桜山、牛伏山 冬桜と石像臥牛
群馬県 桜山591m、牛伏山490m 2019年10月19日
(桜山、牛伏山)群馬百名山
459
すっかり涼しくなって
日差しも心地よく感じられ
山はくっきり見えている
☘🌪🚢☘🌪🚢☘🌪🚢
展望台というところまでくると、すぐ正面に桜山の頂上が立っている。小さいが、いったん下って急な階段を登らなければならないようだ。道の両側にあるのは桜の木。ほとんど葉の落ちた木の枝にぽつりぽつり白い花がついていて、それが冬桜らしい。まだ満開には程遠いが、梅みたいで風情がある。
最奥に屋根と銅鑼が下げられた「桜山の板碑」があった。三角点も頂上標識もないが、ここが桜山の頂上ということだろう。
冬桜のある西斜面の道から池のところまで来ると、家族連れが池のコイに餌をやっていた。子供が餌をほおると、赤や白の錦鯉がたくさん集まってきてバシャバシャやっている。声をかける年配の人はお祖父さんかな。
桜山から北北西7kmくらいのところにある牛伏山の頂上に向かう。
鐘撞楼、琴平神社、電波塔が立っており、その先に黒い石の頂上標識と三角点を発見。帰りに社にお参りしていると、大きな音のする鐘を鳴らしている人。「これは平和の鐘です。心をこめて撞きましょう。連打はしないでください。高崎市」とある。
石像臥牛の像によってみる。そこには牛伏山の由来の案内があり、その昔、娘に恋をした天狗が若者に姿を変え、牛に乗って会いに行ったが思いかなわず、天狗は朝日岳に姿を変え、この山は臥牛の形に姿を変えたのだという。天狗松というのもある。
気になっていた城の展望台に向かう。案内によると、ここにはかって城が立ち、武田信玄に攻められて落城したという悲しい歴史があるようだ。
展望台から東には牛伏山の頂上が軍艦の舳(へさき)のように見えていた。日本昔話のような天狗と牛の伝説、戦国時代に落城した悲しい話、ここには古事や歴史が詰まっている。
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(桜山)
桜山は桜山公園の中にあり、頂上まで続く車道沿いには冬桜の提灯がたくさんぶら下がっている。大きな駐車場に停め、頂上に向かうと、途中に立派な日本庭園風の池があり、作業している人がいた。「第一の広場(池のある日本庭園)」とある。冬桜7,000本、染井吉野3,000本という表示。展望台というところまでくると、すぐ正面に桜山の頂上が立っている。小さいが、いったん下って急な階段を登らなければならないようだ。道の両側にあるのは桜の木。ほとんど葉の落ちた木の枝にぽつりぽつり白い花がついていて、それが冬桜らしい。まだ満開には程遠いが、梅みたいで風情がある。
木々に覆われた里山の頂上には古い石板や祠が並んでいて、昔から多くの人たちに親しまれてきたことがわかる。「冬桜」の案内(*1)、「関東ふれあいの道」の案内、古い石板、「桜山の板碑」の案内(*2)が並び、その最奥に屋根と銅鑼が下げられた「桜山の板碑」があった。三角点も頂上標識もないが、ここが桜山の頂上ということだろう。桜山から北西に見えていた緑の山は747m峰(地図に山名なし)、桜山から下って展望台の先の西斜面から南西方向に見えていたのは塚山954mだろうか。冬桜のある西斜面の道から池のところまで来ると、家族連れが池のコイに餌をやっていた。子供が餌をほおると、赤や白の錦鯉がたくさん集まってきてバシャバシャやっている。声をかける年配の人はお祖父さんかな。
(*1)冬桜の案内・晩秋から初冬にかけて淡紅色のかれんな花をつけ、12月1日の桜山祭りの頃には全山満開となります(*2)桜山の板碑の案内・南北朝期の供養塔・碑面上部の梵字は大日如来をあらわすが、麓村落にはこれを虚空蔵菩薩として信仰する習俗が古くならある。・その下の「本来具足三身徳」というのは妙法蓮華の一節と解されるが、他は風化で解読困難
(牛伏山)
桜山から北北西7kmくらいのところにある牛伏山の頂上に向かう車道を走っていると、頂上の一角に城が立っているのが見えたが、それは展望台だった。その展望台のところに駐車場があったのだが、それに気づかずに頂上方面に向かい、スペースに停めて歩く。その少し手前には大きな牛の像(石像臥牛)があり、家族連れが遊んでいた。頂上方面に向かうと、長谷川善治翁の銅像、鐘撞楼、琴平神社、電波塔が立っており、その先に黒い石の頂上標識と三角点を発見。三角点は頂上標識の奥、少し離れたところにあった。帰りに社にお参りしていると、大きな音のする鐘を鳴らしている人。「これは平和の鐘です。心をこめて撞きましょう。連打はしないでください。高崎市」とある。私は止めておいた。鐘の下は休憩室(一郷亭)になっているようだった。白いヨメナに黄色いのはヤクシソウだろうか。洞窟観音という案内があり、石段を下ってみると、防空壕のような洞窟(牛伏洞窟という標識があった)の中に、壁をうがって作ったところに観音像がたくさん安置されていた。車に戻る前に、石像臥牛の像によってみる。そこには牛伏山の由来の案内があり、その昔、娘に恋をした天狗が若者に姿を変え、牛に乗って会いに行ったが思いかなわず、天狗は朝日岳に姿を変え、この山は臥牛の形に姿を変えたのだという。天狗松というのもある。
車に戻り、気になっていた城の展望台に向かう。案内によると、ここにはかって城が立ち、武田信玄に攻められて落城したという悲しい歴史があるようだ。城の中にはいろんな展示物。猛禽類の写真(サシバ、ハチクマ、ミサゴなど)はなかなか見事。展望台からは赤城や榛名など四方向の方位図があったが、残念ながら雲で見えず。東には牛伏山の頂上が軍艦の舳のように見えていた。日本昔話のような天狗と牛の伝説、戦国時代に落城した悲しい話、ここには古事や歴史が詰まっている。
桜山
桜山
桜山は桜山公園の中にあり、頂上まで続く車道沿いには冬桜の提灯がたくさんぶら下がっている。大きな駐車場に停め、頂上に向かうと、途中に立派な日本庭園風の池があり、作業している人がいた。「第一の広場(池のある日本庭園)」とある。冬桜7,000本、染井吉野3,000本という表示。展望台というところまでくると、すぐ正面に桜山の頂上が立っている。小さいが、いったん下って急な階段を登らなければならないようだ。道の両側にあるのは桜の木。ほとんど葉の落ちた木の枝にぽつりぽつり白い花がついていて、それが冬桜らしい。まだ満開には程遠いが、梅みたいで風情がある。
桜山公園への道標
桜山と車道の提灯
冬桜7,000本、ソメイヨシノ3,000本
池
展望台
桜山
冬桜の案内
(*1)冬桜の案内
・晩秋から初冬にかけて淡紅色のかれんな花をつけ、12月1日の桜山祭りの頃には全山満開となります
冬桜
冬桜
頂上の石板
桜山頂上の「桜山文和の板碑」
木々に覆われた里山の頂上には古い石板や祠が並んでいて、昔から多くの人たちに親しまれてきたことがわかる。「冬桜」の案内(*1)、「関東ふれあいの道」の案内、古い石板、「桜山の板碑」の案内(*2)が並び、その最奥に屋根と銅鑼が下げられた「桜山の板碑」があった。三角点も頂上標識もないが、ここが桜山の頂上ということだろう。桜山から北西に見えていた緑の山は747m峰(地図に山名なし)、桜山から下って展望台の先の西斜面から南西方向に見えていたのは塚山954mだろうか。冬桜のある西斜面の道から池のところまで来ると、家族連れが池のコイに餌をやっていた。子供が餌をほおると、赤や白の錦鯉がたくさん集まってきてバシャバシャやっている。声をかける年配の人はお祖父さんかな。
「桜山の板碑」の案内
(*2)桜山の板碑の案内
・南北朝期の供養塔
・碑面上部の梵字は大日如来をあらわすが、麓村落にはこれを虚空蔵菩薩として信仰する習俗が古くならある。
・その下の「本来具足三身徳」というのは妙法蓮華の一節と解されるが、他は風化で解読困難
「桜山の由来」の案内
北東に見える747m峰
南西に見えるのは塚山?
アザミ
紅葉
コイに餌をやる
牛伏山
牛伏山
桜山から北北西7kmくらいのところにある牛伏山の頂上に向かう車道を走っていると、頂上の一角に城が立っているのが見えたが、それは展望台だった。その展望台のところに駐車場があったのだが、それに気づかずに頂上方面に向かい、スペースに停めて歩く。その少し手前には大きな牛の像(石像臥牛)があり、家族連れが遊んでいた。頂上方面に向かうと、長谷川善治翁の銅像、鐘撞楼、琴平神社、電波塔が立っており、その先に黒い石の頂上標識と三角点を発見。三角点は頂上標識の奥、少し離れたところにあった。帰りに社にお参りしていると、大きな音のする鐘を鳴らしている人。「これは平和の鐘です。心をこめて撞きましょう。連打はしないでください。高崎市」とある。私は止めておいた。鐘の下は休憩室(一郷亭)になっているようだった。白いヨメナに黄色いのはヤクシソウだろうか。洞窟観音という案内があり、石段を下ってみると、防空壕のような洞窟(牛伏洞窟という標識があった)の中に、壁をうがって作ったところに観音像がたくさん安置されていた。車に戻る前に、石像臥牛の像によってみる。そこには牛伏山の由来の案内があり、その昔、娘に恋をした天狗が若者に姿を変え、牛に乗って会いに行ったが思いかなわず、天狗は朝日岳に姿を変え、この山は臥牛の形に姿を変えたのだという。天狗松というのもある。
鐘撞楼と一郷亭
牛伏山の頂上標識
牛伏山の三角点
ヤクシソウ
琴平神社
洞窟観音の入口
洞窟観音・大日如来
洞窟観音・子守観音?
天狗松
石像伏牛
牛伏山の案内
・ここ牛伏山(491m)は西の金比羅山と東の一郷山から成り立っています
・金比羅山には金比羅神社、平和の鐘撞楼、この山の由来となる石像臥牛などがあり、訪れる人にやすらぎやうるおいを与えます
・また一郷山には四阿や展望台を備えた天守閣などがあり、上毛三山を始め晴れた日には遠く筑波山などが望めます
牛伏山の牛の由来
牛伏山自然公園観光案内図
青い山脈の歌碑
青い山脈歌碑の案内
・吉井町立入野小学校が校歌制定にあたり、その附曲を服部良一氏に依頼した。服部氏は・・・牛伏山に登り、すばらしい眺望と緑なす山波に感動され、「青い山脈」の歌を偲ばれた。随行の一同もこれにこたえ、期せずして青い山脈を唱和した
牛伏山展望台
車に戻り、気になっていた城の展望台に向かう。案内によると、ここにはかって城が立ち、武田信玄に責められて落城したという悲しい歴史があるようだ。城の中にはいろんな展示物。猛禽類の写真(サシバ、ハチクマ、ミサゴなど)はなかなか見事。展望台からは赤城や榛名など四方向の方位図があったが、残念ながら雲で見えず。東には牛伏山の頂上が軍艦の舳のように見えていた。日本昔話のような天狗と牛の伝説、戦国時代に落城した悲しい話、ここには古事や歴史が詰まっていいる。
牛伏山展望台の案内
牛伏山(展望台より)
西の方位図
・背景に妙義山と浅間山
北の方位図
・背景に榛名山、高崎市街、赤城山、男体山
サシバ(展示場の写真)
ハチクマ(展示場の写真)