日本の中波放送バンドの始まりから、終戦直後の連合国による被占領時代までの変遷を紹介します。
我国では1923年(大正12年)12月20日、逓信省が省令『放送用私設無線電話規則』(1923年12月20日逓信省令第98号, 即日施行)を定めました。その第五條第三項において長距離用として波長360-385m(周波数779-833kHz)を、短距離用として波長215-235m(周波数1277-1395kHz)としたのが放送用バンドの始まりです。
第五條 放送無線電話ノ機器及其ノ装置ハ特ニ指定スル場合ヲ除クノ外左ノ各号ニ適合スルコトヲ要ス
(一、ニ 省略)
三 長距離用ハ三百六十乃至三百八十五「メートル」、短距離用ハ二百十五乃至二百三十五「メートル」ノ電波ヲ発射スルコト
(四、五、六、七、八 省略)
1923年(大正12年)の『放送用無線電話規則』第一条は、送信者(放送局)と受信者(ラジオ聴取者)の両方の許可に関する規則であるとしています。
第一條 時事音楽其ノ他ノ事項ヲ放送シ(←放送局)又ハ之ヲ聴取スル為施設スル(←聴取者)私設無線電話ハ本令ノ定ムル所ニ依ル
具体的には『放送用無線電話規則』第2條から第12條が「送信者に対する規則」、第13條から第18條が「受信者に関する規則」です。そして前述の「送信者用の第5條」と対を為す、「受信者用が第14條」になります。では14條をご覧ください。
第十四條 聴取無線電話ノ機器及其ノ装置ハ左ノ各号に適合スルコトヲ要ス 但シ特ニ逓信大臣ノ許可ヲ受ケタル場合ニ限リ第一号ニ依ラザルコトヲ得
(一、ニ 省略)
三 二百乃至二百五十「メートル」又ハ三百五十乃至四百「メートル」若ハ上記二種ノ電波長ニ限リ受信シ得ル装置ナルコト
(四、五、六 省略)
第14條第3項で受信可変範囲は波長200-250m(周波数1,200-1,500kHz)と波長350-400m(周波数750-857kHz)となっており、送信許可の範囲より少々広いです。なお赤色で示した波長300m(周波数1,000kHz)は国際条約で定められた海岸局と船舶局の通信波です。
放送波を発信するための免許(いわゆる放送局の免許)も、放送波を受信するための免許(受信許可)も、無線電信法第二条第六号によるものです。ただし送信が許可される周波数帯(上図:橙色)より受信が許可される周波数帯(上図:緑色)のほうが広くなっています。
1925年(大正14年)4月18日の『放送用私設無線電話』(大正14年 逓信省令第23号, 同年5月1日施行)の改正では、放送受信機の受信範囲(ダイアル可変範囲)だけが一方的に波長400m以下(周波数750kHz以上)でさえあれば良くなりました(上図:緑色)。
(放送用私設無線電話規則 第十四條)
一 四百「メートル」以下ノ電波長ニ限リ受信シ得ルコト
上下2つの受信バンド切替えスイッチ不要で連続受信が認められ受信機製造上や使用上の不便が解消されましたが、送信の方は今まで通り、波長360-385m(周波数779-833kHz)と波長215-235m(周波数1277-1395kHz)の2バンドのままです(上図:橙色)。
まだ国際無線電信会議で世界的な「放送バンド」が制定される前ですから、各国それぞれの国内法で定めるところになります。我国のように送信機の許可周波数範囲と、受信機の許可周波数範囲が異なる場合、どうすれば良いでしょうか。
そこで当サイトでは送信用の許可周波数範囲を「放送バンド」と呼ぶことにします。
さて逓信省が放送バンドを波長360-385m(周波数779-833kHz)と、波長215-235m(周波数1277-1395kHz)に分けた理由はなんだったのでしょうか?
逓信省通信局の稲田三之助工務課長が、1944年(昭和19年)になって、放送開始当時に放送バンドを2つに分けたの "理由" を明かされています。
【参考】東京放送局JOAKの落成検査を不合格として、「試験放送」という位置付けにさせたと、世間から非難されたり、また岩槻受信所建設現場に短波実験を命じたのが稲田工務課長です。逓信省の短波実験局J1AAは通信局工務課の中上係長、荒川技師、穴沢筆頭技手、河原技手らにより運用されました。
『大正十四年三月芝浦での(記念すべきラジオの)放送開始が、(自分たちの検査不合格判定で)試験放送で開始したことが放送関係当事者には不満の様であった。・・・(略)・・・検査になって、許可されない様な状況だと云う報告を(検査官の荒川技師から)受けて、一大事と中上君と一緒に芝浦に行った。検査官の報告の通りだった。放送が明日だと云うので試験放送ということで放送はやった。・・・(略)・・・
(放送の)初めの頃の受信機許可には一寸(ちょっと)弱った。其頃(そのころ)船舶は六〇〇米(500kHz)を用いて居ったが未だ小艦船等に三〇〇米(1,000kHz)もあったので、夫を(それを)保護する為に波長帯に中間に百米(100m)も保護波長帯を置いて聴取し得る波長は四百乃至三百五十米と二百五十米とした為に、受信機の機構は複雑となり、波長帯も狭小な為に可成(かなり)苦情を各所から受けた。』(稲田三之助, "創業前後に於ける回顧", 『ラジオ産業廿年史』, 1944, 無線合同新聞社事業部, p256)
1912年(明治45年)の第二回国際無線電信会議(ロンドン会議)では、中波帯の波長300m(1,000kHz)と600m(500kHz)は船舶局と海岸局間の通信波と決められました。しかし時代と共に主流は波長600m(500kHz)の方へ移り、1920年台に入ると波長300m(1,000kHz)波は長いアンテナが貼れない小型汽船を中心として使われていました。
稲田工務課長ら逓信省では、1912年ロンドン会議で決められた公衆通信用の波長300m(1,000kHz)を保護するための、その上下に波長50m(波長幅100m)のガードバンドを設けましたが、その結果、我国の中波放送バンドは1,000kHzを挟んだ上下2つに分けられてしまったのです。
1927年(昭和2年)3月7日、逓信省は『放送用私設無線電話規則』を大幅に改正しました(昭和2年逓信省令第4号, 同年4月1日施行)。送信機の周波数を規定する第五條第三項において、送信には波長200-400m(750-1500kc)が指定されることになり、これまで1,000kcを挟んで上下に分かれていた送信バンドを一本化したのです。
(放送用私設無線電話規則 第五條)
三 使用電波長ハ二百乃至四百「メートル」ノ範囲内ニ於テ逓信大臣ノ指定シタルモノナルコト
また受信範囲は波長170-430m(698-1,765kc)に改正されました。
(放送用私設無線電話規則 第十四條)
一 百七十乃至四百三十「メートル」ノ範囲内ノ電波長ニ限リ受信シ得ルコト
規則の上では波長300m(1,000kHz)の海岸局と船舶局を保護するガードバンドは撤廃されましたが、運用の実務上では波長300mおよびその近傍が放送局に割当てられることはありませんでした。
【参考】東京放送局JOAK:波長380m(周波数800kHz)、大阪放送局JOBK:波長385m(周波数779kHz)、名古屋放送局JOCK:波長360m(周波数833kHz)
1927年(昭和2年)10月4日から11月25日まで、米国ワシントンに世界80ヶ国の代表が集まり、第三回国際無線電信会議(ワシントン会議)が開催されました。1912年(大正年)第二回国際無線電信会議(ロンドン会議)では船舶局と海岸局間の通信、船舶方位測定用電波、海岸局が取扱う報時信号や気象電報のための会議だったが、今回のワシントン会議では(放送を含む)急速な無線通信の発展と、短波通信の有効性が見出されたため、(放送局を含む)各種業務無線局を「定義」し、各業務ごとに使用する周波数帯を世界的に取り決めました。
この会議において放送用周波数が世界統一が実現し、中波帯では550-1,300kcバンドと1,300-1,500kcバンドが条件付きで放送(仏語:Radiodiffusion)に認められました。
当初ワシントン会議ではバンド区分「550-1300kc帯(545-230m)」を「放送専用帯」にすることを目指していたが、「専用」に対する反対意見も少なからずあり、結局foot note 4 が付いて「放送に混信を与えない」という条件のもとに「移動業務 (Mobile Service)」に使っても良いことになりました。
さらにバンド区分「1300-1500kc帯(230-200m)」では、1365kc(200m)波を海上移動業務Marine mobile service とし、長いアンテナが張れない小型船舶(漁船)にも配慮した割当てです(1365kcは特別に安価な火花電波の使用が許容された)。放送も1300-1500kc帯を共用できることになったが、優先権は1365kcの火花電波の船舶局の方にありました。
【参考】このほか放送用として、長波帯に他業務との共用バンド(160-194kc、欧州は160-224kc)が、短波帯には6つの専用バンド(6.0-6.15, 9.5-9.6, 11.7-11.9, 15.1-15.35, 17.75-17.8, 21.45-21.55Mc)が承認された。
以上の取り決めは1929年(昭和4年)1月1日に発効しました。
1929年(昭和4年)12月5日、我国でも放送バンドをワシントン会議の規則に準拠させるため、『放送用施設無線電話規則』(昭和4年 逓信省令第55号, 1930年1月1日施行)を改正しました。日本の中波ラジオの送信範囲(第5条)と受信範囲(第14条)は統一され、世界標準の550-1500kHzになりました。
(放送用私設無線電話規則 第五條)
三 周波數(波長)ハ五百五十「キロサイクル」(五百四十五「メートル」)乃至一千五百「キロサイクル」(二百「メートル」)ノ 範囲内ニ於テ逓信大臣ノ指定シタルモノナルコト
(放送用私設無線電話規則 第十四條)
一 周波數(波長)五百五十「キロサイクル」(五百四十五「メートル」)乃至一千五百「キロサイクル」(二百「メートル」) ノ範囲内ノ電波長ニ限リ受信シ得ルコト
ワシントン会議で定めた中波ラジオバンドは既に1929年1月1日に発効していますが、日本は1年遅れの1930年1月1日に施行されました。
ただし実際には(後述するように)550-1100kHzだけを放送に使い、1100kHzを超える高い周波数を通常の放送に使うことは、太平洋戦争に敗戦した1945年(昭和20年)になってからです。
1932年に開催された第三回国際無線電信会議(マドリッド会議)でバンド区分は550-1500kcに一本化されましたた。しかし再びfoot note 9 が付いて550-1300kcの周波数内では放送に混信を与えないという条件で移動業務の使用が認められています(特に日本の放送バンドの改正はなかった)。
またMarine Mobile用1365kcの表記が1364kcへ修正されたのと同時に、Marineの文字がとれてMobile Service用になり、使用電波型式がA電波(持続波)のA1, A2と、B電波(火花波)であると明記されました。
ただしfoot note 10で1364kcのB電波(火花波)の使用時間帯に制限が付けられ、さらに北アメリカ地域ではB電波(火花波)は禁止され、A電波(持続波)のA1だけを使うことになっています。
第二次世界大戦の勃発で最後の周波数分配会議となった1938年(昭和13年)のカイロ会議では、低い周波数においては「欧州地域」と「その他の地域」でそれぞれ業務別に周波数が分配されました。この分配表が第二次世界大戦後もしばらく使用されています。
バンド区分550-1500kc帯は変更があえいません。 バンド区分1500-1600kc帯の中の1500-1560kcが「欧州地域」の放送業務(専用)に追加されました。また「その他の地域」には1500-1600kcが固定業務や移動業務と共用で放送にも使えるようになりましたが、アメリカでは高音質放送など特別な用途限定したため一般的ではありませんでした。
日本では1500-1600kcへ放送帯の共用ベースでの拡張は行わず、むしろ1364kcの小型船舶の通信波を保護する意味や、家庭用受信機の性能が良くないため、高い周波数での放送は控えて1100kc以下を使っていました。
カイロ会議で採択された業務別周波数帯分配表の550-1500kc帯および1500-1600kc帯の抜粋を示します(下表)。
foot note 15で550-1300kcで移動業務への使用が継続された。
foot note 16で1364kcでのB電波(火花電波)の禁止が協議されたが、日本が反対し日本の小型船舶に限り、出力300W未満のB電波が認められた。
1945年(昭和20年)秋の逓信院BOCの資料をもとにGHQ/SCAPの民間通信局CCSがまとめた "放送局を除くコールサイン-周波数表" をご覧ください。これには600kc(JQB)、905kc(JTS)、1364kc(JHX, JHZ, JKN, JIX, JKQ, JOE, JOF, JOG, JOH, JOJ, JOL, JOM, JON, JOO, JOP, JOQ, JOU, JOV, JOW, JOX, JOY, JOZ, JPV, JPW, JPZ, JZT, JZW, JZX)の「海岸局」が掲載されています。
これら「海岸局」の通信の相手方となる「船舶局」は記載が省略されているので、中波放送バンドを使う船舶無線局数はさらに多いと考えられます(なおこの周波数表では放送局も除かれており570kcにJODGだけが代表で掲載さている)。
敗戦直後の1947年(昭和22年)のアトランティック・シティ会議で中波放送バンドが535-1605kcに拡張されました。そして同時に535-1560kcは「foot noteなし」の完全な放送専用帯となりました。
1949年(昭和24年)1月1日、アトランティック・シティ会議の規則が発効してからは、中波ラジオ受信機で漁船のモールス信号が聞こえてくる事は無くなったようです。ここに中波ラジオ「専用帯」が完成しました。