日本の放送バンドの始まりから連合国による被占領時代までを紹介します。
我国では1923年(大正12年)に放送用私設無線電話規則(1923年12月20日逓信省令第98号, 即日施行)を制定し、その第五條第三項で長距離用として波長360-385m(779-833kc)を、短距離用として波長215-235m(1277-1395kc)を定めたのが始まりである。
1927年(昭和2年)には波長200-400m(750-1500kc)へ改正(1927年3月7日逓信省令第4号, 即日施行)されている。
1927年(昭和2年)10月4日から11月25日まで、米国ワシントンに世界80ヶ国の代表が集まり、第三回国際無線電信会議(ワシントン会議)が開催され、放送用周波数が世界統一が実現した。 放送を含む急速な無線通信の発展と、短波通信の有効性が見出されたため、各種無線局(含む放送局)を「定義」し、その使用周波数を世界的に取り決めたのである。
【参考】このほか長波に共用バンド(160-194kc、欧州は160-224kc)、短波に専用バンド(6.0-6.15, 9.5-9.6, 11.7-11.9, 15.1-15.35, 17.75-17.8, 21.45-21.55Mc)が承認された。
バンド区分550-1300kc帯(545-230m)を放送専用帯としたが、結局foot note 4 が付いて「放送に混信を与えない」という条件のもとに移動業務に使っても良いことになった。
さらにバンド区分1300-1500kc帯(230-200m)では1365kc(200m)波をMarine mobile service とし、長いアンテナが張れない小型船舶(漁船)にも配慮した割当てである(1365kcは特別に安価な火花電波の使用が許容された)。放送も1300-1500kc帯を共用できることになったが、優先権は1365kcの火花電波の船舶波の方にあった。以上の取り決めは1929年(昭和4年)1月1日に発効した。
1930年(昭和5年)1月1日、我国でもこれに準拠し『放送用施設無線電話規則』を改正(1929年12月5日逓信省令第55号, 1930年1月1日施行)して、550-1500kcを放送バンドにあてたが、実際には(後述するように)550-1100kc を放送に使った。
1932年に開催された第三回国際無線電信会議(マドリッド会議)でバンド区分は550-1500kcに一本化された。しかし再びfoot note 9 が付いて550-1300kcの周波数内では放送に混信を与えないという条件で移動業務の使用が認められた(特に日本の放送バンドの改正はなかった)。
またMarine Mobile用1365kcの表記が1364kcへ修正されたのと同時に、Marineの文字がとれてMobile Service用になり、使用電波型式がA電波(持続波)のA1, A2と、B電波(火花波)であると明記された。
ただしfoot note 10で1364kcのB電波(火花波)の使用時間帯に制限が付けられ、さらに北アメリカ地域ではB電波(火花波)は禁止され、A電波(持続波)のA1だけを使うこととなった。
第二次世界大戦の勃発で最後の周波数分配会議となった1938年(昭和13年)のカイロ会議では、低い周波数においては「欧州地域」と「その他の地域」でそれぞれ業務別に周波数が分配された。この分配表が戦後もしばらく使用された。
バンド区分550-1500kc帯は変更がなかった。 バンド区分1500-1600kc帯の中の1500-1560kcが「欧州地域」の放送業務(専用)に追加された。また「その他の地域」には1500-1600kcが固定業務や移動業務と共用で放送にも使えるようになったが、アメリカでは高音質放送など特別な用途限定したため一般的ではなかった。
日本では1500-1600kcへ放送帯の共用ベースでの拡張は行わず、むしろ1364kcの小型船舶の通信波を保護する意味や、家庭用受信機の性能が良くないため、高い周波数での放送は控えて1100kc以下を使っていた。
そのため(前述したとおり)逓信院BOCでは敗戦で連合国軍が進駐してくる前に、空いている1100-1500kcを地方の放送中継局へ分配し、既得権を得ておこうと考えた。
カイロ会議で採択された業務別周波数帯分配表の550-1500kc帯および1500-1600kc帯の抜粋を示す(下表)。
foot note 15で550-1300kcで移動業務への使用が継続された。
foot note 16で1364kcでのB電波(火花電波)の禁止が協議されたが、日本が反対し日本の小型船舶に限り、出力300W未満のB電波が認められた。
敗戦直後の1947年(昭和22年)のアトランティックシティ会議で中波放送バンドが535-1605kc(535-1560kcはfoot noteなしの完全な放送専用帯)に拡張されるまでは、中波ラジオ受信機でモールス信号が聞こえてくる事もあったようだ。
1945年(昭和20年)秋の逓信院BOCの資料をもとにGHQ/SCAPの民間通信局CCSがまとめた "放送局を除くコールサイン-周波数表" をご覧いただきたい。これには600kc(JQB)、905kc(JTS)、1364kc(JHX, JHZ, JKN, JIX, JKQ, JOE, JOF, JOG, JOH, JOJ, JOL, JOM, JON, JOO, JOP, JOQ, JOU, JOV, JOW, JOX, JOY, JOZ, JPV, JPW, JPZ, JZT, JZW, JZX)の「海岸局」が掲載されている。これら「海岸局」の通信の相手方となる「船舶局」は記載が省略されており中波放送バンドを使う無線局数はさらに多い(なおこの周波数表では放送局も除かれており570kcにJODGだけが代表で掲載さている)。
敗戦直後の1947年(昭和22年)のアトランティックシティ会議で中波放送バンドが535-1605kc(535-1560kcはfoot noteなしの完全な放送専用帯)に拡張されるまでは、中波ラジオ受信機でモールス信号が聞こえてくる事もあったようだ。