1946年2月13日、逓信院BOC電波局は日本の無線局の『呼出符号周波数一覧表』を発行し、民間通信局CCSへ提出しました。この一覧表にはAFRS局が日本の無線局として掲載されました。これにはBCJの施設を使っていないAFRS自前施設によるものも含まれています。2月13日の時点においては13のAFRS局が我国で運用されていました。
業界週刊誌 The Billboard(1946年2月16日号)に、東京(2月9日)発のAFRSの記事があります。この記事には(昨年末に開局した鹿屋局が未掲載なので)どこまで最新情報かには疑問もありますが、キー局WVTR, Tokyoから中継されるAFRS網(AFRN: Armed Forces Radio Network)を次のように紹介しています。(陸軍が占領した日本本土と違い)米海軍が占領した沖縄のAFRSは、東京AFRSをキー局とする日本AFRSに組み込まれていないことがわかります。
『These stations are WVTQ, Osaka; WVTP, Keijo,Korea; WVTO, Omura; WVTH, Hachinohe; WVTC, Nagoya; WLKJ, Gunsan,Korea; WLKD, Sapporo; WLKC, Pusan,Korea; WLKB, Niigata; WLKE, Sendai; WLKF, Kumamoto, and WLKI, Fukuoka. Relay stations are also being operated at Matsuyama, Okayama and Tsuruga, and the AFRN is servicing the G.I.’s stationed on more distant islands by feeding its shows to two short wave stations.』
またWVTRの国際電気通信株式会社ITCの送信施設を使ったAFRS短波送信は、有線中継網が使えない局所への無線中継や、災害・故障等で有線回線の品位が劣化した際のバックアップ回線でしたが、AFRS局が置かれていない進駐地域では、このAFRASの国内短波中継波が直接聴取されていたようです。
GHQ/SCAPによる日本占領時代の電波の管理について簡単に説明します。
被占領民(敗戦国の日本人)が運用・運営する無線局の管理はGHQ/SCAP内に置かれた民間通信局CCSが行いました。CCS局長が日本の電波行政の最高責任者です。そして民間通信局CCSは日本人へ直接口を出すのではなく、逓信院BOC(のちの逓信省MOC)を通した間接統治という方法を取りました。CCS(Civil Communication Section)の 冒頭にCivil(民間)とあるとおり、その権限は軍用通信には及びません。
また占領民(戦勝国の連合国人)が運用・運営する無線局はGHQ/SCAP内に置かれた米太平洋陸軍US AFPACが直接統治しました。1946年以降は実際にはUS AFPAC隷下の第八軍通信長が軍用電波の最高責任者です。
このように日本の上を飛び交う電波は2つの組織でそれぞれ管理されたという歴史があります。
日本放送協会BCJの施設で運用されるAFRS放送の位置づけとしては、AFRSスタッフがBCJ施設で英語による番組を放送するというものでした。これらのAFRS放送は(BCJへの無線局免許を発行している)民間通信局CCSの管理下にありました。
一方で、AFRSの自前施設で放送されるAFRS放送に対しては、日本放送協会BCJはそれに(有線や短波の)中継網を提供するだけでした。そのため当初は太平洋陸軍US AFPCがAFRS自前施設による放送へ許可証を発行していました。
やがて時が経つに連れ、たとえAFRSの自前施設(移動放送車)といえど、日本放送協会BCJの電波との混信問題に配慮しなけらばならず、米太平洋陸軍US AFPACが勝手に周波数を分配できないことがはっきりしてきたのです。
結局AFRSは自前施設であろうが、BCJよりの役務提供施設であろうが、すべてGHQ/SCAPの民間通信局CCSが一元的に(逓信院BOCおよび日本放送協会BCJと調整しながら)周波数の分配を行うようになりました。
1946年2月13日、逓信院電波局は日本帝国の(船舶局や実験局を除く)無線局を収録した『呼出符号周波数一覧表』を発行しました。各業務別に局名・呼出符号・周波数・出力などを記録したリストです。
これまで電波院BOCが民間通信局CCSへ提出してきた、旧日本軍無線局リスト、一般無線局リスト、放送局リストなどはローマ字で綴られていましたが、これは珍しく日本語表記です。
GHQ/SCAPとの間に、AFRSを逓信院BOCの『呼出符号周波数一覧表』に収録するか否かの議論はあったでしょうが、最終的にはAFRSが掲載されました。
では『呼出符号周波数一覧表』より、放送局のページから、「BCJ放送」、「BCJ中継局」、「AFRS放送」の順に、以下に転載します。
放送局はコールサインのアルファベット順で、中継局は(コールサインがないので)周波数順になっています。赤字が1945年12月1日のリストから変化した部分です。JOAK東京第二と川内の周波数交換や、JOSK小倉放送局の増力、新しい中継局として中村・水戸・日田の3局が加わりました。
AFRS放送の赤字は1945年11月4日の承認リストからの変化を示しており、WLKI福岡、静岡、鹿屋が増えています。
1945年12月1日付けのBCJ制作の放送局リストには掲載されていたのに、この『呼出符号周波数一覧表』(逓信院BOC編, 1946年2月13日)では姿を消した短命のAFRS局が、八戸(WVTH)、大村(WVTO)の2局で、廃局したものと想像します。
AFRSの静岡局の詳細は不明ですが、1945年12月1日付けで日本放送協会BCJが作ったリストには、民間通信局CCSが手書きで『Shizuoka, 1510kc, 50W』と加筆されています。それがこの『呼出符号周波数一覧表』( 逓信院BOC, 1946年2月13日)では『1460kc, 0.5kW』に変化しています。
なお『続・日本無線史』でも放送協会の役務提供以外のAFRSに関して、静岡を含む以下の記述が見受けられます。
『米軍施設として昭和20年から21年にかけて大村・新潟・呉・静岡・佐世保に続いて福岡・鹿屋・小倉に、25年以降には、八戸・熊本・札幌・美保・福岡(板付)などに400~250Wの放送施設が設けられた。』 (続日本無線史刊行会編, 『続・日本無線史』第一部, 1973, p530)