新エリアナンバー

2007.01.27, 移転2012.07

コールサインの割当基準(Call Sign Allocation Standard, 1948.9.2, 逓信省MOC申請、1948.9.15, 民間通信局CCS承認)でアマチュア局にはJAシリーズが指定されることが決まりました。同時にアマチュア局と実験局のDistrict Number(エリアナンバー, 地域番号)が見直され、関東信越エリアは9から2番になり、東海北陸エリア以降は番号がひとつ後ろにずれました。戦後も発給され続けたJ一文字コールサインの実験局はJX/JYプリフィクスを経て、官設実験局はJGシリーズ、私設実験局はJJシリーズへ再び変更になりました。



  • アマチュア局の呼出符号を決める

1948年(昭和23年)9月2日、逓信省MOCは我国初の「呼出符号の指定基準」を "Application for Alteration Plan of Call Signs Assigned to Japanese Radio Stations"(1948年9月2日,逓信省LS第410号)としてCCSへ申請し、"Alteration of Call Signs Assigned to Japanese Radio Stations"(1948年9月15日, CCS/DR第160号)で承認された。これにはアマチュア無線局と実験局のコールサインの指定基準も含まれている。日本人にはアマチュア無線は許可されていないのに、なぜ逓信省が日本のアマチュア無線のコールサインの構成を決めなけらばならなくなったかを振り返っておこう。

1946年8月29日にCCSとその配下の逓信省MOCは、戦前の朝鮮や台湾使っていたDistrict Number の8, 9番を日本本土に引き揚げ、その新しいDistrict Number(下図左)によるJ一文字コールサインの発行を再開した。【注】福井県は当初3エリアだったが、1947年に2エリアに編入されたと考えられる。しかしこの時期には福井県下において実験局が認可されておらず確認はできない。

また1946年8月27日に第八軍は、占領軍のアマチュア無線規則"Regulation governing amateur radio operation by allied personnel in Japan" (第八軍司令部通達第259号, Circular 259, Aug.27,1946)を作り、戦前のDistrict Number に類似した番号(下図右)でJ一文字コールサインを発行しはじめた。

こうして逓信省MOCと第八軍で異なるDistrict Numberが生まれ、8番は北海道でもあり南朝鮮でもあり、また9番は関東信越でもあり西南諸島(奄美・沖縄)になった。

1947年1月に逓信省MOCは関東信越の9番を廃止して、東海北陸の2番へ統合して混乱を収拾しようとしたが、(CCSの介入があったのか?)1947年2月20日に日本人のJ一文字コールサインをすべてJXプリフィクスへ変更することで決着した。

(MOC) (8th Army)

その年に開かれたアトランティクシティ会議では日本へ分配されていた国際符字が半減させられ、J一文字のプリフィクスを使えなくなった。第八軍は連合国人のアマチュア局にJ一文字コールサインを発行していたが、これを新しいものにする必要が生じた。しかし逓信省MOCの「呼出符号の指定基準」案にはアマチュア局のコールサインの構成には言及していなかった。日本人にはアマチュア局が認可される見通しもなく緊急性がなかったからだろう。しかしCCSは逓信省に日本人のアマチュア局の基準を定めるよう求めた。その結果がアマチュア局のコールサインにも言及した(させられた?)、1948年(昭和23年)9月2日の「呼出符号の指定基準」だった。

1週間後の9月9日、CCSは逓信省MOCが作成した「日本人のアマチュア局のコールサイン基準」に準じて、(連合国人も)新コールサインへ移行するように第八軍に勧告した。1946年に2種類のDistrict Number が使われ混乱が生じたが、ひとつの規則(ひとつのプリフィクスと、ひとつのDistrict Number)に統一するのが最良だからだ。

以上のような背景のもと、逓信省MOCは日本人のアマチュア無線局(および実験局)のコールサインの構成と新District Numberを定めた。日本人にはアマチュア局が許可される見込みもないのにである。敗戦国の立場をあらためて実感せざるを得ない瞬間だったのではないだろうか。

  • CCSに勤務する民間人アマチュア

1949年の時点でCCSの国内無線課(Domestic Radio Division)には3人のアマチュア無線家がいた。国内無線課で無線全般の技術に関する事を担当していた技術係(Technical Branch)のChief のJ. W. Whitehouse氏(JA2BG, ex J2POY) と、その部下のR. W. Liska氏(JA2BL, ex J2RWL)、そして無線運用係(Radio Operation Branch)で鉄道無線を担当するW. T. Kawai氏(JA2BE, ex J2MNB)で三人とも民間の電波技術者だ。GHQの各部門には、その道の専門家を民間から登用していた。

Whitehouse氏は沖縄でラジオ局(AKAR)を開設する際に無線設備のあれこれを提言したり、特にLiska氏は綱島電波局長と親交も深く、日本の無線局の電波の質の向上や不法電波の監視体制を築き上げた。鉄道無線担当のKawai氏は、警察無線担当だったSeccombe氏が解任離日したあと、国産FM警察無線の全国配備を支援してくれた。

JA/JB Callsigns のページで取り上げた郵政省の渡辺正一郎氏が、鉄道総局から安本(アンポン:経済安定本部)に出向時代に、Kawai氏に同行して鉄道用の青函海峡無線の建設工事現場の視察に行った記事を引用する。渡辺氏は「河合」と漢字で書かれているので、実はJA2BEは日系人だったのだろうか。『これに要した費用は約2千万円、しかも安本の認承を受けぬ闇工事である。皮肉なことにミスター河合と青函に出張して偶然に判明したのである。もし私以外の者が担当していたら大問題になるということを少しでも考えたのであろうか。結局書類状の認承を後から出して何とか収めたのであるが、日本無線はこの注文のお陰で破産寸前にあったのが助かったという。』(渡辺正一郎, 鉄道無線こぼれ話[2], p44, 1982年2月号)

昭和23年頃の2千万円とは、とてつもない発注額で、軍用通信機の需要が一切なくなり窮地に追い込まれていた日本無線株式会社が息を吹き返したのもうなずける。

ところでなぜ二つのDistrict Number が生れたかは、CCSと第八軍のコミュニケーション不足といえばそれまでだが、CCSに勤務するアマチュアがいたのになぜこうなってしまったのかとても不思議だ。しかし問題が生じた1946年8月~1947年1月にCCSへ着任していることが確認できたのはWhitehouse氏だけで、さらに同氏がアマチュア無線をいつ始めたかは分からない。またJ9問題が解決した1947年にはLiska氏やKawai氏がCCSに所属していることは確認できるが、両氏の着任時期は不明で、やはり2つのDistrict number事件との関係はまったく謎のままだ。

1949年になってCCS国内無線課に着任した軍人課長のL. E. Jhonson中佐(JA2LJ)もアマチュア無線家だった。1949年11月4日付けで第八軍司令部から(CCS国内無線課長の)L. E. Johnson中佐へ提出されたアマチュア局リスト "Authorized Amateur Radio Station" Ag676.3 (4 Nov 1949)Headquarters Eight Army によると、Whitehouse氏(JA2BG)とKawai氏(JA2BE)は免許更新をせず1949年9月1日に有効期間満了を迎えている。しかしLiska氏(JA2BL)だけは1950年以降もしばらく楽しんだようだ。

  • 戦後2回目のDistrict Number

もう一度、1948年9月2日にCCSに承認された、アマチュアと実験局の呼出符号の指定基準 "Call Sign Allocation Standard" をみてみよう。

◆アマチュア局

D. Call signs assigned to amateur stations will be formed as follows:

JA and a single digit followed by a group of not more than three letters.

The above digit agrees with the district number (2-9) given to 8 districts which divided Japan as shown on Separate Paper No. 2 so as to identify the locations of amateur stations.

1946年8月29日、戦後の新しいDistrict Number(上図左)がスタートした。それまで関東信越・東海北陸の広域圏で2番を使用してきたが、この改訂により関東信越エリアが分離され9番を用いることになった。

しかし1949年1月1日より実施した改訂District Number(上図右)では関東信越を2にしたため、全国の番号がひとつずつ振りなおされた。このDistrict Numberは現在も健在で実験局(実験試験局)のコールサインに使用されている。なおアマチュアには1952年にこのDistrict Numberから離脱して専用のNumberが定められたが、それは戦後初めて制定(1946年)された番号に戻したようなもので、関東信越の9番を1番に変えたものだった。

◆実験局

E. Call signs assigned to experimental stations will be formed as follows:

a) An International Station.

JB and a single digit followed by a group of not more than three letters.

b) Other Stations.

First 2 letters of specified series and a single digit followed by a group of not more than three letters. (e.g. In the case of a police experimental station in Tokyo JP2AA)

As to the digit, the district numbers designated for amateur call signs will be used.

簡単に言えば以下のとおりである。

◆アマチュア局

「JA+1数字+最大3文字」 数字は日本を8つのエリアに分割した2から9番のものを使う。

◆実験局

「当該業務に分配された最初の2文字+1数字+最大3文字」 数字はアマチュア局用のものを使う。

実験局のコールサインはFirst 2letters of specified series and ... の文章さえあれば(そして"除くJA"を付加すれば)、ここに「JB+1数字+最大3文字」も含まれ、JBを書く必要などなかったが、a)国際通信用 とb)国内通信用に分けて説明したことによる。

  • 地域を示さない数字を使った新JPシリーズ

何事にも例外は付きものだが、警察業務に分配された新JPシリーズは、いきなり(地域を現わさない)例外的なDistrict Number が使用された。JZ Callsigns のページで述べたとおり、中短波帯の3台の無線機と、米軍から貸与された合計35台の30MHz帯FM無線機には下表(Old Call.)のJZ9Aから順にコールサインを割り振った。借り受けた逓信省が東京なのでとりあえず9番なのだろう。JZ9Zまで使い切ったあとは、数字をひとつ若くしてJZ8を使用した。もともとの希望台数は計60台だったのでJZ7まで使う計画だったが、35台の借用で終わったためJZ8Lまで発行された。別に北海道で使うからJZ8とか、東北で使うからJZ7という意味ではなく。JZ9から発行したので順に若い番号へ下げただけのようだ。

当初は1948年12月31日までの借用だったが、期限延長を願い出て、それが認められたため、1949年1月1日からは新しいコールサイン(下表のNew Call.)に切替えることになった。JZは日本のものではなくなったからだ。新プリフィクスには警察用のJPシリーズが使用された。同時にDistrict Number が9から2へ変わった。JP2Aから指定した。次に旧8番(北海道)は新9番(北海道)なので、旧JZ8が新JP9になるかというと、そうではなく新JP3(東海)を発行した。すなわち今度は2から始めたので番号を上げていくことにしたと想像される。

このように新JPシリーズでは地域を示さない数字でスタートした。のちに警察用VHF帯FM無線機の国産化がはじまる時、製造メーカー各社に出された新JJシリーズのコールサインも地域と関連のない数字だったようだ。

  • District Numberの変遷表

ここで一旦、MOCが制定した実験局(含むアマチュア局)用のDistrict Number の変遷をまとめておくと下表のとおりである。

1928年10月15日に3エリアの新設5局(J3CC, J3CD, J3CE, J3CF, J3CG, J3CH )が免許されて、その使用が始まった(官報告示は10月20日)。このDistrict Number は各地方逓信局ごとに当てられたエリアナンバーだが、そもそもは1925年(大正14年)春に逓信省工務局の短波実験局J1AAおよびJ1PPが誕生し、同年夏から秋に掛けての時期に朝鮮総督府逓信局でも短波実験局を開設する際に、暫定的に日本国内の逓信局を1-7番、朝鮮逓信局を8番に決めたのが始まりである。J1PP J8AAのページ参照。

上表の下から2列目の[Feb.1947]の番号は、MOCがJ9問題を解決するためにJコールの実験局だけに適用しようとしたものだったが、結局「無かったこと」になってしまった幻の番号である。最下段の1949年1月1日から実施された新しいDistrict Numberは現代でも有効で実験局(実験試験局)で使われている。

なおアマチュア局は1952年の日本人アマチュア無線再開時に上表から離脱した。1952年7月29日、電波管理委員会RRCは1946年8月29日から1948年12月31日まで使っていたDistrict Number(上表茶色)の、関東信越の9番を1番に置換えたDistrict Number で日本人アマチュア局のコールサインを発行した(予備免許)。つまりRRC はこの表とは別のアマチュア専用 District Numberを定めて、2本立てとしたのである。RRCはその2日後の7月31日をもって解散し、8月1日からは郵政省が、実験局用とアマチュア局用の2つのDistrict Numberを引き継いだ。

このようにアマチュア局用のDistrict Number は表面的には1952年に分家した形ではあるが、実は1946年8月29日(全ての日本の無線局がGHQ/SCAPのマスターリストによって一斉に承認された、日本の戦後電波行政の出発点)から用いられた由緒あるDistrict Number の流れを汲む(9番が1番になっただけ)ものだった。

  • 戦後に誕生したJ一文字コールサインのその後

太平洋戦争が終結したあとも、Jの一文字プリフィクスのコールサインが発給され続けたが、いわゆるJ9問題により1947年2月20日にJX/JYプリフィクスへ切り替わった。これらの実験局は1949年1月1日以降の新ルールでどうなったかを見ていくことにしよう

呼出符号割当基準 "Japanese Government Call Sign Allocation Standard" (1948年9月15日承認)によると、実験局は「それぞれの業務に分配された文字列の最初の2文字+1数字+最大3文字」となっている。電波研究業務は制定当初から想定されておりJJシリーズを使うことになっていた。これにしたがって、BCJ(日本放送協会)の実験局 JX9J(ex J9ZJ, 茨城県筑波山)、JX9M(ex J9ZM, 東京都技術研究所)、JX7B(ex J7ZB, 福島県塩屋崎)はそれぞれDistrict Numberの旧9番が新2番に、旧7番が新8番となり、JJ2A、JJ2B、JJ8A が指定された。JJプリフィクスの2エリアと8エリアの第一号の誕生である。

電波物理研究所は1948年5月にCCSの勧告により文部省から離れて電気試験所に統合され、名称を逓信省電気通信研究所と改めていた。(警察など専用のプリフィクスを定めたもの以外の)官設局にはJGシリーズを使うことになっていたため、JX/JYシリーズの実験局のうち、逓信省電気通信研究所の実験局の方はJGシリーズを使うことになった。

さらにJGシリーズの実験局として、JA/JB Callsigns のページで説明した京都大学の地震観測用実験局JA3Xと、商工省の地質観測用実験局JA9O, JA9P, JA9Qが加わった。District Number が変わってJA3Xは4番になりJG4Aで、近畿エリアの第一号実験局コールサインになった。またJA9Oなどだが、実際の運用場所は福岡県沖だが、東京の商工省ということで、旧番号でいう9番だった。東京は新番号では2番だが、今回は実際に運用している九州エリアの7番で発行され、JA7A, JA7B, JA7C というこれまた九州エリアの第一号実験局コールサインになった。

以上のように戦後もJコールを使っていた日本人の実験局は、新"JGコール" と、新 "JJコール" に分かれて移行した。だが新"JJコール"の承認第一号はこの表にあるBCJのJJ8A, JJ2A, JJ2B ではない。この3局は1949年1月1日をもってJXコールから切り替わったが、これとは全く別に1948年12月10日にCCSが承認したBCJのテンポラリーな短期実験局(Temporary Station)JJ5A(島根県出雲市)が第一号である。周波数は920kHzで中波放送の伝播実験を行った(詳細は新プリフィックスのページ)。

  • 実験局になれなかったJA, JB, JO たち

JAコールとJBコールの鉄道用実験局は、鉄道用プリフィックスのJRに切替わるだけではなく、実用局のコールサインに切替わったため、エリアナンバー(District Number)が付かないものになった。たとえば大阪駅JA3A→JRC20、姫路駅JA3B→JRC21、広島駅JA4B→JRD20、山形駅JA7A→JRR20、盛岡駅JB7A→JRQ20といった具合である。また日本初のJAコールである北海道の千歳鉱山株式会社のJA8A, JA8Bも私設企業向けのプリフィックスJKに変わったが、エリアナンバーのない実用局コールサインJKY20, JKY21が指定された(これらの詳細はJA/JB Callsignsのページ)。

日本放送協会BCJが放送中継用(HF/VHF)の無線も「JO+エリアナンバー+1文字」という実験局のコールサインから実用局のものに切替わった。たとえばJOAK東京中央放送局のJO9AはJKH20に、JOBK大阪中央放送局のJO3AはJKM23になった(詳細はJO Callsignsのページ)。