1959

<印刷にはページ最下段の「Print Page / 印刷用ページ」をご利用下さい>

この年、Citizens Radio Service Class C(ラジオコントロール)用の周波数27.255MHzが、Class D(無線電話)の第23番目のチャンネルとして追加されました。27.255MHzはClass C StationとClass D Stationの共用周波数となりました。

1959年春の27MHのClass Dにとって初めてのスポラディックE層発生の時期を迎え、疑似アマチュア無線を楽しむユーザーの台頭が社会問題化しはじめたのです。一般ユーザーからせっかく連絡用に無線機を買ったのに疑似アマチュア無線グループのお陰で通信できないというクレームがFCCにも殺到しました。

SUMMARY この年の出来事

March 1959 - Radio News誌1959年3月号のCBトランシーバー製作記事がきっかけでClass Dが普及しはじめる。

Apr. 15 1959 - 27.255MHzが第23番目のチャンネルとしてClass Dにも共用になった。

Nov. 5 1959 - FCCが擬似アマチュア無線行為を封じ込むための規則改正提案を行なう。

  • 引続き売られたアマチュア用11m送信機

左の写真はRadio News誌1959年1月号に掲載されていたアマチュア向け送信機ヒースキット(HEATHKIT)の広告である。

● MODEL DX-40 $65.95 PHONE & CW TRANSMITTER KIT

『 Operates on 80, 40, 20, 15, 11 and 10 meters, using a single 6416 tube in the final for 75 watt plate power input CW, or 60 watts phone. ・・・』

● MODEL DX-20 $35.95 CW TRANSMITTER KIT

『 The fine unit covers 80, 40, 20, 15, 11 and 10 meters with single knob bandswitchnf. Features a 6DQ6A tube in the final for 50 watt plate power input, pi network output, coplete shielding to minimize TVI. ・・・』

1958年9月11日に11mアマチュアバンドはCBバンドに変更されたが、まだ大らかな時代なので、当面の在庫がはけるまではBandスイッチに11mが残ったままのモデルが売られ続けたようだ。

既設のアマチュア局が、これまで購入してきたハム用無線機には当然11mのポジションが付いていたし、(今後は11mの電波は発射しないにしても)当面そういった1958年以前の無線機も使い続けられるのだから、(このDX-40やDX-20も)それと同じじゃないかということだろう。

それにアメリカ以外の第二地域(南北アメリカ大陸)の国々においては、依然として26.960-27.230MHzがアマチュアバンドで、それら隣国への輸出を考えると、わざわざ11mのポジションを取除くこともないだろう。

  • March 1959 CB無線ブームに火をつけた27MHzトランシーバーの製作記事

1958年(昭和33年)9月11日にはじまった27MHzのClass Dに対して市場の反応は極めて鈍かった。そこに娯楽としてのCB無線ブームの火を付けたのが D.L. Stoner氏(W6TNS)の"Build This Citizens Band Tranceiver"(Radio & TV News, 1959.3, pp49-51,148-151) という記事である。5球式トランシーバーの製作法と27MHzダイポールアンテナの張り方を解説したあと、記事の最後を次のようにアマチュア無線的にあおって結んだ。

『I wonder who will be the first to issue a certificate for "Worked All States" - Citizens Band (WAS CB)?』

この記事はアマチュア無線家を目指す高校生などを大いに刺激し、部品の入手先の問合わせが編集部に殺到した。また「自作はちょっと・・・」という大人は正規の市販CB機を買い求め、ようやく市場が動き始めたのである。

  • Mar. 04, 1959 (Docket No. 12662) 27.255MHzのClass D 可決成立

  • Mar. 12, 1959 (連邦官報告示 24FR1791)

Class D Citizens Radio Service(CRS) は1958年(昭和33年)9月11日にスタートした時は22チャンネル(26.965-27.225MHz)だった。それからわずか2ヶ月も経たない1958年11月4日には第23番目のチャンネルとして周波数27.255MHzを追加する提案(Docket No.12662)を行った。 あまりにも短期間での改正であることから、この27.255MHz の追加は9月11日のClass D 創設の前から計画されていたようだ。 ではなぜ時期を微妙にずらしたのだろうか。1957年(昭和32年)4月3日に成案されたDocket No.11994 は、26.960-27.230MHz Band を Amateur Service からCRS へ切り替えを目的とする提案だった。Class C 用の27.255MHzを、Class D と共用にするのは、同じCRS内でのクラスの指定変更なので、このDocket No.11994 に含めると、焦点がぼけてしますからだろう。

そこでまずDocket No.11994 で26.960-27.230MHz をCRSにしてから、Docket No.12662 で、Class C 用の27.255MHz をClass D との共用にする手順を踏んだのだろう。

  • April 1959 当時のCB無線機

1959年(昭和34年)春以降に「雨後の竹の子」のごとく、チープな27MHz機が続々と市場に登場するのだが、その直前はどんな状況だったのだろうか。

Electronics誌(Apr.10, 1959)はけして"趣味目線"ではなく、"技術目線"から淡々とCitizens Radio Service(CRS)を紹介する記事を載せた。筆者は後に初めてCB入門マニュアルを執筆したことで有名なLeo G. Sands(Consultant, Ridgewood, N.J.)氏である。この記事の中でCRSの一般的に流通している主要機種が紹介されているので引用する。

  • Apr. 15 1959 ラジコン用「27.255MHz」がクラスD(無線電話)にも供用開始

1959年(昭和34年)4月15日、Docket No.12662が施行され、Class D CRSが27.255MHzを使用しても良いことになった。

ところでCB無線のチャンネル番号はch.23(27.255MHz)→ch.24(27.235MHz)→ch.25(27.255MHz)というように腸捻転を起こしている部分があるので、これについて説明しておく。

直接的な原因は1959年4月15日に飛び地として27.255MHzがClass Dに加わって、さらに1977年1月にCB無線が23chから40chに増波されたとき、追加になった27.235MHzを24番にしたから、左図のようにねじれてしまった。

ではなぜ1959年に27.255MHzのような飛び地がClass Dになったかといえば、1952年(昭和27年)3月24日以来この周波数はCitizens Radio Serviceの周波数(Class C:ラジコン用)で、これを共用波としたからだ。

ではさらに次の疑問。なぜ1952年に27.255MHzが選ばれたかというと、話は1945年までさかのぼることになる。

● ISMバンド 27.185-27.455MHz(27.320MHz±0.5%)創設

1945年(昭和20年)3月21日のDocket No.6651 Final Reportにて、ISM周波数を27.320MHzとし、許容偏差を±0.5%(136.6kHz)認め、27.185-27.455MHzの270kHz幅がのISMバンドが設定された。1946年(昭和21年)3月26日より11mハムバンドとしても使って良いことになった。

● ISMバンド拡張 27.160-27.480MHz(27.320MHz±0.6%)

ISM業界より更なるバンド拡大要請を受けたFCCは、仕方なく1947年(昭和22年)に許容偏差±0.6%(163.92kHz)を認め、新ISMバンドを27.160-27.480MHzの320kHz幅に変更した。もともとアマチュアは29.7-30.0MHzの300kHz削減の補償としてFCCより270kHz幅の11mハムバンドをもらったが、厳密にいえば30kHz足りない。今回アマチュアに気前良く、320kHz全部あげるか、少なくとも不足分の30kHzを返せばいいのに、FCCは周波数不足から全く違う行動をとった。

ISMバンドが270kHzから320kHzに50kHz分増えたが、この50kHzについてはISMの2次業務として一般業務へ割り振ることにした。しかしISMバンド(27.160-27.480MHz)の中央にアマチュアが鎮座(27.185-27.455MHz)しており、新バンドが両端の27.160-27.185MHzと27.455-27.480MHzの各25kHzになり、どうにも使い勝手がよくなかった。

● アマチュアバンドを下にずらして、27.430-27.480MHzに産業用・実験用バンドを創設

そこでアマチュアバンド(27.185-27.455MHz)を25kHz下へ移転させた。これが第二次11mアマチュアバンドで周波数は27.160-27.430MHzである。ISMバンド(27.160-27.480MHz)は分配区分上では27.160-27.430MHzバンドと27.430-27.480MHzに分けられた。前者はアマチュア用で、後者はバンド中央の27.455MHzが実験局に、また産業用に10kHzセパレーションで27.435, 27.445, 27.455, 27.465, 27.475MHzの5chが設定され各種業務で共用されるようになった。

● 国際会議でISM周波数が27.120MHzになり、産業用・実験用バンドも27.230-27.280MHzへ移動

1947年のアトランティックシティ会議でISMの周波数が200kHz低い27.120MHz±0.6%になったので、分配区分もそのまま200kHz下へシフトした。26.960-27.230MHzバンドと27.230-27.280MHzバンドで用途はこれまでと同じで、バンド中央の27.255MHzが実験局、27.235, 27.245, 27.255, 27.265, 27.275MHzの5chが産業用である。27.255MHzはISMの2次業務だけでなく、多くの無線局が共用している「なんでも周波数」にだった。確証はないのだが、1952年にラジコン用の新たな周波数を指定する時に、「ここなら良いだろう」という様なレベルでの選定ではないだろうか。

  • 1959年春から「擬似アマチュア無線ブーム」 FCCには苦情殺到

FCC統計からCitizens Radio Service(CRS)の申請受理件数(右軸)と免許数(左軸)をグラフにしたものが下表である。ただしCRSの各クラスの合算値である。本来ならクラスD単独の数値を知りたいところだが、FCC統計としてクラスDだけの申請受理件数が集計されたのは1959年9月から。またクラスDの免許数はFCCによる推定値(FCC Estimated Class D Only)として1960年1月分から発表されている。

申請受理件数(赤の折れ線グラフ)をみると、1959年2月までは静かな状況だったものが、3月から急に立ち上がったことが見て取れる(1月:1,403件、2月:1,382件、3月:3,318件、4月:3,181件、5月:4,166件、6月:5,617件)。 対して免許数(青の棒グラフ)の伸びが6-7月あたりから立ち上がっているのは、不慣れなユーザーの申請書類の記載不備や、申請者の急増でFCC地方出張所の事務処理に対応の遅れがあったようだ。だがこのグラフが示す3月からの受理数の方の急増は実は氷山の一角で、CB無線機を購入したものの開局申請をまだ出していない見切り発車の局が何倍もいたと言われている。法的には無免許で使えるのではなく、無資格(通信士ライセンスが不要)で使える制度だが、一部の販売店での「無免許で使える」という宣伝が誤解を拡大させた。

● 長時間ラグチューでチャンネル占拠

最初にClass Dを利用しだしたのは疑似アマチュア無線を楽しみたいとする人達だった。アメリカのアマチュア無線制度は国際法にのっとり、モールス・コード技能の習得が必須条件であり、これがアマチュア無線の入門障壁になっていたため、Radio & TV News誌(3月号)に刺激された彼らはClass Dに飛びついた。そしてラグチュー(他愛のないおしゃべり)が楽しまれるようになった。

もちろんラグチュー自体が悪い訳ではなかったが、なにぶん初期の安価なCB無線機は送信チャンネルが1波のものが多く、彼らの緊急性のない長時間のおしゃべりが、チャンネルを使いたくて待機させられる一般ユーザーから反感を買いはじめた。昼間はまだ実用的な無線利用ができたが、夕方からは疑似アマチュア無線を楽しむ集団に周波数を占拠される事態になっていた。

● 「CQ 11m ~」 擬似アマチュア無線で苦情殺到

さらに事態は悪化した。5月が近づきスポラディックE層の活動が活発になると、遠方の通話がまるですぐ近くのような強さで聞こえ始め、昼間の無線利用までもが大混信になった。ほとんどの一般人はスポラディックE層による長距離伝播が、春から夏にかけての季節的な現象だとは知らない。せっかくCB無線機を買ったのに使えないとFCC へ苦情が入り始めた。

逆にスポラディックE層を喜んだのが疑似アマチュア無線を楽しむ集団だった。アマチュア無線をまねてQSLカードを交換し、全コールエリア(District Number)のカードを集めようと競いだした。当時のコールサインは「数字(DistrictNumber)+W+数字4桁」だったのでこれが彼らの興味をさらに掻き立てたのだ。スポラディックE層が発生すると「CQ 11m」の声が全米に響き、それ以外の用途を目的とする人々は使い物にならないCB無線に失望し、FCCへの苦情はさらに増加した。 CB無線のDistrictNumberについてはCBコールサインのページを参照。

● 早くもCBが破綻寸前の事態に

1945年(昭和20年)にCitizens Radio Service構想を打出して以来、なかなか普及せず、産業界からは460MHz市民用周波数の縮小を求められ、当初の夢を断念したFCCだった。それが27MHzへの引越しでようやく普及の兆しが見えたと思ったら、今度は疑似アマチュア集団に周波数を占拠され、国民からの非難の声が高まる事態に陥ったのだ。27MHz CB無線(Class D CRS)はスタートして1年も経たずして「失敗」の烙印が押された。FCCはこの事態に落胆し、そして疑似アマチュア無線集団を制限する規則改正に着手した。

  • 【参考】1959年当時の免許申請書と免許状

Electronics Illustrated誌のアソシエイト・エディターだったLeonard Buckwalfer氏が誌上(1959年6月号)で自身が得たCB免許状を公開していますので引用します。

<免許申請書>

右側の上にある4つのチェックボックスはCitizens Radio ServiceのクラスA,B,C,Dを選ぶもので、当初は460MHzも27MHzも共通の申請書だったことが分かります。

<免許状>

免許状にも同様のチェックボックスがあり、Citizens Radio Service クラスA,B,C,Dは同じ様式だったことが分かります。この免許日は1959年3月19日で有効期限5年間でした。免許にはBase(基地局)、Mobile(移動局)、Fixed(固定局)の区別があり、この例では移動局として3局分のライセンスを得ています。移動運用はニューヨーク州に限定のようですね。

ただし発給されたコールサインは2W1444(頭の数字2はニューヨーク地区を示す地域番号)ひとつだけで、「2W1444 unit 1, This is 2W1444 unit 3」というように呼出します。ちなみにもし同一免許人(1W9999)の基地局が移動局を呼び出す場合には「Hello..., 1W9999 Mobile, This is 1W9999 Base」でした。