200m & down

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1912年にアメリカで無線法(Radio Act of 1912)が施行され、『アマチュアの実験は200m以下(1500kHz以上)と規定された』。この記述も良く見かけますが、これははっきりいって過多な解釈だと思います。「200m以下(1,500kHz以上)を使ってよろしい」ではなく、「波長200mを超える(1500kHz以下)電波を出すな」であって、結局アマチュアの周波数はどこにも規定されず 「無視された」 というのが法的には本当のところです。

1912年8月13日、米国ではそれまで自由に使えた電波を国家管理するための無線通信取締法 Radio Act of 1912 (Public Law 264, 62nd Congress, "An Act to Regulate Radio-communication")が成立し、周波数の取決めは第4條にある取締規定(Regulation)の第1,2,15項で規定されました。これにより波長200mより長い(周波数1,500kHz未満) 電波だけが規定され、商務労働省長官が管理することになりました(同法の施行日は1912年12月13日)。なぜ波長200mより長い電波だけルールを決めたかというと、同年のロンドン会議でも200mより短い波長には言及されなかったし、それに電波は波長が長いほど遠くに届くと信じられており、高い周波数は分配するに値しないゴミ周波数だったからです(といって短波は無許可で自由に使ってよろしいとは言ってないので、管理を放棄しているわけではありません)。

Private Station(私設局)への周波数に関する制限は、無線通信取締法第4條にある取締規定(Regulation)第15で言及されました。

第15 私設局の一般制限事項(General Restrictions of Private Station)

商業上の無線通信を行う商業局、もしくは販売目的の無線機の製造・開発の実験を行わない私設局(Private Station)は、商務労働長官の許可を受けた場合を除き、波長200mを超過したり、送信機入力1kWを超過したりしないこと。(以下略)

そして同年9月28にはRadio Act of 1912 に基づき無線通信施行規則Regulations Governing Radio Communication, Sep. 28, 1912を定め、その第一条(Part 1. LICENSES--APPARATUS)C 、"Land Stations" において、以下の8種類の内陸局を定義しています。 すなわちRadio Act of 1912 では私設局(Private Station)という大きなくくりを示しただけで、具体的にはRegulations(施行規則)の方で「アマチュア局(General Amateur Stations)」を定めました。

CLASSES OF LAND STATIONS(Regulations, Part1.C)

DESCRIPTION OF CLASSES(Regulations, Part1.C)の第五項で「一般アマチュア局」が定義されました。

5. General amateur stations are restricted to a transmitting wave length not exceeding 200 meters and a transformer input not exceeding 1 kilowatt.

『一般アマチュアとは、送信波長200mを超えず、そしてtransformer(送信機)入力1kWを超えないよう制限された局をいう。』

原文ではnot exceed 200 meters(波長200mを超えるべからず)です。意味合いとしては「200mより長い波長は、商務省の重点管理エリアなので、お前たちはここに立入るな」でしょうか。

同じ事じゃないかとおっしゃるかもしれませんが、左図をご覧下さい。

●左図の上が「アマチュアは200mより長い波長には立ち入るな」です。短波は分配の外なので、アマチュアだけでなく「みんなの周波数」です。(無許可で発射できるという意味ではなく、申請が認められれば、誰でも使えるという意味です)

●左図の下が「アマチュアに200m以下(1500kHz以上)の波長を規定した」、すなわち"短波がアマチュアの周波数であると法で定められた"のだという解釈(意見)です。

前者(左図上)が正しいとするなら、1920年代に入りアマチュアが短波の有効性を発見したのをきっかけに、「商業局や軍事局が押し寄せてきて、(短波の持ち主である)アマチュアから短波を取り上げた」という話も、少々おかしくなってきます。もとより短波はアマチュアに与えられた「占有物」ではないので、これを「取られた」という言い分は筋が通りにくいですね。

アマチュアは商務省から「ここに立ち入るな」と言われました。そして「では私たちアマチュアはどこにいれば良いの?」という問いには商務省は何も答えず、無視した格好です。つまりアマチュアの波長はどこにも規定されなかった(割当てられなかった)のです。その結果、運用実態がどうなったというと、アマチュアは中波を追い出され短波に移動したのではなく、みんな少しでも遠くへ飛ばしたくて境界ギリギリの200m波にへばり付くように運用しました。つまりRadio Act of 1912の規制によりアマチュアの短波へのムーブメントは起きていません(短波に着目したのは10年もあとの大西洋横断テスト時)。

◎◎◎ このページの最後の方に原文を掲載しておきましたので参考にしてください。

このサイトでCB無線の歴史を振り返る中、時代背景の説明としてアマチュア無線の歴史にも少々触れ、中波帯アマチュアの説明で少し思う所がありましたのでそれについて書かせて頂きます。

  • 私が学生時代に思っていたアマチュア無線の短波開拓の歴史

私は短波黎明期の諸先輩の活躍の読み物が大好きでした。

ちょっと私の記憶が曖昧なのですが、毎月3回(7の付く日)に長方形に折たたまれて封帯がついた郵便物として送られてきたJARLニュースの連載記事だったか、あるいはローカルのOM局から伺ったお話しだったかも知れませんが、学生時代の私の理解はざっと以下のようなものでした。

①大昔、みんなが自由に電波を発射し、研究していた。

→ ②しかし低い周波数ほど、遠くまで届くと信じられていたので、アマチュアは1.5MHz以上(200m以下)の中短波・短波帯に追いやられた。

→ ③ところがどっこい。 誰も見向きもしないゴミ周波数の短波帯でアマチュアが大西洋横断交信に成功。

→ ④世界中がこの快挙に驚き、アマチュアが自由に使っていた短波帯を奪いとり、狭い専用帯(アマチュアバンド)に押し込んだ。

特に②から③にかけては、ざまあみろ、という感じで実に痛快な大逆転ストーリーじゃありませんか。②は1912年の無線通信取締条法 (Radio Act of 1912)の取締規定(Regulation)第15、および無線通信施行規則(Regulations Governing Radio Communication, 1912)を指します。

また③は1923年11月27日のアメリカの1MOとフランスの8ABの2way QSOの事です。

しかし②から③に至る11年間の部分の情報がなかったので(あるいは私が忘れただけか?)、私はアマチュアは短波を自由に使っていて、やがて大西洋横断交信の成功に至ったと思っていました。でも真実はそうではありませんでした。

  • ②から③の間に何があったのか?

②(1912年)から③(1923年)の11年間のおよそ半分は第一次世界大戦でアマチュア活動は禁止されていました。再開後の大きな変化は「放送」の出現でした。以前は火花電波(瞬滅電波)による通信でしたが、三極管が発明されて、その増幅器の出力を入力側にフィードバックさせれば簡単に持続電波が得られることがアームストロングにより発見され、持続電波に声や音楽を変調する無線電話が始まりました。まだ放送の規則も定義もない時代なので、アマチュア無線家による放送ブームが巻き起こったのが1921-22年頃です。これを狭義では "Citizens Radio" と呼んでいました。QSTの表紙にも"Amateur Radio"の文字が"Citizens Radio"にとって代わった号がいくつかあります。

【サイト内の参考記事へのリンク】

●アメリカで巻き起こった"Citizens Radio"ブームの話題・・・1912-1923

当時のアマチュアの周波数は「200mを超えるべからず」という規定だけですが、ではみんなが短波でバンバン電波を飛ばしていたかというと、結局アマチュア無線家も少しでも遠くへ電波を飛ばしたくて限度ぎりぎりの1,500kHz(200m)の1波に全員集合というのが実態だったようです。中にはこの掟をやぶり少し低めの周波数を使うものも少なからずいて、電波を管理していた商務省が警告を発しています。

つまり私の解釈②の「中短波・短波に追いやられた」ではなく、みんなが中波1,500kHz附近に集っていたようです。

  • 放送など電波の需要が増え1,500kHz以上も国家管理に

話を放送に戻します。1920年11月にウエスティングハウス社のSpecial Amateur局8ZZが、電波の割当を受けコールサインKDKAによる放送を開始しました。まだ放送用の周波数が無かった時代なので、無線界では新参者の放送局に、放送バンドを確保する必要に迫られていました。

また一般アマチュアも1,500kHzで放送を始めており、「放送したいアマチュア」と、「モールスで交信したいアマチュア」とで1,500kHzは大混信になりました。商務省の管理周波数は1,500kHz以下ですが、さらに高い周波数まで国家管理にするしかありませんでした。

アマチュア局が「交信するもの」に限定されたのは1923年です。1922年の時点ではアマチュア局とは「一般人による無線電波を研究実験するもの」すべてを指していました。まだ「放送」という新しい電波利用法の概念が成熟しておらず、「放送」は「通信」の一部に過ぎなかったからです。混信対策のために、商務省は「放送したいアマチュア」と「交信したいアマチュア」の住み分け策の検討に入りました。

  • 商務省の「放送したいアマチュア」と「交信したいアマチュア」の住み分け案

1922年2月1日、商務省はアマチュアの「200mを超えるべからず」の規定を、より具体的な波長指定へ改定する案を発表しました。そこでアマチュアによる放送行為について2つのプランを示したのです。

(Broadcasting, Radio Service Bulletin, No.58, pp.8-9, Feb.1,1922, Department of Commerce, U.S.Government P.O.)

    1. Amateur用を200 meter(1,500kHz)一波とし、放送用の時間帯と、通信用の時間帯で使い分ける案。

    2. Amateur用の200 meter(1,500kHz)の前後25 meterに、新たな2つの放送専用波を設けて、225 meter(1,333kHz) は特別なライセンスを要し、175 meter(1,714kHz)は現在のAmateur免許のままで放送行為を認める案。つまり放送用が1,333kHzと1,714kHzの二波、交信用が1,500kHzの一波です。

  • 第一回国内無線会議(1922年)で示されたアマチュア・バンド

しかし上記いずれの案も採用には至りませんでした。同月下旬にアメリカの各種無線局の周波数を考える初めての会議Conference of Radio Telephony(First National Radio Conference)が開催されました。この会議の大きな目的のひとつが放送バンドの策定で、従来の1.5MHzまでの分配を拡大し、50kHzから3MHzまでの周波数分配プランを作りました。ここでは、商務省の2月1日案とは違い、1,091-2,000kHz(1,500-2,00kHzは専用帯)をAmateurに分配することが推奨されています。

この案では1.5MHzまでの電波の国家管理を3.0MHzにまで拡大しようとするものでしたが、3MHz以上の電波はアマチュアが勝手に使用しないように、「リザーブ」が明示されました。なおこの年においては、商務省はアマチュア規定の改定を検討しただけで、実行には移されませんでした。

  • 第二回国内無線会議(1923年)で示されたアマチュア・バンド

1923年3月、第二回国内無線会議(Second National Radio Conference)で周波数分配案は下表のように修正されました。長波の放送バンドプランは撤回されましたが、これは今も第二地域(南北アメリカ)にその影響を残しています。

Special Amateurの周波数が少し削られ、現在の中波放送バンドの原型のようなものが、この会議で決まりました。やはり2.3MHz以上には「リザーブ」と明記し、アマチュアが勝手に使うのを防止しました。

  • 商務省はアマチュアバンドに中波の1,500-2,000kHzを指定(1923年6月28日)

第二回国内無線会議の結果を受けて1923年6月28日、商務省はアマチュアバンドに200-150 meters(1,500-2,000kHz)を指定しました(商務省General Letter No.252, June 28, 1923)。Special Amateur局には、さらに低い220-200meters(1,364 - 1,500kHz)部分の使用も認められました。

同時に一般家庭のラジオ受信機への混信を防止するために、毎晩20時から22時30分と、日曜日の午前中(礼拝時間)の電波の発射が禁止と決まりました。これまでは商務省管理エリアの「200mを超える波長には立ち入るな」でしたが、商務省管理エリアを拡大して、その管理エリア(1.5-2.0MHz)内にアマチュアを分配する方法に変わりました。アマチュア用周波数が初めて法的に規定されたのは1923年6月28日であり、その周波数は中波だったのです。

これはアメリカの商務省により実行された歴史上の事実です。どうぞご自身でもご確認下さい。

(Regulations Governing General and Restricted Amateur Radio Stations and Amateur Operators, June 28,1923, Radio Service Bulletin, No.75, p16, July.2,1923, Department of Commerce, U.S.Government P.O.)

REGULATIONS GOVERNING GENERAL AND RESTRICTED AMATEUR RADIO STATIONS AND AMATEUR OPERATORS

June 28, 1923

General and Restricted Amateur Radio Station Licenses will be issued permitting the use of any type of transmitter (CW, spark, AC-CW, ICW, unfiltered CW, and phone) with the restriction that when using pure CW they are authorized to use wave lengths from 150 to 200 meters and when using spark, AC-CW, ICW, unfiltered CW, and phone the wave lengths from 176 to 200 meters only can be used. The types of transmitters must be specified in the application and the license. Special Amateur Radio Station Licenses will be issued permitting the use of pure continuous wave transmitters only, authorizing the use of wave lengths from 150 to 220 meters.

For the purpose of application to amateur stations, pure CW is defined as follows: A system of telegraphing by continuous oscillations in which the power supply is substantially direct current as obtained from (1) a generator, (2) a battery, or (3) a rectifier with an adequate filter. (A filter is not deemed adequate if the supply modulation exceeds five percent.) General, Restricted and Special Amateur Stations are not permitted to use a transformer input exceeding one kilowatt, or equivalent of this power based upon watt input to plates if tubes are used. (Where input rating of tube is not specified by manufacturer, this rating will be considered as double the manufacture's output rating.)

On licenses issued for amateur stations you will include the following: 'This station is not licensed to transmit between the hours of 8:00 and 10:30 PM, local standard time, nor Sunday mornings during local church service.' Special Amateur Stations must be operated by persons holding an extra first grade amateur operator's license, or a commercial first class operator's license, or a commercial extra first class operator's license. Applicants must also meet the requirements of Regulation 63.

A new class of amateur operator's license is hereby established, to be known an 'Amateur Extra First grade.' Licenses of this grade will be issued to persons passing the require special examination with a percentage of at least seventy-five and code speed in sending and receiving at least twenty words a minute, five characters to the word; who have had at least two year's experience as a licensed radio operator; and who have not been penalized for violation of the radio laws subsequent to the date of these regulations.

A. J. TYRER, Acting Commissioner.

もちろんARRLのQST誌もこのアマチュア規則改正を大きく取り上げました。

(The New Amateur Regulations, QST August 1923, pp13-15, )

  • 無線全般を研究・実験するアマチュアから、交信するために研究・実験するアマチュアへ

1922年と1923年の規則改正で放送(Broadcasting)無線局が定義され、運用資格や免許方針も明確化されたため、アマチュアによる「放送行為」はできなくなり、これ以降、アマチュア無線は主に交信するものを指すようになりました。

これはアマチュアによる放送行為が禁止されたというよりも、放送に関する諸規則がきっちりと定められたため、アマチュア資格では放送できなくなったという意味です。「放送」をやりたかった多くのアマチュア無線家は、新たに定められたラジオ放送局の経営者兼技術者として転向し、ラジオ放送の創成期を支えました。ラジオ放送はアマチュア無線から分家したというのは本当です。

  • 中波アマチュア時代の、短波特別免許による、大西洋横断通信の成功

前年よりごく一部のアマチュアが短波の低い周波数で大西洋横断通信の実験にチャレンジを始めましたが、アメリカでは1923年6月28日にマチュアバンドが1,500-2,000kHz(200-150m)に決まり、通常では短波帯は許可されなくなりました。(このアマチュアによる大西洋横断テストの話題はこのページの最後で取上げていますので、そちらをご覧ください。)

そのような状況下で波長103-110 meters(2.7-2.9MHz)附近の特別許可を受けたアメリカのアマチュア1MO(Fred H. Schnell)が、1923年11月27日22時半より、フランスのアマチュア8AB(Leon Deloy)と大西洋横断2way交信に成功し、世界を驚かせました(フランス時間では28日の深夜3時半過ぎ)。 これはアメリカ側が6月28日の規則改正で20:00-22:30が沈黙時間になったため、フランス側が21:30より一時間一方的送信を行い、22:30になるやアメリカが返答したからです。

ARRLの機関誌QST1922年7月号p36にフランスのアマチュア無線制度の記事(左図)があり、これによると通常なら200mのみだったようです。これに対しデロイ氏8ABは早くから短波を含めた、唯一の包括的な特別免許を得たアマチュアでした。 そして1923年11月27日の大西洋横断通信成功直後の12月よりアマチュアバンド(200-180m)として開放されました。

1920年に開かれたワシントン会議(第三回国際無線電信会議)の予備会議に政府委員の随員として参加し、欧米諸国の電波行政に明るかった、逓信省の中上豊吉氏はフランスの放送制度を次のように述べておられます。

『同国には放送無線電話規則なるものはなく、大正12年12月発布されたる私設無線電信規則の中に含まれて居る、之の私設無線電信規則に於いては私設送電局を左の通り分類して居る。

1.私設専用固定局

電力四百ワット以内、波長一五〇メートル乃至二〇〇メートル

2.私設専用船舶局

電力四百ワット以内、波長一五〇メートル乃至一八〇メートル

3.公衆娯楽用放送局

4.実験研究局

研究の目的に依り電力波長を其都度決定す

5.素人実験局

電力百ワット以内、波長一八〇メートル乃至二〇〇メートル』 (中上豊吉, 第八章 各国に於ける放送無線電話の現状 仏蘭西, 放送無線電話, 新光社, 1925)

1923年(大正12年)12月にフランスで私設無線規則が公布され、アマチュアバンドとして1,500-1,667kHz(200-180m)が定められたとのことです。波長200mあたりを選んでいることから、アメリカの動きに歩調をあわせたものと想像します。 アマチュアによる大西洋横断通信の成功は1923年11月なので、私設無線規則の公布前です。この実験が行われたとき、フランスの8AB(Deloy)はフランスアマチュアの中で唯一、短波も出せる特別な包括免許を受けていました。以下はLaurence S. Lees氏が直接8ABの自宅を取材訪問し書かれた記事です。

『He was granted a license by the French government which allows him to experiment on all wave-lengths from 1,000 meters down. No other amateur in France has such a license. 』 (Laurence S. Lees, Another Historic Event in Amateur Radio, Radio News, 1924.3, p1290)

長波と同等の遠距離通信が、短波の小電力でも成功したのですが、アマチュア無線家みんなが短波でワイワイやっているうちに成功したのではなく、どうやら選ばれた特別の局による功績というのが本当のところのようです。

②から③の11年間の出来ごとの説明が有るか、無いかで、随分印象が異なるとは思いませんか?私は本サイトで Citizens Radio の語源を説明する際にこの話題に触れる必要があったのですが、アマチュアの歴史としても、中波バンド時代を省略しない方が良いように思うのです。

  • 4つの短波帯アマチュア・バンドが追加される(1924年7月24日)

1924年10月に開催が予定されている第三回国内無線会議(短波帯分配会議)までに、商務省はアマチュアに短波を実験させて、短波帯の性質を把握しておきたかったのでしょうか?

商務省は1924年(大正13年)7月24日に、2.3MHz以上の「リザーブ」帯の中から、75-80m(3.75-4.0MHz), 45-43m(6.977-7.5MHz), 20-22m(13.636-15.0MHz), 4-5m(60.0-75.0MHz)の4つの短波バンドを(無線会議の決定を待たずに)与えました。これらの短波帯バンドではラジオ受信機への混信妨害の心配がないことから、夜間20時から22時30分と日曜午前の礼拝タイムの運用禁止は適用外となりました。

(Amateur Stations Authorized to Use Short Wave Lengths, July 24 1924, Radio Service Bulletin, No.88, p.10, Aug.1,1924, Department of Commerce)

ちなみに日本で逓信省通信局工務課が岩槻受信所建設現場で短波試験を始めたのが1924年(大正13年)暮れです。翌3月には米国のアマチュアをキャッチし、4月6日には工務課はJ1AAのコールサインで米国アマチュア6BBQとの太平洋横断交信に成功しました。米国で短波アマチュアバンドが誕生してから、まだ8ヶ月と少ししか経っていない時期であることを考えるとけして日本は短波進出に出遅れていたわけではありません。

  • 第三回国内無線会議で示された新アマチュア・バンド

1924年(大正13年)10月、第三回国内無線会議(Third National Radio Conference)で、64MHzまでの周波数を国家管理にすることにしました。まだ短波の性質は解明できていませんでしたが、ラジオ放送局の増加による周波数不足から、短波の国有化を急いだようです。

この会議では1924年7月24日に許可された短波帯アマチュアバンドをさらに拡張することで合意されました。やはり短波帯による低電力遠距離通信を発見したアマチュアの功績が評価された結果ではないでしょうか?

3.75-4.0MHz帯は3.5-4.0MHz帯に、6.977-7.5MHzは7.0-8.0MHzに、13.636-15.0MHzは14.0-16.0MHzにそれぞれ拡張されました。ただし60-75MHz帯については56-64MHzへ縮小されました。

64MHzまでを分配したというものの、実質的な周波数分配は18MHzまででした。18MHz以上の周波数は(5m Amateur Band を除くと)当時マルコニー社が盛んに実験していたBeam Transmission (指向性通信)の実験用としました。またほぼ現在の中波放送バンドが完成したのはこの会議でした。

  • 短波帯アマチュアバンドが拡張される(1925年1月5日)

第三回国内無線会議の結果を受けて、150-200m(1.5-2.0MHz)、75-85.7m(3.5-4.0MHz)、37.5-42.8m(7.0-8.0MHz)、18.7-21.4m(14.0-16.0MHz)、4.69-5.35m(56-64MHz)の新アマチュアバンドが商務省General letter No.265(Dec 24, 1924)で公布され、1925年(大正14年)1月5日より施行されました。

(Regulations Governing The Operation of Amateur Stations,Dec.24,1924, Radio Service Bulletin, No.93, p11, Jan.2,1925, Department of Commerce)

  • 日本のJ1AAが80mでアメリカのAmateurと交信

1925年(大正14年)4月に波長80mでJ1AA(岩槻受信所の建設現場)がアメリカのアマチュア局と交信に成功しました。しかしこれはアメリカで、1924年7月24日に短波帯アマチュアが認可されてから、8ヶ月しかたっていない頃の出来事です。

また我国では1926年(大正15年)秋に東京の安藤博氏のアマチュア局JFPAに初めて短波帯80/38mが許可(大正15年10月19日官報告示)されましたが、日本の38 meter band は前述したように1924年7月24日制定のアメリカの45-43 meter Amateur Band が、1925年1月5日に36,5-42.8 meter Amateur Band に拡張されてまだ2年にも満たない時期でした。

なにぶんアマチュア団体ARRLの設立が1914年ということで、私はアメリカにはず~と昔から短波帯アマチュアバンドがあったと思っていました。

  • やはり中波アマチュア時代は歴史解釈上で不可欠では?

私が学生時代に④の「短波帯はアマチュアのものだったのに、その有効性が証明されるや奪われて、狭いアマチュアバンドに押し込められた。」と(勝手に)誤解したのは、中波アマチュア時代(放送をしたいアマチュアと、交信をしたいアマチュア)の情報が欠落していたからです。

1912年よりアマチュアは(周波数が低いほど有利と考え)1,500kHzに張り付くように運用され、1923年6月に1,500-2,000kHzのバンド指定を受けました。アマチュアはずっと中波の住人だったわけです。ここを私は誤解していました。

そして1923年11月の特別免許によるアマチュアの低電力短波帯通信の有効性の大発見の功績が認められ、1924年6月28日にアマチュアに短波が与えられ、その後の周波数分配会議ではさらに多くの周波数が与えられました(1925年1月5日施行)。

  • 【おまけ】 Radio Act of 1912 Public Law 264, 62nd Congress, "An Act to Regulate Radio-communication", Aug. 13, 1912

無線通信取締法(Radio Act of 1912)の本体は第1條から第4條までです。その第4條の中に「取締規定」が置かれました。この日本語訳はいくつかの出版物がありますが、公的なものの方がよいかと思い、「外国無線電信無線電話制度調査資料第6号」(1929年, 逓信省電務局, p278)の訳文を引用させていただきます。ちなみに"Radio Act of 1912"という法律名の日本語訳ですが、逓信省は「無線通信取締法」と命名しましたので、本サイトではこれに従います。

この取締規定の第十五「私設無線局に関する一般的制限事項」がこのページで話題にしている部分です。

ここには『200mを超える送信用電波長・・・を使用することを得ず(使ってはいけない)』とはっきり訳されています。

『 第十五 私設無線局に関する一般的制限

いかなる私設または商業用無線局といえども、無線通信による誠実なる商業的業務の処理、もしくは商業上の目的のための無線機器の改良、または製造に関する実験に従事せざるものは、局の許可状に含まれたる商業労働大臣の特別の許可によるにあらざれば、二百米を超ゆる送信用電波長、または一「キロワット」を超ゆる変圧器入力を使用することを得ず。

ただし本規定に述べたる特性を有する局の所有者または通信士は、政府の行う試験によりその者が本規定第三および第四に違反して送信機を調整したりと認められ、かつその者に前記の規定に従いて該送信機を調整すべき機会ありし旨の通告状を受けたる場合に限り本規定第三および第四に違反せる廉により、本条に定める百弗(= 100$)または二十五弗(= 25$)の罰金に処す。 』 (逓信省電務局編, 外国無線電信無線電話制度調査資料第6号, 1929年, p278 )

また第十六「政府無線局の付近における特別の制限」では特に海軍や陸軍基地周辺では民間の私設無線は波長200mを超えるなと念を押しています。

『 第十六 政府無線局の付近のおける特別の制限

いかなる局といえども海軍または陸軍無線局より五浬(= 9.26km)の距離にあり、かつ本規定第十五に述べたる特性を有するものは、二百米を超ゆる送信用電波長、または一「キロワット」を超ゆる変圧器入力を使用することを得ず。 』 (逓信省電務局編, 外国無線電信無線電話制度調査資料第6号, 1929年, p279 )

特にアマチュアの場合には無線通信施行規則の方で、別途Restricted Amateur Stations (制限アマチュア局)を定義して、入力500Wに制限しています。

無線通信取締法の取締規定(Regulation)第15(Fifteenth)の原文も紹介しておきましょう。

GENERAL RESTRICTIONS ON PRIVATE STATIONS

Fifteenth. No private or commercial station not engaged in the transaction of bona fide commercial business by radio communication or in experimentation in connection with the development and manufacture of radio apparatus for commercial purposes shall use a transmitting wave length exceeding two hundred meters, or a transformer input exceeding one kilowatt, except by special authority of the Secretary of Commerce and Labor contained in the license of that station: Provided, That the owner or operator of a station of the character mentioned in this regulation shall not be liable for a violation of the requirements of the third or fourth regulations to the penalties of one hundred dollars or twenty-five dollars, respectively, provided in this section unless the person maintaining or operating such station shall have been notified in writing that the said transmitter has been found, upon tests conducted by the Government, to be so adjusted as to violate the said third and fourth regulations, and opportunity has been given to said owner or operator to adjust said transmitter in conformity with said regulations.

原文も掲載しておきます

英語も難しいですが、上記逓信省電務局の日本語訳もかなり難解ですね。

やはりもう一例、訳文をあげておきましょう。日本無線電信年鑑 大正10年度(無線電報通信社)より引用します。

『 ▲私設局に於ける一般の制限

第十五条 無線電信による事実の商業通信、もしくは商業の目的をもって無線電信機械の製作、あるいはその発達に関する実験に従事せざる私設もしくは商業局は、特に商務卿によりて、許可証中に許可せられたるものの外は、二百メートルを超過せる送信電波長、もしくは一キロワットを超過する変圧器電力を使用する事を得ず。

ただし本規定に示されたる性質を有する局の所有主または通信主は、その送信機が前条の第三条および第四条の規定に違反して調査され居る事を政府の行いたる試験によりて発見せられ、しかしてこの事を書類によりて通告される事なく、また前記の規定と相適合せしむる事につき前条送信機の調整を、前記所有者もしくは通信手になさしむべき機会を与える事なくして、本条に規定したる百弗(= 100$)もしくは二十五弗(= 25$)の各罰金を課せらるるの義務なきものとす。

▲政府局付近に於ける特別制限

第十六 海軍局もしくは陸軍局より五海里(= 9.26km)以内に位置を有し、規則第十五条に示されたるが如き性質の局は、二百メートル超過せる送信電波長、もしくは一キロワットを超過せる変圧器電力を使用する事を得ず。 』 (日本無線電信年鑑 大正10年度, 1921, 無線電報通信社, pp104-105)

原文の "bona fide" を逓信省編では「無線通信による"誠実なる" 商業的業務」としましたが、日本無線電信年鑑では「無線通信による "事実(上)" の商業通信」と訳しています。これが具体的どういう商業無線局を意味しているかを私はまだ理解できていません。

とにかく無線通信取締法(Radio Act of 1912)では、アマチュアが使ってはいけない波長を規定しましたがアマチュアが使っても良い波長は規定しなかった(割当てなかった)ということだけは確かです。

  • 【おまけ】 Regulations Governing Radio Communication(無線通信施行規則, Sep. 28, 1912

無線通信取締法(Radio Act of 1912)ではアマチュア局を定義せず、私設無線局の一種として扱いました。ただし無線通信施行規則(Regulations Governing Radio Communication)の方ではGeneral Amateur Station(一般アマチュア局)を定めました。その訳文を日本無線電信年鑑 大正7年度(無線電報通信社)より引用します。

5. General amateur stations are restricted to a transmitting wave length not exceeding 200 meters and a transformer input not exceeding 1 kilowatt. (Sec.4, fifteenth regulation, act of Aug. 13, 1912.)

これがアメリカで最初に「アマチュア」を定義した規定で、周波数的にいえば『波長200mを超えてはならない(1,500kHzより低い周波数は使うな)』とされた局です。

  • 【おまけ】 Radio Act of 1912 のアマチュア規制を正しく伝えた記事

もちろん過去に1912年の無線通信取締法(Radio Act of 1912)の『波長200mを超えるな』を正しく伝えたものもあります。

『 そこで貴重な電波をアマチュアにかき廻されてはというので、1912年ロンドンで開かれた国際会議(注:これは誤り。正しくはアメリカの国内法Radio Act of 1912)で、アマチュアは一つのわくの中に押し込められてしまいました。「アマチュアは電力1KW以下 200米以上の波長を使ってはいけない。」

当時においては、てんで使いものにならない波長とされていたものです。言葉をかえて言うならば、非常な近距離で通信をやれということです。 』 (受験研究会編, ハム アマチュア無線技士試験問題と解答集, 1960, 金園社, pp8-9 )

またCQ ham radio 1982年10月号より古田昌弘OM(JA1BUI)の記事を引用します。

『そして同年8月17日に、アメリカでは無線規制法(Radio Act of 1912)ができた。この結果アマチュア局は特別の免許がない限り、200メートルより長い波長を使ってはいけなくなり、電力も1kW以下と制限された。』 (古田昌弘, 電波の夜明け[最終回], CQ ham radio, 1982.10, CQ出版社, p319)

古田OMのせっかくの正しい記事でしたが、(今も認知されていないという現状をみると)読者の先入観を打ち破ることはなかったと申し上げざるを得ません。アマチュアに200m以下(1.5MHz以上)が "規定された" という事実はありません。1.5MHz以上は申請すればアマチュア以外でも許可される「みんなの周波数」でした。

  • 【おまけ】 アマチュアの中波から短波への進出を伝えた、JARLの「日本アマチュア無線史」

1912年の無線通信取締法(Radio Act of 1912)をきっかけにアマチュアが短波に進出したのではないことは、日本アマチュア無線連盟JARLの「日本アマチュア無線史」にはっきりと書かれています。このJARL「日本アマチュア無線史」は、1959年(昭和34年)にJARLが社団法人として認可されたことを記念して、電波時報(郵政省電波監理局編)に1959年11月号から1963年4月号まで連載されたもので、連載第一回(11月号)の記事冒頭で梶井会長は次のように述べておられます。

『・・・(略)・・・アマチュア無線は、現在では電波法によって保護育成されているが、いつごろから日本で発生し、育成されたかについては、いままで一貫した記録がなかったところ、今回編集の機を与えられることになった。大方の御愛顧を切にお願いする次第である。』

戦前OMとの座談会と提供された資料をもとに、連載執筆を任されたのは朝日新聞社の小林幸雄氏でした。第一回は世界のアマチュア無線の始まりからです。

『・・・(略)・・・そして、ハムの人口もぐんぐん増えていった。

1921年の12月、ARRLはひとつのテストをやった。大西洋横断連絡である。ARRLきってのベテラン、ポール・ゴドレー氏(Paul Godley)を欧州大陸へ派遣。アメリカからの電波を受信させたのである。もちろん、ゴドレー氏は当時最良と考えられた受信機をかついでいった。結果は上々だった。その後、ゴドレー氏はアメリカ国内の30局の電波を、キャッチした。200メートル以下の電波でも、大西洋を渡れる。アマチュア無線家にとって、これはたいへんな発見だった。ちっぽけな船で、荒波の大西洋を渡るのと同じことだった。

1922年に同じテストをやってみたら、今度は、315局の電波を受信することができた。そして、もっとすばらしいことには、アメリカ側で、フランス局が1局、イギリス局が2局、受信に成功した。受信だけでは面白くない。なんとか交信してみたいと、アメリカでも、欧州側でも考えた。これは当然のことだった。

しかし、その前に問題があった。1キロワットという電力の制限があったのでは、これ以上強い波を出せまい。受信機ももっと改良していかねばだめだ。アマチュアたちは大陸間QSOの夢を画きながら、新しい道の開拓にのり出した。』 (小林幸雄, 日本アマチュア無線史(1), 1959年11月号, pp34-35)

1921年と1922年の大西洋横断テストで中波200mの電波が一方通行だが成功した。さあ次は相互通信ということで、彼らが思いついた奇想天外な作戦とは・・・

『もしかすると、波長をかえてみたらうまくいくのではないだろうか。といって200メートルという壁があって上には入れない。道はひとつ。下だけだ。当時、まったく無価値と捨てられていた短波を狙うしかない。』 (小林幸雄, 前掲書, p35)

短波は飛ばないものと、誰もが信じて疑わなかった。それはアマチュア無線家も同じで、皆が境界線である200mに貼付くように運用していました。しかしその常識を最初に疑ってみたのが、なんとか大西洋横断テストを成功させたいと頑張った「選ばれし精鋭アマチュア」でした。

『・・・(略)・・・まず130メートルのテストが行われた。1922年(大正11年)、ボストンとハートフォード間でのテストは見事に成功した。ARRLは機関誌「QST」で全会員に、より短い波長の世界へ - と呼びかけた。1923年ごろには90メートル付近で、相当組織的なテストを行っていた。

そして同じ年の11月7日、110メートル波長で大西洋横断のQSOに成功した。大西洋横断テストとしては三度目である。アメリカ側は1MO シユネル氏(Schnell, 現コールW9UZ)と 1XAM ライナルツ氏(Reinartz, 現コールK6BJ)の二人。欧州側はフランスの8ABデロイ氏(Deloy)であった。短波のとびらは開かれた。たたいたのはアマチュアである。・・・(略)・・・そして1924年7月、アメリカ政府がアマチュア無線の波長を公認した。200~150メートル、80~75メートル、43~40メートル、22~20メートル、5~4メートルの5波長で、現在のアマチュア無線の波長のあり方の基礎をきずいた。』 (小林幸雄, 前掲書, p35)

  • 【追記】 CQ誌にも記されていた「短波は特別免許」 以上まとめると、こんな感じ?でしょうか

CQ ham radio 誌の1971年6月号より、CQ誌300号記念企画としてJA1KAB小室圭吾OMによる「ものがたり・・・アマチュア無線史」の連載が始まりました。ここには1920年代になって大西洋横断試験をもって中波から短波へ移動したことが刻銘に紹介されていました。

私がCQ誌を愛読しだしたのはたしか万博記念局JA3XPOが開局した1970年からでしたので、小室OMの連載は毎号かかさず読んでいたはずです。でもお恥ずかしながら、私はCQ誌で紹介された1923年の太平洋横断通信の解説をすっかり忘れていたようです。

『同年(1923年のことです)11月、25日から試験したいとフランスの8ABがARRLのSchnellに申入れ、Schnell も100m使用の特別許可を受け待機した。』 (小室圭吾, ものがたり・・・アマチュア無線史, CQ ham radio, 1972.1, CQ出版社, P411)

つまり1923年6月28日をもってアマチュアバンドは波長150-200m(周波数1,500-2,000Khz)と定められたため、波長100m(周波数3MHz)を使うには商務省の特別使用許可が必要だったわけです。

『・・・(仏側の)デロイはその年の夏、アメリカへ直接出かけて、新しい無線技術を習得するというものすごい熱心さで、機器がうまく動作するようになると、もういても立ってもおられず、11月26日 0300GMTから100mの波長で送信してみる、とシュネルに電報を送ったのは無理もないことです。しかしシュネルのほうは、予定の計画どおりに準備を進めていたため、100mを使用する特別免許はまだもらっておらず、この電報を受けてあわてて許可をとりに走りまわっていました。・・・(略)・・・11月27日にはアメリカ側に特別免許がおり、双方がオンエアを始めました。』 (小室圭吾, ものがたり・・・アマチュア無線史, CQ ham radio, 1972.4, CQ出版社, p418)

JA1KAB小室OMははっきりと『100mを使用する特別免許』だと紹介されていました。すでにアマチュアは中波(1.5-2.0MHz)に限定され、短波は使えない時代に移行していたことを、間接的ではありますが伝えていました。そしておそらく私はこの記事をリアルタイムで読んだはずです。日本唯一のアマチュア無線専門誌である "CQ ham radio" 1972年(昭和47年)1月号と4月号に書かれたのですから、これは相当数のハムに知れ渡った情報だと思います。

ということは、時の流れの中で、私が勝手に「Radio Act of 1912 で200mより長い波長から追い出されたアマチュアが短波で活躍していて、やがて世紀の大発見をした」と誤解しただけの事の様です。自分が『特別免許』をスルーさせてしまった一番の原因は、アマチュア無線が中波(1,500-2,00kHz)だったことを知らなかったからだと思います。頭のどこかに「アマチュア=短波」という先入観が染み付いていて、『特別免許』というキーワードに対する感度が鈍くなっていたようです。

ではまとめておきます。

最後に一言。1912年のRadio Act of 1912でアマチュアが200m以下の短波に追いやられて、その結果短波の有用性が発見されたのではありませんでした。←<重要>

なお「大西洋横断通信成功」直後の時点では、注目を浴びたものの、何かの特異現象でたまたま交信できたのだろうという見方もありました。それが1924年7月24日に短波が与えられ、秋より次々にDX記録を打立てる事態となり、もはや短波が低電力で長距離通信できることは疑うことのできない事実となりました。そして1925年(大正14年)になると、世界の電波関係者より、このアマチュアの功績が称えられるようになりました。