蓬田岳、宇津峰、一盃山、高柴山 阿武隈の秋の散策1
福島県 蓬田岳952m、宇津峰677m、一盃山856m、高柴山884m 2010年11月6日
(蓬田岳)東北百名山
(蓬田岳、宇津峰、一盃山、高柴山)福島県の山
467
秋晴れの日
古い歴史の道
またあったモニュメント
道草だらけの山旅
☘🌪🍁🍂☘🌪🍁🍂☘🌪🍁🍂
蓬田岳はすぐ近くに、道の駅ひらたの建物の向こうに見えている。車道を走り、そのゆったりした紅葉で赤く染まった姿を眺めながら近づく。
頂上稜線は軽いアップダウンで、大きな岩がところどころに立っている。そして大きな祠のところに出る。それは菅布禰神社(すがふね)で、最初の頂上標識「蓬田岳頂上952m」があった。
そしてその先に一等三角点があった。立派な大きな三角点。
その先に視界の良いスペースがあり、そこの岩の上に立つとほぼ360度が見渡せる。北にはたくさん山が重なっており、一盃山はあれだろうか。
(宇津峰)御井戸の清水には大きな案内があり、14世紀の南北朝の頃のもので、山頂には雲水峰城というのが建っていたとある。
階段を登りきると紅葉の山頂部に着き、東屋がある。広場の中の、大きな石柱の近くにちょっとだけ頭を出している二等三角点を見つけた。うん、ここが頂上だ。
宇津峰の頂上広場を歩いて東屋の反対側に行ってみると、そこは千人溜(*3)という台地になっていて、真ん中が窪んでいて石祠三社や石碑が建っている。
(一盃山)だいぶ登ったところで振り返ると、横切ってきた林道のむこうにゆったりした山が見えている。蓬田岳に違いない。
やがて林に入り、紅葉の尾根道を登って南峰頂上に着く。「一盃山・音の岩」という穴のあいた石柱が立っている。大志の広場の先に三角点頂上(856m)があったようだが、最高点は音の岩のあるこっちのピーク(860m)。
北には石切り場らしきものがある岩峰(黒石山)があり、北東にはなだらかな紅葉の高柴山、東には阿武隈の最高峰、大滝根山の大きな姿。
(高柴山)車道を北東に直進し、一盃山の横を通って高柴山に向かう。さっき一盃山から見たこんもりした紅葉の山が稲刈りを終えた山村の向こうに近づく。
登山道というよりは遊歩道、散歩道というべき広い道を進み、途中で太鼓石(*5)、今度は物見石というのがある(*6)。
その先で道は頂上台地に至り、展望台が見えてくる。まずその展望台に登ってみる。北東に盟主、大滝根山が大きく見えている。西に見える石切場のある山は黒石山。南には一盃山と日影山、その間に蓬田岳。
展望台を降り、まず三等三角点を確認。それから、ちょっと遠いが避難小屋まで行ってみる。草原の中の頑丈そうな小屋。薪も並べてある。それから白い高柴山神社へ。鳥居も祠も真っ白。
****************
(蓬田岳)
11月の最初の週、福島の浜通の山に向かう。金曜夜、常磐道に入って小野インターで下る。コンビニで夕食を買い、道の駅ひらたで車中泊。23時前。
翌朝、6時半前に道の駅ひらたを出発。蓬田岳はすぐ近くに、道の駅ひらたの建物の向こうに見えている(*1)。R49を北上し、途中で左折して、そのゆったりした紅葉で赤く染まった姿を眺めながら近づく。駐車場の手前で、「登山道入口」の標識のある鳥居がある。車道はその先で登山道を横切り、横切ったところに「蓬田岳登山口」の大きな標識がある。駐車場は更にその少し先。大きな駐車場の手前に車を止めるが、実はもっと先まで車で入れたようである。まあ、大差はない。さっきの車道の登山口まで車道を歩き、登山道に入る。
(*1)平田村のシンボルである蓬田岳は標高952mの東北百名山にも選ばれる登山家に人気の山です。「ジュピアランドひらた」から山頂までは約1時間で特に稜線は雑木林に覆われた美しい登山道となっています。山頂には菅布祢神社や一等三角点があり、平田村内を一望できるほか、東には太平洋、西には那須連峰から奥羽山脈が並び、磐梯山、飯豊連峰を見ることができます。
登山道はジュピアランドひらたの横を登っているようで、グラウンドやらへの道があり、小鳥居のところに奥の駐車場まである。ここまで車で入れたのか。そこには小さな鳥居と祠(菅布禰神社遥拝殿、黄葉が美しい)があり、その先で沢を渡って林に入る。ほぼまっすぐの登山道。途中に笹ヤブを切り開いた空地があり、「ここはお休み処、トイレではありません」とある。確かに一息つきたい場所だが、ベンチがほしいところ。林のなかに大きな岩がところどころに散らばっているところを過ぎ、稜線の分岐点に着く。往路がジュピアランドひらた、稜線の向こうは下蓬田、右が蓬田岳頂上、あと400m。
頂上稜線は軽いアップダウンで、大きな岩がところどころに立っている。そして大きな祠のところに出る。それは菅布禰神社(すがふね)で、最初の頂上標識「蓬田岳頂上952m」があった。祠の先の岩の上に奉納された剣が何本か立っている。その脇を登ると、アンテナが2本立っている。気象観測用のアンテナだろうか。そこには二つ目の頂上標識「標高952m」。アンテナの間に「冒険コース」の分岐。
そしてその先に一等三角点があった。立派な大きな三角点。その隣の三つ目の頂上標識は道標との兼用で、平田登山口と糠塚登山口とある。その先に視界の良いスペースがあり、そこの岩の上に立つとほぼ360度が見渡せる。道の駅の案内には、太平洋、那須連峰、磐梯山、飯豊連峰も見えるとあったが、この日は遠景までは見えなかった。青空は少なく、雲が空を覆っている。それでもまわりには山が並んでおり、南西にはアンテナのある山(867m峰)。北西に見えるいくつかの山のひとつがこのあとに登った宇津峰のはず。東は朝日の逆光で見えにくい(マップに十石山が南東にあるとあるが、蓬田岳の尾根の方向に隠れていたと思う)。北にはたくさん山が重なって見えており、一盃山はたぶんあれだろう。それは幅の広い盃に見えた。
ひとわたり景色を見て、大岩から降り、往路を下山する。沢を渡って遥拝殿と小鳥居のある場所に、「ふくしま緑の百景、蓬田ハイキングコースの緑」という新しい石標があるのに気付く。この日も11月の紅葉で、下りで何人かに会ったと思う。早朝だったのでまだ少なかったのか。しかし、駐車場まで戻ってみると、朝は空っぽだった駐車場がほとんど埋まっている。グランドには人はいなかったので、どこかの建物で催し物でもあったのだろうか。
昨年5月、福島の二つの鎌倉岳に登ったときにこの山を見たと思うが、ほぼ単独で平らな姿が見分けやすい山である。紅葉の赤い山頂が印象的。
(宇津峰)
宇津峰へは、R49を蓬田岳の北から西に向かう。山村の舗装路を走り、左手に案内表示を見て左折。そこにも案内地図があり、途中に森林公園と馬場平、その先に見晴台と御井戸沢に鐘撞堂跡、頂上に神社と千人溜とあるが、「宇津峰城跡案内略図」としてある。結局、城は残っていなかったが、頂上にかつて城が立っていたようだ。車道を進むと、まず鳥居があり、そこから登山道が始まっているようだが(馬場平登山口)、車道はまだ上まで行けそうだ。その先で車道は登山道を横切り、「花見台」というところを過ぎ、終点の御井戸の清水(*2)の手前に車を止める。準備していると後続の車が来た。この人たちは水を汲みに来ていたようだ。
(*2)山頂から北よりには飲料水がこんこんと湧き出る御井戸と呼ばれる清水があって、一帯は御井戸沢と呼ばれている。
御井戸の清水には大きな案内があり、14世紀の南北朝の頃のもので、山頂には雲水峰城というのが建っていたとある。そこから横木の急な階段が山頂まで続いていて、ゆっくり登る。城があったときは山頂から水を汲みに降りたのだろうが、急でたいへんそうだ。鎖を張った手すりを付けてある。階段を登りきると紅葉の山頂部に着き、東屋がある。左手の高台の上に石標があり、「雲水峰城趾」とある。その北側が広場になっていて、そこに大きな石柱が立っている。「東北勤皇忠列之址」と読めるが、ここに城があったのだろう。広場の中の、大きな石柱の近くにちょっとだけ頭を出している二等三角点を見つけた。うん、ここが頂上だ。
宇津峰の頂上広場を歩いて東屋の反対側に行ってみると、そこは千人溜(*3)という台地になっていて、真ん中が窪んでいて石祠三社や石碑が建っている。台地の麓に鳥居と祠があり、南が塩田、北が宇津峰という標識がある。石柱の台地に戻り、少し先まで歩いてみたが、すぐに下りの尾根道になってしまう。これは馬場平からの登山口に通じているのだろう。
(*3)後村上天皇、後亀山天皇、守永親王を祀る石祠三社があり、高さ二米余の土塁によって囲まれ、千人溜と称する二十平方米余の枡形の廓(くるわ)
宇津峰の頂上は林になっていて眺望は利かない。わずかに千人溜のところから南東方向と思われる方角が見えたが、山は見えてなかった。階段を下ると、年輩の男性3人ほどが登ってくる。御井戸の清水は水を受けるところを石とセメントで補強してあった。車に戻り、車道の途中で花見台の東屋に寄ってみたが、ここも視界はなし。馬場平の登山口に車を停めて「南朝遺跡宇津峰」の案内を見る(*4)。北畠顕信という大将が守永親王を報じて立て籠もったとある。
(*4)この遺跡は興国元年から正平八年まで十四ヶ年にわたり陸奥介鎮守大将軍北畠顕信とその子陸奥の国司大納言守親が守永親王を奉じ孤軍よく南朝のため奮戦據守した宇津峰城跡である。・・・・・城跡には後村上天皇、後亀山天皇、守永親王を祀る石祠三社があり、高さ二米余の土塁によって囲まれ、千人溜と称する二十平方米余の枡形の廓(くるわ)がある。また山頂から北よりには飲料水がこんこんと湧き出る御井戸と呼ばれる清水があって、一帯は御井戸沢と呼ばれている。
これは山というよりは城跡と言った方が正しいのだろう。六百年も前の城跡を頂上にもつ古き山。
(一盃山)
宇津峰から10時半前に降りてR49を東に戻り、田茂神というところで北に左折して一盃山に向かう。登山口は二つあり、頂上に近そうな方を選ぶが、これは新しい車道を通したあたりにあった。黒浦登山口(もうひとつは馬場登山口)。広い車道の道脇に車を止め、古い車道に入ったところにある登山口に入る。
植林の中の道はすぐに林道にぶつかり(この林道をそこまで入れたかもしれない)、植林の外れに付けられた道を登る。右手は植林されたばかりの斜面で、低い若木が植えられている。正面が一盃山だが、頂上は見えていない。次第に傾斜がきつくなる。登山道の踏跡がずいぶん怪しくなったところで「一盃山」の案内表示。まっすぐ行けばいいんだなと分かる。だいぶ登ったところで振り返ると、横切ってきた林道のむこうにゆったりした山が見えている。その右手にアンテナのある山(867m峰?)があるので、ゆったりした山は蓬田岳に違いない。
やがて林に入り、紅葉の尾根道を登って南峰頂上に着く。「一盃山・音の岩」という穴のあいた石柱が立っている。更に奥に大志の広場というのがあると矢印が示されていたが、行かず。実はその広場の先に三角点頂上(856m)があったようだ。ただし、最高点は音の岩のあるこっちのピーク(860m)なので、一盃山に登ったことにしてもよかろう。狭い頂上からいくつか山を同定。少し遠くまで見えてきた。北には石切り場らしきものがある岩峰(黒石山)があり、北東にはなだらかな紅葉の高柴山、東には阿武隈の最高峰、大滝根山の大きな姿、南東に見えているのはおそらく日影山ではなかろうか。
音の岩に着いたのは昼前で、10分程度で下山する。穴を数個うがった音の岩はどうやれば音が出るのか分からなかった。風が吹くと自然に鳴るのだろう。林を抜けると、頂上からは見えなかった蓬田岳が再び正面に現れ、それを見ながら下る。途中で夫婦連れが登ってくるのに会う。車に戻り、マップを見て、初めて音の岩の北に一盃山の三角点頂上があったことに気付く。いやあ失敗。なんで音の岩でマップを見なかったのだろう。
風情のある里山、頂上の音の岩が鳴るのを聞いてみたかった。
(高柴山)
車道を北東に直進し、一盃山の横を通って高柴山に向かう。さっき一盃山から見たこんもりした紅葉の山が稲刈りを終えた山村の向こうに近づく。その北に石切り場のある黒石山がある。大きな案内標識があり、左折。古い石柱の案内もある。「高柴山臨時駐車場」という標識を過ぎて最奥の駐車場に向かう。どうやら大勢が登る山のようだ。「高柴山、浮金登山口」の標識を進み、「高柴山のツツジ」という石標の先に大きな駐車場。そこに一台ポツンと駐車して出発。13時前。道沿いに「ハクウンボク」「アブラチャン」などの木の名前の標識があり、それを撮りながら登る。どれも花はもうなく、ハクサンボク、アオハダやサンショウの葉は黄色くなりかかっており、アブラチャンの葉はすっかり黄色になっている。「アズキナシ」はナナカマドの仲間らしいが、まだ紅葉は進んでいないようだった。
登山道というよりは遊歩道、散歩道というべき広い道を進み、途中で太鼓石への分岐を寄り道していく。要するに大きな石だが、八幡太郎義家が打ち鳴らすと大きな音がして士気が上がったという説明がある(*5)。その先で南東の景色が見え、二つ並んでいるのは日影山と一盃山で、その向こうに蓬田岳が見えている。今度は物見石というのが道の左側にあり、その上からあたりを見回したのだろう(*6)。その先には御神水というのがあり、水呑み場になっている。登山記帳箱が置いてあったが、記載せず。
(*5)八幡太郎義家が奥州阿部貞任を攻めた際に人馬ともつかれたのでこの大石を打ち鳴らしたところ、忽ち大きな太鼓の音と変わり士気大いに上がり敵を追い進軍したと言われる。
(*6)坂上田村麻呂が東征のときに物見をしたという(福島県の山)
その先で道は頂上台地に至り、高い林はなくなって低いツツジの木々の間を進む。東屋とトイレがあり、その先に展望台が見えてくる。あれが頂上のようだ。まずその展望台に登ってみる。広い展望台で中央に方位盤があり、まず北東に盟主、大滝根山が大きく見えている。その北側の白いところは石灰岩の採石場、頂上には自衛隊レーダー。そして西に見える石切場のある山は黒石山。その頂上にはアンテナも立っている。南には一盃山と日影山、その間に蓬田岳。頂上台地の南東方向に白い鳥居の神社が見え、展望台のすぐ下には頂上標識。反対側の北西方向には三角点。そして頂上台地の北の方角には小屋が見えている。もう一度、大滝根山の左方向、北に見える山を確認。片曽根山と大平山というのが並んでいて、方位盤ではどちらも頂上付近まで車道が通じている。
展望台を降り、まず三等三角点を確認。それから、ちょっと遠いが避難小屋まで行ってみる。草原の中の頑丈そうな小屋。薪も並べてある。展望台に戻り、南側の頂上標識を確認。大きいがずいぶん古くてくたびれている。それから白い高柴山神社へ。鳥居も祠も真っ白。これで山頂は一回りしたことになり、帰路につく。小町の湯というのがカーナビにあり、少し迷ったがなんとか見つけて風呂に入る。
深山駐車場に落ち着いたのは19時過ぎ。ちょうど日本シリーズのロッテ対中日をやっていて、観戦しながらビールを飲む。第何戦か忘れたが、4回1対1で成瀬が投げている。戦いはもつれて延長となり、うとうとして目覚めると11時頃になっていたのでテレビを消して寝る。
高柴山はたぶん春にツツジを見に来る山なのだろう。広い台地平原の頂上は平凡ながら特徴のある山である。
蓬田岳
道の駅ひらた
11月の最初の週、福島の浜通の山に向かう。金曜夜、常磐道に入って小野インターで下る。コンビニで夕食を買い、道の駅ひらたで車中泊。23時前。
翌朝、6時半前に道の駅ひらたを出発。蓬田岳はすぐ近くに、道の駅ひらたの建物の向こうに見えている(*1)。R49を北上し、途中で左折して、そのゆったりした紅葉で赤く染まった姿を眺めながら近づく。駐車場の手前で、「登山道入口」の標識のある鳥居がある。車道はその先で登山道を横切り、横切ったところに「蓬田岳登山口」の大きな標識がある。駐車場は更にその少し先。大きな駐車場の手前に車を止めるが、実はもっと先まで車で入れたようである。まあ、大差はない。さっきの車道の登山口まで車道を歩き、登山道に入る。
蓬田岳の案内
(*1)平田村のシンボルである蓬田岳は標高952mの東北百名山にも選ばれる登山家に人気の山です。「ジュピアランドひらた」から山頂までは約1時間で特に稜線は雑木林に覆われた美しい登山道となっています。山頂には菅布祢神社や一等三角点があり、平田村内を一望できるほか、東には太平洋、西には那須連峰から奥羽山脈が並び、磐梯山、飯豊連峰を見ることができます。
蓬田岳
登山道はジュピアランドひらたの横を登っているようで、グラウンドやらへの道があり、小鳥居のところに奥の駐車場まである。ここまで車で入れたのか。そこには小さな鳥居と祠(菅布禰神社遥拝殿、黄葉が美しい)があり、その先で沢を渡って林に入る。ほぼまっすぐの登山道。途中に笹ヤブを切り開いた空地があり、「ここはお休み処、トイレではありません」とある。確かに一息つきたい場所だが、ベンチがほしいところ。林のなかに大きな岩がところどころに散らばっているところを過ぎ、稜線の分岐点に着く。往路がジュピアランドひらた、稜線の向こうは下蓬田、右が蓬田岳頂上、あと400m。
蓬田岳
下の登山道を通過
「ジュピアランドひらた」から登山道に入る
菅布禰神社(すがふね)遥拝殿
黄葉
蓬田岳頂上標識(一つ目)と菅布禰神社の祠
頂上稜線は軽いアップダウンで、大きな岩がところどころに立っている。そして大きな祠のところに出る。それは菅布禰神社(すがふね)で、最初の頂上標識「蓬田岳頂上952m」があった。祠の先の岩の上に奉納された剣が何本か立っている。その脇を登ると、アンテナが2本立っている。気象観測用のアンテナだろうか。そこには二つ目の頂上標識「標高952m」。アンテナの間に「冒険コース」の分岐。
一等三角点
そしてその先に一等三角点があった。立派な大きな三角点。その隣の三つ目の頂上標識は道標との兼用で、平田登山口と糠塚登山口とある。その先に視界の良いスペースがあり、そこの岩の上に立つとほぼ360度が見渡せる。道の駅の案内には、太平洋、那須連峰、磐梯山、飯豊連峰も見えるとあったが、この日は遠景までは見えなかった。青空は少なく、雲が空を覆っている。それでもまわりには山が並んでおり、南西にはアンテナのある山(867m峰)。北西に見えるいくつかの山のひとつがこのあとに登った宇津峰のはず。東は朝日の逆光で見えにくい(マップに十石山が南東にあるとあるが、蓬田岳の尾根の方向に隠れていたと思う)。
一等三角点の隣にある蓬田岳頂上標識(三つ目)
一盃山?
北にはたくさん山が重なって見えており、一盃山はたぶんあれだろう。それは幅の広い盃に見えた。
ひとわたり景色を見て、大岩から降り、往路を下山する。沢を渡って遥拝殿と小鳥居のある場所に、「ふくしま緑の百景、蓬田ハイキングコースの緑」という新しい石標があるのに気付く。この日も11月の紅葉で、下りで何人かに会ったと思う。早朝だったのでまだ少なかったのか。しかし、駐車場まで戻ってみると、朝は空っぽだった駐車場がほとんど埋まっている。グランドには人はいなかったので、どこかの建物で催し物でもあったのだろうか。
昨年5月、福島の二つの鎌倉岳に登ったときにこの山を見たと思うが、ほぼ単独で平らな姿が見分けやすい山である。紅葉の赤い山頂が印象的。
宇津峰
宇津峰城跡案内略図
宇津峰へは、R49を蓬田岳の北から西に向かう。山村の舗装路を走り、左手に案内表示を見て左折。そこにも案内地図があり、途中に森林公園と馬場平、その先に見晴台と御井戸沢に鐘撞堂跡、頂上に神社と千人溜とあるが、「宇津峰城跡案内略図」としてある。結局、城は残っていなかったが、頂上にかつて城が立っていたようだ。車道を進むと、まず鳥居があり、そこから登山道が始まっているようだが(馬場平登山口)、車道はまだ上まで行けそうだ。その先で車道は登山道を横切り、「花見台」というところを過ぎ、終点の御井戸の清水(*2)の手前に車を止める。準備していると後続の車が来た。この人たちは水を汲みに来ていたようだ。
馬場平登山口を通過
御井戸の清水
(*2)山頂から北よりには飲料水がこんこんと湧き出る御井戸と呼ばれる清水があって、一帯は御井戸沢と呼ばれている。
カラマツ林の階段
雲水峰城跡の石標
御井戸の清水には大きな案内があり、14世紀の南北朝の頃のもので、山頂には雲水峰城というのが建っていたとある。そこから横木の急な階段が山頂まで続いていて、ゆっくり登る。城があったときは山頂から水を汲みに降りたのだろうが、急でたいへんそうだ。鎖を張った手すりを付けてある。階段を登りきると紅葉の山頂部に着き、東屋がある。左手の高台の上に石標があり、「雲水峰城趾」とある。その北側が広場になっていて、そこに大きな石柱が立っている。「東北勤皇忠列之址」と読めるが、ここに城があったのだろう。広場の中の、大きな石柱の近くにちょっとだけ頭を出している二等三角点を見つけた。うん、ここが頂上だ。
東北勤皇忠烈之址
宇津峰頂上の城跡
頂上の一角に三角点があった(左下のあたり)
二等三角点
千人溜
宇津峰の頂上広場を歩いて東屋の反対側に行ってみると、そこは千人溜(*3)という台地になっていて、真ん中が窪んでいて石祠三社や石碑が建っている。台地の麓に鳥居と祠があり、南が塩田、北が宇津峰という標識がある。石柱の台地に戻り、少し先まで歩いてみたが、すぐに下りの尾根道になってしまう。これは馬場平からの登山口に通じているのだろう。
(*3)後村上天皇、後亀山天皇、守永親王を祀る石祠三社があり、高さ二米余の土塁によって囲まれ、千人溜と称する二十平方米余の枡形の廓(くるわ)
頂上付近の祠
「南朝遺跡宇津峰」の案内
宇津峰の頂上は林になっていて眺望は利かない。わずかに千人溜のところから南東方向と思われる方角が見えたが、山は見えてなかった。階段を下ると、年輩の男性3人ほどが登ってくる。御井戸の清水は水を受けるところを石とセメントで補強してあった。車に戻り、車道の途中で花見台の東屋に寄ってみたが、ここも視界はなし。馬場平の登山口に車を停めて「南朝遺跡宇津峰」の案内を見る(*4)。北畠顕信という大将が守永親王を報じて立て籠もったとある。
(*4)この遺跡は興国元年から正平八年まで十四ヶ年にわたり陸奥介鎮守大将軍北畠顕信とその子陸奥の国司大納言守親が守永親王を奉じ孤軍よく南朝のため奮戦據守した宇津峰城跡である。・・・・・城跡には後村上天皇、後亀山天皇、守永親王を祀る石祠三社があり、高さ二米余の土塁によって囲まれ、千人溜と称する二十平方米余の枡形の廓(くるわ)がある。また山頂から北よりには飲料水がこんこんと湧き出る御井戸と呼ばれる清水があって、一帯は御井戸沢と呼ばれている。
宇津峰?
これは山というよりは城跡と言った方が正しいのだろう。六百年も前の城跡を頂上にもつ古き山。
一盃山
一盃山黒甫登山口の道標
宇津峰から10時半前に降りてR49を東に戻り、田茂神というところで北に左折して一盃山に向かう。登山口は二つあり、頂上に近そうな方を選ぶが、これは新しい車道を通したあたりにあった。黒浦登山口(もうひとつは馬場登山口)。広い車道の道脇に車を止め、古い車道に入ったところにある登山口に入る。
尾根道、やや荒れ気味
蓬田岳
植林の中の道はすぐに林道にぶつかり(この林道をそこまで入れたかもしれない)、植林の外れに付けられた道を登る。右手は植林されたばかりの斜面で、低い若木が植えられている。正面が一盃山だが、頂上は見えていない。次第に傾斜がきつくなる。登山道の踏跡がずいぶん怪しくなったところで「一盃山」の案内表示。まっすぐ行けばいいんだなと分かる。だいぶ登ったところで振り返ると、横切ってきた林道のむこうにゆったりした山が見えている。その右手にアンテナのある山(867m峰?)があるので、ゆったりした山は蓬田岳に違いない。
一盃山・音の岩・・・・・856mと記載されているが、音の岩のある南峰の標高は860m
やがて林に入り、紅葉の尾根道を登って南峰頂上に着く。「一盃山・音の岩」という穴のあいた石柱が立っている。更に奥に大志の広場というのがあると矢印が示されていたが、行かず。実はその広場の先に三角点頂上(856m)があったようだ。ただし、最高点は音の岩のあるこっちのピーク(860m)なので、一盃山に登ったことにしてもよかろう。狭い頂上からいくつか山を同定。少し遠くまで見えてきた。北には石切り場らしきものがある岩峰(黒石山)があり、北東にはなだらかな紅葉の高柴山、東には阿武隈の最高峰、大滝根山の大きな姿、南東に見えているのはおそらく日影山ではなかろうか。
一盃山・音の岩
黒石山・・・・・一盃山から北の方角
高柴山・・・・北東の方向
音の岩に着いたのは昼前で、10分程度で下山する。穴を数個うがった音の岩はどうやれば音が出るのか分からなかった。風が吹くと自然に鳴るのだろう。林を抜けると、頂上からは見えなかった蓬田岳が再び正面に現れ、それを見ながら下る。途中で夫婦連れが登ってくるのに会う。車に戻り、マップを見て、初めて音の岩の北に一盃山の三角点頂上があったことに気付く。いやあ失敗。なんで音の岩でマップを見なかったのだろう。風情のある里山、頂上の音の岩が鳴るのを聞いてみたかった。
大滝根山・・・・・一盃山から東の方角
日影山・・・・一盃山から南東の方角
高柴山
高柴山
車道を北東に直進し、一盃山の横を通って高柴山に向かう。さっき一盃山から見たこんもりした紅葉の山が稲刈りを終えた山村の向こうに近づく。その北に石切り場のある黒石山がある。大きな案内標識があり、左折。古い石柱の案内もある。「高柴山臨時駐車場」という標識を過ぎて最奥の駐車場に向かう。どうやら大勢が登る山のようだ。
高柴山の道標
「高柴山、浮金登山口」の標識を進み、「高柴山のツツジ」という石標の先に大きな駐車場。そこに一台ポツンと駐車して出発。13時前。道沿いに「ハクウンボク」「アブラチャン」などの木の名前の標識があり、それを撮りながら登る。どれも花はもうなく、ハクサンボク、アオハダやサンショウの葉は黄色くなりかかっており、アブラチャンの葉はすっかり黄色になっている。「アズキナシ」はナナカマドの仲間らしいが、まだ紅葉は進んでいないようだった。
ハクウンボクの幹
アブラチャンの葉
アズキナシの幹
アオハダの幹
サンショウの葉・・・・まだ黄色くなってない
太鼓石
登山道というよりは遊歩道、散歩道というべき広い道を進み、途中で太鼓石への分岐を寄り道していく。要するに大きな石だが、八幡太郎義家が打ち鳴らすと大きな音がして士気が上がったという説明がある(*5)。その先で南東の景色が見え、二つ並んでいるのは日影山と一盃山で、その向こうに蓬田岳が見えている。今度は物見石というのが道の左側にあり、その上からあたりを見回したのだろう(*6)。その先には御神水というのがあり、水呑み場になっている。登山記帳箱が置いてあったが、記載せず。
(*5)八幡太郎義家が奥州阿部貞任を攻めた際に人馬ともつかれたのでこの大石を打ち鳴らしたところ、忽ち大きな太鼓の音と変わり士気大いに上がり敵を追い進軍したと言われる。
物見石
(*6)坂上田村麻呂が東征のときに物見をしたという(福島県の山)
日影山と一盃山
御神水への分岐標識と登山記帳箱
御神水
頂上への紅葉の道
草黄葉とススキ
頂上標識と展望台
展望台
その先で道は頂上台地に至り、高い林はなくなって低いツツジの木々の間を進む。東屋とトイレがあり、その先に展望台が見えてくる。あれが頂上のようだ。まずその展望台に登ってみる。広い展望台で中央に方位盤があり、まず北東に盟主、大滝根山が大きく見えている。その北側の白いところは石灰岩の採石場、頂上には自衛隊レーダー。そして西に見える石切場のある山は黒石山。その頂上にはアンテナも立っている。南には一盃山と日影山、その間に蓬田岳。頂上台地の南東方向に白い鳥居の神社が見え、展望台のすぐ下には頂上標識。反対側の北西方向には三角点。そして頂上台地の北の方角には小屋が見えている。もう一度、大滝根山の左方向、北に見える山を確認。片曽根山と大平山というのが並んでいて、方位盤ではどちらも頂上付近まで車道が通じている。
大滝根山
石切り場とアンテナがある黒石山
三等三角点
展望台を降り、まず三等三角点を確認。それから、ちょっと遠いが避難小屋まで行ってみる。草原の中の頑丈そうな小屋。薪も並べてある。展望台に戻り、南側の頂上標識を確認。大きいがずいぶん古くてくたびれている。それから白い高柴山神社へ。鳥居も祠も真っ白。これで山頂は一回りしたことになり、帰路につく。小町の湯というのがカーナビにあり、少し迷ったがなんとか見つけて風呂に入る。
避難小屋
真っ白い高柴山神社
深山駐車場に落ち着いたのは19時過ぎ。ちょうど日本シリーズのロッテ対中日をやっていて、観戦しながらビールを飲む。第何戦か忘れたが、4回1対1で成瀬が投げている。戦いはもつれて延長となり、うとうとして目覚めると11時頃になっていたのでテレビを消して寝る。
高柴山はたぶん春にツツジを見に来る山なのだろう。広い台地平原の頂上は平凡ながら特徴のある山である。
位置