アマチュア無線

アマチュア無線の歴史について何と書けば良いのかと悩んだ事項をこのページにまとめます。本サイトでCitizens Radio の歴史を説明するにあたり、1920年代初頭のCitizens Radioと呼ばれたアマチュア無線家の活動や、米国のラジオ・カオス時代の電波は国家のものなのか?という根本的な話題にまで立ち戻る必要がありました。アメリカの影響を受け、大正時代の日本でも Citizens Radio の啓蒙活動が活発化しました。濱地常康氏、安藤博氏、苫米地貢氏の御三方はCitizens Radio の源流を語るに欠かせない大先輩です(1912-1923のページを参照ください)。しかし濱地氏と安藤氏の話題を扱うと、どうしてもアマチュア無線の創成期の話題は避けられなくなり、いくつかのトピックスを紹介することにしました。

【参考】 なお世界のアマチュア無線の起源や歴史についてはアマチュア無線家のページが参考になると思いますので、そちらをご覧ください。

戦後、簡易無線のコールサインがJKX20から始まりましたが、どのような経緯をもってそうなったかも私の大いなる疑問で、終戦後の逓信省とGHQ/SCAPの向き合い方などを調べていました。また一方で、日本で一番最初に27MHzを使ってプライベートな通信を行ったのは占領軍のアマチュア局ではないかという、私が子供時代から抱き続けていた疑問を解くため、終戦直後のアマチュア関係の資料も一部収集していました。JA8AとJA8Bというコールサインが千歳鉱山に割当てられたり、鉄道無線にJAコールが割り当てられていたことを知るに至り、気が付けば膨大な資料が手元に残るようになりました。

当時日本の電波を統治していたGHQ/CCSが、日本の電波当局(逓信院BOC・逓信省MOC・電波庁RRA・電波監理委員会RRC)とやり取りした膨大な資料をアメリカに持ち帰り米国国立公文書館で公開されました。占領下の通信関係はRG331に分類されています。それらを無線史研究者の方々にも公開しようと思い書き始めますと、アマチュア無線の歴史に関する部分で、私はどう書けばいいの???と悩む部分が続出しました。

Amateur オールドタイマー諸氏は子供の頃より私の尊敬の対象でありますし、さらにアマチュア40数万局を敵に廻して孤軍奮闘する気など毛頭ありません。引退アマチュアの "独りごと" だと、どうぞ流してください。

またこのページ後半には日本のアマチュアの周波数と、District Numberに関する話題を集め、サイト内の関連トピックスへの内部リンクを貼りましたのでご利用ください。

【Abstract】 このカテゴリーの各サブページの概要とリンク

    • [法2条第5号施設]

    • このサイトで戦前のアマチュア無線の名称を何と表記すれば良いか悩みました。『私設無線電信無線電話実験局』としても良かったのですがなんだか変な感じもするし、といって名案も浮かばず結局、本サイトでは安直に法2条第5号無線施設にしました。

    • [200m & down]

    • 1912年にアメリカで無線通信取締法(Radio Act of 1912)が施行され、『アマチュアの実験は200m以下(1500kHz以上)と規定された』とする記載がWeb上で散見されますが、Radio Act of 1912の原文にはそう書かれていません。この話題と、放送が通信の一部としてアマチュアにも認められていた時代について書いてみました。

    • [SCAPIN 1744/36]

    • 『1952年3月11日、GHQは日本政府に対し“アマチュア無線禁止に関する覚え書” を解除した旨通告した。』 これもWeb上で散見されますが、本当なのでしょうか?今回(2013年のお正月休みに)手元の資料を整理して謎解きが出来ましたので、それをお伝えします。

    • [J1AA]

    • 『1925年4月8日。逓信省岩槻無線局 J1AAが、アメリカのU6RW局と交信。』 これもWeb上で散見されますが、成功当時の各種資料は4月6日に6BBQ局と交信だと伝えています。それがいつのまにか4月8日に6RW局と交信したと変化しました。この不思議な移り変わりにスポットをあててみました。大正14年4月までの短波開拓全般に触れています。J1AAの活躍をお知りになりたい方は、次の「J1PP J8AA」のページをご覧下さい。

    • [J1PP J8AA]

    • 1925年(大正14年)に逓信官吏練習所の無線実験室に置かれた逓信省工務局の短波実験局 J1PPと、同年夏から秋に開局した朝鮮逓信局の短波実験局J8AAの話題を提供します。基本的には大正14年の短波史として出来事を網羅するようにしました。また「アマチュア無線のあゆみ」(JARL, 1981)に収録された「J1PPがブラジルのBZIC局と交信した」という記事は、引用元のラジオ新聞の誤りで、その真相についても記しておきました。基本的には大正14年の話題を集めいています。

    • [短波開放の通達]

    • 1926年(大正15年)4月20日、我国初の「業務別周波数割当表」を海軍・陸軍・逓信の三省で合意した。実験(含むアマチュア)バンドは85m帯(3.5-4MHz), 42m(7-8MHz), 5.5m(55-60MHz)に定められた。同年7月10日に逓信省は「短波長使用ニ関スル件」(電業第748号)で短波開放を地方逓信局へ通達し、これに基づき同年秋より相次いで学校(電信協会JAZA)、個人(安藤博JFPA)、団体(東京電気, JKZB)へ短波を免許しました。そんな大正15年の我国の電波行政の動きを紹介します。

    • [短波の実用化]

    • 1927年(昭和2年)4月22日、我国初の国内短波実用回線がオープンしました。この年の秋にワシントンで開催される第三回国際無線電信会議で短波帯を国際分配することになっていたため、日本の発言力を高めるためにも短波の実用化を急いだ結果です。また大正15年に既に免許されることが決まっていながら保留にされていた有坂磐雄氏(3月1日免許, JLYB)と楠本哲秀氏(3月24日免許, JLZB)に継いで、6月9日に草間貫吉氏への免許方針が固まりましたが、直後に事態が急変し、9月7日まで免許がお預けされました。そういうった昭和2年のアマチュア無線の免許関係の話題を中心に集めました。

    • [検見川とJ1AA]

    • 1926年(大正15年)7月1日に開業した東京逓信局所属の東京無線電信局検見川送信所の始まりからGHQ/SCAP占領時代までの歴史と、岩槻無線から移ってきたJ1AAの話題を拾ってみました。ツェッペリン伯号との交信、ドイツと国際無線電話試験、国際放送試験、標準電波JJYの話題を紹介しています。

<参考・・・戦後の日本のアマチュア・バンドの決定>

我国のアマチュア用周波数は、1926年(大正15年)4月20日の「業務別周波数割当表」で85m帯(3.5-4.0MHz), 42m帯(7-8MHz), 5.5m帯(55-60MHz)を実験用バンド(含むアマチュア)として定め、この分配表から具体的な波長80m(3.75MHz), 38m(7.9MHz), 5m(60MHz)の三波を選出したのを始まりとします(大正15年9月)。短波開放の通達のページ参照。

1927年(昭和2年)のワシントン会議で世界的なアマチュアバンドが決まりましたが、日本のアマチュア周波数は三省協定により、下表の1.775, 3.550, 7.100, 14.200, 28.400, 56.800MHzの6波に限定されていました(但しそれさえも1941年12月より禁止)。第二次大戦終結後もしばらくは1938年(昭和年)のカイロ会議の分配がまだなお有効でした。 【注】 アメリカは1947年のAC会議の決議を待たずして、さっさと私生児バンド27, 50, 144, 220MHz 等を新設しました。

(160, 80m)

(40, 20m)

(10, 5m)

それでは参考までに戦後初のアマチュア無線の周波数・電波型式・最高空中線電力を掲げておきます。日本の戦後のアマチュア無線の周波数帯は2つの過程を経て決定されました。

◆ アマチュア無線の周波数帯を電波監理委員会RRCが決定(昭和26年2月23日)

まずファーストステップとして1951年(昭和26年)2月23日に電波監理委員会RRCは「業務別周波数帯分配表」を定め、アマチュア業務を含む、各無線業務ごとの周波数帯を決めました。ここに戦後初のアマチュア無線の周波数帯が定められました。

ちょっと余談なのですが、この分配表は私にとっても想い出深いものです。工学部の学生になった私は、学校の図書館で昭和26年2月制定の業務別周波数分配表の存在を知りました。CB無線帯に近い25.6 - 26.6 MHzの1MHz帯域が、昭和26年の日本では放送バンドに分配されたことを知りとても驚きました。(この我国初の「業務別周波数分配表」は27.5MHz以上の周波数数は1947年のアトランティック・シティ(AC)会議の分配表に従っていますが、実施が先送りされた27.5MHz以下の短波帯は、1938年のカイロ会議の分配表をベースにしつつ、AC会議の周波数分配結果への移行を考慮した日本独自のものです。25.6 - 26.6MHzが放送バンドというのはカイロ分配表のままとしたためです。)

さて本題に戻します。電波監理委員会RRC により戦後初めて「アマチュア業務」に分配された "新アマチュアバンド" を以下に示します。

(本表は『 電波年鑑, 第一回, 昭和28年, 郵政省電波監理局』 業務別周波数分配表より抜粋)

このように戦前のアマチュア用周波数1775kHz, 3550kHzを含むローバンドは、(AC会議の分配表への移行調整の期間は)アマチュア業務への分配は見送られました。またAC会議で追加になった15m Band(21,000 - 21,450 MHz)も見送られています。AC会議の分配表では日本が属する第三地域は7.0 - 7.1MHzが専用で7.1 - 7.15MHzが放送との共用になりましたが、電波監理委員会RRC は40m amateur band にカイロ会議の分配表7.0 - 7.2 MHz(専用)を採択しました。420 -460 MHz帯は航空無線航行業務(Aeronautical radio navigation)が優先とされましたがAC会議分配表のフル40MHz帯域でした。また3.3GHz帯はAC分配表どおり共用帯でした。

今後この周波数分配表の中から、その業務に該当する各無線局に "個別の周波数" が(同じ2月23日にRRCが定めた「周波数割当要領」により)割当てられていくと明記されました。しかし戦後の新アマチュア局は "個別の周波数" を分配される無線局ではなく、帯域指定の無線局なので、この分配表の決定をもってアマチュアバンド確定でおかしくないはずです。

【参考】 RRCが昭和26年2月23日に決めた「周波数割当要領」は、昭和29年3月に内容が改定され「周波数割当の原則」となった。

ところがまだ民間通信局CCSによる電波統治下にあり、日本独立後に連合国の周波数がどのような手順で日本政府へ返還されるかなど、なにも決まっておらず、現実問題としては実際にアマチュアに割当てが可能な周波数を別途とり決める必要がありました。

◆ アマチュア局に割当て可能な周波数とその電波型式・最高空中線を決定(昭和27年6月19日)

セカンドステップは、日本の独立から2ヶ月が経とうとしていた1952年(昭和27年)6月19日の第76回電波監理委員会RRCの会議でした。

この会議で実際にアマチュアに割当可能な周波数・電波型式・最高空中線電力が「アマチュア局の免許方針」として決定されました。またコールサインのDistrict Number も改定されましたが、それについては後述します。

日本の独立後も残留するアメリカ軍の使用電波を協議するため、日米間で設けられた通信分科委員会周波数部会のキックオフミーティングが1952年3月20日にあり、最初の合意が日米合同委員会で承認されたのが1952年6月9日でした。その決定を待ったうえで、6月19日にアマチュアの電波を決めたということでしょうか。

日本が属する第三地域には(オーストラリアとニュージーランドを除き)11m Band(26.960-27.230MHz)は有りませんが、1947年(昭和22年)のAC会議で追加された15m Bandがアメリカより先に開放されました。

420-460MHz Band と3.3GHz Bandは除かれました。80m Band は最大出力100wとしたものの、個別周波数の決定は先送りされました(1年近く後になってA1:3,520, 3,524 kHz, A3:3,504, 3,510 kHz の4波に決定)。

【注】法第31条及び第37条に適合する周波数測定器を有しない場合には、14,080 - 14,270/ 21,120 - 21.330/ 28,200 - 29,500kHzを指定

(本表は『電波年鑑, 第一回, 昭和28年, pp144-145,郵政省電波監理局』より抜粋)

1952年7月29日に全国30局がCP(Construction Permit)され、現在この日はアマチュア無線の日となっています。Web上で島伊三治OM(JA3AA)の予備免許状(昭和27年7月29日付け)の画像が公開されています("BEACON, 関西のハム達。島さんとその歴史 14")。それによると島OMが予備免許された周波数は14,080-14,270kHz/ 21,120-21.330kHz/ 28,200-29,500kHz です。

そして1952年8月27日に下記5局が先行して本免許されました(官報告示1952年9月8日)。

これまで日本ではアマチュアには1,775kHz/3,550kHz/7,100kHz/14,200kHz/28,400kHz/56,800kHzの各単一周波数が与えられてきましたが、初のバンド指定による許可でした。

【サイト内の参考記事へのリンク】

● 戦前のアマチュア周波数の話題・・・私設実験局

<参考・・・戦後のアマチュアのDistrict Numberの変遷>

参考までに終戦後のアマチュアのDistrict Number(エリア番号)の変遷(第一次改訂から第四次改訂)の過程を紹介します。まず終戦直後から1946年8月28日までの1年間は戦前のDistrict Numberがそのまま使用されていました。

しかし1945年(昭和20年)の終戦後でも稼動を続けていたのは(アマチュアと同じ形式のコールサインを使う)実験局J2CK, J2DB, J2FA, J3LD の4局だけだと、逓信院BOCはCCSへ報告しています。

【サイト内の参考記事へのリンク】

● 終戦直後の時期に逓信院が提出したJコール局の話題・・・終戦時の無線局(の一番最後の方)

◆ 戦後初のDistrict Number の改定を実施(昭和21年8月29日)

1946年8月29日に日本の全無線局がGHQ/SCAPのマスターリストによって、SCAP(マッカーサー元帥)の一括承認を受けた際に定められた新District Number(エリア番号)が左図です。この日、全無線局にSCAP登録番号が付与されましたが、この番号には送信所の場所が一目でわかるように都道府県番号が含められています。その都道府県番号十の位の数字を新District Number としました。

戦前との違いは、四国を5番で、関東・信越を9番で独立させました。本音は関東・信越を1にしたかったようですが、国際条約で実験局のコールサインに0と1が使えないため、9番が選ばれたようです。また逓信院BOCは新District Number制定当初には福井県を3番(都道府県番号30)にしていました。

【サイト内の参考記事へのリンク】

● 四国(5番)、関東・信越(9番)独立の話題・・・新エリアナンバー(の一番最後の方)

【参考】 もしこの頃、日本人アマチュア局が承認されたなら、東京のアマチュア局には「プリフィックスJ9」 が発給されるはずでした。アマチュア局は承認されませんでしたが、実験局は認められ、たとえば東京都世田谷区の日本放送協会技術研究所にはJ9ZMというような、戦前と同じJ一文字のコールサインが、戦後も指定されました。なお昭和22年2月20日以降なら東京のアマチュア局なら「プリフックスJX9」だったかもしれません。

【サイト内の参考記事へのリンク】

● 突然廃止された日本人のJコールサインと新しいJXコールサインの話題・・・JX/JY Callsigns

◆ District Number の第二次改定の決定(昭和23年9月15日)と実施(昭和24年1月1日)

1948年9月15日に日本人アマチュア無線局のコールサインを、プリフィックスはJAで、District Numberは2から9番、サフィックスは最大3文字だとする逓信省MOCのCallsign Allocation Standard 「呼出符号の指定基準」が民間通信局CCSに承認されました。

この指定基準ではDistrict Number を左図のように改めて、1949年1月1日より実施されました。電波法関係諸規則によりアマチュア業務が規定された1950年(昭和25年)6月よりも2年近くも前の1948年9月に、日本のアマチュア局のコールサインの指定基準だけが先行して制定され点は注目に値するでしょう。これは結果的には、連合国のアマチュアのコールサインを、「日本人が自ら定めた規則に沿って割当てた」という体裁を繕うために、CCSから強要されて逓信省MOCが作った指定基準でした。

連合国のアマチュアはJコール時代は3文字サフィックスでした(Jコールの2文字サフィックスを日本人の実験局が使っていたため)。今回はプリフィックスだけ変更すれば済んだのに、わざわざサフィックスを3→2文字にする全面変更を行いました。CCSはもし将来事情が許すところとなり、日本人のアマチュアを承認する時に備え、JAコールの3文字サフィックスを日本人向けにキープしたものと想像されます。

しかしこのDistrict Number は日本人アマチュアへの適用されることはないまま、占領時代は終わりました。ちなみにこのDistrict Number(1948年9月15日版)は、現在でも実験局(実験試験局)で使われ続けています。

【サイト内の参考記事へのリンク】

● 日本で初めて制定された「呼出符号の指定基準」の話題・・・呼出符号指定基準

【参考】敗戦により1947年のAC会議で日本の国際符字列がJA-JS(しかし実態はJA-JR)に減じられ、それが1949年1月1日に発効することになっていました。わが国のコールサインをこの範囲に収容するため、史上最大の呼出符号の変更が実施されましたが、この作業に合わせて体系的「呼出符号の指定基準」が初めて制定(1948年9月15日)されたのです。またJシリーズの独占が終わるため、J一文字コールも使えなくなりました。もしこの頃、日本人アマチュア局が承認されたなら、東京のアマチュア局には「プリフィックスJA2」が発給されるはずでした。

◆ District Number の第三次改定の決定(昭和27年6月19日)と実施(昭和27年7月29日)

1952年6月19日、電波監理委員会RRCは「アマチュア局の免許方針」で、1948年9月15日に制定した「呼出符号の指定基準」を一部改訂しました。アマチュア局と実験局の共通District Numberから、アマチュア局だけを分離独立させたのです(左図)。

これはギリギリの段階になって、日本アマチュア無線連盟JARLから、(RRCの事務部隊である)電波監理総局への地道な請願が効を奏したものと推察します。というのもRRCは現行District Numberをわざわざ改訂するつもりはなかったからです。

『その後の状況では一応次のような案に決定しつつあるようである。

関東 JA2AA-JA2VZ 信越 JA2WA-JA2ZZ

東海 JA3AA-JA3VZ 北陸 JA3WA-JA3ZZ

近畿 JA4AA-JA4ZZ 中国 JA5AA-JA5ZZ

四国 JA6AA-JA6ZZ 九州 JA7AA-JA7ZZ

東北 JA8AA-JA8ZZ 北海道 JA9AA-JA9ZZ

なお連盟としては関東にJA1を割当てて貰うよう希望を申入れている。』 (電波監理総局との交渉経過, JARL News No.135, 1952.8, JARL, pp2-3)

RRCは「呼出符号指定基準」(1948年制定)に従うつもりでしたが、最終的にはJARLの意見を取入れました。しかしよく見るとお気付きのとおり、これは古いDistrict Number(1946年8月29日, 戦後初の改訂版)の復活でした。1946年当時との違いは、関東信越が9番だったものを1番に変えただけです(厳密にいえば福井県が2番に入ります)。

これはまた見方を変えると、電波監理委員会RRCと民間通信局CCSの両者が、長年使い慣れていた「SCAP登録番号」に使用している「都道府県番号」(下図参照)の、十の位の数字(関東・信越は10番台の都道府県番号なのでその1番を採用)にしたものです。

要するに古いDistrict Number(戦後初の改訂版)の関東・信越エリアは、都道府県番号が10番台なので、本当なら1番がベストですが、仕方なく9番にしていました。それが今回、(0,1が使えない)実験局用と、(0,1が使える)アマチュア用の2種類のDistrict Numberにしたことで、アマチュア用では関東信越エリアでも都道府県番号とDistrict Numberが美しく一致をみることになったのでした。

この戦後の第三次改訂のDistrict Numberは1952年7月29日より、全国のアマチュア30局へのCPで使用が始まりました。

【サイト内の参考記事へのリンク】

● SCAPレジストリー番号と都道府県番号(含む何故福井が30番か?)の話題・・・新エリアナンバー(の一番最後の方)

◆ District Number の第四次改定の決定(昭和29年11月27日)と実施(昭和29年12月より順次)

アマチュア用のDistrict Number は、さら2年後に9, 0番が分家し、現在のマップ(下図)ができあがりました。

◆終戦後のアマチュアのDistrict Number(エリア番号)の変遷のまとめ

それぞれのDistrict Number が使用された時期を示します。

◎戦前の番号・・・戦前のエリア番号がそのまま固定されていた時期(終戦~1946年8月28日)

◎第一次改訂・・・四国4県を5番、関東・信越を9番にしていた時期(1946年8月29日~1948年12月31日)

◎第二次改訂・・・関東・信越を2番にして、各エリアをひとつずらした時期(1949年1月1日~1952年7月29日)

◎第三次改訂・・・第二次改訂版の関東・信越を1番にしていた時期(1952年7月29日~1954年12月よりFOへ)

◎第四次改訂・・・北陸9番と信越0番を独立分家させ現在に至る(1954年12月~現在)

これらのDistrict Numberのうち実際に日本人のアマチュアに指定されたのは第三次改定の番号からです。もしアマチュア再開請願が実っていれば、その時期によって、東京の局ならJ2プリフィックス[戦前の番号]か、(J9は琉球の連合国のアマチュアが使用していたので)JX9?[第一次改訂]か、1949年以降ならJA2の三文字サフィックス?[第二次改訂]のコールサインが与えられた可能性があります。

【サイト内の参考記事へのリンク】

● J9問題の話題・・・J Callsigns(の最後の方)

● JX9プリフィックスの話題・・・JX/JY Callsigns