JA0IJ 硫黄島

2015.08.20新設ページ

逓信省が作った新しいコールサインの割当基準(Call Sign Allocation Standard, 1948.9.15, CCS承認)によって、日本のアマチュア局は1949年(昭和24年)1月1日よりJA2~JA9を使用することになりました(但し第八軍とその作戦指揮下に入った英連邦軍BCOFの軍人および、米国からAFRSやGHQ/SCAPへ派遣されてきた民間人に限定)。

「JA」はアトランティックシティ会議で日本エリアに割当てられた国際呼出符字ですが、それがアメリカ合衆国エリアに属する硫黄島(Iwo Jima)のアマチュア局にも指定されるという極めて異常な事態が、2年間ほど存在します。このミステリアスな硫黄島のJAコールサイン(アマチュア無線)の話題をとりあげてみます。

  • 立川のFEAMCOMが硫黄島分室「中央航空基地」を設置

連合国軍による日本進駐がはじまると、米本国から膨大な物資が調達されるようになった。その資材補給の大動脈を担うために接収されたのが東京の陸軍立川飛行場で、ここを整備して日本航空資材区JAMA(Japan Air Materiel Area)を置いた。

極東軍FECの各地域におけるアマチュア無線の許認可権限を明確化

極東軍総司令部GHQ/FECは1947年(昭和22年)4月4日にいち早く、硫黄島と日本の旧委任統治領だった南洋群島に対して、KG6IA-IZ(硫黄島)、KG6SA-SZ(サイパン島)、KG6TA-TZ(テニアン島)のプリフィックスを割当てていた。1947年4月2日の国連安保理で日本の旧委任統治領だった南洋群島(カロリン諸島、マーシャル諸島、グアムを除くマリアナ諸島)の信託統治協定が採択され、同年7月17日より米国を唯一の施政権者とする太平洋信託統治領(Trust Territory of the Pacific Islands)となった。しかしイオージマを含む小笠原エリアはこの旧委任統治領ではないため、米国が獲得した国連信託統治領には含まれない。講和条約が結ばれるまではイオージマ等は米国占領地という位置付けになるはずだが、コールサイン発給に関してはサイパン島やテニアン島と同列に「Kコールサイン」とした。

(Separate Paper No.2, "呼出符号指定基準", 逓信省, 1948.9)

1946年(昭和21年)8月29日より、逓信省では戦後の新しいDistrict Number(下図)を使ってきたが、今回の改訂ではこれまでどおり数字の0と1を使用せず、関東信越を2番にしたため、全国の番号が玉突き状態でひとつズレた(下図)。そしてアトランティックシティ会議の条約・規則が発効する1949年1月1日より実施したのである。ただし悲しいかなその対象となったのは、(未だ日本人のアマチュア局は認可されておらず)連合国の軍人および専門職として各機関(GHQ/SCAPやAFRS)へ派遣されている民間人スタッフのアマチュア局だけだった。

1948年(昭和23年)6月の時点でイオージマ(Iwo jima:硫黄島)には呼出符号API(陸軍系)、API5(空軍系)、NRT(沿岸警備隊)、WVTX(AFRS放送)の各無線局があった。イオージマの駐留部隊が縮小方向となる中で、資材補給中継点としての役割は益々高まっていた。左図は1948年12月における米本国からの輸送資材18万4,400トンの地域別分配比率を示している(第八軍:52.3%、マルボ:22.3%、ライカム:9.4%、フィルカム:8.7%、USAFK:7.3%)。 太平洋戦争末期に壮絶な地上戦 "硫黄島の戦い" の末、この島を手に入れたアメリカは、日本本土空爆の発進地や事故機の不時着場として利用したが、終戦後もハワイ、ウェーク島を経由する日本への資材調達で、燃料補給や天候不良時の緊急退避先として大いに活用していた。

【参考】 2014年11月9日、関空発グアム行きデルタ航空DL294便がエンジン・トラブルで硫黄島に緊急着陸する事件があったが、航空機にとってこの島の存在は今も大きい。

1949年(昭和24年)7月1日、立川のJAMAは(周辺エリアの施設を含めて)、極東空軍FEAF(Far East Air Forces)隷下の極東空軍補給司令部フィンカム(FEAMCOM:Far East Air Materiel Command)として再スタートを切った(注: Materialではなく Materiel )。

同年10月18日に極東空軍FEAFは、GO 80(General Orders No.80)を発令し、立川司令部フィンカムの"分室"としてイオージマの基地を中央空軍基地(Central Air Force Base)と命名し、翌19日より立川フィンカムの支援活動を開始した。呼出符号はAPI3(中央空軍基地/硫黄島)だった。

【参考】 FEAMCOM関連の呼出符号: APD3(三沢/青森)、APF3(芦屋/福岡)、APL3(名古屋/愛知)、APO3(嘉手納/沖縄)、APQ3(Clark/Philippines)、APT3(立川/東京)、APV3(Harmon/Guam)、APW3(入間川/埼玉)、APX3(横田/東京)、APY3(白井/千葉)、APZ3(伊丹/大阪)

左の地図を御覧いただけば、イオージマがウェーク島から琉球軍ライカム(RYCOM:Ryukyu Command)沖縄への空輸路(東西線)においても、また立川-グアム間の南北線においても、中央に位置するのが一目瞭然だろう(だから"中央"空軍基地と命名された)。そしてイオージマは中継給油所として立川司令部フィンカムの最重要基地となったのである。

連合国最高司令官マッカーサー元帥の総司令部GHQ/SCAPが占領したのは左図オレンジ色で示すエリアで、担当したのは極東軍FECの第八軍8th Army(日本)、USAFK(朝鮮)、RYCOM(琉球)だった。そして極東空軍FEAFの立川FEAMCOMは、第八軍の作戦指揮下にあった。

しかしイオージマは左図ピンク色で示した、アメリカ合衆国の直轄占領地内にあり、占領部隊は極東軍FECのマリアナ・小笠原軍マルボ(MARBO:Marianas-Bonins Command)だった。つまり連合国の日本占領部隊(第八軍)が、米国エリア(MARBO)内に飛び地の航空基地を作ったのである。

こんな措置ができたのは、米国からの調達資材の7割を消費していた連合国側の第八軍(Eighth Army)、琉球軍(RYCOM)、朝鮮米軍(USAFIK)にとって、イオージマが物資補給路の要所だったことと、なによりもマッカーサー元帥がGHQ/SCAP総司令官であると同時に、GHQ/FECの総司令官でもあったからだろう。

【参考1】 極東軍のGHQ/FECは、連合国軍のGHQ/SCAPの下部組織として組み込まれていたが、日本人にとっては両者区別なく "ジー・エッチ・キュー" である。

【参考2】 この地域の軍政権は米海軍にあり、小笠原・火山列島軍政府(Bonins-Volcanos Military Government)長官にはホノルル(ハワイ)の太平洋艦隊司令官が就任した。

  • 日本のアマチュアのDistrict Number(2-9)を再配置

1947年(昭和22年)のアトランティックシティ会議で日本に分配された国際符字列がJA-JS(JSは琉球用なので日本の使用は不可)に減じられたため、呼出符号の再編成が必要になった。逓信省は民間通信局CCSの指導を盛り込みながら、呼出符号指定基準"Call Sign Allocation Standard"を完成させた。

1948年9月2日、逓信省は"Application for Alteration Plan of Call Signs Assigned to Japanese Radio Stations" (1948年9月2日, 逓信省LS第410号)でそれを申請し、同年9月15日に"Alteration of Call Sign Assigned to Japanese Radio Stations" (1948年9月15日, CCS/DR第160号)でCCSに承認された。逓信省が作成したアマチュア局の呼出符号の指定基準がいかなるものかをもう一度見てみよう。

◆アマチュア局

D. Call signs assigned to amateur stations will be formed as follows:

JA and a single digit followed by a group of not more than three letters.

The above digit agrees with the district number (2-9) given to 8 districts which divided Japan as shown on Separate Paper No. 2 so as to identify the locations of amateur stations.

D. アマチュア局のコールサインは次の通りとする

JA+数字1桁+3文字以下

上記の数字はアマチュア局の場所により付図2で示される、日本を2番から9番の、8地域に分けたディストリクト・ナンバーに従う」

逓信省が制定したSeparate Paper No.2 (THE DISTRICT CHART FOR AMATEUR RADIO STATIONS JAPAN)には新District Numberだけでなく、新たな都道府県番号が振りなおされている。また代表的な島が各都道府県の直下に明記された。たとえばDistrict 2エリアの8 Tokyo-toには "Includes Oshima, Hachijo Island, etc"と伊豆諸島が記録された。

1946年(昭和21年)6月よりアメリカ陸海空の三軍からなるJoint Communications-Electronics Committeeが組織され、三軍合同通信仕様を策定して来たが、少なくとも1948年(昭和23年)6月7日のJANAP121改訂10版の"Joint Communication Instructions, Part1 - General"のコールサインの規定では、"以下の地域のアマチュア局はFCCの監理外として米陸軍が該当地区の呼出符号を確保しており、その申請は現地司令部からエリア司令部を通じて行う。"と決められている(左図)。【参考】 琉球は(表向きには「琉球国」の独立を促す)連合国占領地だが、実質的には米国の琉球軍ライカムの単独進駐だったため米国人向けにKコールの使用が予定されていた。 なお私は「JANAP121の改訂9版以前」を未調査なので、キャロラインKC6。琉球KR6, マーシャルKX6がいつ規定されたかは知らないが、1947年夏から48年春に掛けての時期と想像する。

『The following call signs have been reserved for assignment by the appropriate military commands to amateur radio stations located in areas under control of the U.S. Armed Forces and outside the jurisdiction of the Federal Communications Commission. Application by official correspondence is made through local commanders to area commanders:

KZ5AA through KZ5WZ ------ Canal Zone.

KG6IA through KG6IZ ------ Iwo Jima.

KG6SA through KG6SZ ------ Saipan.

KG6TA through KG6TZ ------ Tinian.

KC6AA through KC6ZZ ------ Caroline Islands.

KR6AA through KR6ZZ ------ Ryukyu Islands.

KX6AA through KX6ZZ ------ Marshall Islands. 』 (Change 10, JANAP 121, The Joint Chiefs of staff, June 7, 1948)

1949年(昭和24年)1月1日の呼出符号の再編成を前にして、極東軍FECは各作戦地域におけるアマチュア無線に関する統一基準を制定することにした。 1948年(昭和23年)11月26日、極東軍総司令部GHQ/FECは"Amateur Radio Operation"(通達第49号)を発令した。対象となるのは極東軍FEC隷下の第八軍Eighth Army、朝鮮米軍USAFIK、フィリピン米軍PHILCOM、マリアナ-小笠原軍MAROBO、琉球軍RYCOM、極東空軍FEAF、極東海軍US Naval Force, Far Eastだった。

これにより各地域(日本、朝鮮、フィリピン、マリアナ-小笠原、琉球)ごとにアマチュア無線局の許認可権と、周波数・呼出符号を指定する権限者を明文化したのである。日本は第八軍司令官が、朝鮮は朝鮮米軍司令官が、琉球ではライカム(RYCOM:Ryukyus Command)司令官が免許権限を持ち、これらの地域では極東軍総司令部GHQ/FECがコールサインを発給する。独立が承認されたフィリピンではフィルカム(PHILCOM:Philippines Command)司令官が米軍関係者の免許権を持つが、コールサインの指定は新生フィリピン政府に委ねた。

そしてマリアナ-小笠原地域はマルボ(MARBO:Marianas-Bonins Command)司令官が免許権限を持つが、コールサインは米国本土の連邦通信委員会FCCが指定する。ここはアメリカ合衆国に順ずる扱いだった(下表)。ところでライカム地域(沖縄・奄美)のコールサインKR6の発給権はGHQ/FECで、マルボ地域(マリアナ・小笠原)のコールサインKG6の発給権はFCCというように、同じKコールでも発給権限者が別れた理由について私は次のように想像している。グアム島は戦前からアメリカ領で、1947年(昭和22年)にマリアナ諸島も米国信託統治領となり、マルボ地域の半分はすでにアメリカ化が完了しており、残るイオージマや小笠原も含めてマルボ地域のコールサイン発給権はFCCに委ねてもよかろうと判断したのではないだろうか。

JANAP121の告示では硫黄島を除く小笠原諸島や南鳥島などのプリフィックスは未制定だったが、今後もしそれらの島で申請があれば、それを決めるのはFCCになった。

  • 第八軍もアマチュア無線規則を改定し新District Number(2-9)を明文化

1949年(昭和24年)1月1日より日本本土のアマチュア局のコールサインが「J + District Number(2-7) + 3文字」から「JA + District Number(2-9) + 2文字」に指定変更された。逓信省は自分たち日本人にはアマチュア局が認められる可能性がないのに、コールサインの割当基準だけは作らされた。連合国としては、あくまでも「我々は日本の逓信省が作った規則に従って、アマチュアのコールサインを発行しているのだ」という体裁をとりたかったようだ。

連合国のアマチュア規則は占領部隊である第八軍が制定していたが、その改正は後回しにして、新コールサインへの移行だけは完了していた。そして1949年4月28日になってようやく規則改正が通達された。それは日本本土(新生日本国)エリアに限定するもので、改正前後のコールサインの規定は下表のとおりである。

改正前のアマチュア無線規則

改正後のアマチュア無線規則

1947年(昭和22年)11月26日

第八軍司令部HQ/Eighth Army 通達第188号

1949年(昭和24年)4月28日

第八軍司令部HQ/Eighth Army 通達第35号

SECTION I - REGULATIONS GOVERNING AMATEUR RADIO OPERATION BY ALLIED PERSONNEL IN JAPAN

・・・(略)・・・

9. Authorized Call Signs

All stations will be assigned Japanese district call signs issued by this headquarters. These call signs will consist of a “J” indicating Japan and a number indicating the zone as delineated in map, Inclosure 1, followed by three letters such as “J2ABC.”

Applicants desiring specific will be granted if the call letters have not previously been assigned to that zone.

10. ・・・(略)・・・

SECTION I - AMATEUR RADIO OPERATION BY ALLIED PERSONNEL IN JAPAN

・・・(略)・・・

11. Authorized Call Signs

All stations will be assigned Japanese district call signs issued by this headquarters. These call signs will consist of the “JA” indicating Japan and a number indicating the district as delineated in map, Inclosure 1, followed bytwo letters such as “JA2AL.”

12. ・・・(略)・・・

呼出符号に関する改正要点としては「J+付図1の番号+3文字」が「JA+付図1の番号+2文字」になったことと、もし希望する3文字(サフィックス)が空いていたらそれを指定できるとする文を削除したことだろう。これまではミドルネームを含めて自分の名前3文字のコールサインをもらう局も少なくなかった。

【参考1】 戦前の日本では「J+District Number+2文字」を使っていたので、終戦後は日本人局「2文字」、連合国人局「3文字」として住み分けた。

【参考2】 さらに日本人局は戦前に発行した呼出符号と区別するために、「J+District Number+ZA-ZZ」から再指定を始めて、Xまで進んだところで日本人のJコールサインは終了した(1947年2月20日)。

それでは付図1(Inclosure 1)を比較してみよう。

● 改正前の District Map 付図1

(Inclosure 1 to Circular 188, HQ/8th Army, 26 Nov 47)

まず古いほうだが、それまでは連合国進駐エリアのアマチュア規則は、極東軍FEC隷下の第八軍が代表して規定していた。英連邦軍BCOF(J4)、朝鮮米軍USAFIK(J8)、琉球軍RYCOM(J9)への免許発給は形式上では極東軍総司令部GHQ/FECだが、実務は第八軍司令部HQ/8th Armyが行なった。琉球軍RYCOMが「J9」の使用を開始した1946年8月27日以降は、旧日本信託統治領だった南洋群島では「J9」が使えなくなった。また戦前は「J5」だった北緯30度以南の奄美諸島とトカラ列島は日本国から切り離されて琉球軍ライカム・エリアに編入されたため「J9」に変わっている。

当初アメリカ合衆国の直轄占領地だった伊豆諸島(大島・八丈島等)が1946年(昭和21年)3月22日に連合国最高司令官総司令部GHQ/SCAPに移管され、第八軍の管理エリアに編入された。ところが上記の地図は伊豆諸島が含まれていない。1946年8月27日に始めて制定されたアマチュア規則(第八軍司令部HQ/Eighth Army 通達259号 "Regulation Governing Amateur Radio Operation by Allied Personnel in Japan")のDistrict Mapは、3月に編入されたばかりの伊豆諸島を地図に反映させるのを忘れていた。そして1947年(昭和22年)11月26日の規則改正の際に、伊豆諸島が抜け落ちている1946年8月27日のDistrict Mapを参照した結果が上図であろう。

ちなみに小笠原や硫黄島が載っていないのはそこが連合国占領地ではないからだ。第八軍にはアメリカ占領地の硫黄島のコールサインを決める権限などなかった。

● 改正後の District Map 付図1

(Inclosure 1 to Circular 35, HQ/8th Army, 28 Apr 49)

今回のアマチュア規則の改正で第八軍は、逓信省の呼出符号指定基準(1948年9月15日CCS承認)に添えられた District Chart (Separate Paper No.2)をそのまま採用した(違いは都道府県番号がない点のみ)。第八軍テリトリー=逓信省テリトリーであり、日本の規則・方針に従って、我々進駐軍のアマチュアは運用しているのだという体裁をとった。District 2のTokyo-Toには "Includes Oshima, Hachijo Island, etc"と伊豆諸島が盛り込まれているが、これは逓信省のDistrict Chart (Separate Paper No.2)にある文言と100%同じである。エリア境界が良く解らなかったのか(?)、北関東(2エリア)に少々東北(8エリア)が食い込んだり、能登半島を境界線が横断しているのが気になるが、各ディストリクト番号に都道府県名があるので問題ないだろう。

ここで注目して欲しいのは、タイトルの直下にある NOTE で、『 0 & 1 NOT USED FOR DISTRICT NUMERALS 』 (0と1はエリア番号に使わない)とある。これは第八軍が制定したアマチュア規則の付図なので、このNOTEは規則と同等の意味を持っていると考えてよいだろう。

  • 極東軍マッカーサー司令官の名の下に、アメリカの中に「JA」局が特別認可された

1949年(昭和24年)、立川の極東空軍補給司令部フィンカム(FEAMCOM)はイオージマの分室(Central Air Force Base)で勤務している兵士のアマチュア無線局を申請した。通常通り、極東空軍補給司令部フィンカムFEAMCOM→極東空軍FEAF→第八軍司令部HQ/Eighth Army へ流したところ、1948年極東軍通達第49号"Amateur Radio Operation"(1948.11.26)に照らすと、第八軍司令官にはイオージマでのアマチュア無線局の許認可権がないことが判明した。

しかしイオージマの分室(Central Air Force Base)には立川フィンカムから派兵しており、その作戦指揮も立川フィンカムが執っていた。立川フィンカムはただちに極東空軍FEAFと協議に入り、「イオージマのアマチュア局は極少数で、その運用実態から第八軍で免許処理する方が合理的」との意見で一致したという。そしてこの問題を上位組織である極東軍総司令部GHQ/FECへ持ち込んだ。

1949年12月になって、極東軍総司令部GHQ/FECは「イオージマ中央空軍基地が第八軍により指揮コントロールされているのだから、その要員が運用するアマチュア無線の許可も第八軍司令官より行なわれる方が理論的だろう」との判断を示し、マッカーサー極東軍総司令官の名の下に、コールサインJA0AA-JA0ZZをイオージマで発給する権限を第八軍司令官に授けた。

『5. Call signs for amateur radio stations on Iwo Jima will be assigned by Commanding General, Eighth Army, from the block JA0AA through JA0ZZ. 』

参考までに全文を掲げておく。

GENERAL HEADQUARTERS

FAR EAST COMMAND

APO 500

AG 000.77 ( ) SC MC

SUBJECT: Amateur Radio Operation, Iwo Jima

To: Commanding General, Eighth Army, APO 343

Commanding General, Marianas-Bonins Commands, APO 246

Commanding General, Far East Air Forces, APO 925

1. Reference

a. Circular 49, General Headquarters, Far East Command, 26 November 1948.

b. General Orders No. 80, Headquarters, Far East Air Forces, 18 October 1949.

2. Reference 1a above establishes the policy regarding amateur radio operation within Far East Command. Indicated therein is the procedure for licensing amateur radio operators and amateur radio stations.

3. Reference 1b above establishes Central Air Force Base, Iwo Jima, as a sub-base of FEAMCOM Air Force Base. Far East Air Material Command has assumed the responsibility for staff functions and logistic support of Central Air Force Base. Therefore, the authority for licensing amateur radio operators and stations on Iwo Jima is withdrawn from the Military Licensing Authority, Marianas-Bonins Command, and assigned to the Commanding General, Eighth Army.

4. Applications for amateur privileges on Iwo Jima will follow established command channels for such matters. Upon receipt of applications, the Commanding General, Eighth Army, will take the necessary action to issue military amateur permits in accordance with the provisions of reference 1a.

5. Call signs for amateur radio stations on Iwo Jima will be assigned by Commanding General, Eighth Army, from the block JA0AA through JA0ZZ.

By COMMAND OF GENERAL MacARTHUR:

Mailed 16 Dec 49

Copies to:

Sig O (ret)

G-1

G-5

NOTE FOR RECORD:

1. GO 80, Hq, FEAF, 18 Oct 49, designated Central Air Force Base, Iwo Jima, as a sub-base of FEAMCOM AF Base. Staff supervision and all logistic support of Central AF Base was assumed by FEAMCOM, effective 19 Oct 49.

2. Cir 49, GHQ, FEC, 26 Nov 48, established policy and procedures for amateur radio operations within FEC. A joint board, consisting of Licensing Authority for the Marianas-Bonins Area.

3. GO 80, however, relived CG MARBO of any responsibility for the administration, operation or logistic support of Central AF Base. It has been determined from G-3 Section, GHQ, FEC (Maj. Von Rohr) that the entire military complement on Iwo Jima is Air Force personnel, assigned to Central AF Base. Therefore, Iwo Jima, while within the Marianas-Bonins Area, is considered as a Class II installation of FEAMCOM.

4. The licensing of amateur radio operators and stations, therefore, would follow usual command channels: Through FEAMCOM to FEAF. However, Cir 49, GHQ, FEC, designated CG, Eight Army, as the Military Licensing Authority for all military personnel in the Japan Area. Therefore, it would logically follow that CG Eighth Army should assume the licensing responsibility for FEAMCOM personnel on Iwo Jima.

5. This action withdraws from CG MARBO the authority for licensing amateur radio operators and stations on Iwo Jima and assigns it to CG Eighth Army.

6. This action has been discussed with FEAF (Maj. Cool, A-3 Comm) and Eighth Army (Mr. Bruntel, Sig Sec). It was agreed that, because of the small number of amateur operators on Iwo Jima licensing procedure as outlined is reasonable and workable.

7. Routed through G-1 and G-3 for concurrence; copies furnished.

J. D. F.

【注】 この指令書"Amateur Radio Operation, Iwo Jima"の日付は1949年12月16日(手書き)。

  • なぜ JA0 か? - 利用された「呼出符号指定基準」(逓信省)のサブパラグラフH

第八軍のアマチュア規則は逓信省の呼出符号指定基準に完全準拠している。そして逓信省の規則では日本全土をJA2-JA9に分割している。硫黄島はアメリカの島なので、極東軍FECが逓信省に圧力を掛けて、日本国の呼出符号指定基準(1948.9.15)に硫黄島を加えさせるのは到底不可能である。

では第八軍のアマチュア規則(1949.4.28)を改正して、付図1(Inclosure 1)にイオージマを追加できるかというと、第八軍の担当区域は新生日本国なので、これも簡単にはいじれない。そんなことをして、もし硫黄島は「連合国占領地域の飛び地」と解釈されようものなら、近く日本の独立を承認する際に、この島を新生日本国に引き渡さなければならなくなる可能性だってある。米国の軍部は占領した小笠原エリアの中で戦略的な価値があるのは硫黄島だけだと考えており、この島だけは絶対に日本に渡したくなかったといわれている(実際、戦略上の魅力がなかった伊豆諸島はさっさと連合国軍である第八軍へ引き渡している)。

そこで利用されたのが逓信省の「呼出符号指定基準」(1948.9.15, CCS承認)のサブパラグラフHの例外規定だった。

『H. The digits used for the formation of call signs will be other than 0 and 1 in case where they immediately follow a letter. The prohibition of the use of the digits 0 and 1, however, does not apply to the call signs of amateur attentions if necessary.

国際符字に続く最初の数字に0と1を指定することを禁じる規定は、アマチュア局には適用しないことが国際無線会議で取り決められており、このように逓信省の呼出符号指定基準にはそれが盛り込まれていた。これに目を付けた極東軍は、逓信省のサブパラグラフHに基づき、第八軍が「JA0」のコールサインを発行可能だと判断した。まさしく今が、if necessary だった。

ただしJA0をイオージマに指定する第八軍アマチュア規則の改正は絶対に無理なので、前述の軍内指令書(標題:Amateur Radio Operation, Iwo Jima、発信:GHQ/FEC マッカーサー極東軍総司令官、宛先:第八軍司令官、MARBO司令官、極東空軍司令官, Dec 16. 1949)で硫黄島アマチュア無線問題に決着を付けた。

【参考】 同じころ連合国GHQ/SCAPの民間通信局CCSでも逓信省のサブパラグラフHに着目していた。近く日本人によるアマチュア無線局を承認した場合、日本人無線局への免許権限を持つCCSとしては(日本人局へ)JA2-JA9を発給し、第八軍のアマチュア局にはサブパラグラフHの規定により「JA1」(+サフィックスの1文字目で所属組織を区分)を使ってもらうことを検討していた("Amateur Radio Operation in Japan", CCS Radio Division, 30 Jan. 1950)。

さて事実関係を整理すると、まず次のことがいえる。

1) 国際符字の「JA」は占領下の日本政府に分配されたもの (1947年アトランティックシティ会議, 1949.1.1施行)

2) 硫黄島は占領下の日本政府の施政権が及ぶ範囲から既に切り離されている (対日指令SCAPIN第677号, 1946.1.26)

3) 硫黄島には極東軍総司令部がKG6IA-KG6IZを指定した (ZX41618, 極東軍GHQ/FEC, 1947.4.4)

しかし1950年(昭和25年)初頭から日本独立(1952年4月28日)まで、硫黄島で少なくとも「JA0IJ」(やJA0JI)が運用されていたことが知られている。つまりKG6IA-KG6IZ の指定を受けていたアメリカの島から、日本国に割当てられた「JA」コールの電波の発射が許されていたのもまた事実である。

私には理解しにくい話だが、立川フィンカム(FEAMCOM)の「JA0△△」が、イオージマ(KG6I)に出張中に運用しております~という理屈だろうか???

占領下時代には理屈では説明しにくいことが他にも色々あったのだろう。・・・そういう時代だったと言ってしまえばそれまでだが、とにかく、"JA0"は逓信省の「呼出符号指定基準」にも、第八軍の「アマチュア規則」にも登場しない。いわゆるオモテの歴史ではイオージマ(Iwo Jima, 硫黄島)のコールサインはアメリカ合衆国のKG6IA-KG6IZであって、日本国のJA0AA-JA0ZZではない。