、アンテナが本体に直接付いた形状(ロッドアンテナなど)にするしかない。
すなわち見通しの良い場所まで同軸ケーブルで延長してアンテナを設置したり、高利得の八木ビームアンテナ等の使用は認められなくなった。このように免許不要で26.970-27.270MHzバンドをある程度の実用通信用に認めようとした制度は仕様が大きく後退し、1957年(昭和32年)8月19日より施行することになった。
27MHzでの市民用実用通信は、2年後に第19条(Part 19)のCitizens Radio Service の改正によるClass Dが担うことになる。
Aug. 03 1957 日本版 FCC Rule Part 15 「免許を要しない無線局」制度化
田中角栄郵政大臣は8月3日付けの郵政省告示第708号で、「電波法施行規則第六条第二号の規定により、免許を要しない無線局の用途並びに電波の型式及び周波数を次のように定める。」とした。
これを次のように改正した。
この改正のそもそものきっかけは、演劇場やキャバレーで使われ始めたワイヤレス・マイクと、おもちゃのラジコンバスだった。1955年に増田屋斎藤貿易がラジコンバス(Radicon Bus)を開発し、火花電波方式のラジオコントロール送信機が日本の富裕層の家庭で使われだした。
ラジコンバスには長波から短波までスペクトラムが広がった火花電波が用いられ、主としてアメリカへ輸出された。「ラジコン」は増田屋斎藤貿易の登録商標である。 郵政省ではラジコンバスを操作する幼児や子供に無線従事者資格を求めるのは社会通念上から国民の理解を得られないとして、ワイアレス・レコード・プレイヤーに限っていた上記第1号の用途限定を解除した。同時に測定基準距離を波長に係わらず100mに固定した。
上記第2号は1956年にFCCがPart 15 に強めの電波を出せる「ライセンスフリー制度」を作ろうとしていることに歩調を合わし新設したもので、具体的な用途や周波数の決定は先送りされた。しかしISM帯での共用という方針は既に決まっていたので、FCCのPart 15 改正審議の結果を見てから発表したかったのかもしれない。また「別途告示による」とした理由は、省令から分離することで、必要に応じて改正しやすくする狙いがあった。
上記第3号は測定用という言葉がついただけで改正前と同じである。
当時の電波管理審議会の松方三郎会長の回想記事を引用する。
『 あれはいつのことであったか、きわめて微弱な電波を出すものについての電波法第4条ただし書に関連する省令の改正の時であったと思うが、いったいどんなものがこの改正で救われるのかということが電波監理審議会の問題になった。問題になったといっては少々大げさだが、委員の諸先生は改正の目的を具体的に知りたいということなのだった。無理からぬことだが、事務当局の説明の中に、「たとえばラジコンバスなど」という言葉が出てきたので一同はいよいよ当惑したのだった。よくデパートのおもちゃを売っているところに出ているあれです。といわれても、日頃あまりそんな場所には縁のない顔ぶれだから一向に要領を得ない。おもちゃのバスを無線でコントロールするのだといわれても、どうもはっきりしない。すると実物を見せてくれるというので、大いに期待して待っていると、そこに現れたのが実物のおもちゃのラジコンバスだった。郵政省などというお役所にデパートで売っている子供のおもちゃが備えてあるとは誰も予想していなかったから、これはちょっとしたセンセーションだった。・・・(略)・・・
ところで、そのラジコンなるゆえんを実際に見ようということになると、なかなかことは簡単ではない。電波監理審議会の会議室には一方に大きなドーナツのような会議テーブルがおいてあって、そのほかの空間は大方は椅子でいっぱいなのである。だからわがラジコンバスを自由奔放に操縦しようということになると、そのテーブルからのけてかからなければならない。もちろんテーブルは一方によせられ、バスは部屋の真中を縦横に駆けめぐった。公聴会を開いて、正副2人の審理官が利害関係者の意見を徴した上でなければ触れない省令に関係ある事項だから、テーブルを動かすぐらいは当然のことだ。第一、ラジコンバスなどという近代玩具を前にしては、委員でなくてもそのラジコン振りを見たくなるのは当然のことだ。
もちろんその日その時郵政省の一室で、大先生方を前にしておもちゃのバスが辺りに人なきがごとく縦横に走り回ったことは、その場にいた人以外には知るわけがない。会議のあとの記者会見での発表の中に文書課長や監理局長がそんなことを披露したとも思わない。しかし、この光景は、場所が場所であり、立合う人が人であっただけに、ぼくには忘れることができないのである。
・・・(略)・・・ラジコンバスの類はその後大いにその市場を拡大し、東南アジア諸国はもとより、遠くアメリカやヨーロッパにまで行っているということだ。ぼくは自分の眼で見たわけではないが、外国のデパートで日本からきた「郵政第1号」の無線をみたという人に何人かあったから本当であろう。・・・(略)・・・ 』 (松方三郎, ラジコンバス, June 1958, 電波時報, pp14-15)
June 8-9, 1957 Save Eleven Contest を呼び掛け
CQ Magazine のエディターであるWayne Green氏W2NSDは、同誌1957年6月号(...de W2NSD, p10)でFCC Docket No.11994への反対意見を述べた。その上でCQ Magazineが6月8日から9日に掛けて「Save Eleven Contest」を主催するので参加して欲しいと、米国アマチュアだけでなく11m Band(26.96-27.23MHz)が許可されている世界中のアマチュアに呼び掛けたのである。
まず8月号でコンテストの様子が速報されたが、6月8日はあいにくのコンディションで振るわなかったが、翌9日は上々だったとある。CQ Magazineに送られた384局からのログが集計され、さらに9月号に最終結果が発表された。参加総数は1284局だった。11mアマチュアバンドは第二地域が中心にも関わらず、ベスト20の上位(5位)に第三地域からニュージーランドのZL1MQが食い込んだのは立派だ。
1. 当該無線局の無線設備から100mの距離において、その電界強度が15μV/m以下のもの
2. 当該無線局の無線設備から500mの距離において、その電界強度が200μV/m以下のものであって、郵政大臣が用途並びに電波の型式及び周波数を定めて告示するもの
3. 標準電界発生器、ヘテロダイン周波数計その他の測定用小型発振器
1 用途
模型飛行機、模型ボートその他これらに類するものの無線操縦用発振器又はラジオ・マイク(有線式マイクロホンのかわりに使用される無線電話用送信装置をいう。)であつて、壁で囲まれた建築物の内部において又は建築物から500メートル以上離れた場所において使用するもの
2 電波の型式及び周波数
A1、A2、A3、F1、F2 又は F3 13.560Kc (1)、27.120Kc (2) 又は40.68Mc (1)
注
1 (1)の周波数については、その発射の占有する周波数帯幅に含まれるエネルギーがそれぞれの周波数の(±)0.05パーセントの範囲をこえないものに限る。
2 (2)の周波数については、その発射の占有する周波数帯幅に含まれるエネルギーがその周波数の(±)0.6パーセントの範囲をこえないものに限る。
27.120MHz ±0.6% とはズバリISM バンドだ。さて500mで200μV/m以下との規定だが、27MHzでは1.5mロッドアンテナで出力50mW程度といわれており、結果的にはFCCが7月に修正したPart 15 の入力100mWの規定とほぼ同じものになった。ただしFCCは双方向通信のトランシーバーも念頭に置いていたが、日本のこの規定は当時の演劇場や大型キャバレーで用いられ始めたラジオ・マイク(現代の言葉でいうワイアレス・マイク)のハイパワー版が想定のひとつなので、単方向通信に限定された。これは1955年8月5日に阪急電鉄が経営する宝塚大劇場でアメリカから輸入した40.68MHzの装置、陸上移動局として免許を受けたのが始まりである。その後、全国各地でも許可されたが、このような用途のものにまで無線局免許と無線従事者資格が必要かとの声があり、これを免許不要とした。
のちにこの郵政省告示708号が拡大解釈され、無線雑誌には「無許可トランシーバー」の製作記事が散見されるようになるが、本来の改正意図は単向通信のワイアレス・マイクであって「壁で囲まれた建造物」とは演劇場やキャバレーだ。
もうひとつの用途が実験局で免許されていた模型飛行機などのラジオコントロール用である。「建築物から500m以上離れた場所」という規定がこの用途に用意されたものだ。
Aug. 19 1957 FCC Rule Part 15 「ライセンスフリー無線」を施行
26.970-27.270MHzが入力100mW以下でアンテナ長5フィート以下のFCC認定機に限るという条件で一般市民に開放された。FCCのライセンスは必要なく、どのような用途でも、(また周波数範囲を逸脱しなければ)どのような電波型式でも認められる、Part 15(ライセンスフリー) のCitizens Band の誕生である。とはいえ、アンテナ規制の追加で、実質的にはウォーキートーキー(いわゆる玩具トランシーバー)やラジコン送信機に限定されることになった。
Part 15(ライセンスフリー) のFCC認定機は1958年(昭和33年)初頭から出始めたようだが、真空管式のトランシーバーで評判は今ひとつだった。ヒーター点火用の低電圧の電池と、プレート用の高電圧の電池の2種類が必要で、これでは465MHzのWalkie Talkie と同じく使い勝手が悪かった。
ちょうどその頃、安価で小型な日本製トランジスターラジオが順調に対米輸出を伸ばしていたが、数年後ついに日米貿易摩擦を引き起こし、対日規制措置が発動された。そこで日本の輸出用トランジスターラジオメーカーは1960年(昭和35年)頃から"Part 15のトランジスタ製トランシーバー" に活路を見出したのである。Part 15(ライセンスフリー)のCBトランシーバーを本格的にアメリカ市場で成功させた影の立役者は輸出用トランジスターラジオを作っていた日本の小さな町工場企業だった。
Part 15 のトランジスタ製「市民用トランシーバー」の輸出は事業規模の小さな町工場企業により興された産業で、経営安定化のためにも国内市場の開放が望まれた。経済産業省の後押しもあって、1961年(昭和36年)に郵政省はPart 15(ライセンスフリーのCB)と、Part 19(CRSライセンスを要するCB)の中間に位置する送信電力の簡易無線制度を創設するのである。それが我国の27MHzの簡易無線だ。
小規模経営のPart 15(ライセンスフリー) CBトランシーバーメーカーは国内の市場開放を歓迎し、郵政省の検定試験を受けた。しかし前評判に反して国内市場は反応せず、さっぱり売れないばかりか、強力な販路を持つ大手メーカーが27MHzの簡易無線ビジネスに参入したため、検定には合格したが商品化を断念したり、あるいは第一ロットを商社に流して即生産中止に追い込まれた。結局、彼ら小規模メーカーはPart 15(ライセンスフリー) のCBトランシーバーの対米輸出に戻っていった。詳しくは1960年、1961年のページで紹介する。