1945年にFCCはCB無線構想を発表しました。このニュースは通信社を経由して、多くの先進国にも配信され、そして報道されたようです。おそらくCB無線がもっとも世の中から注目された年でしょう。(無線オペレーター資格が不要で、)一般市民に電波を解放する画期的な制度であるばかりか、連邦通信委員会FCCも干渉せず利用者団体の自主ルールで運用させようとするものでした。
【1945年の主な出来事】
1月15日 - Citizens' Radiocommunication ServiceがFCC Docket#6651に盛り込まれる。
1月16日 - FCC Docket#6651を発表。新聞各紙がWalkie-Talkie制度創設を報道。
5月25日 - FCC Docket#6651 Final Report。分配案が確定した。
7月28日 - FCCのE.K.JettがSaturday Evening Post誌で、国民にWalkie-Talkie制度を説明。
11月12日 - FCCがCtizens' Radiocommunication Serviceの開始時期を来年夏と発表。
世界で最初にCitizens Radio Service(CRS)を創設したのは、米国の連邦通信委員会FCC(Federal Communications Commission)です。まず最初に、FCC自身はCRS制度(市民ラジオ制度)の始まりについて、どのように説明しているかを御紹介しておきます。
出典はFCCが毎年度ごとに米国議会へ提出している「年次報告書」(FCC Report)1979年版, p454からです。
『Docket 6651, allocated the 460 - 470 MHz Band to a new "Citizens Radio Service". This new Service, in the words of former FCC Connissioner E.K. Jett, writing in the Saturday Evening Post of July 28, 1945, was created so that "any American citizen, firm, group or community unit may privately transmit and receive short-range messages over certain wave lenghts. From mere listener or spectators, as they are now ・・・略・・・』
まとめると以下2点に集約できるでしょうか。
Jan.15,1945。戦後の周波数分配案(Docket #6651)に、E. K. JettがCRSを織り込んだ。
July 28,1945。E. K. Jettがこの新制度の意義を、Saturday Evening Post誌で国民に直接伝えた。
これまでCitizens Radio の前史にあたる諸事件を紹介してきましたが、ここからはこのFCCの動きを軸にしてCRS制度の歴史を説明します。
1938年のカイロ会議では300MHzまでの周波数分配が国際合意されていました。とはいうものの23MHz以上の分配は留保され、300MHzまでの電波の国家管理を各国合意で宣言したに過ぎません。(ただしAmateurに23MHz以上の電波を勝手気ままに使用させないために、28-30MHz, 56-60MHzのAmateur Bandだけは取り決めています)
しかし第二次世界大戦の勃発で、アメリカは電波関連の技術開発に国家の総力を注いだ結果、きわめて短期間に驚異的に技術レベルが上昇していました。そこで戦後の新たな周波数分配を見据えて、1944年夏には30GHzまでの周波数分配案(FCC Docket No.6651)が発表されました。そして同年秋より各利害関係の無線団体を招集して公聴会を行ってきました。
またDocket No.6651の狙いはもうひとつあって、大戦終結後に開催が予定されている周波数分配の国際会議(1947年開催予定のアトランティック・シティ会議)で、米国が主導権を握るために、23MHz以上の周波数における「新しい分配プラン」をどの国よりも先に示したかったという事情がありました(なにぶん1947年の会議は米国がホスト国ですから)。
1945年1月15日の朝、新ポスト・オフィス・ビル(New Post Office Building)の小さな会見室にはおよそ50名の報道記者たちが集まっていました。FCC報道官、海軍・陸軍将校、そしてジェット(E. K. Jett)が「Docket No.6651」と書かれた分厚い灰色のドキュメントを手に登場し、記者会見が始まりました。
FCCは公聴会での意見を加味して、"Docket No.6651 Report of Proposed"を発表しました。なお正式なドキュメント・タイトルは "Allocations of frequencies to the various classes of non-governmental services in the radio spectrum from 10 Kilocycles to 30,000,000 Kilocycles" です。10kHzから30GHzまでの分配案です。
このReport of Proposed には460-470MHz Bandを市民無線通信業務(Citizens' Radiocommunication Service)に分配することが含まれていました。
記者会見では市民無線通信業務(Citizens' Radiocommunication Service)とは戦地で使われているWalkie-Talkie(携帯無線機)の技術を転用し、民間の個人的用務に無線利用の道を開くものであるとして、以下の様なユースケースを挙げました。当時の想定がいかなるものだったかがよく分かりますね。
ハンター、登山家、スポーツ選手の方々は、ロッジやベース・キャンプと常に連絡できます。
患者の家へ向かうドクターはその移動中も、患者とコンタクトを取れます。
農場の奥さん方は、夕食ができたら農地で働く夫を呼び出すことができます。
小売業、酪農家、ランドリー業者は配達トラックのドライバーへ即時指示」できます。
ところでなぜFCCはこの市民のための無線制度をCitizens' Radiocommunication Service(市民無線通信業務)と名付けたのでしょうか?
アメリカにはかつて(1921-1922年頃)、一般大衆のための電波利用を意味した Citizens Radio という言葉がありました。「みんなの無線」=Citizens Radio はアメリカ国民の知名度の点でも、この制度の名にピッタリでした(狭義では当時のCitizens RadioとはAmateur無線の免許で行う放送行為のことを指します)。
しかし当時の商務省はラジオ局からおこされた訴訟で、政府には電波を規制する権限はないとする想定外の判決が下されて、一時期、電波が無法地帯化(ラジオ・カオス)したという苦いを経験しています。本当は制度名を Citizens Radio にしたいと考えていたが、この過去の悪夢が再来しないようにわざとCitizens' Radiocommunication に少々言葉を変えたのではないかと私は想像しています。7月28日のSaturday Evening Post誌での構想発表でも、放送行為を禁止すると強く述べています。
また年回りも悪く、1945年は初のラジオ局KDKA誕生から25年目で、全米の主要都市でCitizens Radio 25周年を祝う記念式典が計画されていた年でした(アメリカは25, 50, 75, 100年のクオーター周期に重きを置くため)。やはり Citizens Radio という単語を使うのは刺激が強すぎるとの判断があったのではないでしょうか。
この大戦では米陸軍のWalkie-TalkieやHandie-Talkieが実用化されましたが、市民無線通信業務の無線機は、それらではありません。CIAの前身である戦略情報局OSS(Office of Strategic Services)の諜報活動用Walkie-Talkieが元になっています。
1944年、アル・グロスはFCCのジェット(E. K. Jett)に対して、"OSS Walkie-Talkie"をデモンストレーションしました。アル・グロスのWalkie-Talkieに惚れ込んだジェットは、民間転用のフィールドテストのために実験局ライセンス(W10XVX, W10XVY)を与え、その結果に満足し、市民無線通信制度の創設を決意しました。
しかし戦争はまだ継続していましたし、OSSの諜報活動は国家機密であったため、1945年1月15日の記者会見では、軍用Walkie-Talkieをベースに民間利用にという説明はありましたが、それがOSSのスパイ無線ということは伏せられました。"OSS Walkie-Talkie"が機密指定が解除されたのは1976年ですので、31年目にして事実が明らかになったということですね。
新聞各社の記者は、電波を個人用務に開放するこの制度が、電波新時代の幕開けを意味すると捉え、'Walkie-Talkie' という見出しで大々的に伝えました。それまで電波は私企業の商船およびその海岸局、ラジオ放送局、個人のアマチュア無線局などを除き、政府や軍の専有物であったことから、それがごく普通の一般市民も使って良いという斬新な考え方が驚きとともに伝えられたのです。
1月15日のプレス発表に中には、40MHz帯のFMラジオ放送の周波数をより高い周波数へ変更になる件も含まれていました。本来ならFMラジオリスナーに受信機の買い替えを強要することになる重要な事件ですが、Walkie-Talkieがそれを食ってしまった形でした。CB無線80年の歴史の中で、これほどメディアから、そして米国民から注目された日は他にはないかもしれません。
"Era of Walkie-Talkie Radios For Civilians Predicted by FCC", The Washington Post, Jan.16,1945,p7
"NEW BAND FOR FM PROPOSED BY FCC: Post-War Channels Outmode 500,000 Receivers -Impetus Given to 'Walkie-Talkie' ", The New York Times, Jan.16,1945,p1
“Civilian 'Walkie-Talkie' Slated When War Ends”, The Christian Science Monitor, Jan.16, 1945
またウォール・ストリート・ジャーナル紙は、タイトルにWalkie-Talkieという文字こそ使わなかったがPrivate Channels Recommended という表現で市民無線通信制度の創設案をアメリカ国民に伝えている。
"Big Expansion of Radio Sectrum For Government, Private Channels Recommended in Report by FCC", The Wall Street Journal, Jan.16, 1945
一般の日刊紙でさえこれほど大きな扱いなので、放送業界の専門週刊誌Broadcastingでは,Walkie-Talkie制度がより詳細に説明されたことはいうまでもありません。
"'Walkie-Talkies' for Citizenry Included in Spectrum Proposal", Broadcasting, Jan.16, 1945
日付は違いますが、週刊ビルボードやサイエンス・ニュース・レターズも詳細に報じました(さすがビルボード誌はFMラジオバンド変更の話題が先ですね)。
"HF Tele Allocated for Furture: FM Band Shift Obsoletes Sets: Subscription radio, facsimile, by-passed but walkie-talkies get FCC smile", The Billboard, Jan.20, 1945, p3
"Civilian "Walkie Talkie", Science News Letter, Jan.27, 1945
メディアがWalkie-Talkieという言葉を好んで用いているのは、記者会見でCitizens' Radiocommunication Service という制度名よりも、もっぱらWalkie-Talkieという言葉が用いられたからではないでしょうか。
FCCはアマチュア無線団体ARRLへ、Citizens' Radiocommunication Service 構想がいかなるものかを、1月15日の記者会見よりもさらに詳しく説明し、その理解を求めました。それがARRLの機関紙QST(3月号, p45,100)で紹介されました。
QST誌の方が新聞各紙よりも詳しく述べられている部分だけを以下に紹介します。
市民無線通信局(CRS)の免許は(アマチュア無線と同じく)、個別周波数を各人に許可する方式ではなく、包括帯域免許(バンド指定)としたいと考えていること。そしてその運用は平野部と山岳部、都市部と農村部で大きく電波事情が異なるだろうから、(ARRLの主導の元に、アマチュア無線の運用が規律運用されている様に)市民ラジオの運用にはFCCは介入せず、それぞれの地域のコミュニティ団体の自主規制ルールに任せてみようと考えていることを伝えました。
つまりFCCのジェットは(わずか460-470MHzの10MHzの空間ではあるが)、電波を国家管理から、再び民衆の手に返還しても良いと考えていたふしがあります。これゆえにアメリカのCRSは革新的な制度なのです。電波の国家占有を当然とする欧州や日本で、一部の電波に限っては国民に委ねただしたのは1980年代になってからでした。
この他にも中継リピーターの設置を認めたいことや、局免許証はカードサイズのものにしたいなどのアイデアも含まれていました。
1943年9月8日に降伏したイタリアに次いで、1945年5月9日にドイツも無条件降伏しました。これでCBトランシーバーの元祖であるOSS Walkie-Talkie SSTC-502もその役目を終えました(太平洋戦争にはOSS Walkie-Talkieは使用されなかった)。
さてDocket No.6651 Proposed版についての関係団体との公聴会が1945年2月14日より再開されました。Citizens' Radiocommunication Service には特に反対意見はなく、5月25日に最終版(Final Report) として発表され、460-470MHzをCitizens' Radiocommunication Service に割当てる案が確定しました。
ところが1月15日のProposedから、5月25日のFinal Report の4ヶ月の間にアマチュア無線家にはとんでもない災難が起きたのです。1月15日のProposed版では10meter Amateur Bandは下表の青色部分の28.0-30.0MHzでした。
それが5月25日のFinal Report 版では10meter Amateur Band が下表の青色部分の28.0-29.7MHz(300kHz削減)に修正されていたのです。その原因はISM筋(工業・産業用、医療用高周波装置業界)の周波数獲得への強烈な巻き返しでした。
通信以外の電波の利用として、古くからジアテルミー(Diathermy)があります。高周波で生体組織に熱を発生させ、治療を行う医療技術です。
我国では1911年(明治44年)に東大附属病院の三浦謹之助博士がドイツのシーメンス社製ヂアテルミーを輸入し、使い始めたのたのが最初でした。 タイタニック号の沈没事件が1912年ですから、電波利用初期の頃から医療用電波装置の利用が始まっていたことになります。
また我国では1915年(大正4年)9月、無線通信機の実験家で東京帝国大学3年生の河喜多能直氏と、彼の後援者で実業家の妹尾猪助氏、河野榮次郎氏がヂアテルミー特許「高周波電流温體機」を出願し、翌年には商品化されています(1915年9月15日出願、1916年3月23日登録 [特許第29225号] )。
やがて先進各国では医療用以外に、工業用高周波加熱装置も商品化され、これら装置から輻射される高周波エネルギーが周辺無線局へ有害な混信を与える事件が頻発していました。
ISM装置とは Industrial, Scientific and Medical radio-frequency equipment (工業、科学、及び医療用無線周波装置)の略です。使用周波数は1930年代までは各社まちまちで10~50MHz内の特定波を使っていましたが、1940年代に入ると13MHz, 27MHz, 41MHz附近に集約されるようになりました。
ISM装置製造業界は決して無線通信業界とケンカしたいわけではありません。自分たちが気兼ねなく電波を使える専用周波数帯、いわゆる「ISMバンド」の制定を強く望んでいました。
また連邦通信委員会FCCとしても、ISM装置から受ける混信妨害の苦情が増加していることから、ISM装置を専用周波数帯に隔離すべきだとの考えでした。
1940年(昭和15年)、この問題を解決するために、ジアテルミー製造者、無線機メーカー、そして連邦通信委員会FCCの三者によって会議がもたれました。ジアテルミー専用の周波数を決めようとしましたが、その周波数安定度および周波数許容偏差で折り合いが付きませんでした。ジアテルミー製造業界は周波数の安定度や偏差を確保するために水晶発振回路を採用するのはコスト増につながるととして反対だったからです。
さらに1941年12月6日に太平洋戦争開戦。その後も「混信問題」の三者協議は散発的にもたれたようですが、戦争の激化に伴い「ISMバンド」制定の動きは、足踏み状態になってしまいました。
【参考】戦時中には「ISM」ではなく、Industrial と Scientific の順を逆にした「SIM」という呼称も使われていました(米国)。
これまでISM業界は無線通信業界と再三にわたり混信問題で争ってきました。悲願であるISM専用帯域(いわゆるISMバンド)の獲得交渉は戦争で中断したままです。
そして連合国有利という戦況が見えてきた1944年(昭和19年)、連邦通信委員会FCCでは、終戦後の新たな業務別周波数分配案(Docket No.6651)の検討に入りました。
当時、1938年のカイロ条約で南北アメリカ大陸地域に分配されている25.0-27.0MHz放送バンド(2MHz帯域)は、空中状態の変化激し過ぎて放送用には適さないとされ、11m放送バンドの廃止が見込まれていました。ISM業界はここに広い空き地が生まれるだろうと見込んで、この付近に広域バンドを確保することを目指しました。ISM機器のコストを抑えるため(水晶発振ではなく)自励式で済ませたかったからです。
さてISM業界の周波数確保の問題は、FCCの諮問組織である無線技術計画委員会RTPB(Radio Technical Planning Board)のPanel 12(議長: C.V.Aggers [ウエスティング・ハウス社]、副議長:H.B.Marvin [GE社] )というグループで検討されていました。
なんとRTPB Panel12は、27.320MHzを中心に上下2MHz帯域の25.320-29.320MHzを推奨しました(10mアマチュアバンドの方へも、大きく食い込んでいます)。
しかしFCCはその要求を却下して、1945年1月15日に発表したDocket No.6651 Proposedでは、27.320MHzの上下15kHzの27.305-27.335MHz(30kHz幅)を「ISMバンド」としました。下表の黄色部分です。
【参考】なおFCCは同時に、13.66MHz, 40.98MHzの前後0.05%もISMバンドとして選定しています。
ISM業界としては4MHz帯域を要求したのに、FCCの回答がその1%にも満たない30kHz帯域だったことから、猛反撃のロビー交渉を展開しはじめました。
ついにFCCが屈して、5月25日のDocket No.6651 Final Report では27.320MHzを中心とする270kc幅のISM Band(27.185-27.455MHz)を新設することになりました。下表の黄色部分です。
すると1月15日のProposed版で27MHz帯に配置するつもりだった業務用無線局の周波数が不足してしまいます。そこでFCCは10m Amateur Bandの上端300kHzを削減して、周波数を確保することを選んだのです。
FCCのDocket No.6651の成案に協力してきたアマチュア団体ARRLは「話が違う!」とFCCに対して怒りをあらわにしましたが、FCCは取り合わず、新設する27MHz ISM Bandをアマチュアが2次業務として共用しても良いとの(アマチュアにはまったく割りに合わない)補償を示唆しました。
【参考】 これが27MHzアマチュア・バンド(27.185 - 27.455MHz)誕生の経緯ですが、このあと軽微な周波数シフトが二度ありましたし、11mアマ・バンドについては別のページで述べます。
なお28-30MHzは国際的に認められたアマチュア・バンドにも関わらず、米国のローカル・ルールで勝手に28-29.7MHzに縮小するとは、かなりムチャですね。しかしFCCはまず既成事実を作っておいて、1947年に米国のアトランティック・シティで開催が予定されている国際無線会議において、アマチュア・バンドを28-29.7MHzに縮小する米国案を通せば済むと考えたのでしょう。
FCCは米国議会に対して年次報告書を提出する義務を負っています。1945年度(1944年7月1日 - 1945年6月30日)の活動がまとめられた第11次報告書(FCC 11th Annual Report, p68)に、Citizens' Radiocommunication Service 用無線機の開発を目的として、5つのクラス1実験局を承認したことが報告されています。
『Five authorizations have been granted for class 1 experimental radio stations for the purpose of developing equipment for use in this proposed service.』
この報告書に掲載されたということは、1944年7月1日から1945年6月30日の1年間に承認されたということです。可能性としてはアル・グロスの250MHz 携帯無線実験局W10XVX 、W10XVY ならこの報告書が対象とする期間に一致しますが。
ただしClass1実験局なのでCitizens' Radiocommunication Service 用というよりも、もっと基礎的な技術研究ではないでしょうか。
【参考】 FCC規則における実験局(Experimental Station)の免許区分
Class 1 : 新しいサービスそのものではなく、無線技術の研究・実験 (Class 1 experimental stations are licensed for general or specific research or experimentation for the advancement of the radio art along lines which are not specifically directed to any proposed or established radio service. )
Class 2 : 新規または提案中の無線サービスの開発 (Class 2 stations are authorized to conduct research and experimentation in radio directed toward the development of a new or proposed radio service or some phase of an established radio service. )
Class 3 : 個人の技術的興味による実験 (Class 3 stations are licensed to individuals interested in radio technique solely with a personal aim to conduct an experimental program on their own behalf, requiring the use of radio for a limited tlllle. )
FCCのジェット(E. K. Jett)がSaturday Evening Post 誌7月28日号にて、市民無線通信業務CRS(Citizens' Radiocommunication Service)がいかなるものかを国民へ直接説明しました。"Phone Me by Air" というタイトルでした。
前述したようにこの記事はCB無線の起源のひとつとして、FCC自身が最重要視しているCB無線に関するドキュメントです。ここにはCB無線の原点がいかなる発想によるものかが詳細に語られており、CB研究家ならぜひ目を通しておいて欲しい資料です。
これを読めば「もともと460MHz帯のCitizens Radio は企業向けの「業務無線」を目的としたものだったが、それを一般市民が気楽に使えるものに変えたくて、1958年になり27MHz帯にClassDのCB無線制度を作った。」というような、ありがちなCB史観が実は誤りであることがお分かり頂けるでしょう。
ジェット(E. K. Jett)とアル・グロス(Al Gross)が目指したものは現代の27MHzのCB無線よりも、もっともっと一般市民の生活に密着したユートピア的無線制度でした。460MHz帯こそが真の「市民の生活のための無線バンド」になるはずだったのです。しかし二人が夢描いた、FCCも干渉せず自主運用に任された市民無線の理想郷は実現できませんでした。生まれるのが少々早過ぎたのでしょう。
そして結果的には世界中のCBersから、「460MHz=業務専用、27MHz=一般用」のような誤った歴史観で総括されるに至ってしまいましたが、創始者の二人はさぞかし無念だったでしょう。
記事ではまず市民ラジオの想定されるユースケースを物語調に2例紹介したあと、第二次世界大戦で無線技術が格段に進歩したことを受けて、30Gcまでの周波数を分配することになったと説明したうえで、市民ラジオ制度の核心の解説に入ります。
まずなぜ466MHzを選んだかの記事を簡単に要約します
『一般的にいえば周波数が低いほど、技術的には容易ですし、製造コストも抑えられ、実現性が高まります。今回の周波数分配プランの策定では、FMラジオ放送、テレビ放送、警察無線、航空無線、政府機関無線など、各方面からの電波の分配要求を加味した結果、市民無線通信業務に分配できる周波数の中で、もっとも低い周波数が460Mcでした。ですがこの周波数は、この戦争用に開発された無線機で得られた経験を生かせば実用化できます。
そしてこの周波数は電波伝播上は昼も夜も無く、安定して、常に見通し距離しか届かないため、同じ周波数をより多くの人々で共用できるメリットがあります。この国を何千もの小ゾーンに分けて、市民無線通信の周波数を上手に共用するかもしれません。各ゾーンごとに70から100チャンネルを割り当てます。ひとつのチャンネルあたりに平均で10から20の加入者が利用しますが、それぞれの通信時間は1日の中のごく僅かですので共用は可能でしょう。』
この小ゾーン無線システムの思想から、ジェットやアル・グロスはCeller Phone(小ゾーンセル式の携帯電話システム)の発明者とも呼ばれています。
つぎにユースケースの解説がありますので要約します。
『広く国民の家々に市民無線通信業務が浸透すれば、市民無線機に「緊急通報機能」を追加することで、女性は平穏で安全な生活を送れます。自動車の利用者ならば、オフィスと車中のセールスマンとの間で、あるいは自宅と車中の家族間で常に連絡が取れます。休暇シーズンには2台以上の自動車で旅行中に、1台の車が突然の都合で別行動を始める時に連絡ができます。そして目的地に着いたた後も、昼間はそれぞれが別行動を取っても、常に市民無線機で連絡が取れますし、もし事故が起きても救助を求められます。狩りに行くグループが市民無線機を持ち寄れば、単独行動している一人が獲物を見つければ、すぐ仲間を集められます。この件はペンシルバニア州でのクマ猟で充分に実証されました。』
このようにペンシルバニアでの熊猟で、実際にWalkie-Talkieの有効性が試されたと記されているが、おそらくはアル・グロスのW10XVX, W10XVYによるフィールドテストのことでしょう。
『 また何百台もの無線機が個人に普及することで、戦時下における民間防衛システムとしても機能するでしょう。医者は市民無線機を使った緊急連絡で、迅速に現場へ急行できますし、刻々と伝わる新しいメッセージに従い臨機応変に巡回ルートを効率良く組み替えできるので、無駄な運転が減少します。さらに医師は(有線で固定式の)電話器のそばで待機することから解放されるでしょう。
これは車を使うあらゆる業務で同じことが言えます。市民無線機を使うことで配送車両の走行距離を減らすことになるでしょう。小さな都市のタクシー会社はガソリンやタイヤの消耗を押さえられます。大きな工場の建設現場では、たくさんの作業員に一斉に指令をだせます。自衛消防団ではリーダーが各団員から状況報告を受け、みんなに的確な指示を与えます。
ところで460Mcの電波は高層ビルにさえぎられて、通信距離が短くなりますが、大都市で通信範囲が都市全体に広がるように、さまざまな地点に中継無線局を建設し、この問題は解消されるでしょう。
また市民ラジオが車に組み込まれると、あなたの車が自宅に近付くとガレージの照明が灯り、扉が開き、室内であなたの帰宅を待つ家族にベルで知らせるでしょう。これは商業施設や大邸宅のガレージに特に有効です。また市民無線機による盗難警報システムの可能性もあります。このリモートコントロール機能は、有線が敷設できない地形や、経済的な理由のときにおおいに役立つでしょう。』
としました。
次に市民無線通信業務に用いられるウォーキー・トーキーについての説明を要約します。
『市民無線装置は最新の陸軍のWalkie-Talkieとは異なります。軍用無線機のような厳格な技術仕様を求めないために、陸軍のそれよりも簡単で安価な装置です。市民無線のWalkie-Talkieがどんなものかは軍事安全保障上の理由から話せませんが、機密ではない部分を少し紹介しましょう。
Walkie-Talkieは携帯型タイプライターのような小型ケースで運ばれ、2Wで通信距離は3から5マイル(5から8km)です。また0.5WのHandie-Talkieなら1から2マイルの通信距離でしょう。バッテリーについても、この戦争で随分と改良されています。
我々は軍用のWalkie-TalkieやHandie-Talkieの開発により、多くの技術的な知見を得ましたが、市民無線用の装置はまだ完成してません。軍用無線機の周波数は460Mcではないため、技術者が460Mcで動作するように設計変更したり、Walkie-Talkieが量産できるようにするために、これからいくつかの実験を行う必要があります。
市民無線装置はまだ机上のプランですが、やがて大量生産が始まれば、Walkie-Talkieで$100に、Handie-Talkieで$50になるだろうと、ある大手メーカーは予想しています。
さてあなたが市民無線機のユーザーになった時、いつ来るかわからない呼び出しを逃さないように、常に待機しないで済む機材もあります。特定のブザー音の組み合わせだけに反応させるものや、特定の電信パルスの組み合わせにだけに反応させる機材です。それを使えばWalkie-Talkieは(有線の)電話器とまったく同じように機能して、あなたは静かに呼び出しを待つことができます。しかしそのような機能のために、真空管の維持と、電気のコストを払うのは、限定的な使い方の一般ユーザーには受け入れられないでしょう。不要な出費を回避するためには、毎時はじめの5分間を通信時間とするように、お互いスケジュールを決めた使い方になるでしょう。』
一般市民に電波を開放するという意味において、FCCは自分たちで運用管理する方式を模索していました
『市民無線通信業務のWalkie-Talkieは、家庭のラジオ放送用の受信機と同じくらい操作は簡単ですので、技術知識は必要ありません。誰でも市民無線機を使えますが、FCCのライセンスだけは必要です。唯一の特別な制限は「外国人には許可しない」ことです。
ライセンスの有効期間は5年間で、費用は無料です。しかしライセンスは使う周波数の所有権を付与するものではありません。市民無線通信用の周波数をみんなで共用する権利が与えられるだけなのです。市民無線通信用の周波数の使い方をみんなの自由に任せると、10Mcもある周波数なのに、特定の周波数が大混雑になる一方で、まったく使われていない周波数が出てくることは十分に考えられます。
周波数の効率的な利用を促進するために、FCCは地域団体のような組織を通して自主運営されることを推奨するでしょう。そして各ゾーンの地域団体は、市民無線通信の利用者の便宜を図るための、使用周波数と運用時間が書かれた「電話帳」のようなものが発行されることでしょう。そしてまた地域団体はそのゾーンの地域性に応じた運用規則を採用するでしょう。FCCはそれらを支援するために準備します。
FCCはそれぞれの州政府が市民無線通信をうまくコントロールしていくと思っていますが、今のところ2つだけ全国的な規制を考えています。電報業務の受託のように通信料をとってメッセージを送信することと、放送局のように一般大衆に向けて放送を行うことを禁止します。もし必要ならさらに制限を追加します。』
FCCのジェット市民無線通信業務へのFCCの規制は最小限に留めて、州の規則や民間の運用ルールに任せようと考えていました。このような方針は欧州や日本では在り得ないものです。たとえばCitizens Radio をまねた「簡易無線」制度は一般人にも免許するというだけであって、その運用規則までもをユーザーに任せる考えはありませんでした。
要約します。
『最後に読者のみなさんにぜひ覚えておいて欲しい事があります。通信法(Communications Act of 1934)に照らし合わせて、国民にとってこの市民無線通信制度には利便性があり、必要なものであることが立証されなければなりません。人々の要求が充分でなければFCCはそれを廃止しますし、必要性が増すと、より多くの周波数が使えるようになるのです。
市民無線通信業務は様々な生活シーンで役立つだけでなく、アメリカの高い雇用水準を維持するのにも役立つはずです。メーカーは何十万台もWalkie-Talkieが売れ、そしてその量産効果で価格が下がれば、さらに人気が高まっていくでしょう。無線機メーカーの労働者だけではなく、卸売業者、小売業者、営業マンなど、あらゆる分野で大規模ビジネスが創出されて、雇用が拡大します。戦地で無線技術に携わってきた何千人もの退役軍人は、無線機の修理屋さんとして地元で暮らせるようになるのです。』
実際のところジェットの言葉どおり、1950年代に入ると利用率が一向に上がらない460-470MHz市民無線バンドは大幅カットされてしまうのでした。
1945年(昭和20年)8月15日、日本帝国政府はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終了しました。なお終戦直後の日本の電波界の状況についてはGHQ/SCAP CCSのページを参照願います。
1945年9月10日、FCCはアル・グロスに対しても、Class 1 Experimental (W6XAG)を許可し、市民用Walkie-Talkieの研究開発が始まりました。
Al Grossは1945年にW6XAF, W6XAG, W6XAHの3つのClass 1 Experimental Station の許可を得ていますが、そのうち詳細が明らかなのはこのW6XAG だけです。
移動範囲をオハイオ州内に制限されたPortable またはPortable-Mobileで、電波型式は無線電話のA3,F3、周波数はその都度FCCから別途指定を受けることになっている、ある意味なんでもあり免許ですね。
1945年(昭和20年)9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ号で降伏文書調印式が行われ、戦争が正式に終わりました。 9月2日と9月3日、ただちに対日指令が発せられ、現在運用中または戦災復旧中(建設中)の無線局のみで現状固定せよとされ、指定事項の変更や新規認可は停止されました。
1945年10月2日にこれまで暫定的に日本を占領していたGHQ/AFPAC(米太平洋陸軍総司令部)の上位組織として、GHQ/SCAP(連合国最高司令官総司令部)が設置されました。そしてGHQ/SCAPの中に日本人の無線局を監督する民間通信局CCS(Civil Communications Section)が出来ました。
日本人が運用する全ての無線局に対する電波行政権をCCSが掌握しました。ただしCCSは申請者へ直接口を出すのではなく、逓信院BOC(のちの逓信省MOC)を通した間接統治という方法を取りました。
連合国総指令部GHQ/SCAPの下部組織である民間情報教育局CIE(Civil Information and Education Section)が運営する図書館の第一号が東京の"日比谷"に開設されました。
アメリカ文化を日本へ浸透させるために、日本各地の主要都市にCIE図書館が開設されて、アメリカのあらゆる分野の書籍や、雑誌、新聞が自由に、そして無料で閲覧できました。
『総司令部民間情報局が日本人のために全国十七ヶ所にもうけたCIE図書館(民間情報教育局図書館)には毎月おもにアメリカをはじめとしイギリス、オーストラリヤから新しい書籍雑誌が送られ、海外の新しい知識を知ろうとする日本人が自由に見ることが出来ます。入場者は二十歳から三十歳までの若い人、学生や科学者、技術者が多いと言われます。』(毎日新聞社出版局編, "CIE図書館", 『本と本のやくめ 改訂版(目で見る社会科2)』, 1950, 毎日新聞社, p27)
特に学生や研究者、企業の開発技術者には宝の山でそいた。もちろんFCCのジェットの市民無線通信業務の創設に関するSaturday Evening Postの記事も多くの日本の無線関係者の目に留まっていたかも知れませんね。
【参考】当時、日本の技術者達の中には、アメリカの先進技術情報を得るためにCIE図書館に通った方も多かったそうで、ブログが流行りだした2000年頃、諸先輩のそういった回顧記事を目にすることがありました。
1945年からの連合国による占領下時代は日本国民の海外渡航は原則禁止されていましたが、市民ラジオ制度の動向情報はアメリカとほぼ同時に日本へも伝わっていたのです。
1945年11月12日、FCCのジェットはA.P.通信社とのインタビューで市民無線通信(Citizens' Radiocommunication Service)制度の準備状況について語りました。
ジェットは「"Walkie-Talkie" は来年の夏頃には発売になり、25,000台ほど使われているだろう。さらに1年後には25万台に達するだろう」と語り、新聞ワシントンポストやロサンジェルス・タイムスで記事になっています。
"Walkie-Talkie to Be Sold To Civilians by Mid-Summer", The Washington Post, Nov.13, 1945, page4
"WALKIE-TALKIES MAY BE AVAILABLE BY NEXT SUMMER", Los Angeles Times, Nov.13, 1945, page2
しかし残念ながら、このジェットの目論み通りに事は運びませんでした。