呉婆々宇山(ござそう) 遊歩道の散策

広島県  682m  2013年11月5日

中国百名山

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広島市内の水分峡公園から登った呉婆々宇山は頂上まで4kmあったが、歩きやすい遊歩道を2時間弱で頂上に着く。

呉婆々宇山頂上手前のバクチ岩から広島市街と瀬戸内海を見る。大きな岩を登るたびにそれがバクチ岩だろうと思ったが、本物は尾根からせり出したかなり大きな平たい岩で、時間を惜しんででも寄ってみる気になるものだった。

水分神社というのは、神武天皇が水を汲んだところというから、日本武尊や八幡太郎よりもずっと昔。

今回は行かなかったが、手書きプランで計画していた水谷峡から高尾山を巡る周回コースはどんなだろう。いつか再訪し、トライしてみたい。

 呉婆々宇山頂上手前のバクチ岩から広島市街と瀬戸内海を見る。尾根からせり出したかなり大きな平たい岩で、時間を惜しんででも寄ってみる気になるものだった。
 水分神社の先には水分峡大堰堤(*2)という大きな砂防ダム
 電波塔の建物の軒下に丸テーブルとベンチ。ここなら雨や日差しがしのげるわけだ
 秋空に手を広げたような木(ハンノキ?)。
  8:48 水分峡(みくまり)駐車場発  8:58 水分神社  9:18 展望台10:10 バクチ岩10:30 呉婆々宇山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り1時間42分10:34 呉婆々宇山発10:47 バクチ岩11:26 展望台11:41 水分神社11:45 水分峡駐車場・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復2時間57分

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広島市内の水分峡公園から登った呉婆々宇山は頂上まで4kmあったが、歩きやすい遊歩道を2時間弱で頂上に着く。呉婆々宇山頂上手前のバクチ岩から広島市街と瀬戸内海を見る。広島市内を南に向かう。立体交差をぐるぐる回り、位置関係が良く分からなくなるが、目指す水分峡公園のすぐ近くに来ていることが分かる。スーパー銭湯の前を通り、公園に向かう。住宅地から細い道を抜け、霊園の前で右折したところに公園駐車場があった。駐車場は8時から5時までとあり、ちょうど良い時間であった。呉婆々宇山登山の案内が無いので駐車場にいた人に聞いてみる。この先から行けるらしいが、2時間半かかるという。そいつは困った。中途半端な時間なので、時間がかかるようなら途中で引き返すことにして出発。時間を気にしながらの旅となる。月曜平日のためか、大きな駐車場には数台しかおらず、とにかく出発。霊園が対岸に見える川の左岸を川上に歩き、右岸に渡る橋の手前に呉婆々宇山の表示を発見。渡った先にトイレと水分峡の案内があり、その先に水分神社があった。(*1)

(*1)水分神社由緒: この水分神社は神武天皇御東征の砌り(みぎり)安芸の埃宮(ちりみや?)ご滞在中このところにおいて水を御汲み取りになったとして申し伝えられる(口碑)

水分神社の先には水分峡大堰堤(*2)という大きな砂防ダムがあり、コンクリで流れを整備された沢沿いを歩く。岩谷観音への分岐表示があったが、それが高尾山への尾根コース(*4)だったのかもしれない。草摺の滝(*3)というのは何段にも重なった滝。降打岩(ブリッジ岩)というのもある。舗装された遊歩道は沢を何度か渡り、車道と合流した先に呉婆々宇山の表示があり、山道に入る。山道は林の中を登って尾根道となり、北西方向に切り立った尾根が見える。あれが主稜線だろうか。展望台があったが、木々に囲まれていて視界があるとは思えず、登らず。山道はマイナーピークからいったん下りとなり、車道を横断して向こう側の山道を登る。これはさっきの車道の先に違いない。頂上まで2.8kmとある。まだ1.5kmしか来ていないのか。尾根の途中にベンチが置いてあり、そこから広島市街地が見えた。そしてまた車道を横断する。少し先に呉婆々宇山への中間点2,150m表示がある。

(*2)水分峡大堰堤: 大正15年この地方は大洪水に見舞われた。府中町では堤防の決壊10数ヶ所述べ3,500件(約6300m)、橋梁の流失20余、低地部の一帯が海となり、田畑流失66町歩(約66ha)、被害家屋359戸にのぼり(当時の戸数800戸余)、人口3,700人であった。大正15年の洪水による山林荒廃地の砂防施設工事を内務大臣に陳情。昭和14年旱害による応急対策施設に宇石ころび谷間の溜池新設を議決。昭和16年、県、水分峡堰堤工事が完成した (府中町史から)

(*3)草摺の滝: 草摺(すり)とは鎧の銅の下にたらして腰のまわりを覆うもののことで、水が水が幾重にも重なりあいながら落ちていく様子が「草摺」に似ていることから江戸時代の終わりころに名づけられたと言われています

三つ目の車道を横断した先で鉄塔の下を通る。四つ目の車道を横断した先は道が二つあり、右が難所、左が階段とある。左の階段を登る。大きな岩があり、バクチ岩とハンド岩の分岐がある。バクチ岩が頂上方面、ハンド岩は水谷峡方面の道(*4)だったようだ。そのハンド岩分岐の先に水谷峡への分岐があり、更に登ったところに岩屋観音への分岐がある。これが主稜尾根の道で、水分峡大堰堤のところに続いているのだろう。大きな岩を登るたびにそれがバクチ岩だろうと思ったが、本物は尾根からせり出したかなり大きな平たい岩で、時間を惜しんででも寄ってみる気になるものだった。そこからは広島市内から瀬戸内海が広く見渡すことができる。尾根道に戻ったところで時刻を確認。9時前に出発したとして、13時前までに戻るためには、11時には頂上に着いていないといけない。ここまで3kmを2時間弱で来れているだろうか。デジカメの時刻は10時10分頃、携帯は10時8分を示していた。3kmを1時間強でクリアしていることになる。楽勝だ。

(*4)手書きプラン: 今回歩いたのは西にある水分峡から誤婆々宇林道をたどるルートだったが、ガイドに載っていたのを写した「手書きプラン」は南東にある水谷峡から呉婆々宇山、そこから西の尾根を登って高尾山の岩屋観音、さらに西に下って水分峡まで行くものだった。再訪してトライしてみたい。

安心してゆっくり尾根を歩き、マイクロウェーブ反射板と電波塔の脇を通ると、電波塔の建物の軒下に丸テーブルとベンチ。ここなら雨や日差しがしのげるわけだ。そして、林の尾根の上の呉婆々宇山頂に着く。広い山頂に二等三角点と頂上標識。尾根の北に道が続き、そっちにも公園があるらしい。三角点名「五八霜山」という標識もある。頂上から戻る途中、登ってくる人に会う。水谷峡から来た人かな。帰りのバクチ岩では眺望をゆっくり楽しむ。高層ビルが立ち並ぶ市内に高架橋が行き交う海。四つ目の車道の北に「寺屋敷跡」の標識。次回、来ることがあれば寄ろう。秋空に手を広げたような木。中間点の少し前で登ってくる人に会う。山道から舗装路に降りると歩いている人がたくさんいる。駐車場にも車がだいぶ増えていた。スーパー銭湯・安芸の湯700円に寄っていく。これはマップにも出ていた温泉。

公園駐車場

広島市内の水分峡公園から登った呉婆々宇山は頂上まで4kmあったが、歩きやすい遊歩道を2時間弱で頂上に着く。呉婆々宇山頂上手前のバクチ岩から広島市街と瀬戸内海を見る。

水分峡(みくまり)案内

広島市内を南に向かう。立体交差をぐるぐる回り、位置関係が良く分からなくなるが、目指す水分峡公園のすぐ近くに来ていることが分かる。スーパー銭湯の前を通り、公園に向かう。住宅地から細い道を抜け、霊園の前で右折したところに公園駐車場があった。駐車場は8時から5時までとあり、ちょうど良い時間であった。

水分神社由緒

(*1)水分神社由緒: この水分神社は神武天皇御東征の砌り(みぎり)安芸の埃宮(ちりみや?)ご滞在中このところにおいて水を御汲み取りになったとして申し伝えられる(口碑)

水分神社

呉婆々宇山登山の案内が無いので駐車場にいた人に聞いてみる。この先から行けるらしいが、2時間半かかるという。そいつは困った。中途半端な時間なので、時間がかかるようなら途中で引き返すことにして出発。時間を気にしながらの旅となる。月曜平日のためか、大きな駐車場には数台しかおらず、とにかく出発。霊園が対岸に見える川の左岸を川上に歩き、右岸に渡る橋の手前に呉婆々宇山の表示を発見。渡った先にトイレと水分峡の案内があり、その先に水分神社があった。(*1)

水分峡大堰堤の案内

水分神社の先には水分峡大堰堤(*2)という大きな砂防ダムがあり、コンクリで流れを整備された沢沿いを歩く。

(*2)水分峡大堰堤: 大正15年この地方は大洪水に見舞われた。府中町では堤防の決壊10数ヶ所述べ3,500件(約6300m)、橋梁の流失20余、低地部の一帯が海となり、田畑流失66町歩(約66ha)、被害家屋359戸にのぼり(当時の戸数800戸余)、人口3,700人であった。大正15年の洪水による山林荒廃地の砂防施設工事を内務大臣に陳情。昭和14年旱害による応急対策施設に宇石ころび谷間の溜池新設を議決。昭和16年、県、水分峡堰堤工事が完成した (府中町史から)

水分峡大堰堤

大堰堤の上を渡る

成田波切不動明王

千葉県の成田山不動明王のことだと思われる。

草摺の滝案内

岩谷観音への分岐表示があったが、それが高尾山への尾根コース(*4)だったのかもしれない。草摺の滝(*3)というのは何段にも重なった滝。降打岩(ブリッジ岩)というのもある。

(*3)草摺の滝: 草摺(すり)とは鎧の銅の下にたらして腰のまわりを覆うもののことで、水が水が幾重にも重なりあいながら落ちていく様子が「草摺」に似ていることから江戸時代の終わりころに名づけられたと言われています

草摺の滝

舗装された遊歩道は沢を何度か渡り、車道と合流した先に呉婆々宇山の表示があり、山道に入る。山道は林の中を登って尾根道となり、北西方向に切り立った尾根が見える。あれが主稜線だろうか。展望台があったが、木々に囲まれていて視界があるとは思えず、登らず。

登山道

山道はマイナーピークからいったん下りとなり、車道を横断して向こう側の山道を登る。これはさっきの車道の先に違いない。頂上まで2.8kmとある。まだ1.5kmしか来ていないのか。尾根の途中にベンチが置いてあり、そこから広島市街地が見えた。そしてまた車道を横断する。少し先に呉婆々宇山への中間点2,150m表示がある。

展望台

三つ目の車道を横断した先で鉄塔の下を通る。四つ目の車道を横断した先は道が二つあり、右が難所、左が階段とある。左の階段を登る。大きな岩があり、バクチ岩とハンド岩の分岐がある。バクチ岩が頂上方面、ハンド岩は水谷峡方面の道(*4)だったようだ。そのハンド岩分岐の先に水谷峡への分岐があり、更に登ったところに岩屋観音への分岐がある。これが主稜尾根の道で、水分峡大堰堤のところに続いているのだろう。

広島市街

バクチ岩

大きな岩を登るたびにそれがバクチ岩だろうと思ったが、本物は尾根からせり出したかなり大きな平たい岩で、時間を惜しんででも寄ってみる気になるものだった。そこからは広島市内から瀬戸内海が広く見渡すことができる。

広島市街

尾根道に戻ったところで時刻を確認。9時前に出発したとして、13時前までに戻るためには、11時には頂上に着いていないといけない。ここまで3kmを2時間弱で来れているだろうか。デジカメの時刻は10時10分頃、携帯は10時8分を示していた。3kmを1時間強でクリアしていることになる。楽勝だ。

代赭色の尾根

電波塔

電波塔の下のテーブルとベンチ

安心してゆっくり尾根を歩き、マイクロウェーブ反射板と電波塔の脇を通ると、電波塔の建物の軒下に丸テーブルとベンチ。ここなら雨や日差しがしのげるわけだ。

公園案内図

呉婆々宇山頂上標識と三角点

そして、林の尾根の上の呉婆々宇山頂に着く。広い山頂に二等三角点と頂上標識。尾根の北に道が続き、そっちにも公園があるらしい。三角点名「五八霜山」という標識もある。頂上から戻る途中、登ってくる人に会う。水谷峡から来た人かな。帰りのバクチ岩では眺望をゆっくり楽しむ。高層ビルが立ち並ぶ市内に高架橋が行き交う海。四つ目の車道の北に「寺屋敷跡」の標識。次回、来ることがあれば寄ろう。

うりかえで

そよご

秋空と木(ハンノキ?)

秋空に手を広げたような木。中間点の少し前で登ってくる人に会う。山道から舗装路に降りると歩いている人がたくさんいる。駐車場にも車がだいぶ増えていた。

スーパー銭湯・安芸の湯700円に寄っていく。これはマップにも出ていた温泉。

手書きプラン

(*4)手書きプラン: 今回歩いたのは西にある水分峡から誤婆々宇林道をたどるルートだったが、ガイドに載っていたのを写した「手書きプラン」は南東にある水谷峡から呉婆々宇山、そこから西の尾根を登って高尾山の岩屋観音、さらに西に下って水分峡まで行くものだった。再訪してトライしてみたい。

高尾山?