1958

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1958年9月11日、27MHz アマチュアバンドを廃止し、Citizens Radio Serviceの Class C(ラジオコントロール)と、ClassD(無線電話)に指定変更するDocket No. 11994が施行されました。これを業界内では「FCC Rule & Regulations Part 19 のシチズンバンド」と呼び、昨年(1957年)創設された27MHzのライセンスフリー無線を「FCC Rule & Regulations Part 15 のシチズンバンド」と呼んで区別するようになりました。つまり27MHzには1957年(昭和32年)と1958年(昭和33年)に2つのCB無線が作られました。以下、比較表にしておきます。

1960年代後半から70年代に掛けてFCCルール&レギュレーション「第15条のCB」機が「おもちゃのトランシーバー」(27.125MHz, 入力100mW, 超再生検波)として、国内市場にも流通しており、外箱の文字は全部英語でいかにも輸出用という感じでした。Part 15のCB(26.97-27.27MHz)のセンター周波数は27.120MHzですが、Part 19のCBのチャンネルプランに準拠し、5kHzずらした27.125MHz(Ch.14)が選ばれたものと想像します。もちろん国内向けの「おもちゃのトランシーバー」も当時からありましたが、これら輸出用の「おもちゃのトランシーバー」はFCCが49MHz帯にPart 15のCBを作ったため余剰分が国内に流れたようです。

SUMMARY この年の出来事

Aug. 1 1958 - 10MHz幅あった460MHz帯のCRS(Citizens Radio Service)が550kHz幅へ大幅に削られた。

Sep. 11 1958 - 27MHz帯にCRSのラジコン専用波(ClassC)と無線電話(Class D)が新設された。460MHzのClass Aの周波数は一部復活。

Nov. 5 1958 - FCCがClass C用のの27.255MHzをClass D にも共用させることを提案。

  • Jan. 18-19 (2nd)"Save Eleven Contest" は不発に終わる

CQ Magazine 主催で昨年6月に行われた"Save Eleven Contest"の第二回が1958年(昭和33年)1月18-19日に行われた。しかしCQ Magazine誌のWayne Green氏W2NSDが提唱した27MHzハムバンドを防衛するこの草の根運動はアマチュア界全体には広まらなかった。

27MHzバンドが3.5Mhzや7MHzの高調波関係から外れるため、手持ち水晶発振子が活用できなかったこともあるのだろう。盛り上がらないアマチュアの反対運動を良いことにFCCはバンド転換構想を着実に進めていた。27MHzハムバンドを防衛しようと立上がった "Save Eleven Members" 達にも諦めムードが広がり、さらに残念なことに(2nd)"Save Eleven Contest" の当日はコンディションも上がらず精彩を欠く結果となった。

だが11mアマチュアバンドをなんとか防衛しようと世界のアマチュアに呼び掛けたWayne Green氏W2NSDの行動は、しっかりと27MHzの歴史に記録されるべきだと私は思う。

  • Apr. 16 1958 (Docket No. 11994) First Report and Order

  • Apr. 24 1958 (連邦官報告示 23FR2737)

昨年4月3日になされた460-470MHzのCRSを大幅に削減し他の業務に振替え、かつClass A CRSを27MHz帯に創設するとのFCC提案(Docket No.11994, 1957.4.3)に対して集まった意見などが1958年(昭和33年)4月16日にまとめられ、4月24日に連邦官報に告示された。

CQ Magazineのエディター、Wayne Green氏(W2NSD)らが"Save 11 Meters"グループを結成し、1957年と1958年に"Save 11 Meters Contest" を行うなどして、27MHzアマチュアバンドのアクティビティーを上げてFCC提案に抵抗していたが、その努力もむなしく27MHzアマチュアバンドの消滅は確定的となった。

  • June. 16 1958 (Docket No. 11991) First Report and Order

また460MHz帯をIndustrial Radio Service などに再分配する提案(Docket No.11991, 1957.4.9)のFirst Report and Orderは1958年6月23日にまとめられたが、多方面からの周波数分配要求が強いためIndustrial Radio Serviceへの周波数分配を6.550MHz帯域(461.000-462.525, 463.225-464.725MHz, 466.475-470.000MHz)に減らし、Class A Citizens Radio Serviceへの分配は前回と同じ550kHz帯域(464.725-465.275MHz)だが、1.900MHz帯域(462.525-463.225MHz, 465.275-466.475MHz)は分配先の決定を一時保留とした。

また自励発振のClass Bは465MHzでその輻射エネルギーを±2.475MHz(462.525-467.475MHz)に収めることで既得権が認められた。以上の460MHz帯の分割は1958年8月1日より施行された。

  • June 1958 10MHz幅時代最後の新製品TR-500

Radio News誌1958年(昭和33年)6月号の新製品コーナーでカルフォルニア州パロアルト(Palo Alto)にあるKaar Engineering Corporation社のClass A CRS機 "Model TR-500" が紹介された。 終段真空管は6939プッシュプルで入力12W、電波形式はFMのローコスト・中級モデルだった。

電源はAC117VとDC12Vが使用できて、同機による固定局と車載局の場合、固定局からから半径10マイル(16km)圏内で連絡可能だとPRした。これがCRS(460-470MHz)10MHzバンド幅時代最後の新製品となったが、これから460MHz帯に新たに分配される業務での需要拡大を期待して新製品開発ではないだろうか。

『The TF500FM operates in the 450-460Mc special services and the 460-470Mc Citizens Radio bands and is the lowest priced, commercial grade instrument of its type yet to be placed on the market, according to the company. Police and fire departments, railroads, taxicab operators, industries, and other specific commercial enterprises are eligible for licensing in the 450-460Mc band while any citizen is eligible for licensing in the Citizens Band. 』 (Radio News, 1958.6, p126)

  • Aug. 4 1958 (Docket No.11994)Second Report and Order 可決成立

  • Aug. 9 1958 (連邦官報告示 23FR6128)

  • Sep. 11 1958 27MHzにClass C(ラジコン)増設とClass D(電話)新設される

Docket No.11994 が施行された。460-470MHzのCitizens Radio Service(CRS) Band が大幅に削減され、Class A は専用波として462.55-463.20MHz(14波)と464.75-466.45MHz(34波)となった。これはFCCが分配保留した帯域では当面CRSが使い続けてよいことになった。

またDomestic Public Radio Serviceが当て込まれた460-461MHz帯は、5年間を期限(1963年6月15日)とし460.05-460.95MHz(19波)の共用波が許された。 Class B はこれまでどおり465.00MHz(1波)である。

そして460MHz市民バンド削減のあおりを受けてAmateur 11m Band(29.960-27.230MHz)が廃止され、ここにClass C(5波),D(22波)が指定された(Amateurには一切の補償はなされなかった)。すなわち開設当時のClass Dは26.965MHz(ch.1)から27.225MHz(ch.22)で、まだ第23番チャンネル(27.255MHz)はClass C用だった(この改正で27.255MHzのClass Cは入力30Wに引き上げられた)。

● Part 19 改正規則 <下図クリックで拡大>

(1/18) (2/18) (3/18)

(4/18) (5/18) (6/18)

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(10/18) (11/18) (12/18)

(13/18) (14/18) (15/18)

(16/18) (17/18) (18/18)

  • October 1958 QST

QST誌1958年10月号に "27-Mc. Band Deleted" という記事がある。CB無線ファンにとって、1958年9月11日は記念すべき27MHzのClass Dの誕生日で、とても喜ばしい日だが、アマチュアの立場としては真逆だった。既に27MHzバンドは勢いを失った枯れた周波数だったが、たとえ利用率が低くても、やはり周波数を奪われるのはけして愉快ではない。

それでは11mハムバンド誕生の経緯をおさらいしておこう。FCCは1945年(昭和20年)5月25日のDocket No.6651で、27.320MHz±135kHz(27.185-27.455MHz)にISMバンドを追加することを決めた。そしてFCCはもともと27MHzの周波数が割り当てられるはずだった業務無線局の周波数に、10mハムバンド(28.0-30.0MHz)の上端300kHz(29.7-30.0MHz)を選んだ。

アマチュアにはこれに対する補償として、1946年(昭和21年)3月26日に、ISMバンド(27.185-27.455MHz)の2次業務として11mハムバンドが与えられた。アマチュアは1次業務の300kHzを失って、2次業務で270kHzをもらうという「まったく割に合わない補償」だった。

11mハムバンドは米国の国内事情によるFCCの私生児アマチュアバンドだったが、すぐにカナダなど周辺国の電波行政当局も米国に追従し、11m(27.185-27.455MHz)をアマチュアに指定しはじめた。その後、11mハムバンドは25kHz下へシフトさせられ27.160-27.430MHzになったが、1947年のアトランティックシティ会議でISM周波数がアメリカの思惑通り27.320MHzにならず、(200kHz下の)27.120MHzに決まったため、11mアマチュアバンドもこれに合わせて200kHz下の26.960-27.230MHzになった。

アトランティックシティ会議で、新11mハムバンド(26.960-27.230MHz)が分配されたのは、第一地域(欧州とアフリカ)のうち南アフリカと南西アフリカ(現:ナミビア)、第二地域(南北アメリカ大陸)全域、第三地域(アジア・オセアニア)のうちオーストラリアとニュージーランドの各国に指定され、(ISMに対する2次業務ではあるが)地球規模の国際アマチュアバンドに昇格した(1949年1月1日施行)。

アマチュアが失った29.7-30.0MHz(300kHz幅)の補償としての26.96-27.23MHz(270kHz幅)なのに、それさえもFCCとCB無線に奪われてしまった。アマチュアから見た歴史ではそういうことだろう。なお注意を要するのは、アメリカが世界に先行して27MHzハムバンドをCB無線に指定変更しただけで、第一地域(南北アメリカ大陸)とオーストラリアやニュージーランドでは依然としてこの周波数はハムバンドだった事である。

  • Nov. 05 1958 (Docket No. 12662) Proposed

  • Nov. 13 1958 (連邦官報告示 23FR8825)

11月5日にFCCはCitizens Radio Service(CRS) Class Dに27.255MHzを第23番目のチャンネルとして追加する案を作り、13日に連邦官報で告示した。利害関係者からの意見締め切りは12月5日とした。