1956
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1956年(昭和31年)にFCCは27MHz帯の300kHz(26.970-27.270MHz)を終段入力200mWまでならFCCのライセンスさえも不要で、市民が自由に使って良いとする大胆な提案を行いました。条件付きではあるがFCCが管理しない治外法権バンドの創設で、「真のCitizens Band(市民の周波数)」といってもよいかもしれません。この驚くべきFCC提案は、少なからず日本の郵政省にも影響を与えました。
また日本では26.2-27.4MHzは放送中継バンドとして利用され、27.529-27.752MHzの7波が漁業無線用となり、27.650MHzは漁業無線機の開発メーカーの実験用周波数になりました。10MHz幅あった460MHzバンドは利用度が低いため他業務にも振り分けることになり、461MHz台と469MHz台を取られてしまいました。アメリカと似たような運命を辿りはじめます。
郵政省が発行するList of frequencies (April 1956版)より27MHz帯及び460MHz帯の免許状況を引用します。
●昭和31年4月の27MHz帯免許状況
[Class] ML:Land Mobile Station, FB:Base Station, EX:Experimental Station, MS:Ship Station, DVT:Development Test Station, FC: Coast Station
[Service] PAO(com):Program Transmitting, Administrative & Order (Commercial), PAO(NHK):Program Transmitting, Administrative & Order (NHK), PVT:Private (Except Com,Fish & PS), INT:International Communication, GC:Govenmental Communal, Fish:Fishery
●昭和31年4月の460MHz帯免許状況
[Class] DVT:Development Test Station, FX: Fixed Station, EX:Experimental Station, ML:Land Mobile Station, FB:Base Station, CR: Simple Radio Station
[Service] PVT:Private (Except Com,Fish & PS), INT:International Communication, GC:Govenmental Communal
SUMMARY この年の出来事
May 1956 - Vocaline CompanがClass B CRS の"Model JRC-400" を発売。
Nov. 08, 1956 - FCCが26.970-27.270MHzを入力200mW まで認定機ならライセンス不要にする提案。
May 1956 据置き型シチズンス・ラジオ Model JRC-400発売
1956年(昭和31年)5月、ニューヨークの北西、コネチカット州オールド・セイブルック(Old Saybrook)にあるVocaline Company of America, Inc. 社より465MHzクラスBの三球式(6AV6 - 6AF4A - 6AS5)トランシーバー「Model JRC-400」が69ドル75セントで発売された。受信は超再生検波方式で送信用自励発振を兼ねており、送信時の発振器入力3W(アンテナ出力1/3W)。重さは4ポンド(約1.8kg)。FCCの型式検定番号はCR-423だった。
初の据置き型タイプで家庭のAC117Vで使用できる。天板の左側(手提げベルトの後方)にある突起がアンテナ端子で、ロッドアンテナを付けるか、ここから同軸ケーブルを引き出し、基地局用の外付けグランドプレーン・アンテナ(標準付属品)を使うことができる(左図[右])。平均的な公称通和距離は3マイル(約4.8km)だが、大都市の市街地ではその半分になり、逆に見通しの良い場所では6マイルまで延びた。
天板の左手前(手提げベルトの手前)にある突起はPTT(送受切替え)ボタンである。可搬式としてDC6Vの外付けバッテリーで移動運用にも使えるという優れものだったためか、安価なクラスB(465MHz, 電波型式AM)のシチズンラジオ定番機となり、今でもオークションでその姿を目にすることがある(別途特注品としてDC12V対応も請負った)。
マイクコネクターがパネルの左上というのが特徴的で、左下にあるのは音量ツマミである。なお同社ではのちにヘッドフォン端子を付けた改良機JRC-425も出した。
(自動車やヨットでも使われるVocaline)
Sep. 25 1956 27MHzを北洋漁場別に分配
沖電気工業(株)の「UFB-1C型極超短波簡易無線電話」が郵政省の検定試験に合格し、検定番号 第5053-1号を取得した。これは昨年12月27日に合格したUFB-1B型の改良機である。
Nov. 08 1956 (Docket No. 9288) 3rd Proposed
Nov. 16 1956 (連邦官報告示 21FR8950)
1952年(昭和27年)に創設したClass CのCitizens Radio Service(27.255MHz, Input 5W)が順調に免許局数を伸ばしていることから、FCCはたとえ実用距離が短くても安価なら市民の需要があることに気付いた。さらに規制の緩やかなClass D制度を新設するか否かの検討が始まった。
例えばガレージドアを開閉するラジオコントロール装置(Radio controlled garage door openers)の場合、自動車が車庫に到着する1kmも手前からドアを開ける必要など全くない。いや防犯や事故を考えればガレージの前に到着してから開ける方が良いだろう。せいぜい100mも電波が飛べば充分である。また幼児や子供向け玩具のリモートコントロール装置もそうである。子供がおもちゃに寄り添える程度の距離で充分だ。はたしてこのような用途にまでFCCのライセンスとコールサインが必要なのか?FCC内部で自問自答が繰り返された。
● FCCがライセンスフリー無線(第15条のCB局)認可の方針
そして最終的にClass C(27.255MHz)制度の下位に小電力で制限のゆるいClass D 制度を作るのではなく、思いきってある特定の周波数帯に限ってFCCのライセンスを不要にする方が正しい姿だとの結論に達した。かつてE.K. Jett とAl Gross が目指した「電波を一般市民の手に再び返そう」とする思いは、その後もFCC組織の中に根付いていたのである。
しかしこの大胆な提案は世界中の電波行政当局に衝撃を与えた。電波のライセンスフリーを認めるとは、使用者を管理監督するための登録原簿が存在しないことでもある。誰が電波を使っているか掌握できない状況を、もし行政が容認するならば、きっと電波は大混乱に陥るに違いない。そう懸念した。
特に王さまが領民を管理・支配してきた歴史をもつ欧州では、「国が民に電波を使わせてやる」という考え方が支配的だった。そんな中で新大陸で民衆主導国家を建国したアメリカのFCCが打ち出した「電波開放政策」は、無知な国民たちを善導すべき電波行政当局の職務放棄のようにさえ映った。
FCCは27.120MHz ±150kHz (26.970-27.270MHz)を市民に開放(ライセンスフリー:FCCの免許不要)する方針を固めた。460-470MHz Citizens Band に次ぐ、第二のCitizens Band(26.970-27.270MHz)の誕生となるなのだが、FCC Regulations Part 19 (Citizens Radio Service) は「免許を要する無線局」を規定する条項なので、このPart 19(第19条)の範疇でライセンスフリー無線を収容するには法体系上うまくなかった。
1956年(昭和31年)11月8日、FCCはFCC Regulations Part 15(Incidental and restricted radiation device)を拡張して、Subpart E を作る提案を行った。本来Part 15(第15条)は電波測定器や受信機の局部発振器からの「本来意図せぬ漏えい電波」の許容電界強度を規定するものだが、この中にSubpart E:Low Power Communication Device(LPCD:低電力通信機器)という規定を追加した。
LPCD 用に(AC条約で採択された船舶局の非常通信周波数500kHzのガードバンド490-510kHzを避けた)長・中波の10-490kHz, 510-1600kHz Band と、短波の26.970-27.270MHz Band を認めて、その送信終段入力を200mWに制限するというものだった。
【注1】1600kHz以下のバンドは中波の放送バンドと重なるため、あくまで放送バンドであり、これをCitizens Band と呼ぶ人はいなかった。用途はレコードプレイヤーの出力を中波で飛ばし、それをラジオ受信機で受けてスピーカーを鳴らすものなど。
【注2】本提案がThird Proposed となっている点を補足する。9288という若いDocket番号からも想像が付くように、最初の改正案はApr. 13, 1949 になされ、通信を目的としない機器の漏えい電波の規定案が繰り返し何度も改定されてきた。その最終版がDec. 21, 1955 で Part 15 をSubpart A: General, Subpart B:Incidental Radiation Receiver, Subpart C: Radio Receiver の3部構成にした。その後 July 11, 1956 にSuppart D: Community Antenna Television System というCATVの漏えい電波の規定が追加され、今回のSubpart E: Low Power Communicatio Device の追加提案を期に、これらをFirst Proposed, Second Proposed, Third Proposed と呼ぶことになった。
● 実効輻射電力を制限せずビームアンテナによる実用通信も認める
さて27MHz帯LPCD機器(第15条のCB局)への制限事項は、第15条の Sec.15.205(Operation on the frequency)の各パラグラフにまとめられている。
(a) 輻射エネルギーが26.970-27.270MHzの範囲に収まっていること
(b) 送信機の終段入力が200mWを超えないこと
(c) バンド外へのスプリアスは基本波より20db以下であること
制限は以上の3点だけだった。特筆すべきは27MHz Band のLPCDには、基準距離地点における電界強度の上限値を定めず、またアンテナ制限も設けなかった。つまり実効輻射電力を制限しなかった。入力200mW だが外部アンテナの使用により、それなりの距離をサービスエリアとする実用通信を可能とし、さらに電波型式の制限もなく、電話、手送り電信、ファクシミリ、ラジオテレタイプなど何でも認める方針だ。(とはいえテレビジョンはNTSC標準方式なら26.970-27.270MHzのバンド幅を逸脱してしまうため、Sec.15.205 パラグラフ(a)の規定により不可能。)
● 27MHz帯の周波数分配状況
ここで27MHz帯の分配状況をおさらいしておく。まず27.120MHz±0.6%(26.9573-27.2827MHz)は国際的に認められたISMバンドで、この周波数内ではすべての無線局はISM機器からの混信を容認しなければならないと定められている。その条件下で1947年(昭和22年)のアトランティックシティ会議ではもともとアメリカが独自に作った11mアマチュアバンド(27.160-27.430MHz)が認められ、周波数が200kHz下へシフトさせた上で、第二地域(南北アメリカ大陸)全域および第一地域の南アフリカと南西アフリカ(現:ナミビア)、第三地域のオーストラリアとニュージーランドに国際アマチュアバンド26.960-27.230MHzが誕生した(なお1956年の時点では南アフリカと南西アフリカでは既に11mアマチュアバンドを廃止)。
またアメリカでは27.230-27.280MHzを10kHzセパレーションで5波(27.235, 27.245, 27.255, 27.265, 27.275MHz)に分割し産業用無線に分配すると同時にセンターの27.255MHzを実験局とClass C(ラジコン)のCitizens Radio Service へ分配していた。そこへ今回、27.120MHz±150kHz(26.970-27.270MHz)にFCCが一切介入しない「真の市民バンド」の創設を提案した。
● 11mアマチュア無線と11mライセンスフリー無線との交信は?
ところで26.960-27.230MHz の11m Amateur Band は、今回提案のあった26.970-27.270MHzのPart 15のCitizens Band (ライセンスフリー無線とほぼ重なっている(左図)。
それではAmateur局とPart 15のCB局が交信できるのかというと、答えは"No" だ。11m でCQを出すAmateur局を Part 15 のCB局が呼ぶのは違反ではないが、Amateur局は通信の相手方がAmateur局に限定されているので、Part 15のCB局からの呼び出しに応答すると違反になる。
したがって旦那さんがAmateur無線家で、Amateurの資格を持たない奥さんがPart 15のCB局として「今夜はごちそう作ってるから早く帰ってきてね」という交信はダメである。では旦那さんのAmateur 無線送信機の終段入力を意図的に200mWまで減力すれば、旦那さんは(Amateurではなく)CB局として運用しているから合法だろうという屁理屈が通るかというと、これも "No" だ。Part 15 のCBはSec.15.206(Certification requirement)で規定する "FCC認定機" でのみ運用が認められるからである。
この27MHz をCitizens Band とし開放するFCC案に対する意見募集の期限は1956年(昭和31年)12月7日までとされた。そしてFCCには予想外だったかもしれないが、反対意見が少なからず提出されたため、原案趣旨の半分達成という形で翌年に施行されることとなる。詳しくは1957年のページをご覧いただきたい。