楢原山(ならばら) 神社と経塚のある山

愛媛県  1,041m  2020年6月12日

四国百名山

517

雨の四国で最初に向かったのは楢原山。前日の昼間はずっと雨。夕方から夜半は雨は止み、当日朝は深い霧。

R317に出ると霧が晴れてきて、東に見えていたのが楢原山に違いない。緑に包まれた稜線に立つピーク。

水ヶ峠トンネルの北口の道標から入った林道は狭くて長く、林道途中の登山口表示を見落とし、引き返して登山口を発見。

登山道はまず林道沿いの水量の多い蒼社川に下っていく。多少水が多くても渡るつもりだったが、ちゃんと橋がかかっていた。古ぼけた木造の橋に見えたが実はコンクリ造り。たぶん鉄筋も入っているのだろう。

渡った先も植林の中の歩きやすい道。古道のような雰囲気なので、参道なのかもしれない(一応、四国のみち)。

ぐんぐん登って右上の手前ピークに近づくが、なんと車道に出る。だが、白い大きなガクウツギなど花がいくつか見れたし、雨も降らなかったので、失敗でもなかろう。

そしてたどり着いた楢原山の頂上には楢原神社の本社があり、その奥の一番高いところに経塚があった。昭和9年に発見・発掘され、宝塔と経筒などが出土したとある。

小学校の登山記念碑もいくつか。楢原山は古くからの歴史があり、今も地元の人たちに愛されている里山だった。

 R317に出ると霧が晴れてきて、東に見えていたのが楢原山に違いない。緑に包まれた稜線に立つピーク。
 一番高いところに経塚があった
 白い大きなガクウツギ
 楢原山の頂上には楢原神社の本社
  8:14 登山口駐車地点発  8:57 783m峰三角点  9:23 車道  9:26 奈良原神社  9:49 楢原山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り1時間35分  9:57 楢原山発10:09 奈良原神社入口10:12 車道から登山道10:31 783m峰三角点10:56 登山口駐車地点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復2時間42分

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雨の四国で最初に向かったのは楢原山。前日の昼間はずっと雨。夕方から夜半は雨は止み、当日朝は深い霧。6時過ぎに道の駅を出るが、西条から楢原山へは今治から山越えをし、狭い舗装林道を延々と走る。R317に出ると霧が晴れてきて、東に見えていたのが楢原山に違いない。緑に包まれた稜線に立つピーク。水ヶ峠トンネルの北口の道標から入った林道は狭くて長く、林道途中の登山口表示を見落とし、林道が封鎖されているゲートまで走り、引き返して登山口を発見。道脇に駐車し、上下レインウェアに久しぶりのパイネ日帰りザックで歩き始める。ザックカバーを忘れたと思ったが、このザックには自前のザックカバーがついていたのを思い出し、そのザックカバーを掛けていく。MTBヘルメットをかぶっていくが、なぜかヘルメットカバーがない。銅山越ヒュッテから降りるときにカバーをかけて下ったはずだが、途中で落としてしまったのだろうか。登山道はまず林道沿いの水量の多い蒼社川に下っていく。とりあえずこの川を越えないといけないのだが、雨で水量が多くなっているだろう。多少水が多くても渡るつもりだったが、下っていくとちゃんと橋がかかっていた。古ぼけた木造の橋に見えたが実はコンクリ造り。たぶん鉄筋も入っているのだろう。渡った先も植林の中の歩きやすい道。古道のような雰囲気なので、参道なのかもしれない(一応、四国のみち)。急坂に横木つきの道を元気に登るが、トントンとはいかない。

ようやく平らな道になったところが最初のピーク783mで、四等三角点があった。少し下ってから再び登りとなり、尾根の左側(北西側)をトラバースして登っていく。ぐんぐん登って右上の手前ピークに近づくが、手前ピークは楢原山ではなく、その北側でなんと車道に出る。北側からくれば、この車道を頂上直下まで車で来れたようだ。とんだくたびれもうけだが、白い大きなガクウツギなど花がいくつか見れたし、雨も降らなかったので、失敗でもなかろう。車道を少し歩くと奈良原神社の石標と牛の像、そして奈良原神社の大きな鳥居があり、楢原山はそこから数百メートル先。その途中には馬神様と牛神様の祠、そして子持ち杉という大きな杉が二本(初代子持ち杉と二代目子持ち杉)あった。そしてようやくたどり着いた楢原山の頂上には楢原神社の本社があり、その奥の一番高いところに経塚があった。昭和9年に発見・発掘され、宝塔と経筒などが出土したとある。中身は今治の近代美術館で、ここには石の経塚と祠が立っていた。小学校の登山記念碑もいくつか。楢原山は古くからの歴史があり、今も地元の人たちに愛されている里山だった(*1)(*2)。

快調なペースで下山してから二つ目の山(笹ヶ峰Ⅱ)に向かうが、R32が県境手前で通行止めになっていたので行けず。通行止め手前にある道の駅霧の森によってみると温泉があったので入る(65歳以上350円だった)。

 楢原山

 雨の四国で最初に向かったのは楢原山。前日の昼間はずっと雨。夕方から夜半は雨は止み、当日朝は深い霧。6時過ぎに道の駅を出るが、西条から楢原山へは今治から山越えをし、狭い舗装林道を延々と走る。R317に出ると霧が晴れてきて、東に見えていたのが楢原山に違いない。緑に包まれた稜線に立つピーク。

R317・水ヶ峠トンネル北口の道標、林道入口

水ヶ峠トンネルの北口の道標から入った林道は狭くて長く、林道途中の登山口表示を見落とし、林道が封鎖されているゲートまで走り、引き返して登山口を発見。道脇に駐車し、上下レインウェアに久しぶりのパイネ日帰りザックで歩き始める。ザックカバーを忘れたと思ったが、このザックには自前のザックカバーがついていたのを思い出し、そのザックカバーを掛けていく。

林道の登山口標識

MTBヘルメットをかぶっていくが、なぜかヘルメットカバーがない。銅山越ヒュッテから降りるときにカバーをかけて下ったはずだが、途中で落としてしまったのだろうか。登山道はまず林道沿いの水量の多い蒼社川に下っていく。

蒼社川を渡る

とりあえずこの川を越えないといけないのだが、雨で水量が多くなっているだろう。多少水が多くても渡るつもりだったが、下っていくとちゃんと橋がかかっていた。古ぼけた木造の橋に見えたが実はコンクリ造り。たぶん鉄筋も入っているのだろう。渡った先も植林の中の歩きやすい道。古道のような雰囲気なので、参道なのかもしれない(一応、四国のみち)。急坂に横木つきの道を元気に登るが、トントンとはいかない。

783m峰の三角点

ようやく平らな道になったところが最初のピーク783mで、四等三角点があった。少し下ってから再び登りとなり、尾根の左側(北西側)をトラバースして登っていく。

植林の道


標高900mで車道に出る

ぐんぐん登って右上の手前ピークに近づくが、手前ピークは楢原山ではなく、その北側でなんと車道に出る。北側からくれば、この車道を頂上直下まで車で来れたようだ。とんだくたびれもうけだが、白い大きなガクウツギなど花がいくつか見れたし、雨も降らなかったので、失敗でもなかろう。

ガクウツギ


 奈良原神社の石標と牛の像

 車道を少し歩くと奈良原神社の石標と牛の像、そして奈良原神社の大きな鳥居があり、楢原山はそこから数百メートル先。その途中には馬神様と牛神様の祠、そして子持ち杉という大きな杉が二本(初代子持ち杉と二代目子持ち杉)あった。


馬神様の祠


初代子持ち杉


楢原山の頂上

そしてようやくたどり着いた楢原山の頂上には楢原神社の本社があり、その奥の一番高いところに経塚があった。昭和9年に発見・発掘され、宝塔と経筒などが出土したとある。中身は今治の近代美術館で、ここには石の経塚と祠が立っていた。小学校の登山記念碑もいくつか。楢原山は古くからの歴史があり、今も地元の人たちに愛されている里山だった(*1)(*2)。

楢原山経塚の案内

(*1)奈良原山経塚は標高1,042mを測る楢原山山頂に位置する。昭和9(1934)年8月26日、奈良原神社にて雨乞い祈祷に伴う清掃作業中に東南隅の盛土から偶然発見され、調査により二基の経塚が造営されていることが明らかとなった。上部には花崗岩製の石製宝塔(建徳2(1371)年銘)が置かれていた。当時の記録によると、石積みの下からたくさんの中国の銭貨が見つかり、掘り出したところ地上より約45㎝下から九輪の層塔をもつ銅製の宝塔が発見された。・・・・・・さらに1.2m離れた場所からもう一基、伏せた壺に覆われた経筒が見つかった。・・・・・出土した宝塔や銅鏡、檜扇は畿内で製作されたと考えられる工芸品で、とりわけ宝塔は京都鞍馬寺経塚出土銅製宝塔と双璧をなす優品である。・・・・・現在、今治市玉川近代美術館に保管されている。

楢原山頂上の奈良原神社の本社


経塚


子持ち杉

快調なペースで下山してから二つ目の山(笹ヶ峰Ⅱ)に向かうが、R32が県境手前で通行止めになっていたので行けず。通行止め手前にある道の駅霧の森によってみると温泉があったので入る(65歳以上350円だった)。


 奈良原神社由緒

(*2)奈良原神社は持統天皇の御代四年(690年)伊予の国司小千宿鮞禰玉興が修験道の開祖役小角を大和の国葛城山より迎え当地を開きし時、山頂に伊邪那岐命を主神として奉斎したのに始まり、神威赫々として往古より文武天皇、淳和天皇、朱雀天皇、後朱雀天皇の勅願所と崇めらるる。

問合せ・コメント等、メール宛先: kawabe.goro@meizan-hitoritabi.com