Apr. 20, 1954 27.120MHzラジコン実験局の第二号(JJ3F)
27.120MHz, A1, 1Wのラジオコントロールの実験局の免許が富山の岩田宗一郎氏に下りた。個人に対する初の27MHzの免許で、コールサインはJJ3Fである。3エリアの実験局は少なかったのか、サフィックスは "F" 一文字コールだ。
May 1954 バブコック社が3制御のR/C機を発売
バブコック社(Babcock Radio Engineering, Inc., California)が3ch(3種類の制御が出来る)送信コントローラBCT-4($69.00)と受信ユニットBCR-4($86.00)を開発し、雑誌AIR TRALIS(1954年5月号)に広告を出した(下図)。FCCの検定番号は不明。
最大の変更点は送信コントローラBCT-4の変調トーンが300Hz(R-L-MOTOR)、720Hz(UP)、1620Hz(DOWN)の三種類になったことで、左の写真のように上下左右(4ポジジョン)のおコントロール・スティックが付けられた。27.255MHzの一波で送信出力は約0.4W、ホイップアンテナは3フィート(=92cm)である。 【注】 別角度からの写真を並べてみたが、コントロール・スティックは1本である。
受信ユニットにもこれらのトーンを分離するオーディオフィルターが搭載されていて、3つそれぞれの機械式リレーを制御している。
Sep. 30, 1954 日本の簡易無線局数
郵政省の統計によると1953年(昭和28年)8月31日時点での我国の簡易無線局は197局だった。
Dec. 1-3, 1954 北洋漁業用として27MHzのAM/FM通信テストを実施
来年度の北洋サケ・マス漁業に27MHzの上部帯を分配する計画が浮上した。1954年(昭和29年)12月1日から3日まで、郵政省電波管理局から調査費20万円を交付し社団法人全国水産無線協会(全水協)へ委託。それに無線機メーカー、水産庁が協力して、神奈川県三崎と静岡県焼津において実証実験を実施した。
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イギリスのGPO(General Post Office)がラジオコントロール制度を創設した。周波数464.0-465.0MHzと、26.96-27.28MHzが実効輻射電力(送信P x 空中線利得G)0.3Wで開放されました。ただし直後に制度の見直しがあり結局460MHzバンドは0.5W、27MHzバンドは1.5Wへ実効輻射電力が引き上げられました。第一地域と呼ばれるヨーロッパでは26.96-27.23MHzはアマチュア業務には分配されていないため、欧州諸国はイギリスの決定に追従して、この地域で27MHzバンドはラジオコントロールバンドとして定着してゆきます(しかしもともと電波の国家専有が当然とする欧州で、市民へ音声通信が解放されるのは1980年頃まで時間を要するのでした)。
アメリカではClass B Walkie-Talkie "Portafone" がStewart Warner社から発売になりました。1945年にCB無線構想が発表されて以来9年目にしてようやく実用的なWalkie-Talkieが登場したのです。
日本では27.5-28.0MHzバンドを北洋サケ・マス漁の連絡無線に利用するための通信実験が実施された年でした。
SUMMARY この年の出来事
January 1954 - Stewart Warner社よりClass B CRS の"Portafone" の広告が始まる。
Apr. 20, 1954 - 27.120MHz, A1, 1w の個人に対する実験局JJ3Fが免許された。
Dec. 1-3, 1954 - 社団法人全国水産無線協会が27/34MHzのAM/FMの実証実験を行った。
January 1954 CRS ClassB "Portafone" Model-73 が発売
1954年(昭和29年)1月、兼ねてより開発中と伝えられていたStewart Warner社のCitizens Radio のClass B用Walkie-Talkie "Portafone"の広告が雑誌などに登場した。1949年にAl Grossは自分の会社(Citizens Radio Corp.)をStewart warner社へ売却し、自らも同社へ転籍してWalkie-Talkieの改良開発を進めてきたが、ようやくその実用機が完成した。
このWalkie-Talkieは電話の受話器にダイポールアンテナが付いた形状で、Al GrossのModel 100Bの子孫にあたる。高周波出力は500mWで、写真中央に見える箱ははACアダプタで、このほか車のシガレット・ライターから電源をとるプラグも用意された。別添えのバッテリーパックは送受信時間を1:9で10時間使用できるそうだ。
受話部と送話部の間(握る部分)の上あたりには大型の受信周波数の微調整ダイアルが付いた。同じ真空管を送受で発振と超再生検波用に切替える方式では送受信で若干周波数がずれるため、周波数ズレが通信範囲を延ばせない要因になっていたからだ。
FCC検定番号がCR-413であることから、先行する検定合格機が12機種あるのが分かる。まともに実用になるCitizens Radio Service(CRS)のWalkie-Talkie 第一号がこの"Portapone" Model-73だ。Model-73はその販売流通量も多く、いまでもインターネット・オークションでアンティーク無線機として出品されることがある。その一方で、Al Gross のModel 100Bだが、全く見かけないの一体どうしてなのだろうか。あまり疑いたくはないのだが、Model 100Bは本当に発売されたのかと?思ってしまう。
1945年1月15日のFCC記者会見より、実に9年間もの歳月が流れ、今ようやくCRSの実用機が登場した。E. K. Jettと Al GrossのCRS構想は周波数を460MHzに選んだため、あまりに開発期間が掛かりすぎたといえよう。アメリカの有線式電話の世帯普及率はもう60%台にまで伸びており、CRSに対する国民の期待感は完全に薄れてしまっていた。
Feb. 01, 1954 管理者だけが有資格であればOKに(郵政省告示第140号)
簡易無線の規制が一部緩和された。これまで簡易無線で交信するには、双方とも特殊無線技士(簡易無線電話)の資格が必要だったが、これでは実用面で問題があり、この制度が本来目指すところとも違ったため、有資格の管理者がいれば良いことに改正された。
実験の結果、伊豆半島を挟んでいても海岸線から20海里(約37km)離れると交信可能であること、漁船のディーゼルエンジンからの雑音妨害は(従来の中短波帯に比べて)27MHz帯や34MHz帯では相当少ないこと、また電力に関しては5Wから30Wまで変化してみたが著しい差はみられなかった。この結果から最終的に27MHz帯のAM方式が採用された。
27MHz10Wの実用通信距離はA1で70海里(約130km)、A3で60海里(約110km)と見積もられた。このように漁業無線用に新たな周波数が模索されていた背景には、漁業用の中短波帯の周波数がすでに超過密状態になっていたこと、北洋漁場においてはこの周波数を共用するロラン電波やラジオブイ装置からの混信が多かったこと、また数年前から150MHz帯のFM波を漁業用に指定したが無線機が高価で普及が進まないことから、まだ未使用だった27MHz帯の方がより安価な生産が見込まれたからだ。また北洋漁業の休漁期間(冬季)は、船団の独走船は日本で稼働している。従って日本本土沿岸部でもせっかく搭載している27MHzの無線設備の利用を認めるのが経済的だ。
1954年(昭和29年)においては、27.4-28.0MHz帯で免許された日本の無線局は無く、下表の周波数を在日米軍局が使用していた。
【注】F3は占有周波数帯幅30kHz
つまり日本の独立直後の時期は27MHz帯の上部は在日米軍バンドだったのである。そのため、在日米軍の周波数の間をぬってチャンネルを作るしかなく、また日本近海(出港・帰港時)では在日米軍へ混信を与えないように運用を制限することになる。この実験では良好な結果が得られたが、在日米軍との調整が必要だった。