嵩山(だけさん) 宍道湖と中海を見下ろす

島根県  331m  2019年11月25日

中国百名山

462

晴れるはずだったのに雨

豊かな林を抜け

岩場の黒綱を登り

海から見た尖峰の上に立つ

☁⛅🌥☁⛅🌥☁⛅🌥

高度が上がると遠景が見えてきて、宍道湖と松江市内が霞んで見えている。松江に住んでいたのは中学校3年の頃。もう50年近く前で、当時は高速も無かった。だが、宍道湖はそのときと変わらないように見えた。

布自伎美(ふじきみ)神社には大きな狛犬が4匹くらい、古い鳥居の周囲に陣取っている。ここも正面の建物の奥に神社・本殿がつながっている構造。

嵩神社には手作りと思われる小さな巫女人形がたくさん置いてあり、「願いを届ける巫女さん人形です。嵩山の小石でつくりました。どうぞお持ち帰りください」とあるので、一つ記念にもらう(あれっどこにしまったかな?)。

もっと奥、東端が林を抜けた大展望台になっていた。そこには嵩山と記した石碑が立っており、その向こうに中海が広がっていた。中海の向こう側にある境港には小学校6年から3年程いたので、中海もまた子供時代に刻み込まれている。

雨がぽつりぽつり降ってきたのは嵩山を下り始めた頃。滑りやすそうな九十九折の道をスティックを使って慎重に駆け下りていると、夫婦連れが登ってきた。地元の人かな。雨なのにたいへんだな。

駐車場から車道を西に下ると、背後に紅葉の嵩山が見えていた。頂上から宍道湖と中海が見下ろせる手軽な里山。

 駐車場から車道を西に下ると、背後に紅葉の嵩山が見えていた。頂上から宍道湖と中海が見下ろせる手軽な里山。
 宍道湖と松江市街
 中海と紅葉
 持ち帰った巫女さん人形(あった!)
  8:19 南登山口P発(標高110m)  8:41 参道(西登山口)合流点  8:51 布自伎美神社(ふじきみ)  8:55 嵩山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り36分  8:59 嵩山発  9:01 布自伎美神社  9:12 参道(西登山口)合流点  9:28 南登山口P・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復1時間9分
往復2.6㎞、標高差211m

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日曜は雨という天気予報は外れ、夜になっても雨は降らなかった。天気予報も反省して、月曜は晴れるとでている。ところが、月曜朝に起きるとなんと雨が降っている。天気予報を見ると晴なので、これから雨は上がるのだろうか。嵩山に向かう。米子までは順調に進むが、松江に入ると大渋滞。事故という訳でもなさそうなので、通勤渋滞なのだろう。いらいらしたのは実質15分くらいだが、宍道湖の北に向かう分岐が渋滞していて、その先で2箇所ほど合流点があり、大量の車が合流してきていた。どうやらそこがボトルネックになっているようだ。ようやく流れだし、脇道に入り、落葉で表面が見えないほどになっている狭い車道を進む。東側から登ったが、西側の道はもっと走りやすいようだ。どっかで通行止めになりそうな雰囲気だったが、無事に嵩山駐車場に到着。駐車場には鳥打峠の古い石標が立ち、嵩山の案内などが並んでいる(*1)(*2)。登っている人は多そうだ。頂上まで1㎞強だが、スティックを持っていく。歩きこまれた九十九折の道は急で、二吸二吐で登るが、赤土の固い道は滑りそうなのでしっかり踏んでいく。

(*1)嵩山の案内1(小泉八雲ゆかりの地): 小泉八雲はセツが祖母の時代の実話として語った嵩山にまつわる伝説から「あみだ寺のびく尼」を書きあげた。「その坂路は森や林を越えたり、草原の山腹を登ったり、不思議な形をした大岩の角を廻ったりしていた。山腹が「こうる、こうる」と囁き、小鳩が「おうわ、おうわ」と泣き声をし、蝉が「ぜいぜい」「かなかな」「りんりん」などと鳴いた。旅に出たいとしい人々の帰還を待つ者は皆、出来れば嵩山と呼ばれるこの山への頂上へお詣りする。松江の市内のどこからもその山は眺められるし、その頂上からは何ヶ国も見渡せる。」(『心』第5章「あみだ寺のびく尼」より)頂上には、布自伎美神社があり、また、烽(非常に際し、のろしを上げて急を報ずる施設)があったことが『出雲風土記』に記されている。

(*2)嵩山の案内2(自然公園): 嵩山(331m)は松江市街から見た山の形が人が仰向けで横たわった形をしていることから寝仏の名で親しまれています。頭の部分が和久羅山(262m)、胸から下が嵩山にあたり、ちょうどこの駐車場のあたりが首の部分に位置します。植生はほとんどが伐採後数十年を経た二次林や人工林ですが、山頂部にまつられた布自伎美(ふじきみ)神社の周辺にはスジダイの巨木を上層木としたスジダイ林が残存しています。山頂へはこの駐車場から約40分で到着します。山頂には布自伎美神社があり、ここが嵩山の山頂にあたります。山頂からの眺めはよく、布自伎美神社の先にある広場からは島根半島、中海や大山が、途中の休憩所からは松江市街や宍道湖が望めます。

高度が上がると遠景が見えてきて、宍道湖と松江市内が霞んで見えている。松江に住んでいたのは中学校3年の頃。もう50年近く前で、当時は高速も無かった。だが、宍道湖はそのときと変わらないように見えた。参道の道と合流し、熊井の滝への分岐を過ぎ、更に九十九折を登り、大きな東屋の展望台から再び宍道湖と松江市街を眺め、そこからはほぼ平らな広い道を歩き、神社に着く。布自伎美(ふじきみ)神社には大きな狛犬が4匹くらい、古い鳥居の周囲に陣取っている。ここも正面の建物の奥に神社・本殿がつながっている構造。正面でお参りすると、登山者ノートの入った箱が置いてあった。奥の最高点と思われる方角に向かうと社が二つあり、手前が稲荷社、奥が嵩神社。嵩神社には手作りと思われる小さな巫女人形がたくさん置いてあり、「願いを届ける巫女さん人形です。嵩山の小石でつくりました。どうぞお持ち帰りください」とあるので、一つ記念にもらう(あれっどこにしまったかな?)。そのあたりが嵩山の最高点だと思うが標識はなし。だが、もっと奥、東端が林を抜けた大展望台になっていた。そこには嵩山と記した石碑(「嵩山、天下の絶景、大佛の寝たる姿や、嵩・和久羅」)が立っており、その向こうに中海が広がっていた。中海の向こう側にある境港には小学校6年から3年程いたので、中海もまた子供時代に刻み込まれている。中海にある二つの島、大根島と江島、それを陸地とつなぐ長い橋(江島大橋)のなつかしい情景。帰りに神社に寄り、登山者ノートに書き込む。「青森から来ました。子供の頃に住んでいたので、中海としんじ湖(漢字を思い出せなかった)が見られてなつかしかったです。」というようなことを書いたかな。雨がぽつりぽつり降ってきたのは嵩山を下り始めた頃。滑りやすそうな九十九折の道をスティックを使って慎重に駆け下りていると、夫婦連れが登ってきた。地元の人かな。雨なのにたいへんだな。

駐車場から車道を西に下ると、背後に紅葉の嵩山が見えていた。頂上から宍道湖と中海が見下ろせる手軽な里山。松江市内のちどり湯という温泉に入っていく。昼前の松江道は流れていて、朝あれだけ混んでいた松江JCをすんなり通過。

  南登山口駐車場

日曜は雨という天気予報は外れ、夜になっても雨は降らなかった。天気予報も反省して、月曜は晴れるとでている。ところが、月曜朝に起きるとなんと雨が降っている。天気予報を見ると晴なので、これから雨は上がるのだろうか。嵩山に向かう。

  嵩山の案内1(小泉八雲ゆかりの地)

(*1)嵩山の案内1(小泉八雲ゆかりの地): 小泉八雲はセツが祖母の時代の実話として語った嵩山にまつわる伝説から「あみだ寺のびく尼」を書きあげた。「その坂路は森や林を越えたり、草原の山腹を登ったり、不思議な形をした大岩の角を廻ったりしていた。山腹が「こうる、こうる」と囁き、小鳩が「おうわ、おうわ」と泣き声をし、蝉が「ぜいぜい」「かなかな」「りんりん」などと鳴いた。旅に出たいとしい人々の帰還を待つ者は皆、出来れば嵩山と呼ばれるこの山への頂上へお詣りする。松江の市内のどこからもその山は眺められるし、その頂上からは何ヶ国も見渡せる。」(『心』第5章「あみだ寺のびく尼」より)頂上には、布自伎美神社があり、また、烽(非常に際し、のろしを上げて急を報ずる施設)があったことが『出雲風土記』に記されている。

  嵩山の案内2(自然公園)

(*2)嵩山の案内2(自然公園): 嵩山(331m)は松江市街から見た山の形が人が仰向けで横たわった形をしていることから寝仏の名で親しまれています。頭の部分が和久羅山(262m)、胸から下が嵩山にあたり、ちょうどこの駐車場のあたりが首の部分に位置します。植生はほとんどが伐採後数十年を経た二次林や人工林ですが、山頂部にまつられた布自伎美(ふじきみ)神社の周辺にはスジダイの巨木を上層木としたスジダイ林が残存しています。山頂へはこの駐車場から約40分で到着します。山頂には布自伎美神社があり、ここが嵩山の山頂にあたります。山頂からの眺めはよく、布自伎美神社の先にある広場からは島根半島、中海や大山が、途中の休憩所からは松江市街や宍道湖が望めます。

  鳥打峠の石標

米子までは順調に進むが、松江に入ると大渋滞。事故という訳でもなさそうなので、通勤渋滞なのだろう。いらいらしたのは実質15分くらいだが、宍道湖の北に向かう分岐が渋滞していて、その先で2箇所ほど合流点があり、大量の車が合流してきていた。どうやらそこがボトルネックになっているようだ。ようやく流れだし、脇道に入り、落葉で表面が見えないほどになっている狭い車道を進む。東側から登ったが、西側の道はもっと走りやすいようだ。

  嵩山の案内図

どっかで通行止めになりそうな雰囲気だったが、無事に嵩山駐車場に到着。駐車場には鳥打峠の古い石標が立ち、嵩山の案内などが並んでいる(*1)(*2)。登っている人は多そうだ。頂上まで1㎞強だが、スティックを持っていく。歩きこまれた九十九折の道は急で、二吸二吐で登るが、赤土の固い道は滑りそうなのでしっかり踏んでいく。

  九十九折の道

  西登山口(参道)分岐

  熊井ノ滝への案内図

  展望所の東屋

  宍道湖と松江市街

高度が上がると遠景が見えてきて、宍道湖と松江市内が霞んで見えている。松江に住んでいたのは中学校3年の頃。もう50年近く前で、当時は高速も無かった。だが、宍道湖はそのときと変わらないように見えた。参道の道と合流し、熊井の滝への分岐を過ぎ、更に九十九折を登り、大きな東屋の展望台から再び宍道湖と松江市街を眺め、そこからはほぼ平らな広い道を歩き、神社に着く。

  宍道湖と松江市街

  和久羅山

  布自伎美神社

布自伎美(ふじきみ)神社には大きな狛犬が4匹くらい、古い鳥居の周囲に陣取っている。ここも正面の建物の奥に神社・本殿がつながっている構造。正面でお参りすると、登山者ノートの入った箱が置いてあった。奥の最高点と思われる方角に向かうと社が二つあり、手前が稲荷社、奥が嵩神社。嵩神社には手作りと思われる小さな巫女人形がたくさん置いてあり、「願いを届ける巫女さん人形です。嵩山の小石でつくりました。どうぞお持ち帰りください」とあるので、一つ記念にもらう(あれっどこにしまったかな?)。

 

  向かって右手前の狛犬

  向かって右奥の狛犬

  向かって左の狛犬二匹

  布自伎美神社

  登山者ノートの箱

  布自伎美神社・本殿

  稲荷社

  嵩神社の巫女さん人形

  持ち帰った巫女さん人形・・・・・あった!

  嵩山頂上の東側が開けている

そのあたりが嵩山の最高点だと思うが標識はなし。だが、もっと奥、東端が林を抜けた大展望台になっていた。そこには嵩山と記した石碑(「嵩山、天下の絶景、大佛の寝たる姿や、嵩・和久羅」)が立っており、その向こうに中海が広がっていた。中海の向こう側にある境港には小学校6年から3年程いたので、中海もまた子供時代に刻み込まれている。中海にある二つの島、大根島と江島、それを陸地とつなぐ長い橋(江島大橋)のなつかしい情景。

  嵩山頂上東端の石碑と中海

  嵩山頂上東端の石碑

  中海と紅葉

  大根島と中海

帰りに神社に寄り、登山者ノートに書き込む。「青森から来ました。子供の頃に住んでいたので、中海としんじ湖(漢字を思い出せなかった)が見られてなつかしかったです。」というようなことを書いたかな。雨がぽつりぽつり降ってきたのは嵩山を下り始めた頃。滑りやすそうな九十九折の道をスティックを使って慎重に駆け下りていると、夫婦連れが登ってきた。地元の人かな。雨なのにたいへんだな。

  嵩山

  嵩山

駐車場から車道を西に下ると、背後に紅葉の嵩山が見えていた。頂上から宍道湖と中海が見下ろせる手軽な里山。松江市内のちどり湯という温泉に入っていく。昼前の松江道は流れていて、朝あれだけ混んでいた松江JCをすんなり通過。