Nov 45 AFRS


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1945年11月4日、GHQ/SCAP(連合国最高司令官総司令部)の民間通信局CCSはBCJ放送局の承認リストを発表しました。そしてまた、同リストにはGHQ/US AFPAC(米太平洋陸軍総司令部)の情報教育局I&Eに属するAFRS放送局が含まれていました。中波放送バンドは、BCJとの混信問題があり、I&Eの思うがままに周波数を使うわけにもいかず、結局はBCJの周波数を管理するCCSによるAFRSの周波数選定も任せるしかないからです。この時期には門司・福岡・八戸・大村・青森への(AFRS独自施設による)中継局の置局計画が承認されました。

  • Nov. 3, 1945 ・・・ 【参考】 JODK(ソウル)の現況

1945年11月3日付けで、南朝鮮に進駐した第24軍団のSignal Officerより、GHQ/US AFPACの通信長に宛てた、進駐軍によるJODKの統制現況 の報告で、JODKが保有する送信施設にも触れているので、参考までに紹介しておく。

『・・・For your information station JODK operates three transmitters in seoul, a 50 watt transmits on 710 kilocycles, a one KW transmitter on 970 kilocycles, and a three KW transmitter on 2510 kilocycles which feeds nine outlying stations for rebroadcasts. 』

この報告によるとJODKでは750kHz(50w)、970kHz(1kW)と南朝鮮エリア内の9局へ番組配信するための2510kHz(3kW)の3つの送信機を保有していたようだ。理由は分からないがAFRSは当初計画どおりJODKの第二放送を接収しなかった。JODKの第二放送だった970kHzで朝鮮語放送が先に始まったため、残った750kHzの50w施設には魅力がなかったのだろうか?とにかく計画変更され、AFRSは独自施設でWVTR(東京)からの中継局WVTP(ソウル)を立ちあげた。

このほかWVTPに関しては次の記載が見られる。9月9日に一旦WVTPを運用してみたが、何か理由があってか中止したとようだ。

『九月九日米軍が放送局を接取した時放送を中止させた。職員を帰らせ、自分たちが持ってきたシックステンという米軍の移動無線放送機(三百ワットでコールサインはWVTP)で電波を発射した・だから中断はその時だけでほとんどなく、その後職員も復帰した。』 (津川泉, JODK消えたコールサイン, 1993, 白水社, p23)

  • List of Japanese Domestic Broadcast Stations (Nov. 4, 1945、CCS)

1945年11月4日付けで、BCJなど日本人の無線局を管理する民間通信局CCSが、US AFPACが管轄するAFRSも含めた形で、放送局の承認リストを作成した。終戦直後のこの時点で、CCSから運用承認されたことを示す貴重な資料で歴史的価値は高い。 というのも9月2日と3日に無線局の現状固定命令が出され、無線局の新設・変更・廃止にはCCSの承認が必要になったが、既設の無線局(放送局)については従来よりの逓信院BOCの免許のままだった。既設の全無線局にSCAP(マッカーサー元帥)登録番号を付与し、GHQ/SCAPから一斉承認された形式をとったのは1946年8月29日であり、それに先行してBCJの放送局だけは1945年11月4日に承認されていたのだ。

承認リストは左図のGHQ/SCAPのドキュメント"Japanese Domestic Broadcast Station", AG 000.77(19 Nov 45)CCS の添付資料として、Comanding General, Eighth Army(第八軍司令官)およびComanding General Sixth Army(第六軍司令官)などに、BCJの置局とその周波数、そして現在のAFRS建設の進捗状況を報告するために製作されたものだ。このリストのコールサイン欄に、はじめてWコールサインが入った。(10月26日付けリストではBCJのコールサインだった。)

ネットワーク名は日本語放送用をNo.1(第一ネットワーク)とNo.2(第二ネットワーク)、AFRS用をAFRSネットワークとした。のちにBCJではAFRSをNo.3(第三ネットワーク)と呼ぶようになるが、それは1946年になってからである。

この承認リストは前述の10月26日付けでUS AFPACのMajor Kendall に報告したデータ(10月22日時点)が基になっているが、今回新たに京都(Callsignなし, 1380kc, 0.4kW)が追加された。京都は西日本占領を担当した第六軍の司令部が置かれた重要拠点である。9月21日に先遣隊が京都に到着、9月25日から接収が始まり、9月27日には大建ビルを第六軍総司令部とした。元々US AFPAC, P&Oは京都にAFRSを置くことなど考えてなかったが、第六軍総司令部の強い意向で京都へのAFRS置局が承認され、とりあえず自前送信機による400W施設での開局が計画された。

また前回は青森で建設中とされたAFRSが八戸(WVTH, 720kc, 0.25kW)へ移り、青森には別の周波数1440kcでAFRS局がリストされた。ただし送信出力が空欄なので、青森1440kcの建設承認が下りたものの、具体的にはまだ何も決まっていないのではないだろうか。

◆呉・広島地区のAFRS

さらに10月22日のリストにある広島JOFK [WLKH] (3kW)が、今回は呉(WLKH, 1440kc, 0.4kW)の自前施設のものに変わっている。被爆で壊滅状態にあったBCJ広島の第二放送施設の利用を断念して、第25歩兵師団が呉で自前施設で行うことにしたのかも知れない。WLKH(1440kc)には「US Equipment(米国製装置)」と記されており、少なくとも送信機はBCJ広島から役務提供を受けたものでないのは確かだ。

10月22日のリストでも、11月4日の承認リストでも、BCJ広島の第二放送(1230kc)はBCJプログラムで出力0.5kWである(BCJの1440kcの3kW送信機はどうなったか不明)。

以上を総合的に判断すると(BCJ広島がAFRSへの役務提供期間は10月15日から11月13日だが)、AFRS建設に協力はしたものの、試験電波の発射にとどまったか、あるいは実放送までこぎ着けたかも知れないが、少なくとも11月3日以前に打切られ、11月4日の承認リストから除外されたと想像される。

◆呉への進駐軍について

1945年10月6日、第10軍団(X Corps)隷下の第41歩兵師団(41st Infantry Division)が呉に上陸を開始した。そして10月8日には第10軍団の司令部を呉に置き、中国地方(除く山口県)と四国地方の占領を担当した。

第10軍団の上位部隊は第6軍(Sixth Army, 京都司令部, 西日本担当)で、9月26日に大阪に司令部を置いた近畿地方担当の第1軍団(I Corps)や、九州地区担当の第5上陸戦軍団(V Amphibious Corps)とともに西日本の最重要部隊だ。

【参考】当時はBCJの第一放送と第二放送は同じコールサイン。また演奏所(スタジオ)を持たない中継局にはコールサインがなかった。

最後のページには戦災で機能不全に陥っていた有線中継回線を補うための短波帯中継波と、一番下の2波はGHQ/SCAPから特別に許された大陸方面に残留する邦人向けの国際放送(JLT, JLG3)である。詳しくはJO Callsignsのページも参照されたい。

AFRSプログラムの配信は東京の多摩隠蔽式送信所(JLG4, 7552.5kHz )と、茨城県の名崎送信所(JLP, 9605kHz)から無指向性で送信された。

日本では1945年9月18日の閣議決定まで国民の短波の受信が禁じられていたし、なにより一般家庭には短波を受信できるラジオセットがなく、短波はあくまで中継波だったが、AFRSの場合はやや事情が違った。表向きは中継波だが、実際にはAFRSの短波放送としての側面も持っていた。連合国軍の進駐が日本全国へ拡大しようとする中、彼らの進駐拠点の全てにAFRSを置局するのは現実的ではないからだ。

それでは1945年11月4日現在における承認(Authorized)されている進駐軍放送AFRSをコールサイン順に抜き出しておく。

注意して欲しいのは、11月4日にAuthorizedされたからといって、11月4日の時点で電波が出ていたかは、また別の話である。松山、敦賀、岡山の三局と新潟(WLKB)までは開局済みであることが10月22日のリストで確認できるが、門司(WLKG)・福岡(WLKI)・八戸(WVTH)・大村(WVTO)・京都(none)・青森(none)の青字で示した6局については承認は得たが、建設途上で、一部未着手のものを含んでいる。実際、次ページで紹介する12月1日付けのBCJ作成の放送局リストでは、八戸(WVTH)・大村(WVTO)は開局しているが、門司(WLKG)・福岡(WLKI)・京都(none)・青森(none)はまだ開局していない。また10月22日のリストにはあったBCJ広島(WLKH)の3kWは抹消されている。

同様にこの承認リストにあるBCJの敦賀(670kHz, 500W)・尾鷲(1150kHz, 50W)・中村(121okHz, 50W)・水戸(1240kHz, 50W)・延岡(1270kHz, 50W)・佐世保(1350kHz, 50W)・舞鶴(1380kHz, 50W)の7局は、12月1日付けのBCJ放送局リストでは建設中である。

【参考】10月22日のリストにあった1290kHzの萩中継局は、このリストでは門司として承認されている。門司にAFRSを開設することになり、門司地区の日本人のラジオ受信機がブロックされないように、BCJ萩中継局を門司へ移すことが考えられたようだ。来年にある総選挙の選挙放送に対処するという大義名分もあって、あらたにBCJの中継局を門司に建設することになり、萩中継局はそのまま残された。

  • JOAKの50kW化のプライオリティについて

10月22日にJOAK第一放送(870kHz)が50kW化されたが、当然JOAKのAFRS放送についても50kW化はBOC/BCJ組とI&E/CIE組の間で協議されたに違いない。どのような取り決めがあったかはわからないが、とにかく第一放送が先行したのは事実だ。10月22日のリストでは、870kHzの第一放送が50kW、590kHzのAFRS放送が10kWとである。これは実態リストだろう。

一方この11月4日のリストではAFRS放送(590kHz)が50kWとして掲載されている。こちらは承認リストである。つまり590kHzのAFRSは50kWの承認を得られているのに、50kW化ができていない。

このような状況下でI&Eが民間通信局CCSのやり取りの一部のレターが残されているので紹介する。11月2日付けでI&EがCCSへ「横浜などの進駐エリアにおける受信状態を改善するために、AFRSを50kWに増力したいが、日本人技術者は高出力送信管がないといっている。至急UV-169型送信管を手配して欲しい。」と連絡している。11月4日の民間通信局CCSからの回答は「3本のUV-169送信管をBCJへ送ってあるし、追加の2本も近日中に発送するが、I&EとしてはそもそもJOAKの3つのネットワーク、1) No.1 National Japanese Network, 2) AFRS Net Work, 3) the Second Supplementary Japanese Network のメンテナンスのプライオリティをどう考えているか教えて欲しい。」というものだった。短いやり取りなので詳しいことは分からないが、どうもまだBCJ、I&E、CCS の三者間の調整がうまくいってないような感じだ。WVTRの50kW化は11月12日に行われた。

  • Nov. 18, 1945 ・・・ WLKB(新潟)の本放送開始

各AFRSの開局日が資料により異なる原因のひとつと考えられるのが、放送開始の定義の違いかもしれない。移動放送設備を使ったAFRS放送は送信アンテナさえ準備できれば、アナウンサー隊員により部隊情報のニュースと手持ちのレコードによる慰安音楽を提供することはそんなに困難ではなかったと思われる。

しかし一方でAFRSはRadio Tokyo, JOAK [WVTR] を核とする放送中継網に接続されてこそAFRS(本放送)だとする見方もあったようだ。毎週本国からWVTRへ空輸されてくる娯楽番組の録音盤や、本国からのAFRS短波放送を埼玉県の小室受信所で受け、それをAFRS中継網(有線)で東京の放送会館(WVTR)へ送っていた。そして東京のWVTRの放送はBCJのAFRSネットワーク(有線網)および7552.5kc, 9605kc の短波で日本各地へ送信された。この本流に接続することが「本放送」だったかもしれない。

1945年9月下旬より第14軍団隷下の第27歩兵師団(27th Infantry Division)は担当占領地の神奈川県をアメリカル師団へ引き継ぎ、新潟県と福島県を占領した。第27歩兵師団の司令部は新潟県に置かれ、10月中には新潟で移動放送設備(400W)によるスタンド・アローン放送が始まったようで、それが前述の10月22日のリストや、11月4日の承認リストにあるWLKB(1430kc, 400W)だと思われる。

1945年11月18日付け、第27歩兵師団司令官(C.G., 27th Inf. Div.)から太平洋軍総司令官(CINC AFPAC)へ宛てた電文(131430I)によると、11月15日06時30分より特別放送を始め、短波中継でAFRS網に接続され、短時間の本放送を11月18日に開始すると報告した。JOQK新潟放送局の近藤氏によりBCJの中継線へ接続される予定である。

『WLKB begins operation 0630 15 Nov turning station over to Special Service, 27th Div 18 Nov. Plan to return to Tokyo 20 Nov. will operate as short wave relay till land line installed. Mr. Kondo of JOQK will install. Starting 18 Nov., 27th Div will operate on short schedule due to limited personnel. Request all personnel mail be held for us. 』

1945年12月1日に第27歩兵師団は、新潟県・福島県の占領を第11軍団(XI Corps)隷下の第97歩兵師団(97th Infantry Division)へ引き継ぎ、12月31日に動員解除された。さらに1946年2月28日、両県は第9軍団(IX Corps)隷下の第一騎兵師団(1st Cavalry Division)が占領を引き継いだ。

  • Nov. 20, 1945 ・・・ GHQ/SCAP 民間通信局CCSが日本人の無線局を掌握

1945年11月20日、対日指令SCAPIN第321号"Control of Radio Communicatins"AG676.3(20 Nov 45)CCSにて今後は日本の無線局(含む放送局)の新設・変更・廃止は全て民間通信局CCSへ願い出て、その都度承認を得なければならないことが正式に発令された。

この日より電波行政権が逓信院BOCからCCSへ名実共に移行した。日本放送協会BCJも今後は電波に関する事柄(周波数・出力・呼出符号・電波の質)などはすべてCCSの意向次第ということになった(放送番組に関する事項はCIEが担当)。

    • AFRS対応で開局したBCJ中継局

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