八甲田・大岳 秋の八甲田

青森県  1,585m  2002年9月29日、  2015年11月7日、2019年10月6日

(八甲田山)日本百名山

383

初めて登った八甲田は高田大岳

一番高い大岳に初めて登ったのは秋

霧の林からガレた道を登って広い頂上

幽玄の毛無岱をそぞろ歩く

☁☁☁☁☁☁

(2002年秋)

黄葉の林を抜けて地獄湯ノ沢に出ると温泉の硫黄の匂い。木道のある仙人岱からガレの山腹を登ると、水の溢れた鏡沼がある。

大きな広い頂上には大きな古い頂上標識があったが、視界なし。だが、行く先々に案内板と説明書きがあり、見えない南八甲田を想像してみる。

毛無岱の二段の湿原は紅葉のまっさかり。冬の雪景色とは全く違う、幽玄の毛無岱をそぞろ歩く。

(2015年晩秋)

「アオモリトドマツ」の案内表示のあたりで林を抜ける。ちょうど櫛ヶ峰が雲間から見えてきた。やがてガレ場の道となり、石を包んだ金網の砂防土手の横を登る。九十九折に向きを変えると、小岳と高田大岳が見える。西には雲海の上に浮かぶ岩木山。

鏡沼には氷が張っていて、そして広い大岳頂上に着く。意外なことに頂上標識のところにはケルンはない。冬には大きな塊になっているが、すべて雪なのだろう。

北に下る道をたどる。これも2002年に歩いているはずだが、覚えがない。やがて避難小屋と井戸岳のハート噴火口が見えてくる。これも八甲田で印象に残る景観の一つ。

行く手に草黄葉の毛無岱が見える。見上げると、雲海に浮かぶ岩木山の下に草黄葉の毛無岱が広がっていた。

上毛無の端の階段の上から下に下毛無岱が見える。NHKにっぽん百名山で強調していた景色。草黄葉と池塘は見事だが、紅葉はなし。下毛無岱には大小の池塘がたくさんある。

もう夕暮れ近い草黄葉の向こうに穏やかな大岳。

城ヶ倉への分岐を過ぎたあたりでヘッドランプを出す。酸ヶ湯まで0.9㎞。ようやく行く手に酸ヶ湯の明かりが見えてきた。

(2019年10月6日)

仙人岱は草黄葉できれいな代赭色になっていた。6月はヒナザクラがいっぱいだったのに、すっかり黄色に染まっている。赤く染まった小さな灌木。

大岳の頂上には新しい頂上標識が置かれていた。地表に打ち込むのでなく、平らな底面で置かれている感じ。

上毛無に降りると、草黄葉に少し黄や赤が混じる。丸沼のところは少しいい感じ。

下毛無を見下ろす階段の上まで来るとちょうど日が射してきて、眼下に美しい景観が広がっていた。黄色と緑と赤の世界。その中央に木道が走り、その木道を歩いてくる人たちが見える。休憩所に人がいるのも見える。真下からは、階段をぞくぞく人が登ってくる。

 もう夕暮れ近い草黄葉の向こうに穏やかな大岳
 行く手に草黄葉の毛無岱
 毛無岱の二段の湿原は紅葉のまっさかり。幽玄の毛無岱をそぞろ歩く
 地獄湯ノ沢に出ると温泉の硫黄の匂い。

 

 岩木山と頂上標識
 ナナカマド?の紅葉
 黄葉(ハウチワカエデ?)
 黄色と緑と赤の世界。その中央に木道が走り、その木道を歩いてくる人たちが見える
 赤く染まった小さな灌木(ドウダンツツジ?)
 大岳の頂上には新しい頂上標識が置かれていた
 (2002年9月29日) 6:52 酸ヶ湯登山口発  7:52 地獄湯ノ沢の橋  8:15 仙人岱  8:58 八甲田・大岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り2時間6分  9:00 八甲田・大岳発  9:20 大岳避難小屋  9:59 上毛無岱10:27 下毛無岱11:12 酸ヶ湯登山口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・周回4時間20分
(2015年11月7日)13:07  酸ヶ湯駐車場発13:58 地獄湯ノ沢14:14 仙人岱(木道)15:09 八甲田・大岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り2時間2分15:12 八甲田・大岳発15:29 大岳避難小屋16:01 上毛無岱16:18 下毛無岱17:11 酸ヶ湯駐車場・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・周回4時間4分
(2019年10月6日) 4:41 酸ヶ湯上P発(標高895m)  5:50 地獄湯ノ沢  6:11 仙人岱  6:51 鏡沼  7:00 大岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り2時間19分  7:03 大岳発  7:25 大岳避難小屋  7:58 上毛無岱、ロープウェイ分岐  8:08 丸沼  8:17 階段  8:24 下毛無岱  8:45 下毛無岱入口、木道末端  9:19 酸ヶ湯北登山口  9:24 酸ヶ湯上P・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・周回4時間43分
往路4.3㎞、標高差715m、速度1.9㎞/h、309m/h帰路5.6㎞、標高差71m、速度2.4㎞/h

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

(2002年9月29日)

この日は秋のバーベキューの日で、その前に大岳に登ることにする。早く出れば午前中に降りてこれるだろう。しかし、雨空で、ガスで視界の利かない中を登る。黄葉の林を抜けて地獄湯ノ沢に出ると温泉の硫黄の匂い。木道のある仙人岱からガレの山腹を登ると、水の溢れた鏡沼がある。行く先々に案内板と説明書きがあり、見えない南八甲田を想像してみる。大きな広い頂上には大きな古い頂上標識があったが、視界なし。すぐ足元の噴火口すら見えない。頂上の北に下って大岳避難小屋に寄ってみると、寝袋で寝ている人がいた。毛無岱の二段の湿原は紅葉のまっさかり。冬の雪景色とは全く違う、幽玄の毛無岱をそぞろ歩く。小雨の中、登っている人は意外に多い。

 

(2015年11月7日)

11時の歯医者から戻り、準備して出発。登山スタイルに着替え、ザックと靴とスティックのみを車に持ち込む。ウェストバッグにも登山用具を入れ、ウォレットはザック。雪のない広い駐車場にはまばらに車があるだけ。寒いのでスキー帽をかぶり、厚手の手袋をはめる。スティックはザックに取り付け。結局使わなかった。隣にやってきた車も登山のようだ。登山口には「日本山脈走破、青森県八甲田山、山口県秋吉台」という古い標柱がある。2002年はここではなく、もう少し東の沼のあたりから登ったのだろうか(と思ったが、同じ場所だった)。冬道よりも東側を進み、やがて冬道と同じあたりのルートとなり、地獄湯ノ沢に着く。雪のないガラガラの岩の沢。GPSによると、夏道は冬道よりもだいぶ上までトラバースしてから沢筋に下っているようだ。沢筋への最後の下りには橋桁がおいてあり、何度か橋桁で流れを渡り、ガレを登っていく。ガレ登りはそれほど長くなく、灌木と笹の中の道となり、沢筋の木道の道となる。もう仙人岱の一角。「辰五郎清水」というのがあるが、水は流れていなかった。冬道よりも東側に小岳への分岐があり、西に登る道となる。冬道とほぼ同様。雪原のある位置には池があり、下ってくる人、数人に会う。女性パーティ、「・・・39で結婚して子供ができたの」「よかったじゃない」「それで・・・・」話がはずんでいる。

「アオモリトドマツ」の案内表示のあたりで林を抜ける。案内にある硫黄岳はガスで見えなかったが、ちょうど櫛ヶ峰が雲間から見えてきた。やがてガレ場の道となり、石を包んだ金網の砂防土手の横を登る。櫛ヶ峰が見え、九十九折に向きを変えると、小岳と高田大岳が見える。西には雲海の上に浮かぶ岩木山。登山道には残雪が少し。そして鏡沼に着く。それは噴火口の西にあるくぼみで、冬にはその東側を登っていたが、夏道は西側を通っている。鏡沼には氷が張っていた。頂上への最後の登りの途中に祠があった。これも新しい発見。眼下には鏡沼、その下には名無岳の東に細い池が見える。そして広い大岳頂上に着く。意外なことに頂上標識のところにはケルンはない。冬には大きな塊になっているが、すべて雪なのだろう。その見慣れた頂上標識の北側に一等三角点。これは4月頃に登った時に見たことがある。北に下る道をたどる。これも2002年に歩いているはずだが、覚えがない。やがて避難小屋と井戸岳のハート噴火口が見えてくる。これも八甲田で印象に残る景観の一つ。最後は樹林帯に入り、いつの間にかコルを越えて小屋のすぐ脇に出る。井戸岳への分岐を少し行ったところにハート噴火口の小さな池がある。下りの後半、登山道に刻んだ階段に残雪があり、それが凍りついているので、滑らないように笹を掴んで下る。

「大岳鞍部避難小屋」は13年前と同じ姿。ここからの下りはコルから西への沢筋の右岸に付けられている。行く手に草黄葉の毛無岱が見える。見上げると、雲海に浮かぶ岩木山の下に草黄葉の毛無岱が広がっていた。冬道よりもかなり北側を下り、上毛無岱へ。下っているときに男性が一人、駆け下っていった。田茂萢の二つのピークの手前にもう一つのピークが見える。それは赤倉岳の西にある1320mピークのようだ。灌木の道を下り、抜けたところにロープウェイへの分岐があり、上毛無岱の木道の道。残念ながら赤や黄色の紅葉はなし。草黄葉のみ。湿原中央に休憩所がある。酸ヶ湯までは3.4㎞とある。日が暮れてしまうかな、と思う。上毛無の端の階段の上から下に下毛無岱が見える。NHKにっぽん百名山で強調していた景色。草黄葉と池塘は見事だが、紅葉はなし。歩きにくい低いステップの階段。下毛無岱には大小の池塘がたくさんある。休憩所もあり。だいぶ暗くなってきて、下毛無岱から下る。ここまで東に下ってから酸ヶ湯に南に向かうと、何本も沢を越えないといけないだろうと思ったが、その通り。下っては登り返すのが2回どころか5~6回あったと思う。途中に酸ヶ湯まで1.4㎞の標識。もう夕暮れ近い草黄葉の向こうに穏やかな大岳。

城ヶ倉への分岐を過ぎたあたりでヘッドランプを出す。酸ヶ湯まで0.9㎞。ようやく行く手に酸ヶ湯の明かりが見えてきて、散々なほど下り、最後は石の多い歩きにくい道を下り、酸ヶ湯の前に着く。それは酸ヶ湯の北側だが、ゲレンデの北側ではなく、ゲレンデの南側、建物のすぐ脇だった。道路工事中。真っ暗な駐車場にはまばらに車がある。泊り客だろうか。


(2019年10月6日)

土曜は雨だが日曜は晴れるとの予報だったので、日曜朝2時に起きて八甲田に向かう。たどり着いた酸ヶ湯には煌々と明かりがついていて、下の駐車場はほぼ満車。上の駐車場はさすがに空いていたが、それでも10台前後がきていて、もうヘッドランプで出かけていく二人連れもいる。少し降っていたが、レインウェアを着こんできていたし、コネロにスパッツで出かける。雨で泥んこの道をヘッドランプで照らし、木の根や人工の足場を伝って登っていく。病み上がりだが回復途上にあり、足も止まらずにどんどん進む。それでも追い付いてきて、先に行く人がいる。少し明るくなってきて、南の空に櫛ヶ峰が見えている。地獄湯ノ沢の手前で二人連れに追いつきそうになり、ザックを下ろしてヘッドランプをしまい、ウォークマンを起動。

仙人岱は草黄葉できれいな代赭色になっていた。6月はヒナザクラがいっぱいだったのに、すっかり黄色に染まっている。赤く染まった小さな灌木。仙人岱ヒュッテも小岳も見えなかったが、少し登ったところに水草がたくさんある小さな池の脇を通る。その先に咲き残りのアキノキリンソウ。石を鉄網でくるんで作った石垣で補強されたつづら折りを登り、満水の鏡沼に着く。沼底にオタマジャクシみたいなのが見えたが、ただの木片かもしれない。そこからはもう頂上は近い。頂上の少し手前にある祠に寄っていく。それにしても、6月末に来たときはあんなに目立っていたイワベンケイやオダマキはもう影も形もない。

大岳の頂上には新しい頂上標識が置かれていた。地表に打ち込むのでなく、平らな底面で置かれている感じ。背も低い。気になったのは、標高1,584.4m。1,585mじゃないのか?方位盤の中央にも1,584mとある。一等三角点にタッチし、ケルンのところの祠にお参り。ぼんやり太陽が見えるが、視界は無し。大岳から下るときもガスの中で、井戸岳もほとんど見えていなかった。だいぶ手前になってようやく避難小屋が見える。中に人がいたかどうかは分からず。

上毛無に降りると、草黄葉に少し黄や赤が混じる。丸沼のところは少しいい感じ。黄色のところはまだわずかの緑の灌木。下毛無を見下ろす階段の上まで来るとちょうど日が射してきて、眼下に美しい景観が広がっていた。黄色と緑と赤の世界。その中央に木道が走り、その木道を歩いてくる人たちが見える。休憩所に人がいるのも見える。真下からは、階段をぞくぞく人が登ってくる。地獄湯ノ沢から上毛無岱までは全く人には会わなかったのに、そこからは大勢の人たちに会った。下毛無岱の木道まで降りると、山並みはほとんど見えないが、草黄葉に紅葉の湿原のなかを楽しく歩く。湿原の水は満水状態で木道は水浸し。ジャブジャブ水の流れる木道の上をおっかなびっくり進む。ときどき、脇にある木道や木柱の上に立ち、人々とすれちがう。

下毛無岱の入口を過ぎると益々人が多くなり、「もう降りてきたんですか」という人。だが、後から追い越していく人も一人いた。トレイルランかな。真っ赤に紅葉しているのはウルシ。だが頭上を見上げると、まだ黄色の部分はちょっぴりで、ブナはまだほとんど緑だった。酸ヶ湯に戻ると、上の駐車場もすっかり満車になっていた。大勢が往来する酸ヶ湯の前を通り、辰五郎清水を少しいただき、大町桂月、鹿内辰五郎、和田干蔵の説明文を見る。満車の上の駐車場に上がり、車に戻って靴を履き替えていると、朝は暗くて見えなかった草むらに咲き残りのヨメナとアザミ。ブナは黄葉していないものが多く、ナナカマドの赤も少なく、ちょっと早すぎたが、それでも仙人岱の草黄葉、毛無岱の紅葉は見事だった。

(2002年9月29日&2015年11月7日)

青森市内から見る八甲田(2015年11月7日)

登山道入口の表示(2002年9月29日)

この日は秋のバーベキューの日で、その前に大岳に登ることにする。早く出れば午前中に降りてこれるだろう。しかし、雨空で、ガスで視界の利かない中を登る。

案内図(2002年9月29日)

登山道入口の鳥居(2015年11月7日)

11時の歯医者から戻り、準備して出発。登山スタイルに着替え、ザックと靴とスティックのみを車に持ち込む。ウェストバッグにも登山用具を入れ、ウォレットはザック。雪のない広い駐車場にはまばらに車があるだけ。寒いのでスキー帽をかぶり、厚手の手袋をはめる。スティックはザックに取り付け。結局使わなかった。隣にやってきた車も登山のようだ。登山口には「日本山脈走破、青森県八甲田山、山口県秋吉台」という古い標柱がある。

黄葉(2002年9月29日)

2002年はここではなく、もう少し東の沼のあたりから登ったのだろうか(と思ったが、同じ場所だった)。冬道よりも東側を進み、やがて冬道と同じあたりのルートとなり、地獄湯ノ沢に着く。雪のないガラガラの岩の沢。GPSによると、夏道は冬道よりもだいぶ上までトラバースしてから沢筋に下っているようだ。沢筋への最後の下りには橋桁がおいてあり、何度か橋桁で流れを渡り、ガレを登っていく。

地獄湯ノ沢(2015年11月7日)

ガレ登りはそれほど長くなく、灌木と笹の中の道となり、沢筋の木道の道となる。もう仙人岱の一角。「辰五郎清水」というのがあるが、水は流れていなかった。冬道よりも東側に小岳への分岐があり、西に登る道となる。冬道とほぼ同様。雪原のある位置には池があり、下ってくる人、数人に会う。女性パーティ、「・・・39で結婚して子供ができたの」「よかったじゃない」「それで・・・・」話がはずんでいる。

地獄湯ノ沢の橋(2002年9月29日)

黄葉の林を抜けて地獄湯ノ沢に出ると温泉の硫黄の匂い。

地獄湯ノ沢の案内(2002年9月29日)

仙人岱(2002年9月29日)

仙人岱の案内(2002年9月29日)

仙人岱の木道、仙人岱ヒュッテ分岐(2015年11月7日)

大岳への登山道(2015年11月7日)

雲海の上の櫛ヶ峰(2015年11月7日)

「アオモリトドマツ」の案内表示のあたりで林を抜ける。案内にある硫黄岳はガスで見えなかったが、ちょうど櫛ヶ峰が雲間から見えてきた。やがてガレ場の道となり、石を包んだ金網の砂防土手の横を登る。櫛ヶ峰が見え、九十九折に向きを変えると、小岳と高田大岳が見える。西には雲海の上に浮かぶ岩木山。登山道には残雪が少し。

雲海の上の岩木山(2015年11月7日)

鏡沼(2002年9月29日)

木道のある仙人岱からガレの山腹を登ると、水の溢れた鏡沼がある。行く先々に案内板と説明書きがあり、見えない南八甲田を想像してみる。

氷結した鏡沼(2015年11月7日)

そして鏡沼に着く。それは噴火口の西にあるくぼみで、冬にはその東側を登っていたが、夏道は西側を通っている。鏡沼には氷が張っていた。頂上への最後の登りの途中に祠があった。これも新しい発見。眼下には鏡沼、その下には名無岳の東に細い池が見える。

頂上手前の祠(2015年11月7日)

広い大岳の頂上(2002年9月29日)

頂上標識(2002年9月29日)

大きな広い頂上には大きな古い頂上標識があったが、視界なし。すぐ足元の噴火口すら見えない。

方位盤と一等三角点(2015年11月7日)

高田大岳と小岳(2015年11月7日)

岩木山と傾いた頂上標識(2015年11月7日)

そして広い大岳頂上に着く。意外なことに頂上標識のところにはケルンはない。冬には大きな塊になっているが、すべて雪なのだろう。その見慣れた頂上標識の北側に一等三角点。これは4月頃に登った時に見たことがある。

大岳避難小屋(2015年11月7日)

「大岳鞍部避難小屋」は13年前と同じ姿。ここからの下りはコルから西への沢筋の右岸に付けられている。

大岳避難小屋(2002年9月29日)

頂上の北に下って大岳避難小屋に寄ってみると、寝袋で寝ている人がいた。

井戸岳のハート噴火口(2015年11月7日)

北に下る道をたどる。これも2002年に歩いているはずだが、覚えがない。やがて避難小屋と井戸岳のハート噴火口が見えてくる。これも八甲田で印象に残る景観の一つ。最後は樹林帯に入り、いつの間にかコルを越えて小屋のすぐ脇に出る。井戸岳への分岐を少し行ったところにハート噴火口の小さな池がある。下りの後半、登山道に刻んだ階段に残雪があり、それが凍りついているので、滑らないように笹を掴んで下る。

木道と黄葉(2002年9月29日)

毛無岱 (下毛無岱と上毛無岱)(2015年11月7日)

行く手に草黄葉の毛無岱が見える。見上げると、雲海に浮かぶ岩木山の下に草黄葉の毛無岱が広がっていた。冬道よりもかなり北側を下り、上毛無岱へ。下っているときに男性が一人、駆け下っていった。田茂萢の二つのピークの手前にもう一つのピークが見える。それは赤倉岳の西にある1320mピークのようだ。灌木の道を下り、抜けたところにロープウェイへの分岐があり、上毛無岱の木道の道。

雲海に浮かぶ岩木山と草黄葉の毛無岱(2015年11月7日)


毛無岱の池塘(2002年9月29日)

毛無岱の二段の湿原は紅葉のまっさかり。冬の雪景色とは全く違う、幽玄の毛無岱をそぞろ歩く。小雨の中、登っている人は意外に多い。

毛無岱の黄葉(2002年9月29日)

ナナカマド?の紅葉(2002年9月29日)

黄葉(ハウチワカエデ?)(2002年9月29日)

毛無岱の休憩所テラスと池塘(2015年11月7日)

残念ながら赤や黄色の紅葉はなし。草黄葉のみ。湿原中央に休憩所がある。酸ヶ湯までは3.4㎞とある。日が暮れてしまうかな、と思う。上毛無の端の階段の上から下に下毛無岱が見える。NHKにっぽん百名山で強調していた景色。草黄葉と池塘は見事だが、紅葉はなし。歩きにくい低いステップの階段。下毛無岱には大小の池塘がたくさんある。休憩所もあり。だいぶ暗くなってきて、下毛無岱から下る。ここまで東に下ってから酸ヶ湯に南に向かうと、何本も沢を越えないといけないだろうと思ったが、その通り。下っては登り返すのが2回どころか5~6回あったと思う。途中に酸ヶ湯まで1.4㎞の標識。


下毛無岱(2015年11月7日)

大岳(2015年11月7日)

もう夕暮れ近い草黄葉の向こうに穏やかな大岳。

井戸岳と大岳(2015年11月7日)

日暮れの酸ヶ湯(2015年11月7日)

城ヶ倉への分岐を過ぎたあたりでヘッドランプを出す。酸ヶ湯まで0.9㎞。ようやく行く手に酸ヶ湯の明かりが見えてきて、散々なほど下り、最後は石の多い歩きにくい道を下り、酸ヶ湯の前に着く。それは酸ヶ湯の北側だが、ゲレンデの北側ではなく、ゲレンデの南側、建物のすぐ脇だった。道路工事中。真っ暗な駐車場にはまばらに車がある。泊り客だろうか。

大岳 (高田大岳より)(2002年9月29日)

(2019年10月6日)

地獄湯ノ沢と櫛ヶ峰

土曜は雨だが日曜は晴れるとの予報だったので、日曜朝2時に起きて八甲田に向かう。

たどり着いた酸ヶ湯には煌々と明かりがついていて、下の駐車場はほぼ満車。上の駐車場はさすがに空いていたが、それでも10台前後がきていて、もうヘッドランプで出かけていく二人連れもいる。少し降っていたが、レインウェアを着こんできていたし、コネロにスパッツで出かける。雨で泥んこの道をヘッドランプで照らし、木の根や人工の足場を伝って登っていく。病み上がりだが回復途上にあり、足も止まらずにどんどん進む。それでも追い付いてきて、先に行く人がいる。少し明るくなってきて、南の空に櫛ヶ峰が見えている。地獄湯ノ沢の手前で二人連れに追いつきそうになり、ザックを下ろしてヘッドランプをしまい、ウォークマンを起動。

仙人岱

仙人岱は草黄葉できれいな代赭色になっていた。6月はヒナザクラがいっぱいだったのに、すっかり黄色に染まっている。赤く染まった小さな灌木。仙人岱ヒュッテも小岳も見えなかったが、少し登ったところに水草がたくさんある小さな池の脇を通る。その先に咲き残りのアキノキリンソウ。石を鉄網でくるんで作った石垣で補強されたつづら折りを登り、満水の鏡沼に着く。沼底にオタマジャクシみたいなのが見えたが、ただの木片かもしれない。そこからはもう頂上は近い。頂上の少し手前にある祠に寄っていく。それにしても、6月末に来たときはあんなに目立っていたイワベンケイやオダマキはもう影も形もない。

赤く染まった小さな灌木(ドウダンツツジ?)

水草の池

鏡沼

新しい頂上標識

大岳の頂上には新しい頂上標識が置かれていた。地表に打ち込むのでなく、平らな底面で置かれている感じ。背も低い。気になったのは、標高1,584.4m。1,585mじゃないのか?方位盤の中央にも1,584mとある。一等三角点にタッチし、ケルンのところの祠にお参り。ぼんやり太陽が見えるが、視界は無し。大岳から下るときもガスの中で、井戸岳もほとんど見えていなかった。だいぶ手前になってようやく避難小屋が見える。中に人がいたかどうかは分からず。

大岳の頂上

上毛無岱の紅葉(ナナカマド?)

上毛無に降りると、草黄葉に少し黄や赤が混じる。丸沼のところは少しいい感じ。黄色のところはまだわずかの緑の灌木。下毛無を見下ろす階段の上まで来るとちょうど日が射してきて、眼下に美しい景観が広がっていた。黄色と緑と赤の世界。その中央に木道が走り、その木道を歩いてくる人たちが見える。休憩所に人がいるのも見える。真下からは、階段をぞくぞく人が登ってくる。地獄湯ノ沢から上毛無岱までは全く人には会わなかったのに、そこからは大勢の人たちに会った。下毛無岱の木道まで降りると、山並みはほとんど見えないが、草黄葉に紅葉の湿原のなかを楽しく歩く。湿原の水は満水状態で木道は水浸し。ジャブジャブ水の流れる木道の上をおっかなびっくり進む。ときどき、脇にある木道や木柱の上に立ち、人々とすれちがう。

上毛無岱の丸沼

下毛無岱を見渡す

下毛無岱の休憩所

下毛無岱の木道を歩く人

下毛無岱の池塘

下毛無岱の休憩所

ウルシの紅葉

下毛無岱の入口を過ぎると益々人が多くなり、「もう降りてきたんですか」という人。だが、後から追い越していく人も一人いた。トレイルランかな。真っ赤に紅葉しているのはウルシ。だが頭上を見上げると、まだ黄色の部分はちょっぴりで、ブナはまだほとんど緑だった。酸ヶ湯に戻ると、上の駐車場もすっかり満車になっていた。大勢が往来する酸ヶ湯の前を通り、辰五郎清水を少しいただき、大町桂月、鹿内辰五郎、和田干蔵の説明文を見る。

満車の駐車場

辰五郎清水

大町桂月の説明文

「本名、芳衛。高知市出身・・・・・・

東京帝国大学国文科在学中に「帝国文学」へ評論、美文、新体詩などを寄稿し文名を知られるようになった。代表作である『黄菊白菊』の刊行後、郷里の名勝、桂浜にちなんで桂月と号し筆名を高めた。十和田湖を訪れたのは明治41年(1908)8月下旬である・・・・・

・・・・・・・・・・・・

十和田湖、八甲田山はもとより下北、津軽まで足を運び、その取材にあたったが、大正14年(1925)、『十和田紀行』を未完成のまま蔦温泉で行年57歳の生涯を終えた。・・・・・・・宿近くのナラの古木の下に墓がある。ブナ原生林に覆われた山間の、いで湯の宿と幽寂な蔦七沼を愛し、終生、旅と酒を友とした。」

鹿内辰五郎の説明文

「・・・・・・・

辰五郎の正装に笛やラッパ、尺八、それに鉄砲などの七つ道具と胸には多数の『クンショウ』がつけられていた。ラッパは明治35年(1902)歩兵第五連隊(青森市)の雪中行軍遭難の時にラッパ兵として捜索隊に加わった名残であるという。大正10年(1921)から4年間、大町桂月を案内して八甲田山系が一般に知られるようになったきっかけを作った功績は大きい。また、棟方志功画伯との交友も深く数々のエピソードが残されている。

・・・・・・・・・・・」

和田干蔵の説明文

アザミ

満車の上の駐車場に上がり、車に戻って靴を履き替えていると、朝は暗くて見えなかった草むらに咲き残りのヨメナとアザミ。ブナは黄葉していないものが多く、ナナカマドの赤も少なく、ちょっと早すぎたが、それでも仙人岱の草黄葉、毛無岱の紅葉は見事だった。