1953

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この1953年(昭和28年)はCitizens Radio Service(CRS)の存続の危機にさらされた年でした。一向に利用者が増えないCRSにFCCが10MHz帯域もの周波数を与えていることへの不満が、無線利用団体の怒りを買い爆発したのです。アメリカの大手製造業56社で組織された「製造業における無線利用の検討協議会」(Committee on Manufacturers' Radio Use)は、利用度の低い460-470MHz Band に製造業無線業務(Manufacturers Radio Service)を創設すべきとするFCCへの請願書を発表しました。

また日本では検定合格第一号と第二号が市場に流通し、FCC流にいうところの一般人なら誰でも開局できる「ジェネラルベースのCitizens Radio Service」がスタートした年です。つまりわが国の本来的な意味での簡易無線制度は1953年(昭和28年)に始まったといえるでしょう。【注】 さらに本質的な意味では、特殊無線技士の資格が不要になった1958年(昭和33年)こそを「ジェネラルベース」のスタート点と呼ぶべきかも知れません。

私はまだ政府系の公式資料での検証が出来ていないのですが、1953年7月にニュージーランドでCitizen Radio Service が創設(460-470MHz および 26.500MHz)されたといわれています。460MHz帯としてはアメリカ、日本に次いで世界で三番目です。11 meter としてはアメリカについで世界で二番目のCB無線制度です。今後もし公的な確認がとれましたらこのページを交信してお伝えします。

SUMMARY この年の出来事

February 1953 - 製造業での無線利用の検討協議会(Committee on Manufacturers' Radio Use)が組織される。

March 31, 1953 - 簡易無線局の免許数が133局になる。

June 02, 1953 - 関東エリアのコールサイン(JKX20-99)が満杯になり、元四国エリア用(JKX500番台)の使用開始。

December 1953 - 製造業での無線利用の検討協議会が460-462, 468-470MHz の割譲要求を表明。

Dec. 10, 1953 - ニューアイル航空株式会社にラジコン実験局 JJ3FG(27.120MHz, A1, 1w)免許

  • Jan. 12 1953 四国エリア第一号の簡易無線局 JKX451, JKX452

四国エリア初の簡易無線局が誕生した。免許人は厚生省でコールサインJKX-451,452、周波数154.53MHzである。私は元々、四国はJKX500番台が予定されていたと思っている。その最大の理由は占領期にGHQ/SCAPが各無線局を承認したときに割り振ったSCAP登録番号は中国エリアの無線局は4シリーズであり、四国エリアの無線局は5シリーズだったからだ。

しかし関東エリアで早々とJKX20-99のコールサインを使い切ったため、新シリーズJKZ20-99の使用を開始したがそれもいつまでもつか分からないため、まだ1件も申請のなかったJKX500番台を四国から召し上げ、関東で使用することにしたのではないだろうか(そして中国エリアは400-449、四国エリアは450-499に分割)。さらに想像力を発揮すれば、この厚生省の簡易無線局JKX451,452には予備免許の段階ではJKX500,501が指定されていた可能性もあるだろう。

【参考】もともと関東エリアに属していたはずの信越エリアで、初の簡易無線局が1953年(昭和28年)12月に免許されたている(JKX900)。しかし信越エリアが関東エリアから分離独立が決定したのはこれよりも早い可能性はある(いやそれ以前に、信越は関東の一部だったと断定する史料は発掘できていない)。

    • February 1953 ・・・ CMRU(Committee on Manufacturers' Radio Use)が組織される

民間企業向けの産業無線業務(Industrial Radio Service)を利用している製造事業社達が、年々ひどくなる混信問題を協議するとともに、自分たち製造業界のための新たな無線制度の創設をFCCへ働きかけるために「製造業における無線利用の検討協議会」(Committee on Manufacturers' Radio Use)を組織した。

この協議会にはメーカー56社が参加した。主だったところを下表に示す。

この団体が新たな周波数源として、現行460MHz帯 Citizens Radio Service の利用率の低さに注目しはじめた。

  • February 1953 ・・・ 初のクラスC(27MHz)合格機と初のクラスA(460MHz)合格機が登場

27.255MHzがClass C Citizens Radio Service に開放されて1年が経とうとしていた頃に、かつて465MHzのClass B Citizens Radio Service のリモコン装置、検定第一号を取得したVernon C. MacNabb Co. が27.255MHzのリモコン装置を売り出した。 Radio and Television News(Feb. 1952, p85)の新商品コーナー(What's New in Radio)で紹介された(FCC検定番号は不明)。(今後もしこの装置について何か分かればこの欄を更新させていただきます)

さらに同じ新製品コーナー(p86)にはモトローラ社の460-470MHz帯Class A CRSが紹介されている。車載用モデル"T44A"と 基地局モデル"L44A"のニ機種で入力は10Wと50WのClass A の本格機である。FCCの検定番号は車載モデルが「CR-406」で、基地局モデルが「CR-407」だった。

『The Federal Communications Commission recently announced Its first specific FCC Class "A" Citizen's Band type approval on mobile and base station radio equipment for operation In the 460-470 Mc. frequency band. The FCC approval Is for mobile and base station equipment manufactured by Motorola, Inc. of Chicago. FCC Type Approval No. CR-406 and No. CR-407 applies to Motorola mobile radio model T44A and base station model L44A respectively. 』 (Halbert Powers Gillette, Roads and Streets, 1953)

このモトローラ社のUHF無線機は450-460MHzの各種業務無線用としても売り込めるよう仕向け先ごとに調整して出荷されたようだ。Model T44Aはいくつものバージョンがあり、10年以上も販売され続けたロングセラー商品で、その中古放出品はアマチュア無線でも活躍した。

  • March 1953 エリア別の簡易無線局数

郵政省電波管理局「電波統計月報」によると、1953年(昭和28年)3月現在で、簡易無線局数は全国で133局。ちなみに1952年(昭和27年)12月では85局だった。また参考までにアマチュア局も併記する。

再免許を受けない局や予備免許でコールサインを取得したが本免許に至らなかった局もあること、さらにこの表は本免許の局数なのでコールサインの番号はもっと進んでいるはずである。関東エリアでJXK20-JKX99の80局分のコールサインを使い切ったのは1952年暮れではないかと想像される。(その後JKZシリーズを使用)

  • May 20, 1953 簡易無線局の免許権限が地方電波管理局に

5月20日より簡易無線局の予備免許・本免許の許可が地方電波監理局長へ権限委譲された(しかし無線局免許の交付者は郵政大臣)。新しい電波法のもとで電波監理委員会は戦前から続いた中央集権型の電波行政を、地方へ委譲しようとしていた。1950年(昭和25年)12月27日に船舶局、1951年(昭和26年)5月22日に一定範囲の高周波利用設備、1952年(昭和27年)12月7日にアマチュア局の許可が地方電波監理局長へ委譲されており、今回の簡易無線局への措置もその方針に沿ったものだった。

  • June 02, 1953 関東エリアでJKX450-JKX499の使用開始

1952年(昭和27年)暮に関東エリアではJKX20-99を使い切り、新たにJKZシリーズの使用を開始していたが、四国エリアから召し上げたと考えられるJKX500,501が横須賀の東京湾輸送(株)に本免許された。周波数は154.53MHzである。

  • June 30, 1953 CB局が急増しはじめた

FCCの年次報告書によると市民ラジオは3,829局へ増加した。なお下表のfootnote1 にあるようにFCCの地方事務所で発行された免許は3月31日までの分しか含まれていない。つまり4月1日から6月30日のライセンスを含んでいないので、実際には4,000局を超えたと想像される。FCCの統計ではクラス別の許可数は不明だが、27MHzのClassCが市民に大々的に受け入れられたようだ。

(局数統計)

また申請件数も一気に10倍という爆発的な伸びをみせた。

(申請数統計)

  • July 1953 ニージーランドで460MHz帯と26MHzの Citizens Radio制度が誕生

1953年7月、ニュージーランドの無線規則が改正されて、Citizen Radio Service が創設された。周波数は460-470MHzおよび26.5MHzで、アメリカの制度を取込んだものと考えられ、27MHzの電波を市民へ開放したという意味ではFCCについで、世界で2番目である。

なおFCCは27MHzをラジコン用で開放したが、ニュージーランドは無線電話(26.500MHz, 0.5W, AM)だったため、27MHzの無線電話という観点でいうとこれが世界初だとされている。

しかし私はニュージーランド政府の公式な資料による確認が出来ていないため、なにか発掘できればこのページを更新します。

    • Aug. 31, 1953 日本の簡易無線局数

郵政省の統計によると1953年(昭和28年)8月31日時点での我国の簡易無線局は197局だった。

  • October 1953 バブコック(Babcock)社の27.255MHz R/C機

雑誌AIR TRALIS(1953年10月号)にバブコック社(Babcock Radio Engineering, Inc., California)の送信コントローラBCT-2と受信ユニットBCR-3の特集記事および広告が登場した。送信コントローラBCT-2($39.95)は27.255MHzの水晶発振器に900Hzトーンで振幅変調を掛けるタイプで送信出力は約0.4W(FCCの検定番号は不明)。アンテナは3フィート(=92cm)だった。

また模型に内蔵させる受信ユニットBCR-3($29.95)は写真で分かるとおり、送信コントローラーの1/4程に小型化されていて、重量は5オンス(=140g)だが、これとは別にバッテリーが必要になる。

  • November 1953 日本の簡易無線制度の現状

日本初の簡易無線の検定合格機はどうやら直ちにそれらの機器が市場に流通したわけではなく、相変わらず開局を望むものが自ら無線機を設計して、予備免許・落成検査・本免許という一般の無線局とまったく同じ開局手順を踏んでいたようだ。FCC風にコメントすれば「テンポラリーベース」の簡易無線である。 アメリカと事情が違うのは日本ではたとえ「テンポラリーベース」であっても、正規の「簡易無線局」としての免許が発行されていた点である。この時期(日本版テンポラリーベースの簡易無線)の実態を知りうる数少ない資料の中でも、「無線と実験」1953年(昭和28年)11月号の岡田樹樹氏による「簡易無線業務を開設するには」は、当時の開局手続きの様子を伝える、第一級の歴史的資料である。

筆者の岡田氏の経歴は明らかにされていないが、その知識の豊富さや文調から、電波行政に携わる関係者ではないかと想像する。以下引用させていただく。

『駅から旦那様が奥さんに、今夜のおかずは?と尋ねたり、ハイキングや野球見物の際、見えない所から親しい友だちに、オイもう帰ろうなどと、無線で呼びかけできたら・・・、これは長い間、無線マンの夢でもありました。夢であって、現実でなかったのは、やろうとすれば誰でも簡単にできるこの無線機が、戦前まではいかめしい法律によってタブーとされていたからであります。ところが戦争も終わり、"民主的"と銘打った電波法の施行とともに、この"夢"は、多分に"現実味"を帯びてきました。現実味とはいえ、その名の"市民ラジオ"のひびきからくる安易さまでには、まだ相当のひらきがあり、一般市民にはちょっとむずかしい法律上の制約があるのです。』

市民ラジオとは

さて市民ラジオとは、電波法でいう"簡易無線局"のことで、その英訳をみますと Simple Radio Station となっておりまして、市民ラジオ(Citizen's Radio)はその通称であります。それならば、この簡易無線局の簡易たる所以は一体何であるかと考えてみますと、それは人命をになう船舶無線局や、航空無線局、治安維持や気象通報に使用する固定無線局、さては文化、娯楽、報道にたずさわる放送局のように、"重要な業務"に使うものではなくて、会社や一般市民が、さして重要でない、すなわち"簡易な業務"に使う無線局で、しかも"簡易な業務用として指定された周波数"を使う無線局なのです。このような意味で簡易な無線局でありまして、今のところ、電波法の上では、その手続きも、取り扱われ方も、"重要な業務の局"とほとんど同じでありまして、とりわけ簡易ではありません。おことわりしておきますが、単に電波を出して実験だけを行うためのものは、簡易無線局とは異なり"実験局"であり、また微弱な電波しか出さないレコード・プレイヤーや小型発信器は、電波法の対象から除外されておりまして、この稿で述べているのは、電波を出して、簡易な業務としての通信を行う無線局のことであります。』

市民ラジオの開設

アマチュア局等の開設に経験のある方は、もう開局手続きはご承知のことと思いますが、市民ラジオもそれと同じような手続きが要るわけであります。これから順を追ってその方法を述べてみましょう。

①無線従事者の資格をとること

電波法によりますと、無線局を運用(通信や機器の操作)する人は、国家試験に合格し、無線従事者として免許を受けた人でなければならないことになっております。会社などでこの簡易無線局を開設するときは資格者を雇えばこと足ります。しかし本誌をお読みになる皆様はほとんど、自分で運用したい人ばかりと思われますが、そのためには、自分がまず無線従事者でなければなりません。さきにちょっと触れた"実験局"を運用するにも相当の資格を要します。市民ラジオにはどんな資格があればよいかと申しますと第一級無線通信士、第二級無線通信士、第一級無線技術士、第二級無線技術士及び特殊無線技術士(超短波陸上または海上無線電話)のうちいずれかが必要です。

②開設の申請

無線従事者の資格があれば、自由に製作し、通信ができるかというとそうは参りません。次は開局の申請をします。申請の方法は郵政省令の中の"無線局免許手続規則"に定められており、なかなか難しいものです。この申請書を、自分の住んでいる地域を管轄する地方電波管理局へ提出します。申請書は正本と副本、都合2通が必要で、製本の方には、申請手数料として700円の収入印紙を貼らなければなりません。申請の際には、次のことにご注意下さい。

a. 市民ラジオは、一定の共通周波数(f項参照)を共用しますから、当然混信問題を生じます。それを承知の上でなければ受付けてくれません。

b. アマチュア業務であってはなりません。

c. 免許を受けた者以外の者の使用に供するものであってはなりません。

d. 通信の相手方は市民ラジオ局に限られています。

e. 技術的には次の諸項目を満足させなければなりません。

1. 周波数偏差が郵政省令(無線設備規則第5條)に定められた許容値内になければならない。

2. 電波型式はA1, A2, A3, A4, F1, F2, F3, F4 の範囲内であること。

3. 周波数帯幅は、郵政省令(無線設備規則第6條)に定められた許容値内でなければならない。

4. 空中線電力は、f項に定められているが、その算出は終段管の Ep x Ip x 能率(%)であること。

f.

周波数と空中線電力は右上の表の範囲であります。

③予備免許

申請が受理されますと、数日後、予備免許が与えられます。この際待望のコール・サインが決定されるわけであります。コール・サインは、JKXまたはJKZの次に一位から百位までの中の数字のつくものです。予備免許後は。届出さえすれば実際に電波を発射してテストすることができます。

④落成検査

予備免許を受けた人は、その際指定された期限内に工事落成の届出をし、郵政省検査官の落成検査を受けなければなりません。落成届には、検査手数料として4,000円の収入印紙を貼付します。検査は、申請の内容と実際が一致しているかどうかの対比照合、無線機から発射される電波の質が、省令の規定値内にあるか、その他、電波法で定められた書類が完備しているか、従事者の資格は宜しいか等の点に着眼して行われます。

⑤免許

落成検査に合格しますと、やがて免許状が与えられます。これでいよいよ大手をふって"市民ラジオ"としての活躍ができるわけでありますが、正式運用に先立って、運用開始届と、無線従事者選任届を提出することになっております。

以上が簡易無線局の開設手順でありますが、皆さんの中には、これでは少しも"簡易"ではないと悲鳴をあげられる方が多いことと思います。はじめに申しましたように、只今のところは、このように"簡易でない"手続きが必要なわけであります。簡易無線局が名実共に簡易になるためには、資格制限の撤廃、手続の簡素化、手数料の値下げ、発射電波の質の寛大取扱い、等々が実現しなければなりません。移動アマチュア局も認められない日本の現状の中で、市民ラジオのフリーな運用を夢みる無線マンは、現実遊離の理想主義者でしょうか、いや決してそうではないでしょう。市民ラジオを本当に市民のものにするために、皆様のご協力をお待ちしております。 』

この記事から興味を引く部分をいくつかピックアップしよう。

【英語名:シンプル・ラジオ・ステーションの紹介】

趣味系の一般誌で簡易無線局の公式英語名 Simple Radio Station を紹介したものは、後にも先にもこの記事だけではないだろうか。

【ゆるい(?)予備免許】

次に開局手続きだが、申請すればわずか数日で予備免許(すなわちコールサイン)が与えられるという。簡易無線局の場合は予備免許の審査は非常にゆるかったようだ。これは逆に言えば、コールサインはどんどん進むが、結局落成検査合格にまで至らずに断念する者も多かったかもしれない。このテンポラリーな簡易無線の時代では、官報で告示されている本免許のコールサインの順番が飛び飛びだったり、古いコールサインが随分後になってから告示されることも少なくなかった。

【許可を与える電波型式は通達により決定?】

許可を与える電波型式にA1(電信)、A4,F4(ファクシミリ)、F1(FSK)が含まれており、FCCの創設思想がまだ受け継がれていた点が非常に興味深い。

操作に必要な資格に特殊無線技士の簡易無線が含まれていないこと、そして検定合格機を購入すれば予備免許や落成検査が省略されるはずなのに、検定機についてまったく触れられていない点に目をひかれた。現在、横浜旧軍無線通信資料館が所蔵する国際電気製のKH-811型467MHz簡易無線機には1953年1月製造との銘板が貼られているので、1952年(昭和27年)12月に検定合格後、直ちに生産されたのは間違いないが、市場にはあまり流通していなかったと考えられる。特殊無線技士簡易無線電話という資格は検定合格機を取り扱うための資格なので、検定合格機の流通量が少なく、その無線従事者試験は実施されてなかったようである。

またコールサインはJKXまたはJKZという記述から、関東エリアではJKX99の次にJKZシリーズ(JKZ20から)が発行されたと思われる。すなわち四国エリアのJKX500番台はまだ関東に召し上げられていない可能性がある。

  • December 1953 IRS業界団体が CRS Class A のチャンネルプランを発表

アメリカの大手メーカー56社で組織された「製造業における無線利用の検討協議会」(Committee on Manufacturers' Radio Use)は、ほとんど使用されていない460-470MHz Band に目をつけて、ここに製造業無線業務(Manufacturers Radio Service)を創設すべきとするFCCへの請願書を発表した。

10MHzもの周波数帯域を割当てておきながらほとんど利用されていないCitizens Radio とは対照的に、民間企業向けに開放された産業無線業務(IRS: Industrial Radio Service)は順調に立ち上がり、都市部では混信が激化していた。そのため1951年頃よりCitizens Radioの周波数を削減すべきとの意見が業界誌などに登場するように成っていたが、ついにそれが動き出したのである。

本題に入る前に少し寄り道をする。通常なら無線局への周波数の割り当てはチャンネル単位で行われる。しかしアマチュア無線は例外的に帯域指定で、その範囲内なら利用者が自由に使える。FCCはCitizens Radio Service をアマチュア無線と同じように帯域指定とした。FCC は地域の自治団体がその地域の実情に合わせてチャンネルプランを決め、運用規則を決めれば良いと考えていた。FCCとして全国レベルで規制するのは18歳未満や外国人には許可しないことと、ラジオ放送行為やメッセージの有料受託伝送(電報行為)を禁止するなどの数項目だけにして、(460-470MHzの10MHzを特別エリアだとして)1900年代初頭のように電波を国民のもとへ返還しようとしたからだ。

しかし無線機を製造する側は、整然とした無線システムの発展を促すには、きっちりチャンネルプランを設定しておいた方が効果的だと考えていた。そこで1953年になってRCA(Radio Corporation of America)が代表し、100kHzセパレーション100chの業界自主チャンネルプランを作り、これが「無線・電子・テレビ・製造業協会」(RETMA:Radio Electronics Television Manufacturing Association、現:EIA 電子工業会)で採択された。FCCはこの周波数帯(460-470MHz)は国民に返還したものであるから、行政が干渉すべきではないと考えていたので、これはあくまで民間による自主プランであることに注意して欲しい。なお表のブルーの部分はClass A とClass B の共用周波数である。Class A の460-462, 468-470MHzは最大入力50Wまで許されているが、共用帯ではClass A 局であっても、Class B 局と同じく最大入力は10Wまでに制限される。これはClass B 局を保護する意味からである。【注】 水晶制御のIFFトランスポンダーBC645(非検定機)によるClass B Station はch.21-80 のような細かい周波数設定が利用できるが、自励発振方式のModel 100B(電話)や、Model CC(ラジオコントロール)のような検定機によるClass B Station は実質上465MHzの1chとなる。 では本題に戻るが、「製造業における無線利用の検討協議会」はまず自分たちの産業無線局(IRS: Industrial Radio Service)の惨状を訴えた。「IRS を利用している127社で6,537 mobile unit にまで発展したにもかかわらず、(共用ではない)IRS専用波は152-162MHz Band で5波、450-460MHz Band で10波しか用意されていない。これでは近い将来に破綻するのは明らかである」というものだ。

さらに協議会はデトロイトとロサンジェルスの2地区での実地調査を実施し、デトロイト地区では40波の専用波、ロサンジェルス地区では19波の専用波の追加が必要だと報告した。そして450-460MHzのIRSがこんなに悲惨な状況なのに、お隣さん(460-470MHz)のCRS(Citizens Radio Service)はほとんど誰も使っていないじゃないかと攻撃を始めた。だがあながちこの指摘は間違ってはいなかった。まずCRS のClass A の検定合格機がいまだにない。しかし Class A Station がゼロかというと、そんなことはないだろう。自作機で許可されたClass A CRS もあっただろう。だが「製造業における無線利用の検討協議会」は"largely unused"(大部分は未使用)とこれを切り捨てた。

無線機業界にとって(FCCから安価で供給するように指導されている)CRSはビジネスとして魅力がなく、IRSなどの他の無線業務用無線機への市場供給が先行したため、CRS Class A の検定無線機は提供されなかったのである。

そして結論だ。CRSは(いまだにClass A 検定機が存在しないのだから)ch1-20(460-462MHz)とch81-100(468-470MHz)の周波数を、新設する製造業無線MRF(Manufacturers Radio Service)へ明け渡し、その代替周波数としてFMラジオ放送Bandから分割を受ければ良いとした。

Citizens Radio Service はFMラジオ放送帯へ引越せといっても、今度はFMラジオ放送業界の猛反発が予想され、FCCはこの請願には慎重な態度だと業界紙が報じた。

"Exclusive FM Band Asked by Big Firms" (Broadcasting, Dec.14, 1953, p50,52)

"Seek Spectrum Space For Industrial Radio" (Billboard, Dec.19, 1953, p3)

  • Dec. 10, 1953 27.120MHzのラジコン実験局(JJ3FG)が本免許

ニューアイル航空株式会社に対して27.120MHz, A1, 1Wのラジオコントロールの実験局の本免許が下りた。戦後初のラジオコントロールの実験局は1950年のページでも書いたように東京電機大学だが、27MHzを使用するラジコン免許第一号はこのニューアイル航空である。コールサインはJJ3FGだった。

  • Dec. 21, 1953 信越エリアに簡易無線局誕生

信越エリア初の簡易無線局が誕生した。三越タクシー(株)にJKX-900,901が本免許された。信越エリアが関東エリアから分離された時期は定かではない。いやそもそも1952年(昭和27年)の時点で簡易無線局のコールサイン発給上、関東エリアに属していたかさえ証明できない。唯一の推測の根拠は無線局のSCAP登録番号が、1952年当時では信越と関東が同じグループに属していたことだけである。