完成した無線機"Joan"の正式名称はOSS Walkie-Talkie Model SSTC-502で(相方の"Eleanor"の方はSSTR-6)、1944年11月より、ナチス占領下のオランダで活躍しました。
このSSTC-502に目を付けたのが後にFCCの委員長にまで登りつめたジェット(E. K. Jett)です。Jettはアル・グロス(Al Gross)に一般大衆無線構想を話し、二人は意気投合しました。ジェットはアル・グロスにW10XVXとW10XVYのライセンスを与えて実用性に関するフィールドテストを実施させ、その結果、CB無線(一般大衆無線)の創設を決意しました。
OSSのシンプソン(Stephen H. Simpson Jr.)とゴッダード(DeWitt Goddard)の超短波無線の試作機は、オハイオ州クリーブランドに住む無線技術者アル・グロス(Alfred J.Gross [別名 Irving Alfred Gross])の手によって、最終形の完成品となりました。これがCBトランシーバーの元祖といわれている。
重量は約1.8kgで、バッテリーとヘッドフォンは外付の周波数250MHz超小型 Walkie-Talkieです。
天井部のアンテナコネクタはシンプソンの発案、側面のPush to Talk Switch はゴッダードの発案で、それぞれが特許登録しています。
天井に折り畳まれたロッド状のアンテナを差し込み、T型に左右へ90度開くと半波長ダイポールになります。
銘板を見ると、フィラメント用とプレート用の2つの外付けバッテリーが必要だったようです。
ロンドンの欧州連合軍司令部SHAEF(the Supreme Headquarteres of the Alliied Expeditionary Force)と共同歩調をとるために、米国のOSSは秘密情報部SI(Secret Intelligence Branch)を作り、OSSロンドン支局を設けました。J/E SystemはOSSロンドン支局で実戦配備の計画が進められました。
OSSはナチス占領下のオランダにおいて、地元の人々によるレジスタンス活動を組織化する目的で秘密裏に工作員を送り込んでいました。その工作員が定期的にオランダ上空に飛来する連合国軍の飛行機と連絡を取り合うためにこのWalkie-Talkieを使用したのです。
なお後になってナチス通信隊の受信機の傍受可能周波数の上限が250MHzだと分かり、J/E Systemは急遽250MHzから260MHzへ改造されました。
英空軍のデ・ハビランド モスキート(de Havilland DH.98 Mosquito ) は高速偵察機として優れた性能を発揮していました。
ボディの大部分が木製であったため、既に「時代遅れ」だともいわれましたが、木製であるがゆえにナチスのレーダーに発見されにくく、また木製で軽量だったため高速飛行できるというメリットがありました。
OSSは英国空軍の協力を得て、モスキートの後部にある空中カメラ室を、超短波トランシーバーSSTR-6 "Eleanor"の通信室に改造しました。下図[下右]にある複数ケーブルがつながれた黒い箱がSSTR-6です。重量は約18kgでした。
またモスキートは木製だったことから、機体との電波干渉もなく超短波帯通信に最適という利点もあったようです。
すでにナチス占領下のオランダには複数のOSS工作員がSSTC-502 Walkie-Talkie "Joan" を携えて潜入していました。
1944年11月22日。ロンドンBBC放送局がラジオ番組の中で、J/E System 作戦の開始を告げる暗号メッセージを放送しました。これはオランダに潜伏するOSS工作員へのメッセージです。BBC放送局の暗号メッセージを解読した潜入中の工作員は、指定された時刻になるとSSTC-502の電源動作させて、英空軍モスキート"Eleanor"からの電波を待機していました。
やがてオランダ上空30,000フィートにSSTR-6 "Eleanor"を搭載したモスキートが飛来し、旋回を繰返しながら地上のOSS工作員を呼び出すと、地上から明瞭な声で返答がありました。そして必要な連絡指令を伝え終えると飛び去っていきました。英国空軍が誇る最高速の偵察機を使ったJ/E Systemの初ミッションは大成功でした。
1945年の戦争末期にはドイツ地域でもJ/E System が活躍しています。なおSSTC-502は500台生産されたといわれており対日戦線での利用も検討されましたが、軍部の反対もあり太平洋地域では使用されておりません。
英国のスパイ無線がCB無線のルーツとも伝えられたのは、このように米国OSSと英国空軍が共同作戦をとっていたからです。英国のBritish SOE(Special Operations Excutive: 特殊作戦執行部)でも同種の目的で、地対空スパイ無線システム"S-Phone" (300MHz帯)を独自開発していたが、徐々にこの J/E System に置き換わりました。
【参考】確か2009年頃だったと思いますが、オランダのアムステルダムで開かれた国際放送機器展IBC(International Broadcasting Convention) へ出張した際の休日に、私は市内のレジスタンス博物館(Verzetsmuseum)を見学しました。残念ながらOSSのスパイ無線に関係するような展示はありませんでした。
1944年当時、連邦通信委員会FCCのチーフエンジニアだったジェット(Ewell K. Jett) が、アル・グロスらがOSSで開発していたWalkie-Talkie SSTC502に興味を持ちました。もちろん軍用ではなく、民間通信用(Civilian Walkie-Talkie)としてです。
まずジェット(Ewell K. Jett)について紹介します。
1893年3月20日、米国東海岸の港町ボルチモアに生まれたジェットは、18才(1911年)で海軍へ入隊し、戦艦ユタ、ミシガン、駆逐艦パーカーの通信士を歴任した。1929年に連邦通信委員会FCCの前身組織である連邦無線委員会FRC(Federal Radio Commission)へ出向したが、まもなく海軍を退官しFRCへ完全移籍した。
1934年、新しい無線法(Communications Act of 1934)が成立して、連邦無線委員会FRCは連邦通信委員会FCCに改組されました。
ジェットは1938年にFCCのチーフ・エンジニアへ昇進、さらに1944年2月14日、米国議会よりFCCのCommissioner に任命され、翌15日に就任しました。("Jett Nomination is Confirmed by Senate", Broadcasting, Feb.14,1944)
FCC Commissioner のジェットの功績としてよく知られるものにDocket No.6651があります。これは第二次世界大戦の終結後の新しい周波数分配プランで、彼はこの成案作業の中心人物として、関係諸団体(政府系無線組織IRACや非政府系無線組織RTPBなど)との利害調整を精力的にこなしていました。
そして1944年11月16日、Franklin D. Roosevelt大統領はE. K. Jett を、第五代FCC委員長(暫定委員長 Interim Chairman:任期Nov.16 - Dec.20,1944)に任命した。彼はついに電波行政の頂点に登りつめたのです。
アル・グロスはワシントンのFCCで、Walkie-Talkieのデモンストレーションを行うようジェットから要請された。そしてWalkie-Talkieを持ってFCCに来てデモンストレーションを行った。そしてジェットはOSS Walkie-Talkieに強い衝撃を受けた。
ジェットはデモ後の会議で、もし一般市民にWalkie-Talkie電波を開放する「市民ラジオ制度」を創設するならば、装置の量産性や価格面での問題は解決できるか?そして市民生活における活用シーンはどんなことが想定できるだろうか?と次々に質問しました。そして彼らの描いた「活用シーン」等が本当に可能かを実証実験を行うことになりました。
1944年の遅くに、FCCはアル・グロスのModel SSTC-502に、移動実験局W10XVX と W10XVY(数字10は移動局、 サフィックスXで始まるのは実験局)を免許しました。目的は一般大衆無線用(Civilian Walkie-Talkie)としての実用性のテストでした。
もちろんまだCB無線制度が無い時代だから、これは第一号CB無線局ではありません。しかしCB無線制度創設の是非を問うフィールドテスト用の無線局だった点は見逃せないでしょう。
Al Gross はこの当時のフィールドテストを次のように語っている。
『We went all around Washington and talked across town. We went up the Washington Monument and tried it from there. We went to New York and tried it in the subway. Then we went west Montana, Los Angeles and Seattle. We tried it in the mountains. People who saw us looked at us like we were from Mars. It created quite a sensation, ・・・略・・・』 ("Yes Virginia...There Is A Father of CB", CB Times, Nov.1978, page58)
70年前に、Walkie-Talkieを持って、ワシントン、ニューヨーク、モンタナ、ロサンゼルス、シアトル等の大都会を回りました。特にニューヨーク地下鉄の雑踏の中でも、アル・グロス達は火星人のような姿で通話実験をしたのでしょうか。実に愉快ですね。CB史研究家の私としては、この80年前の苦労話というか、CB誕生秘話にとても興味を惹かれます。
実験の正確な時期は特定できていませんが、1944年12月から翌年初頭に掛けてのフィールドテストだったと考えられます。こうして一般市民用 Walkie-Talkie の実用性が確認されて、ジェットはCitizens' Radiocommunication Service の創設を決断し、1945年1月15日に電撃発表を行いました。