May 46 AFRS

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1946年(昭和21年)5月10日、GHQ/SCAPの下部組織である米太平洋軍総司令部GHQ/US AFPAC は連合国と日本帝国の周波数の持ち分を決定し、日本帝国政府に分配する周波数リスト "Allocations of Frequencies to Japanese Imperial Government" を発表しました。これによると中波放送バンド500-1500kHzは全て日本帝国へ割り当てられ、日本人の無線局を管理する民間通信局CCSが行政権を握りました。

この時代は無線局のコールサインがJで始まるかWで始まるかで、その監督権が誰にあるかを判断するのは適切ではありません。第八軍の通信長が免許を発行していた連合国人のアマチュア局はJコールサインでしたが、これには(日本人の無線局を管理する)CCSの権限は一切及びませんでした。

逆にAFRSはWで始まるコールサインでしたが、あくまでも日本の無線局で、CCSが周波数や出力を指定する権限を持ち、GHQ/US AFPAC に指定権はありませんでした(但しAFPACからCCSへの種々のリクエストは当然あったでしょう)。一例をあげればWVTQ(Radio Osaka)は"W" なのに日本の無線局で、またJ3VTQ(Radio Osaka のHam Club)は"J" なのに連合国の無線局でした。