このページでは1923年から1949年における、日本の中波ラジオバンドに関するトピックスを集めました。どうぞお楽しみください。
米国では放送用電波は波長380m(833kHz)一波でしたので、どの局も833kHzでした。そこで同一地域の放送局オーナーが話合って、それぞれの放送時間を協定していました。
下図はニューヨークのメトロポリタン地区の各局の月曜から日曜までの時間割です。リスナーの受信機のダイアルは固定のままなのに、時間と共に勝手に違う放送局が聞こえてくるという、現代では不思議な時代です。
1923年(大正12年)3月20-24日、第二回国内無線会議が開かれ、放送局に550-1350kHzの800kHz帯を分配することを決議しました。ただし海岸局と船舶局の波長450m(667kHz)と波長300m(1000kHz)を除きます。
【参考】1922年の第一回国内無線会議では長波放送バンドも勧告されていましたがそれは放棄されました。
この無線会議の勧告を受けて、商務省電波局は無線規則を改正(1923年4月4日告示。同年5月15日施行。)して、出力501-1000WのクラスB局(550-800, 870-1000kHz)と、出力500W以下のクラスA局(1000-1350kHz)を規定し、各局に個別周波数を指定することになりました。しかし周波数の移転を望まない局には古巣の833kHzに留まることが認められ、これをクラスC局と定義し、クラスBバンドとの間にガード帯(800-870kHz)を作りました。
【参考】 海上公衆通信用の国際波1000kHzへの混信を避けるために、980-1040kHzは当面使用を保留とし、国際無線会議で国際波1000kHzが変更されるのを待ちました。
欧州では長波で放送が始まることが多かったのですが、英国は中波が用いられました。
【参考】仏エッフェル塔FL(波長2,600m)、仏SFR(波長1,780m)、蘭ハーグPCGG(波長1,050m)など
英国郵政庁GPOがどのような放送バンド(放送用帯域)を念頭にしていたかはよく分かりませんが、1923年(大正12年)夏の時点のBBC6局の波長は以下の通りです。英国では郵政庁GPOの音頭取りで、放送局はBBCに一本化されています。
Birmingham 5IT(420m: 714kc)、Glasgow 5SC(415m: 723kc)、Newcastle 5NO(400m: 750kc)、Manchester 2ZY(385m: 779kc)、London 2L0(369m: 813kc)、Cardiff 5WA(353m: 850kc)
1923年11月末では2局増えています(5ITと2LOの波長が変っています)。
Aberdeen 6BD(495m: 606kc)、Birmingham 5IT(423m: 709kc)、Glasgow 5SC(415m: 723kc)、Newcastle 5NO(400m: 750kc)、Bournemouth 6BM(385m: 779kc)、 Manchester 2ZY(370m: 811kc)、London 2L0(363m: 826kc)、Cardiff 5WA(353m: 850kc)
我国では1923年(大正12年)12月20日、逓信省が省令『放送用私設無線電話規則』(1923年12月20日逓信省令第98号, 即日施行)を定めました。
『・・・(略)・・・私設無線が順守すべき設備、或は運用上の細則を規定した省令が私設無線電信無線電話規則である。而して放送は私設の一種であるから無論この規則の適用を受けるが、一般無線通信とは大分趣を異にする所から、別に放送用施設無線電話規則がある。』(電気学会編, 『電気工学ハンドブック』改訂版, 1934, 電気学会, pp1563-1564)
【参考】同じ日に「私設無線電信規則」も一部改正されました(逓信省令第99号)。これは新しい「放送用私設無線電話規則」との整合をとるための改正です。
そして「放送用私設無線電話規則」の第五條第三項において長距離用を波長360-385m(周波数779-833kHz)、短距離用を波長215-235m(周波数1277-1395kHz)としたのが日本の「送信用」放送用バンドの始まりです。
第五條 放送無線電話ノ機器及其ノ装置ハ特ニ指定スル場合ヲ除クノ外左ノ各号ニ適合スルコトヲ要ス
(一、ニ 省略)
三 長距離用ハ三百六十乃至三百八十五「メートル」、短距離用ハ二百十五乃至二百三十五「メートル」ノ電波ヲ発射スルコト
(四、五、六、七、八 省略)
1923年(大正12年)の『放送用無線電話規則』第一条は、送信者(放送局)と受信者(ラジオ聴取者)の両方の許可に関する規則であるとしています。
第一條 時事音楽其ノ他ノ事項ヲ放送シ(←放送局)又ハ之ヲ聴取スル為施設スル(←聴取者)私設無線電話ハ本令ノ定ムル所ニ依ル
具体的には『放送用無線電話規則』第2條から第12條が「送信者に対する規則」、第13條から第18條が「受信者に関する規則」です。そして前述の「送信者用の第5條」と対を為す、「受信者用が第14條」になります。では14條をご覧ください。
第十四條 聴取無線電話ノ機器及其ノ装置ハ左ノ各号に適合スルコトヲ要ス 但シ特ニ逓信大臣ノ許可ヲ受ケタル場合ニ限リ第一号ニ依ラザルコトヲ得
一 受信機ハ電気試験所ノ型式試験ニ依リ其ノ型式証明ヲ受ケタルモノナルコト
(ニ 省略)
三 二百乃至二百五十「メートル」又ハ三百五十乃至四百「メートル」若ハ上記二種ノ電波長ニ限リ受信シ得ル装置ナルコト
(四、五、六 省略)
第14條第3号で受信可変範囲は波長200-250m(周波数1,200-1,500kHz)と波長350-400m(周波数750-857kHz)で、送信許可の範囲より少々広くなっています。これが日本の「受信用」放送バンドの始まりです。
なお下図赤字・赤線で示した波長300m(周波数1,000kHz)は国際条約で定められた海岸局と船舶局の通信波です。
放送波を発信するための免許(いわゆる放送局の免許)も、放送波を受信するための免許(受信許可)も、無線電信法第二条第六号によるものです。ただし送信が許可される周波数帯(上図:橙色)より受信が許可される周波数帯(上図:緑色)のほうが広くなっています。
1925年(大正14年)2月26日に『放送用私設無線電話規則』(大正14年 逓信省令第11号, 公布同日施行)の初めて改正がありました。
もっとも大きな改正点は、規則第14條(受信機の条件)の但し書き「逓信大臣の許可があれば、第1号(電気試験所の型式証明)がなくても可」を、「所轄逓信局長の許可があれば、第1号以外に第3号(受信周波数制限)に合致していなくても可」になったことです。
第十四條 聴取無線電話ノ機器及其ノ装置ハ左ノ各号に適合スルコトヲ要ス 但シ所轄逓信局長ノ許可ヲ受ケタル場合ニ限リ第一号及第三号ニ依ラザルコトヲ得
一 受信機ハ電気試験所ノ型式試験ニ依リ其ノ型式証明ヲ受ケタルモノナルコト
(ニ 省略)
三 二百乃至二百五十「メートル」又ハ三百五十乃至四百「メートル」若ハ上記二種ノ電波長ニ限リ受信シ得ル装置ナルコト
(四、五、六 省略)
受信することを許された放送の以外の周波数に変えることを禁じた、規則第16條が削除されました。
第十六條 聴取無線電話ノ装置ハ相手放送無線電話ニ付 定メラレタル所ト異ナル電波長に変更スルコトヲ得ス
1925年(大正14年)4月18日の『放送用私設無線電話規則』(大正14年 逓信省令第23号, 同年5月1日施行)の改正では、放送受信機の受信範囲(ダイアル可変範囲)だけが一方的に波長400m以下(周波数750kHz以上)でさえあれば良くなりました(上図:緑色)。
【参考】さらに逓信局長の許可さえあれば、その400m制限さえも不要になる場合があるという例外規定が付きました。
(放送用私設無線電話規則)
第十四條 聴取無線電話ノ受信機ハ電気試験所ノ型式試験ニ依リ聴取無線電話用受信機トシテ其ノ各号ニ適合スルモノナルコトヲ要ス 但シ所轄逓信局長ノ許可ヲ受ケタル場合ニ限リ第一号ニ依ラサルコトヲ得
一 四百「メートル」以下ノ電波長ニ限リ受信シ得ルコト
二 空中線巨ヨリ電波ヲ発射セサルコト
上下2つの受信バンド切替えスイッチ不要で連続受信が認められ受信機製造上や使用上の不便が解消されましたが、送信の方は今まで通り、波長360-385m(周波数779-833kHz)と波長215-235m(周波数1277-1395kHz)の2バンドのままです(上図:橙色)。
まだ国際無線電信会議で世界的な「放送バンド」が制定される前ですから、各国それぞれの国内法で定めるところになります。我国のように送信機の許可周波数範囲と、受信機の許可周波数範囲が異なる場合、どうすれば良いでしょうか。
そこで当サイトでは送信用の許可周波数範囲を「放送バンド」と呼ぶことにします。
さて逓信省が放送バンドを波長360-385m(周波数779-833kHz)と、波長215-235m(周波数1277-1395kHz)に分けた理由はなんだったのでしょうか?
逓信省通信局の稲田三之助工務課長が、1944年(昭和19年)になって、放送開始当時に放送バンドを2つに分けたの "理由" を明かされています。
【参考】東京放送局JOAKの落成検査を不合格として、「試験放送」という位置付けにさせたと、世間から非難されたり、また岩槻受信所建設現場に短波実験を命じたのが稲田工務課長です。逓信省の短波実験局J1AAは通信局工務課の中上係長、荒川技師、穴沢筆頭技手、河原技手らにより運用されました。
『大正十四年三月芝浦での(記念すべきラジオの)放送開始が、(自分たちの検査不合格判定で)試験放送で開始したことが放送関係当事者には不満の様であった。・・・(略)・・・検査になって、許可されない様な状況だと云う報告を(検査官の荒川技師から)受けて、一大事と中上君と一緒に芝浦に行った。検査官の報告の通りだった。放送が明日だと云うので試験放送ということで放送はやった。・・・(略)・・・
(放送の)初めの頃の受信機許可には一寸(ちょっと)弱った。其頃(そのころ)船舶は六〇〇米(500kHz)を用いて居ったが未だ小艦船等に三〇〇米(1,000kHz)もあったので、夫を(それを)保護する為に波長帯に中間に百米(100m)も保護波長帯を置いて聴取し得る波長は四百乃至三百五十米と二百五十米とした為に、受信機の機構は複雑となり、波長帯も狭小な為に可成(かなり)苦情を各所から受けた。』(稲田三之助, "創業前後に於ける回顧", 『ラジオ産業廿年史』, 1944, 無線合同新聞社事業部, p256)
1912年(明治45年)の第二回国際無線電信会議(ロンドン会議)では、中波帯の波長300m(1,000kHz)と波長600m(500kHz)が船舶局と海岸局間の通信波と決められました。しかし時代と共に主流は波長600m(500kHz)の方へ移り、1920年台に入ると(長いアンテナが張れない)小型汽船を中心として波長300m(1,000kHz)波が使われていました。
稲田工務課長ら逓信省では、1912年ロンドン会議で決められた公衆通信用の波長300m(1,000kHz)を保護する為に、その上下に波長50m(波長幅100m)のガードバンドを設けましたが、その結果、我国の中波放送バンドは1,000kHzを挟んだ上下2つに分けられてしまったのです。
もう一度、1925年(大正14年)4月18日の『放送用私設無線電話』(大正14年 逓信省令第23号, 同年5月1日施行)の改正をご覧ください(下図)。
この改正ではラジオ受信機の(周波数下限を750kHzとしただけで)上限を定めませんでした。つまりどこまでも高い周波数を受信できても問題ないという解釈が成り立ちます。実際、1925年(大正14年)春の日本で1,500kHz以上の周波数を使っていたのは、前年1924年(大正13年)8月に2.0-2.14MHz(140-150m)の無線電信の許可を受けた東京商科大 [現:一ツ橋大](呼出符号:JKZA)と、その2か月遅れの10月に2.0-3.0MHz(100-150m)の無線電話の許可を受けた東京高等工業 [現:東京工業大](呼出名称:東京高等学校)くらいでした。そのため逓信省通信局の電務課では、ラジオ受信機の周波数範囲を改正するにあたり「どうせ高い周波数は使ってないので、あえて上限を決めるまでもないだろう。」ということだったと想像します。
一方逓信省通信局の工務課では、稲田課長の命令により埼玉県岩槻の受信所建設現場において短波の受信試験が始まったのが1925年(大正14年)3月です。すると海外アマチュアが入感するため、こちらからも送信してみようということで始まったのが有名な官設短波実験施設J1AAです。
そして1925年(大正14年)4月6日、岩槻受信所建設現場に仮設された逓信省通信局の短波施設J1AAが米国カリフォルニア州の6BBQと交信に成功し、新聞や科学雑誌で取り上げられ、短波が注目を浴びるようになりました。ちょうど同じ頃、東京と大阪で、工科系の学生を中心に短波送信するグループも現れていました。
そんな中でJ1AAを運用し、アマチュア無線家の活動に理解のあった、逓信省通信局工務課の稲田課長、中上係長、荒川技師、小野技師らの活動で、海軍・陸軍両省の了解を取付けて、1926年(大正15年)7月、ついに短波を一般開放することを決したのが、いわゆる「短波開放の通達」電業748号です。
その内容ですが、まず第一項で私設無線(学校・企業・個人)の短波送信を開放方針を表明し、第二項では短波受信専門を当面認めないとしています。
電業第七四八号
大正十五年七月十日
電務局長
各逓信局長宛
短波長無線電信電話実験施設ニ関スル件
一般実験用無線電信無線電話ノ施設願ニ対シテハ私設電信電話無線電信電話監督事務規程第三条ニ依リ処理スベキ義ニ有之候短波長無線電信又ハ無線電話ノ実験施設ニ付テハ特ニ左記各項諒知ノ上可然処理相成度
一、 送受信機ヲ装置スルモノニ付テハ 学校 其ノ他ノ団体 ニシテ特ニ施設ノ必要アルモノ 及 相当技能ヲ有シ真ニ科学ノ研究ヲ為サムトスルモノニ対シテハ運用ニ付相当制限ヲ附シ許可方考慮スル見込ニ付許可願書(実験ノ種類目的及実験者ノ履歴ヲ附記スルコト)二貴局意見ヲ附シ之ヲ進達スベキコト
二、 放送聴取者以外ノ者ニ於テ受信機ノミヲ装置スルモノニ付テハ一般放送聴取施設トノ関係ニ付考慮ヲ要スル点アルニ付当分ノ間許可セラレサルコト
三、 放送聴取者ニ於テ短波長受信実験ヲ為サムトスルモノニ付テハ技術上同一受信機ヲ以テ放送聴取及短波長実験受信ヲ為シ得ザルニ因リ別ニ短波受信機ヲ使用スルモノト認メラルルヲ以テ第一項ト同様ニ処理スルコト
そして第三項ですが、現行の『放送用私設無線電話規則』には受信周波数の上限を定めていないが、現実的にいえば「中波の受信」と「短波の受信」はひとつの受信機ではできないはずだから、短波の受信については、第一項と同じく「相当の技術」があり、「真の科学の研究」を望む者に限り逓信本省の方で許可するとしました。
すなわち短波の受信には、逓信大臣の許可がいることになりました。
ところで第三項もう少し踏み込んで読んでみます。『放送聴取者に於て短波長受信実験を為さむとするもの』と、冒頭に「放送聴取者において」を置いており、第三項は放送リスナーを対象にしたものでしょう。言い換えると放送用ラジオ受信機の施設願いを所轄逓信局に提出しても、「短波が受信できるなら、それは第一項の本省決済になるので、逓信局では許可できない」ということではないでしょうか。
1926年(大正15年)1月26日、社団法人東京放送局に短波の波長15m(20MHz), 30m(10MHz), 35m(8.57MHz), 60-70m(4.29-5.0MHz)と、中波の波長210-240m(1.25-1.43MHz), 360-390m(769-833kHz)の実験施設が免許されました(下図:電業第110号通牒, 大正15年1月26日)。ただし第一装置(愛宕山 東京放送局)からの送信は(本放送への混信を避けて)東京放送局の放送時間外に限られる一方、愛宕山から南東へ10kmほど離れた「東京放送局受信試験所」(現:東急武蔵小山駅あたり?)に施設した第二装置には運用時間の制限はありません。
『 東京放送局の短波長実験はいよいよ来る(2月)十日頃から愛宕山と武蔵小山の受信所間に於て実験されることに決定されたので放送局技術部では目下着々準備中であるが最初は五十ワット位の小電力で放送してその受信成績を試験するはずである。』 ("短波長の試験はこの十日から開始さる", 『日刊ラヂオ新聞』, 1926.2.6)
電業第110号通牒の左のページの「四」と「五」を以下に書出します。
四、機器実験の為 発振を為すときは実験上支障ある場合を除くの外 空中線疑似回路を使用し且[かつ] 三百六十「メートル」以上の電波長は大阪及び名古屋放送局の放送時間中使用するを得ず
五、送話事項は無線化学[原文ママ, 無線科学?] に関する事項及音楽限り 且[かつ] 出版法及新聞法に於て出版掲載を禁止せられたる事項 並 所轄逓信局長に於て禁止する事項は之を送話するべからず
中波は波長210-240m(1.25-1.43MHz)と 360-390m(769-833kHz)の2つの帯域が許可されていますが、後者の帯域での発射が大阪放送局JOBK(波長395m [759kHz])、名古屋放送局JOCK(波長360m [833kHz])へ混信与えないように両局の放送終了後のみ
官報には3日後の1月29日(逓信省告示第173号)になって掲載されました(下図)。
あくまでも無線施設の許可日は1月26日です。官報告示日は「国民に事実を知らせた日」ですので、実際に許可された日より数日遅れになります。なお官報告示から許可日を知ることはできませんので、無線史研究の際には、官報告示日と許可日(免許日)を混同しないよう注意が必要です。
そのころ逓信省ではラジオ放送の全国展開を検討しており、1926年2月24日に以下の決定をみました。
増設(東京・大阪10kW)、新設( 広島1kW, 熊本・仙台10kW, 札幌10kW建設着手)・・・T15年度
改装(広島10kW)、新設(長野10kW)・・・T16年度
改装(大阪0.5→1kW)、新設(弘前・浜松3kW)・・・T17年度
新設(野付牛[北海道北見] 3kW)・・・T18年度
『大正15年2月24日朝、四ヶ月以上に亘って事務当局が練りに練った放送事業の統一経営、全国放送網建設に関する立法について、大臣官邸において大臣の決裁を乞うため関係者一同が会議を開いた。・・・(略)・・・逓相の一段によって放送事業の方向が一大転換をすることとなった。』 (電波監理委員会編, "全国的経営及び施設計画案の逓信省議決定", 『日本無線史』 第七巻, 1951, 電波監理委員会, pp112-115)
島国の日本では、番組伝送を陸線(有線)ですべてをまかなうには、技術的にも金銭的にも困難であることは明白で、無線中継網の調査・研究が最重要課題となりました。
そこで東京放送局が将来の全国中継網の建設を見据えたサイマル送信(同時送信)の実験を行えるよう、愛宕山の第一実験装置の運用時間制限を解除することになりました。
1926年(大正15年)5月29日、逓信省電務局はその件について海軍省と陸軍省へ照会しています。
電業第一二四九号 大正十五年五月廿九日
逓信省 電務局長
海軍省 軍務局長殿
私設無線電話通信執務時間変更に関する件
本年一月廿六日付 電業第一一〇号通牒致置候社団法人東京放送局施設 私設無線電話 第一装置 通信執務時間左の通 変更方出願有之当省に於ては許可の見込に候慮一応貴省御支障の有無承知致度及御照会候
記
通話執務時間 不定 但し東京放送局の放送中に於ては電波長二百四十「メートル」以下の現在許可電波長を以て東京放送局の放送を同時に発振せしむるの外発振せず
これまで東京放送局が放送中は、第一実験装置(愛宕山)の運用は禁止されていましたが、今後は本放送の時間中に短波の波長5m(20MHz), 30m(10MHz), 35m(8.57MHz), 60-70m(4.29-5.0MHz)と、中波の波長210-240m(1.25-1.43MHz)において同時サイマル送信したいというものです。陸海両省の承諾を得られ、第一装置の運用時間を不定とする旨の官報告示がありました(逓信省告示第1349号, 大正15年7月1日)。またこのときサイマル送信波を受信するための移動用受信機が第3~5装置として加わっています。
1926年(大正15年)8月20日、東京、大阪、名古屋の先行三放送局の法人が、新たに日本放送協会として経営統合され、全国放送網の建設が本格化しました。
このように中波の1,250kHzから1,430kHzは、無線中継試験のためにサイマル放送の調査・研究に使用された時代がありました。
短波の受信には逓信大臣の免許がいるとする電業748号による応急処置が電業第748号で発せられた1926年(大正15年)7月から半年がたちました。
1927年(昭和2年)3月7日、逓信省は『放送用私設無線電話規則』を大幅に改正しました(昭和2年逓信省令第4号, 同年4月1日施行)。受信機の上限周波数を波長170m(周波数1,765kHz)にしたのです。
また同時に送信機の周波数を規定する第五條第三項において、送信には波長200-400m(750-1500kc)が指定されることになり、これまで1,000kcを挟んで上下に分かれていた送信バンドを一本化しました。
(放送用私設無線電話規則 第五條)
三 使用電波長ハ二百乃至四百「メートル」ノ範囲内ニ於テ逓信大臣ノ指定シタルモノナルコト
また受信範囲は波長170-430m(698-1,765kc)に改正されました。
(放送用私設無線電話規則 第十四條)
一 百七十乃至四百三十「メートル」ノ範囲内ノ電波長ニ限リ受信シ得ルコト
規則の上では波長300m(1,000kHz)の海岸局と船舶局を保護するガードバンドは撤廃されましたが、運用の実務上では波長300mおよびその近傍が放送局に割当てられることはありませんでした。
【参考】東京放送局JOAK:波長380m(周波数800kHz)、大阪放送局JOBK:波長385m(周波数779kHz)、名古屋放送局JOCK:波長360m(周波数833kHz)
1927年(昭和2年)10月4日から11月25日まで、米国ワシントンに世界80ヶ国の代表が集まり、第三回国際無線電信会議(ワシントン会議)が開催されました。1912年(大正年)第二回国際無線電信会議(ロンドン会議)では船舶局と海岸局間の通信、船舶方位測定用電波、海岸局が取扱う報時信号や気象電報のための会議だったが、今回のワシントン会議では(放送を含む)急速な無線通信の発展と、短波通信の有効性が見出されたため、(放送局を含む)各種業務無線局を「定義」し、各業務ごとに使用する周波数帯を世界的に取り決めました。
この会議において放送用周波数が世界統一が実現し、中波帯では550-1,300kcバンドと1,300-1,500kcバンドが条件付きで放送(仏語:Radiodiffusion)に認められました。
下図の左端から「周波数バンド区分(kc)」、「波長バンド区分(m)」、「分配業務」です。波長220m(周波数換算で1365kcと表記)が海上移動業務に分配されました。詳細は次に述べます。
1927年(昭和2年)のワシントン会議ではバンド区分「550-1300kc帯(波長545-230m)」を「放送専用帯」にすることを目指していたが、「専用」に対する反対意見も少なからずあり、結局foot note 4 が付いて「放送に混信を与えない」という条件のもとに「移動業務 (Mobile Service)」に使っても良いことになりました。
さらにバンド区分「1300-1500kc帯(230-200m)」では、1365kc(波長220m)波を海上移動業務Marine mobile service とし、長いアンテナが張れない小型船舶(漁船)にも配慮した割当てです(1365kcは特別に安価な火花電波の使用が許容された)。放送も1300-1500kc帯を共用できることになったが、優先権は1365kcの船舶局の方にありました。
【参考1】 この会議では波長220mを周波数換算で1365kcとしましたが、次回のマドリッド会議(1932年)以降では、この波長220mを1364kcと表記しました。
【参考2】 このほか放送用として、長波帯に他業務との共用バンド(160-194kc、欧州は160-224kc)が、短波帯には6つの専用バンド(6.0-6.15, 9.5-9.6, 11.7-11.9, 15.1-15.35, 17.75-17.8, 21.45-21.55Mc)が承認された。
1927年、ワシントン会議で締結された国際無線電信条約附属一般規則は、最終議定書に署名した各国が、自国の議会で批准するまでの猶予期間を置いて、1929年(昭和4年)1月1日に発効することになっていました。
1928年(昭和3年)12月29日に官報告示された「私設無線電信規則」の改正(1929年1月1日施行)により1364kc(波長220m)が船舶無線用の電波に加えられました(昭和3年 逓信省令第67号)。なおワシントン会議では波長220mの周波数換算値は1365kcでしたが、我国の「私設無線電信規則」ではこれを1364kcと表記しました。
同規則第4条第5号の改正で、船舶用送信機を甲乙2種に区分しました。
◎甲種送信機:電信A1波125, 136, 143kcと音響電信A2波, 電話A3波375, 500kcを発射するもので、150kc以上の持続波を発射できないものを除く
◎乙種送信機:甲種以外であって、音響電信A2, 電話A3波375kc(船舶無線電信施設法の適用外となる小型船舶は375kcを1364kcで代用可)、公衆通信を行うものに限り425kcを送信できるもの、そして500kcの送信能力を有するもの
さらに第13條の2の改定で船舶用周波数の使い方が細かく規定されました(下図)。
◎施設者所属の無線電信相互間の特定事業用通信
呼出・応答:「A2, A3波」 375, 410, 500, 1364kc、「A1波」 143, 375, 410, 500, 1364kc
その他:「A2波」 375, 410, 1364kc、「A1波」 125, 375, 410, 1364kc
◎電信官署と通信の必要があるとき
呼出・応答:「A2, A3波」 500kc、「A1波」 143, 500kc
その他:「A2, A3波」 375, 410, 425, 454kc, (呼出・応答に妨害しない場合に限り500kc), 1364kc、「A1波」 125, 130, 136, 150, 375, 410, 425, 454, (呼出・応答に妨害しない場合に限り500kc), 1364kc
◎無線電信羅針局と通信の必要があるとき
「A2, A3波・A1波」 375, 500kc
◎税関港務部と通信の必要があるとき
呼出・応答:「A2, A3波・A1波」 375kc, (375kcの装置を有しない場合に限り500kc)
その他:「A2, A3波・A1波」 375, 1364kc
◎漁船が漁業監督局や水産指導局と通信する場合
呼出・応答:「A2, A3波・A1波」 375, 500, 1364kc
その他:「A2, A3波・A1波」 375, 1364kc
また同規則第4条第2号の改正で、船舶と通信する陸上局と船舶局の火花電波が禁止されましたが、但書きで火花電波が延命されました。
『送信装置は陸上に施設するものに在りては持続電波を発射するもの、船舶に施設するものに在りては可聴持続電波を発射するもの又は可聴持続電波及持続電波を発射するものなること 但し船舶に施設するものにして電源用変圧器入力三百「ワット」未満のものは特に許可を得たる場合に限り対数減衰率〇・一六以下の減幅電波(いわゆる火花電波)を発射するものなることを得』
私設無線電信規則の改正(1929年1月1日施行)で、船舶局と海岸局が使用できる電波形式と周波数が変更されました。しかし技術面や資金面で直ちに対応できない施設者に対して、当面の猶予期間が規則第42條(電波型式)、第43條(周波数)で示されました。
◎改正された私設無線電信規則(1929年1月1日施行)
第四十二條 本令施行前に施設の許可を受け現に其の許可の効力を有する私設無線電信は 其の発射する電波の種類に関しては陸上に施設したるものは昭和九年十二月三十一日迄、船舶に施設したるものは昭和十四年十二月三十一日迄 第四條第二号の規定に拘らず仍[なお] 従前の例に依ることを得
第四十三條 本令施行前に施設の許可を受け現に其の許可の効力を有する私設無線電信は 其の送信可能周波数(波長)に関しては本令施行の日より六十日間 第四條第五号の規定に拘らず仍[なお] 従前の例に依ることを得
この改正で従来1,000kHzを発射できた送信機は、第43條でいう1月1日の施行日から60日間の猶予をもって1,364kHzに改造されたようです。
『中でも1364kHzは漁業専用の周波数で、規則改正以前に無線電信機を装備した共同漁業のト ロール船の大半が、昭和4年3月に従来の1000kHzを1364kHzに変 更している。』 (加島篤, "日本水産における漁業用無線通信の系譜Ⅰ:遠洋トロール事業の発展と戸畑漁業無線局の開局". 『北九州工業高等専門学校研究報告』第47号, 2014, p18 )
そもそも1,000kHzが船舶局と海岸局の公衆通信用周波数だったため、日本の放送バンドが上下に分割されたという経緯があります。その公衆通信波1,000kHzは消滅したのですが、こんどは漁業無線波1,364kHzが中波放送バンドの中に残ることになりました。
1929年(昭和4年)12月5日、我国でも放送バンドをワシントン会議の規則に準拠させるため、『放送用施設無線電話規則』(昭和4年 逓信省令第55号, 1930年1月1日施行)を改正しました。日本の中波ラジオの送信範囲(第5条)と受信範囲(第14条)は統一され、世界標準の550-1500kHzになりました。
(放送用私設無線電話規則 第五條)
三 周波數(波長)ハ五百五十「キロサイクル」(五百四十五「メートル」)乃至一千五百「キロサイクル」(二百「メートル」)ノ 範囲内ニ於テ逓信大臣ノ指定シタルモノナルコト
(放送用私設無線電話規則 第十四條)
一 周波數(波長)五百五十「キロサイクル」(五百四十五「メートル」)乃至一千五百「キロサイクル」(二百「メートル」) ノ範囲内ノ電波長ニ限リ受信シ得ルコト
ワシントン会議で定めた中波ラジオバンドは既に1929年1月1日に発効していますが、日本は1年遅れの1930年1月1日に施行されました。
ただし実際には(後述するように)550-1100kHzだけを放送に使い、1100kHzを超える高い周波数を通常の放送に使うことは、太平洋戦争に敗戦した1945年(昭和20年)になってからです。
ラジオ放送のスタジオ外中継は、名古屋放送局JOCKが1925年(大正14年)10月31日に第三師団東練兵場から天長節の分列式の実況放送を有線中継で行ったのが日本初です。東京では1927年(昭和2年)2月8日に大正天皇御斂葬当夜、高松宮邸前にマイクを設備したのが最初になりますがこれらは陸線(有線)中継でした。
我国初の無線中継は、1927年(昭和2年)年6月25日に行った帝国劇場(東京)からの番組中継で、波長は210m(1429kHz)でした。同年3月7日に改正された『放送用私設無線電話規則』(昭和2年逓信省令第4号, 同年4月1日施行)第五條第三項において、送信波は波長200-400m(750-1500kc)としていましたのでその上端を使用したようです。
1928年(昭和3年)8月16日には波長35m(8.57MHz)の短波中継機で甲子園野球大会(兵庫県)の模様を東京JOAKへ送りました。これは長距離短波中継の最初ですね。
1929年(昭和4年)、逓信省は放送バンド500-1,500kHzの上端エリアを移動放送中継業務に割振りました。1933年(昭和8年)に大阪放送局JOBKが設計製作した無線中継車は周波数1400, 1450, 1490kHzだったようです。
『 無線界の権威として有名なるグリエルモ・マルコーニ侯来朝を期としてBKにおいては拾一月廿三日奈良公園においてマルコーニ侯歓迎「鹿寄せ」の状況を放送した。その際使用せる移動放送用自動車は電力五〇ないし一〇〇ワット、周波数一四〇〇、一四五〇、一四九〇キロサイクルの放送機を搭載せるもので、(マルコーニ)侯はBKの依頼により、これをマルコーニ号と命名した。 』 (日本放送協会編, "BKマルコーニ号 移動放送車", 『ラヂオ年鑑』 昭和9年版, 1934, 日本放送出版協会, p330)
1931年(昭和6年)6月7日に放送された、"最近の遠洋漁業"というラジオ番組から当時の1364kc波を状況を引用します。ラジオ講演されたのは熊本県水産試験場長の飯尾公壽氏です。
日本放送協会熊本放送局JOGKがその番組の中で、家庭用ラジオ受信機の同調ダイアル少し高い方へ廻すと、漁業関係者の無線電話が聞けることを紹介したようです。漁業波1364kcには火花電波Bのほか、持続波の電信A1, A2波や電話A3波も飛び交っていました。
『無線電信電話の如きは、現在二百五十隻余の漁船が据付けて居ります。其他(そのほか)単に(一般放送用の)ラヂオ受信機を据付けた漁船は非常に多くあります。而(しか)して之に対して漁業専用の(漁業組合や水産試験所の)陸上無線電信局が海岸に十三局余ありまして、盛んに無線を利用して漁船相互間および陸上と船と通信を交換して連絡を取って居ります。即ち漁船からはその日の漁場の位置、漁獲高、水温等を放送しますと、陸上局では各船の報告を纏めて時間をきめて之を放送して一般漁船に知らせます。漁船のラヂオの放送は波長二百二十米(周波数1364kHz)を使って居りますから、普通のラジオ受信機の調節では之を聞き悪いが、これを多少変えるとよくきく事が出来ます。毎日夕方と、普通ラヂオ放送時間(終了)後の午後十時過には盛に(1364kHzの)漁業専用ラヂオが放送されて、岩手(県水産試験場JOJ)・宮城(渡波浦漁業組合JOV)・千葉(県水産試験場JOR)・静岡(県水産試験場JOG, 御前崎漁業組合JOE, 焼津漁業組合JOF)・三重(県水産試験場JOX)・高知(県水産試験場JOM, 室戸浦漁業組合JOT)・宮崎(油津漁業組合JOY)等各県の漁業無線局が次々に放送して居ります。それで、適当な受信機を持って居れば其の日の日本全国の漁業状況を居ながら知る事が出来ます。時には陸上局から何県の何丸の乗組員誰の父は危篤につき直ぐ帰港するか、附近に居る漁船に便乗して至急帰宅せよ、等の放送もあって海陸の連絡は完全に行われて居ります。・・・(略)・・・又夜間の(一般ラジオ放送局の)娯楽放送は漁船で夕食後の休憩に一日中の苦労を慰め海上にあることを忘れしめます。』(日本放送協会九州支部編, 飯尾公壽, 『放送講演集 第五輯』, 1932, 日本放送協会九州支部, pp123-124)
参考までに昭和6年3月末日現在における、1364kcの陸上局(海岸局)を逓信省工務局編『本邦無線電信電話局所設備一覧表』(昭和6年10月10日発行)から抽出して、表にしたのが下図です。
黄色に塗った局が1364kcの無線電話A3局で、家庭用ラジオ受信機で通信内容を聞くことが出来ました。空中状態が良ければ、これらの海岸局が交信する洋上の船舶局(漁船)の電波も聞こえたのでしょうね。
1932年(昭和7年)9月3日から12月10日まで、第三回国際無線電信会議(マドリッド会議)が開催され、中波放送のバンド区分は550-1500kcに一本化されました(下図)。これまで波長220mの周波数表記は「1365kc」でしたが今回から「1365kc」と表記することになりました。これは周波数が1365kcから1364kcに動いたのではありませんな。波長220mのことを周波数1364kcと呼ぶことにしただけです。
区分バンド「550-1500kc」は放送用になりましたが、再びfoot note 9 が付いて550-1300kcの周波数内では放送に混信を与えないという条件で移動業務の使用が認められました。
1364kcの用途はMarine Mobile Service(海上移動業務)でしたが、Marineの文字がとれてMobile Service(移動業務)になり、使用できる電波型式が持続波のA1, A2と、火花波のB電波であると明記されました。
ただしfoot note 10で1364kcのB電波(火花波)の使用は(ラジオ放送への混信を防ぐために)現地時刻18時から23時の運用を禁ずる制限が付けらました。さらに北アメリカ地域ではそのB電波(火花波)禁止時間帯には、音響電信A2も使用不可で、電信A1だけを使うことになりました。
ここで注目して頂きたいのが、マドリッド会議では1364kcでの無線電話A3の使用を認めなかったことです。家庭用ラジオ受信機で漁業無線の通話が聞こえるのは良くないと考えたのでしょうか?なおこの施行日は1934年(昭和9年)1月1日でした。
1933年(昭和8年)12月29日、「私設無線電信規則」が全面改正され「私設無線電信無線電話規則」(昭和8年 逓信省令第60号, 昭和8年12月29日官報告示、昭和9年1月1日施行)として生まれ変わりました。
その「私設無線電信無線電話規則」第56條(別表第3号)で船舶局と航空局の周波数と電波形式が整理改正され、家庭用ラジオでも聞けた1364kHzの無線電話A3は、新周波数1650, 1700kHzへ移ることになりました。1364kHzは電信A1,音響電信A2、(条件付きでB波)用、すなわちモールス通信専用となりました。
第五十六條 船舶又は航空機に施設したる私設無線電信無線電話の使用周波数は特に指定する場合を除くの外 通信の区別に従い別表第三号に依るべし
・・・(略)・・・
附則
第八十五條 本令は昭和九年一月一日より之を施行す 但し第二十七條第一項、第二十九條、第三十三條 及 第三十五條の規定は船舶安全法第三十条の一般規定施行の日より之を施行す
大正四年十月 逓信省令第四十号 私設無線電信規則は之を廃止す
新たに生まれ変わった「私設無線電信無線電話規則」には既設無線局の移行措置の期間を考慮し、施行時期に関する附則(第85~88條)を付けました。特に設備の改修が経済的に厳しい漁船もあることに配慮されたのでしょう。
第八十七條 本令施行前に施設の許可を受け現に其の許可の効力を有する私設無線電信は其の発射する電波の型式に関しては陸上に施設したるものは昭和九年十二月三十一日迄、船舶又は航空機に施設したるものは昭和十四年十二月三十一日迄 第二十四條の規定に拘らず仍従前の例に依ることを得
規則第87條の規定により、1364kcの無線電話A3は、最長で1939年(昭和14年)12月31日まで残った可能性があります。
逓信省工務局が昭和9年度末日(1935年3月31日)現在でまとめた"昭和九年度末統計:(8)周波数別船舶無線電信"(逓信省工務局編, 『本邦無線電信電話局所設備一覧表』, 1935, 逓信協会, p320)によれば、1364kcを許可された我国の船舶局数は327+14+81+5=427局ありました。
その427局のうち、家庭用ラジオでも聞くことが出来るA3(無線電話)を有する船舶局が131+3+46+2=182局あるので、海岸局がある漁港周辺では家庭用ラジオ受信機で海岸局が船舶局と交信する無線電話が聞こえたのでしょうね。
実際のところ、1364kcの無線電話A3が残っていたか、その実態は良く分かりませんでした。
ちょうど全国にラジオ放送が広がった時期ですので、マニア達が自慢の受信機で競って遠距離受信に挑戦したことでしょう。東京市内で、静岡県の焼津漁業組合JOFの1364kHz無線電話が聞けたとする記事もあります。
『著者は、最近・・・(略)・・・三田無線の八球式スーパーを実験致しましたが、スーパーの威力は、近頃の様に、国内に多数の放送局が出来てくると実際にその力を発揮することが出来ます。最もよい例は、東京市内(郊外に近い)で、夜間前橋、徳島、福井を受信した時のことです。昭和八年六~七月の間です。まだ試験放送中のことで、夜十一時、十二時迄実験しているので、受信も都合よかったのです・・・(略)・・・大阪では第二放送が始まるや、第二放送の入らぬ受信機が沢山あった由ですが、此の八球スーパーは、大阪第二(二七六米)(=1087kHz)も、名古屋第二(ニ五五)(=1176kHz)もよく入り、もっと短い焼津の漁業無線電話(呼出符号JOF, 周波数1364kHz)も時折り聞いたことがあります。』(原田三夫, 『高級ラヂオの製作と原理』改訂, 1933, 誠文堂, pp272-273)
1933年(昭和8年)頃の放送局は以下のとおりです。
特に新局ラッシュだった昭和6年からの3年間の各局の開局日を挙げておきます。開局日は逓信省工務局編『本邦無線電信電話局所設備一覧』によりました。
◆1931年(昭和6年)開局組 岡山JOKK(1931.02.01)、台北JFAK(1931.02.01)、長野JONK(1931.03.08)、静岡JOPK(1931.03.23)、東京第二JOAK(1931.04.06)、新潟JOQK(1931.11.11)、小倉JOSK(1931.12.21)
◆1932年(昭和7年)開局組 函館JOVK(1932.02.06)、秋田JOUK(1932.02.26)、松江JOTK(1932.03.07)、高知JORK(1932.03.22)、台南JFBK(1932.04.01)、京都JOOK(1932.06.24)
◆1933年(昭和8年)開局組 京城第二JODK(1933.04.26)、名古屋第二JOCK(1933.06.23)、前橋JOBG(1933.06.23)、大阪第二JOBK(1933.06.26)、福井JOFG(1933.07.13)、浜松JODG(1933.07.19)、徳島JOXK(1933.07.23)、旭川JOCG(1933.09.04)、長崎JOAG(1933.09.20)
ここで無線局の開局に関連するいくつかの日付について解説します。
まず最初に逓信省が許可した「許可日」("建設着手を許可"した日)、その翌日から数日後に官報による「告示日」があります。さらに数週間から数か月後に工事落成届を出して、検定合格た日が「検定合格日」です。最後に運用面での準備も整い、逓信省へ提出する運用開始届に免許人が記載した日付けが「開局日」です。
このように「許可日」→「告示日」→「検定合格日」→「開局日」という順番で進みます。戦前でいう「検定」とは戦後の言葉で「落成検査」のことです。「許可日」とは、戦後の言葉で「予備免許日」です。そして「検定合格日」とは、戦後は「本免許日」です。
官報の「告示日」とは、官報により「国民に知らせた日」です。従って官報を調べても無線局の「許可日(予備免許)」や「検定合格日(本免許)」を知ることはできません。
1938年(昭和13年)、戦前最後の周波数分配会議となったカイロ会議では、低い周波数においては「欧州地域」と「その他の地域」でそれぞれ業務別に周波数が分配されました。1939年(昭和14年)1月1日施行です。この分配表が第二次世界大戦後もしばらく使用されています。
550-1500kc帯というバンド区分には変更ありません。 一方で1500-1600kc帯というバンド区分では世界統一の業務分配の合意に至らず、結局「欧州地区」用と「その他の地域」用の2つに分かれました。
「欧州地域」の1500-1560kcは放送業務(専用)に追加されました。また「その他の地域」では1500-1600kcが Fixed固定業務、Mobile移動業務、Broadcasting放送に使えるようになりました。
【参考】アメリカではこの1500-1600kHzを高音質放送用に限定しました。
日本が属する「その他の地域」では、1500-1600kcバンドが(共用ながらも)放送用に追加されました。しかし日本では放送バンドの拡張はありませんでした。
もともと、(高い周波数になると)性能が低下する家庭用受信機があることや、1364kcの小型船舶の通信波を保護する意味から、1200kHz以上の高い周波数を放送に使うのを控えたようです。
なおこの年、日本では漁船の1364kHzのサブチャンネルとして1600kHzの(火花電波ではない)持続波電信(A1, A2)が追加されました(昭和13年 逓信省告示第六号, 昭和13年1月20日告示、同日施行)。ちなみに太平洋戦争期に入ると、我国の漁業無線の電信は1364, 1600(, 1620)kc、電話は(1600,)1650, 1700kcを使っていたようです。
カイロ会議で採択された業務別周波数帯分配表の550-1500kc帯および1500-1600kc帯の抜粋を示します(下表)。
foot note 15で550-1300kcで移動業務への使用が継続された。
foot note 16で1364kcでのB電波(火花電波)の禁止が協議されたが、これに日本が反対し、日本の小型船舶(in Japan for small ships)に限り、出力300W未満のB電波が認められた。
『9・2 カイロ国際無線電信会議
・・・(略)・・・
(1)B電波(火花電波) 廃止問題 B電波使用に関しては米国、ソ連等空中線電力300W以下のもの迄も全廃すべしとの論があったが、日、英、仏等の主張によりB電波使用期限及び電力に関しては現行通りに決定し、周波数は500, 425(通信用) 及び 375(方位測定用)の3種に限定することとなり、特に日本に限り、1364kcの使用に関しては他国の他の業務を妨害せざることの条件の下に特例を認めることとなったのであるが、我方は10箇年以内に之を廃止することに同意した。』("9 国際会議", 『電気工学年報 昭和13年版』, 1938, 社団法人電気学会, p193)
1938年(昭和13年)12月26日、逓信省令第92号で「私設無線電信無線電話規則」が改正され1364kcのB電波の使用が1943年(昭和18年)まで延長されました。
第九十條 本令施行前に施設の許可を受け現に其の許可の効力を有する私設無線電信にしてB電波一三六四kcの周波数を発射するものは昭和十八年十二月迄 第二十四條の規定に拘らず同周波数を使用することを得
1364kcの漁業波は想像以上に遠距離まで通信できたようです。以下の様な記事があります。
『昭和12・3年頃は、捕鯨も漁船も、無線施設船が割合少なかったので、共用の周波数を使用し、お互いトラブルもなく、希望する時間に連絡を行うことができたものである。南氷洋から帰国の時など、(現インドネシアの)バリ島附近から「JOV」(宮城県石巻の渡波浜漁業組合)を1364kcで歓呼すると、待ってましたとばかりの応答に、内地の感触をキャッチすることが易々(やすやす)たるもので、空界は混信もなく、平和そのものであった。』(鈴木周造, "漁業無線の将来", 『電波時報』, 1958年10月号, 電波振興会, p20)
さすがインドネシアからの通信は、電話A3ではなく電信A1でなされたものでしょう。
さて漁船の無線はこのあと順調に伸びますが、1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争の開戦を境に大きく減少します。執筆時に電波監理局航空海上課長だった公平信次氏の記事を引用します。
『今次大戦前の昭和16年には漁船で電波施設を有するもの即ち、漁船の無線局数は約六〇〇、これらの漁船の無線局と無線通信を行う陸上の無線局、即ち、海岸局が二六であったが、戦争中の消耗によって終戦直後は漁船の無線局は二六〇に減少していたのである。』(公平信次, "電波海を征く", 『逓信協会雑誌』, 1955年7月号, p37)
1945年(昭和20年)秋の逓信院BOCの資料をもとにGHQ/SCAPの民間通信局CCSがまとめた "放送局を除くコールサイン-周波数表" をご覧ください。
600kc(神島JQB)
905kc(角島JTS)
1364kc(神戸三菱重工JHX、川崎造船所JHZ、?JKN、?JIX、福岡県知事JKQ、御前崎漁業組合JOE、焼津漁業組合JOF、静岡県水産試験場JOG。福島県水産試験場JOH、岩手県水産試験場気仙沼分場JOJ、青森県水産試験場JOL、高知県水産試験場JOM、枕崎漁業組合JON、茨城県水産試験場JOO、海士町漁業組合JOP, JOQ、香住町漁業組合JOU、渡波濱漁業組合JOV、漁業組合JOW、三重県水産試験場JOX、油津漁業組合JOY、室戸浦漁業組合JOZ、気仙沼漁業組合JPV、千葉県水産試験場JPW、長崎県遠洋機船底曳水産組合JPZ、下関水産振興会JZT、北海道庁長官(余市)JZW、和歌山県水産試験場JZX)の「海岸局」が掲載されています。
この資料ではこれら「海岸局」と交信する「船舶局」は記載が省略されています。したがって中波放送バンドを使う無線局数はさらに多いと考えられます(なおこの周波数表では放送局も除かれており570kcにJODGだけが代表で掲載さている)。
1946年(昭和21年)8月、GHQ/SCAPの民間通信局CCSは漁船が使う1364kcを禁止しました。その裏には日本各地で始まった進駐軍放送のために、クリアな放送用周波数帯域を確保したいという狙いがあったかもしれない。
1946年8月29日、逓信省令第13号(1946年9月1日施行)で「私設無線電信塗線電話規則」の別表第3号が改正され、ついに1364kHzの文字がが消えました。歴史ある漁業波1364kcが、1946年8月末をもって廃止されることになりました。これにより中波ラジオ受信機で漁船のモールス信号が聞こえてくる事は無くなりました。
代わって漁船用には電信A1, A2用で2波(1570, 1580kHz)、電話A3用で2波(1640, 1650kHz)が指定されました。
さらに1947年8月30日、逓信省令第27号(1948年7月1日施行)で「私設無線電信塗線電話規則」の別表第3号が再び改正され、2MHz以下の帯域では電信A1, A2用の専用3波(1570, 1650, 1905kHz)と、電話A3用の専用波(1650kHz)、電信と電話の供用4波(1610, 1620, 1930, 1955,)という大幅増波となりました。これは全国的に不足している食料確保に向けて、GHQ/SCAPが日本漁業界を近代化するためにおこなったものです。軍隊が廃止されて軍用無線機の需要がなくなってしまい、不況に陥っていた通信機器メーカー各社が漁業無線機の製造に飛びついたようです。
『昭和21年8月から連合軍総司令部の指令によって、漁業用無線電話専用周波数1364KCが廃止され、1610KC、1620KCに切り替えを・・・(略)・・・』(気仙沼漁業協同組合史刊行委員会編, 『気仙沼漁業協同組合史』, 1985, 気仙沼漁業協同組合, p664)
大正時代の無線史に興味ある方なら多分よくご存じであろう、古沢匡市郎氏が終戦直後に少年向けラジオ組立書を書かれています。
組み上がった再生式ラジオ受信機のダイアル調整の話の中で、漁業無線が聞こえてくるシーンがあります。ただし1364kcの無線電話A3が禁止されたのは、1946年(昭和21年)9月1日ですから、以下の文書は過去の経験を混ぜながら創作で書かれたものでしょう。(それか1610kcなどの新らしい周波数の無線電話が聞こえたとい話でしょうか?)
『5. AK(東京放送局JOAK)の第2は(ダイアル目盛板の)80°以上だろう。ずっと(高い方へ)廻して行く。第2が入らぬ、60、70、80、90と探している中に「ゴンダマル、ゴンダマル、カエリハ何日か。山十の万吉、赤ン坊が生まれた。男の子だ」声は小さいがたしかに無線電話だ。たぶんどこかの漁業無線が入ったのであろう。(目盛板は)99°5位であるから、放送周波数以上のところらしい。』(古沢匡市郎, 『やさしいラジオの作り方 : 少年技師ハンドブック』, 1948, 誠文堂新光, pp107-108)
特に漁港周辺などでは、家庭用ラジオで漁業無線を聞こえるのはめずらしいことではなかったのでしょうか?今考えるとなんだか不思議な気持ちになりますね。
敗戦直後の1947年(昭和22年)のアトランティック・シティ会議で中波放送バンドが535-1605kcに拡張されました。そして同時に535-1560kcは「foot noteなし」の完全な放送専用帯となりました。
1949年(昭和24年)1月1日、アトランティック・シティ会議の規則が発効し、ここに中波ラジオ「専用帯」が完成しました。