五十人山、日山 阿武隈の秋の散策3
福島県 五十人山(南峰・三角点883m、北峰870m)、日山(最高点1,057m、三角点1,054m) 2012年11月3日
(五十人山、日山)福島県の山
466
秋晴れの日
古い歴史の道
またあったモニュメント
道草だらけの山旅
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並んだ住居の向こうに五十人山が見えてくる・・・・・あれがそうだろうか。頂上が平らな山。
紅葉と落葉の緩い坂を登ると、20分ほどで左右のピークの間の広いコルに出る。その中央に大きな標識が立っており、五十人山・山頂とある。左右のピークの方がここよりも明らかに高いから、ここは頂上広場ということだろう。
五十人山の南峰には電波塔が立っており(行ってみると三角点があった)、北峰はゆるやかな丘(山名の由来の五十人石があった)。
五十人山は二つのピークを持ち、その間のコルに頂上広場、北峰には五十人石と祠があり、南峰には電波塔と三角点のあるにぎやかな山だった。鎌倉岳や日山が見え、紅葉が美しかった。
行く手に、ススキの向こうに日山らしき平坦で大きな峰が見えてくる。
葛尾登山口から雑木林の登山道を進む。各所にベンチと標識があり、樹間からは夕日のような太陽。
たどり着いた日山の頂上は広場になっていて、広場を囲むように社や石標がたくさん建っている。
展望台に登ると、東と南には、五十人山、滝子山、常葉鎌倉岳、移ヶ岳。そして常葉鎌倉岳の背後には大滝根山。
阿武隈で2番目に高い1,000m峰の日山の頂上には三つの神社があり(三つ目には気づかなかった)、展望岩に展望台からは阿武隈の山並みを望み、方位盤に名前の由来を書いた石坂。これまたなんともにぎやかな山頂だった。
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(五十人山)
福島に入ると半田山、吾妻が見える。郡山JCで磐城方面に向かい、三春PAで休憩。三春PAにはおもしろい形のモニュメント。東に向かうと阿武隈の山が見えてくる。高速から正面に現れたのは片曽根山。船引三春インターで高速を下り、R288 を行く。常葉の鎌倉岳は頂上の岩峰で同定できる。その先で並んだ住居の向こうに五十人山が見えてくる・・・・・あれがそうだろうか。頂上が平らな山。
カーナビにマークした地点よりも手前で五十人山への左折標識があったので、停車してマップを確認し、左折して五十人山に向かう。舗装路の先に大きな駐車場があり、先客の車2台。五十人山の案内が立っている(*1)。さっそく紅葉と落葉の緩い坂を登ると、20分ほどで左右のピークの間の広いコルに出る。その中央に大きな標識が立っており、五十人山・山頂とある。左右のピークの方がここよりも明らかに高いから、ここは頂上広場ということだろう。南峰には電波塔が立っており(行ってみると三角点があった)、北峰はゆるやかな丘(山名の由来の五十人石があった)。
(*1)五十人山は都路村と葛尾村の両村にまたがる山で、標高は883m、頂上付近は約1haのなだらかな芝生に覆われ、周囲にはヤマツツジ、スズランが自生している。また、頂上からは吾妻連峰の山並みや太平洋が眺望でき、春の新緑から秋の紅葉まで自然を堪能することができる。五十人山の名前の由来はその昔征夷大将軍坂上田村麻呂がエゾ征伐のおり、頂上の大岩の上に50人の部下が乗り戦略を練ったことからその大岩が五十人石と言われ、後に山の名前になったと伝えられている。
左(北峰)の方が高そうなので、まず北峰に向かう(実際は三角点のある南峰883mの方が高かった。北峰は870m、頂上広場は850m)。登山道はないが、潅木がまばらに生え、下ばえもたいしたことはない。登っていくと、背後に南峰の電波塔がよく見えてくる。北峰の頂上には大きな石と五十人山の名前の由来の案内があった。「坂上田村麻呂が侍従五十人を大石の上に座らせて戦略を練った。弘法大師が五十人石に延命地蔵尊を刻んだ」(*2)。すると、この大石が五十人石なのだろう。五十人も座れそうもないが、白い祠がある。石の向こうには鎌倉岳が見えていた。
(*2)この名の由来は延歴年間坂上田村麻呂が蝦夷地平定の折山頂の大石に侍従五十人を座らせ戦略を練ったと伝えられ、坂上田村麻呂之霊と印刻されている。尚大同年間の頃に弘法大師が奥州巡教の折、五十人石に延命地蔵尊を刻み、多くの桜児の冥福を祈り里人に仏の道を説き、薬草せんぶりを病人に与えたと伝えられている。
頂上広場に戻り、トイレに寄ってから電波塔のある南峰に登る。登っているうちに踏跡にぶつかり、それを辿る。それは作業道になっていて、その作業は電波塔の周囲で行われていた。駐車場に置いてあったバンと乗用車はこの人たちのものだったようだ。作業の邪魔はしたくなかったが、作業しているところの奥に三角点のようなものが見える。行ってみると、それは三角点だった。角が欠けていて何等かは分からない。そこからは鎌倉岳とその奥の二つの山が見える。おそらく殿上山/葉山と移ヶ岳。もう一つ北に、大きな、なだらかな山が見えていて、おそらく日山だろう。右側(東側)がよりなだらかで、この日、その尾根を歩くことになる。空にはもう熱くない秋の太陽。
五十人山は二つのピークを持ち、その間のコルに頂上広場、北峰には五十人石と祠があり、南峰には電波塔と三角点のあるにぎやかな山だった。鎌倉岳や日山が見え、紅葉が美しかった。
(日山)
駐車場に13時半に戻り、日山に向かう。少しだけ東に向かい、すぐ左折してR399を北に向かう。カーナビのマーク地点は日山の北西地点にある登山口の地点だが、そのだいぶ手前の南東地点で日山の道標を見る。それは葛尾(かつらお)地区の観光案内で、日山(天王山)の登山道はここから脇道を行くとある。富士山も見えるときた。そこでその脇道を行く。
脇道を行くと、行く手に、ススキの向こうに日山らしき平坦で大きな峰が見えてくる。また日山(天王山)の道標があり、右折する。「富士山が見える最北端の山」とある。思ったよりも遠いところに駐車場があり、案内地図によると頂上まで3.64km。長い東尾根を辿るコース。13時半過ぎだったが、出発する。暗くなってしまうかもしれない。
葛尾登山口から林道を北へ1km弱歩き、そこから西へ尾根に登る。標識は整備されており、雑木林の登山道を進む。道がカーブしている部分は舗装されている。尾根歩きでは四つのマイナーピークを認定。各所にベンチと標識があり、樹間からは夕日のような太陽。
展望岩への分岐表示を左に入ると、途中に三等三角点があった。きれいな石標が笹の間に半ば隠れている。展望岩からは南の情景。樹間に五十人山らしき平らな山が見えており、南北の峰とコルを確認できる。電波塔ははっきりしない。その右の竜子山、鎌倉岳、更に右手の大きな移ヶ岳が秋の日射しに映えている。そして鎌倉の背後に見えている大きな山は大滝根山だろう。
登山道に戻って先に進み、たどり着いた日山の頂上は広場になっていて、広場を囲むように社や石標がたくさん建っている。頂上の案内によると、それらは、田沢の日山神社(北東の高いところにある社と石の鳥居)、展望台をはさんで、葛尾の日山神社(南西にある社と鳥居)。もうひとつ、更に西に茂原の旭神社(社)があったはずだが、このときは気づかず、行かなかった。
まず北東にある田沢の日山神社にお参り。壊れた石の鳥居の先を登ったところに社があり、その中に日山神社の表札。社の左(西)に祠が二つ。日山神社の名前の石板(*3)、「日山の由来」の大きな石板。そして石の頂上標識。
(*3抜粋)「阿武隈の中で大滝根山に次ぐ高峰」「坂上田村麻呂が東征の際に日山頂上に社を築き蝦夷征服を祈願した」「源義家がこの社で東征を祈願し、檜千本を奉納植樹したので、それから檜山と呼ばれるようになった」「慶安2年(1649年)の大洪水のとき、社で大祈祷し、以後、日山と改めた」「明治2年(1869年)、山名は旭岳に、田沢と茂原の社は旭神社、葛尾の社は日山神社となった」「後、再び日山(天王山)」と呼ばれるようになり、昭和56年(1981年)、阿武隈県立自然公園に編入された」「平成2年、田沢の旭神社は日山神社に改称され、石の鳥居が奉納された」
展望台に登ると、方位盤がある。東と南には、展望岩で見たのと同じ、五十人山、滝子山、常葉鎌倉岳、移ヶ岳。そして常葉鎌倉岳の背後には大滝根山。移ヶ岳の向こうに富士山が見える、とあるが、霞んでいる。北に見えている平坦な山は花塚山、その右背後の平らな山は霊山だろうか。この方向も遠方は霞んでいる。西にわずかに見えている山影は安達太良、磐梯かもしれない。
展望台を降り、西にあるトイレ、そして葛尾の日山神社に寄る。鳥居と社だが、入口が閉められていて中は見えない。頂上の案内ではこの位置に茂原・旭神社も記載されており、もう少し西にあったようだが、このときは気づかず、行かなかった。南の位置に、古い天王山の頂上標識があった。
16時前に帰途につき、駐車場に16時半過ぎに到着。駐車場を出た17時にはもう暗くなる。高速に乗る前に、冨士の湯というのに寄る。雑貨店の奥にある銭湯で、おじさんがいたが、受付は店だと言われ、店で金を払い、銭湯に戻る。風呂に入っていると、おじさんも入ってきた。店の主人なのか?
阿武隈で2番目に高い1,000m峰の日山の頂上には三つの神社があり(三つ目には気づかなかった)、展望岩に展望台からは阿武隈の山並みを望み、方位盤に名前の由来を書いた石坂。これまたなんともにぎやかな山頂だった。
三春PAのモニュメント
福島に入ると半田山、吾妻が見える。郡山JCで磐城方面に向かい、三春PAで休憩。三春PAにはおもしろい形のモニュメント。東に向かうと阿武隈の山が見えてくる。高速から正面に現れたのは片曽根山。船引三春インターで高速を下り、R288 を行く。常葉の鎌倉岳は頂上の岩峰で同定できる。その先で並んだ住居の向こうに五十人山が見えてくる・・・・・あれがそうだろうか。頂上が平らな山。
片曽根山
常葉鎌倉岳
五十人山
カーナビにマークした地点よりも手前で五十人山への左折標識があったので、停車してマップを確認し、左折して五十人山に向かう。舗装路の先に大きな駐車場があり、先客の車2台。五十人山の案内が立っている(*1)。さっそく紅葉と落葉の緩い坂を登ると、20分ほどで左右のピークの間の広いコルに出る。その中央に大きな標識が立っており、五十人山・山頂とある。左右のピークの方がここよりも明らかに高いから、ここは頂上広場ということだろう。南峰には電波塔が立っており(行ってみると三角点があった)、北峰はゆるやかな丘(山名の由来の五十人石があった)。
五十人山の道標
五十人山の案内
(*1)五十人山は都路村と葛尾村の両村にまたがる山で、標高は883m、頂上付近は約1haのなだらかな芝生に覆われ、周囲にはヤマツツジ、スズランが自生している。また、頂上からは吾妻連峰の山並みや太平洋が眺望でき、春の新緑から秋の紅葉まで自然を堪能することができる。五十人山の名前の由来はその昔征夷大将軍坂上田村麻呂がエゾ征伐のおり、頂上の大岩の上に50人の部下が乗り戦略を練ったことからその大岩が五十人石と言われ、後に山の名前になったと伝えられている。
紅葉と落葉の道を行く
頂上広場の山頂標識
左(北峰)の方が高そうなので、まず北峰に向かう(実際は三角点のある南峰883mの方が高かった。北峰は870m、頂上広場は850m)。登山道はないが、潅木がまばらに生え、下ばえもたいしたことはない。登っていくと、背後に南峰の電波塔がよく見えてくる。北峰の頂上には大きな石と五十人山の名前の由来の案内があった。「坂上田村麻呂が侍従五十人を大石の上に座らせて戦略を練った。弘法大師が五十人石に延命地蔵尊を刻んだ」(*2)。すると、この大石が五十人石なのだろう。五十人も座れそうもないが、白い祠がある。石の向こうには鎌倉岳が見えていた。
五十人山自然公園の標識
北峰から見る頂上広場と南峰
北峰の五十人山の案内
(*2)この名の由来は延歴年間坂上田村麻呂が蝦夷地平定の折山頂の大石に侍従五十人を座らせ戦略を練ったと伝えられ、坂上田村麻呂之霊と印刻されている。尚大同年間の頃に弘法大師が奥州巡教の折、五十人石に延命地蔵尊を刻み、多くの桜児の冥福を祈り里人に仏の道を説き、薬草せんぶりを病人に与えたと伝えられている。
北峰の大岩(五十人石?)と祠
南峰の電波塔
頂上広場に戻り、トイレに寄ってから電波塔のある南峰に登る。登っているうちに踏跡にぶつかり、それを辿る。それは作業道になっていて、その作業は電波塔の周囲で行われていた。駐車場に置いてあったバンと乗用車はこの人たちのものだったようだ。作業の邪魔はしたくなかったが、作業しているところの奥に三角点のようなものが見える。行ってみると、それは三角点だった。角が欠けていて何等かは分からない。そこからは鎌倉岳とその奥の二つの山が見える。おそらく殿上山/葉山と移ヶ岳。もう一つ北に、大きな、なだらかな山が見えていて、おそらく日山だろう。右側(東側)がよりなだらかで、この日、その尾根を歩くことになる。空にはもう熱くない秋の太陽。
角の欠けた三角点
五十人山・北峰
南峰からの景観: 常葉鎌倉岳、殿上山/葉山、移ヶ岳
常葉鎌倉岳
日山
秋の太陽
五十人山は二つのピークを持ち、その間のコルに頂上広場、北峰には五十人石と祠があり、南峰には電波塔と三角点のあるにぎやかな山だった。鎌倉岳や日山が見え、紅葉が美しかった。
日山
葛生観光案内マップの日山
駐車場に13時半に戻り、日山に向かう。少しだけ東に向かい、すぐ左折してR399を北に向かう。カーナビのマーク地点は日山の北西地点にある登山口の地点だが、そのだいぶ手前の南東地点で日山の道標を見る。それは葛尾(かつらお)地区の観光案内で、日山(天王山)の登山道はここから脇道を行くとある。富士山も見えるときた。そこでその脇道を行く。
日山とススキ
脇道を行くと、行く手に、ススキの向こうに日山らしき平坦で大きな峰が見えてくる。また日山(天王山)の道標があり、右折する。「富士山が見える最北端の山」とある。思ったよりも遠いところに駐車場があり、案内地図によると頂上まで3.64km。長い東尾根を辿るコース。13時半過ぎだったが、出発する。暗くなってしまうかもしれない。
日山(天王山)の登山道入口標識
葛尾登山口から林道を北へ1km弱歩き、そこから西へ尾根に登る。標識は整備されており、雑木林の登山道を進む。道がカーブしている部分は舗装されている。尾根歩きでは四つのマイナーピークを認定。各所にベンチと標識があり、樹間からは夕日のような太陽。
日山(天王山)登山道案内
雑木林の中を行く
三等三角点
展望岩
展望岩への分岐表示を左に入ると、途中に三等三角点があった。きれいな石標が笹の間に半ば隠れている。展望岩からは南の情景。樹間に五十人山らしき平らな山が見えており、南北の峰とコルを確認できる。電波塔ははっきりしない。その右の竜子山、鎌倉岳、更に右手の大きな移ヶ岳が秋の日射しに映えている。そして鎌倉の背後に見えている大きな山は大滝根山だろう。
頂上の日山(天王山)案内図
登山道に戻って先に進み、たどり着いた日山の頂上は広場になっていて、広場を囲むように社や石標がたくさん建っている。頂上の案内によると、それらは、田沢の日山神社(北東の高いところにある社と石の鳥居)、展望台をはさんで、葛尾の日山神社(南西にある社と鳥居)。もうひとつ、更に西に茂原の旭神社(社)があったはずだが、このときは気づかず、行かなかった。
田沢の日山神社
まず北東にある田沢の日山神社にお参り。壊れた石の鳥居の先を登ったところに社があり、その中に日山神社の表札。社の左(西)に祠が二つ。日山神社の名前の石板(*3)、「日山の由来」の大きな石板。そして石の頂上標識。
日山神社の表札
(*3抜粋)「阿武隈の中で大滝根山に次ぐ高峰」「坂上田村麻呂が東征の際に日山頂上に社を築き蝦夷征服を祈願した」「源義家がこの社で東征を祈願し、檜千本を奉納植樹したので、それから檜山と呼ばれるようになった」「慶安2年(1649年)の大洪水のとき、社で大祈祷し、以後、日山と改めた」「明治2年(1869年)、山名は旭岳に、田沢と茂原の社は旭神社、葛尾の社は日山神社となった」「後、再び日山(天王山)」と呼ばれるようになり、昭和56年(1981年)、阿武隈県立自然公園に編入された」「平成2年、田沢の旭神社は日山神社に改称され、石の鳥居が奉納された」
日山(天王山)の由来
日山(天王山)の頂上標識
旭神社?
展望台
展望台に登ると、方位盤がある。東と南には、展望岩で見たのと同じ、五十人山、滝子山、常葉鎌倉岳、移ヶ岳。そして常葉鎌倉岳の背後には大滝根山。移ヶ岳の向こうに富士山が見える、とあるが、霞んでいる。北に見えている平坦な山は花塚山、その右背後の平らな山は霊山だろうか。この方向も遠方は霞んでいる。西にわずかに見えている山影は安達太良、磐梯かもしれない。
日山から南の景観: 五十人山、竜子山、大滝根山、常葉鎌倉山、移ヶ岳
日山から北の景観: 花塚山、霊山
葛尾の鳥居、背後は展望台と田沢の日山神社
展望台を降り、西にあるトイレ、そして葛尾の日山神社に寄る。鳥居と社だが、入口が閉められていて中は見えない。頂上の案内ではこの位置に茂原・旭神社も記載されており、もう少し西にあったようだが、このときは気づかず、行かなかった。南の位置に、古い天王山の頂上標識があった。
葛尾の日山神社
16時前に帰途につき、駐車場に16時半過ぎに到着。駐車場を出た17時にはもう暗くなる。高速に乗る前に、冨士の湯というのに寄る。雑貨店の奥にある銭湯で、おじさんがいたが、受付は店だと言われ、店で金を払い、銭湯に戻る。風呂に入っていると、おじさんも入ってきた。店の主人なのか?
天王山の頂上標識
阿武隈で2番目に高い1,000m峰の日山の頂上には三つの神社があり(三つ目には気づかなかった)、展望岩に展望台からは阿武隈の山並みを望み、方位盤に名前の由来を書いた石坂。これまたなんともにぎやかな山頂だった。
問合せ・コメント等、メール宛先: kawabe.goro@meizan-hitoritabi.com