Feb 46 AFRS
(放送局)(中継局) このリストは放送局はコールサインのアルファベット順で、中継局は(コールサインがないので)周波数順である。赤字が1945年12月1日のリストから変化した部分だJOAK東京第二と川内の周波数交換や、JOSK小倉放送局の増力、新しい中継局として中村・水戸・日田の3局が加わった。
以下が掲載されているAFRS局だ。
(AFRS局) 1945年11月4日の承認リストからの変化を赤字で示したとおり、WLKI福岡、静岡、鹿屋が増えている。
AFRSの静岡(開局)と八戸・呉(廃局)
1945年12月1日付けのBCJ制作の放送局リストには掲載されていたのに、この呼出符号周波数一覧表(1946年2月13日, 逓信院BOC)では姿を消した短命のAFRS局が、八戸(WVTH)、大村(WVTO)の2局で、廃局したようである。
AFRSの静岡局の詳細は不明だが、1945年12月1日付けでBCJが作ったリストには、CCSが手書きでShizuoka, 1510kc, 50Wと加筆していた。それがこの呼出符号周波数一覧表(1946年2月13日, 逓信院BOC)では1460kc, 0.5kWに変化している。なお続・日本無線史でも放送協会の役務提供以外のAFRSに関して、静岡を含む以下の記述が見受けられる。
『米軍施設として昭和20年から21年にかけて大村・新潟・呉・静岡・佐世保に続いて福岡・鹿屋・小倉に、25年以降には、八戸・熊本・札幌・美保・福岡(板付)などに400~250Wの放送施設が設けられた。』 (続・日本無線史 第一部, p530, 1973, 続日本無線史刊行会)
ccc
<印刷にはページ最下段の「Print Page / 印刷用ページ」をご利用下さい>
1946年2月13日、逓信院BOC電波局は日本の無線局の「呼出符号周波数一覧表」を発行し、民間通信局CCSへ提出しました。この一覧表にはAFRS局が日本の無線局として掲載されました。これにはBCJの施設を使っていないAFRS自前施設によるものも含まれています。2月13日の時点においては13のAFRS局が我国で運用されていました。
ビルボード誌が伝えた日本のAFRS
業界週刊誌 "The Billboard"(1946年2月16日号)に、東京(2月9日)発のAFRSの記事がある。(ここには年末に開局したと考えられる鹿屋がリストされていないので)どこまで最新情報かには疑問もあるが、WVTR, Tokyoから中継されるAFRS網(AFRN: Armed Forces Radio Network)を次のように紹介している。海軍が占領した沖縄のAFRSは日本AFRSに組み込まれていないことがわかる。
『These stations are WVTQ, Osaka; WVTP, Keijo,Korea; WVTO, Omura; WVTH, Hachinohe; WVTC, Nagoya; WLKJ, Gunsan,Korea; WLKD, Sapporo; WLKC, Pusan,Korea; WLKB, Niigata; WLKE, Sendai; WLKF, Kumamoto, and WLKI, Fukuoka. Relay stations are also being operated at Matsuyama, Okayama and Tsuruga, and the AFRN is servicing the G.I.’s stationed on more distant islands by feeding its shows to two short wave stations.』
WVTRの国際電気通信ITCを使った短波送信は免許上は中継回線(有線中継できない局所への伝送や、有線の状態が悪化した時のバックアップ回線)だが、実際にはAFRSを設置できないその他の進駐地域への放送用としても機能していた。
Feb. 13, 1946 ・・・逓信院BOCが「呼出符号周波数一覧表」にAFRSを収録
1946年2月13日、逓信院電波局は日本帝国の(船舶局や実験局を除く)無線局を収録した「呼出符号周波数一覧表」を発行した。各業務別に局名・呼出符号・周波数・出力などを記録したリストである。これまでCCSへ提出してきた、軍用無線局リスト、一般無線局リスト、放送局リストなどはローマ字でつづっていたが、これは日本語である。
日本放送協会BCJの施設で運用されるAFRSは、あくまでもBCJプログラムのひとつであり、AFRSが英語番組を放送しているとい形だった。
しかし自前施設によるAFRSでは、BCJはそれに有線や短波の中継網を提供するだけで、無線局ライセンス上は自前施設のAFRSは誰の管理下なのか明確とはいえなかった。
しかし時が経つに連れ、たとえAFRSの自前施設(移動放送車)といえど、BCJとの混信問題に配慮しなけらばならずUS AFPACが勝手に周波数を分配できないことがはっきりしてきた。結局AFRSは自前施設であろうが、BCJよりの役務提供施設であろうが、すべてCCSが一元的に(BOC/BCJと調整しながら)周波数の分配を行うようになった。CCSは日本人無線局への電波行政担当であるため、AFRSは日本の無線局であるという流れが認知されるに至った。
1946年2月13日、逓信院BOCは「呼出符号周波数一覧表」を発行した。GHQ/SCAPとの間に、AFRSを日本の無線局としてここに収録するか否かの議論はあっただろうが、最終的にはAFRSが掲載された。ここより放送局のページだけを転記したリストを以下に紹介する。